5/31 友人の細君が亡くなった。大恋愛をして獲得しただけあって、友人は細君を本当に大事にしていた。ずっと以前から、体調が思わしくないとは聞いていたが、昨年から、その不治の病が悪化し、そして、昨日この世をさられたのである。

 友人の細君とは、一緒に山に出掛けた事もなければ、食事をご一緒した事もなかったが、応対が上手だったし、とても綺麗で爽やかな方であった。
 闘病中の思いを短歌に綴っておられたものを意見した。食事が出来なくなったら、「点滴を外してくれ! 死に顔は晒さないで欲しい。」 などの遺言まであったそうである。そして、最後まで、トイレを自力で済ませたという。私より1歳年上の方であるが、その壮絶な死に、涙が出て仕方がなかった。



5/30 愉快な仲間達との山行記録を整理していて、「あ~っ」と声を上げてしまった。私は、2/19の朴ノ木山から、「山ノ神」は、1/29の大倉山から、長勢君(ネコさん)との山行機会がなくなっている事に気付いた。

 毎週のように、少なくとも、一緒しない月などなかったのに・・・・休日の兼ね合いもあったが、彼には、それなりの目的意識があったし、こちらからの呼びかけを、控えた事もあったかもしれない。その長勢君から、次週の山行に声が掛かった。小躍りして喜んだ! 私(達)は、唯、付いていけばよい。



5/29 若いBOWさんが参加する事を知らされ、私のようなロートルが、上手く付き合えるものかの心配は、「どうも・・どうも・・」 の挨拶で、いっぺんに払拭されてしまい、またまた楽しい山行のスタートとなった。しかし、私と二回りも違うとなると、「まるで親子じゃない!」 怖いもの見たさかもしれないが、よくぞ付き合って頂いたものだ。

 心は、一時的にも、異次元の世界を楽しませて頂いたのであるが、如何せん、身体は落ち目の三度笠で、ヨタヨタと付いて行くだけであった。若い衆に遊んで頂く時は、日頃から、もうちょっと、鞭を強く打った訓練となるのであろうが、なかなかそうもいかない。

 「泥濘の山」。雨が降れば一週間は行きたくない。そんな印象が強かった寺地山であったが、今回は、朝方の意外と冷え込み、少なくなったとは言え、残雪を踏みしめて歩く事が出来たからか、それとも、可愛いミズバショウやニッコウキスゲの芽との遭遇が、そのイメージを、払拭させてしまったのかもしれない。

 下山時は、気温上昇と共に雪解けが進み、やはり小川を歩く様に見舞われてしまった。しかし、過去の雨天・曇天の寺地山と違い、しばらくは、この好印象を持ち続ける事は間違いないであろう。



5/28 私にとって、もしかしたら、2,662mの高さでの本格的宴会は、史上最高位かもしれない。「好山病・・」でも、ハレルヤでも、あまり高い山に出掛ける機会がない。またそのような機会があっても、稜線上は風が強いから、タイミングが合わないものである。そのリスクをものともぜず、荷を担ぎ上げた結果、雲上の宴となったのである。「ビューティフル!」 「最高。。。」 の言葉が、いつまでも続いた。

 あの好天の予想が、集合時から登山開始に至るまで、雨具着用まで考えたのであるが、時間経過と共に、雲の中から抜け出したような感じであった。急激に進んでいるお花見平では、可愛いミズバショウの姿が・・・・・そして、ニッコウキスゲの子供達が、花咲く準備を一面に漂わせていた。寺地山の山頂を踏まないまでも、この雰囲気に、皆口々に「また来たい!」 の連発である。

 これが、雲海上で、北アの名たる山々を、目の当たりにすれば、独りでに、心が躍るのは当然であろう。足を引き摺りながら、「もう少し、もう少し」の言葉に、引っ張られてきた最高のプレゼントである。今日も、車から離れて車に戻るまで、12時間を優に超えていた。それに、車の運転が付いているのである。



5/27 夕方から、凄い雲が上空を覆って来た。明日はお天気だというのに、何だか怪しくなって来た。でも、信じるしかない。その予報によると、気温はあまり高くはないし、寺地山1,996m、北ノ俣岳2,662mであるから、雪の状態をあまり侮れない。明日も寄り合い所帯の6名のパーティーになる。安全を第一に、楽しい山行としたいものである。 p.m.10:45



5/26 「何処か行きたい山はある?」 と聞いても返事がない。2週続けて、私の好きな山に出掛けるには、何となく負い目を感じるから、問うのであるが、「山ノ神」は、なかなか乗って来ない。

 行ってみなければ分からない雪の状態を懸念しているのであろう。幾つか候補を上げても同じである。「28日は何処に行くの?」 と、仲間からの問い合わせに答えるためにも、大猫山・大日岳・犬ヶ岳・雨飾山に絞り込んで表示したら、「北ノ俣岳はどうしたのだ! ダメなのか!」 と言うのである。それなら、「先程提示した時に、言ってくれよ!」 と反論したくなるが、我慢のしどころである。

 恐らく北ノ俣岳は、なだらかで、楽だと思ったに違いない。「あんただけ行って来たら・・」 「好きなところに、行って来ても良いがいぜ・・」 などと言われない内に結論を上げた。但し、お天気が条件である。



5/25 大日岳を断念したハレルヤは、中山周遊コースを歩いた。同じ日に、豆ちゃんは早月尾根に、ネコさんとイヌさんは、西大谷山・天狗の踊り場に行ったようだ。悪天で、どちららが正解か分からないが、我々は「若さ」に負けたような気がする。

 「ずっと、歩きたいから無理はしない。」 「一回でも失敗すると、おじゃんだから・・」 と言い続けているけれど、実際、身体が付いていかないからであろう。
 「私でも行けると思ったら誘ってよ!」 と、ちょっぴり付いて行きたい気持ちを匂わせて、「でも、フォローしてね。」 を付け加えている。
 しかし、「武士の情け」とか、1%の可能性などと言う前に、いつでも飛び出せる体力を温存しておかなければ、どれだけ声が掛かろうが対応は出来ない。

 その事自体がどうであろうと、また言葉の遊びとしても、私の心をワクワクさせてくれるだけでも、楽しくて仕方がない。山に酔う・・・これ以上の事はない。 p.m.11:59



5/24 ボーサマ谷での氷塊の直撃は、脛・脹ら脛、太腿側面・太腿内側に大きな打撲痕を残した。(4ヶ所) 太腿内側痕が、あと15cmずれておれば、毛勝谷に大きな金属音を、こだまさせたかもしれない。それを思うと、ぞっとする。

 「大量の新雪が積もり雪崩に遭った。」 「急激に冷え込み、アイゼンもピッケルも、刃(歯)が立たなかった。」 「滑落して、九死に一生を得た。」 「落石で、怖い思いをした。」 などの話は、毛勝山にいっぱいある。しかし、反対に 「ピッケルもアイゼンも使わずに登った。」 「ズック(スニーカー)や長靴で登った。」 の話も聞く。

 その都度、状況が違うから何とも言えないし、運不運もあるのだろう。私のような者が、悪条件で行けるハズもないが、どのような事にも、対処出来るようにと思うのであるが、自然はそう甘くはない。あのシャワー状に崩落する氷塊には、機動隊が使う盾が欲しいくらいであった。また、ヘルメットが、これほど欲しいと思った事がなかった。一度や二度くらい登ったからといって、その山を語れるものではないと、今回はしみじみと思ってしまった。 p.m.8:10



5/23 今朝、下記のようなメールを頂いた。Kさんとは、今春になって、数回の情報交換はあるものの、まだお会いした事もなく、勝手に(無断)載せるのを躊躇したのですが、私のHPを覗いてくださる方々への 「直近の貴重な情報」 になると判断しました。流石に、名だけは、イニシャルに書き換えました。Kさんには、これから謝ります。 a.m.8:00

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こんにちは。以前人形山の情報を教えていただいたKです。元さんの HPを見て月曜毛勝に行かれるとあり、是非私も行きたいと思っていましたが、 残念なことに予定が合わず諦めていました。それが急に相棒の都合で翌日の火曜 (昨日)釜谷に行くことになり、色々情報を収集して、南又から行くのをやめて 無難に阿部木谷からボーサマのコルに出て釜谷ピストンになりました。

 登りだし てしばらくで大きいものはゴルフボールくらいの凍塊がブンブン飛んできて、よ けながら歩かないといけないことになり、幸い一度直撃をうけただけで無事コル までたどり着きました。

 でも雪の状態は週末の雨が新雪になったようでワカンが 必要かと思うくらいごぼり、暑さも加わって体力を消耗しました。
 釜谷への稜線 も雪が深く、雪庇が割れた上に新雪がつもっているので、ラッセルと雪庇踏み抜 きの恐怖でルート選びが大変。以前私が6月に行った時は40分もかからなかった 往路が1時間10分もかかってしまいました。

 この日は他に登山者が山スキーの一 名だけで、この方もスタートが私たちより早いのにかなり手こずったようで、毛 勝北峰に到着したのが私たちが釜谷に到着したのと同時だったようです。復路を コルまで戻ると彼氏のつけた北峰までのトレースがありましたが、深い所ではす ねくらいまでありました。私たち同様結構難儀したようで、力つきて山頂手前ま でしか軌跡がなかったです。

 この時期一年に一回は行かないとムズムズする毛勝周辺ですが、容易に登山者 を受け入れてくれない厳しい山域だとあらためて痛感しました。  以上長々とすいません。元さんのHPをみるのがとても楽しみですので、いつ までもお元気で続けてくださいね。



5/22 昨日は雪塊と記した表現は、氷塊が正しいのかもしれない。岩や樹木に張り付いていた氷が、気温上昇と共に、落下してきたものである。高い所から、低いところへ、我々が急斜面を虫のように張り付いている所へ、大小の氷塊が、降って来る。落ちて来る。何と表現したらいいのか分からないが、不規則バウンドしながら、前からだけでなく、時には横からもやって来るから、たまらなかった。

 私は幸い顔や頭には当たらなかったが、数えきれないほどの氷塊が身体に当たった。家に帰って調べてみると、打撲痕が3ヶ所、擦り傷のように赤くなっている所が数ヶ所あった。幸い痛みはなかった。
 しかし、メンバーの中には、顔と首に当たった方があり痛々しかった。3回くらい近くの岩陰に身を隠した時でさえ、隙間から、また真上から襲い掛かって来るのであるから、たまらなかった。

 我々が、たじろいだ時間だけでも、1時間は、たっぷりあったのではなかろうか? 昨日は、我々を含めて、先行者も後続者も、誰一人、その先に行けた者はなかった。したがって、その間の画像はとてもじゃないが、ないのである。



5/21 これ以上ないというほどのお天気に恵まれた毛勝山。最後まで迷っていた私を迎え入れてくれた「好山病・・」5名に、ゲスト5名は、全て健脚の強者揃い。(私は、ちょっと怪しいが・・)

 板菱に入って感じた荒れた雪渓に、ドンドン休まず行くメンバーからして、「山ノ神」を参加させなくて良かったと思った。ボーサマ谷入りでは、それが現実のものとなった。急登を強いられているのに、雪塊が、シャワーのように、いや機関銃のように、それも予想が付かぬ所から、ヒューン、ヒュンと、高速道で車が擦れ違う時に感じる風きり音を立てながら、落ちて来るのであった。

 岩陰に隠れても、容赦なく襲いかかって来るのである。始めは、それなりに身を交わしていたのであったが、その内、各人の身体に、ぶつかるようになってしまった。「それ行け!」 が、仕舞いには、「来た来た」 「ワーッ」 「伏せろ!逃げろ!」 になり、なかなか高度を上げる事が出来なくなるばかりか、2名の犠牲者?まで出てしまった。

 「もうちょっと、なのに!」 に、些か心残りがあったが、何かあってからでは、遅すぎるとの判断から、撤退する事になったのであるが、それでも、容赦なく雪塊が落ちてきて、気は抜けなかった。

 恐らく、家に戻って、風呂に入れば、全員が打撲痕や擦り傷に気付き、今更ながらに、その「恐怖の時」 を思い出しているに違いない。前日の降雪から、表層雪崩を警戒してはいたが、このような雪塊の洗礼を受けるとは、予想もしていなかったし、過去に毛勝谷に入った者にしても、全員が初体験であった。

 午前11時半過ぎ、あまり高度を落として食事をするのも寂しいと言うことで、三ノ又の比較的安全と思われる所で、テーブルが設置された。「あれは、何だったのか・・」 「貴重な経験!」 「これから語り継がれる共通の山の話」 などと、俄に盛り上がっていった。

 ところが、2時間を経過した頃であったろうか、突然ボーサマ谷から、2m超の大きな石が、不規則な転がり方をして落ちてきたのである。もしかしたら、テーブル・ベンチにも襲いかかって来るのではないかと思うくらいの勢いであったから、皆バラバラになって逃げたのであった。結果的には、幸いにもちょっとずれた所で、ストップしたのであるが、いっぺんに意気消沈となり、早々に下山の羽目になってしまった。

 ピッケルもアイゼンもなく登れる事もあれば、予想もしないアクシデントに見舞われる事もある。それを長く語るには、共通の想い出となる仲間が必要になる。これから、宴を催す毎に、今日の「落雪」 が話題として、大いに語られる事であろう。 p.m.11:00



5/20 朝6時台の8号線の温度表示は10°、また、8°と冷え込んでいた。立山駅付近の藤橋では、「上部では雪」 の表示となっていた。桂台に先に着いていた今日の幹事の決断で、行き先を中山周遊コースに変更になった。
 「良かった!」 「やれやれ」 の声も聞かれたが、妥当の選択であったように思った。結果的には、お天気の回復が遅れ、低山も小雨が降り続いし視界が悪かったのである。

 中山で、初めてシラネアオイを見た。ニリンソウの群落も見た。コシアブラやススダケもあった。ワイワイ言いながら、ゲストを含めた13名のメンバーは、皆楽しそうであった。馬場島では、究極の立食パーティーとなり、寒さを吹っ飛ばすものとなった。後、元気者8名が千石城山にも立った。 p.m.8:20



5/19 欠席届をキャンセルさせてもらって、明日は大日岳に、明後日は毛勝山に参加させてもらうことになった。明日は、気温が低めで、高所では雪を覚悟しなければならないようである。途中撤退になるかもしれないが、寒さ対策だけはしていかなくてならない。

 明後日は、怖いから行かないと言っている「山ノ神」を、どうなだめるかが問題である。行かなければ面倒! 行くと言われても面倒! 何か良い手当はないものか? 「好山病・・」 の諸君は、フォローするからなどと言ってくれているのだが・・・



5/18 この連休に託した1%の可能性はなくなった。大きく期待していなかったし、落胆する事もないのであるが、夢は確実に狭まった感がある。しかし、それはそれでいいのである。何かを模索しながら、また新たな夢を持つ事は常に出来るというもの。
 「あなた」や「君」と、同じ夢を持たなくてもいい。夢は進化もするし、萎んだりもする。 「教えるとは、共に希望を語る。」 「学ぶとは、誠を胸に刻む事である。」 が、ここに来て生きそうである。

 有り難い事に、日曜日は大日岳に、月曜日は毛勝山に誘って頂いている。しかし、僅かな可能性を潰した時は、遠出も視野に入れていただけに、「山ノ神」との折衝が、なかなか上手くいかない。伊豆・箱根方面も捨て難いが、長い運転を思うと、快く返事が出来ないでいる。 「好きなようにしていいよ!」 は、私にとっては、怖いことなのである。もう少し、考える時間がある。



5/17 ずーっと、紀行文を綴れないでいる。 「この山だけは・・」 などと思いながら、途中半端になっているものが幾つもある。
 もはや、スランプというものではなく、気力・体力の喪失である。最も、巷には、分かり易いガイドブックが出版されているし、ネット上にも、楽しくて、事細かにガイドされているものが数多くあり、私があたふたする事もないのであるが、あの燃えていた頃を振り返ると、このまま、没落しても良いのかと思ってしまう。

 「もうダメだ!」 「イヤになった。」 などと掲げながら、心の奥底には、「まだまだ・・」 「何とか・・」 が燻っている。しかし、長い間やっているという看板だけでは心持たない。奇抜な事は出来ないまでも、自分なりの何か斬新なものを、見つけ出さなければいけないのであろう。



5/16 このところ、僧ヶ岳・祖父岳・別山・白山と、これ以上ないという晴天に恵まれ、真っ黒に日焼けしてしまった。紫外線が強いのか、それとも老化なのか分からないが、1時間ほど腕まくりしただけでも、腕の皮がむけ始めた。黒い顔に大きな目だけが、ギョロっとして、汚いらしいく、黒い顔が勲章などという時代は、遠い昔の話のようである。

 飲み過ぎなのか、夜更かしのし過ぎなのか、分からないが、ちょっと、このところ、疲れが取れないでいる。でも、また休日がやって来る。しかし、「行かないわけがない。」 「行かないでどうする。」 「何のために働いている。」

 「山ノ神」の歩きも、ちょっと可笑しい。本当は、ちょっと、休みたいのかもしれない。しかし、「私の行ける所なら・・」 などと、くっついて来る。「ステキな山に行ったじゃない! 行けたじゃない。」 と言っても、それは過去の話になるらしい。今度の連休の使い方に、未だ迷っており、仲間にも迷惑を掛けている。



5/15 朝日町のN君から、今まで見た事がない太いウドが送られて来た。今春4回出掛けた大地・初雪山で、3回も出遭った事もあり、必然的に声を掛けてしまった。

 何年か前の初めて遭遇した時は、旅行用の薄いナイロンの雨具を着て登って来た格好を、今でもよく覚えている。それから、何度となく出遭うようになって、大地を2往復するとか、犬ヶ岳山頂で出会った時などは、親不知からの日帰りだとも言っていた。そして軽装で、しかも、山頂でゆっくりもせず、ターンして戻っていく山行スタイルに、些かの違和感と共に、少なからずの興味を持っていた。

 過去に、カメラのシャッターを切ってもらった事や、「や~っ」と、声を掛けるぐらいで、話もあまりする事がなかった。しかし、N君と遭遇する時は、平日が多く、余程でない限り誰とも遭うこともない。

 今年の一番始めは2月末で、山頂での食事中にN君がやって来た。例によってすぐ戻る彼を呼び止めて、我々と食事をする事を勧めた。二人分のうどんを三人で食べ、一本のビールを3人で分けて飲んだ。「山で飲んだビールは半年ぶりだ。」と彼の微笑んだ顔が、とても印象的であった。

 あまり喋らない人かと思っていたが、それなりに、しかも、私達が年上だからかもしれないが、丁寧な言葉で喋ってくれたように思う。人使いの荒い私は、寒かったらシャベルで雪壁を造るよう催促して、旧来の知人のように扱ってしまったものだった。

 その時の「ウドを送りたい。」 の約束を果たしてくれたのだろう。名は告げたが、所などは彼が調べて送ってくれたに違いない。3月末に、「宮ちゃん」と出かけた初雪山で出遭った時も、「きっと送りますから・・」 を何回も言ってくれたが、「送料も掛かるから、いいよ!でも、貨車いっぱい送ってくれるなら・・」 と冗談を言ってしまっていた・・・・

 奇人的な要素を持った彼だが、私の眼には、純情な青年(男性)にしか映らなかった。出遭う時が食事中が多いので、必ず「コーヒーぐらい飲んでいけ!」 などと、半ば無理矢理に引っ張り込んでしまったが、彼には「変なおっさん」にしか思えなかったであろう。
 そして、もしかしたら、私の方が変人に見えたかもしれない。でも、こうして貴重な山菜を、ワザワザ送って下さるのであるから、私に対しての印象が、差ほど悪くなかったのかもしれない。



5/14 過去12回の白山も残雪期の機会が無く、今回は福井の宮ちゃん御一行のお仲間に入れて頂く事になった。市ノ瀬集合時は、別山行き(南竜ヶ馬場へ下る)のムードであったが、途中2ヶ所トラバース箇所の問題点を提示されたので、何も分からない私達は、危険回避で白山行きを希望した。

 予想通りの好天に恵まれたが、冷え込みがあり、雪が溶けた所はカチカチであった。また、3~4日前、剱岳平蔵のコルで、救助を求めた神戸の山岳ガイドが「新雪80cm積もった。」 のコメントは、間違いではなかったようで、白山上部にも、10~20cmの新雪を見たようであった。

 行程は、南竜ヶ馬場からトンビ岩を目指し、御前峰登頂後の下山ルートは、黒ボコ岩から直接甚ノ助小屋方向に降るものであった。市ノ瀬から、別当出合への林道歩きばかりでなく、あまり休憩を取らない強靱な脚力をもったパーティーであり、宴会用の荷を担いだ身は、いつしかクタクタになってしまった。しかし、「好山病・・」やハレルヤで、慣らされている究極の楽しみに費やす時間は、あまり設けられず、ちょっぴり寂しいものであった。

 結果的には、またまた12時間を歩き通し、家から登山口の往復、また、帰ってからの反省会も入れると、今日も24時間の一日を、フルに使い切った感じであった。



5/13 明日は、白山。いや別山かもしれない。「どちらでもいいよ!」 と言ってくれる福井の宮ちゃん御一行に、「山ノ神」共々付いていくだけ。その「山ノ神」が、計ったかのように、ようやく旅先から戻ってきた。 p.m.9:35



5/12 「ありゃりゃ!」 「また余計な事を・・」 自分の日記を、他人様に公開しているのを、忘れているわけでもないのだが、のめり込んでしまうのであろうか、少々後悔である。

 ネットとは凄い! 恐ろしい! 「さぞかし、独りで羽根を伸ばしているのであろう。」 「羽根を折られていては、何処へも飛んで行けないでしょう。」 「ちゃんと、ご飯を食べていますか?」 「寂しいでしょう。」 「飲み過ぎに注意!」 など、様々なメッセージが届く。差し入れまであり、有り難さよりも恐縮が先に立つ。



5/11 「山ヤ」に、一流と言うのがあるのなら、私など二流にも及ばない。あえて言うなら三流か?体力・技術・知識に品格がなければ、一流とは言えないないであろう。
 どれだけ、岩や雪に沢・ヤブなどを、こなせても、判断力・統率力・信頼性も備わっていなければ、その類ではない。ロープワークに始まり、山座同定・高山植物・樹木・動物・鳥・写真もあれば、山菜採りまで、そして、記述に優れていてこそ、凄い人なのであろう。謙虚さも、必須条件かもしれない。



5/10 7日の祖父岳、8日の立山・別山とも、楽しくて仕方がなかったような顔をしていた「山ノ神」であるが、帰って来てから、何だか様子が可笑しい。自分としては、何か悪い事をした覚えも、良からぬ一言を放った記憶もない。100歩譲って探してみても、別山から戻った夕食時に、2日連続の寝不足からか、飲みながら、ウトウトしてしまった事ぐらいである。

 当然、会話が少なく、必要以外の事は喋らなくなる。「そんなに怒ってばかりいると、後で後悔するよ!」 などと言っても、耳に入らないらしい。
 12日(土)は、姪の結婚式のため静岡県浜松に出掛ける「山ノ神」であるが、その後、東京の娘か、大阪の息子の所へ寄る事を模索していたようだったが、どうも休日(月)に、間に合うよう家に戻るらしい。イヤな亭主と、山に行かなくてもいいのに・・・



5/9 4・5月の立山は、ほぼ10年ぶりであった。一昨年黒部五郎岳に登ってから、やっぱり、北アのスケールの大きさに心を動かされていた。そして、この時ばかりは、さすが 「百名山」 と思う時でもあった。

 今冬は、「暖冬・少雪」 と言われたが、高所には想像以上の雪量があった。その事でも分かるように、お天気なら、誰でもが登れるが、一つ間違うと、冬山に戻り、生命の危険に晒されるのであるから、それは大変である。

 でも、それとは裏腹に、素晴らしい光景を、目の当たりに出来る 「山の魔力」 とでも言うのであろうか、嵌れば抜け出せない。ちょっと、交通費が嵩むかもしれないが、「また行きたい。(また、来たい!)」 と思うのは、私だけではあるまい。



5/8 祖父岳から戻って、このところ信用出来なかった予報の 「お日様マーク」 が、イヤに輝いて見えた。
 「立山・雷鳥沢から、剱御前岳か別山を目指すが、もしかしたら、雷鳥坂の途中で、リタイヤする可能性もあるのですが、ご一緒しませんか?」 と休日であると知っていた「橋ちゃん」に声を掛けた。

 軟弱な我々二人だけだったら、当然・途中リタイヤもあったろうが、「橋ちゃん」招聘が奏功し、ヨタヨタながら、スノーシューの威力も手伝って、別山乗越(剱御前小屋)に、時間的な余裕を残して着く事が出来た。

 「山ノ神」開口一番、「来られない所に来られた。剱を見られただけで充分! 後の行動で、脚を引っ張るかも知れないから、御前小屋前で待機する。」 となり、好天ながら、台風並みの風が吹き荒れる別山を、「橋ちゃん」と目指す事になる。

 フル装備で臨んだが、強風に吹き飛ばされるのであろうか、意外と稜線は少雪で、難なく登頂する事が出来た。しかし、その強風で飛ばされた雪片が当たったり、また強風に伴う低温で、耳がちぎれそうでになった。
 でも、何よりも、困ったのは、カメラを構えても、身体が揺らされて、どうしようもなかった事である。

 それにしても、別山からの剱岳は綺麗である。「雪と岩の殿堂」 である事に、間違いないのであるが、私は、剱沢や別山からの望む剱岳が、殊の外好きなのである。「何も纏わない女性のように綺麗!」 などの表現は、下世話に思われるかも知れないが、別山尾根から八ッ峰までが、全部見えるのが良いのである。

 大日岳・仙人池・大猫山・細蔵山・後立山・赤谷山・富士の折立・ハシゴ段乗越など、いろいろなアングルがあろうが、別山からの剱岳は、私の心を 落ち着かせてくれたり、時には躍らせてくれたりする場所である。それが、雪に覆われているのであるから尚更である。

 本来なら一晩泊の計画が、日帰りになってしまったのであるが、僅かな時間でも、悠々しきその様と、対峙出来た事に、幸運の女神は、私を見放さないでいてくれたと感謝!感激であった。

 冷え切った身体を、剱御前小屋の温情に甘えて、一時を過ごし、立山や大日岳の稜線を眺めながら、そして、何枚も同じような写真を撮りながら、それでも、飽きない北ア・立山剱の光景を、目に焼き付けて最終バスに乗った。



5/7 誰が企画したのか知らないが、標高差270mで、しかも急登、往復に1時間も掛かるという「祖父岳」 行きの情報が流れた。しかも、八尾の某所の集合が、午前10時である。

 ところが、結果的には、8人が集い臨時総会的山行になってしまった感があった。美味しそうなススダケに目もくれず、タイガーロープに身を委ね、辿り着いた山頂には、出るは出るはの料理に、これでは太るなどと言いながら、口に吸い込ませる。これぞ 「好山病・・」 の副作用なのかもしれない。

 3時間の宴の内容は、いつもの事で記述する程でもないが、今日は、コーヒーとデザートに、工夫がなされていて、皆大喜び!

 その後の 「山菜教室」 には、皆童心に返り、またまた楽しい一時を過ごした。「好山病・・」 に、感染したら、なかなか抜け出せない。ご注意を・・・ p.m.11:10



5/6 迷っていたら、知人宅の不幸の連絡が入った。必然的に泊まり掛けが無しになる。仲間から低山への誘いが入る。彼らのスケジュールを損なわないかと、不安の種で決断が鈍る。
 行き先のない早朝発の山行になるか、それとも、彼らに、こっそり引っ付いて行くか、目が覚めてからになる。  p.m.11:45


5/5 クルクル変わる天気予報に翻弄されて、志気が落ちてしまった。しかし、どうしてもと思う心は遠のいても、何処かへ出掛ける事だけは変わらない。そうなると、行き先が決まらないのであるから、必然、仲間に声を掛けにくくなる。

 でも、私は、同じ山に何度登っても良いし、雨が降ったら降ったで、そのような山に登れば良いのだから、尚更、自然体で山と接する事が出来るかもしれない。後は、「山ノ神」の ”雨の降らない所を探しての遠出の誘い” を、どう無視するかだけである。




5/4 あちらからも、こちらからも、羨ましい話ばかり入って来る。体力・時間・経済力が伴わなければ、涙を飲むしかない。悔しかったら、そのハードルを越えれば良いのであるが、私には、もうそのような元気や力はない。

 でも、それなりに、精一杯の準備はしておきたい。どのような事で、チャンスが訪れるか分からないからである。そして、ちょっとだけでも、衰える体力に、抵抗をもしたいからである。



5/3 GW後半のお天気は、当初より、少し早めに崩れ出すようだ。7~8日の立山(雷鳥沢)方面の計画も、このままだと流す事になる。青い空と白い雪に戯れて、ゆっくり過ごすのも良いし、別山や大日岳まで、脚を延ばすのも良いかと思っていただけに、傘マークが付いては無理する事もなかろう。
 富山に住む者として、「いつでも行けるから・・」 など思ったりするのであるが、現実はそうではなく、これからして、”山は逃げる!” と言わざるを得ない。

 お天気も人生と同じで、そう良い事ばかりはない。その時、どう遊ぶか(行くか)であろう。



5/2 好天に恵まれた僧ヶ岳山行故に、日焼け止めを塗り忘れた耳や首、そして、ちょっと腕まくりした所が、焼けて痛痒い。歳を重ねると、こんな所まで、しわ寄せが来るのかと思うとイヤになる。 いや、オゾン層の破壊で、紫外線が極端に強くなったのかもしれない。

 紺碧の空に、真っ白と言えないまでも、この時期としては、残雪の白さを保ったステキな山に、我々以外誰も訪れる事はなかった。片貝山荘付近には、溢れんばかりに車が駐まっていたが、皆毛勝山に行ってしまったようである。
 最も、県外ナンバーが多かっただけに、二百名山を意識してのものかもしれない。その毛勝山を、目の当たりに出来た我々の方が、その日ばかりは、リッチになったような気がした一日であった。 p.m.11:59



5/1 昨夜は、素晴らしいお天気に恵まれた僧ヶ岳山行の余韻を語りながら、久しぶりの再会を改めて街 (高岡の有名ホテルの地下のお店) に出て確かめ合った。
 こちらは、二人で大ジョッキ5杯、あちらは、フーフー良いながら、中ジョッキ3杯を飲みながら、2時間ほどであったが、あれもこれもと語り合った。

 泰子夫人の 「脚が痛いけれど良かった。」 が、私としては、何よりも嬉しかった。川久保氏は、松戸市の山の会で、中心的な役割を担っておられるようであるが、「好山病・・」のネーミングに至極ご執心で、冗談に決まっているが、「好山病・・松戸支部に・・」 などと、大いに盛り上がった。

 その席上、我々「好山病・・」 の若手に掛かれば、「毛勝山に階段を造って、泰子夫人を迎えます。」 などと、余計な事まで言い、楽しくてならなかった。

 と言いながら、最近、ちょっと、集う機会を失った 「好山病・・」 の面々に、無性に会いたくなった。皆が絶対そう思っているに違いない。  p.m.9:45