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6/30 このままいくと、あと2週間余で、アクセスカウントが500,000になります。その暁には、ちょっぴり休養と考えています。自分で述べるのも可笑しいのですが、その休養は、「ローカル色を出しながら、ここまでよくやった!」 の 「ご褒美」 くらいに考えて頂きたいのです。それは、ちょっぴり自惚れさせて頂き、「この先の事を、ゆっくり考えさせて頂きたい。」 が、本音というところでしょうか・・・
私の誕生日までの1ヶ月余と時間を区切るのは、些かの不安もあるのですが、「これからの自分」 を、時間に追い立てられる事なく、見つめ直す事に、そして、それをどうHPに反映出来るかも考えてみたいものです。
そう述べながら、性格というものがあり、毎日更新とはいかなくても、何か訴え続けるかもしれませんし、戯けるような事をするかもしれません。でも、現段階では、小さなHPを、それも目立たなくに、心が動いています。
したがって、コンテンツなどの見直しもあるかもしれませんし、新たなスタートですから、タイトルやアドレスも、どのようにしようか迷うところです。
でも、ここまでは、多くの方々に見守って頂いた事には変わりなく、その事を大事にしていきたい気持ちにも変わりありません。今は、休みたいという心と、もっと、何かをという心が、ぶつかり合っている事は確かです。
と述べながら、もしかしたら、何も変わらない事もあり得ます。それが、一番楽だからです。でもこれを機会に・・・・私が変わりたいのです。
6/29 明日で、今年も半分が終わる。この半年間、私には39回の休日があった。そして、37回39日の全休日山に費やした事になる。調子が悪いあそこが痛いと言いながら、好きな事が出来たのだから、山に関しては、満点の日々を送った事になる。
大地・初雪山へは、好天に恵まれる事はなかったが、4月末から6月中旬の間は、悉く好天に恵まれ「雲上の人」に何度もなった。特徴としては、同じ山に何度も、或いは、続けて登った事であろうか。山中で、チョット騒ぎ過ぎた嫌いはあったが、誰もいない山の中故、それくらいは許されるであろう。
「帳尻」という言葉があるが、好天に恵まれ続ければ、いつかは、曇天・降雨に見舞われかねない。その反対もあるのだから、そう落ち込む事もなかろう。例年、7~8月の登山シーズンと言われる時期に、私は、スケジュール通り過ごした事は少ない。何かしら、雨に見舞われるのである。私をあざ笑うかのように、「行けば雨。行かなければ降らない。」のである。かといって、余程の事がなければ、出掛けないわけはない。今まで何処へでも出掛けられた環境・身体に感謝し、後半戦に臨みたい。
6/28 4月末、僧ヶ岳へ、ご一緒した千葉の川久保夫妻から、赤いゴアテックスの帽子が贈られて来た。いつも、例のボロボロの帽子を被っている私を見て、還暦と引っ掛けての贈り物ようである。
何だか、その祝い事への包囲網が精神的にも、ぐ~っと狭められていくような気がする。まだまだという抵抗と、「祝ってもらえるのだから、喜ばなくては!」 との心の格闘が続く。
一緒に山に行ける。主役にしてもらって、飲む事が出来る。私の山への通過点。そして、仲間と一緒する山行の延長線上と考えれば、何の問題もないのであるから・・・
「元さん」 「元ちゃん」 と言ってくれる仲間に、「よくここまで付き合ってくれた。」 などと感謝こそしなければならないのに、拒否するなんて罰が当たるというもの・・
膝をさすり弱りつつある足を眺めながら、もうちょっと頑張って欲しいと思う。でも、感謝のつもりで、足・膝に休みを与えたら、それこそ錆び付いて動かなくなる懸念がある。
S先生に、PCの診断を受けると、LANボードの故障との事、またまた、ご迷惑をお掛けしてしまった。未だ止めるわけにいかないだけに、大いに助かった。 p.m.10:30
6/27 葬儀のため諏訪へ出掛けた。その土地の風習や見知らぬ人ばかりで、只、ウロウロするだけであったが、「行かなくても・・」 の迷いは、後悔するかもしれないより、やっぱり出掛けて良かったと思った。
「まさか、帰路に、山に寄ったりしないであろう。」 の娘の気配りか分からないが、諏訪湖の散策を勧められてしまった。安房トンネルを通らず、またまた峠越え、「焼岳の入口を、チョット・・」 という「山ノ神」に、「何を言うのか!」 と一喝し、「それより、早く帰って休みたい。ビールを飲みたい。」 と訴えた。
早速PCのスイッチを入れるが、ネットが繋がらない。他の電化製品の中にも、電源が切れているものがある。「停電」 「雷」 など、何かあったのか? PCが使えず元気のない私を見て、
「死んでいるみたいだとか・・」 p.m.11:59
6/26 白木峰山行は、所用の延期で降って湧いたような休日をゆっくりのんびりの他に、ニッコウキスゲとササユリの開花状況の偵察も兼ねたようなものであった。
お花の事に疎い私だから、あまり正確な事は言えないが、今年は昨年と違って、たくさんの花が見られるのではないかと、蕾からしての観測である。お天気が良ければ、1週間から10日程で、かなりが開花するのではないかと思ったのであるが、当てにならない。
今回下から歩いたのは、管理棟前のゲートに通行止の看板があったが、ゲートが開かれていて、看板も横にずらしてあった。そして、目にしたのは、4キロ先まで車が入れるが、法面の崩落があり危険であるから、登山道を通るよう掲示してあったからである。
登山口の先のゲートは、やはり通行止の看板があったが、ゲートの鎖は降ろしてあった。先に進もうかと思ったけれど、Uターンも出来ない事があれば、尚更厄介だと自分達を納得させて、その支持通りに登山道を歩いたのである。
白木峰・小白木峰を歩いた後、最後の林道を跨ぐ時点で、「山ノ神」が、滑りやすいとの理由から、登山道を拒否したのであるが、林道歩きは、大幅に距離が長く、時間も掛かるのでイヤであったが、その崩落の状況を把握するのも、私の使命ではないかと歩く事にした。
しかし、その崩落箇所と思われる所は、既に処理され、雨でも降らない限り、何の支障もないように思われた。車で来ても良かったのにと思わせたが、しかし、高度を下げると、建設機械が林道を通らせまいと、ゲートの代わりをして塞いでいた。
車に辿り着いた後、もう一度管理棟前の看板などを点検してみると、別掲示は、6キロ先まで車が入るとされていた。私が先に見た掲示は、「本年7月の梅雨前線により法面が・・・」 であったから、昨年のものであったのかもしれない。紛らわしいものは、外してもらいたいものであるが、何か別の意味があったのかもしれない。
どちらにしても、ニッコウキスゲの見頃の頃は、余程の雨でも降らない限り、通行に問題ないように、当局が考えているであろうが・・・ その代わりと言ってはなんであるが、登山道は整備されていた。小白木峰へは、そうでもなかったが・・・ p.m.8:00
6/25 のんびり山行のハズが、行ってみれば性格が、あらわに出てしまった。白木峰管理棟前の標識に従い、4キロ先の885mの登山口から歩く事になった。雨具を着て、ゆっくり歩き、ススダケでも採れれば「御の字」という積もりであったが、登山口発午前9時半となり、なんやかんやで、山頂着が正午になってしまった。
雨や汗で、ビシャビシャになったが、幸いにも風があるものの、雨が止み、方位盤をテーブルにし、ささやかな昼食とした。「好山病・・」の仲間達との山行と違い、それは質素なものである。
その後、視界がなく、ブヨが纏わり付く最悪の状態であったが、小白木峰に行く事にした。それが、「ススダケはないか?」 と探しながら歩くものだから、一向にペースが上がらない。元々山菜採りが得意でない私は、じっとしていると、虫(ブヨ)が纒わり付く状態で、いてもたってもおれず、「時間がないから・・・」 と、先を急いでしまった。そこからでも、三等三角点のある「小白木峰」には30分も掛かってしまった。
少々待ったのであるが、「山ノ神」は来ないと判断し、下り始めると、” やって来たのである。” もう一度小白木峰の山頂を踏み、再び降り始めたのが、午後3時半くらいであったから、二人の足取りを考えると、日没との戦いであった。
ぬかるみもあり、決して歩きやすい状態ではなかった。「速く」という言葉を、なるべく言わずに、ちょっと行っては、立ち止まるようなペースになった。白木峰頂上への分岐に辿り着いたのが、午後5時前であったから、如何に、下の登山口までとは言えども、これで明るい内に戻れると安堵した。
しかし、1173mの林道に出てからは、「山ノ神」が、「急で、転ぶとイヤだから・・」 の理由で、登山道を外し、林道歩きになってしまった。それでも、車に辿り着いたのが、午後6時半であり、まだ明るい内に、八尾市街地に着く事が出来た。 「前週の朝日岳より疲れた。」 は、「山ノ神」の弁。
6/24 娘のムコ殿の祖母様が亡くなられ、諏訪市まで葬儀に出掛けなければならず、全休日の山行が途絶えると思ったのであったが、土地柄、或いは、寺院の都合とかで、水曜日まで延びてしまった。
そうなると、やはり山に出掛けなくてはなるまい。一度諦めた山行故、のんびり歩く事にした。出発時刻や行き先の変更も利くし、気分的に楽である。久しぶりにカッパを着なくてはならないか・・・・ p.m.2:00
6/23 諸会合も多いのであるが、睡魔に負けて、当欄を、その日に綴り終える事が少なくなった。悲しいし、恥ずかしい。「毎日更新が、私のHPの全て!」 などと述べながら、何という無様であろうか? でも、「私の山への思いを綴る日記」 には変わらない。新たなスタートとなる日まで続けたい。
6/22 最近、体力の衰えや虚脱感を綴る毎に、多くの励ましを受ける。同年代の方々からのものが、多いのは言うまでもないが、ちょっと年上の方々や、極若い方からも、結構応援を受ける。本当に有り難い事である。
終わりに近付き、山のHPから、人生の嘆きのHPに変貌したような感じであるが、当方からの発信した事に対して、多くのご意見を頂いてきた。
私は、このような性格のためか、同輩の多くの友人はいるが、先輩や後輩が少なかった。しかし、山と接するに当たり、老若男女を問わず多くの山仲間を得た。一過性の方もあるやもしれないが、何らかの形で接した方に違いない。言うのは楽であるが、聞くのは、なかなか難しい。聞き上手ではない私は、違った形で聞いてもらっている事になる。
いずれは、恩返しをしなくてはならないのであるが、次のステップとして考えてみたい。
6/21 「備えあれば憂い無し」 「準備周到」 山登る者の心得! 私のように、体力がなくなれば尚更である。短小軽薄化された現代の装備を手に入れられれば、その負担も少なくて済むのであるが、出来ないのであれば、重く自分の身体にのしかかる。それでも行きたいのであるから仕方がない。亀のようにゆっくり行くしかないであろう。
もう、一回のミスも許されない。しかし、大自然の中では、予想も出来ない事がしばしば起きる。侮ってはいけない。経験などが通用しない事もある。この先長い間歩きたければ、臆病なくらいに慎重でなければならない。そして、転ばない事。でも、私はよく転ぶ! これからは、転び方の問題か?
6/20 「次行く山に思いは募れども・・」 何だか気が重い! 行かなければ、自分のライフスタイルを否定してしまう事になる。やはり、何が何でもか! 「定年」とは、上手くなっているものかもしれない。知らず知らずに、そのようになっていくのであろう。
山歴を振り返ってみても、これからの時期、徒党を組んで出掛ける事は少なくなる。雨・虫・日差しなどの外敵が気になるが、可愛い花、夏ならばこその残雪を求めて、私の充電期間とするのも、一つの手かもしれない。
6/19 「また、行きたいね!」 「また、一緒したいね!」 と言いながら、快い足の痛みや張りと共に、余韻を楽しむのも山行の良さである。しかし、頭と身体が伴わない日がやって来るのに、時々脅えるようになっている。
「だやい(=だるい)のが良い。」 と、山の良さを訴えて来たが、その疲労感(だるさ)に負けていきそうな弱気を感じる時がある。
拘りを捨てれば・・、いや、拘りを代えれば、それなりに・・・・でも、拘りは、プライドなのかもしれないね。プライドなどは、ちっぽけなもので、あまりいい方向に作用しない事が多いのであるが、生きる事に関しては、捨ててはならぬもの!
「犬の遠吠え」 や 「ごまめの歯軋り」 にしかならないが、やはり、足を前に出して進んで行きたい。自分の何かを求めながら・・・
6/18 私には、「朝日岳山頂からの剱岳」 を眺めたい願望があった。過去4回の朝日岳には、雨具を纏わない事がなかった。夕日ガ原付近から剱岳を眺めた事はあったが、山頂から未だなかった。時々、ガスが流れたが、2日間とも好天に恵まれるいう幸運も手伝ってくれ、難なくその目的は達成された。
冷気を受けながら、雲海に浮かぶ剱岳に、それなりの満足感を漂わせ、白馬岳・旭岳の後立山や、反対側の栂海の山々を眺めたが、私には、もうどうでもよかった。夏道から外れた雪の急斜面を降りるに「山ノ神」は、かなり手こずっていたが、山開き前の朝日岳を充分に満喫したに違いない。
温かい朝食を終えた後の4~5時間を、思い思いに過ごしたのであるが、極太の電線の移動や、布巾作りの手伝いなど、非日常の作業は、それなりに満足感があるというもの! 昨日の午後も、そうであったように、今日の午前中は、「すぐに・・」 というものでなく、目一杯のスケジュールから解放された「好山病・・」からの病離れのようであった。それでも、楽しくてしょうがなかった。
思いもよらぬ蕎麦の昼食に、「お代わり」までして・・ 万歳の丘では、挨拶交わし、見えなくなるまで見送ってもらった。初めての人も、常連の人も、それぞれに「新しい朝日岳・朝日小屋の想い出」 にした事であろう。それ程楽しかったし素晴らしかった。
朝日岳一面にお花が咲き乱れる今夏、一度訪れられるとよい。それはそれは素晴らしい。そして、「管理人のゆかりさん」を始め、若いスタッフが気持ちのよい応対をしてくれるに違いない。
6/17 後発隊も含め「好山病・・9名(山友2名含む)」が、15名のパーティーとして、朝日岳(朝日小屋)に向かった。今回は、eiko女史・ねぎちゃんに、全てを任せ、私は付いて行くだけの楽チン参加であった。「シュンちゃんと一緒出来る。」 「朝日小屋に行ける。」 そして、「好山病初めての宿泊山行。」 何もかもが、計画段階からワクワクさせてくれた。
”何も急がなくてもいい。” 「ゆっくり」 をモットーに、目に優しい新緑のブナ林を歩きながら、コイワカガミ・シラネアオイ・オオサクラソウなどの可愛くステキな花達に囁きながら、時には残雪と戯れながら、初対面の方々とも、すぐにうち解けて、楽しい山行への序曲となった。
後発隊二組の化け物達に、追いつかれることを覚悟しながら、最後は、「まだまだ・・」 の意地が奏功したのか分からないが、その煽り食った感じで、予想よりも大幅の時間短縮で朝日小屋に着いた。もてなしのビールを片手に、化け物達を、拍手で迎えられたのが、先発隊の「威厳」、いや、「意地」だと言って大いに笑った。
「帰らなくてもいい。」 日頃のハードな山行を考えれば、正に半分である。「こんな事もあっていいね!」 言いながら、大自然の中に、それも、親しい仲間と過ごせるのであるから堪らない。雪のある時しか登れない前朝日に・・・、そして、ベンチに座って、後立山を見入っていた。でも、この時とばかりに、大いに喋ったのである。
朝日小屋の定評のある夕食に、またまた感嘆の声が上がった。話す事が尽きなく、二次会まで設定してもらい「山って、こんなに楽しいの?」 などと、飲めない人まで飲んじゃった!「また来たい!」 参加した者の共通の弁。スヤスヤ、ゴーゴー個性的な寝息と共に、朝日小屋の夜は更けて行った。
6/16 明日から一晩泊の山行である。朝早いから、いい加減に寝なければならないのに、今晩も、きっと遅くなる。多分、1~2時間ほどしか寝られないかもしれない。休日は眠らない(寝られない)が、私のライフスタイルであるから、差ほど気にしていない。
その所為であろうか、この頃は、なかなか疲れが取れない。若い人達の中で、埋没するか、それとも、鋭気を得て来るか、今後のバロメーターになりそうである。 p.m.11:00
6/15 昨年、「ねぎちゃん」と「豆ちゃん」が、山中で出遭った時、初対面なのに、お互い何故か、ニコッと顔を見合わせたという。今春、「まきちゃん」が、立山で声を掛けられたという。どれも、私が勝手に「愉快な仲間達」 と称して、HP上に顔写真を載せている功罪のようである。
私の思いと反対に、きっと、迷惑だとか、イヤだと思っている方もあると思う。もしかしたら、「まあ~、元さんが、やっている事だから、仕方がないか。」 と諦めておられるかもしれない。勝手に許容範囲内と決めているのであるが、本当は、まだ載せたい方もいる。しかし、それこそ、叱られまいかとか、画像がないケースもある。そして、中には、自惚れではないが、「俺も載せろ!」と思っておられる方もあるやもしれない。どちらにしても、プライバシー云々の時代であるが、私の勝手を、もう一ヶ月程許して欲しい。
6/14 仲間内でも、言ってはいけない一言、言ってはいけない時がある。また、おこがましいが、聞いてあげなければならない時もある。こんな事が、長い時間を掛けて、ようやく分かって来る。しかし、そんな簡単な事が、実行しているかと言われると、必ずしも、そうだとは言い切れない。
余計な一言を、あまり気にし過ぎ、優柔不断になるのも困るからかもしれない。もう一言掛けておればなどと、反省しなければならない事が、過去にはたくさんあった。人の心とは、本当に弱いものである。「そうだよね!」 と確認しあって、認めてもらって、先に物事が進められる。相手の事も考えてあげたい。
自慢も禁物である。しかし、自慢するのは気持ちがいい。聞き手はどうかというと、あまり楽しくはない。極度な自慢も謙遜も面白くないが、では、話がなくなる。その点、「趣味」というヤツは、誠に都合がよい。下手な戸籍調べをするより、レベルが高い。
6/13 大日岳へは、もっと足を運んでいたと思っていたのに、調べてみると、先日で10回目であった。ようやく、「10回以上登頂の山」 の仲間入りしたのであるが、時間制限はあるものの、直接交通費が掛からないし、残雪期は、コット谷や前大日岳経由もあるのだから、もっと回数が増えてもいい山である。
雪・花・紅葉などが楽しめるし、何と言っても、剱岳を間近で眺められるのが一番である。只、私のような鈍足で日帰りでになると、稜線・山頂に達する時間からして、なかなか勇壮な剱岳の姿を眺められる事が少ないのである。
その剱岳を眺めるに、何処が最良の所かという事になったのであるが、それは、その人の持ち合わせた感性であって、一概に、何処が良いとは言えないものである。同じ場所であっても、季節や自分自身のモチベーションによっても、大いに変わるものである。
私が山に関わりを持った頃は、別山(剱沢)、大日岳(奥大日岳)、仙人池(池ノ平)からの剱岳が、代表的なものであった。より山に親しむに連れ、より多くの展望台を知る事が出来た。山深く入り込む楽しみもあるけれど、その悠々とする山容を、違った山頂から、或いは、山里から眺めるのもまた乙なものである。
好天に恵まれた氷見海岸から眺める立山連峰は、日本を代表するような絶景であるが、ある時、富山市街地のビル間から、雪の立山連峰を見入る事が出来た時は圧巻であった。
それは、何年前の事かよく覚えていないが、春先の雨が近い日中であったような気がする。同じ景色を眺めても、その時は、きっと、私の心に何か違った感動があったに違いない。
6/12 制限時間は11時間。夏道に雪がある。宴会もしたい。健脚揃い。お天気がイマイチである。昨日の条件下での大日岳行きである。「ピッケル・アイゼンを、使うような山には行かない。」 が、口癖の「山ノ神」であるが、行けるものなら行きたいが、常日頃の山への姿勢である。
行かないとなると膨れるし、行くとなると、こちらに幾分かの負担増が付いて回る。そんな「山ノ神」であるが、私と距離を置くと意外と元気である。しかし、接近すると、どうも怪しくなる。今回も、同行の諸氏に随所で励まされ、フォローされたから、山頂に立てたのであるが、もし、二人だけの山行であったならば、ガスの中、或いは、急斜面の取り付きで、退却となっていたであろう。
家に帰ってから、「今日の山は・・」 と反省会?となるのであるが、今年の4月末から続く好天に恵まれての高所への山行は、一回一回が、素晴らし過ぎて、燃え尽きてしまいそうである。
昨日の山は、感謝しながらも、5人の共通の想い出となるわけで、これから、何度もコップや杯を持つ毎に、「雲上に酔った様」を、繰り返されるに違いない。やはり、これからは、一回とて、その機会を失うわけにはいけない。今は、私の大いなる想い出作りの場であるのかもしれない。 p.m.10:25
6/11 結構ハイペースで、大日平小屋に着いたのであるが、ガスの中、そして、その先が、雪に覆われていた。しかも、その雪の状態が悪く、時々、「キャー」 「ワッー」 と言う声を上げながら、嵌ったり(抜けたり)で、予期せぬ事だけに、足を攣らしたり、指を突いたりして、不安だらけであった。
その段階では、誰しもが、大日平での宴会もあり得ると思っていたであろうが、雪量が増え、ガスの濃さが、薄らいだりし出した頃から、尚更、快適な歩きに変わっていった。そのガスの状態は、抜け出せば、「もしかしたら・・」 と、期待を膨らませるものでもあった。
夏道を東側に外し、急斜面を、「ハーハー」 と息を弾ませながら、時折振り返ると、雲海の中に、立山から連なる薬師岳方面が、ぽっかりと、まるで島のように浮かんでいるのである。弥陀ヶ原も映える。鍬崎山の先端だけが見え、始めは見極める事が出来なかった。
またガスに覆われ、再び山々が現れる様が、何度か繰り返され、後は、稜線に出て、剱岳を眺める事が出来るかになった。足を運べども運べども、その稜線までは遠かった。ちょっと遅れた私の時計を見ると、既に正午を指していた。
今日は、肩も腰も痛かったし、足も重かった。喘ぎ喘ぎ山頂に辿り着けば、「好山病・・」 規格の特製テーブル・ベンチが施されていて、後は、祝杯コールを待つだけになっていた。正しく「雲上の人」となり、この時間としては、滅多に拝めぬ剱岳を屏風のように従えて、それに連なる北方稜線、そして、東芦見尾根を前座にした毛勝の山々が眩しかった。
雲海から離れた奥大日岳、そして、剱岳から連なる立山方面は、スッキリし過ぎる程の展望に、「酔いしれる。」 と言う言葉を超越したようであった。何度登っても素晴らしい展望に恵まれない事もある。初めて登って、当たりになる人もいる。「臥薪嘗胆」 ではないが、「何時かは・・」 と、胸に秘めて、何度も足を運んでこそ、究極の山を味わえるような気がする。
6/10 明日は降らないかもしれないが、昨日・今日の空模様を見ていると、あながち信じられなくなる。しかし、このところの月曜日は、好天に恵まれ続けているので、その余勢を駆わなければなるまい。
私としては、大猫山に心が動くのであるが、「山ノ神」の嫌がる顔を見たくなかったので、犬ヶ岳・雨飾山・大日岳の中から、無理矢理選択させる形になった。同行の志には、「大日岳の何処まで行けるか分からないが・・」 の条件付きで了承を取り付けたが、「山ノ神」には、不安がいっぱいのようである。
称名道路の開門は、まだ夏時間でないようである。集合には楽であるが、活動時間が短いから、尚更である。 p.m.11:25
6/9 「もう歳だ!」 という事を当欄でよく使う。先日、あるHPで40代の方が、やはり 「歳を取ると・・」 という言葉を、何気なく使っておられるのを拝見し、私は苦笑してしまった。と同時に、私より年上の方が、私のHPを見ていて下さるとしたら、何と思われているのかと恥ずかしくなってしまった。
弱みを見せず、毅然とし続けるのも人生、慰め合い、また、励ましてもらって生きるのも人生である。 「歳・・」 とは、その弱みを見せて慰めて欲しいのか、イヤそうではなく、「あなたは、より元気ですよ!」 と言って欲しいのか分からないが、もしかしたら、「気を引く」 事なのかもしれない。
「無視されるのはイヤ、注目されなくとも、私を見ていて欲しい。覚えていて欲しい。」 なのかもしれない。人は一人で生きてはいけない。その事でも分かるような気がする。
6/8 「ぬかるんだ所はイヤ、岩や石の滑りやすい所はダメ、虫がいる所も堪らない。」 と言いながら、行かぬわけがない。行ってみれば何とかなる。でも、雑念が多いからであろうか、優柔不断になりつつある。
一心な目的があれば、そのような事もないのであろうが、横着というのであろうか、自分の都合の良いように物事を考えてしまう。まだまだ未熟! 歳だと言ってはおれない。そうなれば、もう少し頑張らなくてはならない。ボーッと、していてはもったいない。明日よりは、今日の方が若いし、その気になれば、何だって出来る? もう少し若い気でいよう・・・・
6/7 「何かを考えているみたいよ!」 これは、私への還暦の祝いについて、東京の娘から「山ノ神」への打診を、私にちょっぴり匂わせた言葉である。子に何もしてやれなかったのであるが、社会人になってから、父の日と誕生日には、私の心を擽るようなプレゼントを贈ってくれる。また、自分の身を削ってなのかもしれないが、金欠の私達に、お年玉までくれるのである。携帯電話代までである。私は、今でも、何もしてやってないのに・・・・・・
もっとびっくりした事を「山ノ神」が私に言った。「還暦山行に参加しようか?」 とまで言ったようである。私は、そのような事を言った覚えもないから、もしかしたら、当欄で、” 嫌がる私をさておき、「好山病・・」の仲間達が、還暦山行をしたがっている。” の文言を、いつか載せたよう記憶がある。それを、彼女が見たのであろうか? 「あなたより年上の方々ばかりですよ!」 と言えば、「そのような事は、苦にならない。」 とまで言い、「お父さんの喜ぶ事に・・」 のようであった。体力の違いなど、付いて行けるわけもないのに、例え脚色があったとしても、その気持ちに私は胸が詰まった。
「赤」「朱」には、些か抵抗があるが、はにかみながら、仲間達や子達からの好意を、素直に受けようと思う。 私のHPなど見る事もないであろうが、もしかしたら・・ 「娘よ! 別メニューでいいよ!」
否応なしで、その時期・そのイベントが近付いて来る。アクセスカウンターも、その事を祝福してくれるかのように、7月中旬~下旬には、50万件に達する勢いである。その後、どうなるかわからないが、一つの区切りにしたいと思っている。
6/6 「ウド谷」・「人形山」 の2日間は、「ウド」・「コシアブラ」 の山菜採りになってしまった。山菜採りだけの山行など、あり得ないのであったが、ウド谷は、仲間との恒例行事、人形山は、辛うじて山頂を踏んで来たので、それなりに満足であった。
「山ノ神」にしてみれば、ウド谷で、右往左往した徒渉を除けば、私以上に楽しんだ事になる。「来年も行けるかな?」 「連れて行ってもらえるかな?」 「迷惑でないかな?」 を盛んに繰り返すが、我々の仲間は、各人の技量や体力、そして、性格を掌握しているから、出しゃばりがなく、感謝の気持ちさえあれば、「気遣いしながらでも、連れて行ってくれるよ!」 と慰める。
単独や少人数の良さもあるが、気のあった仲間との機会を逃してはいけないから・・・・ 「気の合った仲間」 の言葉に甘んじる事なく、時には、緊張も必要かもしれないが、思いやりさえあれば、おおよそ大丈夫な気がする。 山は、それ程凄いし、素晴らしい。下界でも、これほど協力し、思いやりの心があれば、何事も上手くいくのだが・・・・
6/5 所用があり、人形山行きは、高岡発が午前8時を過ぎてしまった。今春2回の人形山の挑戦は、悉く春木山への変更となり、山頂を踏んでいなかった。遅い出発であっても、楽勝かと思っていたが、如何せん「山ノ神」の足取りに、翻弄され放しになってしまった。
最も、今日の人形山の目的は、山菜勉強が主であったので、致し方なかったのである。宮屋敷跡到着が正午を軽くまわり、そして昼食である。その上、宮屋敷跡から、三辻ヶ山への分岐まで、2時間を費やすという大名山行であった。
「あれは、まだ早い。」 「こっちのも・・」 なのであるから、当たり前である。三辻ヶ山との分岐に到着が、午後2時40分となり、当然山頂へは 「あんただけ・・」 になる。
缶ビール半分を飲まされ、「はい、いってらっしゃい!」 である。それが、「山ノ神」の私への目算違い。少量といえどもビールを飲まされているから、速度が遅くなると思っていたらしいが、” 何と、走りもしない
、膝が痛い!膝が曲がらない” などの悪条件下であっても、30分で行って来て(往路14分、復路10分山頂滞在6分)しまったのであるから、「山ノ神」が驚いた。いや、困ってしまったようであった。
もう1本の隠し持ったビールを、出さず仕舞いに終わってしまったようであったからである。それから、また宮屋敷跡まで戻るにつけ、1時間を掛けてしまったのである。「また暗くなってしまう!」 の心配をよそに、「山ノ神」は、凄くご満悦であった。
しかし、それから登山口までの下りは、いつもの「山ノ神」ではなく、快速になり、登山口で、ゆっくりコーヒータイムを取る事が出来たのである。
6/4 3年連続4回目の黒部峡谷・ウド谷へ行って来た。行って来たと言っても、連れて行ってもらったと言った方が、正しいのかもしれない。過去の入渓と比べると、やはり今年の暖冬少雪の影響が、もろに出て、雪渓の状態が様変わりしていた。
しかし、上部は、さすが天下の黒部峡谷である。少なくても、ずっと雪が詰まっていた。我々8名は、その谷で、今回も楽しませてもらった。ワクワクするような徒渉に、山の香を漂わせる山菜、咲き乱れるシラネアオイ、そして、年齢差を忘れさせてくれる仲間との集いである。今日も鋭気をもらった。
6/3 何故か知らぬ間に、「剱岳をどう登るか=佐伯邦夫著」 を手にしていた。若かりし頃、この書の発行も知らず、街中の古本屋で手にした本である。昭和51年1月発行であるから、私は28歳。しかし、その何ヶ月後、或いは、何年後に買ったのかは、よく覚えていない。きっと、その頃は、その種の技量に届かぬ剱岳に、何とかならぬかと息巻いていた頃と思う。クラブ・先輩・同僚の他に、休日にも恵まれず、何時しか夢が萎んでいったものと回想している。
八峰も源治郎も40年前の話で、今は思っただけでも、身震いするのが関の山。時々、冷やかしか、買い被りか分からないけれど、声が掛かる時がある。私は、正直に「怖いから・・」 などと言ってしまう。膝が思うように曲がらぬ事もあるが、もうそんな事は、どうでもよい気持ちになったからであろう。
何の自慢にもならないが、今や長次郎雪渓を登る事が、私の剱岳へ一番の憧憬である。それも、条件が整っている時であるから厄介である。でも、こんな剱岳ファンもいるのである。昨年は、お天気が悪く、その思いを達成する事が出来なかったが、一年に一度はの思いが、一年でも長く続けられたらの思いである。 p.m.11:00
6/2 何だか疲れた。眠くてしょうがない。オーバーワークなのかな! オンボロ車のような、私の身体なのだが、止まると動かなくなるようで怖い。だから、騙しながらでも動きたい。接触が悪い時、叩いたら見えるようになったテレビ、街中ばかり走っていて調子の悪かった車が、高速を走って、支えていたものが吹き飛ばされたような、無理矢理自分勝手な解釈を頼りに、歩き続けなければならない。
「歩いていると、意外と元気なんだから不思議なんです。」 休日のなると、仲間の顔が見られる。これも、特効薬の一つなのかもしれない。
6/1 今日から6月、高所や谷筋には多くの雪が残っているが、確実に夏の様相を呈して来ている。ぬかるんだり、厄介な雪の残り方で、苦労する事もあるが、可愛いお花達との遭遇のチャンスでもある。良い事があれば、イヤな事もあり、ブヨなどの小さな虫達に、悩まされる機会が多くなるのもこれからである。