7/31 白山から戻って撮った画像を調べてみると、二人合わせて600枚を超えていた。相変わらず、ピンボケが多いのであるが、行った者だけの想い出があり、なかなか「削除」へ、カーソルをもっていけない。

 富山には、たくさんの山があり、白山には、なかなか足を向ける事が出来なかったが、少々の雨でもの機会を掴めば、その回数が自ずと増えていく。今年は、5/14、7/3、そして、今回を含めれば3回となり、通算でも15回を数えるまでになった。

 同行者との兼ね合いや、錦秋の紅葉、新雪の頃など、もしかしたら、まだまだ、その回数が増えるかもしれない。我が高岡からだと、早朝に出発すれば、下道でも、白峰(加賀側)や白川(飛騨側)まで、1時間半で行けるのであるから、そう遠くはない。

 それにしても、お花は凄かった! お天気は良くなかったけれど、今までの中で、一番ボリュームを感じたと言っても過言ではない。「お花松原」は、桁外れに凄いが、室堂周辺でも、それはそれは、花盛りであった。



7/30 出発が遅れ深夜割引を逸してしまったが、珍しく高速を使った。「お花松原」へは、少しでも早く行かないと、またまた暗くなってからの下山になる心配からであった。
 しかし、ある程度覚悟はしていた雨が、益々強くなり、退却もあると考えて、桜が池のSAに入ってしまう羽目になる。でも、「行かなくちゃ!」 が優先し、一つ手前の五箇山ICで降りた。でも、白山公園線に入ってからは、ワイパーを、時々動かせばよい程になり、出発時には、雨具を纏わなくても良いほどまでなった。

 「通行止」の危険がなければ、最近、白山も 「雨の日の山」 のメニュー入りをしてしまったようである。平瀬道・「賽の河原」手前で、花じいの下山するところに遭遇。昨年末以来の出会いに、思わず固く手を握ってしまった。

 その頃から、「わ~っ、わ~っ、」 と、声を上げなければならないほどのお花が咲き乱れ始めた。それまで、順調に推移していたスピリットタイムが乱れ始めたが、この花を見に来たわけであるから、仕方がないところ・・・・・今日も、どれだけシャッターを切る事になるのかと思うと、「同じものばかりなのに」 などと苦笑してしまった。

 御前峰経由に、些か不満の「山ノ神」であったが、ガスに覆われた山頂であっても、「この先、登りはあるのか・・」 と確かめながら、点滴を取り出した。しかし、流石に、この先の事を考えてか、その量は、御神酒程度のものであった。

 中宮道は、岩間道・釈迦新道などと、そして大汝峰とも分かれて、一気に下り降る。白山も北側に来ると、多くの雪を残している事に感心しながら、視界の悪い雪渓を二度渡った。「あまりにも多いクロユリに、凄い匂いがする。」 という「お花松原」は、一面クロユリ畑なれど、ハクサンコザクラもあれば、コイワカガミも、これは何という所か・・・・・

 午後1時半、休憩する所もないが、登り返しや、白水湖まで帰らなければならない事を考えれば、「山ノ神」も、「その先が見える所まで」と妥協に応じた。



7/29 本当に梅雨明けが待ち遠しい。雨具の事だけでなく、雷雨も気になって仕方がない。低山の暑さや虫もイヤだし、時間と費用を使っての遠出や高所へも気が進まない。困った! 先週も翌日は好天であった。今度も、そうかもしれない。「行かないわけないだろう~。」 そうだけれど、こんなお天気では、申し訳なく、誰もを誘う気になれない。 p.m.6:30



7/28 今年の盆休は、昨年に続き、東北に行こうか、それとも、北アの真ん中に行こうか迷っている。費用や行程、そして、体力を考えると、どちらにしても、「帯に短し襷に長しである。」

 「山ノ神」は、遠くに行けて、あまり歩かなくてもよいのがお好みで、東北を選ぶに決まっている。その旅が、例え質素であってもである。車の大きさから、車内で寝る事が出来ない故に、雨を想像すると、私は、ちょっと、イヤな感じがするのであるが・・・

 北アに、テントを担いで、2~3泊するのも何だか気が重い。合宿のように、同じ所で滞在するのならまだしも、分からぬお天気の中を、歩き続けるのであるから、なかなか決断する勇気がない。かといって、このような機会を逃すと、なかなか奥深くまで入れない。まだ時間があり、機運とコンディションが、決め手になる事であろう。
 

7/27 今週末から、来週初めにかけて、山仲間の計画がドンドン入って来る。それが、何故か女性達のものばかりである。北アもあれば南アもある。指を咥えるしかないが、梅雨明け前だけに、「支障のない程のお天気に・・・」 にと、願うだけである。

 最近、「赤」に脅えているのであるが、金沢の豆ちゃんから、大きくて、自慢のあるスイカを贈って頂いた。私如きにと、恐縮してしまうのであるが、切り開いてみると、美味しさのバロメーターであるその色は「真っ赤」である。心遣いに感謝しながら、もう「赤」から逃げ切れないと思ってしまった。 p.m.10:30



7/26 少々暑くても、湿度が低ければ、何とかなるのであるが、気温が上がらなくても、湿度が高ければ、身体の持って行きようがない。「こんなのなら、雨の中を歩いた方が増しだ。」 とでも言いたくなる。体調不良が、それに輪をかける。何もかも・・何処もかも・・・そして、イヤになる。憂鬱である。こんな時は、早く寝る事に越した事はない。

 それでも、今日は、3人の山仲間に、手紙(といっても、ハガキによる便り)を出した。「山ノ神」は、「手書きにせよ!」 と私に、しつこく言うのであるが、簡単なものかもしれないが、一枚一枚画像も文章も違うのだし、自分なりに、心を込めているのだから、「それで良いのだ。」 と突っぱねている。「あんたは、一枚でも出した。」 と、皮肉を言えば、話は、それでお仕舞い。



7/25 白馬岳で撮った画像を捨てられないで困っている。「ダメなものは、捨てればよい。」 と同じものを何枚も撮りながら、性格が、そうされるのかもしれないが、なかなか容易でない。自分のものだけで、1ヶ月間に、1000枚くらいは撮るのであるが、画像サイズを小さくしているから、今のところ、PCのパンクを免れている。しかし、ちょっと色気を出して、大きなサイズで撮ろうものなら、この先が危ない。もっとも、バックアップも兼ねて、違った媒体に移しておけばいいのであるが・・・・

 「復活!」 「意外と短かった休養。」 に取られているが、自分としては、そのつもりはない。「表現がへたくそ!」 だから、このようになってしまうのかもしれないが、すっきりしない毎日が続いている。もしかしたら、当欄を綴り続ける事と、「休養」は、別次元の事だったのかもしれない。でも、何も変わらずして、過ぎて行ってしまうような気もする。何も変わらず過ぎて行く事も、よく考えれば、それなりに意義のある事かもしれないが・・・・

 「赤いチャンチャンコ」 を嫌がる私の事を察知してか、娘夫婦が、ゴアテックスの雨具を、プレゼントしてくれる情報を得た。
 (何もしてくれなくてもいいのであるが、大分、クタクタになってきているから、内心、ハッピーと思っている。)
 それが、赤とか。過日、千葉の川久保夫妻から、ゴアテックスの赤い帽子をプレゼントされているから、赤ずくめになりそうである。山で、「赤」を見掛けたら、「元さん」 になる事もなかろうが、まさか、靴まで「赤」という事はなかろう??? p.m.8:30



7/24 以前に識者から、白馬岳の富山県側からの呼び方は、大蓮華(山)だと聞き及んでいた。また、白馬岳の名は、田おこし(代掻き)の時期と、雪形がマッチした信州側からの意味合いが強いとも聞いた事があった。
 最近、大蓮華とは、白馬岳から朝日岳一帯の総称だという文献を読み、俄に私の識が崩れかかっている。しかし、蓮華温泉から白馬大池を経由して、小蓮華山に達すると、三国境のその先に、大蓮華山があっても何ら不思議でない。

 私は、白馬岳には、7回しか登っておらず、稜線上をずっと歩いた事もなければ、大清水岳から祖母谷温泉に抜けた事もない。それどころか、白馬鑓温泉にも行っていないから、あまり白馬岳の事を知ったかぶりする事も出来ない。
 高度があり、バリエーションも多く、大雪渓・高山植物が目玉で、人気がとても高い。「一度は行ってみたい。」 からか、団体さんが目立つ。ちょっと、時期を外すか、ルートを代えれば、また違った味も楽しめるような気がする。



7/23 ずーっと雨だった。車の走行中から雨だった。しかし、大降りの予想ではなかったので、雨具を身に着けて歩き始める事には、何の違和感もなかった。

 一歩一歩ゆっくり歩けば、山とより身近に接する機会と捉えていた事もあり、今日は珍しくコンロやコッフェルを外して臨んだ。標準コースタイム通りにいけば、正午頃に山頂到着の予定であったが、白馬大池辺りから、予定が大幅に狂った。

 霧雨とは言え、雨の中、660枚(私が432枚・「山ノ神」が227枚)の写真を撮ったのであるから、時間が掛かるに決まっている。時々、風が伴うもので、レンズが濡れたり、曇ったりし、尚更時間を要してしまった。

 決してステキな写真が撮れた訳ではないが、ハクサンイチゲ・チングルマ・コマクサを中心に夢中で撮った。三国境を越えてからは、ウルップソウと、ツクモグサが中心になった。シャッターが切れなくなるアクシデントもあったが、その日ばかりは、迷カメラマンの心境であった。

 白馬岳山頂発が、午後1時50分と、遅いものになったが、小蓮華山から白馬大池への途中からであったが、青空と共に、陽が差すという幸運に出くわした。
 朝方の雨に濡れて、うつむき加減の高山植物達が、今度は夕日の方向に、なびいているように感じられたから不思議である。「朝と反対に、こっちに向いているよ!」 と言った「山ノ神」の言葉にも頷けた。

 黒い雲に覆われていた雪倉岳も、いつの間にか白い雲の上に、大きな山容を現した。暑い西日を受け汗を流したが、蓮華温泉に近付く頃は、朝方と同じで、また霧の中に埋もれてしまった。でも、ヘッドランプを使う事なく無事下山し、駐車場でコーヒーを湧かしながら後片付けをし、またまた視界の悪い中に車を走らせた。



7/22 今日は、スッキリしないお天気だったけれど、我慢出来ない人達は、やっぱり出掛けた事と思います。どんな山に登られたのだろうかと思いながら、私も空を見上げている。
 今、降っている細かい雨は、明日は止むのであろうか? 30%降水確率は、自分達に味方してくれるであろうか? そんな不安を持ちながら、明日の準備をしなければならないのであるが、強風と雷さえなければ・・・

 いつも順風満帆とは思わない。もう、いつでも、途中で止められる勇気はあるし、後悔もしない。どんなお花に遭えるであろうか? どのような感じで、山々と接する事が出来るであろうか? 何もかもが楽しみである。 p.m.7:40



7/21 1ヶ月余休養と宣言したつもりであったが、「どうしたの?」 「何故?」 に、”些か参った! ” 本当は、全部消せば(削除)良かったのであるが、女々しく残したのがいけなかったのかもしれない。そして、差程面白くもない書き込みが、メーンだからしょうがないのであろう。

 「ゆっくり考えたい。」 「自分を見つめ直してみたい。」 などは出来ないのかもしれない。能力がないのは重々承知しているのであるが、「何か、あっと思わせてみたい。」 気持ちもあったが、諦める事にした。
 この一週間、「何もしない。」 「何も表現出来ない。」 のも、ちょっと辛くなってきた所為もある。この先は、自分を追い詰める事なく、ちょっとサボりながら、「当欄の更新を適当にやる。」 に改める事にした。

 発想も転換する。「自分が忘れている事まで、他の人が知っている。」 おかしな現象を、名誉と置き換える事にした。休んでも応援して頂いている事に感謝します。 p.m.8:50



7/20 早いもので、朝日岳山行から1ヶ月が過ぎた。その間6回の山行機会があったが、幸か不幸かコメント出来ない「山ノ神」との二人きりのものだけであった。殆どが雨絡みであった事や、休日の違いもあり、積極的に誘わなかったし、誘われなかった事が、その要因だったかもしれない。

 この先の7~8月は、お互い山への思いがあり、例年仲間との同行機会が少ない。私自身も、超遠出は、盆休を利用するしかないく、今年もお天気が、気になるところである。



7/19 する事はたくさんある。何もなくなったわけでもない。なのに、ライフスタイルが狂ったのであろうか、「山ノ神」からみれば、寂しそうに、ボーッとしているように映るらしい。「考え事をしているのだ!」 と言っても、やせ我慢をしているようにしか思えないらしい。

 確かに、休日以外の睡眠時間が増えた事は間違いない。4~5時間であったのに、1~2時間増えている。しかし、身体中がだるい。今年も、エアコンも扇風機もない、ヤケヤケの2階で寝るのであるから、尚一層、疲れがたまるかもしれない。精神力だけで、乗り越えられる歳ではなくなって来ているのであろうか?



7/18 乾かしていたテントを、また濡らしてしまった。テントのような大きなものは、どうしても、外の物干しにかけなければいけないから、このところの変わりやすいお天気にやられてしまった。晴れたり、風が吹けば、すぐ乾くから、そう心配する事もないのであるが、使用するに付け、狭さとフライの関係上雨には弱い事を痛感する。

 30年も使っているのであるから、そろそろ引退させてもいいのであるが、経済上の問題もあるが、愛着も捨て難い。フライのゴムが劣化して、自分で取り替えたのと、ポールを修理に出した事以外、それほど見てくれも使用感も悪くはない。只、雨に困るのと、大きな荷の中に、埋もれてしまう事が難なのである。

 買うとなると5~6万円、外張りを買うとなると、2万円位プラスになる。しかし、もう少し大きめのものが欲しいとなると、値も重量もかなり増えるのである。担げるのかの問題もあるのだが、買うとなると、少しでも早く買った方が良いに決まっている。でも、小宴会出来るテント、伸び伸びと寝られる希望のテントは、やはりハードルが高い。



7/17 私は、有峰に関しては、亀谷からの小見線と、水須からの小口川線しか走った事がなく、まだ走った事のない岐阜県側に、とても興味を持っていた。横岳に登るのに、佐古・大多和へ、寺地山・北ノ俣岳へ登るのに、飛越トンネル手前まで行っているが、その先に行く機会がなかったのである。

 昨日の折立を離れる時刻が午後4時前であった事から、心は動いた。正確ではないが、大多和へは、通行が出来なくなったと聞いた事があったので、有峰湖の西岸を通って東谷連絡所(料金所)・飛越トンネルに出るものである。
 ダムサイトや湖畔を走っている時は、薬師岳が見え隠れするのであるが、後は気持ちの良い森林地帯を駆け抜けるだけであった。場所が場所だけに高所を走り、カーブも多いのであるが、舗装された快適なものである。時間帯が遅かった所為もあるかもしれないが、擦れ違った車は2台だけ。

 しかし、熊さんが林道に現れた。それを「山ノ神」が撮れという。スピードを緩めて、カメラを構えたが、それでも走っているし、デジカメのシャッターの落ちるのが遅く撮る事が出来なかった。ならばとUターンし、今一度挑戦したが、今度は熊さんがヤブに消えた。またまた熊さんが現れたので、再度挑戦となった。窓を開け、車を停止する勇気はないので、のろのろと走ったのが悪く、上手く撮る事が出来なかった。残念がる「山ノ神」の気持ちも分かるが、何かあったら大変だから・・その場から私達は去ったのである。

 山ノ村隧道を経由して、神岡から41号線に出た途端に、東京の娘と大阪の息子から電話が入った。「何度電話をしても出ない。大丈夫なのか?」 と言うものであったが、始めは何の事か分からなかった。テレビ等で次第に大きく報道される新潟・長野の地震被害に心配になったものらしかった。

 山中では、何も感じる事がなかったが、その事を知らされ、その大きさが分からない我々は、次第に心配になっていった。テレビが・・花瓶が・・家に辿り着き、何もなかった事に安堵し、どっと疲れが出てしまった。



7/16 午前4時過ぎから連続してなるアラームを、無視し続けて起きたのが、6時半を回ってしまっていた。どうして、荷物やゴミ、そして、その他の備品を、車に運んだのか、よく覚えていないくらいであるから、なかなか目が開かなかった。

 濡れたテントを片付けて、顔を洗ったり、歯を磨いても、ボーッとしたままである。二日酔いのような雰囲気ではなかったが、何も食べたくなかった。
 昨夜中に、同席した若い衆と、渓流釣り・山菜採りの約束をした「山ノ神」を置いて、単独行となった私は、ボーッとなったまま出発したのが、午前7時半頃であった。

 2時間で太郎小屋に着かないと、折立で待つ「山ノ神」の事を思うと、薬師岳日帰りは、ちょっときつい思いがあった。しかし、荷は少なくしたものの体調が思わしくなく、2時間半近く掛かってしまった。この時点で山頂への思いを断ち切り、カメラを取り出しゆっくり歩いた。稜線まで出たかったが、薬師平で諦め、そして、戻って太郎山へ。

 太郎山での20分位だけが、展望が開けて、嬉しい一時であった。後は、ケトケトしながら、太郎平から折立までの下りに、2時間を要してしまった。着いたと思ったら、「山ノ神」が、私を迎えに行こうと思って、登り始めようとしたところであった。午後3時。



7/15 台風の影響は少ないようであるが、夜が明けた頃は、まだ小雨が降っていた。前夜から、道路に支障がない限り、早々に「白木峰に出掛けよう!」 となっていたが、やはり出発に手間取ってしまった。

 「何処にも出掛けない。」 など、有り得るハズもなく、3週間前には、蕾状態であったニッコウキスゲを楽しみ、早々に戻って、翌日の山行に備えようとするものであった。

 山頂付近の遊歩道をちょっと歩き、その雰囲気を味わえば、すぐ下山するつもりであったが、予想以上の花の付き具合に、小白木峰側の祠下や、浮島まで、足を延ばす事になってしまった。
 そのお陰で、友人の縁者の方々との遭遇が有り、楽しい思いをさせて頂く事にもなった。遠くに見える立山連峰の一角を指さし、「これから、あの薬師岳に行こうと思っているのですよ!」 と告げて、一足先に下山した。

 家に戻れば、シャワーもしたいし、いろいろ準備もしなければならず、それから、食料の調達をし、富山の山用具店に寄り、有峰に向かった。雨が止むどころか、益々強くなり、有峰林道前では、決行か退却かと迷ったが、明朝また出直す事を思えば、濡れても山に入ろうという事になった。

 折立着が午後7時を回っており、雨の中でテントを張った。食事を炊事場に求めた事が、良かったのか悪かったのか、カマドの適所に腰掛けて、同席した若い衆(30代・40代の男女3名)と、午前1時半頃まで飲んでしまった。私と「山ノ神」で、2Lの清酒と缶ビール6本、相手方は、缶ビール24本も飲んでしまったようである。



7/14 今日の午後2時7分頃、アクセスカウンターが、50万件に達したと、その証拠画像と共に、いつも私を可愛がってくださるK氏からメールが届いた。その後も、「切り番にはならなかったが・・」 と、50万件達成のお祝いのメッセージが、何通となく届けて頂いた。本当に有り難い事である。

 自分のHPでありながら。何だか肩の荷が降りたような気がした。これで、ちょっと「休める」が、正直なところかもしれない。勝手に、曝け出しておきながら、「疲れた!」 などという理屈を付けて、休もうとしているのであるから、何をか言わんである。

 しかし、過日からの予告通り、「自分を、もう一度見つめ直してみたい。」 「マンネリから抜け出したい。」 「自分の記録としてのHP」 などを時間を掛けて考えて見たいのである。

 年甲斐もなくとは心外であり、新たな何かに、チャレンジしてみたいから、余裕の欲しさから、ご褒美としての休暇を望んだのかもしれない。硬直した頭から、結果的には、何も出て来ないであろうが、右往左往しながら、何か若い者に、一矢報いたいと思っても、不思議ではなかろう。

 それにしても、わけあって、一時中断した16年5月時点のアクセスカウンターが、15万余であったから、よくもこんなに、ご支援頂いたものだと感謝するしかない。HPを立ち上げた頃は、知名度の無さや、PCの普及との関係もあるかもしれないが、1、000件に達するまでに、7ヶ月も掛かったのであるから、50万などは夢のようである。

 この先、如何様になろうとも、少々寛大に見守って頂ければ幸いです。しかし、このように述べておきながら、何かを触って更新したり、一ヶ月余経過しても、代わり映えしないものになっているかもしれません。その時は、その時で、良きアドバイスを頂いたらなどと、結構甘えしきりである。 p.n.11:59



7/13 一日中、台風情報が流れる中、まるっきり、山行(キャンプ)準備する気になれなかった。それたり早まったりすると、意外なお天気になるのであるが、今日は、そこまで乗れなかった。
 夜半や、未明に発つ予定でないから、まだ余裕がある。準備といっても、そう驚く事もない。24時間営業のスーパーもあるし、借りなければならないものもない。半分諦めてはいるのであるが、心だけはしておきたい。 p.m.11:50



7/12 昨年もそうであったが、第3日・月の剱沢キャンプは流れそうである。15・16日とは、梅雨の真っ直中であるから、致し方ないところであるが、一年に一度剱岳に登る機会だけに、ちょっぴり寂しい。
 もっとも、剱沢で、ゆっくり過ごすのが目的であるから、ピークに拘らなくてもいいのであるが、飲んでばかりもおられまい。また、30年前のテントを、今も使っているので、始めから雨だと、ちょっとひいてしまう。でも、まだ中2日もあるから、どうなるか分からない。

 降ってしまえば、近間の低山歩きになってしまいそうであるが、折角アクセスカウンターが、500,000件になりそうであるから、すっかり忘れて泊まりたいものである。 p.m.9:25



7/11 面白い話がある。「人」という文字は、お互い支え合って出来ているという事は、前々から聞いていた。先日、知人が、その「人」の左側の長い方が男で、右側の短い方が女だという。女側の短い方が、つっかえ棒的役割を果たしており、それが外れたら、男は、たまらず共倒れになるという。逆に、左側の男部分が、なくなれば(亡くなれば)、重しがなくなり、天を突くような感じで、女側は、伸び伸びするのだと言い、それ程、漢字は良く出来ているという。「正にその通りだ!」 私は笑ってしまった。 

 男が先に逝けば、大概上手くいく。(ローンはなくなるし・・・それから・・) 少し悲しけれど、すぐに元気になる。女が先に逝くと、男は、すぐ毎日の生活に困り、しょぼくれた男に成り下がる事が多い。そうでない方は、相当凄い方になる。
 私も、実生活で、「山ノ神」に勝てず、HP上で、ぼやいているだけの弱い男である。p.m.7:50



7/10 ガスに覆われた大猫山には、それ程魅力はないのであるが、アップダウンが殆どなく、忍耐力を試すには丁度いい山である。それが、馬場島からの歩きが加われば、尚更かもしれない。

 大きな根っ子をもじって「おおねっこやま」などと呼び、足が思うように上がらぬ私には、チョット辛いところもあるが、その気になれば、赤谷山や猫又山などと違い、割と短時間で行ける山でもある。

 早めに出掛ければ、お昼過ぎに戻れるし、遅い時間に出掛けても、何とかなる山であるから、私は重宝しているのであるが、「山ノ神」は、いい顔をしないのが、「ちょっと・・」 と言うところか!

 今秋、猫又山まで登山道が通じるようであるが、そしたら、また大猫山への思いが変わるやもしれない。「カメラには、剱岳の全容が収まりきれない。」 と言いながら、東芦見尾根を歩けば、剱岳の形が変わり、窓の形も変わるのである。ブナクラから、或いは、ブナクラへと、早くも多くの山好き達が、胸を躍らせている事であろう。



7/9 時間制限付きの山行で馬場島からブナクラ取水口への林道に悩んだ。始めの番線ゲートを外し、新しく頑強なゲートの横には道がある。しかし、その先に発破の予告や重機があり、ブナクラ取水口まで車を入れたとしても、万が一戻れなかったらどうしようと、気の弱い私は馬場島に車を戻した。

 入れるという噂は聞いていたし、もし、時間制限(「山ノ神」の大事な行事)がなければ、きっと、私でも車を入れたであろうが、久しぶりの片道30~40分は、私の青春時代を呼び起こしてくれたから、満更でもなかった。遡ると昭和38年・39年の話になるから相当古い。白萩川は当時の事を思うと一変している。今やそんな事を語る私は、浦島太郎的存在かもしれない。

 予報とは裏腹に、空は眩しいくらいに晴れ渡り、久々に、「晴れの大猫山」 を、期待したのであるが、この山は、私に対しては、いつも何処か冷たい。逆光の剱が、高度を上げようとした途端、ガスの中に消えて行ってしまった。



7/8 最近は、何故か「山ノ神」に流されている感じである。それ故、益々気持ちが軟弱になっていくのかもしれない。 いつかは、「山ノ神」の言うがままになる事も、想定はしているのであるが、もうちょっと、今の自分の限界を試す機会があっても良いのではないかと思う。明日も、二人の意見が分かれている。「イヤければ来るな!」の意気込みで臨んでみよう。p.m.11:59



7/7 5月末に細君を亡くした友人から、「たまゆら」 と題した短歌集が送られて来た。病床で書き綴られたものを家族で纏められたのであろう。彼女は、本格的かどうかは別にして、軽登山・渓流釣りなどアウトドア派であった事は知っていた。優しく語りかけられた京都弁も印象的であった。

   「もう一度 履いてみたい 登山靴 立山見ても 病にかてぬ」
   「まずまずの 命のページを 繰り来たり 恐れ悲しみ 今は静まる」

 私が、その歌集から選んだ二句であるが、改めて冥福を祈りたい。



7/6 先日、田村氏から、朝日岳山行時に撮られたステキな写真を頂いた。それは、A4に伸ばされた大きなものだから堪らなく、すぐ額に入れた。「今度は、好山病・・全員で撮ったものが欲しいね。」 など、風を吹かし、強請っておいた。

 そういう事からして、もう一度今年の山行歴を振り返ってみた。前回までの39回(41日)の内容となると、1/2の牛岳、1/3の千石城山だけが単独行であった。「山ノ神」と二人だけというのが12回(13日)もあり、意外と多いのにびっくりする。その他に、3人以下というのが8回、4~6人で出掛けたものが7回もあり、いつも山中で、賑やかに騒いでいるようであっても、少人数山行が29/39と意外な結果であった。

 今のところ、「好山病・・」メンバーが、全員(11名)集まった事はなく、今年も祖父岳の8名が一番多い結果となっている。月曜日に歩く「好山病・・」だけに、全員が集まり、尚かつ集合写真などは至難の事かもしれない。だからこそ、尚更執着したくなる。

 その点、ハレルヤは凄い。ゲスト参加もあるが、全員参加が多い。12月~6月と、雪ある時に限定されている事もあるからかもしれない。



7/5 読み返さない事もあるが、この頃は、誤字脱字の他に、転換間違いが甚だしい。時々、その文に接しなければならなくなり、「ありゃ!」 「ワ~ッ」となる。それが通常化され、お仲間?からのお達しもなくなって来ている。学力の無さから生じる事は致し方ないにしても、これも体力の無さが関係してくるように思える。何もしていないようで、何かをしている。睡眠不足からか、集中力がなくなって来ている。ボーッしている事が多いのであろう。いやだな~。

 もちろん、物忘れも多い。忘れる事を避けるために、何事も早めになる。これが「せっかち」になる所以であろう。どれだけ若さを訴えて見ても、鏡に映る自分や同じ年代の方々を見るに付け、寂しくなる事が多い。ハーハー言いながら歩いている時だけでも、その事から離れたい。幸いそこには鏡もないから・・・



7/4 お天気がどうだと言っていた同じ日に、「好山病・・」 のeiko女史が、友人と剱沢でキャンプをしてきた報告を受けた。それも、キャンプが初めてだという友人とであるから恐れ入る。

 残雪が多くあり、しかも、お天気があまり良くない日であるから、かなりの好山病重症者である事を証明した感じである。ピークを踏まなくても、その間隙を縫って、剱岳が顔を出したり、一時的にせよ星が見られたり、それはそれは感動的であったらしい。

 ガスに覆われた残雪の上を歩くのは、きっと怖い思いもしたであろうに、その勇気は何処から生まれて来るのであろう。岩や沢を楽しむ山行もあるであろうが、シーズン前の静かな山に、気の合った友人と、2日間を過ごせるなんて、「何と贅沢な・・!」 とつい羨ましくなってしまった。



7/3 起きた時点で、雨が降ってなければ白山、降っておれば、白木峰の予定であったが、霧雨(小雨)であった。しかし、「山ノ神」の「雨でも行ってたじゃない。」 の一言で、白山行きになってしまった。

 ワイパーを廻しながら、靄った中の走行故、ちょっぴり時間を要した感があったが、結果的には、そうでもなかったようである。午前6時40分頃、156号線から、白山公園線に入った途端、通行止の標識が目に飛び込んで来たのであった。「ワッ~」 と、声を上げたのであったが、ラッキーと言うべきか、パトロールを終えて来られた車が、ゲートの解錠するところでもあった。

 白水湖畔に行くと、「通行止のハズなのですが・・」 などと売店(避難小屋)の方が、怪訝な顔付きで、車に近づいて来られた。「私達は、通行止が解除になったから来たのですよ!」 と正当である事を告げると、今度は、「今日の予報も雨で、いつ通行止になるやも分からない。一旦通行止になると、何時解除されるか分からない。そのつもりで登山せよ!」 との脅しまで付いた。

 空を見ながら、その言葉が耳から離れない様が続いたが、大降りにはならないと自信を深め山頂へと急いだ。「山ノ神」は、「雨であってもお花が・・」 を期待をしていたようであったが、ハクサンチドリ・キヌガサソウ・コイワカガミ・キンポウゲ・シナノキンバイなど以外は、まだこれからであった。(クロユリは蕾)

 相変わらず霧雨が降り続いていたからか、それとも時間に煽られたからか、分からないが、「山ノ神」は、私だけに山頂行きを勧めた。飲む時間?を与えるために、往復40分の時間をもらい先を急いだ。山頂のあの立派な方位盤が、(地震で?それとも・・詳しい事はわからない。)倒れていた。パシャパシャと4回シャッターを切って、室堂に帰った。
 その間、「山ノ神」は、福井のT女史・石川のY女史と、親しく会話が弾んでいた。これからの山行の事まで・・。金沢側も我々と同じ時間まで、通行止であったようだ。山は雨が多かったのであろうか!



7/2 先週に続き白木峰か、それとも行きなれた牛岳かと悩んだが、その後の事を考えて牛岳に決まる。そして、午前9時半を、大きく回った自宅発である。

 156号線を離れて、牛岳林道に差し掛かった頃に、雨が一段と強くなり、「山ノ神」が、「山頂から降ろうか・・」 などと面白い事言う。それに乗っかり今日は、山頂から降り、また登り返すコースとなる。

 小雨降る六合目で、簡単な食事をし、途中、ヨシナを採り、あとはササユリと戯れる単純な山行。歩ける事に喜びあり。 p.m.11:00



7/1 梅雨だから致し方ないが、やはり雨模様の日が続きそうである。明日・明後日の連休は、既に遠出や高所の計画はなくなった。再来週の連休も何故かあまり良くない予感がする。これまでの2ヶ月余は、あまりにも良過ぎたから、その反動は大きく感じるのかもしれない。

 雨の中を、出来れば、雨降る前に、さっと一歩きして、日頃しなければならない事に、時間を当てるのも良いかもしれない。 p.m.11:59