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3/31 「福寿草」 と、「赤祖父山から高清水山へのルートの挑戦」 を掲げての雨中山行。その雨は、それ程でもなかったが、すぐに雪となった。福寿草は、このところの寒さで、蕾の域を脱していなかった。(一週間は早かったかな!)
そうなれば、もう一つの楽しみになる。標高550mから雪上になり、700mからスノーシュー装着。横殴りの雪になるが、「雨よりはいいね!」 と呆れた会話になる。900mからは、真っ新な雪上を歩く事になり、靄っていても、何故かルンルン気分となった。
扇山到着が午前10時半であり、食事には早過ぎるし、高清水山までは遠過ぎる。ならば、「取りあえず、赤祖父山まで行って決めよう。」 となるが、すぐに到達。もう一時間高清水山方面に歩く事になる。靄っているため、ブナ林は、より幻想的に映るのであるが、北ちゃんが突然走り出してしまう。それでは、皆が付いていけるハズもない。しかし、その速さでなければ、高清水山まで行けるハズがない。雨の予想だけに、提案してみたものの、その可能性はないと思っていたのが、悔やむ結果となってしまった。(集合・出発時刻を、繰り上げせねばならなかった。)
赤祖父山から30分、988mの標高点に達した時点で、何故か一時的に青空が見え始めた。「お腹すいた。」「ここで止めよう。」などの雑音に、すぐに纏まってしまい、シェルター造りに精出す事になる。まだ、この山域のこの高さでは、充分なシェルターが造れ、風雨・風雪に耐える事が出来る。昨年、城端山岳会の手で、高清水山~赤祖父山間の登山道が整備されたと聞き及んでいたが、まさか、この時期に、このルートの一部を歩くとは思っても見なかったが、ずっと続くブナ林に心が奪わせ、またいつの日か訪れてみたいと思った。(今度は、高清水山まで・・)
3/30 明日は、雨の予報の中、赤祖父山方面に出掛ける事になった。先週の八乙女山・大寺山でも、下部の雪解けが進み、福寿草が咲く高度からして、もしかしたらの思いがあった。しかし、ここ3~4日の低温で、その見頃(開花)を遅らかしたに違いない。
昨年は4/3、一昨年は4/16に出掛けた。雪解けの加減があるから、一概に言えないが、昨年はその福寿草群落が素晴らしく、女性軍が酔っていた。明日はどうなるか分からない。雨が雪に変わろうが、上を目指す気持ちは変わらないであろう。只、雪山の雨。寒さ・冷たさを凌ぐには、シェルターが造れるくらいの雪量がほしい。 p.m.11:15
3/29 ず~っと雨の予報、何とかずれ込まないかと思っているが、尚更のように傘マークが並ぶ。そんな折、「北ちゃん」から、「一緒しましょう。」 とお誘いを受けた。彼の事情やお天気、また、当方のキャンプも災いしてか、まだ、今年は一回の同行機会もなく、これでは、「好山病・・」の看板が薄らいでしまいそうである。
一番良いこの時期に、近間の低山を、歩かなければいけなくなる恨めしいお天気に、八つ当たりしても仕方がないのであるが、それでも、一寸の間隙を縫って、より高い所へ行きたくなるバカ者である。リスクを負ってでも行きたくなるのは、より山の雰囲気を味合う事が出来ると思う錯覚なのかもしれないが、雪(残雪)との決別がイヤなのかもしれない。
北ちゃんに「ネモ」を掛けた。「屋根がなくとも、何か違ったものを求めたい。」 と・・・しかし、それは、彼の得意なヤブ漕ぎから逃げようとする手段なのかもしれない。そう述べながらも、「人恋しい私は、」結果的に、彼に付いて行くと思うが、より高く、より遠くの望みを最後まで、持ち続けようとしているのである。
3/28 「懐かしの一枚」 と題したコーナーは、自分としても、一寸滑稽で、「この人誰?」 と言われそうである。そんな今日は、高校時代の同級生Y女史からの電話、そしてH氏の訪問があった。二人とも久しぶりであったが、私の一番輝いていた時を知っていてくれるだけに、嬉しさと懐かしさが相俟って楽しくてならなかった。
その二人の共通点は、一世を風靡した実績がありながら、今新たに、人生の目標を持っている事であった。コツコツ山を登る私よりは、遙かに格好良く、見栄えの良いものであるが、さほど羨ましくもなかった。
それは、諦めの人生からか、それとも、山中心のライフスタイルが確立しているからか分からないが、彼らは、私に何かを求めて来たからに他ならないと思っている。
それは、きっと「聞いて欲しい。」 というものであったに違いない。私も聞いて欲しい事がたくさんあるから・・・ あまり自惚れないで(ちょっとくらいは良いのかも・・)、心が揺らがなければ、人生は面白い。聞き役に回れば、人は寄って来る。でも、愉快なのは、喋る方だから上手くはいかない。「ワッハッハ」、「ホッホホ」 と、ず~っと、笑ってばかりおられる人生なら言うこ事はない。 p.m.11:59
3/27 「終わった!」 町内会の総会に次いで、事務引き継ぎの会を、ようやく今晩終えた。何もしない会長であったが、周りの方々には、良くして頂いた。自分1人では何も出来ないだけに、本当に感謝しなければならない。
これで、「大手を振って山に出掛けられる。」 という事もない。町内会の事で、山行には、さほど影響がなかった。只、精神的には、「何かあったら・・」 のプレッシャーがあった事は確かである。
「これを機会に・・」 「60歳を機会に・・」、もう一度、何もかもやり直し・・ 今日は、そんな気分! やりたい事をやるのも良いが、素直になって、「人生とは何か・・」 から始めよう。 「あれー」 では、「山ノ神」への嘆きも、止めなければならないのか? 困った!
3/26 スノーシューが直って来た。山用具店T店長の計らいもあったのかもしれないが、一週間と意外と早く直った。思わぬパーツの取り替えがあり、ちょっと費用が嵩んだが、次の山行に支障を及ぼす事がなくなり、今はホットな気分である。
24日の雨中山行は、仕方なく、おおよそ2年ぶりに、カンジキを履いたが、後半、下りの苦手なeikoちゃんのスノーシューと交換してみると、やっぱりスノーシューの履き心地が良かった。しかし、カンジキの軽さ・小回りなどの良さも、改めて実感する事が出来た。
何も新しいものだけが良いとは限らない。使いこなせて始めて良さが分かる。これからの季節は、ピッケルやアイゼンを使用する機会が増えてくる。ピッケルの長さが気にかかる。最近はあまり長いものがない。初心者には、本当に使い勝手が良いのだろうか? アイゼンもしかり、我々の登るような所(登れるような所)は、刃が多ければ良いとばかりも言えないであろう。先人達は、今のような装備がなくても登っていたのであるから・・・
3/25 ムコ殿の実家から電話があった。トレッキングなのか、登山なのか分からないが、とにかく信州の山里(山中)で、一杯やろうというものであった。結婚式・葬儀などで、まだ3回しかお会いした事がないのであるが、「山が好き!」 が、ここにも浸透してしまったようである。
そして、私の休日を考慮して頂いているからだろうが、「7月の海の日の連休は、如何なものか?」 との事。それを、思わず 「その日は、剱岳に・・」 と言ってしまった。「ありゃ、何をさておいても、OK!」 と言わなければならないのに、困った親である。
でも内心、「何処の山に・・」 と興味が湧いてくるのであるが、相手様のお酒の強いのには、ちょっとやそっとで、太刀打ち出来ないのが難。歩くのは負けないから、「それでお相子!」 とも言っておれないか?
3/24 私の山行は、難ルートを行くものでもないし、記録を目指すものでもない。山と接する機会を多く持つ事や、その良さを大いに楽しみたい事くらいの単純なものである。その中でも、小さく意識するものはあるが、特別自慢するものでもなく、飲んだ時に、ペロッと、口に出すくらいの可笑しな拘りくらいであろう。
今日も、雨とわかっていて山に出掛けた。さほど面白くない林道歩きが主体の山行であったが、「山ノ神」を含め女性3人が付き合ってくれた。 雨の日に、このような山との接し方も良いのではと思う自分に、彼女らはどう思ったのであろうか? 並列も出来、たっぷり山仲間と話ながら歩くのも良いと思ってくれたであろうか? 雨具を濡らしながら、不満も言わず、笑顔で付き合ってくれた「eikoちゃん」・「ねぎちゃん」に感謝!
3/23 明日は、南砺の低山へ。本当の「山歩き」 いや、「林道歩き」 だけになるかもしれない。でも、行かないより良い。歩ける喜びを感じ取って来る。そして、低山でも、その山頂に立って来る。きっと、その頂にも、今までと違った喜びがあるに違いない。 p.m.11:50
3/22 日頃から、「雨でも行く。」 「何が何でも、山に行く。」 と、息巻いているが、出来れば降らない方が良いし、降ればやはり怯むのである。それは、もしかしたら、ライフスタイルとして、定着させている事だけなのかもしれない。
出だしに降れば、時を見計らうし、行き先変更もあり、当然優柔不断になる。臨機応変という言葉が合うのか、軟弱と言えば良いのか辛いところでもある。仲間と約束をしていると、その事は払拭さて、いそいそと出掛けてしまう。「損をする。」「叱られる。」「迷惑を掛ける。」 に該当しないのであろうが、その思いは、継続に関して大切な事のようである。
明後日(24日)は、曇マークが無くなり、傘マークだけになった。南風も伴うようであるが、問題は雨量である。中途半端な雪量(積雪)での雨も辛いが、寒さ冷たさを吹っ飛ばす、久々のメンバーが揃うのも面白い。さて、何処へ行くか? 東か西か? 屋根(小屋)を求めるか否か?
3/21 スノーシューを修理に出した為、今度の行き先を、どうしたものかと思案しなければならない。それこそ、「山ノ神」の「雨降れコール」 ではないが、お天気に恵まれなければ、近場の低山でも納得がいくというもの・・・
一昨年末に、「山ノ神」が、E社のスノーシューを買ったが、不具合(不都合)から、M社のものに買い換えた経緯がある。そのE社のものが、私に間に合わないかと模索してみたが、そのスノーシューは、販売店と協議の結果、メーカー送りの段階で、ワイヤーを短くしたものであり、大きめの足の私には使用不可能であった。
何とか何処かへ行きたい私は、スノーシューの交換を「山ノ神」に提案するものの、一旦不都合を経験したものを、今更使えないと言って、首を立てに振らず、「私にカンジキを履け!」 と言う。スノーシューを常用していたら、カンジキは履きづらいのだが・・・ 「困った!」
3/20 見るからに汚らしい顔になった。赤くなった鼻の皮がむけ始めた。見慣れていても、ちょっと離れた鏡に映る顔は、真っ黒である。「どうしたの?」 「ちょっとハワイへ・・」 の答えは、誰もが信じるハズがない。
若かりし頃は、勲章を得たかのように自慢げに思っていたのだが、今の世は、只汚らしいだけ・・・また、「黒いのは健康」 と言ったのは昔の話。出掛ける前に日焼け止めを塗ったのであるが、繰り返して塗るどころか、翌日の好天にもその作業を怠り、惨めな結果となってしまった。何事も面倒がらず、マメにならなくては、後々響いて来るようである。
前日の買ったサングラスを、下山時の何処かで落としてきたらしい。高価な物でないにしても、一回しか使用していないわけだから、実にもったいない。「忘れ物」 「落とし物」が、だんだんと多くなっていくのが心配であり恐ろしい。
3/19 「弱った!」 スノーシューの本体と、滑り止めを結合している留め金の上部2ヶ所が脱落していたのを発見し、今夜修理に出した。消耗品とは思っていたが、購入して2年余では、ちょっと早過ぎる嫌いがある。頻度の問題なのか、それとも、乱暴な扱いで、そうなったのか分からないが、大事な装備の一つだけに、些か参っている。
取りあえず、次回の山行を、どうするかである。「山ノ神」の物を借りて、「自分だけが行く。」 は到底考えられない。では、久しぶりにカンジキ使用になるかである。それでは、距離が伸びず、健脚達に、「連れて行って・・」 とは言いにくくなってしまった。 p.m.11:55
3/18 素晴らしき「鳥ヶ尾山・鉢伏山」 山行の余韻に浸れなかったのは、下山時の最後の小一時間に、「もっと速く」 と言って、「山ノ神」を怒らせてしまったのが尾を引いていたわけではなく、今晩行われた自治会総会への不安心理からだったのかもしれない。
何もやれなくて悔いの残った一年よりも、開放された喜びの方が、それを上回り、家に戻った今は、ホット疲れが出たような気がする。会長職は、特別に山行を拒んだわけでもなかったが、確実に一年歳を取らせたように思える。貴重な一年は、必ずしも「負」ばかりではなかったのであるが、いつも責任がついて回った。
その責任は、山歩きにも、ついて回るのであるが、気分的に随分違うような気がする。でも、「自分のしたい事」 は、必ずしも楽しい事ばかりではない。気を遣わなければ喜んでもらえないし、自分が楽しい事は、相手様に
気を遣ってもらっているのであるから、その事を認識しておかなければならない。結局何でも同じ事なのかもしれない。ならば、好きな事に時間掛けなければ・・・・ p.m.11:55
3/17 不安気味に外に出てみると、視界が悪く、冷え込んだからであろうか、テントには霜が貼り付いたかのように白くなっていた。シャベルは効かないし、ピッケルもスピッエーの先っちょが、辛うじて刺さるくらいであった。(夜中は寒いハズであった。)
朝食を取りながら、慌てる事なく、お天気の回復を待った。昼食は、キャンプサイトに戻ってからの段取りとなったが、やはり山頂では、嗜好品がなくては寂しいでしょうし、コーヒーの一杯も飲みたい。その調理品や設営用具は一手に、私が担ぐ事となった。非常食・防寒具などとなれば、昨日担ぎ上げて来たザックの嵩と、そう遜色がないものとなってしまった。
1300mの小ピークから一旦降って、登り返す斜面が、今日の最大の難所となる。私以外はアイゼンを使用し、サクサクの気持ちの良い音を聞きながら、いや、「山ノ神」だけは、そうではなかったようであるが・・・
熊尾山から東笠・西笠山、その後方に白山が白くて大きい。反対側には、鍬崎山の左に、毛勝の山々が、東芦見尾根を台座にして眩しい、大日連峰の間からは、剱岳のてっぺんだけが、青黒く顔を出している。
1500m平では、皆が一瞬 「ワーッ」 と声を上げた。その平らさに、おそらく昨夜から今朝に掛けて、5~10cmくらいの積雪があったと思われ、そこに陽が照り、それこそ別天地の様相を呈していた。口には出さずとも、「テントをここまで担ぎ上げたかった。」 と私には伝わってきた。
なだらか、いや穏やかな山容の鉢伏山であるが、幾つものアップダウンを繰り返さなくては、山頂には達し得ない。ボディブローのように、ジワジワと疲れを感じていくのであろうが、薬師岳を含む見渡す限りの素晴らしき展望に助けられ、不思議と足が進むのである。
山頂に立てば、真正面に薬師岳や北ノ俣岳が鎮座し、笠ケ岳・乗鞍岳・御嶽山など圧巻である。またまた、シェルターを作り、2本のビールを4人で飲み、暖かいコーヒーなど、山頂の味を楽しんだ。後は、写真を撮りまくったのであるが、ただ呆然と、真っ青な空と真っ白な山々のコントラストに、見入っていた人もあった。
帰路は、俄然スノーシューが威力を発揮し、大きな壁以外は、全員ルンルン気分に違いなかった。キャンプサイトに戻れば、ラーメンとお好み焼き(インスタントではない。)に舌鼓をうった。
テントを撤収し、雪庇側のルートを降るに、吉尾氏にザイルを出してもらった。生まれて初めての経験の「山ノ神」は、もうガチガチであったが、終わってしまえばケロリの様子。宮ちゃんと吉尾氏に助けてもらった鉢伏山は、その点でも忘れられない山行の一つになることであろう。
そのピークから、鳥ヶ尾山までは、長い距離なのであるが、「え~っ」と思う程の短時間で着くが、その後は、長い長い道程であったに違いない。
3/16 3年前鉢伏山は、1500m止まりであったから、その雪辱の機会を伺っていた。高温は、杉林の雪解けを早めていたが、高所は、より歩きやすくするとの思惑があった。
出発点を和田川左岸から、右岸に移したのが奏功したのか、15~25kg荷を担いでも、鳥ヶ尾山頂には、予想を遙かに上回る3時間半で到達する事が出来た。(午前10時)
この分では、第1希望の1500m地点まで行けるのではないかと思えたが、1300m付近の雪庇通過に、やはり時間を要した。雪庇に沿って直接登るのも手であったが、やはり「安全・楽しく」 をモットーにした山行であった故に、回り込んでトラバースをする事にした。(下りは、あえて雪庇沿いのルートを選択したが・・・)
これが大変であった。重荷を背負っての急斜面のトラバースで、雪崩痕は硬い。一番弱い「山ノ神」の不安を和らげるためにも、下部を平行にして歩かなければならなかった。それでも、1300mの小ピークに辿り着いたのは、午後0時半前であった。
1500m地点までは、標高差にして、200mだから、目の前に急斜面が立ちはだかっていても、午後2時までには着ける算段となった。しかし、吉尾氏が、突然体調不調を訴えられたのである。「荷を私が取りに戻るから・・」 など、空身・空荷を提案をしたのであるが、歩く自信がないとまで言われては、無理する事はないとなる。
当初の計画では、1500mが第1候補、1300mの小ピーク下(雪庇手前)が第2候補、第3候補は鳥ヶ尾山頂であっただけに、設営地は、雪庇手前に戻る事にした。でも、降るのも難儀だけに、1300mの小ピークで、雪庇に大きく離れて設営する事とした。
結果的には風がなかったのであるが、万が一のためにブロックを高く積み上げた。その作業に2時間以上を掛けたのであるが、途中、飲んだコップ1杯のビールがとても美味しかった。隣接の掘り下げた食事処で、昼夕兼用の食事(宴)となったのであるが、日が暮れる頃から、懸念した雨が落ちてきた。
3/15 ネコ君にも鉢伏山への取り付きの裏技を聞いていたが、山の友は有り難いもので、14日付けのHPを見て下さったのであろうか、金沢の豆ちゃんから、同じような情報を得た。
もっとも、彼は、13日(木)に、同じ鉢伏山に出掛けたらしいから新鮮な情報である。やはり1300mの雪庇が、いやらしいと伝えてくれた。3年前、我々もその辺で、ちょっとばかり手間取った所である。
このところの私は、雪庇に少し神経質になっている。明日は、「山ノ神」も一緒なだけに、余計神経を使わなければなるまい。 p.m.8:00
3/14 今日だけ雨。その他は、晴れマークが連なっている。「信用しても良いのかな!」 肝心な時は、いつもオセロのように、ひっくり返されて来たからである。雪山の雨やミゾレは辛い。それが泊まるとなると、本当に厄介であるから・・・
今度の日・月は4名になりそう。私的には、今年4回目の雪中キャンプである。鳥ヶ尾山頂になるか、それとも、鉢伏山の1500m辺りで、テントを張れるか分からないが、適所を見付ければ何処でも良いと思っている。重荷を担いでの山行であるが故に、雪庇は充分に気を付けたいと思っている。
3/13 3・4月のハレルヤ山行に欠席届を出した。雪中キャンプをするためとはいえ、せっかく、私の休日の第3日曜日に合わせてもらっているのであるから、申し訳なさがいっぱいである。でも、私のわがままを快く受けてもらえ、感謝の念に堪えない。
雪がある時限定のハレルヤ山行故、あれもこれもと指を折れば、もしかしたら、合わせる機会を失ってしまうかもしれない。ハレルヤの大方のメンバーは高岡だから、顔を合わせようと思えば、その限りでないから救われるのであるが、やはり山の中で、一緒が良いに決まっている。
「山に、どっぷり浸かる。」 が、今年のテーマとなって来ている。「何もかもを蹴って、山に掛けているのであるから、これくらいの贅沢は許されていいだろう。」 が私の考え。そのテーマも、何ら自慢の出来るものではない。少しでも長く、少しでも多くだけの事。それに、気のあった仲間が一緒なら、そして、ちょっとお酒があればくらいである。
3/12 確定申告は明日までにしたい。町内会の総会が18日に迫っている。16・17日は、もちろん山に行きたい。所用を掲げれば、まだまだある。それは、日頃の自分の怠慢・いい加減さを綴るだけ・・・
当欄アクセス50万件達成の時、「慌てる事なく、ボチボチやっていけばいい。」 程のつもりであった。無理矢理やれば窮屈だし、ちっとも楽しくもない。「忘れる。」 「同じ事を繰り返す。」 など、おかしな症状が出ているのであるから、何も焦る事などないのにね。
でも、時折、「負けてなるものか!」 「どうしても・・」 などが、発憤材料となり、自分を支えてきているのかもしれない。「歳だ!」 とか、「もうあかん。」 などは、そうなりたくないという事。本当は、もっともっと、元気でいたいのである。 p.m.11:55
3/11 もう、次行く山の話題になる。それは、登る前から、登っている最中にも・・・・ もしかしたら、それが楽しいのかもしれない。コツコツと、だんまり重荷を背負って歩くのもいい。気のあった者同士で、お喋りしながら行くもいい。
最近ふと考えた。大勢が集うのも良いが、一緒に行っただけで、話をする機会もないというのがある。ちょっぴり寂しい。飲む飲まないは別にして、注げるくらいまでの距離を考えると、4~5・6人位の人数が、ベストのような気もする。
隊列を乱さない。気遣いしながら・・・、またされながらも、それくらいが、いいのかもしれないと・・・
3/10 「山ノ神」の "雨降れコール" に見送られ、ワイパーを廻しながら・・・ 待ち合わせの魚津ICでも、登山口の朝日小川ダムでも雨。雪山の雨は一番イヤなのだけれど、「何処でもいいから・・」 「とにかく・・」 など、わけの分からぬ3人で、大地・初雪山へ行く事とした。
「屋根のある近場の山へ・・」 などは、もうその域を脱した感がある。それは、「山へ行って太るのでは・・」 「不完全燃焼!はイヤ・・」 「メタメタになるまで・・」 の思いが、そうさせるのかもしれない。
なれど、一日中雨などは、"一年に一度あるかないか" くらいの確率だと思っている。必ずと言っていいくらいに、止むときもあれば、小降りになったり、視界が開けたりする。その空間は、ホットさせてくれる一瞬でもあり、自分を試してみたり、邪悪を払拭するには、まことしやかな良い機会なのである。
案の定、大降りにはならなかった。雨具の帽子を被ったり脱いだり、一時は初雪山への稜線、また負釣山から朴木山などの山々が、くっきり見えた事もあった。高温予想の割には、あまりゴボらず、意外なほど快適に歩く事が出来たが、やはり、なべ平辺りから雨に雪が混じった。
もしかしたらの希望を胸に秘めながら、午前10時半、大地山頂から初雪山に向けて出発した。その頃から視界が悪くなったものの、遊歩道のようなトレースがあり、これならば、かなりの確率で初雪山を踏む事だ出来るのではないかと思った。
そのトレースは、何でこのような谷側を歩くのかと思うほど、雪庇を嫌うものであったが、下山後の情報によると、そのトレースは、優秀な警備隊の方々を含めた遭対協の方々のものであったようである。
大地山頂付近は、雪であったが、初雪山に向かうにつれて、また雨となり、P1223mを越えたころから、風雨が強まり、それがミゾレ混じりになった。視界ナシのトレース頼りになった時点で、往路の事が心配になり、約束通り協議の結果退却する事となった。(P1247m手前)
私は、今日の雨を予想して、日頃使っていない、娘達が誕生日プレゼントしてくれた雨具を、それに備えた。そのお陰で雨を弾き、衣服への浸透がなく寒さに耐えたのであるが、吉尾氏やねぎちゃんは、結構しんどかったようである。
大地に逃げ帰り、一週間前使用した第1サティアンに、タープを張って潜り込んだ。(反対側に、遭対協の方々が掘った大きな雪洞があった事を、シュンちゃんに、後から知らされた。) 山頂付近だけは、結構降って積もったが、タープの中は快適であった。吉尾氏は、ずぶ濡れ状態であったし、ねぎちゃんが、防寒の為に着込んだダウンジャケットが、濡れて重くなったなどと言っていた。
3人で、大笑いをして過ごした大地山頂を発ったのが、午後3時20分、相ノ又トンネルに2時間で到着し、「明るい内に車に乗れたね!」 と朝日小川ダムを後にした。雨の中の山行、しかも雪の山であった。「行くべきでない。」 が常套であったが、今日は、口には言えぬ幾つかの事が勉強になった。
そして、また想い出が一つ増えた。
3/9 明日は3人。どうなる事やら・・・
3/8 会合から帰ったら、10日(月)に、いつの間にか、「傘マーク」 が付いている。「う~ん」 と唸らなければならない。
年初から、ず~っと、良い方に傾いていたお天気であったから、いつかはこうなると思っていた。何でも帳尻というものがあって、良い事、悪い事ばかりではないはず・・
今日も、明日も、大地・初雪山に多くの方々が、足を向けているであろう。好天・高温であろうから、ズタズタという表現が合わないかもしれないが、「傷付いた山」 が想像される。その上、雨にガス、そして、展望無しでは寂しすぎる。でも、行ってみなければ分からない。お天気の崩れが遅くなる事を、また、ずれる事を願いながら、明日の予報を待つしかない。
3/7 あんまり当てには出来ないが、明日から「晴れマーク」、または、「一時的に晴れ」、「時々晴れ」の予報が続いている。ちょっと気になるのは、気温が高くなる事か・・・
10日は、「山ノ神」が、所用で不参加である。この機会を逃すわけにはいくまい。行きたい所が沢山ある。先般、行きそびれた初雪山。大倉山もいい。まだあるが、次週の連休に取っておこう。 p.m.6:35
3/6 ここに来て、諸会合・諸手続き・資料の作成など、まるでわやわやだ。そうなる事が、分かっていたのであるが、先送りにする怠慢が、日々を苦しめている。そこへ持って来て、縁戚の不幸が重なり、身動きが苦しい。それでも、「山優先」なのであるから、自分ながら、可笑しくて仕方がない。
一昨年5月に娘の結婚式で上京しなければならなく、やむを得ずの「山行欠席」以来、ずっと全休日山行が継続中である。何の自慢でもないが、途切れる事の不安の方が大きい。「途切れるという事は・・」 である。
「そんなにしてまで・・」 我々が、口ずさんだ青春歌謡 「若者たち」 ではないが、何かを求めている事は確か。それは、記録的なものばかりではないはず・・・
3/5 大地・初雪山行(結果的には、大地だけ)は、結果的には雨がなかった。しかし、直前の寒波や当日の気温上昇が、頭にあったとは言え、登高中の降雪に、どことなく、注意が散漫になっていたのかもしれない。また、クラストした斜面に新雪があり、パーティーとしての滑落の危険ばかりに、気がそがれていたのかもしれない。
そこで起きた雪庇の踏み抜きは、やはり未熟者としか言いようがない。これが私でなく、メンバーの誰かだと思うと、ぞっとしてしまう。「ならば、単独行が良いのか?」 「有事を思えば、パーティーが良いのか?」 そんな事は分からない。どちらにしても、慎重にやるしかない。
ちょっと抜けているが、どちらかと言えば、私は慎重派。「有事に備えて余計に荷が多くなる。」 しかし、「軽量にすれば、行程時間が短くなり、リスクが少なくなる。」 と考える人達もいる。
「う~ん、でも、ちょっとの為(危険)にも、備えあれば・・」 が懸命な気がするが、超人・達人達は、それを危険(リスク)と考えないのかもしれない。
3/4 山頂から初雪山寄りの降った所で設営する事になったが、視界がないというのは恐ろしいもので、結果的には、やや右側にずれていた。三つのテントを張るのに雪堀が始まったが、ブロックを造るのに、「橋ちゃん」持参のスノーソーが威力を発揮した。その斜面は、深く掘ると枝木が出て雪洞には適さなかったが、城壁のように高く積んだブロックは、素晴らしい風除けとなった。
「シュンちゃん」のメガミットが、宴会場となったのであるが、重荷を担いで歩いた事や、設営に労力を掛けた事などの適当な疲労と、何よりも山頂泊の快感がより雰囲気を盛り上げ、飲み過ぎになるまで飲んでしまった。私自身は、マットとシュラフを新調したため快適に眠りに付けた。
「5時半ですよ!」 と「シュンちゃん」が、起こしに来てくれるまで、目を覚ます事がなかったが、もしかして、家主の「橋ちゃん」に、迷惑を掛けなかったかと、一寸心配。
目が覚めても、視界が悪く、朝食中も1223mの三角点、もしくは、1247mの標高点辺りまでが、見え隠れするだけで、昨日の雪庇の踏み抜き、昨夜の降雪、視界が悪いなどを考慮し、合議で初雪山登頂を断念するに至った。
そうなると、不思議なもので、初雪山の全景が見えてきたのである。「行きたい。」 「行きたかった。」 を噛み殺すように、「また来るよ。」 と思ったのは私だけではあるまい。 しかし、そのお天気も長続きせず、荷を担いで山頂に立てば、全く視界無しに雪も降り出した。
「行かなくて良かった。」 「正解だった。」 と山頂から降るが、やはり、雪庇と滑落に注意しながらとなる。途中760m付近で1時間ほどの昼食を入れても、4時間余で小川ダムに着いたが、今回は、私にとって、忘れられない山行となるのは確実である。
帰路、昨年末の12/17から会っていなかった「好山病・・」の重鎮「北ちゃん」の店に寄った。彼の顔を見て、何故かホットした。また、お店に飾ってある「ねぎちゃん」の素晴らしい山岳写真を見て、また癒された気がした。
3/3 「とうとう、やってしまった。」 なべ平(標高980m=これから、我々はそう呼ぶ)から、大地山頂へ向かう途中、私が雪庇を踏み抜いてしまった。大鷲山で「橋ちゃん」が落ち、また一週間前は崩落から逃れられたが、注意しなければと思っていた矢先であった。
雪が降り靄っていたが、それ程見通しが悪いわけでもなかった。しかし、真っ白な世界は、凹凸がよく分からなく、時々、から足を踏む状態であった。一週間前より雪量は多く、、雪庇の形が変わっていた事は分かっていた。後続に、先(雪庇)の状態が分からないから、「誘導を頼む!」 と声掛けをしていた。
橋ちゃんが、「元さん、ちょっと寄り過ぎだ!(雪庇側)」 だと言った。私としては、かなり、庇から、離れていて大丈夫だと思っていたが、ならばと、左へ(反対側)に進路変更した途端、地割れというのであろうか、目の前が割れ、そのままスト~ンであった。
「元さんが消えた。」eiko女史談、「山ノ神」が駆け寄ったとも後から聞いた。幅1・5m長さ8m位が落ちたのではないかと、「シュンちゃん」が後から言った。25~26kgの荷を担いでいたが、幸運にも5~6m落ちたが、立っておれたのである。
崩落した雪塊と、一緒に転げ落ちていたらと思うと、ぞっとした。落ちた時は、まるでスローモーシュンで、雪が割れ、すーっと落ちた。そして、立っておれたのだから不思議である。シュンちゃんが、庇を削って、ストック・荷を引っ張り上げてくれ、私の身体も、それに続いて引き上げてくれた。
その後は、慎重過ぎるくらいに歩いた。平らな山頂は、雪が吹き付け、視界を閉ざしてしまっていた。3/1~3/2に造られた長勢・岩城君の雪洞は、何処か何か分からないくらいに、新たな雪に消されてしまっていた。
3/2 明日は、大好きな大地・初雪山に行く。と言ってもお天気予報は良くない。雨や雪、或いは、ガスに阻まれて、思うようにいかないかもしれない。それはそれで、山好き同士で、雪洞、または、テントの中で、飽きるまで山談義をするも良い。一緒出来なかった山仲間の話題も良い。「良いとこ語りで、悪さは決して言わない。」 我々のルール・マナーである。
私的には、2週続けての大地、10回を目指したい初雪山であるが(まだ7回)、どのようになるのかわからない。 p.m.5:10
3/1 明後日からの初雪山行を気にしながら、友人の母様の葬儀と七日法要を勤めた。確認の為、「シュンちゃん」に電話を掛けたら、何と今日、私の知らぬ妖怪達と大地へ出掛けて来たという。しかも、横殴りの雪に、復路はトレースを消されてしまったとか。また、ネコ君とイヌ君が追い越していったとか・・
私の周囲にも、「馬鹿たれ」共が、たくさんいるものだ。明後日も、無類の「馬鹿たれ」 同士で、冬の山を楽しみたいと思っている。