8/31 実は最近、私も相当の重度の「好山病」 にかかっていまして・・・。次の仕事を早く探さないといけないのですが、それをそっちのけで、山に心を奪われてしまって困っています・・・。そのようなことなので、是非「好山病友の会岡山支部第一号」 にして頂けると嬉しいです!!

 今月上旬、蝶ヶ岳~常念岳間で、お会いした杉原女史からのお便りである。審査を受けに来富の意向もあるとの事。これは重大事である。第一審査はパスなのであるが、早速臨時総会を招集して評定?しなければならなくなった・・・



8/30 「来るべき実りの秋に備えて英気を養う夕べの宴」 「山・大いに語る」 が、予定通り 「シゲキ・伸子邸」 で行われた。ハレルヤのメンバーが中心の集いでありながら、お手伝いをしないばかりか、迷惑を掛けての参加となったが、とても楽しい宴であった。

 美味しいものを食べ、酒に酔い、好きな事(山の話)を語れるとは、こんなパッピーな事はない。また、顔見知りとはいえ、予期せぬゲストの方々の再会も、楽しさを倍増させてもらった感じであった。

 16名の顔を想い出しながら、「こんなに楽しくて良いのか?」 ・・・ 「自分には不釣り合いだ。」 などと思ってしまう。嬉しければ嬉しい程、楽しければ楽しい程、しっぺ返しというのであろうか、その反動を恐れるのであろう。

 また、芸のない私は、大所帯では、間を持たせる事がヘタクソである。人恋しいくせに、それとは裏腹に、ちょっとセンチになって、夕陽や星を眺めている程度が似合うのかもしれない。安い酒と、豆腐や納豆があれば、それで充分。月見草があれば・・・ 私は、そんな講釈ではない。



8/29 2~3日前から、「思い切って飯豊山を日帰りするか?」 と山ノ神に問いかけても、何が何だか分からないのか、あまりよい返事がない。もっとも、登山口に前夜の内に入り、早朝発の日帰りとなる。行ける所までテントを担いで行く案も、考えないでもないが、果たして、どちらが楽かになる。

 日帰りになると、欲張りになり、二王子岳でも登ってから、登山口に入ろうかとなる。「欲張り」 と 「遠くへ行きたい。」 の妥協点を見付け出す間もないうちに、全国各地の豪雨のニュースが、頻繁に報道されて来て、士気が落ちてしまった。
 それと同時に、「余裕もないのに・・」 が、脳裏を過ぎり、「近間でも良いのでは ・・・」 が浮上してきた。どちらにしても、またギリギリまで縺れ込みそうである。



8/28 ムコ殿の実家から電話を受けた。来年の7月の連休(海の日)予約である。今春も同連休に誘われたのであるが、思わず「その日は、剱岳へ・・・」 と言ってしまったのであった。私の山好きを察知した親戚の方(ムコ殿の叔父様)が、伊奈方面で一杯やりながら、トレッキングを企画されていたようであるが、それを、「私が断った。」 と娘に叱られてしまった。娘のために、何事も「YES」 でなければいけなかったのであろうが、見境がつかずの失態となったのである。

 一年も前から予約しなければならない人気の所なのであろうか、テント、もしくは、山小屋でしか泊まった事のない私であるから戸惑ってしまう。「YES」 の返事をしても、大方は差ほど山好きの方々とは思えない。「山を切り離して・・」 と言えば良いのか それとも、好条件の高原などを散策して、山へ引き込めば良いのか、嫁の親としては、どう対処すれば良いのであろう・・

 本当は、「一年中山なのです。」 「その日は、大事な山行の日(時期)なのです。」 と、もう言ってられない歳なのかもしれない。



8/27 「はじめまして?富山県のホームページで、たぶん本間さんのホームページではと思いメールを 差し上げました。私18日に白神山地の白神岳でお会いした中原と申します。コーヒー有り難う御座いました大変美味しかったったです。私たちは、サンタランドに宿泊し翌日十二湖を探索し、家内の里の秋田の大曲市で墓参りなどし、横浜に帰還いたしました。これからは、時々本間さんのホームページをのぞかせていただきます。又宜敷お願い致します。」

 上記のメールは、東北遠征・白神岳でお会いした横浜の中原夫妻から、3日前に頂いたものである。我々の先に、山頂で立っておられた中原夫妻と、僅かな時間であったけれど、好感を持ってお話し出来、お互いの食べ物を交換しあったが、道中は別々、先に登山口に戻った我々が、コーヒーを勧めたくらいであった。

 自転車の大学生・平田君と、ちょっとした事から、アドレスの交換になったものの、中原夫妻とは、HPやメールの話には及ばなかった。「どのような事で、またお会い出来るか分からないから・・」 と、お互い名乗り合い握手をして、別れただけなのに・・・

 おそらく、キーワードは、「富山」・「本間」・「山」 ぐらいのもの。もしかしたら、平田君と話していた時、「げんさん」 が、小耳にでも挟まれたかもしれない。例えそうであっても、「元」 という文字を、思い浮かばれるであろうか・・・よくぞ、私のHPに辿り着いて頂けたものだと感心している。

 また、私のメールアドレスは、迷惑メール対策として、一ヶ所にしか載せていない。それも、直接リンクしないようになっているので、「宝探し」 のようではなかったかと推測される。これも何かの縁。縁とは不思議なもの。もしかしたら、私の大事な「山の友」 となって頂けるかもしれない。



8/26 シュンちゃんと筏井氏から、BBQのお誘いを受けた。夏山一段落で、「山おおいに語る。」 が趣旨らしい。時は週末、会場は昨年同様シゲキ・伸子邸でお世話になる。

 どちらかというと、私は宴会が苦手! 元々、ハレルヤの方々は、巧舌・弁舌に教養が高く、私の入る隙間がない。山中なら何とかなるが、下界では、「面白くない男」 の様が、「芸のなさ」 と相なり、肩身の狭い思いとなる。

 只でさえ、何度も同じ事を言って、顰蹙を買っているのに、飲めば尚更のように繰り返す。しかし、同窓会と趣味の会は、それを許される。好きな事や嬉しい事、そして、褒め合ってさえおれば、お互い気分が良い。(貶しや、自慢のし過ぎは禁物である。)

 昨年は、9/7に行われたのであるが、その前日に招待を受けた。その時、我が家は冷戦の真っ最中であった。「行く。」 「行かない。」 を含めて、その事が、同欄に綴られていた。それを見て、苦笑しておられるのであるから、その催しに感謝しなければいけないのかもしれない。かといって、「破局」 が、縁遠いものとなったとは言い切れない。「地雷」は、その辺に、まだ多く埋められているかもしれない。



8/25 迷った挙げ句の行く先は、「我が家の雨の山」 に羅列されている白山になった。”通行止になるような雨でなければ、まだお花が楽しまれる。” のがその理由。牛岳へ行くには37キロ、中山までは60キロならば、もっと多く歩けて、山自体高い白山に軍配が上がり、登山口までは100キロ余である。

 そんな事があって、最近、白山へ登る回数が多い。断然、岐阜側の平瀬道になるのであるが、今回は、走行距離が少し多くなるが、別当出合から観光新道・砂防新道の周遊とした。白峰へのアクセスは、山側環状線を利用すると便利になったように思っていたが、最近、8号線が、小矢部から金沢へ直接抜けるようになって、それを経由すれば、どちらとも言えないような気もする。

 車運転中は、ずーっと小雨が降り、先行きに不安を感じていたのであるが、歩き出すと共に、雨が止み、青空が覗き始めたから不思議である。どんどん高度を上げると、雲上の人となるかと思ったのであるが、室堂到着頃から、再び小雨が降り出し、展望を楽しむ事が出来なかった。

 しかし、今年は残雪が遅くまであった所為か、お花は、まだまだ楽しめた感があった。マツムシソウが良かった。山ノ神が、お気に入りのトリカブトも鮮やかであった。ぽつりと、時期遅れのニッコウキスゲまで咲いていた。いつも、室堂で止めてしまう山ノ神であるが、今回は、勢いが付いていたからなのであろうか、雨具を着込んで山頂を共にする事になった。

 下山路の砂防新道では、5~6パーティー35人の大学生とすれ違った。室堂で宿泊するのであろうが、登山スタイルとは言い難かった。しかし、若い人達は、実に快活で清々しい。このような機会を生かされて、この先も、山を愛して欲しいと願った。白山は、中高年に人気の山でもある。今回も、大勢の方々と、追い越したりすれ違ったしたが、親子連れ、若いカップルなど、意外と若い方々が多かったように思えた。



8/24 この頃のお天気は、本当にどうなっているのであろうか? 予報も「所によっては・・」 の言い方をする。これでは判断材料には乏しい。では、「明日は、どうしようか・・・」 確実にお天気なら、日頃ご無沙汰している方に、声を掛けたいのであるが、定まらぬお天気と、前日の誘いに、戸惑われるのが目に見えて、とてもそんな気になれない。



8/23 HPを長くやっていると、乗る乗らないの浮き沈みがある。また、始めた頃の勢いが懐かしくもなる。そして、若くてエネルギッシュなHPや、老練さが滲み出るHPに見入る事もある。最近は、ブログなるものが多く登場し、その勢いは凄い。

 HPもブログも、見てもらう事を前提としているのであるが、その綴り方はいろいろで、それが個性というものであろう。見ている方のための言葉遣い(文章)が良いと思い、何度か試みたのであるが、慣れぬやり方では文章にならず、元通り自分の山日記として綴る事にしている。

 私が読む側に回れば、おかしな文章、生意気になるのであろうが、今更スタイルを変えるわけにもいかない。これも長い道程であって、たまればたまる程、味が出て来るような気もする。もしかしたら、それが、財産?となるかもしれない。(勝手な思い込み)

 そして、過日の自分を振り返ると、可笑しくなる時もあるが、歳を重ねた所為であろうか、ホロッと来る事もある。でもこれからは、HP作りに振り回されるのではなく、それこそ、ゆっくり焦らず、楽しみになるよう心掛けたいと思っている。



8/22 東北遠征の帰路、百名山の話になり、東北で残っているのは、飯豊山と朝日岳(朝日本岳)の2座であるとなったが、それでは、後2回(2年)東北遠征をしなければならない事になる。二百名山の以東岳や森吉山、三百名山の一切経山、そして、新潟にも数多くの興味のある山々があるから、まだ、一年に一回は、「北へ・・」 という事になるであろう。

 ゆっくりのんびりを忘れなければ、まだまだいろいろな山に登る事が出来るような気がする。何も名山に拘る事はないのであるが、遠くの山は、どうしても名山となりそうである。百名山・二百名山・・に登れる事に越した事はないが、その人その人の事情があり、そう簡単にはいかない。

 私は私なりに、三百の名山の半分を目指している。とりあえず、半分である。何事も半分を超えれば、おおよそが分かって来るからである。そして、その山頂には、それなりの喜びがあり、新たな山にも、また、新しい喜びを発見出来るような気がするからでもある。

 拘り過ぎるのもどうかと思うし、極端に嫌うのも可笑しいと思う。時間があれば、より数多くの山に登りたい気持ちは必然的であろう。いろいろな名山があり、それを目標とするのも面白いと思う。しかし、価値観は、人それぞれで強要する事もない。

 只、多くの山を登っておれば、話は、より長く多く続くものである。私は、まだ141座。限られた山歩きしか出来ない現在、それも、一つの目標(生き甲斐)とするのであるが、しかし、 そうそう遠出は出来ないのである。



8/21 ちょっとばかり朝夕が涼しくなり、過ごしやすくなったように感じるのは、私だけでもあるまい。しかし、ここへ来て 「だるさ、疲れ!」 を感じるようになった。昨夜の私のバースデーでも、あまり多く飲んだり食べたり出来なかった。二人だけで、特別のご馳走がなかったなどはあまり関係がない。

 今朝の目覚めも良くなかった。何処か悪いのであろうか・・でも、私の頭には、次行く山歩きしかない。「今度は、何処へ・・」 「その次の連休は?」 となる。差し詰め「山歩き」や「山の事」 などが薬で、行かなかったら確実に身体が悪くなる。 p.m.11:40



8/20 「お誕生日おめでとう。61歳おめでとうございます。年齢を理由に可能性を狭める事は、とても、もったいない事だと思いますが、たまには、年齢を想い出して、無茶していないかどうか、チェックしてください。飲み過ぎも注意です。」

 東京の娘からのバースデーメッセージである。そして、次のような文章が付け加えてあった。「山道具が一番喜んでもらえたのでしょうが、様々な事情により、違ったものにしてみました。どうでしょうか。」 と、ソーラー電波時計が贈られてきた。

 「凄い物が届きました。大事にします。これから、毎日、身から離さず持ち歩きます。本当に有り難うございました。」 と、嬉しさのあまり、すぐ返事を出した。私にしてみれば、腕時計も、山歩きの必須アイテムである。

 「いつまでも一緒に山に行きましょう。」 や、「無事に山三昧の1年を過ごせたこと、 そして、また、新たなる1年へ向けて、充実した日々を・・」 は、山仲間の淑女達から・・ 中には、「もしかして、今日は、お誕生日?」 などというものもあったが、よく、私の誕生日を覚えていてくれたものだ。

 音無の息子達からも、メールや電話があった。来高した事のある長男の友人達からも、お祝いコールやメッセージが届いたが、あまり帰省しないだけに、ちょっとばかり心配もある。2~3年間行方不明になっていて、最近、居場所が分かった二男からもコールが届いたが、誰かに催促されたのか、それとも、年老いて行く親の事を感じたのか分からないが、少しは胸を撫で下ろした。



8/19 それしても、日本海側を走る帰路は長かった。650キロである。休まないで、時速100キロで走っても、六時間半を要するのであるから、実に長かったし遠かった。高速は新潟県中条町まで無い。下道を100キロ通して走れる訳がないし、休憩もしなければならないし、給油や食事もしなければならない。

 ハプニングもあった。能代を過ぎた頃であろうか、101号線から7号線に入ったのであるが、いつの間にか有料道路に導かれてしまった。パーキングもなければ、ETCカードも挿入していない。ICでないから、停車も出来ない。料金所を過ぎてからICがあって、慌てて降りた。後から気付いたのであるが、折角乗ったのであるから、もう少し先まで行っても良かったような感じであった。

 秋田や山形の高速道路は、太平洋側にしか延びていないのであるが、それが必ずしも横断だけでなく、縦断になっているところもあるから、古い地図しかもたない私達の弱点となってしまった。また、夜になっての海岸線を走るトラックに、後から煽られるのには山ノ神は嫌がっていた。

 途中何度も停車し、また、何度も運転を交代し、高岡の自宅に着いたのが、午前3時であった。すぐにお風呂に入って床に着いたのが午前4時。仕事の準備やHPの事も気になり起床が6時では、一日中眠たかった。走行距離が1,800キロと、よくも走ったものである。



8/18 午前4時半起床。薄暗い中、朝食の準備。朝日で山が赤くなる様を見ながら、白神岳登山口に向かう。最近最寄りの駅を「陸奥黒崎」から、「白神岳登山口」に改名したらしい。それこそ、海抜0m(日本海)から、白神山地の入り口・白神岳1235mのロマンを売り出しているのかもしれない。

 私達は、101号線(駅も国道も、標高12~15mくらい。)から、立派な小屋がある登山口広場(標高190m)まで車を入れた。その先の旧駐車場までは、舗装された道で、登山届を出す記帳所があった。

 登山口(記帳所)から、山頂までの距離は6・5キロ、標高差1000m余、コースタイムは4時間。東北遠征最終日、そして、4座目であるから、山ノ神の疲れが心配であったが、二股分岐までは、高度をあまり稼せがない山ノ神得意のところだったからかもしれないが、順調そのものであった。二股から蟶山分岐までは、さすが、ブナの宝庫だからであろうか、水場が4カ所もあり、その水で喉を潤す時間を費やしても、コースタイム以内であった。

 蟶山分岐から、山頂までは、標高差400m余、距離にして3・2キロ、コースタイムが2時間が示すように、小さなアップダウンを何度も繰り返す長い行程である。大峰分岐までの最後の登りでは、とうとう山ノ神の足が止まってしまった。「がんばれ!」 「もう少し」 など、どのような言葉を掛けてもむくれていた。

 黙って、山ノ神の足が動くのを待つ事にした。ここまで来て、「あんただけ、行って来られ・・」 と、二百名山の山頂を踏まない訳がなかろうと思ったからである。何とか大峰分岐に辿り着いてから先は、なだらかな尾根になる。山頂の標識らしき物が目に入ってからは、元気を取り戻した感じであった。

 山頂には、4人の方がおられた。山頂の標識のある所は、三角点のある所で、最高点は、先に通過してきた所にある。その差は、3・1mで、最高点には、石仏のような物があるだけで、待機するような広さもなく、その事を知らなければ、見落としてしまいそうでもある。白神岳山頂の奥が白神山地のコアであるそうな・・・山頂から眺めれば奥深い山の印象が大。

 山頂では、横浜から来られた中原夫妻、後からやって来た大学生の平田君、地元の紳士と僅かな時間であったけれど、白神の事、自転車で東京からやって来た平田君の事で、盛り上がっていた。その平田君、北海道の宗谷岬まで行くと言っていた。

 後は、降るだけ、途中、白神の水を3L担いで降りた。山ノ神の足も何ともなかったようである。登山口駐車場に戻って、担いできた水でコーヒーを沸かし、中原夫妻と平田君にも、もてなしたら大喜びであった。大学生の平田君とアドレスを交換して、登山口を出発したのが、午後2時55分。長い長い高岡への帰路の始まりであった。



8/17 午前3時半起床。食事を済ませ、十和田湖畔の宇樽部を4時55分に発ち、奥入瀬を通り酸ヶ湯に向かった。酸ヶ湯には、大きな駐車場と400m離れた所にキャンプ場があったが、土地勘がなく、眠気アリでは、昨夜の内に来る事はとても出来なかった。(メーターは、既に973キロを表示していた。)

 3泊4日の行程を2泊3日にして、当初の予定の4座を登ろうとするのであるから、今日の内に、八甲田山と岩木山の2座に登り、尚かつ、白神岳登山口に、より近くの所まで移動しなければならない。

 そうなると、八甲田山も酸ヶ湯から仙人岱を経由し、最高峰の大岳に達するのであるが、それをピストンとなる。でも、欲張りな私達は、下山ルートを毛無岱の湿原ルートを取る事に山頂で決めた。結果的には、広大な湿原の様に見入り、八甲田の一部ではあるが、雄大な山容を望む形になった。

 もっと、ゆっくりしたかったと、後ろ髪を引かれる思いもあったが、正午前、1、000人風呂で有名な酸ヶ湯に入らず、黒石・弘前を経由して、津軽岩木スカイラインに向かった。本来なら、岩木神社のある百沢地区から入山する予定であったが、時間が足らない事から有料道路を利用する事にした。

 津軽岩木スカイラインは、午後5時でゲートが閉まる事もあり、俊敏に行動しなければならない。69のカーブをこなして、山頂駐車場に着いたのが午後1時50分である。その上に、リフトがあったが、些か後ろめたく、笹の繁った狭い登山道を歩いた。

 リフトの合流点から、山頂まではゴロゴロした岩の山。お花もなく、ガスに覆われていたからであろうか、何の変哲もない山にしか思えなかった。只、青森県最高峰であり、百名山、そして、スカイラインやリフトを使えば、30分程で山頂に立てるのが、人気なのかもしれない。

 この先、一気に日本海側の深浦町岩崎を目指した。鯵ヶ沢町・松代で山道を模索したが、結局は途中通行止に出合い引き返す羽目になり、素直に日本海に抜けた。しかし、101号線を行けども行けでも、コンビニや食料品店がない。夕食と明日・白神岳に登る食料がいるから少々焦った。夕陽海岸・千畳敷・渚100選などで有名な大間越街道(能代道)は、五葉線と相俟って、沈み行く夕陽が素晴らしかった。

 やっとの事で、小さなマックスバリューを見付けた時はホッとした。沈んでしまったが、今度は海面に照らされる月を見ながら、冷たいビールにありつけた。蚊取り線香を付けて、テントの中に入ったが、昨夜と比べて、シュラフなどいらないくらいに暑かった。(この時点の走行距離1、140キロ)

 

8/16 一度、中止にした計画を、復帰するには相当のエネルギーがいる。三千坊山の帰路、「やっぱり、行くか?」 となった。あまり気乗りがしていなかった私だけに、下準備など何もしていなかった。最寄りのICや山の状況など調べなくてはならないし、ましてや、3泊4日を2泊3日にするのであるから、果たしてとなる。カーナビなし、古い地図だけ、基本的には宿に泊まらない。(車は狭くて寝られない。)

 おおよその見当を付け、後は、行ってみてからの勝負だと、自宅を出発したのが、午後8時15分であった。魚津ICから高速に乗り、蓮台寺(糸魚川)まで、山ノ神が運転。ノルマを達成したかのように、その後は寝込んでしまった。黒崎SA(新潟)では、日付が変わったが、磐越道は空いており、割と楽な運転となる。

 東北道に入ってからは、さすがに睡魔には適わず、山ノ神を起こした。「眠くなったら代わる。」 を何度も繰り返し、予定より1時間程遅れて、紫波IC(盛岡南ICの手前)に着く。おかしな道路標識と古い地図に惑わされ、ちょっと時間をロスしたが、土地の人の親切に助けられ、登山口の河原の坊に辿り着く事が出来た。

 シーズン中の土日は交通規制で、ここまで車を入れる事が出来ないらしいが、その点ではラッキー、しかし、花の早池峰山の良さが、どこまであるかが、心配なところであった。

 河原の坊から、コメガモリ沢沿いに正面コース行き、下山路は小田越に降り、自動車道を歩き、河原の坊に戻るものであるが、早池峰山の上部は、岩がゴロゴロして、山ノ神の苦手なコースである。しかし、ナンブトウウチソウやミネウスユキソウが現れ、その中に、ハヤチネウスユキソウを見付けた時は、満面の笑みを浮かべていた。

 昨夜から殆ど寝ず730キロ余走り、尚かつ、山に登って来たのであるから、目はチョロチョロである。でも、次の目的地まで行かなければならず、野菜(トマト・キュウリなど)・ビール・氷を買い、盛岡南ICから100キロ内(通勤時間帯割引)の十和田ICに向かった。

 八甲田山には、もっと近いICがあるのだが、料金を考えたのと、十和田湖も見たかった事もある。十和田湖畔に着いたのは、最早夕暮れであり、キャンプ地を確保しなければならない状況になっていたが、なかなか思うような所を見付けられなかった。暗くなって、ようやく有料のキャンプ場を見付け、申し込みをしている最中に、バンガロー・ケビン・コテージもあるという。設備はイマイチであったが、安い料金であったので、ケビンに泊まる事にした。冷たいビールよりも、早く寝床が欲しいのが本音だったかもしれない。



8/15 昨夜発の東北遠征は止めたが、この予報では、北アの真ん中にも行くのがイヤになった。かといって、4日間も一人で出掛けようものなら、きっと家に入れてもらえなくなる。その内、雨が強くなり、出鼻を挫かれてしまう。雨が上がったら、もしくは、雨が弱くなったら、近くの低山に出掛ける事にしたが、なかなかその候補があがらなかった。

 機運も上がらないのに、「雨の中、高いガソリンを使ってまで・・」 となる。そこで思い付いたのが高岡にある三千坊山である。(地図には、三千防山となっているが、地元の方々は三千坊山としている。)

 三千坊山は、地元の山なのに、私は15年前に一度だけしか登った事がなく、ちょっと後ろめたい気持ちがあった。標高が、僅か264mであるが、百の山頂に百の喜びがあるが如き、この機会に、ちょっとだけでも、その味を得たいと、雨が上がりの むーっとする中、山ノ神と出掛けたのである。

 水道公園(つつじ公園)から、登れるような気がして出掛けたのであるが、案内図がなかったので、一般的なルートの不燃焼物処理場を経由して、炭焼き場から登り始めた。その場所の立て看板にあるコースを辿ったのであるが、頂上展望台から先を歩くと、「つつじ公園への標識」 があり、「行けるんだ!」 「来られるんだ!」 という事がわかった。

 私達の歩いたのは、50分ぐらいの遊歩道であったが、保勝会の方々の手入れされている様子が所々に感じた。でも、暑さと蜘蛛の巣、そして、目に入る小さな虫には、閉口してしまった。やはり適期は、晩秋なのであろうか? 

 その保勝会なるや富山県には、大蓮華保勝会・五箇山保勝会と、三千坊保勝会の三つしかないそうである。まだお会いした事がないが、「福岡の徹ちゃん」(高岡の福岡の徹ちゃん) も会員である。 p.m.4:00


 一日遅れたが、今晩から、急遽、東北遠征に出掛ける事になった。雨が降るか降らないか分からないが、行ってみる事にした。山ノ神は、しめしめのようであるが、ケチケチ旅は、どのようなハプニングが起こるか分からない。 p.m.7:50



8/14 凄い雨と、これからの予報に、まずは、今夜発のプランをボツにした。そして、明日からの事も分からない。とにかく、ゴロゴロと局地的な雨には適わない。しかし、4日間低山日帰りだけは避けたいところ・・・

 蝶ヶ岳~常念岳間でお遭いした岡山の杉原女史からメールが届いた。(携帯から・・・) 女性らしい可愛いメール内容であったが、PCは、あまりやらないと言っておられた割には、私のHPを見ても、すぐリンクしないアドレスを、探し当てられてのメールだけに、嬉しさが倍増であった。そして、橋ちゃんと、朝日岳を大いに宣伝した甲斐があってか、「近いうちに登りに来たい。」 とあった。

 「袖触れ合うも多生の縁」 なのであろうが、今回は、一人旅の杉原女史が、「喋りたかった!」 と言われたように 「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」 の方が似合っているかもしれない。もしかして、本当に「好山病・・岡山支部」 が出来たりして・・



8/13 富山の池田氏から山行報告を頂いた。トレーニングと称して、折立から北ノ俣岳を往復されたそうであるが、「折立~2:50~太郎小屋~1:30~北ノ俣~1:00~太郎小屋~1:50~折立」 の記録に、謙って 「好山病患者の人たちの3~5割増し位?」 と付け加えてあった。

 「なんじゃ、こりゃ!」 「私より、断然速いではないか?」 最近の私は、ゆっくり焦らずを心掛けているのに、悪い虫を呼び起こされそうである。池田氏は、確か私より5~6つ年上の方(でも、正確ではないかも・・)であるが、穏和な口調ながら、所々に、往年の幾多の経験を知らされる事がある。そして、我々夫婦を、遠くから、こよなく見守って下さるステキな紳士でもある。

 そんな、池田氏との山行は、年末の 「同窓会的山行」 を含めても、年に1~2回程度である。物凄くステキな奥様共々、ご一緒の機会を伺うのであるが、私の現在の山行スタイル(行き先が直前まで決まらない。てっぺんに登りたがる。)では、偶然が伴わなければ、なかなかそのような事は適わないかもしれない。



8/12 盆休のお天気が怪しくなってきた。その事があって、尚更行き先が決まらない。遠出・長期の山行となれば、明日がタイムリミット。

 依然、エアコンも扇風機もない部屋で寝ている。「汗タラタラ」 の所為で、寝不足が続き、疲れが取れないような気もするから、変な拘りである。日中は、エアコンの中、夕食時から、翌朝までは、高温の中なのであるが、一年一年衰えていく身体なのだから、適温の中で、暮らした方が良いのであろうか?

 最早、「鍛える。」 「抵抗」 「修行」の域ではないのかもしれない。その証拠に、夜PCの前に座れば、ウトウトとしてしまう日が続いている。暑さや、アルコールだけの所為ではあるまい。



8/11 eiko女史の 「あまり長くない所。」 の要望を取り入れ、焼岳行きとなった。そのまま彼女が幹事となる。神通第2ダム午前5時集合は、「ちょっと、早くない?」 と思ったが、百名山登山口の駐車の事を考えれば、正しく正解であった。

 「早く歩けないかも・・」 「ついて行けないかも・・」 を加味して、ゆっくり、また、充分休息をとってであったが、結果的には3時間で山頂に辿り着いてしまった。山頂到着が9時45分であったが、早めの昼食となる。笠ヶ岳、槍・穂高岳、霞沢岳を眺めながら、また、上高地を見下ろしながら、どっぷり山頂の味に浸った。

 「歩くより山頂滞在が長いのでは・・」 に、ちょっと顔を見合わせ、午後0時15分山頂を後にした。途中、いろいろな話をしながら歩いていても、2時間で登山口に辿り着けば、「えっ~、まだ、こんな時間?」 となる。

 お目当ての平湯で、汗を流すハズであったが、避暑シーズンだからか、夏休みだからであろうか、平湯は混雑していた。仕方なし、中尾・新穂高方面に車を走らせたが、意中の湯が探し切れず、ちょっと高め(料金)の湯に入らなければならなくなった。でも、湯に浸かると、すっきりした感じになる。冷たい飲み物を飲めば(アルコールではありません。)、こんな贅沢な事はない。

 集合場所の神通第2ダムに、まきちゃんのお出向かいあり。スイカに冷たい飲み物のサービス付き。さすがのまきちゃんも、土日に出掛けていては、早い集合の今日の山行には、合わせられなかったみたい。「神風(カモシカ)登山も良いけれど、のんびり登山もいいよ。」 は、あれだけ、「好山病・・」 に合わせてくれているのに、酷な言い方になったかもしれない。

 「ちょっと、体調が・・」 と言っていたeiko女史は、普段と何ら変わらない歩きであった。もしかして、疲れ気味の私(達)への思い遣り・心遣いだったのであろうか・・・・・・



8/10 明日は、6~7人で「焼岳」行きである。明日の雨は予想しにくいが、その時になってみなければわからない。暑いが、百名山だけに、訪れる登山者は多いのではないか? 10号カーブから・・・  p.m.11:20



8/9 「橋ちゃん」 の着ていたTシャツ「栂海新道」 の所為ではあるまいが、栂海新道は人気のようである。3000mから0mの日本海へ、(その逆も・・)、そして、高山植物の宝庫、北アの北端、また、山小屋主人(ゆかりさん)の人気からかもしれない。

 そんな折、千葉の川久保夫妻が、栂池から入山し、白馬・朝日を経由して、日本海へ抜ける計画を立てておられるという。また、福井のkyuさんが、蓮華温泉から栂海新道を歩きたいとも聞いた。天候など不確定要素もあるが、思い通りの山歩きが出来ればと願っている。

 私達の盆休の予定は、一向に決まらない。結果的には、複数の案を用意し、直前になって、行き先が決まる事になるであろう。このところ、雨に見舞われているだけに、もしかしたら、4日間日帰りになる事も否定出来ない。その先に、明後日(11日)の予定があるが、今度こそ、雨具を纏うような事はないと思うのであるが・・・



8/8 蝶・常念から戻って3日目。「やっと疲れが取れたのに、また山へ・・」 中5日は、きつくなって来ているのかもしれないが、「だやいがなら(疲れているのなら)、行かなければ・・」 それは、我が家では禁句。11日(月)に続いて、盆休(8/15~18) 全て山に入ろうとしているのであるから、忠告のつもりであっても、イヤミにしか取られない。

 双方4人の親も最早いないし、子供達も危なっかしいが、家を離れ独立?している。自分達にも、これという病もない。(検査をした事がないから、分からないのが実情。自覚症状としては好山病くらい。) 身体の衰えは隠せないが、まだまだ、ちょっとや、そっとで、くたばれない。後先の事は分からないが、もしかして、今が一番良い時なのかもしれない。

 お金がなければ、近くの山に登ればいい。高速代が高ければ、少し早く起きて下道を走ればいい。山小屋に泊まる事が出来なければ、テントを張ればいい。気持ちの良い温泉も止めればいいし、帰路の清涼飲料水やコーヒーを我慢すればいい。もちろん、コンビニおにぎりなんて、とんでもないとなる。したい事があれば、何でも我慢である。

 今まで、多くの出会いがあり、別れもあった。仕方がなかったのもあれば、悔しいのもある。ほろ苦い涙もあれば、いつまでも、美しく語れる想い出もある。そして、今、山に登れるのも、多くの山仲間に支えられている面もある。「頑張る!」 も良いが、楽しく美しく?、一つ一つが想い出として、積み重ねられるような「心豊かな人生」 をと、思わずにはおられない。



8/7 今年8回目の泊まりがけの山行となった「蝶ヶ岳・常念岳」は、とても楽しく想い出深いものになろう。もっとも、最近は、一回毎に「楽しまなくちゃ!」 「共通の想い出作り」 などと共に、無理をしないで、ゆっくり焦らずに心掛けている。

 今回は、4人での山行となったが、その程度の人数が、お互いの顔色や息遣いが把握出来、一番良いのかもしれない。もちろん、気の合った仲間全員とも夢見るのであるが、仕事内容・休日・家庭の事情など、そう上手くは行かない。でも、「そんな時が来ないかな!」 などと、思っているだけでも楽しくて仕方がない。

 1/7~8大辻山、2/4~5金剛堂山、3/3~4大地山、3/16~17鳥ヶ尾山・鉢伏山、4/20~21僧ヶ岳・駒ヶ岳、5/18~19寺地山・北ノ俣岳、7/20~21剱岳、そして、今度の蝶ヶ岳・常念岳。その内、山ノ神と、二人だけが3回で、あとは、3~5人とである。

 この分では、月一で年間12回の宿泊(キャンプ)山行の目標が、クリア出来る状況になってきた。しかし、11・12月は、時期的に思うようにならぬであろうから、盛夏・晩夏・初秋・晩秋の内に稼いで(楽しんで)おかなければなるまい。



8/6 蝶ヶ岳・常念岳も雨になり、7週間連続雨具着用となった。家を出て、射水市辺りまで物凄い雨で前が見えないくらい。帰路の148号線でも、木崎湖付近から白馬まで、これまた強烈な雨に見舞われた。

 しかし、登山道では、私一人雨具を纏わなかった。古く壊れ掛かった傘を使用したのである。何時着用しようかと思っていたのであるが、大降りとならず私としては助かった感じである。同行のメンバーは、何度も着たり脱いだりで大変であった。

 一日目の午後から、翌日の夕方に下山するまで降らなかったのであるから、これまたラッキーであった。山荘にキャンプ届を提出に出掛けた山ノ神は、「雷雨の予想ですから、いつでも山荘に逃げ込んで来てください。」 などと脅かされたと言っていただけに尚更であった。

 雨の傘使用は、林道や樹林帯の中では効果的なアイテムであるが、稜線に出るとそうもいかない。しかし、スナップ写真を撮る時の使用感は認めざるを得ない。どちらにしても、自分に合ったものを使用する事になるが、それは経験という事になるのであろう。今のところは、併用が一番というところか・・

 でも、歳を重ねる毎に感じる事は、いざという時のために、常に手を空けておく事が必要。この頃の私は、何でもない所で、よく転び痛い目に遭っている。これが、大事なカメラなどを手にしていると、それを守るために、もっと痛い目に遭っていたかもしれない。もっとも、歩き過ぎからの疲労で、敏捷性を失っての転倒なのかもしれないが・・・



8/5 目が覚めては、テントから顔を出し空を見上げ、その度に、「すげぇ~、満天の星」 「わ~っ、ガスってる。」 と、一喜一憂していた。身支度に時間を費やす自分達故、午前5時には、テントを撤収し、朝食に取り掛かった。ガスってしまったが、「降るよりはいい。」 「その内、良くなるのでは・・」 などと、自分に言い聞かせるように呟いてしまった。

 今日は、長い行程であるが、ゆっくり焦らずをモットーに、「山を楽しまなくては・・」 ミニチュアダックスフンド「みかんちゃん」と共に、二日間も蝶ヶ岳山頂で楽しんでおられた岐阜県の大内夫妻に別れを告げ、予定より15分程遅れた出発となったが、少しずつ、ガスが晴れていくような感じとなった。

 蝶槍で、神奈川から来たというお兄ちゃんと一言交わす。のちピーク毎に言いたい放題。でも、ヘルメットを持った彼は、最終的には、槍の北鎌尾根をやり、笠ヶ岳まで行くと言っていたが・・

 大きなアップダウンをこなすが、高度を下げれば、樹林帯で苦手な小さな虫に往生する。しかし、心地良い風が吹き出した頃から、ニッコウキスゲ・ハクサンフウロなどのお花が現れ、時々、槍の穂先が見え隠れするようになった。

 蝶ヶ岳から、2時間半程経過した常念岳への途中のピークで、岡山から来たと言う単独行の杉原女史と遭遇した。おっとりとした寅年の彼女と会話が繋がり余計な事まで喋ってしまった感じであったが、私としては楽しい一時を過ごした印象であった。「橋ちゃん」 も持ち前のキャラクターを、如何なく発揮され、仕舞いには、「好山病岡山支部とか、雪山にいらっしゃい。」 とまでなってしまった。

 常念岳山頂までは、遠かった。学生パーティーを抜き去り、中高年の意地を見せたが、それでも蝶ヶ岳から5時間を要した。乾いた喉を潤すために、常念小屋に寄るルート変更を考えたが、そのためとは言え、高度を400m位下げるのを躊躇い元通り直接前常念岳へのルートを辿った。

 これも長かった。「16年前、こんなではなかった。」 と思ったが、それだけ歳を取ったのであるから、それも仕方がないか・・・ 途中、またまたズッコケテしまったが、何とか雨降る前に、登山口に辿り着く事が出来た。

 

8/4 午前3時、高岡を出発する頃から、スコールのような強雨に、前も見えないくらいになった。しかし、集合場所の黒部ICに着いた頃には、小降りになった。「橋ちゃん」・「ねぎちゃん」 の頭には、「当然行く。」 しかなかったと思う。148号線に入ってからは、ワイパーを回すものの次第にその回数は減り、登山口の三股に着いた時には、雨具を着るか着ないかぐらいの状態までになった。

 林道を800m歩き、管理事務所で登山届を提出して登山道に入る。「富山の山を歩いておれば、何処の山に登っても、びっくりする事などない。」 と豪語するだけあって、各自が重荷を担いでいても、ペースは順調そのものであった。しかし、滴り落ちる汗と、小さな虫には閉口し続けた。何度も雨具を着たり脱いだり・・・

 「今日の行程は、蝶ヶ岳までだけであるから、急がなくてもいい。」 と言いながら、蒸し暑さの解放から、早く森林限界を突破したかったのであるが、同じ北アであっても、南部の限界は高く、その領域に達した頃は、もう山頂間近であった。

 午後1時過ぎ、蝶ヶ岳山頂のキャンプ場に着き、素早く三つの御殿を張った。食材を持って、山荘前のテーブルを陣取り、「乾杯!」 のち昼食とした。肝心の槍穂は、厚い雲に覆われ、展望はないのであるが、「雨の山」 を予想していた我々には、「良いお天気」 に匹敵するようなものであった。

 なだらかな山頂付近は、遮るものがなく、風の通り道で、あの暑さが、何処へ行ったのかと思うほどに冷えて行き、一枚一枚、着衣を纏わなければならなくなるから可笑しい話である。雲間に稜線の一部が、ちょっと見えるだけでも、「ウオー」 と歓声が上がるが、消えるか消えない内に、山陰もなくなってしまう。

 黄昏近い午後5時半頃から、テン場の上部でもあり、最高点と山荘の中間程の稜線沿いに、またまた食材を持って腰を据えた。だんだんとお天気の回復傾向に、胸を弾ませながら、北穂と大キレットに沈む夕日を待った。「ねぎちゃん」と「橋ちゃん」が、その夕日を、どう捉えたのか、後日が楽しみである。

 二次会(三次会?)のテントの中では、もう飲む元気もなく、明朝は午前6時発を約束し、お互いシュラフの中に潜り込んだ。遠くで稲光がしている。でも、真上には満天の星が・・・でも、目が覚めて覗く毎に、曇っていたり、星が輝いていたりで、不安と期待を持って、眠りについたハズであったが・・



8/3 雨が降って来た。何だか予想より早いように思うが、後から止むのなら歓迎である。でも、その予報は、富山は明日の午前中、長野安曇野地方は、明日の夕方から雨のようである。その予想も雨量としては、差程多くはないのであるが、この頃は、局地的に雷を伴って、短時間に多くの量を降らすようであるからややこしい。

 決行か否かの判断は、本当に難しい。「行けば降るし、行かなければ晴れるような・・」 神は、我々の心を見透かしているような不思議な巡り合わせとなる事が多い。とりあえず、約束の場所・時間に集合となったのであるが、それ以降の事は、わからない。

 「雨が降っているのに何故?」 となるか、「そんな時間を大切にしたい。」 となるかも、空をみてからの判断になりそう。如何に好山病とて、所詮、「適わぬものは適わない。」 でも、「前に道はある。」 「足を前に出せば、自ずと行き先に行く。」 p.m.9:40



8/2 今度の連休は、4人で蝶ヶ岳・常念岳に行く事になっている。蝶ヶ岳は2年ぶり、常念岳は16年ぶりである。一昨年、長塀尾根から蝶ヶ岳に登った記憶は新しいが、当時、中1だった長男と16年前に、三股から登った常念岳の記憶はおぼろである。スニーカーの長男が、登りにくそうにしていたのと、日帰りだったため、運転が辛かった(眠たかった)事だけが思い出される。しかし、山頂の記念写真には、先鋭な槍ヶ岳がとらえられている。

   今度は、槍や穂高を中心に、北ア南部の山々を、望む事が出来るかどうか分からないが、仲間と楽しい時間を共有出来る事に、私は重点を置いている。それだから、尚更、水を差すようなお天気になって欲しくなく祈る気持ちである。



8/1 最近は単独行よりも、複数で山歩きをする方が楽しくなってきた。思うように歩き回れたり、タイムトライアルを意識するのなら、それなりの楽しさがあるのだろうが、共通の想い出という点では、山ノ神や山仲間と歩く事の方が何倍も楽しい。

 また、芸術的な写真を撮る技術を備えていれば、それなりに意義があるのかもしれないが、私の撮る写真ぐらいでは、何処かに人を配しておいた方が、親しみ易い画像となる事が多い。

 しかし、ずっと、共に歩いてくれる仲間など、なかなか見当たらない。気が合わなければならないし、体力の事もある。だんだんと衰えていく自分を考えると、人間的魅力があれば、ちょっとくらいサービス精神で、構ってもらえるであろうが、なかなか長続きしないであろうし、短時間で自分を磨けるものでもなかろう。

 最後は、少々ケンカをしてでも、山ノ神の世話になるのかもしれないが、今仲良くしてもらっている仲間達に感謝しながら、「もうちょっと、付き合ってよ!」 という感じである。