9/30 一週間前、大猫山に登った回数を誤って載せてしまった。(既に訂正) 昨日、その大猫山に登り、「越中の百山」欄に、1ポイントプラスしようと思った時、当欄の記述との違いに気付いたのであった。

 自分としては、「もうちょっと登っている。」 と思っていたのであるが、過去の記録を詳細に調べてみたら、昨日が27回目であった。「50回が目標」 と、以前に述べた事があるが、余程意識して登らないと、その回数には達しないかもしれない。

 まあ~、それは、数字の遊びと、単なる目標であって、そんなに拘る事でもない。でも、ずっと元気で、山歩きが出来れば、自ずと結果として、数字が上乗せされると言うものであろう。

 このところ、お天気が伴わないのに、「牛岳」 の数字が伸びないのは、「雨の時に行く山」 のレパートリーが増えたからだろうか・・・ でも、そんな事を意識しないで、登るようにならなければ、本当に「山が好き!」 とは言えないのかもしれない。



9/29 曇天であったが見通しが良く、ずっと剱岳が見えた。「北ちゃん」 と 「ねぎちゃん」 は、8/11の焼岳以来、「長勢夫妻」 と 「マキちゃん」 は、6/30の白木峰以来 (ネコ君とは、7/20剱沢キャンプ場で遭遇していたが・・) であった。他候補地もあったが、やはり皆と会いたくなって馬場島にやって来た。

 大猫山が初めての 「さおりさん」 が今日の主役。しかし、皆が心配する事もなく順調に山頂に達したのであった。しかも、空荷でなく、しっかりとザックを担いでいた。後発の 「マキちゃん」 が、大汗を掻きながら大猫平で合流。その凄まじさは、「舞姫」 から 「化け猫」 に変身したかのようでもあった。

 そのような事を言いながら、「好山病・・」 はいつも楽しい。そして、見え隠れしながらも、剱岳を間近で伺えるのであるから、こんな贅沢はない。「山が近くに見えるね!」 その予測が、大猫平からの雨で証明された。でも、「剱岳が見える。」 今まで、お天気の日でも、剱岳を仰げない事の方が、多かった所為もあり、「雨でも展望がある。」 今日は、誠に素晴らしかった。

 少し色付き始めた大猫山、紅葉はこれからである。ブナクラ取水口を午前6時半に出発。午後6時頃(私は事情があり、ちょっぴり早く降りたが・・) に到着。行き帰りを含めれば、今日も一日、たっぷりと山に浸かった。



9/28 福井のkyuさんが、赤谷山の帰りに我が家に寄ってくれた。「赤谷山は良かった。好きになりそう。白萩山まで行ってきた。」 と興奮を交えて語ってくれた。女性一人の単独行であるから凄い。山スキーに岩登り(今年は源治郎尾根もやっている。)オールマイティーであり、年の頃は、好山病のまきちゃんと同い年。一家を切り盛りし、尚かつ山に勤しんでいるのであるから、頭が下がる。

 「元さん、私は若いんだよ!」 などと、茶目っ気!いっぱいの彼女は、夏に行けなかった栂海新道を、今秋行けないものかと模索していると言う。しかも、「親不知からでもいい。」 と言うのであるから、日頃から何を食べているのかと問いたくなる。

 「富山は良いね。」 「近くに、ステキな山がたくさんあるから・・」 と、富山を褒める事を忘れない。「明日は大猫山なんだ。」 と告げると、「赤谷山の近くじゃない。あれから行っていない。」 と言う。4年前に、ご一緒した事を思い出しながら、もう元気を失いかけたおじさんとは、行きたくないと思っているかもしれない。



9/27 「ようやく疲れが取れた頃に、また出掛ける。だから、ず~っと筋肉痛!」 と山ノ神。「ならば来なければ。行かなければ。」 だけは口に出せない。しかし、「合わせている。」 は、意見が分かれるところ。

 「歩く事に・・」 「計画段階で・・」 共であると、私は思っているのであるが、山ノ神は、そうであるとは思っていない。「好きな所を企画され、私は一所懸命着いて行っている。」 らしい。

 「もうチョット先へ・・」 「もうチョット速く・・」 を、私なりに堪えているのを分かっているハズの山ノ神。でも、「一緒に行くのは当たり前。我慢するのも当たり前。」 なのであろう。「私も頑張っている。」 と言うのであるが、私から見れば、山に打ち込む日頃の鍛錬(トレーニング)がないのである。腕立て伏せやスクワットなどを、1回でも良いからやっていてくれれば、まだ納得するのであるが、全くそういう気配はないのである。

 「好きにして良い。」 と言いながら、それを真に受けて出掛ければ、後遺症に戸惑う日々を、送らなければならないのは周知の事実である。山に連れて行きたい人には、我慢出来るハズであるから、その気持ちを、山ノ神に被せて持てば、何の問題もないのであるが、持続となると厳しいものになる。

 しかし、いつ病気になるか、ケガをするか、分からない身の上であるから、自分から進んで我慢しなければならない年齢なのかもしれない。その内、「我慢している。」 と言われかねない時が来るかもしれないから・・・



9/26 「山は健康的で良いですね。」 「お金が掛からない趣味で・・」 は、私に掛けて下さるいつもの言葉。「健康的なら、あなたもやったら・・」 といつも思う。「山は良いね。」 と共に、社交辞令的である事は、分かっているのであるが、私の山行は、決して健康的ではないと思っている。前夜は寝不足、帰ってからは、暴飲暴食、そして、その日の内に殆ど寝ないのであるから・・・・ でも、運動していない人と比べれば、断然元気だと思っている。

 「お金が掛からない?」 かもしれないが、かなり本格的に山歩きとなると、そうとも言えないのでは・・・ 「アウトドアはお金が掛かる。」 の声が聞こえてきそう。人それぞれで、こればかりは何とも言えない。マラソンや水泳をしている人に、「身体一つ(パンツ一枚)だから・・」 と言うのと、同じくらいの意味合いがあるかもしれない。

 「登山靴のソールを、1~2年で張り替えしなければならない。」 とか、「2年でおシャカになる。」 と言ってもわかるまい。「雨具やザックなどは、一度買えば良いのでは・・」 と思う人には、そんな話は無駄なのかもしれない。しかし、山用具を買う時は、旅行の計画を立てる時のように楽しい時、思い切った買い物が、そうそう出来ないだけに、その時ばかりは、少年のように胸が弾む。



9/25 北海道大雪山系旭岳の初冠雪が報じられた。気温の低下次第では、週末の北アの山々にも初雪があるかもしれない。降雪の直後の紅葉、紅葉の最中の降雪、こんな光景が私は好きである。今年は、そのタイミングに重なるような気がするのであるが果たして・・・

 昨年は、11/18の白鳥山で雪を見、11/19白木峰では、大長谷に除雪車が出動していた。一昨年の11/13人形山で、既に積雪を見た。(同日、大猫山の予定であったが、伊折・剱センター間でスリップし、諦めて五箇山となった。) 3年前は、雪が遅く、12月に入ってから、急に荒れ出したように記憶している。

 まだ、紅葉を楽しまない内に、「雪」を話題にしてしまうのは、日照時間が短いから歩く距離も自ずから短い、足に優しく感じるとの思い込みがあるからかもしれない。どちらにしても、つるべ落としの如く、日が短くなっていく。色付く葉を見て、何を感じるか連想するかは、その人それぞれであるが、「只、枯れているだけじゃない。」 とだけは、言って欲しくない。



9/24 私は、時々、数字遊びをする。自己満足だけで、そんなに意味はない。でも、目標として励みになる事は間違いなし、山の楽しみ方の一つではないかと思う。名山(百・二百・三百名山)は、141座で何とか半分の150座を超えたいと思っているが、意識しないと遠出する機会は、そんなにない。でも後9座だから・・・

 富山県内と近郊の山に目を移すと、キリの良い数字というか、節目の数字が気になる。剱岳28回、大猫山26回で、30回を目指す。20回を目指すものとして、白山19回、僧ヶ岳19回、大地山18回、中山18回、人形山17回がある。そして、10回を目指すものとして、八乙女山9回、高落場山9回、大門山8回、初雪山8回、白馬岳8回がある。

 特別な事ではないが、同じ所へ何回も出掛けると、それなりに様子が分かり、愛着が生まれる。スタンダードなルートしか歩かなくても、その山の良さが分かるというもの・・

 どの山にも、条件がついて回り、自分の思うようにはならぬが、幾つかは今年中に、出来れば、ここ1~2年の内に数字を積み上げ、他の山々も、その数字に嵩上げしたいと思っている。



9/23 「今日は晴れ。夜から雨。」 の予報は、ピッタリと合っていた。「昨日も当たった。」 恨めしいくらいに、山から降りてから晴れてきた。「山から降りてから・・」 「翌日が・・」 は、何故か本当に良く当たる気がする。神は何事も見透かしているかのように・・・

 「後にずれる。」「山は先行する。」 そして、「一週間先の事など当てに出来ない。」 などと言いながら結構気にしている。良い方に解釈するか、悪い方に取るかは、人それぞれであるが、結構ストレスが溜まる。

 この先、ぐっと気温が下がれば、高所には冷たい物が降る。一番厄介なものである。そういう点では、気象情報が当てになり、危険回避が出来るような気がする。データーと経験を生かし、安全な山歩きに努めなければなるまい。そして、体力の維持も見逃せない。



9/22 昨日の今日で、ブナクラ行きに山ノ神が渋った。夕方もしくは夜から晴れの予報であったが、出掛けから県西部は雨であった。山ノ神の「駒ヶ岳の山頂を踏んだ事がない。」 「駒ヶ岳の山頂から剱岳は見えるのか?」 から、僧ヶ岳・駒ヶ岳行きとなったのであるが、今日も出足が悪い。当然、ラッシュに引っ掛かり、高速を利用しても、登山口の烏帽子口発が午前9時50分であった。暑さで、すぐに雨具を脱ぐ羽目になったが、視界は全くない。おまけに足取りが遅く、山頂着が午後0時20分になってしまった。

 楽々ではないが、計算上では、駒ヶ岳まで届くと思っていたのが、大幅な狂いとなり、僧ヶ岳止まりとなってしまった。「駒ヶ岳にも行けない。ビールも飲めない。」 となると、レジャーシートを敷いて寝入ってしまった。この2日間は、3時間ずつしか寝ていないし、いびきをかいて寝ていたとか・・

 陽が差すかと思われたが、ほんの一瞬で、登山口近くに戻る頃まで、お天気の回復はなかった。それも、(20分ぐらい。) 駒ヶ岳まで行けなかった事もあって、登山口に戻る頃から、林道を越え、烏帽子山の頂を踏みたくなった。その山頂から、僧ヶ岳登山口(烏帽子口)までの間を、歩いた事がないからでもあった。

 「1時間もあれば、何とかなるであろう。」 と思っていたが、またまたガスに覆われてしまった。草木は伸びていたが、真新しい中部森林管理局の境界見出標が案内してくれた。小杉谷への分岐を過ぎ、少し登り返した地点で、午後4時半。

 烏帽子山に登ろうとは思っていないので、緯線・罫線の入ったカシミール地図も用意してなく、ちょっぴり不安であった。標高1274mだから、あと残り20mであったが、先が見えなく、降っていたので、諦め引き返す事にした。

 草木が伸び、熊と日没の恐怖が脳裏を過ぎったのが、引き返す最大の要因であったが、何かが、あってからでは、取り返しがつかないから・・ 家に戻って、GPSのデーターを見ると、もう10m降って、30m位登れば、山頂に達したのではと、思ったのであるが、「山を楽しむ」 を越えた事と自分を窘めなければならなかった。



9/21 午前3時過ぎに起床したが、何やらいろいろの思いがあり、自宅を出発したのが5時半になってしまった。ワイパーを速くしたり遅くしたりしても、ず~っと雨。歩き始めても雨。良くないお天気なのに、数多くの車が駐車していたと思っていたら、途中断念した人達がドンドン降りて来る。

 大倉山付近で雨が止み、視界が広がったのを見計らって、そこでも断念する4名のグループに、「もう少し、頑張ったら・・」 と声を掛ける。その先、賽の河原付近まで、始まったばかりの紅葉を楽しむ。真っ赤に染まったナナカマドがあるかと思えば、全く色付いていないナナカマドもあり、一週間から10日先が、見頃のように思った。室堂に着いて、空かしたお腹のために、霧雨の中で、テーブルに着き、まずは食事! 

 「やっぱり、行くのけ!」 またしても、山頂へは、私だけになった。「展望も利かないし、何度も登っているのだから・・」 の考えもあるかもしれないが、只、高い所へ登るだけでなく、「自分を試すために・・」 の意味合いが強いかもしれない。

 「ちょっとだけれど、紅葉が楽しめた。」 「いつも通り歩けた。」 が今日の収穫。同じ道に、何のバリエーションを求めないでも、雨の中を歩ける事が嬉しい。



9/20 「那須岳と八溝山、または高原山」 そして、北アでのキャンプも中止とした。「お天気模様が悪いし、どうしても、出掛けなければいけない事もない。」 が中止の理由。でも、山ノ神は不満のようだ。

 雨でも行ける山。また同じ山になるが、歩ける事に喜びを持とう。こんな時間まで起きていると、明日の運転に支障が出るかも・・・



9/19 今の私達では、キャンプ用具を担いで2座はなかなか登れない。ではと、遠出ででの2座を企画しているが、遅くしか出発出来ない私達であるから、寝ないでの運転、そして、寝ないでの歩きになってしまう。

 翌日は眠れるが、その移動と住処探しにも手間が掛かる。もう、そんな事をする年齢でないであろうと思いながら、「もうチョット!」 となるから可笑しい。少し、寝てからの出発、現地での仮眠の時間があれば、また、寝るスペースのある車なら良いのであろうが、出来ないのは仕方がない。

 那須岳を企画した。今年は何度も考えてみたが縁がないのであろうか? 今度も雨が少し残りそうである。雨を口実にして、今回も計画を引っ込める事になりそうであるが、「もう1座」 があるから余裕がないのであろう。ゆっくり焦らずのキャッチフレーズは、歩く時だけではないのでしょうが・・・・



9/18 「いつの間にか、こんな歳に・・」 身体が思うようにならぬ時の事。久しぶりの同級生との対面は、自分が鏡を見ているようなもの・・・ 必然、、「いつまで、飛んだり跳ねたり出来るのか・・」 や、「元気なうちに・・」 になる。

 焦りなのか軟化なのか分からないが、気は短くなるようである。ゆっくり落ち着いてが、定着出来れば、気品のある老紳士も夢でないのであるが、「我」が優先し、なかなかそうはいかないようである。

 この先、10年、20年が長いと思うか短いと思うかは、人それぞれ・・・ 「やり残した事」 とか、「忘れ物を取りに行く」 という表現は、私としては、まだ早いような気がして、「夢を、もう一度」 の血が騒ぐ。しかし、身体は、確実に退化の一途。 でも、まだ枯れたくない。



9/17 「足が痛くないか?」 と山ノ神は私に聞く。いつもより好調に見えても、やはり歩行時間が長くなると、膝痛・筋肉痛が伴うのだろう。各人、体格・体力・体質が違うに、一緒するのであるから、誰かが、合わせなくてはならない。合わせてでも、一緒したければ差程問題ないのであるが、気質・思考が違うとなかなか難しい。だから、「単独行が楽でいい。」 となるが、やっぱり仲間がいると楽しい。

 「山登りは人生の縮図」 などと言われる事があるが、正しく、「一人では生きていけない。」 を実証する。山登りのチームは、気が合わないと辛い。食事も一緒、そして、行動時間が長い。これを超越するのであるから、その結び付きは強い。我々の山行スタイルからして、命まで共にするとは、大げさかもかもしれないが、それに近い事は間違いない。



9/16 ブナクラ谷(取水口~ブナクラ峠)を歩き始めて思った事は、「あまり人が入っていないのか?」 であった。駐車場には、たくさんの車があったし、大猫山ばかりではなかろうし、猫又山へ行かれれば、周遊される方もあると思うし・・・

 「でも、最近、雨が多いし(局地的)、谷筋は敬遠されていたのか?」 とまで思う程手入れがなされていなかった。所々に、下草を刈った痕跡が見られるのであるが、なかなか手が回らないようである。

 以前、ブナクラ修復グループの方から、こんな話を聞いた事がある。「登山道を造るのは良いが、その距離が延びると、メンテナンスが大変! メンバーが高齢化していくから尚更だ。」 

 私も何度となく、ブナクラの登山道を歩かせて頂いているが、昨日は、「何とかしなくては・・」 と思わずにはいられなかった。今度行く時に、いや、これから行く時には、10mでも30mでも良いから、下草を刈ろう。時間にして、10分でも20分でも良いから・・・ きれいになっており、手を入れる事がなければ、それに越した事はない。でも、きっと整備のマニアルがあるかもしれないから、教えてもらわないといけないのかも・・



9/15 「起きないのか?」 の後は、何度も繰り返さなかった。それでも、山ノ神は、渋々ながら起きて、準備を始めた。やはり、「どうしようかと思ったらしい。」 「行かないと、一週間のブランクが生じる。」 が、赤谷山に行く気持ちになった「最大の要因。」 かもしれない。

 「ブナクラ周辺の山は好きでない。」 と言いながら、それでも、毎年、大猫山にしても、猫又山にしても出掛けているのであるが・・・ それでいて、「凄い!」 「いいね。」 を連発し、それを肴にしながら、ビールを飲んでいるのであるから、おかしな話である。

 本当は、もうちょっと早く、ブナクラ取水口を出発したかったのであるが、それは、我が家の事情から致し方なかった。ゆっくり焦らずを、モットーに、今日は我慢の登高であった。「急かせなかった。」 「足が上がらない時は、手を取った。」

 ブナクラ峠から 一端黒部川に巻いて、再び稜線出る2010m~20m周辺に達した頃から、ガスに包まれてしまったが、運良く山頂では、剱岳を仰ぐ事が出来、頗る満足となった。少々小さな虫が身体にまとわりつき、難儀であったが、山という所はこんなもの。山頂では、終始追いつ追われつとなった八尾町の松崎・島崎氏と、ちょっぴり山談義。話し込めば、何と「オワラの先生」 とか・・

 ブナクラ取水口発午前6時半、帰還午後5時40分。溢れんばかりの車が、駐車場から一台の車もいなくなっていたのは当たり前であった。でも、山ノ神は、「行って良かった。」 と、ご満悦であり、我が家はしばらく平和が続きそうである。



9/14 このところ、遠出?が多かったから、県内の山が良いと思っているのであるが、なかなか纏まらない。遠い所なら、佐武流山を頭に描いたが、寝不足気味になった上に、山ノ神には、ちょと辛いと思いすぐに萎んだ。

 その内、お互い口数が少なくなり、山ノ神は就寝。このままで行けば、赤谷山になるが、山ノ神は、また怒る事間違いない。それで、渋々でも「イエス」 と言うか、「ノー」 と言って来ないか、起きてからになる。



9/13 今、八重山諸島に大きな台風があるが、今年は、まだ本土上陸の台風はない。何年も前に、今夏と同じような雷や局地的な豪雨に、見舞われた年があったそうだが、その年も台風は上陸しなかったそうである。全国各地で台風並みの被害を受けたのであるから、そのシーズンは、まだあるにしても、今年はこれでナシにして欲しいものだ。

 その台風によって、大きく左右される天候であるけれど、13号が台湾よりにそれれば、この連休は、まずまずであろう。(私は連休ではないけれど・・)  まだ紅葉には早いこの時期、そして、仲間とも休日が伴わない事もあり、赤谷山や白山山系の三方岩岳・野谷荘司山・妙法山を、山ノ神に提案したのであるが、「針ノ木岳に行きたい。」 との、逆提案があり戸惑っている。



9/12 「原因は、断線。」 S先生の計らいに感謝! 元気が出て来た。(予備にもう一台PC欲しい。) そのPC休止の間に、八ヶ岳(赤岳山頂)でお遭いした「まさか様」 からメールを頂いた。事の成り行きから、「元さんの山歩き」 だけを紹介し、メールを要望していた経緯があったからである。

 さすが東京の人、とてもユニークである。全文を載せるわけにはいかないが、その文中に 「私も、歩き始めで軽い好山病にかかっていますので、本格的に症状があらあわれましたら、頑張って東京支部の申請させていただきます!」 が面白い。富山方面は未踏のエリアとも綴ってあったが、ネコ君と同い年らしい。こんなおじさんにも、ちょっとだけ、顔が赤くなる時間を作ってくれる神様に感謝です。



9/11 メカに弱いと言いながら、PCが動かないと、何もかもに不都合が生じて来る。それ程、PCが生活に密着してきているという事であろう。「山に行けなければ、半分死んだようなものだ!」 などと言って久しい。

 でも、山行は、どれだけ出掛けても、週に1~2回程度である。毎日触るPCとは、雲泥の差があるかもしれない。S先生との連絡が取れなく、PCはそのままになっている。そのS先生に叱られるが、立ち上げからシャットダウンまでであるが、5~7・8分間なら稼動させる事が出来る。でも、昨日試してみたら、自分の思惑が外れ、途中に切れてしまった。後、高温で2~3時間は手が付けられない。

 でも、もう我慢が出来ない。古いPCで文章を作成し、それをコピーする方法を、明朝に試してみたい。構成的には可笑しくなるから、いっぺんに出来ないかもしれないが、猶予された時間を、有効に使って挑戦である。でも、時間の掛かる画像処理や、メールの書き込みはダメであろう。



9/10 完全に復旧したと思っていたPCだったが、週末から、何となく可笑しいと感じていた。八ヶ岳から帰ってHPの更新をしていたら、突然、プッツンとなった。(シャットダウン)

 ファンの一つが回っておらず、高温となり、ダウンしたと思われる。そのような状態の時、S先生から、「使用禁止」 を言い渡されていたのであるが、今朝、5分程の時間でメーンページと、PCの不具合のお知らせだけを載せた。

 それだけの事をしただけでも、PCは熱くなる。「CPUがやられたら大変なんだ!」 と言われているだけに、それ以降、止める事にした。しかし、S先生との連絡がとれず、動かせぬPCを眺めながら、歯痒い思いをしている。その状態は、山ノ神からみれば、「元気のない元さん」 と映るのであろう。



9/9 山仲間(ハレルヤ)筏井氏のお父様が、亡くなられた事を知りながら、八ヶ岳に出掛けてしまった。友人との約束とは言え、出掛ければ、通夜には参列出来ない事も分かっていた。でも、それ程「山に行かなければ、どうしようもない男」 を彼は、認知してくれるだろうと思ったからでもあった。

 兄弟や子供達にまで、私の休日には帰ってくるな! 帰省していた子供達を見送ってからでも山に行く。時間がなければ、まだ暗い早朝からでも、近くの低山に出掛ける事を知っててくれる彼だと思って甘える事にした。

 でも、山中で、その事を忘れる事は出来ず、文三郎尾根から、阿弥陀岳を阿弥陀様に見立てて手を合わせた。  そんな事もあり、今日の午前中は店を開けず、山ノ神共々、葬儀に参列した。

 親は幾つになっても親、亡くなられれば悲しいものである。特に男親は、亡くなられて暫らく時間が経ってからの方が、悲しみが込み上げてくるものである。その偉大さが、後々、ヒシヒシと感じられるから不思議である。



9/8 「降らない。」 の確信を持っての八ヶ岳行きは、eiko女史の「行った事がない。」 に対して 「行こうと思えば日帰りでも・・」 が事の始まり。客人(eiko女史)を乗せると、どうしても、より安全運転となり、夫婦の諍いも控え目になる。eiko女史からみれば、些細な事で言い争っているように感じられるらしく、可笑しくてならないと笑っている。また、私は、かなりスピードを抑えてのハンドル裁きののハズであるが、彼女からみれば、どうも危なっかしいらしく、安全への不審があるようであった。

 私自身は、過去に2度八ヶ岳に出掛けていたが、いずれも日帰りで、一度は、阿弥陀岳・赤岳・横岳・硫黄岳を縦走したもの、もう一度は、山ノ神と、親友の中山君の3人で、文三郎尾根から赤岳へ、そして、地蔵尾根を降るものであった。二度とも好天に恵まれ、富士山まで遠望出来た事を覚えている。

 さて、今回はどのようなコースを辿ろうかとなったのであるが、それは、寝不足の中での体力を見ながら、模索する形となった。文三郎尾根と地蔵尾根のどちらから、赤岳のピークを目指し、もう片方の尾根から降りるもの、そして、阿弥陀岳を加えるもの、もう一つは、赤岳から硫黄岳まで貫くコースである。その3案共に、南沢と北沢の周遊を加えたいと思っていた。

 南アや八ヶ岳の昭文社の高原地図は、意外とコースタイムが甘い。それをオーバーするようでは、第Ⅰ案しかないだろうと歩き始めると、eiko女史・山ノ神とも、順調そのものであった。それではと、第Ⅱ安・第Ⅲ案に移行せねばと思わせたが、次第にコースタイム通りになっていってしまった。文三郎尾根で、結構頑張ったのであるが、一向に晴れないガスや、当初の思考通り、ゆっくりのっびりが脳裏を過ぎり、山頂で店を広げる事とした。

 ガスが掛かり、視界が悪く、全く展望がなくとも、3000m近く(2899m)の山頂は気分が良い。時たま訪れる登山者に声を掛ける。その中に、東京から八ヶ岳を縦走中の単独行「まさか様」 と、話が盛り上がる。きりっとした顔付きに、スリムでステキな女性だったからばかりではなく、我々、中高年の話に乗ってくれた優しさに、会話が弾んだのかもしれない。

 「下界では、何でも警戒するのに、山では、まったく会った事のない他人に、自分をさらけ出したり、住所やアドレスを教えたりするなど、不思議な世界・・」 と言われ、妙に頷いてしまった。

 まだ山に入って経験が浅いと言っておられた「まさか様」 の「未年生まれ」 と、「既婚」・「東京」 の三つ情報を材料を元に、中高年3人は、いろいろ想像しながら、「28~9歳」 もし、「40~1歳だったら、化け物だ!」 などと・・・ ワイワイ言いながら、地蔵尾根を簡単に降りてしまった。行者小屋では、運転手の私以外、また、冷たい物が、我が同行者の口に注がれていたようである。



9/7 やっぱりPCの調子が悪い。何処まで綴れるか、綱渡りである。お天気もそうである。「局地的」 がイヤである。とりあえず、明日未明(今夜半)から、八ヶ岳に予定通り出掛けるつもり・・

 ネコ君が、槍のテン場で頑張っている様子が携帯に届いた。「こんなお天気に?」 なのだが、「気を付けよ!」 の言葉が反対に返されそうである。 p.m.7:30



9/6 「PCのおかしな現象」 が、知人のちょっとしたアドバイスで、大方解決した。やっぱり私は、「メカ(PC)には弱い。」 を立証した感じである。とにかく良かったが、「あれな何だったのかな?」 同時期とは言えないが、購入して2年のテレビが故障した。雷に疑いを掛けている。長い間留守をする時は、コンセントを抜いていかなければならないのかもしれないね!

 お天気がまだ落ち着かない。火曜日から安定するとの予報では、またまた、私の休日が過ぎてからではないか・・・ また雨具か・・ 晴れなくても降らないで欲しいのだが・・・・



9/5 PCのおかしな現象が続いている。どれだけ更新しても、画面上が変わらないのである。カウンターも進まない。何十回も繰り返しているのであるが、どうもダメで根気負けしてしまう。一番始めは常念岳であった。更新がならず、ファイルやフォルダーに問題があるのかと、いろいろ作り替えてUPするのであるが変わらない。(更新出来ない。)

 何時間も、延べにしたら何十時間も、同じ事を繰り返していたら、今度は、何をしているのか分からなくなり、頭が爆発してしまう。今はあまり使われていないWindows98で、覗いてみると更新されている。今までは何であったのかと思ってしまう。そうしている内に、カウンターが動き始めた。しかし、今度は、メーンページが更新されない。(それは、私のPC画面だけだと思うが・・・)

 私はHP作成ソフトを使っていない。メモ帳に書き込み、FFFTPツールで、サーバー(プロバイダー)に転送している。もしかしたら、そのFFFTPに問題があるのだろうか・・・  PCに詳しくない私には、チンプンカンプンである。先日のPC故障の際、日時がとんでもない所まで飛んでいた。時刻はバーに表示されているから、その内に分かったのであるが、作成したファイルやフォルダーが、一週間先の日付になってしまっていた。不可解な事ばかり、メカ(PC)にも、感情があるのではと思ってしまうが、考え過ぎか・・・



9/4 8月の焼岳と、お盆の東北遠征以外、6/23白鳥山から、何らかの形で、ずっと雨に見舞われている。「何時かは、帳尻が合う。」 と自分に言い聞かせているのであるが、このところの予報では、なかなかそうは思えない。

 「休日の前まで晴れ。」 「休日の後から晴れ。」 の巡り合わせばかりでない今年の天候。局地的豪雨以上の災害がない事を祈りたい。少々の雨なら我慢であるが、大自然の脅威を侮ったら痛い目に遭う。痛い目だけならいいが、命に関わる事のないよう気を付けたい。



9/3 昨夜からPCの調子が悪く、何もかもがパー。スイッチONから、10分くらいでプッツンと切れてしまう状態であった。S先生に手当してもらったら、ファンが止まっていたそうである。非常に熱い状態が続いていたらしく、CPUを心配しておいでたが、何とか命はあったようである。助かった~。良かった。

 二日間山遊びをし、冷たい物を思い切り飲んだら、当然のように睡魔に襲われてしまう。その上、PCの不都合が加わり、やらなければならない事が山となった。先送りしていた事も、日にちが迫り四苦八苦状態である。HPの事もしかり、メールやお便りの返事も溜まってしまっている。

 だんだんと、体力・機敏さが失われていくのに、やる事が増えていく、睡眠時間を削れば、何処かで支障が来る。久しぶりに6時間の睡眠を取った。何だか頭がすっきりしたような感じになった。もう一日ゆっくり寝てみたい。毎晩飲まなければ、もっと有効な時間を作れるのにな~ぁ。

 通常、私の飲量は、お酒なら250ml、ビールなら500mlくらいであるから、そんな大酒飲みではない。でも、もうちょっと、となるとダメなのである。でも、この時間(空間)を、楽しみにして飲んでいる方が多いのも事実! でも、私は、飲んでも何かがしたいのである。 明日・明後日と会合が続く。ちょっと辛い。



9/2 起きたらピーカンである。「山ノ神」 を起こすが起きて来ない。「大猫山なら行かない。」 との返事。「ゆっくりでも良いのだよ!」 と言っても、「行かない。」 「行かないと、また後悔するよ!」 と言っても 「でも良い。」 こんな会話が続いた事もあって、ちょっぴり出遅れた。

 途中、眠たくなり、車を止めて目を瞑った事もあり、尚更遅れてしまった。「君が行かないのなら、晴れておれば、猫又山・ブナクラ峠を周遊して来るかも・・」 言って家を出たものの、何だか暑いし、身体がだるい。どうなるか分からないから、水をたくさん担ぐ事にした。

 午前7時をすっかり回っているに、火曜日だからであろうか、ブナクラ取水口駐車場には、一台の車も止まっていなかった。でも、馬場島には、多くの車やテントを見かけたのであるが、皆早月尾根なのであろうか、それとも、馬場島キャンプだけ!

 まあ~、そんな事はどうでも良いのである。剱岳に見とれながら、ゆっくり山道を歩くのも良いものである。ハーハー息を切らして登ってみても、30分程違うかどうかくらいで、今日の行程からして、辛い思いをしなくても良いと思った。逆光の剱岳を撮るのは難しいが、ずっと眺められるのがいい。

 汗が、タラタラ落ちる。ガブガブ水を飲んだ。日頃は、リックを降ろすのが面倒で、あまり水を飲まない。今日は、一人であるし、そう急ぐ事もない。最近、「水分補給」 の文字が気に掛かるようになってきているのも事実。食べ物はない。昨日の松尾峠行きの残り物である菓子パン1ヶとおにぎり1ヶ。そして、ラーメン1ヶだけである。

 このところ、体重が減りつつある。73~74キロの体重が70キロを切ろうとしている。痩せれば身体が楽になると思っていたが、私の場合はそうでもないようである。過激な運動・食べる食べないで、その差の5キロは、良くある事。でもこの頃は、だるい。すぐお腹がすく。やはり可笑しいのかもしれない。

 昨夜は、降ったのであろうか、ズボンを少々濡らす。蜘蛛の巣が、顔にピシャリとくっついてイヤだが、剱岳をずっと拝めるから、相殺しても、その方が気分がよい。岩角に脛を擦ったり、木の根に足を取られるのは、いつもの事。まだ転ばない事だけが、幸いというところであろう。

 大猫平には、まだかなりのニッコウキスゲが咲いていた。今年は残雪が、いつまでもあったからかもしれない。黄色で大きさもあり、賑やかでよい。後立山の山々も現れ、益々気分が良くなる。でも、ちょっとばかり雲が出てきたようにも思った。

 ヨッコラヨッコラと、喘ぎながら山頂に向かうのであったが、急激に剱岳に雲が掛かり始めた。山頂に立つ頃には、いつものように全く見えなくなった。猫又山・釜谷山・大明神山は、すっきり見えていたのであるが、それも、僅かの間に隠されてしまった。

 26回目の大猫山であるが、始めから最後まで、それこそ、ずっと、見えていてくれたのは、何回あったであろうか? 雲中の人となってから、しばらく、暑さから逃れるエアコンの中のような所で、ぼーっとしていたのであるが、午後から、少なくとも夕方から、雨の予報が脳裏を過ぎり、猫又山からブナクラ峠へは行かなく、大猫山頂で、ゴロンを決め込んだ。

 ヒヤ~っとした冷気と、アリが顔面に乗っかって来たのに、目が覚め下山する事にした。何も見えないのだから、転ばないように、ゆっくりのんびりで、登りのペースよりも遅いのではないかと思うくらいである。もしかしたら、日頃「山ノ神」 に遅いとハッパを掛けているよりも遅いかったかもしれない。

 1500mのピークに辿り着く前に雨が降り出し、そのピークを過ぎた頃には、我慢していた雨具を、纏わないわけにはいかない程の大粒の雨となった。転ばないように、滑らないように、また、ケガしないように、登山口で時計を見ると、やっぱり降りの方が早かった。

 帰り道は、やっぱり眠くなって、道路脇で目を瞑った。それでも、明るい内に家に戻れ、通常なら出来ない事が出来、それなりに、満足のいくものであった。じっとしておれない「山ノ神」 は、何処へ行ったのか家にはいなかった。



  9/1 お天気が良ければ、飯豊山とその近くの山を引っかけて、出掛けるつもりもあったが、予報は良くない。テン泊や現地からの日帰りを検討していたが、このところ、ちょっと経費を掛け過ぎた事もあり、「無理する事などない。」 となった。

 「ならば何処へ?」 となったが、なかなか候補が思い浮かばず、未明に持ち越した。我が家は、二人の合意がないと、後々に問題が残るので、言葉も選んでの駆け引きとなる。先月末、「称名~弘法~雷鳥~室堂乗越~大日~称名」 の案があっただけに、それに沿ったものとなった。

 只でさえ、そのコースが、行けるか行けないか分からないのに、秋時間のゲートが、早朝1時間繰り下げ、夕方は1時間繰り上げとなり、2時間短縮の11時間では、とても無理と悟り、八郎坂から松尾峠、または、弥陀ヶ原・天狗平までのコースとした。

 もっとも私は、八郎坂や材木坂を歩いた事がなかったから、この機会に歩くのも良いと思った。「山ノ神」 は、一度歩いた事があり、それも、美女平方面の大観台辺りまで出掛けているようである。安定していないお天気だからであろうか、誰とも出会う事もなく、正しく静かな山歩きとなった。

 弘法からの木道歩きは、時々、自動車道に沿っている所があり、「何で・・」 と思わざるを得なかったが、その自動車道から離れると、静寂な弥陀ヶ原高原を、我が物のように思いながら歩けるから良い。追分から松尾峠へは、二つのコースに分かれているのであるが、そう大変わりするものではなかった。

 大きく見えた大日岳や、反対の鍬崎山や薬師岳が見えた時は、その素晴らしさに「おお~っ」 と声を上げたくなるのほどであったが、次第にガスに巻かれてしまうと、只ひたすらに木道を歩くだけになってしまった。松尾峠の三角点に触れた頃、ヤッホーと言う声が聞こえた。展望台にいた人の声である。私達が行くと、「今まで見えたのに・・」 と、大展望を拝んだだけに、私達に申し訳なさそうに話て下さった。

 それでも、1時間程展望台に留まっていると、竜王岳・鬼岳・獅子岳・鷲岳・鳶山が、ガスを払い除けるように、姿を現した。その時間は短いものであったが、獅子岳と鷲岳の間に、ザラ峠がはっきりと確認出来た。昭和44年の豪雨で、旧立山温泉までの登山道が廃道となったようであるが、遠いロマンを、ちょっとだけ感じたような・・・

 私も昭和44年の豪雨には、幾つもの想い出がある。その時の想い出を、一つ一つ想い出しながら、来た道と違った方の道を降った。午後からの雨を予想して、早めに降ったのであるが、八郎坂の途中から、小雨が降り出した。その雨降る中を、久しぶりに、称名滝間近の称名橋まで出掛けた。