12/31 72回の山行回数(山行日は80日)の内、山ノ神と、どのくらい一緒したものかと調べてみたら、64回(72日)であった。90%なので、意外と多いのに驚いた。一緒しなかったのは、お正月の2日間、また友人との旅行、そして、雨の牛岳、苦手な大猫山などであった。

 雪山キャンプ、蝶・剱沢などへも、重荷を担いで全て同行したのであるから、殆ど私と一緒のスタイルであった事になる。只、行き先を、山ノ神に、それとなく合わせた感も歪めず、それほど、ハードなものはなかったような気がする。

 しかし、山中心のライフスタイルが定着した事に満足感が漂う。中味をさておけば、これほどまでのバカ夫婦も、他のないと自負するまでになってしまった。(なりたかった。)

 でも、こんな事が長く続くハズがない。差し当たって、来春に高いハードルが待ち構えている。喜びとなる待機であればいいのであるが・・・



12/30 本当にPCの具合が悪い。今日の日中も、ず~っとダメだった。その影響の所為でもあるまいが、何だか頭や首が変である。これがストレスと言うのかもしれない。

 予報は、「今晩から雪」 だという。三が日も雪の予報である。雪はそれなりに歓迎したいが、わがままついででは、「適度がいい。」 のである。お正月は1~3日 and 5~6日が休日で、山に出掛ける事は間違いないが、近くの適当な山になりそうである。 p.m.7:55



12/29 「光陰矢のごとし」 一年は本当に早い。年を重ねる毎に速度が増すように思える。多くの経験をしていると、その一つ事が瞬時に思えるからなのであろうか・・・ (進む年齢と、感じる歳の速さは、反比例する表現は当たっているようである。)

人間は浅はかなもので、一晩寝ると反省など忘れてしまい、また欲が出る。「あれもしたかった。」 「これも欲しかった。」 である。何度も計画しながら実現しなかった「那須岳」へ、来年は、是非行ってみたい。

 何処へ行くにも、もう一座となるから、話がややこしくなる。限られた休日を利用しての山行なのであるから、ある程度は我慢が必要である事を自覚しなければいけないのであろう。

 東北には、「朝日岳」「飯豊山」が残っている。さっさと片付けるには、惜しい山のような気がする。まだあるステキな山と組み合わせて、ゆっくり登れれば、最高にいいのであるが・・・・

 ちょっと弱ってからでも登れるような気がするから、最後に残しておこうと言っていた「赤城山」「筑波山」「木曽駒ヶ岳」 も行きたくなった。四国の2座(剣山・石鎚山)や、中国の1座(大山)もある。

 でも、本当は、「富山の山」 が一番好きなのである。しかし、力量が伴わなくなっていくのに、いつまでも固執する事もないであろうと思うようになって来ている。そして、自分に合った山行スタイルを模索しながらも、密かに、僅かなチャンスを窺っていきたいと思っている。



12/28 今年も、今日を含めてあと4日になった。「私は、いったい何をしていたのだろう・・」 毎年末に、繰り返して思う事である。かといって、「何が出来る?」 と問い直してみても、悲しい程に無意味になってくる。近年の私は、ちょっと考え方を変えている。「自分に正直に生きられたか・・・」 「他の人に迷惑を掛けなかったか・・・」 「優しく出来たか・・・」 などにである。

 「我」が優先し、メンツやプライドを捨てきれなかった事も多く、後味の悪い事もあった。また、知らず知らずの内に、態度や言葉で、多くの方々を傷付けたに違いない。優しくしてもらっても、あまり優しくしてあげられなかったような気もする。そんな事で、今年も合格点を付けられないで一年を終える事になる。

 山に限れば、中味は別にして、一年中、山に行けたのであるから○であろう。6回も雪山で泊まれたし、なかなか恒例化出来ない剱沢でもキャンプが出来た。一部のメンバーであったが、夏季に蝶・常念にキャンプしながら縦走も出来たのである。

 また、一度は諦めかけた東北遠征も目標通り行けたし、年末には、伊豆まで出掛けられた。最も充実感に浸れたのは、1月に白木峰と土倉山の山頂に立てた事であり、また、12月の人形山と白木峰の頂に立てた事も特筆に値する。どれもこれも、多くの山仲間の元気や協力をもらっての山行であり、その点に関しては、言う事がないくらいの満足感がある。

 元気さがあって、感謝の気持ちさえあれば、今まで培った絆も、そう簡単に崩れまい。そのためにも、身体・精神を鍛えられないまでも、維持に努めなければなるまい。大きく多くを望む事は出来なくても、自分なりに精一杯動き続けたい。そうしておれば、思わぬチャンスが訪れるかもしれないから・・・



12/27 HPも年越しの準備をせねばならない。その都度いつまで続けられるのだろうと思ってしまう。人間目標がなければ、或いは、失えば、いつのまにか活力を失っていく。そういう事を充分に心しているつもりである。

 「ローン返済が、あと何回。」 や、「年金をもらえるまで、後何年。」 も励みになったり、楽しみにもなる。そのようにはいかないが、我がHPも、年が明ける2月6日で開設満9年。5月23日で、「元ちゃんの山歩きから元さんの山歩き」 になって満5年になる。アクセスカウンター100万件達成までは、なかなかであり、行き着く自信もない。とりあえず、その二つが、目先の目標としたい。



12/26 悪戦苦闘した年賀状作りが、ようやく終了し投函してきた。(山ノ神も、もう少しのようである。) ホッとし、今夜から、ゆっくり出来そうである。直近の10日間は、夜間がダメなら、早朝からと、没頭しただけに、少々疲れが出た感じである。

 力作とはいかなかったが、3種類内から一枚だけ届く事になる。「何だ、こりゃ~。」 になるかもしれない。それでも、考えての事だから我慢して・・・



12/25 今年一番の寒気が、南下するとの予報であるが、思った程の降雪がない。我々は、山だけに降って欲しいのであるが、なかなかそうはいかない。もう少し積雪が増えるまでの間が、意外と厄介かもしれない。



12/24 今日はクリスマス・イブ。大阪に住む長男から、クリスマスカードは届いた。特別な事がない限り、封書など来るはずがないのに、一瞬驚いた。開封してまた驚いた。「何にも書いてない。」

 何というデザインと言えばいいのか分からないが、星が輝く幻想的な中で、二人?のエンジェルが、一つのカップと思える飲み物を、ストローで吸っているように見えるのであるが・・・これが、本当のクリスマスカードなのだろうか? それとも何かのメッセージなのであろうか? 全く意図が分からない。

 昨年の正月も返って来なかったが、今年はどうなのだろうか? まだ意志が伝わって来ない。今年は東京の娘が、体調の関係で返って来ない。大阪にいる「二匹の極楽トンボ」 も返って来なければ、ちょっと寂しい。それこそ、「山三昧」になってしまいそうである。



12/23 全員の休日が揃わない理由から、一度中止になった好山病友の会の忘年会であったが、寂しいから、「参加出来る人だけでも・・」 となり、昨夕、我が家で行われた。

 飲み物と、料理は何か一品を持参との申し合わせ事項があったが、テーブルの上は、ご馳走が並べきれない程になってしまった。いつもの山中でも食べきれない程のご馳走なのに、下界ではそれを遙かに上回った。

 しかし、巨大胃袋は、いつのまにかそれを吸収してしまった感があった。もしかしたら、7時間も喋りまくり飲みまくってしまったようである。実に楽しかったのであるが、「眠い」 という後遺症が付いて回る。 p.m.7:40



12/22 降水確率が高くても「行かなきゃ~」 と、後は、家を出るタイミングだけだった。雨の牛岳に、あまり魅力を感じない山ノ神は、今夕、「我が家で行われる好山病忘年会の準備もあるし」 と、今日の山行に、始めから拒否反応を示していた。

 雨100%を予測していただけに、雨具のズボンを履いての出発としたが、意外と雨は落ちなかった。6合目から雪が現れ、7合目付近からは、一面雪に覆われていた。8合目から降雪が伴い、山頂では雨具の上着を纏わなければ寒い状態だった。

 濡れた落葉を踏み締め、意外と締まった雪上を歩く頃から、今年最後の山行は、何故か自分に相応しいのではないかと思うようになった。何の変哲もない牛岳に、「これでもか・・」 と登るのであるから・・

 ツラツラ考えるに、難しい山に登るわけでもないし、速く歩けるわけでもない。話が上手いわけでもないし、纏める事が上手でもない。「ああでもない。こうでもない。」 とブツブツ言いながら、(いや、心の中で) コツコツ(一歩一歩)と、歩く様が、私には似つくような気がする。それが、牛岳であれば尚更である。

 そして、その牛岳山行が、今年72回を数え、その延べ日数が80日になった。バカも、ここまで来れば、ちょっとはインパクトがある。来年も、出来れば全休日山に出掛けたい。



12/21 雪は無いと言うけれど、やはり高い所には、ちゃんとある。(ちょっと少ないが・・・) 怪しげなお天気の中、同窓会的山行の行き先を「白木峰」にして、結果的には正解であった。

 急遽、都合の悪くなった2名があったが、それでも、不安な予報の中、15名が集った。初参加して下さった ヤブ好きの佐渡・室谷氏とその仲間の井上女史、そして、パーッと雰囲気を明るくしてくれたユキコちゃんには、この山行がどのように感じられたか分からないが、雰囲気としては、相変わらず楽しいものであった。

 雪が少なくとも、風衝地帯は風が強く、1600mクラスの雪山を充分に感じさせてくれ、「年末に、これほどの人数で、白木峰へ達したパーティーなどないであろう。」 などと、勝手に舞い上がっていたが、それも、このような催しに集まってくれたメンバーに感謝であり、暖冬の恩恵?を受けたからに他ならない。

 相変わらずに持ち込まれた料理に舌鼓を打ったのであるが、その中でも、堀シェフ作製のテラミスは、「私と山ノ神」 を図案したステキなもので、皆から大歓声が上がり、嬉しかったが、ちょっと照れてしまった。

 下山時に、ちょっとコースを外れたばかりに、法面を降りられず、メンバーに迷惑を掛けてしまった事は反省しなければならない。また、ちょっとしたハプニングがあり、暗くなる寸前に車へ戻る事になったが、今回参加した者の共通の想い出として、いつまでも語り継がれるであろう。



12/20 予報は悪いけど、一年に一度の山仲間の同窓会を白木峰で行う事となった。所用で来られない友もあれば、新たな顔ぶれもある。一度でも語らえば、もう山仲間も同然のようになるからおかしなものである。これを機会に輪が広がればいう事はない。 私は、久々に会う仲間と語るだけで充分である。それ以上何を求めよう。笑顔だけが欲しい。 p.m.11:55



12/19 明後日の同窓会的山行は、6つの候補から最終的に白木峰(1,596m)に決定した。今日・明日が好天なのに、明後日は、「曇りのち雨」の予報である。しかし、その雨も、朝の内の雨なのか、お昼から、或いは、夕方からか、まだ分からない。でも、そんな事で怯まないし、避難小屋もある。余程の嵐とならない限り決行とする。

 その予報は、高温としている。「雪が少ない。」「雪が無い。」 が予想されるし、降雪とて怪しい。しかし、大長谷への道路凍結の心配がないから、ものは考えようである。12月しかも年末に、白木峰のてっぺんに立つ機会などそうそうない。今年の1月に登れた事に次ぐ、ハッピーな事となればいい。



12/18 人生には、いくつかの転機というものがある。大きさは別にして、正しく、今、私は、その渦中なのかもしれない。どちらの道を選択しても必ず後悔をする。「ならば、思った通りに・・・」 とやって来た。

 振り返ると、全てハズレだったような気がする。人生の賭けは、全て負け。それを称して私は、「ギャンブルに弱い。」 としている。「負けるが勝ち。」 とて一度の恩恵もない。

 最近は、やけくそで、「この女房と結婚した事だけが正解(勝ち)だった。」 と言うようになった。言い過ぎた感があり、少々反省しているが、当の山ノ神は、気分を良くしているようである。

 私は、発散型だと思っているが、もしかすると、山ノ神以上に、内に籠もるタイプかもしれない。平成16年5月、「元ちゃんの山歩き」 を止めた事がある。自分としては、人生最大のピンチであった。

 しかし、誰にも相談しなかった。「しても、仕方がないんだ。」 と決め込んでいた。それは、今も続いている。人間は、一人で生きていけないのと同じで、喋らないではおられないのである。

 4年半、誰にも話さないでいるのであるから、自分なりに凄いと思っている。本当は、関係のない人にでも、ポロッと喋り聞いて欲しいものである。逆に、悩みを相談される事があり、秘密を漏らすのがイヤな私は、参ってしまう事がある。

 しかし、最近ボケて来ているから、そのような悩み方がなくなっていくかもしれないし、山という大自然の中で育んだ気質の一つかもしれない。



12/17 いつかは来る「老い」、そして「死」。するしないは別にして、普通なら、その前に介護がある。自分を育ててくれた両親、そして、連れ合いの親もある。我が家は、それを乗り越えた。山ノ神は、介護度3~5という姑の面倒をみた。デーサービスやショートステーを組み合わせて、最後まで自宅で看た。

 でも、「休日だけは、家から離れたい。」 と言った。その頃から、何が何でもと、僅かな時間を利用して、山にしか行かない私に付いてきた。ショートステーに出す6時間を利用してから始まった。その姑(私の母)が亡くなって、もう6年が経つ。

 私のHPを見てくれる人、山歩きを応援してくれる人にも、そのような境遇の人が、何人もおられる。富山のNさん、石川のKさんなどへ逆に応援したくなる。でも、何もしてあげられないもどかしさに、落ち込んでしまう。本当は、お話を聞いてあげれればいいのであるが、訳にいかない。

 週に一度どころか、月に一度も出掛けられない人が多いと聞く。「自分はラッキー。」 世には、いろいろと苦労されている人が多いが、それを苦労とも思わない人がいるから凄い。
 「山で飲んだ。」 「重い荷を担いだ。」 話より、花の咲き具合や川の流れの描写など、事細やかに、しかも、見えるような表現が出来るようになれば、もしかしたら、誰かの心を和らげる事が出来るかもしれないと思った。 p.m.11:55



12/16 過日、同窓会的山行の予告をしておきながら、行き先を決めかねている。天候・雪量・参加人数など、不確定要因が多いからなのであるが、前日に行き先を決める自分だけの山行でないのであるから、そろそろ決めなくてはならない。

 そんな折、一年に一度しか会えない「花じい」 から、どうしても離せない所用のため不参加を伝えられた。ちょっぴり寂しい。元々同窓会的山行とは、お互い幾多の事情から、復帰山行と題して励まし合った 「花じい」・「シュンちゃん」 が原点だけに、その一角を欠くのであるから・・・・ムムム
 「 同窓会的となってから、16年(大辻山18名)、17年(尖山7名)、18年(白鳥山14名+2名)、19年(烏帽子山・鋲岳14名) 」

 しかし、今年は、初顔の登場もあるらしい。それに肖り、昔を懐かしむ事ばかりではなく、心を爽やかにしてくれる新風を期待した方が良いのかもしれない。お天気にならないであろうか・・・・



12/15 「アルペン村に午前8時集合で大辻山へ・・」 難なく長尾峠まで車が入った。予想以上に雪量が少なく、しかも雪が締まっていて、2時間掛けても、大辻山頂には午前11時前に着いてしまった。幸い山頂の雪量は、テーブルを造るには、まずまずで、皆久しぶりに雪の感触を楽しんでいた。

 久しぶりに参加してくれたeiko女史とさおりさんから、黄色い声が飛び交い、タープに覆われたシェルターは、何となく暖かく感じた。その山頂で、2時間を費やしても、そのまま長尾峠に戻れば、「好山病・・」 としては異例で、先週の人形山よりも、もっと早く着いてしまう。

 それを察してか、只でさえ、横道に逸れたがる「北ちゃん」 の誘導で、途中から白岩川ルートに突入となってしまった。「ちょっと怖がった女性陣」 であったが、入ってしまえば、またまた「キャ、キャ」 と悲鳴とも喜びとも取れる声がこだました。そのような事もあって、下りも2時間。きっと、皆が満足して、山を降りたと思う。私も、お陰様で、午後7時から行われた高岡の友人達との忘年会に、悠々間に合ったのである。



12/14 明日の日中は、何とかお天気が持ちそうである。「北ちゃん」 に、大辻山へのルートを任せてあるのだが、たぶん一筋縄ではいかないルートを選択するのではないかと思う。私は、「一般ルートでいい。」 のであるが、彼は、何かと横道に逸れたがる気質であるが故に、私を悩ませる。でも、登り尽くしてからは、いつも 「面白かった!」 となるのであるから不思議である。 p.m.10:05



12/13 今年中に、あと3回の山行機会がある。(15日・21日・22日) それが成就すれば、80/80の満願になる。一年365日であるから、中味は別にして、4~5日に一回、山に出掛けている勘定になる。

 今のところ、特別の病もなく、親や子の事で煩わされる事もない環境下にあり、「今を逃しては・・」 の気持ちである。でも、いつどのような事で、制約・拘束を受けるやもしれないから、現状に感謝しなければならない。

 そして、当たり前のように思ってしまいがちであるが、多くの山仲間に恵まれている事も、決して忘れてはいけない。明後日も、北ちゃんに、「おんぶにだっこ」 で、気楽な山行になる。21日は、お天気と雪量が、どうなるか心配であるが、久々の顔が見られないものかと楽しみにしている。でも、まだ、行き先を決めかねている。

 

12/12 HPを続けていると、常にリニューアルが脳裏を過ぎる。「マンネリ」 より 「継続」 の方が凄いのであるが、その過程においては、そんな事は分からない。新鮮な企画に越した事はないが、凡人には、次から次へと、そうアイディアなど生まれるわけがない。

 「変更」「縮小」「削除」 などのマイナスの語句ばかりがチラツキ、プラスなるものは、てんで思い付かない。「それで良いのだよ!」 と自分を慰めながら、今更のように、能力の無さを実感し、そして、最後は、「自分の山記録なのだ!」 に収まってしまう。



12/11 「そろそろ準備しなければ・・」 と思っていた年賀状。モタモタしている内に、あっという間に日が経ってしまった。毎年の事であるが、「間に合うのだろうか?」 と思ってしまう。

 「一つの図案を考えて、一気に印刷すれば良いのでは・・」 でも、「一人一人に、何か違ったコメントを・・」 が脳裏を過ぎる。「あいつから年賀状が来たか・・」 ぐらいにしか思われないのに、無い頭を絞る事もないのでは・・・」 の格闘である。

 もっと先から準備しておれば、こんな思いをしなくてもいいのであるが、おかしな事を繰り返している。これも、私の師走恒例行事だと思う事にした。



12/10 昨日・今日、そして、明日も、また気温が高いようである。午後からお天気が崩れるようであるが、雪を期待出来るのは来週になるようである。平地にはいらないが山には欲しい。この分だと、低山では雪上を歩く事が出来なくなってしまう。

 15日は何処へ? 21日はどうしよう・・・・悩めるのは、喜びとしなければいけないのか?



12/9 今回の「人形山」行きに際し、荷をなるべく少なくし、常に、二番手・三番手くらいに位置する事を、山ノ神に何度も言い聞かせていた。元気者ばかりの山行だけに、足を引っ張る事を避けるためである。なのに、「果物や飲み物は減らされない。」 ために、少々メンバーに迷惑をかけたのであるが、それが奏功し順調な歩きであったかに見受けられた。

 さすがに、ネコさんの後には付いていけないが、それなりに、調子が良かったようである。二人だけの時は、必ずと言っていいくらいに、途中で棄権(放棄)なのであるが、皆と一緒の時は、「負けられない。」 の気持ちが働くのであろうか・・・

 折角の登頂機会であったが、ムードに流されやすい性格が仇となり、「食事処で撃沈」 となったようである。しかし、それも楽しみの一つで、二者択一となれば分からないでもない。私は、そのムードを持ち合わせていなかったからか、「あんたは、行って来られ!」 となったのであろう。

 

12/8 久々に気持ちの良い雪上を歩いた。小枝が邪魔するから、もうちょっと、雪量が欲しいところであったが、多ければラッセルが大変で、山頂が遠くなるし、長い林道歩きも強いられかねない。

 気温が低く、まともに風が当たる所では、「冬山」 を実感し、陽の当たる稜線では、この上もない「楽園」 擬きが味わえた。参加した「好山病・・」7名は、皆元気で、大きなザックを担いでいる。楽しみの食事の事もあるが、やはり非常事態の考慮もあるからである。

 

12/7 予報通りになれば、「明日も晴れ。」 好山病の元気者が揃うし、車が少しでも入れば人形山に挑む。「冬至10日前」 の言葉通り、「日照時間の短い時期」 だけが気に掛かるところ。もう一つは、どうしても、食事に時間を掛けてしまう事。「先に行く。」 よりも、「皆で語れる食事時間」 を選択したがる優しい心の持ち主が多い故に、またもや「春木山止」 にならなければ良いが・・・・ 



12/6 今日は、一日中雪が降り続いた。しかし、その雪も夜半前に止んだ。明日は、午後から回復傾向、と聞く。ならば、月曜日は、絶好のコンディションかもしれない。昨年同時期に人形山に挑んだが、車が思うように上がらず、結果的には、春木山宴会となってしまった。今のところ、そのリベンジが頭中にある。 p.m.11:55



12/5 朝方は意外と暖かかった。しかし、次第に雨になり風も伴った。明日の一日中、「雪だるまマーク」 が並んだ。山には雪が欲しいが平地にはいらない。そして、暖かい方がいい。

 実に勝手である。「自分さえ良ければいい。」 の典型である。何事も自分の人生と重ねてしまう性格からして、どちらかというと、暗い感じ?だと思う。そして、面白くないのであるから、厄介である。そんなのに、よくもまあ~、HPを続けておられるものだと本人が呆れている。 p.m.11:59

 

12/4 「お天気も今日まで・・」 週末には雪の予報である。「平地にも積もるのであろうか?」 予報通り雪の後の休日が晴れなら、願ったり適ったりである。しかし、この時期は、中途半端な雪量・雪質が予想されるだけに、苦戦が強いられるのも確か!

 でも、今度の休日(8日)は、強力なラッセル隊が揃いそうである。「私(達)だけなら、行けない所」 まで、前進出来るのは良いのであるが、悲鳴を上げなければならなくなるのは、ちょっと困る。そう言いながら、ロートルを気遣ってくれるから、心配・不安はない。



12/3 夜半に戻り、入浴後に、一寸反省会をしたら、午前3時になった。6時に起床したのであるから、眠たくてしょうがない。「もう、こんな事は止めよう。」 と言いたいが、少々無理をしないと変わった山には行けない。「それがどうした!」 と言われがちだが、行ったら行ったで、それなりの収穫があるというもの! そして、行ったからには、楽しく、尚かつ、充実した山行としたい。

 山しか行かない私としては、それが(遠出が)観光なのであるから、山ノ神の言う通り、もうちょっとゆっくり、そして、「美味しい物を・・」 あるいは、「もっと他の物を・・」 を思うのは、当たり前なのかもしれない。



12/2 ちょっと出遅れて、天城山の登山口である天城高原ゴルフ場に着いたのは、午前7時一寸前であった。大降りではなかったが、昨夜来の雨の所為か、それとも平日(火曜日)だからであろうか、我々の他は、一台の車もなかった。天城山の予備知識は多くないものの、比較的楽な山だとの認識をもって臨んだのであるが、意外と時間を費やしてしまった。

 時間を掛けた食事さえしなければ、4時間で充分であろうと思っていたのに、6時間を要したのである。山ノ神に疲れがあったのは歪めないが、土砂流出のため周遊コースの迂回にも、少々余計目に時間を要したのも事実である。

 この後の4座目(箱根山、最高峰・神山)の欲があったが、届かぬと思いゆっくり歩く事とした。天城山の主峰は万三郎岳があるが、伊豆半島の最高峰でもある。樹林に覆われ展望はイマイチであるが、万二郎岳から、ちょっと降った所で富士山が眺められる。山頂からは、少しだけ見えると言った方が良いであろうか・・・ それよりも、アセビのトンネルとブナの群落が印象的であった。

 往路は海岸に沿って走ったが、帰路は、山中を走っている伊豆スカイラインを利用した。上高地公園線の夜間通行止を知らず、風穴の里でバックを余儀なくされたが、それにしても長かった。午後1時半に天城山登山口を出発して自宅に着いたのが、午前0時半であった。(11時間) 全走行距離は1072キロ。

 それにしても、駐車場に着いた時も山中6時間、そして、下山して駐車場でも、一人の登山者とも遭わなかった。晴れの条件下の百名山歩きとしては、そのような事は初めてであり、珍事かもしれない。



12/1 「富士山が見える山行」は、下準備が行われていなかった所為もあり、出発が午後11時半を回ってしまった。魚津から糸魚川まで高速、148号線を経由して、豊科から再び高速で一宮御坂まで。山中湖・篭坂峠・仁杉・須山経由して、愛鷹山登山口の十里木へ。

 夜が明けた頃から、車中でも大きな富士山が望め、「おっ~、おっ~」 と二人して奇声を発していた。十里木の駐車場の真ん前からも、大きな富士山が望める。しかし、放射冷却の早朝は、身が縮まる程の寒さであった。

 霜柱を踏みながら、急階段を登り電波塔の横を通り過ぎる頃には、益々富士山が立派に見えて来る。愛鷹山の最高峰・越前岳をピストンするだけなら、そう時間を要しないから、富士山をゆっくり眺めながら歩く事にする。

 名ばかりの「馬の背」なる尾根を登る頃から、視界が悪くなってしまった。リョウブやアセビの林を抜けると1504mの山頂である。視界がないし寒いので、簡単な食事を済ませてUターン。しかし、高度を下げるに従い、すっきりで無いにしても、富士山が再び姿を現し始めた。

 登山口に戻ったのが、午前11時過ぎであったから、金時山に登るため乙女峠を目指す事になった。カーナビなしに、8年前の地図。それはそれで良かったのであるが、基点となった所へ戻らず、近道を模索したのが難となり、御殿場市内を行ったり来たりで大幅なロスをしてしまった。

 それでも、乙女峠に午後0時半頃に着いたのであるが、何と茶店の駐車料金が2000円とある。「片道1時間半程の山に、それだけのお金を払ってまで・・・」 となる。

 しかし、ここまで来たのであるから、やはり登りたい。乙女トンネルの先や手前と行ったり来たりとなったが、執念であろうか400mくらい下がった所に、駐車スペースを見付ける事が出来た。(「後から登って来た地元の人に、よくぞあそこが分かったね!」 と言われた。好意的に・・そして、それは、乙女森林公園キャンプ場や御殿場市温泉会館に繋がる遊歩道の入口に当たるらしい。)

 乙女峠は、トンネルの出入口ではなく、トンネルの上に当たるのであろうが、その乙女峠・長尾山を経由して、1213mの金時山に達するコースを選択していた。金時山の頂上では、まるで夕暮れのようなどんよりしたお天気だった所為もあるが、富士は姿を現さなかった。

 山頂の茶屋では、テーブル上でコンロの使用を禁ずるとあったので、ここでも、火を使っての食事をしなかった。乙女峠に戻ってから、夕暮れ近くの富士山が現れたが、私のカメラではあまり美しく写らなかった。

 車に戻って、箱根峠・熱海峠を経由し、熱海から伊豆の海岸線を走ったが、伊東市内に入った頃から雨になった。