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8/31 夜半まで衆議院議員選挙開票速報を見ていたので、このような調子で起きられるのだろうかと思いながら床に着いた。午前3時15分の目覚ましで起きて見たら、細かい雨が降っていて、いっぺんに志気が落ちてしまった。では、もうちょっと寝ようかと思ったが、その時点から、白山行きはなくなった感があった。5時時点でも、かすかに降っていた。完全に諦めて寝てしまった。(寝たような寝ないような・・・)
「昨夜、雨なのに行くの?」 と心配してくれていた娘の方が、「どうしたの?」 と起こしに来た。「始めから雨じゃね・・・、どうしても行かなくてはならない所でもないし・・・」 と言い訳をしながら、「近くの山に変更するわ。」 となってしまった。
そう言いながら、自宅を出発したのは午前10時半近くであり、大辻山北尾根コース登山口を発ったのは正午を回ってしまっていた。滑らないように超スローペースで、「何のために・・」 「今更何を・・」 の自問自答の歩きであった。でも、我が家の答えはしっかりしている。「次の歩きの為に・・・」 そして、「山はダヤイのがいい。」 である。山ノ神にしてみれば、「山頂での一杯。」 も加わるのかもしれない。
我が家には、しなければならない事が山ほどある。早く帰って、ちょっとでも、片付けなくてはの思いがあったが、帰宅は夕暮れ時となり、また先送りである。次の山行の活力になったかもしれない雨の大辻山は、我が家にとっては、有意義なものとは言い切れないかもしれない。
8/30 関東に台風が接近しているという。予報は名古屋より西は晴れ。北陸は、ちょっと雨マークが入るが曇りの予報である。台風の速度、あるいは、進行方向の変化によって、随分と予報も変わるが、少々の雨なら耐えられる事を鑑み明日は白山行きとした。でも、決定は起きた時点の空模様。
8/29 一昨年の11月上旬、雨飾山で出遭った新潟のひとみちゃん(小学生)が、意欲的に山に登っているようである。今夏も、会津駒ヶ岳・唐松岳~五龍岳・薬師岳~黒部五郎岳の報告を頂いた。今週末も何処かへ出掛けたいのだがとか・・・・・・
ひとみちゃんは、いつもお母さんと一緒で、お父さんは登らないらしい。おばあちゃんが、無類の山歩きらしく、その点母娘で出掛ける事についても、かなりの理解があるとの事。時々、山行報告を受けるのであるが、名山ばかりではなく、山スキーもあるから頼もしい。そして、羨ましい。
私の3人の子供達は、山歩きに見向きもしない。もちろん目一杯の生活をしていて、そんな余裕がないのかもしれない。特に男の子達は、あれで人生が楽しいのかと思ってしまう。経済的な余裕が無くとも、心の余裕(楽しい事がある。)を持って欲しいといつも願っているのであるが・・・・・
ひとみちゃんは、その点環境に恵まれているから、ず~っと、山と関わりを持っていくと思われるが、やっぱり中学に入ってから異質の考えをもった人達の出遭いに大きく左右されるのであろう。
8/28 山歩きにはいろいろな楽しみ方があって、1分1秒を惜しんで歩く人、人の行けないような所を好んで行く人など様々である。「天狗」 「スーパーマン」 のような類の人達を見るに付け聞くに付け、唖然とするしかない。自分とかなり年齢が離れている人達なら納得もするが、よく似た年齢の人もいるから凄いというしかない。これがまた、年上の人もいるから、唯驚くしかない。
これを真似ようとすると痛い目に遭う。(とても、真似など出来ないが・・・) その人達を崇めながら、自分のスタイルを貫くしかないであろう。結果的には優劣など付けがたいのであるから・・・ 一年でも長く歩く事を目標としたり、誰よりも長く山中に滞在するなど、視点を変えて山行に臨むのもいいかもしれない。
住民運動会や各種スポーツ大会でケガする人をみていると、以前はスポーツマンと言われていたが、最近は運動する機会がない人が多い。それ程の運動神経がない人でも、コツコツとやっている人が、前者よりも上回る事の方が多いように思う。やはり、自分の実力を掌握しておかなければいけないという事かもしれない。
8/27 何もかもがイヤになる事もあれば、「どうでもいいや!」 となる事もある。スランプという大袈裟なものでなく、人間が出来ていないと言った方が近いかもしれない。まだまだ子供の域などと思えば、自分の人生は、まだ長いと良い方に考えられはしないか?・・・・・・
そんな折、「全休日山行きは続いていますか?」 「風の便りではお怪我をなさっているとか・・」 「おじいちゃまになられた感想は?」 などと認めたお便りを頂いた。可愛いお花の写真に自分の姿は控えめで、流れるような筆使いとその文章は、私に元気を与えて下さったようなものであった。
一度しかお会いした事がなく、これからもお会いする事などないと思うが、何故か気になるお方。最も、気品が有り無骨者私など近寄れるわけがないが、時折、思わぬお便りに喜びを感じてしまう。それにしても、どうして、私の事を・・・
8/26 元気者のような歩きは出来ないまでも、登りに関しては、そこそこ歩く事が出来る。膝・股関節に難ある者としてはかなりのものだと思っている。しかし、降りになると、今や全然ダメなのである。(登りも降りも同じ時間を要するのであるから・・・)
滑ったり転んだりする降りであるが、先日の白馬岳の降りでは、山ノ神と一緒にゆっくり歩いた所為もあり、滑ったり転んだりする事が全くなかった。私は思った。「足の裏の筋力ではないか・・・」 (当たらないかもしれないが・・・・・・) 一歩一歩足の裏で岩や石をつかまえるように歩けば、滑ったり転んだりしないような気がした。
長時間歩いていると、その筋力が無くなったり、惰性で歩くため注意力が散漫になるから危ないのであろう。元気者は少々疲れを感じても、バランスが良いから、咄嗟の行動が出来、滑ったり転んだりしないのではないか! 余力があるという表現の方がいいかもしれないが・・・・・・
8/25 小蓮華山から白馬大池への下山時から山ノ神の歩きが可笑しくなった。先週の事もあり、「ザックを小さくせよ。その分私が担ぐから・・・」 と言っていたのであるが、小さなプライドからか、それとも、写真写りの事もあってか、聞き入れてはくれなかった。それでも、白馬大池着が午後3時であるから、夜行バスで帰京するムコ殿と夕食を共にする可能性は残っていた。(蓮華温泉着午後5時を想定していたから・・・)
しかし、「あの歩きでは、とても予定内で歩く事は出来ない。」 と判断し、コーヒーを沸かしベンチで休んだ。のち30分毎に小休憩を入れ、山ノ神が壊れないように歩かせた。どれだけ早く歩かせようと思っても、動けなくなってはどうしようもないのである。元々短時間で物を食べられない山ノ神であるが、チョッピリでも良いから何かを食べさせ、水分補給を忘れなかった。
天狗の庭を過ぎた頃から、「荷を担いでくれ!」 と言いだした。それでも、「歩けないよりはいい。」 と励まし続けたが、小刻みの歩きでは、なかなか蓮華温泉には着かなかった。でも、不思議なものである。コツコツ歩いておれば、必ず目的地に着き、倍の時間も掛からないものである。
8/24 自宅発が午前2時20分。魚津から高速に乗ったが、眠気にたまらず境Pで山ノ神に運転を代わってもらった。しかし、糸魚川に近付くに連れて土砂降りの雨となり、148号線のコンビニPで、またまた私と運転を代わった。ところが、根知辺りから雨は止み、その後ポツリとした事が何度となくあったが、傘を差したり、雨具を着るような事は全くなかった。
蓮華温泉発が午前5時15分。登り6時間、降り5時間、予備(食事)1時間。今日は、午後5時台に車へ戻り、何とかムコ殿との夕食に間に合う計算であった。土曜日朝夜行バスでやって来たムコ殿は、いつもなら日曜日の夜行バスで帰るのであるが、今回は私達の為に月曜日の休暇を取ってやって来たのではないかと思われたが、私達のライフスタイルを崩すわけにもいかず、出発時に書き置きをして出て来たのである。(蓮華温泉から白馬岳へ、午後8時頃には戻る。場合によっては、9時にずれ込む事もあり。)
蓮華温泉からのコースは恒例と言っても、まだ6回目くらいであろうか、そして、10月中旬を除けば盛夏で、一番遅いものなった。夏のお花は終わりを告げようとしていて、イワギキョウやトウヤクリンドウくらいなもの。登り始めは、時々青空を望めたが、ガスと秋風に身が縮む思いをさせられた。
山頂で予定の食事も、寒くて三国境を少し降ったハイマツの陰に身を寄せてとなった。休憩時間を区切ったので、山ノ神にしてみれば、飲む時間(ビール)が少なかったかもしれない。その山ノ神が、小蓮華岳を過ぎる頃から、足の調子を崩してしまった。
とにかく我慢。「山ノ神を怒らせない。」 だけに気を遣う事となった。
8/23 白馬岳・朝日岳・唐松岳・白山が候補に残った。「午後8時前に帰高したい。」 が私達の条件であった。それをクリアするに白山が一番。そして、唐松岳が続いたのであるが、あえて、一年に一度の白馬岳を選んだ。
「早く寝なければ・・」 「ちょっとでも寝なければ・・」 の思いがあっても、ムコ殿の来高なのに、そうも勝手に振る舞うわけにもいかない。私も、「明日は山へ・・」 とは口に出来なかった。
8/22 今朝ムコ殿がやって来た。仕事を終えて、尚かつ、夜行バスに揺られて来るのであるから大変である。自分の女房と娘に会いに来るのは当たり前で、辛い・疲れるなどと言っておられないのかもしれない。我が家も、賑やかになるのであるから大歓迎であるが、いつもより一日長い月曜日までと聞いて、ちょっと考え込んでしまった。
娘を放って行くのは慣れてしまったのであるが、ムコ殿をもと考えると、「ちょっと・・」 となる。それは、山ノ神にしてみれば尚更であろう。若夫婦は、私にこそ言わなかったが、何か私達を交えたイベントを考えていた様子に伺えたが、「何としても山へ・・」 の私に参ってしまったようであった。
8/21 迷惑メールを防ぐために、PCからのメールを拒否する設定をしている方が、私の周りに多くなってきた。私は、自分の携帯から送るメールが苦手で(遅い)、ついついPCを頼ってしまう。拒否されるなら、届かないと戻って来ればいいのにそれがない。
過日、友人との間でもあったのに、先日は東京の姪との間でもあった。その先には長男とも送ったつもりでも 「届いていない。」 との揉め事があった。機種によって違うかもしれないが、拒否するが、登録したものは受け入れる設定があるらしい。そうしてもらうと私は助かるのであるが・・・・・・
2~3日前、「山に連れて行け!」 と言っていた知人に、PCから携帯にメールを送ったが、返事が来なかった。これも拒否されているのかもしれない。しかし、ちょっと、歳を取っている方だと、見忘れというのもある。
8/20 区切りの赤い物から早2年が過ぎた。変わらぬつもりでいても、どんどん退化していく事が分かる。鏡を見ても写真を見てもイヤになる事がある。「今日は、明日より若い。」 と他の人に言い続けていても、自分の退化は、劣化の語句が当て嵌まるようにさえ思えるのであるから・・・
そんな私のバースデーを覚えていてくれた友人・知人に感謝しなければならない。年取る事は、あまり嬉しくないが、その節目を(私の事を)気にしていてくれた事に喜びを感じる。
こんな日でも外に出たがらない私に、「何が食べたい。」 と山ノ神が問うた。
「普段と変わらないでいい。もし許せるなら、チキンカツ。そして、いつもより冷たいビールがいい。高価なビールでなくて良い。いつものでいい。」 こんな会話を聞いていた娘は、「二人で街に出ればいいのに・・・」 といろいろアクションを起こしていてくれたが、しょうがないオヤジと諦めてしまったようだった。
8/19 盆休みが終わった。このところ、ようやく夏らしくなってきたが、時期が時期だけに、日の出が遅くなり、日の入りが早くなって、否応なしに秋へ近付いて行く。お盆で一年の半分と思いがちであるが、8月末になると、2/3が終わった事になる。ついこの間も同じ事を言っていたような気がするが、だんだんと、後何回言えるのかに代わって行く。
先日の大日岳で、今年の山行は50回(53日)になった。8月は、後2回の休日があるから、順調に行くと52回(55日)になる。9~12月には、25回の休日があるから、ちょうど山行日が80日の計算になる。
もっと休日のある方には適わないし、「内容は?」 と問われると、些か戸惑ってしまうが、この歳で、全休日山と戯れる事が出来、また、諍いしながらとは言え、夫婦で山に親しむ事が出来るのであるから、私(達)は、幸せ者である。そして、「次は何処へ行こうか・・・」 こんな時が一番楽しいのかもしれない。
8/18 キャンプ山行から戻った晩も、大日岳から戻った晩も、冷~たいビールを飲んだのに(飲んだからだろうか・・)殆ど眠れなかった。疲れすぎなのであろうか、それともエアコンも扇風機もない部屋で、寝ているからであろうか、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロ、まるで幼児の寝相のようである。
「何時から起きていたのか・・」 と山ノ神に問われる程である。尚更のように顔も痩けたようであり、日中はたまらないくらいに眠たい。「眠るにも体力がいる。」 を実感した。
8/17 「休日は山へ・・」 が私のライフスタイル。残された盆休後一日は牛岳でも良かったのであるが、お天気も良いし、昨日の山ノ神の状態からして、堂々と一人でも行けるチャンス。家に戻ってから、山用具の後片付けや、中途になっている家の片付け(整理)を充分にするには、ちょっと出発が遅れたが、それでも、登山口を午前7時半前に立てたのであるから、まあ~まあ~であったであろう。
荷を小さく(少なく)すると、こんなにまで違うものかと、それこそ肌で感じる山行であった。往路の大日平小屋で、暑さにかまけて、ビールを買ってしまった。(往路なら、時間的にも許されると思ったから・・) その飲むのに費やした20分程を差し引いても、3時間では登れなかったが、膝や股関節を痛めている私にしてみれば、上出来の部類であった。
山頂では、ゆっくり剱岳と向き合って、静かな一時を過ごす事が出来きハッピーハッピーであった。しかし、登るのは良いとしても、降りは、バランスが悪いからであろうが、いつも滑ったり、蹴躓いたりして実に情けない。登る時間と、あまり変わらない時間を要した事は言うまでもない。
8/16 それにしても、黒部五郎岳は遠かった。ましてや、再びテン場に戻ってから撤収作業があり、そして、折立まで降らなければならないのであるから・・・ だから、「山ノ神が、いつ音を上げるか・・・」 であった。
日の出、そして、北ノ俣岳の穏やかな山容、そして、刻々変わる山並みに元気付けられていったのかもしれなかった。そして、途中から、黒部五郎岳が百名山である事を知ったのも頑張れた一つだったのかもしれない。また、「今度また・・」 といかない山だと思ったからかもしれない。
「ゆっくり焦らず・・」 のつもりであったが、今回もまた、「早く・・」 「時間がない。」 などと、悪者役に徹しなければいけなかった。しかし、北ノ俣岳に戻った頃から、いや太郞山に近付いた頃から、山ノ神の足取りが重くなってしまった。仕舞いには、「泊まってもいい。」 とまで口にするようになった。そして、テン場では、座り込んでしまった。
それでも、太郞平小屋前を午後4時半前発であったから、楽勝と踏んだのが、ちょっと甘かった。折立着が真っ暗になった午後7時35分。そして、その先数百メートル(トンネル前)に車があるのだから、私は焦った。空を飛ぶような運転で、亀谷ゲートに向かって車を走らせたが、私の時計が違っていたのかもしれない。
8/15 21キロと10.5キロが今回の荷。「どうして、そんなに・・・」 となるかもしれないが、これが我が家の山行スタイルなのかもしれない。「あれもこれも・・」 と余分なものがザックに詰め込まれている事は間違いない。そして、帰る時に、必ず 「もう1~2泊出来る程の食料がある。」 となる。
今回は盆休の中の山行故、折立の駐車場は満杯。手前のトンネル付近から歩かなければならず、その事を思えば、太郞平小屋まで4時間半程であったから、久し振りのテン泊山行としては、山ノ神を褒めてやらなければいけないかもしれない。
従って、薬師岳の山頂を目指したのは私だけ・・・ 「薬師岳の山頂には、何回も登っているから・・」 を、山ノ神は理由にあげたが、「早く、一服したい。」 「明日のために、エネルギーを温存!」 どうもその辺にあったのかもしれない。
8/14 「妥協の産物」 という表現は可笑しいかもしれないが、明日から泊まり掛け(薬師峠でキャンプ) で、山ノ神と共に薬師岳へ行く事になった。「ゆっくり焦らず」 をテーマにしているのであるが、「もうちょっとあそこまで・・・」 とならない保証はない。
それもこれも、2月の小白木峰キャンプ以来の荷を担ぐ山ノ神次第である。それにしても、娘と孫から、どうして離れられるようになったのか分からない。
8/13 盆休の山行は、何だかだんだんと トーンダウンの傾向である。せっかく 「お日様マーク」 が、ずらっと並ぶようになったのに・・・・・・ 行かないわけがないが、遠出・ハードなところはカットとなりそう。邪魔される事はないのであるが、「モチベーションが上がらない。」 のがその理由。
8/12 簡単な中山であれど、「悪天も有り。」 でツエルトを持ち込んだ。山頂の休憩も僅かであった事から使う事もなかった。いつもの山行より早く家に戻った事もあり、その日の内に、ツエルトを干しにかかったのであるが、広げてみてビックリであった。内側が何となく粘っこいのである。
いつもは、使わなくても、ちゃんと乾燥させてから仕舞っていて問題はないと思っていたのであるが、そういえばこのところ、タープの出番が多く、あまり使っていなかったかもしれない。「劣化」 は、明らかに私の管理ミスなのであろう。
雪のある冬はタープが便利であるが、しかし、緊急避難として、袋状に使う時はツエルトの良さも捨てがたい。
8/11 中山登山口と周遊コースを介して立山川に出た途端にオロロにやられた。蚊やブヨなどにやられたよりも被害は甚大。(ちょっと大げさかも・・・) 痒い他に刺された所が汚らしい。その七カ所は、丸一日経っても腫れ上がっている。
中山登山口に着いた途端、オロロが車の周りにワーッとやって来た。これはたまらぬと、立山川に架かる馬場島橋を渡った駐車場に車を移動したが、ちょっとは少なくなったとはいえ、やはりオロロの襲撃は続いた。完全防備と思ったが、ネットは一つしかなく、私は雨具の帽子を深く被って、再び中山登山口に向かった。
左手に傘、右手には最近入手したハッカ油(霧吹きに入れて・・・) を噴射しながら臨んだが、オロロは役者が一枚上と見えて、雨具の手元から進入、また手袋の上からチクリ! いやはや参った。それが、高度を上げても、10~15分続いた。「ワッ~」 「ありゃ~」 と悲鳴を上げながら・・・・・・
雨の割には、視界が広がったが、山頂では、早月尾根の上部は見えなかった。山ノ神の一息つくのを待って、周遊コースへ足を向けた。三度の沢渡りは水量の心配もなく難なく立山川出た。 ・・・途端に、またまたオロロの襲撃となった。ズボンの上からチクリとやられはしたが、差程の被害はなかった。しかし、身体の至る所に群がるオロロを見るに付け気持ちの良いものではない。
不思議だったのは、馬場島(山荘付近の駐車場やキャンプ場) に近付くにつけ、オロロが極端に少なくなる。そして、車(中山登山口) に近付くに連れてまた多くなる。車に近付くのがイヤになるくらいであった。思い切って、私だけが車に乗り馬場島山荘前の駐車場まで車を移動した程である。
私は、今までオロロの被害にあった事がなかった。「オロロは人畜がない所にはいない。」 と聞かされていたが、その説は如何なのだろう。まだ手が痛痒い。
8/10 昨夜の段階で、白馬岳・朝日岳・白山・大日岳の4つの候補から白馬岳と白山に絞っていた。白馬岳に行く場合午前2時には起きなくてはいけない。「雨だ!止めよう。」 となった。もうしばらくしても、「まだ雨。」 白山も止めた。あまり降らないと思うが、やはり万が一の事も考えなくてはいけない。そんな歳になった。(いや歳に関係ないかも・・・ 増水で渡れない時や通行止で帰れない時もある。)
「再び目が覚めた頃、何処へ行く?」 の声もあったが、「今日は、ちょっと歩くだけにするから・・・」 と断った形になった。選んだのは、昨秋以来の 「中山」 であった。お昼過ぎに戻って、日頃蔑ろにしている家の片付けをしたいとの気持ちがあったから・・・
やっぱり雨は強く降らなかった。そして、上市市街地から剱岳が伺えた。それどころか馬場島に近付いても見えるではないか・・・。「この分では・・・」 とか、「選択を誤ったかな。」 となったが、「また行けばいいじゃない。」 と軽くあしらえるようになった。「ちょっと進歩かな。」 いや弱くなったのかもしれない。
8/9 こちらの雨量は少ないが、太平洋側は大雨の予報。困った!明日起きて見てから・・・
8/8 誰もがイヤになる 「じと~っ」 とした日が続く。こんな日は歩くしかない。歩いて汗を掻けば、それなりにさっぱりする。熱い湯に浸かり冷たい物を飲めばこれまた乙なものである。
空調が整った現代では、「何処もかも涼しい・・・」 が当たり前になっているが、「夏には陰がある。」 と先人に教えられた。「どうしようもない冬の寒さより、陽を避ける日陰が夏にはある。」 を言ったものであろうが、それは、今では、冬山(雪山)くらいでしか実感出来ないかもしれない。
歩ける事に感謝し、まだまだ汗を流したい。
8/7 「もう、大きなザックを担ぐ事などないであろう。」 と思いながら、その後2つのリックを買っている。パッキングが楽である。嵩ある物が容易に担げるなどの利点があるから・・・(ザックが担ぎやすくなっている所為もあるが・・・) でも、もうこれ以上は大きくしたくない。
しかし、装備の軽量化に伴う買い換えが進まぬ現状もあるし、ちょっと辛い。「山ノ神の分まで・・」 の思いやりの荷もある。なれば、「歩く距離を短くする。」 「日程を長くする。」 などの方法しかあるまい。そんな豊かな日々が、私達に来るであろうか・・・
8/6 「今度は、あんたの好きなところへ・・・」 「希望があれば・・・」 などと、山ノ神に、次ぎ行く山の話題を振っても、あまり歯切れに良い返事がない。「特別に無い。」 「朝は早くても良いが、なるべく早く戻りたい。」 程度であり、言葉数も少ない。最近、思うような山行が出来ないからであろうか・・・ それとも、体力に自信がなくなってきたからであろうか・・・
「行くなら行く。」 「イヤならイヤ。」 とはっきり言ってくれればいいのであるが、「行きたいのだけれども、どうも・・・」 なのであるから、こちらもじれてしまう。身近な一番信頼出来る山仲間のハズが、時には鬱陶しくなる。どうしても我慢が出来なくなる。イヤ我慢をしているのであるが、ちょっと言葉足らずになり諍いになってしまう。我が家だけの事なのであろうか・・・
山に行かなくても、自分の判断で何かをするのであるから、「私だけが・・・」 「あんただけが・・・」 に、ならないハズなのであるが、お互い甘えがあるのかもしれない。今夜、有志の会があった。(飲み会) 快く送り出してくれた事もあり、たくさん飲んでたくさん食べて上機嫌で帰ってきた。山ノ神も別段変わった事もない。たまには離れるのがいい。
8/5 「家に帰ったら、冷たいビールを飲みたい。」 の思いをもって車を走らせるのであるが、イザ飲むとなると、そんなにも飲めない。昨日は、8号線を走っていても眠く、途中止まって目を閉じた。あまり眠れないのであるが、ちょっとでも休めば身体が楽になる。
そんな昨日は、皆で、北小谷の湯に入ってきたから、家に戻っても後片付けをして、すぐにビールに有り付いた。山ノ神外出中であった事もあり、いつもより1本余計に飲めた。(飲んだ。) そこまではよかったのであるが、後は、いつもの通りPCの前で、こっくりであった。体力の無さはここでも感じる。
8/4 満天とは言えないまでも、星空を見上げながら、まだ薄暗い午前4時過ぎにテン場を出発す。5時少し前、雲海から真っ赤な太陽が顔を出す。(布引岳) 日の出・雲海・雲の流れなど、立派なカメラを持つ、「ねぎちゃん」 や 「橋ちゃん」 にしてみれば、格好の素材が揃った感じであったろう。その滞在は40分間を越えていたと思う。
「ゆっくり気ままに・・」 を、うたい文句にしている私にしても、それはそれで充分すぎるくらいに山を味わえるのである。ちょっと残念だったのは、高橋君(埼玉のお兄ちゃん)に、とっておきの食料を鹿島槍山頂で渡してやりたかったのだが・・・・・・ それはそれ・・・
その鹿島槍ヶ岳山頂からは、剱岳・立山はもとより、雲海に覆われる五龍岳(八峰キレットは雲の中) から連なる後立山連峰の山々が素晴らしくステキに映った。布引岳と鹿島槍ヶ岳山頂で、それだけの時間を費やせば、もう思い残す事もなく、一目散にテン場に戻るだけ・・・・・・
テン場発午前9時を目標にしていただけに、あれだけ休憩を入れても早々に戻る事が出来、テント撤収・簡単であるけれど朝食に、時間を振り分ける事が出来た。登り返す度に、赤岩尾根からの下山との比較を尋ねられたが、「柏原新道は快適」 と多くを語らなかった。
休息をあまり取らなければ、自ずと目的地に早く着くもの・・・ たくさん食材を持ち込んだのだが、そうそう食べてばかりおられず、帰りの荷もあまり軽くならなかった。でも、指を口に挟んで寂しい顔をしているのもイヤ・・・ 足が遅くても、まだ担つげる間は、このようなリッチは続けたい。
「午後5時過ぎに黒部ICに戻る。」 が目標であったから、途中湯にも浸かれた。今回は、「橋ちゃん」 に運転を任せ、テントは 「ねぎちゃん」 が準備してくれた。私は、後の座席で居眠りをしているだけの不心得者。「来夏は、もう少し誰かが加わらないかな!」 などと、にこやかに語りあっていたが、体力的に長期凋落傾向の私自身どうなるかわからない。 優しい仲間は、私に肩を貸してくれるであろうか・・・
8/3 午前4時前黒部ICを出発。148号線白馬村辺りで、「何処も一緒・・」 と鹿島槍ヶ岳行きに決定する。やはり誰もが 「僅かな晴れ」 を当てにしてやって来たのか、人気の柏原新道は多くの登山者で賑わっていた。「昨日は雨。今日は先程まで良かったのですよ。」 の下山者に 「お天気まで持って行くの・・・」 と食い下がってもダメ。
種池周辺は、コバイケイソウとチングルマが咲き乱れていた。(凄かった!) 時折、青空が覗いたかと思えば、またガスに覆われるようなお天気がずっと続いた。爺ヶ岳へ続く登山道は展望が良く誰もが好きになるコースである。しかし、今日は残念ながら、すっきりせず、向かいの立山・剱岳もガスに包まれていた。突然、剱岳の一角に雪渓と窓が現れる。小窓・三ノ窓と意見が分かれ、「全容が現れれば・・・」 となる。
南峰・中央峰のピークに登り、多くの方々と言葉を交え、イワギキョウ・やコマクサとも戯れる。冷池乗越(赤岩尾根との分岐)への下りでは、帰りの登り返しの心配になる。冷池山荘(キャンプの申込)には、午後1時半前に着き、ちょっと高台にあるテン場で午後2時頃には設営を完了した。明日のお天気が気になり、今日中に山頂を目指す案もあったが、「何も見えないであろう山頂。」 と、「キャンプサイトに戻ってからの食事。」 を思うと、今日はゆっくりテン場で過ごそうとなる。
日が差し暑くなる時もあれば、風を伴った霧雨では寒さを感じたが、雄大な山中にいる自分に満足であった。
夕食は、「すき焼き」 隣のテントの若い兄ちゃん(埼玉の高橋君)をつかまえて、いろいろ講釈をしてしまった。「これも山ならでは・・・」 たくさん食べてたくさん飲んでテントの中に入ったが、誰もが前夜の寝不足で、喋っていたつもりであったが、いつの間にか深い眠りへと入っていったようであった。パラっと来た雨に、外の荷をフライの中に入れるハプニングがあったが、差程気にならないものであった。
8/2 明日から回復するというものの明晩はところによっては雷雨の予報。依然ゲリラ雨は続いており、何処も似たり寄ったり。その煽りを食って、今晩の内に行き先を決めるつもりであったが、明朝(集合時点)までずれ込んでしまった。
それでも、鹿島槍ヶ岳と八ヶ岳の二つの案を持っての行動。148号線を走りながらの判断となるかもしれない。どちらにしても、奇妙ながら楽しい山行となる事請け合い。羨ましがられる山行となり、次回に繋がるものとなれば嬉しいのだが・・・・・・ お天気の味方が欲しい。
8/1 「好山病・・」 の一部のメンバーとであるが、昨夏の楽しかったキャンプ山行再来の日がやって来た。しかし、折からのおかしな天候が続き、行き先を決めかねていた。何としてもとの心が働き「晴れ」を探し、ようやく候補が決まった。でも、このところのゲリラ雨は予断を許さない。準備をしながらギリギリまで待つほか無い。
歌の文句じゃなけれども、「♪雨が降ったら濡れればいいさ・・・」 「♪煙い小屋でも黄金の御殿」 は、年に一度か二度の機会だけに、軟弱な心を奮い立たせてくれるのであるが、無理だけは戒めたい。