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10/31 今、細蔵山が熱い。「良かった。」 という声をよく聞く。今日も、マキちゃんグループや石川のK・Kさん達が行かれたようだ。その事を話題にすると、「急登だったけれど、凄く良かった。」 と伸子女史の弁。
それより先、ネコ君や岩城君に、登山道づくりや藪を漕いでの登頂(無雪期の木ノ根山経由)を聞いていただけに、「何で、そんなにしてまで・・」 の思いがあった。「細蔵山は、雪のある時に登る山」 と決め込んでいたからかもしれないが、今まで、その新たな登山道に興味も嫉妬も湧かなかった。
それは、木々を雪の下にしてしまう大展望からして、ごく当たり前のように思っていた。剱岳の大展望台の座を、今や大猫山に譲ったかのようであるが、積雪・残雪期しか望めなかった細蔵山からの展望は、時期・気象条件・メンバーなどが揃わないと、なかなか登れない山であったのであるから・・・・
希少価値と言うよりも、誰でも登れる事の方が良いのかもしれない。雪ばかりの山も良いが、新緑・紅葉の中を歩く事が出来るのであるから、また違った山として楽しめるかもしれない。「良いか、悪いか」 「好きか嫌いか」 やっぱり登ってみなけりゃ分からない。
10/30 怠けていた山行記録を思い起こしている。しかし、デジカメとGPSデーター、そして、メモだけが頼りで、とても紀行文にならない。画像を貼り付けて、おおよそのタイムだけのものになるが、それでも、何もないより増しだし、自分が歩いただけに記憶がよみがえって来る。「自分が分かればいい。」 「バックアップのようなもの・・」 などと、負け惜しみは歪めないが、楽しくない事はない。
「復習」 あるいは、「もう一度行ったつもり・・・」 と思えば、気が楽だし、それなりのものがある。でも、せっかく人様に見てもらわなければいけないのであるから、もうちょっと、何とかしなくてはいけない事は重々分かっている。物事は何事も「余裕」 がないと上手く行かないものである。
10/29 平成14年から、復帰・ハレルヤ的・同窓会的と名称を様々に変えながら、12月第3日曜日に企画してきた山行は、初期の目的と少々異なり始めて来たように思われるし、せっかく集ってもらっても、充分にお話が出来ないもどかしさを感じるようになった事から、今年はその名称で集わない事にしょうと思っている。
「人恋しければ山恋し、山恋しければ人恋し」 の繰り返し。無いものを求めるし、強請るのであるが、見誤らなければ、何度繰り返しても良いような気がする。しかし、些細な一言が、重大な事を引き起こしてしまう懸念がある中、私的日記とは言え、このように公言するのであるから、後々尾を引きそうで怖い。
10/28 昨日の往復ハガキは苦戦を強いられ、午前2時に床に着いたものの、5時にはまた起きてしまった。ちょっと視点を変えれば、結果的には、「やっぱり何でもないところ・・」 が原因で、ようやく80枚を印刷し投函する事が出来た。
PCはなくてはならぬもの。でも、「ずっと縛られているのは、やっぱりイヤ!」 どうすればいいのだろう。もうちょっと違ったものもやってみたい。「パーッとPCを切り上げて、お酒を控えめにすれば、何でも出来るのに・・・・」 の声が聞こえてきそうだ。
10/27 11月末に行われる同窓会の案内状を引き受けたのであるが、久し振りの往復ハガキの印刷に戸惑っている。原案が出来、往信の印刷までは上手くいったのであるが、復信(返信用)の宛名が上手く載らない。「筆まめ」のバージョンが上がっている所為でもないのだろうが、事が上手く運ばず、寝ようにも寝られない。ほんのちょっとのミスが重なり、ニッチモサッチモいかなくなっているのであろう。(弱った。時間がないのに・・・・・・)
その同窓会、今までは午後2時開始であったが、いつも午前様になるので、1時間繰り上げて午後1時開始に変更したが、同じ事を言い合いながら、酒の量が増えるだけで功を奏す事などないであろう。
それよりも心配なのは、この日の山行である。会場は富山駅に近いというものの、受付開始時間より早めに行かなくてはならないし、高岡から電車に乗らなければならない。そして、当然の如く、家から駅までの時間も必要である。山から戻って、シャワーや着替えの事を考えると、どうしても午前10時ではちょっと怪しい。
最近は、牛岳山行といっても、「自宅を発ってから、自宅に戻るのに4時間はきつい。」 となると、午前5時発になるが、お天気だとは限らないしまだ暗い。そして、また長~い一日になるが、何回もこのような場面を通り抜けて来たのであるから・・・・・・・ 「楽しさ・試練」 のどの言葉が合うのか分からないが、どれだけ耐えられるか見極める体力測定の日になるかもしれない。
10/26 始めから、ず~っと雨であったが、ワイワイガヤガヤと、いろんな事を話題にしながら賑やかな歩きであった。「ゆっくり行こうぜ!」 の申し合わせであったが、結果的には、山頂までは2時間半余のタイムで、速いのか遅いのか分からなくなってしまった。ぬかるみを考慮し、笑いっぱなしでは、速く行くわけにいかないし、遅れてもいけないムードであった事は間違いない。
「ゆっくりムードで行く。」 前提であったので、近所の「茂ちゃん」を誘った。久し振りの歩きと雨模様に、彼は戸惑っていたらしいが、初めての避難小屋での滞在(食事)の楽しさに、何もかもが払拭されたようであった。大雨にならなかった事に安堵しながら、ぬかるみは初冬への段階的な贈り物とし、まだ幾多の命を繋いでいた黄や赤の葉に晩秋の終焉を感じながら、笑いの中にも移り行く季節を満喫かのようであった。
久し振りに参加してくれた「さおりさん」 の歩きは、ネコ君が心配する事など全くなく、元気そのものであった。そして、彼女の若さは、歳行く我々に鋭気を与えてくれたような感じがした。それにしても、内容は別にして、雨の日も風の日も、そして、忙しくても、また行事があろうが、山に行ける環境下にある自分達は、本当に恵まれていると感じられずにいられない。
10/25 明日は 「北ちゃん」 の企画に乗っかる事になっている。クルクル変わる予報に、さすがの「北ちゃん」 も、雨を想定して、「明星山」 から、屋根のある 「白鳥山」 に変更してくれたようである。企画者として、「より楽しく、より安全に・・・」 を考えてくれたに違いない。「好山病・・」 5名とゲスト1名の予定であるが、例え雨になろうが、「晩秋の山」 を味わいながら歩いて来ようと思っている。
10/24 あるテントメーカーのHPに次の文章を見た。同感だと思ったので載せてみたい。不法掲載になるかもしれないが、営業目的でも作為的に利用しようとするものでないから問題ないと勝手に思っている。(善意の掲載?)
山に「絶対安全」はありません!
山での遭難事故が増えています。どんなに簡単な山でも、どんな山のエキスパートであっても、人が山に向かうときには必ず何らかのリスク(危険因子)を背負っているものです。そのリスクを認識しないで、山へ向かうことはとても愚かなことです。悲惨な遭難を防ぐためには山のリスクをしっかりと認識することが重要です。
優れた山岳救助隊がいても、ヘリコプターがあっても、優れた通信手段があっても、最後にあなた自身を助けるのは、あなた自身が持っている体力と技術だけなのです。
自分の体力、体調、技術を正しく認識し、山の状況を正しく認識することで、不幸な事態はかなりの部分で回避することができるはずです。それでも100%の安全はないのです。どうか、アクシデントを回避する技術、方法を持つ登山者であって下さい。
山は決して逃げ出すことはありません。あなたがその頂きに立つことを思い続けている限り、必ず次のチャンスはあるはずです。どうか勇気を持って引き返す判断ができる登山者であって下さい。
不幸にしてアクシデントに遭ったとき、ほんの少しだけあなたを助けてくれるのが「ビバークシェルター」です。どうか、正しいビバークの技術を習得することであなたの大切な命を守る方法を持って下さい。
ビバークする事になったら、風を避けることができる場所を見つけ、なるべく衣服や体を濡らさないようにする。そして、思い切って着替えることも大事なことです。体温の低下はそのまま体力の消耗に繋がるため、むき出しの状態でいるよりも、空間を小さく囲い込む。地面や雪面にじかに接するのは避け、ザックや、枯れ葉などを敷いてクッションを作るようにする。ツエルトはお守りではなく、買ったら家で使用法を練習する事も忘れてはいけない。
10/23 「送ったメールが届いていない。」 「送られているハズのメールが届かない。」 アドレスが違っていたり、拒否の設定をされていない限り、メールは遅れても必ず届くと思っていただけに、そんな事実を知るに付け愕然としてしまった。届かない時は必ずというほど、「Host unknown」 「Host Not Found」 などのメールが送られて来ていただけに、この頃は、それが無くなったのだろうか・・・
過日、友人に送ったメールが届いていなかった。PCからの受け入れ拒否の設定が行われていたからであるが、私は知らなかった。もっとも、そのような事が以前にもあったが、その頃は、届かない内容のメール(英語で)が戻って来たものであった。
先日の長男帰省の時もメールの事が話題になった。2ヶ月前の私の誕生日に、彼の同僚達から、祝の携帯メールを頂いたのであるが、携帯メールの苦手(遅い)な私であるが、頑張って返事を送った。しかし、1人の女性に届いていないらしく、「何で・・・」 ひがんでいたと息子から聞かされた。記録を見ても送っているのであるが、どうしてなのか分からない。息子が、もう一度私の携帯から(アドレスを確認して)、その文章を送ったのであるが、届かなかったのである。
先日、山ノ神が息子と出掛けた「白木峰」の帰路、私に「ちょっと遅れる。」 とのメールを送ったようであるが、未だに届いていない。その夜3人で飲んだ画像を私のPCに送ったのであるが、それも届いていない。そうなると、「重要な事は、やはり電話をしなくてはいけない。」 となるのだろうか・・・
「送った。」 「届いていない。」 と後々からでも確認出来ればまだいいが、「何故・・・」 と思いながら疎遠になるのは辛い・・・ その意味からも、たまには手紙やハガキも良いような気がする。携帯やメールは、本人その人に直接アプローチ出来る利点があるが、固定電話や郵便は、「この人は誰だろう?」 と家人に思ってもらうのも、何かの時(有事)に都合が良いかもしれない。
10/22 最近、デジカメの調子が悪い。寄りによって2台ともである。かといって撮れないわけでもない。こんなものは、ここという時にダメになり、後々悔いるというケースが多い。どのような安価のものでも、今使用している私達の物より精度が高いと思うのであるが、なかなか決断がつかない。
「作品を撮るわけでもない。」 しかし、これからは、「山歩きの志向が変わらざるを得ない。」 が交差してしまうのである。そして、「2年もすれば、また新しい良いものが出て来る。」 と思えばそう悩む事もないのであるが・・・
どちらにしても、どのような山行が出来るかに掛かってくるが、カメラばかりでなく、センスの問題かもしれない。「数打てば、ちょっとは当たるかも・・・」 も良いが、その前に、マニュアルなどを読んで勉強せねばなるまい。
10/21 白山登山でこんな光景があった。「もう高所は雪。」 なのに、スニーカーを履いたグループがあった。寒くて震えている子供を連れた男性が、「室堂は、もうすぐですよね。」 と私に尋ねた。室堂センターは閉まっているのであるが・・・
もっと酷いのがあった。「寒いから・・」 あるいは、「お腹が空いたから・・」 かもしれないが、カップ麺を作るのに水がないという。「室堂には水がある。」 のつもりであったのだろうが、ちょっとお粗末である。1人分くらいならあげようかと思ったが、言動にちょっと違和感を覚えたので、それ以上の事はしなかった。
センター(小屋)の状態確認の怠りもさることながら、私は、「水も非常食」 と認識しているから、当然持って上がるし、最後まで捨てない事にしている。痛い目に遭えば分かるのかもしれない。
10/20 目的は友人の結婚式であったのであろうが、せっかく5泊6日の予定で帰省していた息子(長男)をほったらかして、2日間私は山に出掛けた。(山ノ神は一日だけ) 私が山に出掛けた2日間だけ、予定を入れていなかったと言うから、後々ちょっと引き摺る感がある。
私の代役で葬儀に出てくれた山ノ神は、その息子を白木峰に誘ったらしい。しかし、高岡発が午後2時であったと言うから、ちょっと遅い。また、川沿いの道が通行止であったらしいのに、進入し顰蹙を買ったらしい。(帰路は、山側の迂回路を利用したらしいが・・・) 山へはあまり気乗りをしない息子であり、そんな時間であったから、当然、1300の駐車場までであったのであろう。
でもその夜は、その白木峰の話が酒の肴となり、缶ビールの栓がドンドンと抜かれていった。「子供の頃に一緒に山に行ったね!」 と数々の山を上げてみたが、山はもう遠い昔の話らしい。それよりは、大阪の同僚達の「富山への憧れ」 が話題となる。以前3人の方々が訪れたが、「山しか知らないおかしな夫婦」 とでも伝わったのであろうか、「もう一度・・」 また、「私も・・・」 の希望があるらしい。そう思ってもらえるだけでも喜びとしなければ・・・
10/19 白山に出掛ける昨朝、「何処へ行くの? ブナクラの山に行くのなら・・・」 と車の中から、北ちゃんに携帯メールを送ったのであるが、送りっぱなし(後は電波が届かない。)だったので、迷惑を掛けてしまった。でも、そんな事から、ネコ君を加えた3人で大猫山・猫又山周遊する事が出来た。北ちゃん・ネコ君には、別企画もあったのだろうが、私としては、一日中晴天に恵まれた事もあるが、久し振りに3人で歩けた事に満足感が漂った。
「私に合わせてください。」 と念を押した事もあったが、終始一緒に歩く事が出来たし、休憩もいっぱい取った。「山は、ゆっくりでなければ・・・」 の逃げをも充分に理解してもらっての山行であったが、それでも、1500Pまで1時間20分余、山頂までは休憩を入れても3時間10分程度と決して遅い足取りではなかった。
最近、山名板が置かれたもう一つの山頂でのコーヒータイムや、子猫と呼ばれる頂で剱岳と対峙したりと、思う存分「山の味」 を楽しむ事が出来た。また、猫又山頂直下での食事時間をたっぷり取り、イヤと言う程、剱岳岩峰の詳細を語ったり、後立山の山並みを確認、毛勝山や釜谷山の山容、そして、黒部の山々の色付きに酔っていた。
ブナクラ谷の紅葉は今が一番と思われ、「慌てる事はない。」 と、、もう一度川辺で腰を降ろしコーヒーを頂いた。何度も何度も振り返りながら、また、見上げながら、日が落ちるまで 「萌える山」 を楽しんだ。
10/18 通夜のお手伝いの事もあり、「早めの下山・・」 を心掛け、また、「山頂には拘らない。」 つもりで白山に出掛けた。予報はイマイチであったが、大倉山(2000m余)までは、青空が覗いたりして、紅葉を楽しませてくれた。しかし、その上は、下界でも大荒れだったように、雨・ミゾレ・雪と変わって行き、室堂では震えていなければならなかった。
視界はないし、寒いし、山頂へ行く事もないであろうと、室堂センターの軒下で簡単な食事をして下山する事となった。高度をドンドン下げて行くに従い小雨の中だというのに、より素晴らしい紅葉との遭遇となった。傘を差しながら、何度もシャッターを切っているものだから、仕舞いには、山ノ神から、いつもと逆に「何をしている。」 とお叱りを受けてしまった。
10/17 明日は白山、明後日はブナクラの山(大猫山・猫又山・赤谷山など)と思っていたら、「友人のお母さんが亡くなられた。」 との訃報が入った。参った。義理を欠かない事を前提として山行は決行する。(天候は味方するか・・・)
10/16 気分が乗る乗らないよりも、怠慢(怠け)が同欄の遅れや穴を空けているような気がする。でも、続いて(続けて)いるから不思議である。日々の出来事を記するため、一ヶ月余前から「一行日記」 たるものを始めたが、やっぱり2回(2日間)の空欄が出来ている。私は今まで日記の他に、帳簿や慶弔用の記録などに、何度も挑戦してきたが、悉く途中で挫折をしてきた事から考えても、今は良く健闘している事になる。
毎日の事になると、ちょっとだらしないが、高校時代から続いている登山、デジカメ普及の数年前まではアルバムの整理、小学生の時から続けていた切手の収集(十数年前まで)など、意外にも辛抱強いところもある。
10年前まで毎週のように通ったスキーゲレンデ、7~8年前までは、週一であるが、仕事を終えてから出掛けたバトミントン(20年間ほど)など意外と凝り性の面もあるのかもしれない。「辛くなったら止める。」 「イヤになったら止める。」 も一つの方法であるが、それをちょっと我慢をすると、他の人と違った面(記録など)になるのかもしれない。
大事な友も一瞬で失う事もある。たった一言である。そんな事を思うと連れ合い(女房)は、よく我慢をしていてくれるものだ! しかし、その感謝の気持ちはすぐに忘れてしまう。手の届かぬ物を欲しがるし、当たり前だとも思ってしまうからであろう。こんな歳になったのであるから、時々は思い出して、その事を 「口に出して感謝しなければ・・・」 でも出来ない。昨夜も無言対決になったから・・・
10/15 夜遅く長男がやって来た。目的は土曜日にある友人の結婚式らしいが、日程を聞くと火曜日までいるらしい。そして、土曜日までスケジュールが決まっていて、日曜・月曜日が今のところ空いているという。何と、私達の休日(連休)だけとは・・・ もっとも、私達と行動を共にする事もないから、「山に行って来たら・・・」 とそっけない。
とんと顔を出さなかった事から、過日に「私の一生に、君と後何回会えるのやら・・・」 と言った事があったが、今年は、もう3回も帰省(いや来高かな)している。大阪では、しっかりしているのかもしれないが、まだビシッとした感がない。親子とはこんなものなのかもしれないが、心配でならない。大阪のもう一人も、何かないと連絡して来ない。もっとも、「私の休日に帰って来るな!」 と言っているのであるから、そんな親の事など心配にはならないのかも・・・
10/14 先日の群馬遠征の折、寝る所に困った。私の車では狭くて(小さくて)寝る事が出来ない。必然的にテントとなるが何処ででも張るわけにはいかない。山中で張る機会を逃してしまい高速のPAで泊まる事にした。SAはザワザワしているし、小さなPAを求めた。しかし、「佐久IC」 から乗って、次は「小諸IC」、「東部湯の丸IC兼SA」 と続き、「上田菅平」・「坂城」 を通過して、ようやく 「千曲川さかきPA」 に辿り着いた。
下調べもしないで高速に乗り込んだわけであるが、なかなかPAがなく、結局 「千曲川さかきPA」 までやって来た。前夜から寝ていないわけであるから、疲労困憊で食事してすぐに寝てしまった。翌朝、高速を降りなければならないが、これまた次のICまで長く 「更埴JCT」 を越えて 「更埴IC」 で降りた。
「佐久」 で高速に乗ったのが、夕方の7時頃。「千曲川さかき」 着が7時半頃。発が翌朝の6時半頃、更埴着が午前7時頃である。料金は1400円の半額で700円であった。私達は荒船山に登るために、「佐久」 に戻らなければならない。また高速に乗るのであるが、通勤時間帯割引の適用になるのかと考え込んでしまった。
乗ったのは前日の通勤時間帯割引中、PAに留まっていたから深夜割引。そして、高速を降りた時間帯も通勤時間帯割引中である。どちらも50%割引で問題ないのであるが、降りた時の割引が、どれを適用されているかわからない。深夜割引を適用されておれば問題ないのであるが、もし、今朝の通勤時間帯割引を適用されていたら、2回目がダメであるから割引がなくなる。
違ったカードを使えば問題ないのであるが、このような問題が起こると、私はダメなのである。融通が利かなくなるのである。車を止めて、ICにある事務所を訪ね、その主旨の事を問うたのである。しかし、2名の職員(もしかしたら、本当の職員でないかもしれないが・・・)からは、明快な答えが返って来なかった。
「通勤時間帯割引の対象になる。」 という答えを期待したのであるが、「なると思うのですが・・・」 と書類らしきものを手当たり次第に探すような仕草を見せるのであるが、それ以上の突っ込んだ返事がなかった。役人の方は、「そうです。」 と言い切れないのかもしれないが、落胆して車に戻った。
私は、想像を超えた複雑な事に、コンピューターは対応するのであろうかと思ったから、人に頼ったのであるが、それでも、その中の人達は、コンピューターに振り回されているようであった。(高速料金1400円の中に、12時間もいる私達の方が可笑しいのかもしれないが・・・)
もう一枚のETCカード(山ノ神の分)があったのであるが、僅かのポイントでも私の方に加算される事を望んで(山ノ神のカードは、殆ど使用しないので、マイレージサービスの申請をしていない。) 私のカードを再び使用した。結果的に50%割引になったから、通勤時間帯割引の適用があったと思われる。保険契約の時、小さな(読めないような)文字で文末の所に書いてあるのがあるが、これもその類なのであろうか・・・まだまだ分からない事が多い。分からない事は恥ずかしがらないで、何でも聞く(尋ねる)のがいい。
10/13 木の根や濡れた石の上に乗って、何度となく転び、その度に小枝に繋がった所為であろうか、今日は久し振りに太腿が痛い。負け惜しみの 「心地よい痛み。」 なら良いが、「衰退の一途」 では悲しい。「そんなハズがない。」 と強がっていても、必ず何時かは来る 「老い」 には適わないのだろう。
昨日の毛勝山頂で、埼玉・長野の労山(勤労者山岳会)の方々と一緒になった。同年代だと思う方々との雑談で、「(労) を (老) に変えたら・・・」 などをきっかけに大いに笑い合った。ついでに、「好山病・・」 の名を宣伝したら、「いいね!」 とネーミングを褒めてもらった。
体力は落ちていっても、それを補う何かがあれば、それなりに楽しい。「昔は・・・」 「若い頃は・・・」 ばかり言っていては、嫌われるだけ。現在の自分を見詰めつつ、「如何に輪の中へ溶け込んでいけるか!」 なのかもしれない。ちょっとでも多く、ちょっとでも長く、「一緒に行こうよ!」 と誘ってもらえる事を目標に、心身とも鍛えなくてはと今更ながらに思っている。
10/12 魚津IC午前4時半集合。そして、登山口を5時半発となった。この日の晴天を見込んでか、前泊を含め、その時刻で、最早駐車スペースからはみ出してしまう車もある程であった。心配した山ノ神の足取りが良く、もしかしたら、「今までで、一番良いタイムで山頂に達するのでは・・・」 と思う程であったが、クワガタ池より上の斜面では前日からの雪が残っており、それが凍結している状態であったからであろうか、思ったよりタイムは伸びなかった。それよりも、「登れるかしら・・・」 と漏らしていただけに、北ちゃんのフォローあっての事であった。
山頂では、そのご褒美であろうか、雪を被った素晴らしい剱岳を仰ぐ事が出来、感嘆の声を上げていた。後立山連峰の高い峰々の真っ白な山容と、真っ青な空とのコントラストが、何度もシャッターを切らせた所以であったろう。
暫し山頂で、その雰囲気を楽しんだが、風での寒さと斜面の凍結を考慮し、2210mまで高度を下げて昼食とした。剱岳は見えなくとも、草紅葉の中で、後立山連峰の山々を望みながら、腰を降ろして眺める景色は、何物にも代え難く、山やる者にしか分からぬ至福の一時であった。
特別の時間を費やしたわけでもなかったが、「ゆっくり山を楽しむ。」 が祟ってか、またまた暗くなっての下山となった。今日も 「12時間越え!」 でも充実感が漂う一日であった事は間違いない。
10/11 先日の群馬遠征の折、些細な事であるが、自分のした行動に少し胸を痛めている。赤城山の一角・地蔵岳を目指して登り始めた時の事である。山頂に向かって木製の階段が続いていたのであるが、母親と娘、もしくは、先生と生徒なのか分からないが、小学3年生ぐらいの女の子を、上から励ましていた様子を伺う事が出来た。
はっきりは分からないが、その女の子は、少し障害があるようにも思えた。急勾配の階段だけに、その子は、なかなか思うように足が出ないようであった。私は、その横を、そっと通り抜けるつもりであったが、いつの間にか、その子の手が私の二の腕を掴んでいた。そっとである。掴むか掴まないか程の優しい感じであったが、私は、そのままで5段ほど上がったであろうか・・・
でも上から、「人を頼ってはいけない。」 との檄が飛んだ。柔らかい手は私から離れたし、私は、 「頑張ってね!」 と言って足早に先を急いだ。山頂で30~40分程過ごした後、同じコースを降るに付け、「あの子はもう上がって来ないのかな?」 と思ったりしたのであるが、また擦れ違う事が出来た。女の子に「頑張ったね!」 と拍手をしたのであるが、無表情であった。その親(先生)は、「速いですね。」 と山の挨拶をしてくれたのであるが、自分としては、あまりすっきりはしなかった。
あの女の子が、私の手に寄り縋って来た時に、もっと、しっかり手を握ってやれば良かったのではと思ったからである。あの子は何も感じなかったかもしれないが、私の気持ちとして、そうしてやれば良かったと思うのは、私のエゴなのであろうか・・・
10/10 一気に寒さがやって来て秋が深まった。高所は冬の様相である。立山の初冠雪、富士山からは初雪化粧のニュースが伝わった。でも、高岡は、青空が広がったかと思えば、いつの間にか黒い雲に覆われて雨が降ったりの怪しい空模様となった。その少しの合間を見て、先日来の濡れ物(キャンプ用具)の一部を干したりしていた。明日が晴天であれば、一気に他の物も外に出して点検をと思っている。
この三連休を利用して、多くの仲間が各自の計画の元に山を楽しむらしい。もちろん 「仕事でそれどころではない。」 という方もいる。私は12日だけであるが、予報を見ながら模索していたが、北ちゃんと 「毛勝山」 を一緒する事になった。山ノ神同行であるから、相当早く出発せねば、昨年のように、また真っ暗の中を下山しなくてはいけなくなる。
10/9 筏井氏(ハレルヤ)のお母様がお亡くなりになった。2~3日前までお元気だったそうであるから、そのご心痛は分かるような気がする。昨年9月にお父様を亡くしておられるから、本当に重ね重ねという感じである。親は何時かは逝くのであるが、亡くなってしまうと、遠い近いは別にして、次は自分の番かと思ってしまう。そんな事からも、親様には何時までも元気でいて欲しいものである。しかし、私達には、4人の親はもういない。
悲しいのであるが、その心を癒すのは、やはり山しかないであろう。世間体をあまり考えず自分の思うままにされると良いと思う。自分はいつから山に戻ったかは、言う方が野暮だろう。復帰山行として待ちたい。
10/8 台風18号は凄い台風という事で翻弄させられた。結果的には被害もなく胸を撫で下ろしたが、街の中の一軒家、そして、細長く築43年の我が家は、強い風が吹く度にヒヤヒヤせねばならない。18年前と4年前にも、少なからず被害を受けたのであるから・・・・・・
10/7 荒船山は、クレヨンしんちゃんの作家臼井義人氏が先月亡くなられた山でもあった。(
当地での警察による検視の結果、死因は全身強打による肺挫滅であり、死亡推定時刻は11日午後頃と推定された。滑落現場は過去に事故例がほとんど無いことから、事件性の有無についても捜査が行われたが、現場から発見されたデジタルカメラに最後に撮影されていた画像は崖の下を覗き込むように撮影されたものであったことが判明し、このことから写真を撮ることに夢中になるあまり、誤って足を滑らせて転落したのではないかと報じられた。写真のタイムスタンプなどから、最後の写真は9月11日午後0時20分頃に撮影されたと推定されている。)
その滑落現場とは、トモ岩とも言われて随一展望の利く所である。覗き込むには、ちょっと怖く、遺体も120m下にあったという。事前調査で岩があると知り、山ノ神は困っていたが、登ってみればそれ程でもなく、岩を巻くように歩く所意外、逆に単調な山であった。 2週間前の「荒沢岳」 の事もあり、「荒」 が付くと、びくっと来るのかもしれない。
10/6 赤城山を登り終えてから、「前橋」・「安中」 を経由し妙義山の付近を通り 「下仁田」 に出た。お天気の悪い中、登山口の内山峠を探したが、なかなか見付ける事が出来なかった。結果的には内山トンネルから5分も掛からない所にあったのだが、峠らしくないのと見づらい標識に通り過ぎてしまい 山中で右往左往する事となった。ようやく見付けた頃は、日が暮れ細かい雨が降っていた。何処かその辺で野宿と思っていたが、いろんな動物が出没する様に、さすがの山ノ神も、「こんな所ではイヤ。」 となってしまい。「佐久」 まで行く事になった。
結果的には、佐久市内で適当な所が見付からず、高速に乗りPで泊まる事となった。前夜からの運転、そして登山。のち次行く山の登山口へ・・・ それが分からず、イライラが重なって・・・ 何せ寝ていないのであるから・・・ 坂城Pでまずは食事(夕食)、そして、飲みに掛かったがあまり喉を通らなかった。隅っこで、山ノ神用としてテントを張ったが、私はビバークと称して、外でマットを敷き、シュラフに潜り込んだ。しかし、夜中に雨が落ちてきたので、仕方なくテントの中に・・・
再び内山峠に戻ったが、おかしな標識に惑わされ反対方向に登り1時間のロスをしてしまった。もっとも、通行止の看板に崩落箇所があり 「登山される方は充分注意してご利用下さい。」 の意味を取り違えた事もあった。その注意書きに、クレヨンしんちゃんの作家臼井義人氏の転落事故、そして、雨具を着込んでの歩きであるから雰囲気的には緊張があった。また、この内山峠に来るに至っては、今朝も、またまた何度も迷って、コンビニ・GSで案内を請うたのであった。
しかし、荒船山登山道は、それ程心配するような崩落もなくスムーズに歩けたのであるが、唯、ガスの中を歩いているようなもので、その良さはあまり分からなかったような気がする。でも、紅葉はまだ進んでおらず、樹木の種類からして、これから楽しめるのではないかと思った次第であった。トモ岩と言われる展望台が、この度の臼井義人氏の転落事故現場である。お花が置かれていたが、その転落したと思える下は、怖くて覗く事は出来なかった。
その先、荒船山の山頂を目指す事になったのであるが、なだらかな樹林帯を進むだけで、とても高度を稼ぐというものではなかった。仕舞いには(20分程経過した時点で・・)GPSが荒船山の山頂を示したのである。しかし、荒船山の標高とは66mも違うのである。(低い) しかも、ピークではなく、何の標識もないのであるから参った。(家にもどってから、カシミール地図で調べてみたが、同じ地点を山頂としていた。)
二百名山では、1,423m(1.422.5m)としていたので、もう少しその先を行く事にしたが、降り始めた時は不安があったが、後に、展望の利かない行塚山の山頂に出た。高度はピッタリだったから、荒船山の最高点である。おそらく、先に示した山頂も荒船山に間違いはなく、この辺を総称して荒船山と呼ぶのであろうと思った。
帰路は、「佐久」 から 「岡谷」 (途中、有料道路600円があった。)に抜け松本へ。(塩尻→松本だけ高速利用) 上高地公園線から、またまた安房峠を越えて(安房トンネルを通らず)高岡に戻った。
10/5 カーナビもなく古い地図を頼りの我らの山旅であるが、珍道中を繰り返しながらも、ちゃんと目的地に行くものである。「曇り時々雨」の予報で、急遽、栃木の 「那須岳・高原山」から、群馬の 「赤城山・荒船山」 に変えたのであるが、「こんなお天気にわざわざ出掛けなくて・・・」 であったが、無言の山ノ神に押し切られてしまった感があった。
百名山であっても、平日でお天気があまり良くないからであろうが、黒桧山では一人、駒ヶ岳では一組(二人)の登山者にしか遭わなかった。しかし、地蔵岳では、林間学校の生徒さん達二組と擦れ違った。後で知った話であるが、「赤城山の紅葉はあまり見映えが宜しくない。」 との事。でも、火口湖であろう大沼・小沼、そして覚満淵があり、大沼にある赤城神社もなかなか絵になる。地元の人によると、「赤城山登山は冬がいい。」 も分かるような気がした。
最高峰の黒桧山をはじめ、駒ヶ岳・地蔵岳や長七郎山などを総称して赤城山と呼ぶらしいが、久弥が眺めた頃とは随分雰囲気が違ってしまったようにも思える。しかし、どれだけ施設・構築物が増えようが、その山容は変わらず、やはり日本の名山には違いないような気がする。
10/4 明日は、白山・毛勝山などを候補にあげていたのに、急遽遠出となった。「那須岳」 の事を言ったばかりに、山ノ神が食い付いて離れないという感じになってしまった。しかし、栃木・群馬には、小さな傘マークがついている。でも、お天気は流動的だけに、行ってみなければわからない。まるで宝くじのようである。
結果的に外れる事を考慮して、もうちょっと近くの 「赤城山」 とした。バリエーションが多く取れるだけに、逃げる事も考慮して・・・ もっとも、もう一座を頭に入れているのであるが、欲張るとろくな事はない。ドライブのつもりで出掛ける事にする。せめて往路は1000円高速に乗りたいから、そろそろ出掛けなければならない。買い物もしなければ・・・
10/3 明日、宮ちゃんは福井のマラソンで10キロを走るという。そう言えば、我が「好山病・・」 の橋ちゃんもランナーだ。それから、私より一回りも上の黒部の能登氏も幾多のマラソンを走っておいでる。そうそう、岡山の杉原女史も地元のマラソン大会で入賞された事があるらしい。
「走る。」 と 「歩き。」 は違った筋肉を使うから、「登山には果たして・・」 という方もあるが、身体を動かしているのであるから、プラスにならないわけがない。
スタイルは変わらないというものの週一だけの山歩きであるから、私の年齢では現状を保には至らない。室内で 「ほんのちょっとでも・・」 もと、意識的には身体を動かしているが、「やっている。」 には入らないであろう。
中高年と呼ばれて久しい。では、高齢者とは、幾つから・・・・・・ 定年待ち遠しい 「幸齢者」、 悩む 「降齢者」、 その内お迎え 「降霊者」
10/2 夜になって、結構強い雨となった。しかし、明日の朝の内は、雨が残るかもしれないが、お昼前からお天気だとか・・・ そして、明後日の日曜日は、ガンガンの晴れマークが付いてきた。しかし、私の連休である月・火曜日は、また崩れそうで、実に面白くない。(気分が良くない。)
少し脳裏に宿った計画があったのだが断念となる。いつものように、私の行きたい山を提案すると、山ノ神はすぐに「お天気が良くないのに・・・」 と牽制に入る。指導権争いというものではないが、悉く私の希望の山に、ちゃちゃを入れる。でも、「行きたくなければ・・」 だけは言わない事にしている。「自らお引きになる事・・」 を願っている感じになるが、行かないとなると、また、それで気になるのであるから、夫婦とはおかしなものである。
10/1 ちょっと気に食わなくても、ちょっと歩くのが遅くても、やっぱり山ノ神が一緒の方が良いのかもしれない。それだけ共通の話題となるからである。仲間に誘われると、「山ノ神も行けるかな?」 「山ノ神も一緒でもいいかな?」 と必ず注釈を入れる。自分達が主催のケースの場合も、必ずその胸を了承してもらってから参加してもらう。そうでないと、楽しいハズの山行も、時には辛いものになる事がある。実力があったもの同士、また合わせてもらえる仲間となら・・・ という事になる。
私も、またには、ハードと思われる山行に誘われる事がある。その時は、「邪魔にならないかな?」 「合わせてもらえるかな?」 「助けてもらえるかな?」 と必ず問い掛ける。だから、主催者はある程度自分の意志を殺さなくてはならない。どのような方法手段で行くかは、その人の思いであるが、年々変わっていく事は間違いない。