11/30 起きてみると雨が上がって星がいっぱい。ちょっと予定より遅れたが行かない訳がない。山ノ神は、別行動で七姫山へ。(結果的には、予定を変更してクズバ山登頂とか。)

 高岡市佐野地内から南砺市岩屋までは、靄が掛かって見通しが利かず、スピードを落として運転せねばならず、ちょっと焦ったが、登山口に着いてみれば10分も変わらなかった。あの靄からみて、もしかしたら雲上の人となれるのではないかと期待したが、高度を上げる毎に、その期待が薄らいでいった。

 結果的には、我が家からの往復に要した時間は4時間余で、許容範囲以内となった。何もかもの準備をして、高岡駅から予定していた列車に乗ろうとしたら、入善で事故があり、その事で運休。30分後の列車に乗ったが、またちょっと焦った。



11/29 明日は行こうか行くまいか悩むところ。午前9時半頃まで戻らないと、余裕がなくて結構辛い。このまま雨なら止めようかな。行き先を二上山か三千坊山に変えようかとも思っている。「時間がないし、行こうかどうか迷うところ・・」と言えば、「そんなの行かなければいいのでは・・」 の言葉が返って来る。悩む事などないのに・・



11/28 そろそろ冬山の装備が気になる頃となった。もっとも、私の行ける山など大した事がなく、騒ぎ立てる事もないが、より安全に、そして楽しく、出来ればより快適にを考える。欲を言えば、お天気にさえ恵まれ、特別の用事がなければ、連休時に全て山で泊まれないかと思ってしまう。

 それが、牛岳であろうが、千石城山であろうが構わない。でも、もうちょっと高い所、もうちょっと奥になどと欲が出る。後は、モチベーションが如何に保てるかに掛かってくる。荷を担げるだろうかの不安より、行きたいかどうかだけである。我が家は、二人の気持ちが揃わなくてはいけないだけに、ちょっと窮屈であるが、その代わり行くとなれば融通が利くというもの・・・・

 しかし、余計な物を担がなければいけないため、近間の低山であってもなかなかである。快適に楽しくであれば致し方ないところ。近年出回っている軽薄短小の装備は、またまた眺めるだけになるのだろうか・・・



11/27 もうそろそろ年賀状の準備をしなければ間に合わなくなる。一緒くたにするのなら、差程の日数が掛からないのであるが、自分の性格上、如何にPCを使うと言っても、一人一人の顔を浮かべて出さなければと思っているからである。

 これからは、毎週の山行の上に、同窓会や忘年会が加わって来る。一つの忘年会で、まず2日間はダメになる。山行日も怪しいとなると、残された日はそんなにもない。かといって、図案が纏まらなければどうしようもない。

 そのような中、欠礼のハガキが28枚も届いている。まだ3~4件に心当たりがあるし、もっと増えるかもしれない。一年に一度の挨拶なのに、出せぬのは寂しい。



11/26 最近の話題は、年金や介護もさることながら、「いつまで元気でおられるか・・」 そして、「元気な内に好きな事を・・・」 となって行く。5年・10年・車の運転が出来る内は、などと意見は様々であるが、先人達もそうであったように、なかなか思い通りにはいかないものである。

 「好きな事・・」 それは、「山歩き?」 「旅行?」 それとも、「食べ歩き?」 などと言っても、それが、「好きな事・・」 になるのであろうか・・・ ずっと秘めていたとしても、それはすぐに飽きてしまうような気がする。

 仲間がいて「ああやこうや」 と言いながら、また認め合ってこそ、存在感があり、生き甲斐となっていくのであろう。90歳になる一人暮らしの男性がいる。70歳過ぎまで仕事一筋で、近所の方々とも付き合いがない。優秀な子供達は県外に・・10年程前に奥様を亡くされる。近くの仲の良い同級生も皆亡くなられてしまったようである。過去に、どれだけ高位に付いておられても、あるいは、成績が良くても、人様の為に尽くして来ても、自分を認めてくれる人達がいなくなってしまったら、「唯の爺」 なのである。

 この事からも、何かの機会に出遭った方々の縁を、少しでも大事にし、決して奢らず努めていきたいと思っている。歳を重ねれば、遠くの友とは、どうしても疎遠になるかもしれない。でも、この先世の中は、私の頭では考えも付かないような事になるやもしれない。「思いやりは必ず通じると思っている。」 そんな中、まず隣にいるあの怖い顔をしている方から、大事にしなくてはいけないのであるが・・・



11/25 埼玉の姉夫妻と大阪の二男の来高。親戚の通夜・葬儀。同窓会の打合会、そして、その中でも大寺・赤祖父・高清水の山々に出掛けたのであるから、直近の4日間は慌ただしかった。今朝、二男が帰って行ったので普通の状態に戻ったところである。山に関しては、何が何でも行くものだと、周囲の人達が思っているので、その点は、雰囲気を気にせず堂々としたものである。

 11/30は同窓会である。段取りとして、午後には富山入りしておかなければならないので、本来なら山行に使う時間が足りない。こんな時は牛岳なのであるが、今朝は、午前6時でも暗かった。こうなるとちょっと辛い。雨ならもっと辛い。午前9時半に自宅に戻るとして、やっぱり出入り4時間半を見ていなければなるまい。

 牛岳に拘る事はないのであるが、二上山・三千坊山ではちょっと物足りない。でも、お天気次第、あるいは、体調次第では、行き先を変えなければいけない事が生じるであろう。きっと、その日も帰宅が遅くなるような気がするからである。



11/24 昨日は、高清水山まで足を延ばした。GPSでは山頂を示したが、登山道が整備されている割には、山名板や標柱が見当たらなく、休む所さえ見出す事が出来なかった。今回で4回目となる高清水山であったが、過去2回樹木に括り付けてあった山名板を見た事があった。

 H.19.02.12の時は、さすがに雪量が多く発見する事が出来なかったが、H.11.04.06は、雪量が多くともはっきり確認出来ている。また、H.17.10.04は、夏道が出来たとの事で、草木の生い茂る林道を走り、山ノ神と山頂に達した時も標柱や山名板を確認しているし、画像としても残っている。

 今回は、GPSで一番高い所に達したのであろうが、俗に言う山頂に、ほんの僅かであるが外れた事になる。(山名板がある所に・・・ でも、軌跡は、ほぼその上を通っているのであるから・・・)

 世の中とは不思議なものである。昨日、山頂付近で、反対方向から登って来られた方があった。その方の事はよくわからないのであるが、山頂を越え、三角点のある杉山まで行って戻られたのであるが、その時また擦れ違ったのであった。あまり多く語らなかったのであるが、その方は、私のHPをご覧になって下さる方のようで、

 「昨日 高清水付近でお会いしたことが分かったのでメールします。私は杉山まで1110.5mの三角点を確認し、また、戻りました。途中会いましたね。その後、あなた方の昼食場所の細尾根をもう少し西側の場所まで戻りました。すると、高清水山頂上がありました。道宗道、高清水山、標高1145m、16.0km、←→12.8kmとありました。

その近くには、あまり大きくはないけれど、上の部分が8本に分かれたブナがありました。頂上を通り過ぎた場所の細尾根であなた方と会ったことに気づきました。きっちりと「あこが山頂やったよ。」といえなくて申し訳ありませんでした。」


 のメールを頂いたのである。

 本当に不思議である。「もうちょっとお話しすれば良かった。」 「失礼な事を言ったのではなかっただろうか?」 などと、思っても後の祭り。いろいろの形で山に入れ込んでおられる方があるものだと再認識した山行でもあった。



11/23 二転三転して行き先は、「赤祖父山」 となったが、ネコ君・北ちゃんが揃うと、唯では収まらない。標高900m近くの林道に出ると、大寺山の山頂と三角点が気になるという。それだけなら差程問題ないのであるが、戻って、赤祖父山を通過し高清水山に向かう事になる。私の時間制限を気にしながら・・・・

 時間がないのならと言わんばかりに、歩きが高速になる。それでもなかなか届かない。ここまで来たら昼食時間を削ってもとなる。私も老骨に鞭打っての歩きとなった。「岩やら沢やら・・・」 なら、とても付いていけないが、整備された登山道なら、まだまだ・・・・・ (と思うのは自分だけか?)

 歩いた距離は、18~20キロくらい。時間にして8時間余。ほんの僅かな昼食時間しかなかったが、たまにはあんなのもいい。身体に溜まった「毒」 「老廃物」 が、全て吐き出されたような気がし、もしかしたら、一番気分の良い時かもしれない。



11/22 昨日から埼玉の姉夫婦がやって来た。ゆっくりする間もなく帰る頃に、今度は、大阪の二男がやって来た。親戚の不幸が重なり慌ただしい。明日は、二つの事をキャンセルしたが、山行だけは、条件付で復活する。ややこしいお天気であるが、歩けるだけ幸せである。



11/21 思わぬところに不幸が舞い込んだ。本家のオバさんが亡くなられた。明日が通夜、明後日が葬儀と、まとも休日に引っ掛かった。ところが、お寺の都合とかで、一日ずつ、ズレるようである。全休日山行が、ここで途切れるかと思っていたのであるが、上手く時間を作れば何とかなりそうである。早めに諸事情を伝え、約束をキャンセルした友に、復活のメールを出すのも、このような事だけに、何だかこそばい。



11/20 バースデーカードを出し損なった名古屋の友人(中学・高校時代からの友人)に、今朝簡単な携帯メールで祝ってやった。年に何回となく会っているのであるが、バースデーを祝ってあげたのは、十数年ぶりである。思わぬメールに驚いたのか、そのA君から、感謝の長いメールが届いた。

 ニヤニヤしている私の様子に何をしているのかと問う山ノ神に 「A君の誕生日なのだ!」 と答えた。すると、「あんた、わかっとがいろ・・(わかっているのでしょう。)」 と再び山ノ神が尋ねる。「???・・」 「あっ、そうか。結婚記念日」 「つい、この間まで、覚えとったがいけど・・(覚えていたのだけど・・)」 「何年に、なるがかの~」

 ごまかしても、「もう遅し」 である。今夜は、何処かへ行かなければならない。しかし、山ノ神は、あまり高価な物を強請らない。居酒屋・お好み焼き屋・カラオケ屋でも何でもいいから、記念のイベントをして欲しいという考えの持ち主である。

 「日頃から、心掛けている。優しくしている。」 などと言っても、それでは通用しない。あまり出たがらない私を、無理にでも引っ張り出したいらしい。困ったが、今日はしょうがないところか・・・・



11/19 寒~い。不景気だから余計に身にしみるのかもしれない。家計が辛いと言いながら、山に行ける(行っている)のだから、まだ増しのような気がする。「何としてでも行きたい。」 「何を削っても行きたい。」 「何処でもいいから行きたい。」 が、満たされているからである。

 「当たり前」 が、そうではなくなる事もあるから、「今が一番」 「今が幸せ」 の気持ちを感謝しながら持ち続けたいものである。「より幸せに・・」 「より・・」 を目指す向上心がないと、成長がないのであるが、そんな欲などもうない。「それは、結果として着いて来るもの・・」 の歳になったからかもしれないが・・・・

 独り歩きもいい。夫婦だけもいい。仲間と歩くともっといい。でも、不思議と無いスタイルを恋しがる。「無」 にはなかなかなれない。まだ欲が強く人としての修行が足りないのであるが、妬まず感謝さえしておれば、大体上手くいくような気がする。



11/18 昨日の北日本新聞に 「若い女性に登山ブーム」 という記事が載っていた。「おしゃれな服装で山登りを楽しむ20~30代の女性が増えている。」 というものであった。何かに付け中高年と言われているが、私自身メジャーな山に出掛けた時はその傾向を感じていた。

 私達が若い頃に連想していた 「辛い」 「しごき」 「汗臭い」 などは、もう遠い昔の話で、若い人達だけでなく、皆カラフルである。山岳部、あるいは、ワンゲルなどの名称よりも、何かのサークルと思えるし、女性が先頭に立って指揮している様を行く度となく見てきている。

 臭い・汚いのトイレ事情が好転したのが一番かもしれない。また、風呂やシャワーが備えられて来たのも、その要因かもしれない。唯それだけでなく、花や写真を楽しんだり、必ずしも頂を目指すものでなく、その山中でお茶を楽しんだり、手製の料理を味わったり様々のようである。

 若い人達が来れば、何処であっても活気がみなぎる。我々も元気がもらえるような気がする。マナーを守られながら、好循環になれば、こんな嬉しい事はない。



11/17 山路なら良いが、都会の混雑した街道、それが、高速であろうが私は苦手である。だから、高岡に戻れば何故かホッとする。渋滞する交差点で、無理矢理の割り込みに往生したが、私も、ちょっとだけ、ずるさを覚えてきた。また、広い道路で、直進車線かと思っていたら、、左折や右折車線であったり、またその反対であったり、車が速いだけに緊張する事が しばしば・・・・・・

 宿(ホテル)で泊まったのは、私共の山行としては、不相応だったが、都会?の山だったから、「たまには・・」 で、許されるのかもしれない。街中で、お金を使う機会はあったが、山中では、駐車料を含めて2座とも使わなかった。高速代にガソリン代で1万円程であるから、やはり質素な山行に変わりはない。でも、食材とコンビニでも使っているから、山ノ神は引き締めに掛かるに違いない。



11/16 昨夜は、ちょっと飲み過ぎたからであろうか、出発予定時刻より30分程遅れてしまった。でも、午前6時であったから、私達が求めた比叡山登山口・坂本まで、割とスムーズに行く事が出来た。

 「3年前の武奈ヶ岳・蓬莱山」 山行時に、坂本まで比叡山登山口事前調査した経緯があったから、ちょっと離れるが、無料の観光駐車場がある事を知っていた。でも、その時は、地元の人達に比叡山の登山道を尋ねたのであるが、「ケーブルに乗れば・・・・」 の答えがあったが、そのものを知らないようであった。

 今回は、日吉大社横の六角堂の長い階段から登り始めた。比叡山表参道のハズなのに、「比叡山」の標識が全くないのである。またまたお寺の長い階段を登れば、やっと山道になった。それを道なりに進むのであるが、誰一人出遭わない。どでかい会館や御堂で大勢の観光客と遭遇である。

 比叡山に来たからには、根本中堂(国宝)に参拝せねばなるまい。標識やパンフレッドには、比叡山頂や三角点の事など全くない。よくよく探せば脇に登山道なるものがある。大比叡は一等三角点であるが、その山頂には、テレビ局のアンテナが並んでいた。

 下山は、比叡山鉄道「えんりゃくじ駅」 横からの登山道に沿い、土佐日記の紀貫之の墓所経由で坂本に出た。坂本の街は2回目であるが、重要伝統的建造物群保存地区で、穴太衆積みと呼ばれる石垣が街路を形成している。地域的特色を顕著に示している情緒漂う落ち着いた町並み私は大好きである。

 6時間半程費やした、比叡山、そして、その麓の散策を終え、坂本を出発したのが午後2時過ぎ、「金津~金沢東」 間だけ高速に乗って、高岡に着いたのは午後7時過ぎであった。

11/15 駐車料金(1,000円)を払うのがイヤで清滝トンネルの前で止めた。(早い時間に駐車したから良かったものの、下山時は大変な混みようであった。) 愛宕山は、愛宕神社そのものであるが、標高差800mをいろいろな思いを持って歩いておられるようであった。目立ったのは、毎日のように登る人、あるいは、トレーニングなのであろう走っている人達であった。

 私達は、その表参道と言われるコースをゆっくり歩いた。山頂とは違う所に、三角点(三等三角点)がある事を知っていたので、それを求めたのであるが、GPSがあるがため?か、ルートを外れ、怪しげな(おかしな)所から登る羽目になってしまった。その頂きに登れば、チャンとした登山道があったから・・・・・・

 下山路は、月輪時コースを選んだ。違うコースで、より京都の山の味を知るためであったが、もう少しで、登山口という所で、山ノ神が、「高雄の神護寺へも行きたい。」 と言い出し、帰りの車事情が気になったが、時間を区切ってそれに応じた。登山道で抜かれても、平らな遊歩道では山ノ神も速い。ピストンであったが、一寸ばかり高雄を味わった事になった。8時間余の歩きを終えて車に戻れば、今度は、宿へのルートの模索である。嵐山からの合流地点で、やはり車が混み出し大渋滞となった。



11/14 今朝、今度は、ハレルヤの堀シェフから、「明日、白鳥山に行かないか?」 のお誘いを受けた。久々に皆の顔が見られるし心は揺らいだが、結果的には、断る事となった。北ちゃんにも 「雨」 を材料に断ってしまった。

 夕方になって、関西方面の予報を確認してから、「愛宕山・比叡山」 行きを決行する事にした。本当は、もう少し歳を食ってからに残してあったのであるが、山ノ神に寄り切られた感じになってしまった。でも、ほんの少しだけ私の心の中には、名山150座の区切りがあったのも事実であった。(三百名山の半分)

 行くのが決まれば、「それ~っ」 と、テント・シュラフ・水などを車の中に詰め込んだが、テントの張る場所に悩むのがイヤであった。ましてや、日没の早い時期だけに、辛い思いをするのがイヤである。ならばとネットで格安の宿泊施設を検索したところ、名のあるビジネスホテルの限定商品に辿り着き、山ノ神を説き伏せる事に成功。そうなると、キャンプ用具が、全ていらなくなるから身軽に出発できる事となった。



11/13 今度の日曜・月曜日は連休である。そんな中、月曜日に北ちゃんから、「クズバ山」 or 「細蔵山」 に誘われた。クズバ山はもちろん、細蔵山の新ルートも、私にしてみれば、初めてのもので魅力を感じない訳がない。しかし、山ノ神は当然 「私はパス。」 と言う。その上、予報が良くない。

 山ノ神は、必要に 「遠出はないのか・・」 を繰り返す。「下道でもいい。テント泊でもいい。」 とまで言う。お天気の事もあり、北ちゃんに明晩まで返事を待ってもらう事にした。



11/12 先日の大猫山行で久し振りにタープを張った。結局はお世話にならなかったのであるが、「足手纏いになるから・・」 と山頂へのトライを断った山ノ神用のものとして施したのである。あの程度の張り方では、気休めぐらいにしかならなかったかもしれないが、別行動をする時は、それくらいの配慮が必要と思っている。力量によって、応用出来るかどうか分からないが、屋根や火があれば、心理的に安心、それは、「何時間経てば戻って来る。」 とは、必ずしも言えないからでもある。

 もっと極論を言えば、仲間であろうが、夫婦であろうが、偏って食料・装備を担いだとして、イザとなったら(はぐれた時)は、悲惨である。「着るものがない。」 「食べるものがない。」 となるのである。食材は生でも食べられるが、燃料だけではどうしようもない。テント地なら身体を覆う事が出来るが、ポールだけではどうしようもない。

 最低限の物は、各自が担ぐのが本来の姿。よくある 「あんただけ行って来られ!」 でも、偏ったザックの中身の事を忘れていたら面白くない山行となってしまう。



11/11 もう忘年会の話が飛び込んで来た。「何時からならいい?」 と私の山行を気にしての問い合わせである。時によって、私の連休の一日目(12/7)なのであるから、二つ返事が出来なかった。その前の週が同窓会(11/30)で2週も続いてしまう。まだ決まっていない「好山病・・」 もあるし・・

 でも、世話してもらっているのであるから、あんまり自分勝手な事も言えない。結局可能な限り遅い開始時間をお願いする事となった。まあ~、午後6時~7時の開始であろうから、2時間前に我が家に戻れば、問題ない事だし、その頃の日没も早いから何とかなるであろう。「そうしてまで行かなくてはならないのか・・」 の声が聞こえて来そう。



11/10 今日の「懐かしの一枚」 に、平成18年9月17日の 「中山」 を載せた。この日は、たまたま、シュンちゃんファミリーと一緒する事になり、奥様と愛娘の容子ちゃんが参加してくれて楽しい登山が始まるところであった。ところが、私は、うかつにも登山には欠かせない靴下を忘れて来てしまったのである。
 「当欄 (山つれづれ・・) H.18.9.17~19 に、その事が載っている。」

 せっかく約束した登山をホゴにする事が出来なく困った私は、軍手を靴下代わりにしたのである。そのような話を以前に聞いていたから、間に合わせる事が出来たのであった。何事も体験しておれば、言うことはないのであるが、せめて目にしておけば、応用が利くという事を実感した時でもあった。

 

11/9 大猫山行は、結果的に後発の 「ねぎちゃん」 を含め5名の参加となった。車中では朝焼けの剱岳を見、歩き始めれば、樹木の葉が落ち見透しが良く、ほんの一時を除き、一日中剱岳と対峙出来るラッキーな日であった。曇りがちであったのに・・・・・・・・

 「午後4時頃までに下山したい。」 という私の条件付であったが、宮ちゃん達は福井を前夜に発ち馬場島で泊まっていた。(越田女史と共に) 福井から入れ替わり立ち替わり山仲間を連れて来る宮ちゃんに、山ノ神は、「もうちょっと、弱い人を連れて来て・・・」 の要望を伝えていたが、宮ちゃんは、多分冗談としか受け取っていなかったような気がする。

 「私が足を引っ張るような気がするから・・ここで待機する。」 という山ノ神に配慮して、大猫平にタープを張る事にした。そこへ、「ねぎちゃん」 がやって来て、山ノ神を除く5名で山頂を目指した。確かに、山ノ神がいないと、速く山頂に達したのであるが、風が出て来て、剱岳が雲に覆われんとしていた。皆の意見も早々に大猫平に戻るものであった。

 その間、山ノ神は、1本のビールでは間が持てなかったようであるが、静かに剱岳と対峙していたかのようであった。良く言えば、このような山との触れ合い(楽しみ方)もあるのである。ちょうどお腹が空き食事となったのであるが、アルコールの名が付いておれば何だって良いだろうと、私のノンアルコールビール(0%)を半分やったのであるが、それなりに飲んでいたようであった。

 お互いに、何枚も何枚も、それこそ呆れるくらいに剱岳を撮りながらの下山となったのであるが、口も軽やかで、笑って笑って登山口に辿り着いたのは、ちょうど午後4時であった。 それからの私には、かねてからの念願であった池田氏との 「飲みながら語り合う場。」 がセットされていた。

 池田氏は、7年前の12月23日、ステキな奥様と一緒に、我々の復帰山行と称する 「大辻山」 までお越しになったのである。それ以来、(本当はその前から・・) 私(達)を本当に大事にして来てくださっていた。何かに付け 「元ちゃん、元ちゃん」 と呼んで頂き、山ノ神に至っては、奉納と言って山頂にビールを届けて(持って来て)下さるのであるから、本当に感謝し通しであった。

 何度となく、山中でお話や飲む機会はあったが、「ゆっくり飲みながら語ろうか・・」 と今回一席設けて頂いたわけであった。山の事と飲む事しか知らないがさつな私(達)が、果たして、失礼なく話が出来るものだろうかと心配であったが、穏和な 「わたすげ夫妻」 をゲストに迎えていて頂いており、不思議と話が弾んだのであった。ちょっと私の容貌に戸惑われたかのように思えたが、「わはっっは」 で、ごまかすしかなかった。

 池田氏は、ホスト役に徹しられて、あれやこれやと心遣いを頂いた。芸のない私は、唯、食べて飲んでだけである。「あんたは、喋りすぎ・・」 と山ノ神から指摘を受けたが、「もうちょっと聞いておけば良かった!」 「もう少し話しておけば良かったのだが・・」 と欲張りな私である。

 GOOD待遇はいらないが、またそのような機会があればと思うに付け、それには、「元気でいなければ・・」 が最低条件であろう。そして、優しくてステキな奥様とも、例え低山であろうが、ご一緒出来たらと思うのである。

 

11/8 「中山」で出遭った若い女性二人が、今日は尖山に登ったようだ。そして、山頂では、「いろいろご馳走になって嬉しかった。」 と、その雰囲気を伝えるメールが彼女らから届いた。「元さんを知っている人もいたよ!」 などと、儀礼的であろうが、私の心を擽るような事も記してあった。

 今日、山頂で出遭った優しい人達の好意を大事にして、「山と付き合ってくれないかな~。」 と思うのは、私だけであるまい。若い人達が山に来てくれるのは、活気があって楽しいものである。彼女らが、また、次の世代に優しくしてあげてくれたら、それでいいのであるから・・・・・・



11/7 明後日は、やっぱり大猫山かな? お天気が持ってくれればいいが・・・・ 最も、その宵は所用(イベント)があり、時間的な事もある。それを承知で福井から宮ちゃんらがやって来る。草地は、雪でちょっと滑りやすいかも・・・・ 大猫平止まりでも良いではないか・・ 数えたら大猫山30回目となる。



11/6 正座・胡座は相変わらず出来ないが、膝痛はあまり感じなくなってきた。もちろん深く曲げる事は出来ないし、重圧を掛けるとかなりの違和感があり、踏み切るのはちょっと辛い。でも、長く歩く事に耐えられるし、重荷を背負う事も、そう遜色はない。しかし、近年、股関節に違和感を覚え、その関節を使う事に難がある。

 でも、ルーの法則 (筋肉は使わなければ細くなり、適度に使えば維持・発達するが、過度に使えば障害を起こす。) ではないが、使わないと衰える。使うと痛いから、その加減が難しいところ・・・・・・ 今のところ、仲間にいろいろ気を遣ってもらっているが、過度な負担を掛けているつもりはない。でも、バランスが悪いから、ハラハラさせているかもしれない。

 加齢と共に、悪いところが治るという事は期待しないまでも、何とか現状維持や緩やかなダウンを目標とするために、いろいろと身体を動かさなければと思っている。自分の行っているストレッチは、紛い物のようで言い切れないが、もしかしたら、毎週欠かさず山歩きをしている事が、一番のリハビリとなっているのかもしれない。



11/5 「食欲が湧かないので病院に行ったら、紛れもない胃潰瘍だと言われた。」 私と同い年の男性が、「これであっかりした。」 と言った。おかしな話だが、「癌だと言われたらどうしよう。」 とちょっと悩んでいたと言う。酒・タバコを嗜む彼は、特別のストレスもないのにも付け加えた。担当した医師から、酒・タバコを半分にしなさいとの指導を受けたのであるが、何だか安心して飲めるのだという。

 私・山ノ神共々、定期検診(健康診断)を、ずっと受けていない。怖いからである。「 元気だと言っている人ほど、コロッと逝くのだぜ!」 の言葉に、「コロッといけばいいけれど・・」 後々が面倒となる事が多い。私は、未練がましいから、きっと藁をも掴もうとするであろう。

 実際、今日は調子が可笑しい。「つい、もしかしたら・・」 などと思ってしまう。長生きと共に、「何時まで元気でおれるのか・・」 が最大のテーマ。その元気も、どのような状態が、元気と言うのかとなる。徐々に衰えるのであるから、定義は難しい。さしずめ、「山に行けるかどうか・・」 が元気かどうかになるのであろう。「さて、どのような山に登れれば・・」 どのような山でも登られればいいのでは・・・・・・



11/4 とうとうデジカメがダメになった。ここ1~2ヶ月の間、おかしな前触れがあったのであるが、それでも、「行くところまで・・・」 という気持ちで、シャッターを切っていた。ところが、先月末の白鳥山くらいから、時々焦点が合わなくなったりしていたが、中山では、思う時(大事な時)に思うようにならなくなってしまった。

 中山山頂から東小糸谷側に降りる時、雪があるとはいえ、不覚にも私がルートを間違えて、それこそヤブに突入してしまった。退去(戻る)時、私の後を付いて来ていた二人の女性の雪まみれ姿を撮ろうとしたのであるが、焦点が合わず全くのピンぼけ(何かわからないくらい。)になってしまったのである。(彼女らに、雪との格闘写真をプレゼントしようと思ったのであるが・・・・

 上手でないとはいえ、カメラがなくては登山にならない。高価な物は買えなかったが、5台目となるデジカメを手に入れた。やはり一眼レフは買えなかった。山ノ神のデジカメも替え時であるし、ここは我慢しかない。



11/3 寒波襲来の予報に、ちょっと出遅れてしまい「中山」となった。新潟市内からの団体(20~30名)を抜き、そして、若い二人の女性を抜いてから、真新しい雪を踏む事になった。例年の文化の日なら、山頂は溢れんばかりの登山者で、休憩する場所もないと聞いているのであるが、今日は、その後に単独行が3名だけだった。

 雪上で思い思いの食事をする中、先程の若い二人の女性が、我々の横で、何だか寒そうにじっとしていた。ラーメンを作り始めても、その女性達が気になり、また、よからぬサービス精神が出て、「良かったら食べませんか・・」 と差し出してみた。 普通なら、「いいです。」 と断られるのが落ちであるが、「有難う。」 と言って食べてくれた。話をする内に、中山は簡単な山だから、「車に戻ってから食べればいい。」 ような段取りだったらしい。しかし、登ってみると、積雪も手伝いなかなか計算通りにはいかなかったようである。

 彼女らの初めての登山(初めてに近い登山)に雪が付いたわけだが、別世界に来たかのようであった。そして、「ハッピー」 と言った。何だか嬉しくなって、周遊コースに誘ったら、「行きたい。」 と返って来たから嬉しくなる。彼女らの親のような年齢ながらも、気持ちは一緒! 「キャーキャー」 言いながら立山川に降りた。

 月曜日が山行日の 「好山病・・」、そして、第3日曜日が山行日の 「ハレルヤ」 のピーアールも忘れずしておいた。おそらく山に関する知識・装備など殆ど分かっていないと思われるが、「山はいい。」 と言うくらいであるから、若い事だし、あっという間に覚えられると思う。

 そんな彼女たちから、今度は「尖山に行こうと思いますが、どんな山ですか?」 とのメールが来た。それだけで、私はとてもハッピーな気持ちである。「時々、思い出してくれればいいよ!」

 

11/2 起きて見ると、大粒ではないが、やはり雨だった。「午前中が勝負!」 と言っていたが、いつもの通り30分ほど出発が遅れた。私が持っているガイドブックには、大滝山に記したものはなく、「分県登山ガイド富山県の山」でも、高草嶺からのものしか載っていない。実際私自身も12年前の春に、同ルートから一度登っただけであった。

 改訂版の 「分県登山ガイド富山県の山」 には、今回のルート 「楮からの大滝山」 が載っているらしいが、私は詳しくは知らなかった。西赤尾のささら館を過ぎ、楮橋を渡って、火の河原橋の手前で、楮集落に入れば何とかなると思っていたが、案の定 林道からして間違ってしまった。 (今回はGPSが役にたった。)

 登山口は、「へっ~」 と思われる奥深い所にあった。(雨が降っていたから、余計にそう思えたのかもしれないが・・) そして、登山口が2つ並んであった。 (途中、別ルートから降りてきたから分かったのであるが、交わらないし、表示もなく、初めて行くと分からないであろう。)

 登山道は整備されていた?し、絶対間違わないと思われる程、赤ペンキと赤テープがベタベタと施させていた。しかし、標識たるものは、登山口の小さなものだけ・・後は、登山道の中に4等三角点と、見落としてしまうかもしれないが、ブナの木に、「1154」 と小刀のようなもので切り込んであるものだけである。

 木々の枝先に、小さな赤テープが付けてあるというものの、標高1200m以上の半分以上はヤブの中を歩くようなものであった。雨で滑るし、小枝が目に入ったり、跳ね返りで顔を叩くし、イヤハヤ参った。(このような程度ではヤブとは言わない。の声が聞こえて来そうであるが、我々はヤブが苦手。)

 自分から行こうと言った山ノ神であるから、「止めよう。」 とか、「辛い。」 とは言わなかったが、山頂に出て、高草嶺側からの立派な登山道を見るに付け、「私は何処から行こうとは言わなかった。こちらからの方が良かった。」 と本音が飛び出してしまったようであった。

 また、「ここから降るの?」 とイヤな顔を見せたが、車の関係上仕方がない。雨にミゾレが混じって来たからには、早々に山頂から撤退するしかなかった。(でも、何かは欠かさず飲んでいたようであった。)



11/1 明日・明後日はお天気が悪いらしい。それも、かなりの寒波がやってくるらしく、何だか意気消沈。「今度は何処へ・・」 と仲間に聞く気になれず、また問い合わせも誘いもない。午前0時前に高速に乗れば、3日(火)も祝日だし、行き帰り1000円高速の恩恵も考えたが、唯、走らすだけでは脳がない気がして・・(本当は予算の問題。)

 飲んでしまえば、「遠出はないのか・・」 山ノ神は寂しそうな顔をするが、「このような時節なのだから、行かない訳がないが、メリハリを付けながら、自分達らしい山行に・・」 と説得に掛からなければならない。

 山ノ神の頭の中には、「お天気が悪いと、また牛岳か・・」 があるらしく、あれこれ山名を出してくる。「雨の中、そんな山に登れるか・・」 「登ったとしても辛いだけだよ!」 と促すのであるが、どうも分かってはくれないようである。食事後、五箇山の「大滝山」の提案に、「明朝の状態を見てから・・」 と交わしたが、雨は止むような気配が感じられないまま寝床についた。