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12/31 いろいろあったけれど、今年も今日で終わりです。有難うございました。
12/30 明日から、また寒波がやって来るそうであるが本当だろうか・・・・ でも、先日の寒波は、久し振りに続き、暖冬で怠け癖が着いた身体には、ちょっときつかった? 今まで、黙々としていた除雪も、体力に陰りが見え始め、ましてや、排雪場のない我が家では高く積み上げなければならず、音を上げたくなってしまう。
降ったなりの山もしかりで、残念ながら、真新しい雪の中を突進する気概も薄くなってきている。弱々しく後に着いて行くのが関の山か・・・・
12/29 お正月休み(1/1~1/4)を、どのように過ごすかどのように使うか思い悩んでいる。例年は、それなりの山三昧で過ごせたが、今度は、そうはいくまいと思うからである。それもこれも、元日にやって来る婿殿のスケジュール次第。と言っても男の私は、何もする事がないから、夕食前に戻れば良いのではないかと思っているが、でも、ムコ殿帰京の際、家にいないのはマズイのではないか・・・・・・・
12/28 自分のしている事は想い出づくりに通じている。想い出は、たくさんあればあるほど楽しい。共通の想い出が一つあれば、一晩ぐらいなら話は続く。そして、会う毎に話していても、イヤな事さえ言ったり言われたりしない限り、酒の席以外でも結構楽しいような気がする。
汗をいっぱい掻き、ハーハー言いながら届いた頂きで、勝ちどきを上げるのも良し、途中であっても、腰を降ろし、コーヒーを飲みながら眺望を楽しむのも良い。それを心に秘めて自分なりに楽しむ事が出来れば良いのだが、ず~っと、そのスタイルを持続するのは難しいような気がする。
人間一人で生きていけないのと同じで、想い出は共有するのがいい。時折、粉飾をされる時もあるが、それはそれでまた面白い。自分の事を知っていてくれる人が、いなくなったり少なくなったりするのは、とても寂しい事である。
12/27 当初は最後の休日(明日)も山に行こうと思っていたが、世の冷たい風は、私の心にストップをかけた。行かないとなると、寂しいを通り越して、何と 「楽なのだ!」 何時起きもなければ、荷の点検、食材の調達など、何も気にしなくてもいいのであるから・・・・
唯、「何としてでも・・」 がなくなると、いつの間にか、なし崩しになるのではないかの危惧が生じてくる。でも、人生思い通りに行く事などないし、今まで思い通りになった事などない。
12/26 二男から、12/16清酒、12/17八ッ橋、12/17タラバガニと連日プレゼントが届いたが、今度は、ヒメにクリスマスプレゼントとして、おもちゃのピアノが送られて来た。「どうなっているの?」 確か自分の生活もやっとのハズ。「今までの罪滅ぼし・・」 なのだろうか。
子の平穏を望む親として、何故か心配でならない。風邪で寝込んでいると言えば、「帰ろうか・・」 とまで言ってきた。過日の久し振りに帰って来た時、親の弱さや衰えを感じたのかもしれない。 まだ早いよ!
12/25 ようやく年賀状づくりが終了した。ここぞという時に寝込んでしまい、例年のような細かい作業が出来なかったが、先方様は、「来たか・・ と名を確かめるだけかもしれないから・・・」 と、自分を慰めるしかなかった。
12/24 とうとう寝込んでしまった。何度も何度も夢を見た。ハッと、目が覚めて・・ また寝ると、また夢を見ていた。
12/23 体調が可笑しい。熱は無いが、咳が出て止まらない。そして、思考が続かない。
12/22 昨日で、今年の山行が終わった。28日(月)は、営業とする事にしたので事実上、昨日が最後であった。それでも、今年は75回(79日)の山行機会があり、内容は別にしても、その回数には頗る満足している。
しかし、こんな事は、いい加減に止めねばと思うようになってきた。体力とか山に飽きてきたからというものでなく、「他の事も・・」 が、少々頭を過ぎるようになって来たから・・・ でも、作り上げてきたライフスタイルをどのように崩していくかも、私にとっては大きな問題である。
12/21 「大雪で除雪が捗らず山行には参加出来ない。」 とのメンバーからの連絡に、それではと駆けつけ、後に近くの低山を歩いた。こんな事でもなければ「吉峰山」 に登る機会がなかったかもしれない。至る所に、案内板や東屋・展望台などの構築物があったが、大量の積雪に程よく埋もれ、ぐるっと回って楽しい一時を過ごす事が出来た。低山の魅力の再発見と共に、仲間を助けた清々しい気持ちは、一年を締め括るにはちょうどいいような感じである。参加者4名。(好山病友の会)
12/20 勢いよく臨んだ大辻山であったが、結果的には敗退! 大雪の為、直前まで行く先が迷走したのが最大の理由であろうが、志気は落ちていたのは歪めなかった。6年前より距離は伸びたし、速く歩けたのであるが、「どうしても・・」 の若さが無くなったのは致し方ないところか・・
食事処を長尾峠としてアスファルトまで掘り下げれば、何時しか身の丈以上になってしまい今回の雪量の多さに皆が歓声を上げていた。頭上をタープで覆い暖を取ったが、熱中人達には雪中の別天地。質素を心掛けたが、そこはハレルヤの心意気それなりの食材でお腹を膨らませた。
年が明ければハレルヤは6周年を迎える。心うきうきも宜しいが、少しは安全面にも心しようとなり、主にカナビラ・シュリンゲなどを用いた講習も行われ、身が引き締まったような気がした。すぐ忘れる年齢に差し掛かりつつある者ばかり、何度もそっと繰り返して欲しいものである。
特別の山歩きをするのではないにしても、何があるか分からないし備えだけはしておかなくては・・・我々が必要とする物は、そんなに重くはないし、高価な物ではないから・・・
12/19 さて、明日は大辻山の何処まで行けるか・・・ 大量の雪が積もっている事は想像出来る。「こんな時に・・」 の声も聞こえて来そうだが、中年オヤジ達のチャレンジと思って頂いたらどうかな! リベンジという言い方もある。小さなロマンはやっている者達にしか分からない。熱中人なのかもしれない。
12/18 朝方の積雪はそれほどでもなかったが、一日中ずっと降り続いた。こうなるとまた違った意味で厄介である。明後日のハレルヤ山行は、当初の「五箇山の山」を外さなくてはならなくなった。悪天の場合は小佐波御前山が定番であるが、6年前敗退の大辻林道に挑戦は如何と思っている。
この雪、この寒さで何人が集うか分からないが、当時と比べてスノーシューがある。でも、体力が落ちているからどうなるか分からない。今度は逆に、「もう降らないで欲しい。」 と願うのは道が空いていても駐車に苦労するからである。
12/17 寒かった! 全く火の気のない所で、それも一人で寝ていると、夜中に何度も目が覚めた。高岡は、うっすらの雪であったが、今度の日曜日に行こうとしている五箇山方面は、かなりの積雪をみたようである。
暖冬と言われている近年では、予報が忠告するような大雪が、毎日降り続く事などないのであるが、こと高所となるとそうでもない。(想像がつかない。)団体行動は小回りが利かないだけに、その行き先選定に苦慮する。しかし、久し振りに顔を見るメンバーもあり、何とか納得出来る企画を立てたいのであるが・・・・
12/16 する事がたくさんあるのに、ボーッとしている事が多い。お尻に火が付かないと事が進まない悪い癖がある。ようやく賀状の包みを解いた段階で、この後が思いやられる。昨夜から、お酒の量を半分に減らしたのだが、なかなかエンジンが掛からない。
そんな折、次男から「神聖」 という銘柄の清酒が送られて来た。今までは、贈り物が来ると、碌な事がなかったが、今度は素直に喜びを表す事にした。きっと歳取った父を見たからに相違ない。
残念ながら、若い者には適わない。経験だけが上回っていたのであるが、最近はそれも怪しくなってきた。「負けてなるものか・・」 より、甘えられるものなら、その喜びを得てみたい気がする。でも、世の中そんなに甘くはないし、痩けた方が辛いのであるが・・・
12/15 牛岳の雪を車に積んで走っていたら、「何処から来たのだ!」 とでも思っているような表情で、擦れ違う対向車が全部こちらを見ているような気がした。早朝は凍っていたので、お昼頃までそのような状態が続いた。14~15日にかけて、高岡は雪が降らなかったようなので、尚更なのであろう。
雪マークがずらっと並んでいるが、あまり降るようには思えない。山だけが降れば申し分ないのであるが、そう上手くいくわけがない。次の休日はハレルヤ山行であるから、林道の状態が気になるところ。降らなければ降らないで困るが、降ったら降ったで違った心配がある。
それが団体行動の難しいところで、何かを得たければ何かを押さえなければならず、優柔不断の男は、調和を図る事が苦手なので、この先しばらくは頭を悩まさなくてはならない。
12/14 「好山病・・」 の忘年会が、「牛岳温泉ささみね」 宴会開始は午後6時であったが、山行参加者は、スキー場駐車場に午前10時の集合である。このような時間に集う事など滅多にないので、ちょっと早めに行って、皆にコーヒーサービスでもと思っていたら、デタラメの時間に着いてしまった。でも、山の中にいるその雰囲気だけでも、リッチな気分に浸れたような気がした。
ゲレンデ内は通行止めになっていたので、再び牛岳温泉まで戻り、その前の林道を介して二本杉まで車を乗り入れた。
俄に降り出した雪中を、山頂目指して歩き出せば、どれだけセーブして歩いても、すぐに山頂に至ってしまった。それではと三角点を周遊、ほんの僅かな晴れ間から砺波平野を眺める。小腹が空いて来たが風もあり食事する雰囲気ではなかった。
諦め掛けて降りだした鍋谷ブナ林で風が落ち着き、早速店を広げる。相変わらずドサ~ッと料理が並ぶ。「今食べると、宴会で食べられなくなる。」 「まだたくさん時間がある。」 などと言いながら口の中に入っていく。でも、食べず(出さず)じまいの食材がたくさんあったハズ。
二本杉に戻っても、まだ午後2時前で、今度は三段の滝へ行こうとなる。「まだけ・・」 「もうちょっと・・」 のいつもの会話が続く。「意外といいじゃない。」 とは、皆さん牛岳に来ていないという事でもある。極め付けはトンネル前にあるコンクリートの展望台を、ルートから外れて登るのであるからイヤハヤ参った。「滝を眺めながらコーヒーを飲む。」 これも乙なもの。このような時間をもって 「山と親しむ。」 となる。 とは独り善がりかも・・・
この後、二本杉登山口に戻るのであるが、お腹いっぱいの身体では結構辛い。「登山口に戻るのに登りとは・・・」 の言葉が飛び出すくらいであった。二本杉に着く頃には降雪が激しくなったが、それも一時的で、そのまま牛岳温泉に浸かった。 のち宴(忘年会)に突入!
12/13 昨日から大量の迷惑メールが携帯に掛かってきた。元々、携帯に届くメールの数は少なく、寂しいくらいであったが、突如の攻撃には参ってしまった。我々二人の携帯料金は、娘が就職した時から、ずっとお世話になっているから、アドレスを換えようと思っても、そのパスワードや暗証番号が分からなかった。(教えてあるというのであるが・・)
今回たまたま娘が来高していたので、その手続きを請うたのであるが、その迷惑メール対策はいろいろあるようである。私はアドレスを変えたのであるが、大方の人達は、PCからのメールを拒否する方法を選んでいるようである。しかし、私は、PCから携帯にメールを送りたいし、その逆もOKにしたかったから、アドレスの変更とした。
ある筋からの情報として、「13桁以上のアドレスには、迷惑メールが来にくい。」 を信じた事もある。もっとも、私は携帯メールを打つのが遅く、在宅中は、PCに頼ってしまっている所為もあり、子供達には、私のPCからのメールを拒否しないような設定をさせている。
今回のアドレス変更を、寸足らずながら、もちろん携帯から、友人知人に送ったのであるが、意外にも、返事として予想を遙かに超える多くのメッセージを頂いた。何もなくても、たまには、「お元気ですか・・」 くらいのメールを送らなければと思ったのである。
12/12 イケメン・レキジョ(歴女)に次いでイクメンを言うのを知った。育児をする男らしい。イケメンをいけない男、キモイを気持ち良いと思っていた私だけに、次から次の新語には些か戸惑う。そんな中、我が家に東京から娘とヒメがやってくる。今度は長期滞在と聞くが、あまり詳細はわからない。
「忘年会シーズンの中、ムコ殿を解放させてあげる。」 のが目的とか、また「予防接種が受けにくかったから、こちらで手続きをした。」 とかあまりよく分からない。ムコ殿の顔を見ている間は賑やかなのだが、帰って行ってしまうと、山ノ神より手強い娘は小姑役に変身する。山ノ神でさえ怖がっているのであるから想像が付くというもの・・・
人口(人数)が倍になるは賑やかでいいのであるが、目に見えぬ糸で縛られていくのは、結構辛いのである。しかし、敵は代わり、山ノ神との諍いは減るのであるから可笑しい。
12/11 今年も残すところ3週間となった。私の山行機会は、後4回(4日)あり、それを成就出来れば、今年も全休日80日(76回)出掛けた事になる。内容は別にして、雨や雪の日も風の日も、そして、葬儀の日や結婚式・同窓会の日もであった。3年半前、東京で行われた娘の結婚式に参列せねばならず、一度途切れたが、その後、またずっと続いている。
物事に拘る小心者であるだけに、「何故・・」 「どうして・・」 を払いのけるのに結構苦労をする。でも。「山バカ」 「山キチガイ」 と言われるのを勲章に置き換えれば、す~っと、耳を通り抜けていくような気がする。
これだけ山に行けたのは(行けるのは)、自分だけの技量でなく、家族・友人知人、そして、周りの方々の理解があったからだと思っている。そんな自分でも、最近は不安と同居しながらの山行となっているような気がする。「そんなにしてまで・・」 や、 「もっとする事があるのでは・・」 と思い始めたからである。
少なくても、来年からは、「何が何でも・・」 だけは、私の辞書から外したいと思っている。しかし、時間が出来ても必ずしも有効利用が出来るとは限らない。「時間が無い時ほど、やりたい事が出来た。」 という実績もある。思うだけでやってみなければわからない。
12/10 ようやく雪だるま(雪マーク)が並び始めた。そして、明後日の日曜日辺りから、気温も低くなる予報になった。なかなか予報通りにはならないのが常であるが、雪を待つ者として、俄に心がはしゃいでいるような気がする。
週明けに好山病のイベントが予定されているが、その頃から冬型になる予報である。なってしまってから(降ってしまってから)が、一番いいのであるが、何せ強者ども、全天候型であるから関係ないようである。
12/9 暖冬は、下界で生活する面では足場がいいし、光熱費が少なからず助かる。しかし、山歩きする者として、雪が無い少ないのは寂しい。スキーする人にはもっときつい。それではと、最近の雪量を自分の撮った画像で確認してみた。
大体12月中旬になると、さすがに登山口辺りに雪を見ている。しかし、上旬にあっても、中旬に消えたり、中旬にあっても、下旬に溶けてしまった事もあったようだ。唯、前日まで無かったのに、一夜でどっと積もったケースもあった。
2~3日降り続くと、本当に暖冬なのだろうかと思うが、雪が降らないと、これから先どのようになるのだろうかと心配になる。しかし、高所では、やっぱり雪が降り、それなりの積雪がある。気温が高くなれば、そのような現象は致し方ない。
寒気の南下も少々押され気味で、昔は富山・石川辺りが境のような気がしていたが、最近は新潟・富山が境目に変わったような気がする。それも、長い新潟故、ずっと上(北)のようにも思うが・・・
そして、暖冬・少雪は、山歩きにも変化をもたらしている。日照時間の短い積雪期には、なかなか行けなかった山にも届くようになって来た。もっとも、スノーシューなどの装備の向上、また多くの方々が山に入るようになった事も要因としてあげられるが・・・
12/8 山ノ神は所用で行けないが、予報は、お日様マークがずっと続いていた。昨夕、富山の池田氏を誘ってみた。以前から一度はお誘いをしてみたいと思っていたのであるが、なかなかそのような機会がなかった。突然の誘いであるから、その返事が怖かったが、快諾して頂き山行が実現出来た。
昨日の今日で何処から、人形山とは言え、雪があるかと思っていたが、登山口までは全くなかった。第2休憩所でカンジキを装着したが、その先でも積雪は最深で40~50㌢程度。それにしても、私より7~8歳年上の池田氏の脚力は凄い。ちょっと写真を撮っていると、あっという間に離されてしまった。
それよりも凄いと思ったのは読図である。山座同定であり、山の形を読んでしまわれる知識である。さすがに学生時代から培われたものであろうが、私などは舌を巻くしかなかった。それでも、「元ちゃん、元ちゃん」 と持ち上げて下さるのであるから、ちょっぴり苦笑いをしなければならなかった。
北アの展望が素晴らしかった。今までで一番だったかもしれない程、一日中霞もせず、ずっと眺める事が出来た。今度いつ池田氏と個人山行が出来るか分からないが、元気であって、その気になれば、またあるのではないかと、握手をして別れた。
12/7 まだ真っ暗だが、午前5時に起きて外に出てみると、細かい雨が降っていた。でもこの先6時間の雲の流れを見ると、雲は少なくなり雨は上がるような感じであった。恐る恐る山ノ神の寝床に近付き 「昨日は、近間の低山と言ったけれど・・」 と切り出し、「雪の事は分からないけれど、大倉山に行かないか・・」 と言ったが返事はない。
こうなると最後の手段である。「6時半に出発する。イヤなら私一人で行く。」 置いて行かれるのがイヤだから、山ノ神は渋々と起きて来る。今度は車のエンジンを掛けると、バッテリーが可笑しい。やっと掛かったが携帯の通じない所でトラブルを起こしてはどうにもならないから、ずっと掛けっぱなしにしておいてからの出発となる。
桑首林道は全く雪がなく、登山口まで車を入れる事が出来たのであるが、やっぱり万が一の事を考え、林道交差点に止めてからの出発となった。標高700㍍を越す辺りから真っ白になったが、昨夜から今朝に掛けての降雪なのかもしれない。
ブスっとした態度で黙々登る山ノ神であったが、一瞬晴れ間が覗くのではかなろうかと思った時、「ビールをもう1本持ってこれが良かった。」 の言葉を漏らした。しかし、その後も雪の重みで倒れているササを掻き分けながら、「こんな所へ、来たくなかった。」 の連発!
小雪舞う鐘のある山頂でタープを張ったが、やはり寒かった。その寒さを想像していたからノンアルコールビールも持参しなかったのであるが、山ノ神だけは、その儀式を行わずして、「何の山かであるらしい。」 そして、尚も一言 「ハレルヤ山行(今月)の偵察(下見)で来たのか・・・」 とまで・・・
極め付けは、「ハレルヤに大倉山を選ぶのであれば、私は来ない。」 とまで・・・ 雪量が少なくなれば下りも辛い事は確か、でも、「何度も来ているではないか・・」 また、「キャンプ用具を担いで2月にも来ているではないか・・」 と言っても、「今が辛い。」 には、何も言えない私であった。
12/6 明日も予報は良くない。明晩は忘年会も組まれている事だし、起きてからお天気と相談しながら簡単な所(千石城山・城ヶ平山・大辻山など)として休む事にした。そうなれば、ちょっと夜更かしをするなど気分的に楽である。でも、予報とはあくまでも予報、アラームだけは午前5時にセットしておこう。
12/5 今度の月曜・火曜日は連休であったのに、月曜日の忘年会を組んでしまった。うっかりもあったが、混み合ったスケジュールの中では致し方ない一面もあった。もっとも、年末で天候も定まらない時期だけに、泊まり込みも遠出も頭にはなかった。
しかし、山ノ神の思いは別である。「こっちのお天気が悪くても、山を越せばお天気は違う。」 というのである。それもそうであるが、その山にテーマを課せてならまだしも、「唯、歩くだけなら、わざわざ遠出しなくてもいいのでは・・」 と、背を向けなければならぬ事になる。
初冬の濡れた落葉を踏みしめて歩くのも良し、冷たい雨に打たれて頭を冷やすのもよし、「何をしているのか・・・」 と言われてもあまり気にしなければ、六十路であっても、歩く山はまだまだたくさんある。
12/4 2日前ようやく冬タイヤに交換した。例年よりかなり遅れたが、今年の雪の状態ではどうって事はない。先月初めの馬場島へ行った時、ちょっと気を付けて運転しただけである。主要道路を走れば、「冬タイヤは早めに・・」 の標語が出ているが、慌てて交換するより、お天気の良い時にしていた方が、イザという時に助かるし気分的にも楽である。
「ギリギリまで交換しない。」 また、「雪が降らなくなったから・・」 と言って、すぐに夏タイヤに交換する人もあるが、私の考えは、早く換えたただけ夏タイヤも減るし、冬タイヤが減らなくとも、年月を重ねれば、タイヤの効きも悪くなると思っている。そして、タイヤをケチって、事故でも起こせば、尚更高く付くような気がするが、どんなものだろう。
12/3 「人の心を動かすのは理屈ではなく情感だ!」 という言葉が好きだしその通りだと思う。誰が言ったのか、どの書物に載っていたのか忘れてしまったが、私のメモに残っていたものである。正しくても人気が(支持が)無ければどうしようもないし、ダメだと思っても情がそうさせる場合がある。
「あの清い気持ちは何処へ行ったのか・・・」 社会に出て何度も繰り返してきた言葉! 好き嫌いとまた違った感情である。「潔さがなくなった。」 事に近い言葉かもしれない。「丸くなった。」 「調和を図る。」 などは全てそれである。世間に受け入れられても、何故かむなしさが残る。「強気を挫き、弱きを助ける。」 ではないのである。自分のしている事、周りに起こっている事、何もかもがそのようである。
12/2 行き損なった先月の結婚記念日の代償ではないが、二人で外食に出掛けた。余程の事が無い限り外食とならない我が家であるが、4~5ヶ月前に新聞の懸賞に応募した際、ホテルの食事券が当たったものを無駄には出来ないとの思いもあったが、「何かしておかなければ・・」 の気持ちが強かったかもしれない。
その食事券相当の内容は、それ程ゴージャスなものではないにしても、ビールを一杯飲んだ事があったからかもしれないが、終わってみれば結構満足するものであった。しかし、近年としては、慣れない場所故に、何だか落ち着かなかった。そして、自分自身からして、会話もぎこちなかったように思った。
もしかしたら、夫婦に見えないのではないかと余計な心配までした。私には、やっぱりコンロとコッフェルが似合うのかもしれない。もうちょっと、何処かへ行きたかったような山ノ神に、「また来た方が二度楽しめるじゃない・・・」 と言って家路に着いたが・・・・ 覚えていないで欲しい。
12/1 昨日の牛岳山行はどうでも良かった。前夜の雨からして行かなくても良いのではと思った。「時間がないのに・・」 「ケガでもしたら・・」 「後に用事が控えているのに・・」 などの他に、「意味が無いのでは・・」 と思わずにはいられなかった。「全休日山に行ったからどうだと言うんだ。」 「時間がないのに同じ山に登ってどうなんだ。」 とか・・・・・
この10年間程、山とHPに明け暮れて、「何もしていないじゃない。」 「もっとしたい事があったのじゃない。」 無いものを求めたがるからかもしれないが、そのような事の繰り返しである。何の趣味もない人達から比べたなら、遙かに幸せなハズなのに・・・
その箍(たが)が外れれば、自由になるかもしれないが、目標を失って、尚更ダラダラした人生になっていく懸念がある。そして、友も去っていくかもしれない。そんなのはやっぱり寂しいね。やっぱり拘っていくしかないか・・・