2/28 大地・初雪山又は小矢部水系の残された山々を思い浮かべていたが、この予報では致し方ない。例え行けたとしても面白くない。そんな風に考える年代になったのかもしれないが、やっぱり気分のいい山行にしたいと思うようになったのである。ましてや、「山ノ神」 と2人だけであれば尚更であろう。

 中止にしても、仲間との別計画の山行がある。私は何と恵まれているのであろう。お天気とは言えない予報であるが、思い切り歩いて鬱憤を晴らしてきたい。



2/27 3/1~3/2の連休に、晴れマークはない。それどころか傘マークが付いている。しかし、その傘マークも隅っこで、強い雨の予想ではない。キャンプに行くか行かないかは現在でも迷っている。「雨が降れば面白くない。」 「展望が期待されないのでは、尚更行く意味がない。」 など・・・

 「山は楽しまなくてはいけない。」 「危険を回避しなければならないし、無理する事もない。」 「行った事のない山は、先延ばしすれば良いし、高い山に行かなくても歩く事は出来る。」 と言い訳がましい自問自答が続く。「山は逃げてもいいじゃないか・・・」 「ケガしないで元気でおれば、またチャンスは訪れるもの・・」 と言い聞かす。



2/26 最近は、「弱きの元さん」 「嘆きの元さん」 の言われる事が多くなった。そのような記述が多いから、当たり前と言えば当たり前。山行意欲が衰えたわけではないが、紀行文的な記述に関しては萎んでしまったかもしれない。それは、他の人達が、上手に楽しく述べられているものがたくさんあり、「私などが今更・・」 との思いが多いから・・・・

 「面白い呟き」 に心が動いているのであるが、元々、面白い人間でないから至難の業である。それを、ちょっとでも山と結びつけたいのであるから、尚更である。なんであれ、とにかく、頭を働かせたいと思っている。急激な頭の衰えに、ストップを掛けるためにも・・・



2/25 暖かい日が続く。そして、記録的な高温に明日から雨の予報。暦のいたずらというのであろうか、せっかく、2週連続の連休(2/21~2/22と、3/1~3/2) なのに、これではキャンプの志気が落ちてしまう。決断はギリギリまで延ばすが、中止の可能性が高くなってしまった。おまけに、3月のハレルヤ山行に、お休みまでもらって、キャンプに出掛けるつもりであったが、これも怪しくなった。

 もう先の計画を立てたり、発表したりする事は避けた方が良いのかもしれない。直前の計画であっても、確実に事を進めた方が、いろんな意味でいいような気がする。



2/24 3月末で満9年になる私の車は車検である。3月は混雑しそうな気がし、早めにディラーに持ち込んだのであるが、このタイヤでは、車検が通らないと言われてしまった。「えぇ~、何で・・」 サイズも夏タイヤと同じ、そして、2年前も4年前も同じタイヤで通ったハズ、タイヤ自体の溝にも問題がないハズと反論したら、タイヤボックスからはみ出ているからダメだと言う。

 「タイヤサイズが同じなら、ホイルに問題があるのではと・・・」 おかしな話である。ディラーで買ったタイヤではないが、買った時も、「この車に合うサイズの物を買ったのに・・・」 車には、どちらかと疎い自分であるが、また一つ勉強になった。

 そう言えば、虎谷山行の折、何かの拍子に岩城君が、「元さん、この車は車検に通らないだろう。」 と言われた事を思いだした。「はみ出ている。」 と言われ、「何で・・」 と答えた事があった。では、このタイヤでは道路交通法違反と言うことになるのか・・・



2/23 「拝見しているうちに、以前から興味があったスノーシューに火が付いてしまい、冬山 (スノーシュートレッキング)に出かけるまでになってしまいました。 ゲレンデスキーをしなくなって十数年、冬の山へ行くこともなくなった私にとって、スノーシュー での山はとっても刺激的でその風景に感動してしまいました。 今は簡単なところへしか行けませんが、いつの日か好山病やハレルヤの方々との遭遇 を楽しみにしています。」

 こんなメールを母方の従兄弟であるM君からもらった。母は3人姉妹であったが、いろいろな事があったらしく、交流は少なかったため、母方の従兄弟とは殆ど付き合いがなかった。昨年、別の従兄弟に不幸があり、顔を合わせる事になったが、たまたま、M君と山の話で盛り上がり意気投合したのである。

 私より10歳くらい年下であるM君であるが、彼の事をあまりよく知らない。今年初めて年賀状を出したくらいで、住まいも知らなかった程である。しかし、心が通じ合えば血が繋がっているだけに絆は強くなるかもしれない。

 一度一緒に登ってみたい。いや、何処かでバッタリ出遭ったら尚更いいかもしれない。何時の日か、彼の顔写真を 「愉快な仲間達」 に、連ねられる日が楽しみである。



2/22 「大地」は予想通りの素晴らしい展望であった。しかも、一日中で、心配された風も弱く快適そのものであった。しかし、その道程は最中雪に悩まされ、小川朝日ダムからの合流点までは大変で、山頂に届かないのではないかと思ったくらいであった。その雪質は、同日、二王山に出掛けた「北ちゃん」 にも襲いかかり、黒菱山から大地への計画を途中断念させた程であった。

 合流点からは、前日のものであろうトレースがあり、ようやく体勢を持ち直す事が出来た。発電所から5時間余、夢創塾から5時間弱を費やしたのであるが、山頂からの素晴らしい展望は、その疲れをいっぺんに払拭されてしまう程であった。いつも思うのであるが、この高さで、アルペン的山容を醸し出す所など、そんなに多くはないだろうと・・・・・・

 山頂ではのんびり過ごした。黒菱山からの「北ちゃん」 をも待った。その方面にヘリが飛んで来た時は、ビックリしたが、「そんな事はないだろう。」 「この雪質では、さすがの北ちゃんでも来ないだろう。」 などと納得させて大地山頂を後にした。午前7時5分に発電所を発ち、戻ったのは午後5時50分であった。



2/21 またまた好天に恵まれたハレルヤ山行・大高山は、樹氷と真っ青な空に皆の心は躍ったようであった。真新しい雪を蹴るのも楽しさがいっぱいで、交互にラッセルとなった。下地が凍っている急斜面では、「ズル~っ」 となったが、それもアクセントとなり、美しいブナの中を歩くのは気持ち良かったに違いない。

 山頂で皆が揃えば、いつもの通り。控え目の材料と言いながら、ドンドン出て来る料理に、今回もお腹がいっぱいになってしまった。下りはルンルンで駈け降りた。



2/20 明日のハレルヤ山行は大高山になった。本隊9名と後発隊3名の12名のようである。私は大高山に、まだ3回しか登った事がない。初めて登る事になる方々もあるようだが、一緒に何か新しい大高山の良さを見付かられたら嬉しいのだが・・・



2/19 友人・知人の来訪は本当に嬉しいものである。とりとめない話に終始する事が多いが、気のあった人達であるから、内容はともかく楽しくてならない。だから、「誰も来ない。」 「誰も来てくれない。」 事を想像するとぞっとする。

 でも、若い頃、逆に 「お前は来ないじゃないか・・・」 と言われた事があり、「そうか!」 と思った事があったが、その頃は、とにかく多くの仲間がやって来てくれたものであった。「何で・・」 と思うくらい贅沢な悩みとなった事もあった。

 時代は変わったし、環境も変わった。そして、今は、友が増えにくい年齢となった。それでも、相手にしてもらえるのであるから、私は本当に幸せ者である。当たり前と思わず、感謝しなければならない。



2/18 「PCのシャットダウンを忘れる。」 「サーバーへのUPを忘れる。」 時々ならまだしも、この頃特別多くなって来たような気がする。まだ家へ戻る事が出来るし、皆の顔も覚えているから良いようなものだが、この先は怪しい。時々、「山ノ神」 の名を忘れるくらいであるから、HPを止めるような事になれば、一気にその道に引き摺り込まれてしまうような気がしてならない。

 やらなければならない事があるという事は、辛く厄介な事もあるが、精神的に支えてくれる、それこそ「点滴」 のようなものである。同じ事を繰り返せばマンネリなのかもしれないが、そのマンネリも悪とばかり言えないようである。それにしても、一日遅れの日記を何とかしなければ・・・・ でも、戯言・呟きであるから、そうそう卑下する事もないのであるが・・・・



2/17 フワフワの雪が10㌢くらい積もったであろうか、このくらいなら生活に支障がないし、山には雪が積もる。でも、次の山行を計画する方は大変である。お天気や雪量、また、駐車スペースなど、世話してみなければ分からない事がたくさんある。その点、ハレルヤは企画者が輪番制であるから、その事が分かり非常に良い。さてさて、今度は何処に連れて行ってもらえるのだろう。



2/16 同期会の反省会と称した飲み会は、氷見からアンコウとブリ、砺波から立山の大吟醸、新湊で用意したと言うイワシのすり身、そして、山ノ神が揚げてくれたてんぷらなどで大いに盛り上がった。40余年の歴史があるから、話題は豊富であるが、最後はいつも同じような事を喋っている。でも、懐かしく、気分の良い話は何度してもいい。その共通の話題は財産でもあるような気がする。

 旧庄川町のKちゃんだけが泊まった。いつも午後9~10時に寝てしまうという彼を、日付が変わるコロまで付き合わせてから一緒に休んだのであるが、午前3時頃、そのKちゃんの悲鳴で目を覚ました。のたうち回っているKちゃんは、テーブルや柱にぶつかりそうになったり、涙を流しながら両足に痙攣を起こしていた。  水を飲ませたり足をさすったりしたが、なかなか収まらず一時はどうなる事かと思ったが、30~40分ほどで何とか落ち着かせた。

 そのさすった足は、まるで骨と皮であった。「食通のハズが何で・・」 と思う程で、涙が出てしまいそうであった。昨春、山菜採りで、車ごと崖から落ち、しばらく入院していたと聞いていたが、あのおしゃれでダンディーなKちゃんが、私よりも随分老けて見えてしまった。

 夜が明けて帰宅するつもりで車に近付いたが、やはり足が攣ってダメであった。しかし、糖分を取り水を充分に補給してから急回復するのには驚いた。「おい、おい、親様より先に逝くなよ。」 と送り出したが、もう少し頻繁に会って、近況を知ったり健康チェックをしなければと思った。



2/15 あまり山には行きたくなかった。出来れば今日一日、「山ノ神」 と別行動をしたかったが、その理由(言い訳)を、明確に述べる事が出来ず、ズルズルと山行への道筋を付けられてしまった。「今日は歩きたい。」 「3週間ぶりであるから・・」 などを並べられては逃げ出せなかった。

 簡単な所と言っても、雨やミゾレを連想してしまい、千石城山・城ヶ平山・小佐波御前山・牛岳・尖山の中から、なかなか候補が決められなかった。それではと、林道歩きが苦にならない「山ノ神」であるから、夢ノ平スキー場から林道を伝い、牛岳の登る提案をしたのである。

 しかし、娘とヒメが残したゴミ出しに出発が遅くなり、また、急遽決めた夕方からの飲み会(同期会の反省会=我が家で)のため、所定の時間までに帰宅せねばならなくなった。その上に、山ノ神の足が遅いと来ては、とてもじゃないがと牛岳行きを断念し、鉢伏山ハイキングだけとした。

 寒い山頂で一時を過ごし、帰路は林道から離れ、雑木林の中を歩いた。3時間足らずの山行。家からでも5時間弱。お陰で夕方までの飲み会に、充分な時間があり、ゆっくりした休日を過ごす事が出来た。



2/14 明日は雨の予報。山沿いはミゾレか雪になるかもしれないが、同じような所しか行けないしあまり気乗りがしない。その先の事が心配だから、やっぱり何処かを歩かなければいけないような気がするが、「何が何でも・・」 は、いい加減止めようかと思っている。

 「何か違ったものもやってみよう。」 という気が起こり始めている事も事実であるが、それ・・ への勇気はイマイチである。また、今までの経験からして、ちょっと崩れ始めると、自分の思いと違いズルズルといってしまうケースが多くあり、その不安から、新たなものに取り付くのがおっくうになっている。

 私としては、山とHPは一体なのであるから、どちらかを外すというわけにはいかない。でも、HPにばかり時間を取られるのも、如何なものかと思うようになっているのも正直なところ。でも、「山は好き!」  山なしの人生なんて考えられない。



2/13 娘の帰京に山ノ神がとても心配している。あまり完全とは言えない身体に、子供を抱えて本当に大丈夫なのかと思うのもわからないでもない。付いて行こうかとまで言い出した。

2/12 ムコ殿が明日、娘達を迎えに来る。体調を崩していた娘の容態も、かなり回復したので、たぶん大丈夫だと思う。2ヶ月間もいたのだから、きっと寂しくなると思うが、それよりも、我々二人だけの生活の方が心配である。ちょっと揉めても、娘やヒメの事で一旦停戦となったり、あるいは、仲介に入ってくれたりして、早期に解決する手段はあったのだが、これからはそうはいかない。「貝の口が閉じたように・・・」 いや、「シャッターが閉じたままの店のように・・・」 暗い生活を想像すると、背筋がひや~っとする。

 山ノ神の目も心も、全部こちらに向く事になるから、尚更のように揉める材料が増える。人生を左右するようなものならわかるのであるが、ほんの些細な事で、ギクシャクするのであるから・・・ でも、人生とはそんなもので、その些細な事が大事になるのかもしれない。



2/11 昨秋、ブログ(blog)、そして、ツイッター(Twitter) なるものに手を出してみた。同じ事をずっとやっていると、これで良いのかと思ったのと、何か新しいものに、気をそそられた事もあってである。ブログは今や人気。同欄もブログと言えばそうなのかもしれないが、全く別人になって、違った観点から発信したいと思ったが、なかなかそうはいかなかった。

 山から離れたものを一番に考えたのであるが、「時間がない。」 「勇気がない。」 などで続かなかった。でもまだ、非表示ながら残っている。

 呟きと称するツイッターなるものは、ブログとチャットの中間のようなもので、知らぬ分からぬ私には、「ヒヤッ~」 となり塞いでしまった。

 「迷惑メールがイヤ、中傷が怖い。」 などと、アドレスをリンクさせていないし、掲示板もない私のようなものが、やれるわけがなかった。しかし、ここに来て、「もう一度・・」 などと、新たなチャレンジに心を熱くしている。「何でもやってみなければ・・」 である。山と違った傷を負うかもしれないが、「それはそれ。」 若くありたい時は、やはりトレーニングしなければいけないのであろう。



2/10 「メタボ」 と言うあまり響きの良くない言葉を耳にする機会が多い。各人の体格によっても違うであろうが、腹まわりが何㌢以上などと、一定のラインが敷かれているようである。血圧・血糖・中性脂肪など、幾つも難しい数値で示されるようであるが、私は一向に気にしていない。

 もっとも、健康診断すら受けた事がないのであるから、何これと言う資格などない。(受けた方が良いに決まっている。)  コロっと逝けば良いのであるが、なかなかそのように上手くはいかない。また、「コロっと逝けば・・」 と体裁の良いことを口にするが、なかなかどうして、死にたくないも事実で、きっと、「助けてくれ・・」 「もうちょっと生きたい。」 と言うに決まっている。

 「生きたい。」 「怖い。」 が同居しながら現在に至っているが、身体中に、ガタが来ている事は歪めない事実である。気だけで病に勝てるわけもないが、その点では、しぶとくいくつもりである。

 「トゲが刺さった。」 「目に何か入った。」 「足を捻った。」 だけでも、ワーワー騒がなくてはいけないのだから、先に述べた事も、出任せのよがりに過ぎない。自分の事は自分が一番知っているのであるが、困った事、わからない事は、いち早く専門の医師に問うしかないのであろう。

 私の年代になると、寿命そのものより、「いつまで元気でおられるか・・」 に気が注がれるようである。その元気も、「今のように・・」 である。もう取り替えるパーツなどないのであるから、注意深く鍛えなければならない。「使わぬ筋肉は衰える。」 そして、まだまだ鍛えれば、筋力は付くそうである。

 容貌はどうしようもないが、今私の心掛けている事は、腹回りが増えない事、お尻や太腿の後辺りの筋肉が衰えるのを少しでも後回しになる事である。そして、苦手な事は、なかなか頭に入らないが、好きな事は、まだ若干の吸収出来る隙間があるように思えるので、そのような事に努力を惜しまないようにしたいと思っている。



2/9 「無いもの強請り。」 と言う言葉があるが、正しく私がそれ。ダラダラ歩いていると、汗を流しながら一生懸命歩きたい。その反対もありで、そんなガツガツ歩かないで、ゆっくり写真を撮りながら登りたいと思う。また、一人で歩いていると、やはり気心の知れた仲間と歩きたいと心が動くし、ガヤガヤと心に穴が空く時は、また静かな山を求めてしまう。人(自分)は、何と欲張りなんだろうと改めて思う。

 「今日は楽しかった。」 「今が最高。」 こんな気持ちで、毎日(毎回)を過ごせれば良いのであるが・・・・・  「もうちょっと・・」 「こんなハズではなかった。」 では上手く行かない。唯々感謝である。感謝しておれば、何事も上手くいくような気がする。そんな事は出来るハズがないか・・・・      でも、近付きたい。



2/8 上市の集合場所から、北ちゃんの車に相乗りさせてもらう事になった。下田(げた)を過ぎ、早月川に架かる剱橋を渡った所(蓬沢)から、両脇に高く雪が積み上げられ、一車線となった。車を止めるのに難儀するのではと思ったが、所々、ブルで押し上げたと思われる隙間がありホッとする。

 今回は、昨年と反対の南尾根からのルートとなる。馬力のある 「北ちゃん」 と 「ねぎちゃん」 が一緒だから、私がラッセルする事などはない。林道の法面をも何の苦労もしないでサッサと登って行ってしまう。こちらは、休憩の言葉で濁すしかない。

 深雪だと言うのに、3時間で登ってしまうのだから・・・  山頂でゆっくり食事をし、北尾根に向かう。周囲の山の同定をしながら、コーヒータイム付の贅沢な山行であった。目的地に行け、尚かつ余裕を持っての別ルート。しかも、決して慌てない。私にとって理想の山行と言えるかもしれない。

 午前中は晴れるかもしれない予報であったが、高度を上げるに従い剱のてっぺんに雲が掛かって言った。山は近くに、それも大きく見えて、典型的な雨降る前の状態であったが、今回も、車に乗ってから、ポツリとやって来たから、何もかもOK! ハッピーだった。



2/7 明日の午前中は、お天気が持ちそうである。お天気なら、「大地」 を考えていたが、やっぱり仲間と一緒に行きたくなった。3人で 「赤谷ノ頭」 行きになる。



2/6 大雪の中、北日本新聞読者写真コンクール年間賞の表彰式に赴いた。偶然が重なりその席にはおこがましかったが、こんな事は恐らくこの先ない事だろうと決め込んで、午前中仕事をほったらかして、富山の北日本新聞社に駆け込んだ。

 参列された方々は、それなりにカメラ歴があり、勉強もしておられるようであり、小さなカメラで偶然だけがそうさせたのと違う感じであった。唯、「休日は山に行く。」 その習性が、この偶然を呼び込んだようにも覚え、何も卑下する事もないだろうと、一人前の顔をして表彰式に臨んだのである。

 「一席の副賞一眼レフが欲しかった。」「”けさの人”のインタービュー付も羨ましい。」 と戯けて笑いを誘ったが、奥深く難しい写真の世界に、例え貧弱なカメラでも、チャンスがありアングルが良ければ、肩を並べる事が出来るのではないかと思ってはみたが・・・・

 でもでも、やっぱり高価な物でなくとも、欲しいな。(一眼レフ) 昨年の5月・6月の賞金は生活費に消えたが、今度の分は、何としても守り通さなくては、一眼レフには永遠に届かなくなる。



2/5 この大雪で(特に新潟県)娘とヒメの帰京が、また一週間延びる事になった。荷物があるので、ムコ殿がレンターカーを借りてやって来るはずであったが、上信越道の妙高高原~高田間が大雪の為通行止め、遅くなって、北陸道の県東部で事故のため一時不通、また、JRの新潟県を通過する列車の運休とか遅れ、そして、大雪の情報を鑑みて、二人(若夫婦)が延期を決めたらしい。
 そうなると、山ノ神である。娘とヒメの滞在が延びて嬉しいのであろうが、山へはまた遠のく。痛し痒しか・・・



2/4 暦の上では春と言っても寒波がやって来た。大した事がないと高を括っていたら、朝シャッターを開けてビックリ、それもそのはず、私には広範囲にわたる除雪作業が待っているからである。道路部分を含めると70坪くらいになるが、それを高く積み上げなければならないから一苦労である。

 雪が降れば、「あの山の取り付き部分や、急斜面に雪が着く。」 などと、勝手に想像するが、たくさん降ってしまえば、そこへ行くのにも難儀である。次回の山行から、山ノ神も戦列に加わる予定であるが、「また同じ山になってしまうのか・・」 の懸念に困惑している。

 もう一つの問題がある。週末に、ムコ殿が妻子(娘とヒメ)を迎えに来る予定になっているが、大雪になれば、それが先延ばしになる可能性もあり、山ノ神の山行復帰も先に延びる事になる。



2/3 「弱音も良し、嘆いたり愚痴ったり、でも、ここにも元ちゃんファンがいます。HPをつづけてください。」 と県東部のS女史からのメールにちょっと感激! 「ちょっと飲んでいるくらいの元ちゃんがいい。ちょっとエッチな事をいうくらいでないと・・」 とは同級生。

 手を握った温もりを何時までも大事にしていたし、キスするなどは夢の夢。そんな年代の私は、上記の文章だけでも顔を赤らげてしまう。でも、人の心は、何時の時代だって、そんなに変わるものではないような気がする。

 ちょっと、おだてられりゃ舞い上がり、イヤな事を言われりゃクシュンとする。不器用だっていいじゃない。皆がお利口さんでは、面白くもなかろうし、金持ちと貧乏人、頭の切れる人もおれば、ボーッとしている人もいて世の中があるような気がする。世(予)は、好きか嫌いか、生に合うか合わないかだけである。

 

2/2 週末に帰京する娘とヒメに対する今日が最後の私の休日であるが、まだ8ヶ月のヒメと一緒に出掛ける所は限られてしまうし、一日中相手も出来るものではない。お昼頃まで帰宅すれば問題ないだろうと勝手に決め込み、一応、山ノ神を誘ってみたが、返事はNO。

 千石城山・城ヶ平山・八乙女山・尖山などを候補にあげてみたが、その山々より、ちょっぴり高い 「来拝山」 選んだ。往復に3時間。山中で3時間であれば、お昼頃まで帰れるの皮算用である。しかし、出発が大幅に遅れラッシュに掛かってしまった。

 来拝山の登山口の標高が高いから、そんなにも時間を必要としない。過去に7回登った事があるが、あまり 「来拝山の事は知っている。」 とは言えない。少しは違った所からと思ったが、またまた同じ所に出てしまった。

 昨日は大勢の入山があったのだろうか、しっかりしたトレースがあり、その上に10~15㌢程の新雪が積もっていた。昨日は気温が高かった所為もあろうが、そのトレースは、グチャグチャで、それが固まっているのであるから、その不規則なトレースは結構厄介であった。

 その所為であろうか?? 私が下山中に、2パティー3人の登山者を見たが、その中の一人の男性は、ピッケルにアイゼンと物々しい装備であった。それでも苦労しておられたから、「備えあれば憂いなし」 の言葉通りだったのかもしれない。

 誰もいない山頂で、北アの展望を望んだが、弥陀ヶ原までで、大日岳はぼんやりで、大辻山と立山山麓スキー場だけが際立っていたような気がした。その静かな山頂で、それなりの気分を味わい 一目散で駈け降りて車に乗ったのであるが、家に戻れば、もう既に、山ノ神と娘達は出掛けてしまっていた。



2/1 お天気が悪いしギリギリまで思案していたら無性に 「大地」 に行きたくなってしまった。一人では寂しいけれど、誰とも約束をしていなかった時の特権みたいなもので、気楽に思い付きの行動が出来るというもの・・・・・

 予報が悪かった事もあり、何もかもを準備したら結構荷が重くなった。でも、いつもとそんなに変わらないし、山ノ神の分だけまだ少なかったかもしれない。お天気の崩れは、午後から・・夕方から・・であったから、なるべく早く行動しようと思っていたら、小杉付近で携帯を忘れた事に気付き、取りにもどってしまった。大急ぎで飛ばしても40分のロスだった。

 平生なら忘れたそのままであったが、万が一の時の事もあったが、夕方くらいからでも、娘達と一緒にいたかったし、行き違いにならないためにも、連絡用として必要だったのである。

 夢創塾の手前の発電所からの歩きは、覚悟の上であったが、赤松までの急登は、雪を拾らいながらとなってしまった。ここまでは手こずったが、あとは重たい雪質であったが、差程苦にならず、陽が差す幸運にも恵まれたかのようであった。

 ゆっくりであっても、汗を拭きながら、きれいな雪面に自分の踏んだ跡が残されるのが、山好き冥利と言うのか、とても気分がいい。山登りは、「人生の縮図」 なんて事を言われる時があるが、このような辛さなら屁とも思わない。思うようにならぬ人生と整合しないのであるから・・・ もっと辛い もっと厳しい山に行かないから、そう思うのかもしれないが、どちらにしても、まだ修行が足りないという事なのであろう。。

 雑念を払って、無心に歩けるようにならなければいけないのか、それは、今の自分にはわからない。静かに歩きたい時もあれば、ワイワイ楽しくしたい時もある。ついつい、無いもの強請りになってしまうようである。不思議な事だが、山に入っても、ビール(酒類)が欲しいと思わなくなってしまった。ハンドルを握るからでもあるが、これも慣れかもしれない。でも、泊まる(キャンプ)となれば、ゆっくりたくさん飲む事は変わらないような気がするが、これも、一年一年わからない。

 予報が良い方に外れたと思ってはみたが、1000㍍を越すと、ガスに覆われ、視界が10~20㍍まで落ちた。そんな模様では、如何に大地が好きとは言え、長居する気になれず、高度を落として食事する事となった。初雪山を拝む事も出来ず、とても残念であったが、山頂を踏んで来ただけで、今回は充分に満足感が漂ったのである。

 欲張りついでに、下山路を朝日小川ダム側とした。最後は相ノ又トンネルの上に出て、山側に降りトンネルを辿る予定であったが、途中から「ありゃ、反対側(ダム側)だ。」 と思ったが、戻る事もせず、そのまま今にも崩れそうな斜面を降った。落石・落雪のリスクがあるし、もう少し雪量があれば雪崩れる可能性はとても高い所で降りてから、胸を撫で下ろした。その後、黒部朝日公園線を歩いて発電所まで戻ったが、結果的には午後3時前で、今の私には「結構、頑張ったじゃない。」 と思える程であった。今年は、大好きな大地・初雪山に、後何回行けるだろうか・・・・