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5/31 「調整中」
5/30 どうしようかと迷ったが、明日は、福井の仲間達が大日岳へ行くと言うので、便乗させてもらう事になった。当初女性3人の予定であったが、5人になったとか。(全員女性かどうかは分からない。) 山ノ神は、小旅行で山梨県の河口湖方面へ出掛ける。
5/29 今月は、山に登ったという感じがしない。「お天気が悪かった。」 「所用があった。」 「山仲間と登ったのは一回だけ。」 などが重なり不完全燃焼である。そして、結果的には、「山菜採りだけだった。」 感じである。
この先は否応なしに、このようになって行くのであろうが、ちょっと早過ぎる。「山ノ神」 のいいなりになっていては、だんだんと思うような事が出来なくなってしまう。何とかしなくてはいけない。今度はどうしようか・・・・・
5/28 面白い事も変わった事もない。唯、寒いだけ・・・ 笑いもない。 しかし、他から見れば平穏に感じとれるかもしれない。
5/27 本当にどうなっているのかと思う程寒い。動いているとそうでもないが、じっとしていると、薄着の私は震え上がらなければならず動いているしかない。夫婦間でも冷たい戦争が続いており、寒さに輪を掛けている。今のところ。対岸の南北の争いのような制裁もなく兵糧は確保されている。でも、長い一週間になりそう。
5/26 「月に一度くらい山に行かない日を作ろうか?」 と呟いても、「そんなわけないやろ?」 「それでどうするの?」 のような言葉しか「山ノ神」 から返って来ない。現在、1月と8月を除けば、月に6~7回(日)も出掛けている。(1月・8月は、もう少し多い。) それを、週一ペースにしたらどうかというのであるが、特別意識したり、無理矢理そうする事もない。
最近、本当に山ばかりで良いのかと、自問自答する事が増えてきた。「他に何が出来る。」 「何をしたいのか?」 となると、「やっぱり低山でも良いから山を歩くしかない。」 になる。仮に何かを見付けたとしても、長続きするかと疑問符が付いてしまいそうだ。「何時かは歩けなくなるから、今の内に何かを・・」 などは、考えなくても良いのかもしれない。その時はその時で・・・
5/25 薄着をして、じっとしていると、何だか肌寒い。明日、そして、明後日は、もっと気温が下がるみたい。まさか、またストーブの再登場という事がないと思うのですが・・・・・
冬物と夏物の入れ替えを初めて、グローブ(手袋)を干した。その中に、5年前に買ったもので、私としては、とても高額(当時の17,000円~18,000円)なものがあった。山に持って行った事はあるが、まだ一度も使用した事がない。何故、そのようなものを買ったのかと振り返って見ると、やはり、寒い思いや冷たい思いをし、それを防ぎたい気持ちで、なけなしのお金を出して買ったような気がする。
使わないで、パーになるのが一番ダメなパターン。今だったら、もう少し熟慮を重ね、結果的には買わなかったと思うが、5年前だったら、今よりはもう少し夢を膨らませていたのかもしれない。
5/24 行く気のない昨夜の言動も何処へやら・・ 午前5時前に目が覚めた。休んでから4時間も経っていないのに・・・ 地面は濡れているけれど、雨は降っていなかった。でも、細かいけれど、すぐに降って来た。大雨の予報だけれど、北陸はあまり降らないのではと思っても、特別の事もないしと、また布団に潜り込んでしまった。
夫婦とはおかしなもので、片方が乗り気で無い時に限ってと言ってもいいくらいに、「山ノ神」 は、「行くよ行くよ。」 とモーションを掛けるのである。「何処への行き先もないのに・・・」
結局は、五箇山の二つの山の林道を歩いた。「山ノ神」 の思惑通り山菜採りになってしまったが、ワラビもウドも、ちょっと化け気味。もう一週間、いや、もう4~5日早かったら、ちょうど良かったのにと、もう来年の話をしていた。
午後1時半過ぎに家に戻ったが、このような事は、近年あっただろうか・・・・ でも、これからも山と親しむためには、このような余裕?のある生活が、時には必要なのかもしれないと思ったが・・・
5/23 明日は雨のようだ。山に行かなくてもよい絶好のチャンスの日かもしれない。でも、分からない。夜が明けてみないと分からない。
5/22 日・月が、まるっきり雨になった。明日はともかく、まだ、中一日があるから、予報が外れないかと思ってしまう。特別どうしようと思うわけでもないが、休日はジム(山)へのスタイルになってしまっているからであるが、行くからには降らない方が良いに決まっている。
降っても優しい降り方なら良いが、風の付いた強い雨だと、こちらが怯んでしまう。「そんなにしてまで、行かなければ・・」 の声が聞こえて来るが、そこは「好山病」 なので、なかなか足を止める事が出来ないでいる。家にはする事が山ほどあるのに・・・・
5/21 何としても、もう一度大量のワラビを採りたい「山ノ神」 の要望を聞き入れて、今朝、またまた牛岳に出掛けた。「午前7時半まで家に戻りたい。」 の条件を付ければ、何時に起きて、何時に出発しなければいけないかは自ずと分かるというもの。「早く早く・・」 と、急かせば、むーっと来た「山ノ神」 と車の中は無言のまま。
しかし、ニョキニョキと顔を出すワラビを見付ければ、「山ノ神」 の表情が一変する。採るは採るは・・・、でも、各自の持ったスーパーの袋が、いっぱい近くになったけれど、大型のゴミ袋いっぱいにはならなかった。でも、先日の人形山くらいにはなったかもしれない。
先日のワラビも思い違いがあり、近所やお知り合いへのお裾分けはなし、今回も塩漬けにチャレンジのため、その機運なし。そして、先般のワラビ料理の醤油漬けが美味しかったと言った事から、全部は塩漬けにならないようだ。その方がリスク低下になって良いかもしれない。
これで、ワラビ採りも一段落、高所へのコシアブラ・ウドに移って行くが、流石に山菜ばかりの食卓に飽きが入った所為だろうか、お昼のカレーは美味しく頂く事が出来た。
5/20 ネタ切ればかりではないが、自分の怠慢さから当欄に3日ほど穴をあけた事もあり、日中の4~5時間程、ブログをリンクさせていた。突然の事で驚かれた方もあったかもしれないが、ブログのカウントがぐっと上がった。(と言っても大した事はない。)
HPを始めて10年余、単純に考えて、人生の1/6、社会に出て1/4になるのであるから、「燃えたり、イヤになったりするのが当たり前。」 と割り引いて覗いてください。
5/19 人様とお会いする度に、HPの事や写真の事が話題になる。それが、下界でもになる。PCの話になると、どうしても必然的にそのような話になってしまう。山でお会いする人に、「聞きもされないのに、勝手に自分のPRをする。」 と言って山ノ神から、イヤミを言われたものであったが、最近は、「どうしたの?」 だけでなく、「山ノ神」 の方からPRをしてくれる時がある。
そして、最近は、これもモチベーションの低下なのであろうか、あまり積極的に言わなくなってしまった。もっとも、フィリングの合う方などはその限りではないが、自慢出来るものでなくなってきた事を自覚するようになったからかもしれない。 脚力と共に思考力の衰えが、そう思わせるのであろうが実に寂しいものである。
5/18 人形山の帰り際に思わぬ山菜の収穫があった。(ワラビ・ウド) その内のワラビを、「たくさん採って長期保存に挑戦してみたい。」 とシーズン前からの思いがあったが、今年は雪解けが遅いばかりか、低温の日が長く続き、我々の領域は、まだ収穫時に達していなかった。
突如として降って湧いたような収穫に、心の準備が出来ていなかった事もあったのだろうが、「これくらいでは、塩漬けにするには少な過ぎる。」 と、私の言った事に、すぐに反応した「山ノ神」 は、茹でてしまったのであった。
「茹でてからでは、塩漬けには出来まい。」 の言葉に、「塩漬けにしようと思っていたのに、あんたが、少ないと言ったから・・」 で万事休す。その後がまた問題となった。「これをどう処理したらいいのか?」 と、茹でてからでは、お裾分けも出来ないと途方にくれていた。
5/17 良いお天気が今日も続き、残雪と新緑、そして、快晴の空のコントラスが良く、客人を迎えての山行は素晴らしいものとなった。「簡単な山」 として、人形山を選んだのであったが、「私は、僧ヶ岳でも北ノ俣岳でも良かったのに・・」 と前日になって言いだした「山ノ神」 も、晴天下の展望、そして、また一人山仲間が出来た事、そして、山菜の収穫などと、何の文句が付けられようか・・・ 私としては、三ヶ辻山も登れる事が出来、頗る満足。
5/16 二上霊園、義兄の姉が入居している特養の訪問、そして、義兄の実家へなどと午前中を過ごし、ちょっとだけ、牛岳へワラビの偵察に行って来た。やはり、今年はまだ早く、小振りのものばかりであった。
福井からやって来た宮ちゃんと村中女史は、鍬崎山に登った。素晴らしい展望に恵まれルンルン気分のようであった。その二人を我々が、しつこく高岡に呼んだ。もちろん明日の人形山へ一緒する事もあったが、賑やかな夕食を一緒する事が出来とても楽しかった。
5/15 「明日はダメなら、明後日は何処へ行くの?」 の問い合わせに、「何処が希望ですか?」 と逆に尋ねて出て来た山名は、「山ノ神」 の苦手とするところばかり。「私は行かなくてもいいよ。」 と言うものの鵜呑みにするわけにはいかない。「何処に行くか・・・」 と思案中であったという経緯があり、始めから行き先が決まっていたわけでないからである。
「恐いのはダメ。辛いのはダメ。長いのもダメ。」 では、同行希望者も面白くないというもの。でも、「山ノ神が行ける所でいいよ。」 「山ノ神がいないと・・・」 と言ってもらえたので胸を撫で下ろしている。でも、もう行き先を決めないと・・
5/14 今のところ、山菜採りだけの休日の使い方はしない。山菜採りを兼ねた山行、あるいは、山行帰りの山菜採りが望むところ。でも、山ノ神のご機嫌取りでもないが、休日でない平日に出掛けるのはやぶさかでない。夜が明けた頃に出掛け、始業前に帰宅するパターンである。
そのようなパターンは、シーズン中に1~2回程設けている。今朝もワラビ採りに出掛けてみた。私達の収穫場所は、まだ雪が残っており、ようやく土から顔を出して来たところであった。その中で、長く伸びてきたものだけを採って来たが、来週もう一度行かなければなるまい。今年の天候不順は、一週間から10日間程収穫を遅くしているようである。
5/13 次行く山に苦慮している。何処かの雪上でキャンプを目論んでいたが、突如の姉夫婦の来高予定(義兄関係の法要)で計画の変更を余儀なくされた。2日間の内、私(達)が使えるのは、1日半なのか1日なのか、身体が丈夫でない姉夫婦だけに(二人とも)、来高してくれなければ分からない。
山漬けになっている私の事は承知済みで、泊まる事に恐縮していた姉であるが、振り返って見ると
弟らしい(実家らしい)事はあまりしてやっていない。こんな時くらい 「ゆっくりしていかれ。」 と言わなければなるまい。 と、言って帰って行ったら、許された時間だけ山に行く。ならば悪い事をしていると言われる事もなかろう。
5/12 1日遅れ2日遅れどころか、時には一週間ほど滞ってしまう事のある当欄(元さんの戯言・呟き)であるが、慣れとは恐ろしいものであって、「眠くなったら、まあいいか~。」 と先延ばしになる。 「特別重要な事を書き込むわけでもなから・・」 ばかりが理由ではなく、「情熱が薄らいで来た。」 「燃えるものが小さくなって来た。」 なのかもしれない。でも、続けるのは、何かの存在感を維持したい願望のような気もする。
でも、自分だけの事を考えてみると、青少年時代から、何度も何度も日記を書く事に挑戦をして来たが長くは続かなかった。時には、高価な日記を買えば、もったいないから長続きするのではなどと、思ったりしてやってみたが、どのような手段を執ろうとも、悉く自分が自分を裏切っていた。そのような事を思えば、よくぞ続いているものだと思っている。
しかし、長続きしているからとは言え、恥をさらけ出しながら続けている当欄に、果たして意味があるのかはよく分からない。「自分を知ってもらえる。」 事に関しては、何かの出会があった時は、随分と徳をしてきたように思う。「止めようか。」 「休んでも良いのでは・・」 の甘い誘惑が、いつも纏わり付くが、ちっぽけだけれど10年間培った私なりの心の財産は、なかなか捨て切れないでいる。例え、少々遅れようが、長い人生からみれば、ほんのちょっとの事であり、あまり気にする程の事もないような・・・・・
5/11 昨日の子グマは、抱きたいくらいに小さくて可愛く、まるで縫いぐるみのようであった。でも、相手様は獣、こちらの事など分かってくれない。これで車の中での近距離(5㍍以内)は、4度目である。まるで、こちらが檻の中いるようであるが、果たして、安全なのかもよく分からない。昨年のクマとの遭遇も5/11(牛岳)であった。
5/10 6年前の5月、車に乗った途端にクマが斜面から降りてきて、土肝を抜かれたが、すぐまた斜面を登り返して行ったクマとの遭遇があっただけに、鈴や凜とホイッスルと充分な対応で臨んだ「大平山・濁谷山」 であったが、またまたクマとの遭遇があった。
今度は生まれたばかりの子グマである。山を登り終え、山菜を探してのノロノロ運転中に、子グマが目の前に現れたのである。やっと歩いているようなヨチヨチ歩きなのである。可愛いと思ったくらいである。
「カメラ」 と言って近付いたのであるが、車の横で死角になった事もあるが、山ノ神はなかなかシャッターを切れないでいた。それは、「子グマの近くには親熊がいる。」 という定説が脳裏を掠めるからである。「窓を開けろ!」 「車から降りてみたら・・」 もやっぱりビビッた。今回のクマとの遭遇は9回目になる。シャッターは切れなかった。
5/9 明日の行き先は、悩んだ挙げ句、「大平山・濁谷山」 になったが、登山口までの10キロ近い林道が整備されているかどうか分からないので、第2案を 「鋲岳・烏帽子山」 としている。お山のてっぺんに登りたい私と、そのようなものはどうでもいいので、山菜採りの方が楽しいという 「山ノ神」 との間を取ったものになった。
5/8 もう一度くらい雪上キャンプをと思っていたのであるが、その予定日に姉夫婦が所用で来高するという連絡を受けた。その日でなければならないようなので潔く受ける事にしたが、チョッピリ残念。しかし、「今年は何が何でも山に行く。」 を改める目標をもったのであるから、それはそれで良いのである。全く山に行けないわけはないし、「久し振りに姉弟で話せ!」 のお告げであるのかもしれないし・・・
5/7 先日、息子と一緒に来高した若者達の中に、「私も山に登りたい。」 「山菜を採ってみたい。」 という人達がいたが、何処まで本当か分からなかったが、お礼を込めたメールにやはりそのような事が書き込まれていた。都会に住む人達の田舎への憧れがあるのかもしれないが、何だか自分ながら顔がほころび、ホットな気分になった。
最近、中高年に隠れて目立たないが、若者達の山志向が鮮明になって来ている。何処までが若者か定義に難しいところがあるが、実際、北アなどに出掛けると目の当たりにする事が多い。いやいや、富山の低山でもそのような光景を見る。その山行がどのような形で行われようと、人それぞれであり、目に余る行動や迷惑を掛けない限り、何も注釈を付ける気はない。若い声が、こだまするのは良いに決まっている。
5/6 「少しでも元気でいたいから・・」 「少しでも若くありたいから・・」 と、一番手頃な「腕立て伏せ」 と 「腹筋」 を、朝晩毎日やっている。週一の山行以外、特別な運動もしていないから、これくらいやらないとの思いからである。
朝50回の 「腕立て伏せ」 などは、なれれば何の問題もなく出来るのであるが、ちょっとサボると、それを取り戻すには、相当の時間を要してしまい、辛い思いもする。「皆と一緒に山に行きたいから・・」 とか、「他人を誘うには、それなりのフォローをしなければいけないから・・」 などを脳裏に浮かべ頑張る事にしている。
「トレーニングをサボれ緩めろ。」 や、「甘いお菓子」 そして、アルコールなどの誘惑についつい負けてしまう。反則やサボタージュ、また毒を食するのであるから、その罰として、ペナルティーを科すことにしている。
何をやっても、力が付くものでもないし、若返る事などない。でも、やらなければ、財産も知識もない私に楽しい老後はないような気がする。
5/5 「次からの山行をどうするか?」 という事になると、話がややこしくなり、挙げ句の果てに険悪な雰囲気が漂う事になる。「行けるような所、あるいは、行けると思う所。」 を、私が決めろと 「山ノ神」 が言うのであるから困ってしまうのである。「酷い所、険しい所は行かなくてもよい。(行けなくてもよい。)」 と言うが、「何回も何週間も続くのはダメ。」 と注釈が付く。
「簡単な所、遠い所は大好き!」 だと言う。そして、「てっぺんには行ける事に越した事はないが、特別に拘らない。」 また、「大勢の山仲間と行ける事は嬉しいが、迷惑を掛けるようなら行かない。」 とも言う。そして、「荷を担いでくれるし、わがままいっぱい言える私と行くのが一番いい。」 らしいが、私だって、行きたい所がたくさんあり、「山ノ神」 の言う事ばかりを聞いていられない。
今まで行けたからと言っても、今度は行けるかどうかは分からない。そのためにも、ちょっとでも良いから訓練(運動)をやって欲しいと思うのであるが、そのような事までして行きたいと思わないのか、その兆しもない。7月から車が一台になる。もっと揉めるだろうなぁ~。
5/4 「明日は早いから、早く寝よう。」 と言ったものの結局は、時計は日を跨いでしまった。長い行程だけに、少しでも早く歩き出し、負担を和らげる私なりの思いやりだったが、なかなか事は進まなかった。相変わらず、20分程遅れて(午前3時20分)の出発となったが、それでも、歩き始めは午前6時前、まずまずではなかったろうか・・・
山之村最終集落の和佐府橋の簡易ゲートで思案したが、その先5キロもあったから歩かなくて良かった。そして、そこには何十台もの車が駐まっていたのであるから・・・ 車デボ地点から登山口まで徒歩で30分くらい。
「山ノ神」の荷を出来るだけ軽く(5キロ)した甲斐があったのか、午前10時には寺地山に辿り着いた。晴れていても空は青くなく、白い山も霞んで見える。少し降って700㍍程登らなくてはいけない斜面は、山ノ神に試練を与えてしまった。どんどん時間が過ぎていくし、荷を持ってやってもその速度は変わらない。稜線に辿り着いてからは、戦意喪失で、いつものパターンである 「あんただけ行って来られ・・」 になってしまった。でも、儀式だけは行われたのである。
帰路の稜線発が午後2時半近くであるから、あの状態の山ノ神を持ってすれば、またまた 「暗くなる事間違いなし。」 を覚悟したのであるが、何とか励まし寺地山には午後4時には着いたのである。その後はまた長く、歩いても歩いても高度が下がらず、「まだか、まだか」 が始まった。歩く足の回転が遅いのであるから、仕方がない。「もうちょっと、あそこだから・・」 を繰り返すしかなかった。
どれだけトレースがあっても、広い尾根・斜面では、時々ルートを外し掛かる事もあり、何とか明るい内に雪が消える所まで降りたかったが、6時前には万が一の事を考えヘッドランプを準備せねばならなかった。幸い今は日没が遅く、幸いにもお天気も良かったため、ライトを点けずに登山口に辿り着く事が出来、ホッと胸を撫で下ろした。それからの林道歩きは、ただ前に足を出しておれば車につくのであるから・・・・
元気な人、また速い人なら、何でもない今回のコースであるが、元気がなくなりつつある者は、やはり長く辛いものであったろう。でも、行って来られたのであるから、それはそれで意義があったように思われるのですが・・・
リスクが多くなる分だけ、また荷を担がなければならず、歳と荷の関係は反比例して行くような感じである。しかし、行きたければ、また、行かせてやりたければ仕方がないのである。
5/3 息子とその仲間を見送ったのが午後0時半を過ぎていた。それからの山行を牛岳として、登山口発が午後2時となった。明日は、寺地山・北ノ俣岳を予定しているので、「山ノ神」 には、「ゆっくりで良い。」 と何度も声を掛けた。しかし、あまりにもゆっくりなので、これでは明日が思いやられる気がしてならない。
途中で、山菜採りに切り替え、コゴミとタラの芽が標的になった。今年はちょっと遅れ気味であるが、つまつま眺めると、それなりにあるものである。野菜高騰の折、少しは、台所の手当となったのであろうか・・・・
5/2 息子達の大阪からの御一行は称名滝へ行って来たらしい。夕暮れには、二上山にも訪れたようであった。(車で・・) 帰宅後、すぐに宴に突入となったが、今日は、女性がまた一人増え、またまた賑やかになった。
ホタルイカや山菜の天ぷらに人気があったが、山ノ神の用意してくれた沢山の料理も悉くなくなってしまった。その盛り上がりは、息子の幼年期のアルバムを持ち込むまでエスカレートし、若い歓声がいつまでも続いた。これが本当のお祭りだったのかもしれない。
5/1 今日は高岡の御車山祭。それに合わせてではなかろうが、大阪にいる長男が、4人の仕事仲間を連れてやって来た。(女性3人・男性1人) 忙しい仕事の合間を縫っての事らしいが、親に顔を見せに来てくれたのか、それとも、富山の紹介を兼ねた観光なのか、その目的は定かでないが、どちらにしても、人が集まる事は良い事・楽しい事であり、ましてや、若い連中が来てくれるのであるから、エネルギーを頂いているようなものである。そして、こちらの話を聞いてくれるのであるから、大事な大事な客人である。
もう一晩泊まる2泊3日であるから、私の山行に支障が出るに間違いはないが、こんな時こそ、「何が何でも・・」 の解消に繋がるのではないかと思っている。今回は息子達が帰るまで山には行かない。