7/31 依然この暑さにもエアコンや扇風機のお世話にはなっていない。その所為なのかどうかわからないが、身体の疲れがとれない。剱沢キャンプ以来の背中の張りも取れない。もしかしたら、最近言われている睡眠時無呼吸症候群なのかもしれない。「呼吸が止まっている。凄いイビキだった。」 を 「山ノ神」 に言われる事があったし、最近山仲間から言われた事がある。その共通は深酒をしている時であるが、先日もハッとして目が覚める事があった。「ヤバイな。」 やっぱり一度診てもらわなければいけないか・・・・



7/30 岡山の杉原女史から、盆休を利用した北アの旅の日程が届いた。山中が4泊、車中が2泊の私から見れば豪華版である。しかし、私の休日と照らし合わせてみれば、薬師岳への行程がギリギリに合う程度であり、ご一緒するのを断念しなければならないようである。

 せめてもう一日、ご一緒する日があれば、東北の旅を変更してでも、北アに足を向けるつもりであるが無理押しする事もあるまい。しかし、いつもの事ながら、押し迫らないと計画が決まらないのが常の自分達であるから、全然望みがないわけでもない。もうちょっと様子を見なければ、お互い結論が出ないところであろう。



7/29 最近何だか調子が悪い。疲れなのだろうか?(歳だと言いたくはない。) 歩いてしまえば、そうでもないのだろうが、重い荷を担いで、長い距離を歩くのはあまり望むところではない。「辛いのはイヤ。」 でも、山行計画を考えるに付け、必ずと言っていいほどそのようになってしまのである。

 恒例にしようと言っていた8月第1月・火の山行が、未だに決まっていない。それは、不甲斐ない自分がいるからかもしれないが、最後の最後まで、その行き先を模索してみたい。



7/28 過日、「オレオレ詐欺にあったようなものだ!」 と当欄に記した時、何人かの方にお見舞を頂き、とても恐縮してしまった事がありました。その詐欺師の張本人から、今度はお金が振り込まれて来ました。我が家の電磁調理器故障に伴う付帯工事費用の半分であるからビックリしてしまった。

 あまり仲がよいとも思われない兄弟達なのですが、この事を思うと、時々連絡し合っているのか、それとも、誰かがリーダ的役割を果たしているのかもしれません。そして、最近は、今私の悪いところ(体調)を盛んに問うて来るのです。「自分の事は自分が一番知っている。」 「君達には、なるべく迷惑を掛けないようにするから・・」 などと突っぱねているのですが、子供達から見れば、「弱くなったオヤジ」 を感じているのかもしれません。でも、感謝です。嬉しいです。



7/27 昨日の白馬岳山行の下山中、天狗ノ庭から40~50分経った頃だから午後6時20分~30分頃だったろうか、足を引き摺りながらやっとの思いで歩いておられる女性があった。「先に行ってくれ!」 と道を譲って下さったが、その際 「蓮華温泉まで後どのくらいか?」 と尋ねられた。

 「この先に蓮華の森という標識があるが、そこからでも30分くらいかかるから、順調に歩かれても小一時間は掛かるでしょう。」 などと詳細に言ったつもりであったが、私よりかなり年上と見掛けたその女性は、唯、時間だけを何度も尋ねてきた。

 このような歩きでは、私の言った時間より、もっともっと掛かると思われたが、それ以上の事は言わず、ライトを持っているかだけ尋ね、確認して先を急いだ。「荷を担ごうか・・」 と言おうものなら、「余計な事だ!」 と、反対に言われそうでもあったから・・・

 しばらく歩いていたら、ダンナと思われる男性が立ち止まっておられたので、その事を告げると、「いつもそうなんです。」 の事だった。お二人一緒なら、これ以上お世話することもないだろうと先を急いだが、おおよそのタイムだけ(暗くなると余計に)を告げておいた。

 私達が蓮華温泉に辿り着いたのが午後7時15分だったから、あの方々は、午後8時どころか、もしかしたら、9時近くになっていたのではないかと思われたが仕方がなかった。蓮華温泉で泊まれたのだろうか? また、食事に有り付けたのだろうか? ちょっと心配であった。



7/26 ちょっと出発が遅れたけれど、結局は下道で行き、蓮華温泉発が午前5時15分になってしまった。休憩・食時間を考え、往復12時間を想定、それに余裕を考慮しても、午後6時ぐらいまでには、蓮華温泉に戻りたい気持ちでの出発であった。

 お花を見ながら、写真を撮りながら、決して急かさず、ゆっくり行こうと思っていたが、前週の剱沢キャンプ山行の疲れが取れていないのか、休憩ばかりでピッチが一向に上がらなかった。年々遅くなるのは致し方ないのであるが、それにも限度というものがあり、ついつい時計を見てしまった。

 山頂到達まで7時間半も掛かったのである。「山頂でビール。」 が楽しみの 「山ノ神」 であるから、すぐに戻るとも言えまい。上昇気流のために展望もないところに、吹く風に身を縮ませながらも、そのご褒美の儀式を待つしかなかった。

 白馬大池に戻って来た時は、既に午後4時20分を回っており、すぐにでも蓮華温泉まに向かって歩き出さねばならないのであるが、慌てれば、かえって事故の元と考え、カップ麺を食べコーヒーも嗜んだ。「蓮華の森」 の標識で、ヘッドランプをだしたが、その明かりを点けず車に辿り着く事が出来たが、14時間の山行となってしまった。



7/25 明日もお天気のようであるが、大気が不安定との事、局地的な雷雨に見舞われる可能性がある事を、肝に銘じておかなければいけないようである。「無理をしない。」 「ダメだと思ったら引き返す。」 「非常時を心しておく。」 などを考慮して、今年も蓮華温泉から白馬岳に挑んでみようと思っています。



7/24 今宵は、伸子さんと絹子さんの3人で外食が予定されていた。その折に、絹子さんから、「先日、主人がお世話になったそうで・・・」 とお土産(食材)を頂いてしまった。 7/18に、あんな事を記したからであろうかと頭を掻かずにはいられなかったが、お陰様で、がらんとした冷蔵庫が満ちてきて、この先、一週間は何も買わずとも暮らしていける程になった。(でも、まだ若干の隙間がありますが・・・)

 好山病岡山支部第一号を申請して来られてから、あまり消息がつかめなかった杉原女史から暑中見舞いを兼ねてお便りが届いた。「8/12~8/17が休みで、その間に、北アに行かれるのなら・・・」 というものであったが、こちらは、候補がたくさんあって、まだ決めかねている。彼女の後半3日間が、私達の休暇と一緒になるが、最後の一日が、移動日になる可能性もあるだろうから厳しい日程となる。  東北・南アにも心が動くが、何とかスケジュールが合わせられないものかギリギリまで考えてみたい。

7/23 この先どうなるか分からないが、次の休日(7/26)の傘マークが外れた。そうなると、依然降水確率は高いが志気が上がる。近年は7・8月に蓮華温泉から「白馬岳日帰り」 を行っている。(直近の6年で5回) 「もう止めようか。」 と言ってみたり、「もうちょっと、続けようよ。」 ともなる。

 虫さえいなければ、「金山・天狗原山」 なども良いし、楽な稜線漫歩を楽しむにはと、「唐松岳」 も候補にあがる。まだ登った事のない 「木曽駒ヶ岳」 もあるが、出来ればロープウェーに乗らないで行きたい。さて、もう一日二日予報を見ながら頭を捻ってみよう。



7/22 剱岳から帰った翌朝、友人の父の訃報が届いた。通夜・葬儀・初七日法要など、特別な事をした訳でないが少々疲れた。山の疲れが残っているのかもしれないし、空調のない暑い部屋で寝ているから余計に疲れているのかもしれない。

 そして、腰辺りに違和感が生じている。このような事は、初めてのような気がするが、とりあえず、「前屈」 で凌いでみる。このような事で参るようでは、この先が思いやられるし、そんなハズがない。痛みではないし、張りのようであるから、「クールダウン」 のやり方を注意しなければいけないのかもしれない。 (本当はやってなかった。)



7/21 「今度の車検まで・・」 と娘が乗っていた軽自動車を3度も車検を通して来たが、保険の切れる今日で完全に廃車する事にした。二人とも家業に従事し、休日は同じ山に出掛けるのなら、車は一台でもよいハズで、二台など贅沢だった。でも、実際は便利であった。便利なだけ、経済的負担は増え、家計を窮屈にしていた事は歪めなかった。

 帰省した子供達には便利であったし、我々も別行動の時は便利であった。これから、山行に一緒しない時や、諍いになった時はと思うと、ちょっと考えさせられてしまう。でも、車を所有していなかった時や、「車なんて買えるハズがない。」 と言っていた頃の事を思えば何て事はないハズ。

 しかし、仲間との山行を約束して、車を取り上げられたら、どうすればいいのだろう。しばらくは、こんな事で悩まなければならなくなるのでは・・・



7/20 今度の剱岳山行では、途中合流した筏井氏・しゅんちゃん・ユキちゃん以外に3人の方とお会い出来た。お一人は、ヨネちゃんのお知り合いで、大阪のnakamura氏、「元さんの山歩き」 を見ていて下さる方で、「同日・同方面に行かれるから携帯してみよ。」 と、ヨネちゃんに発破を掛けられた。

 携帯番号を教えてもらったものの、一番ケーブルに乗られるハズとの情報があるだけで、後は何も知らないのであるから、「う~ん」 と唸らなければならなかった。一番ケーブルなら、もうとっくに、上かもしれないと思いつつも、立山駅で携帯を掛けてみた。すると、隣においでる方の携帯が鳴り出したので、こちらから、「nakamurasanさんですか?」 と尋ねてみた。

 あちらもビックリで、とりとめないお話を少々して別れたが、なかなかの好感のもてる男性であった。奥様も学のある方と知らされていたが、叱られるかもしれないが、私から見れば、とても可愛らしい感じの人であった。そのお二人のキューピットとなったのがヨネちゃんらしい。 (それも、山でのお話。)

 二人目は、我が家の近くに住んでおられる高嶋氏。我々が、剱沢にテントを張り終わり、宴会に差し掛かったところへ、「よ~ぉ」 とやって来られたのである。もしかしたら、私がHP上で、「剱沢キャンプ」 を記しておいたので、尋ねて下さったのかもしれない。飲めるハズなのに、「山では飲めない。」 などと遠慮されるとは、ちょっと見習わなくては・・・・

 その高嶋氏は、別山尾根をピストンされたようだが、途中、長次郎谷方面に、ヘリが飛んだ事を心配され、下山後警備隊を覗かれて、我々の安否を確認されたようである。それ程まで気を遣って下さった事に感謝しなければいけない。そして、剱沢がお気に入りなのかどうかは分からないが、優雅な彼は、剱沢で、もう一泊されたようである。

 もう一人は、福井のkyuさんである。岩登りのため、熊ノ岩と三ノ窓でキャンプし、本峰で食事をしていたkyuさんから、声を掛けられたのである。いつの間にか、クライマーになってしまったkyuさんを改めて見直した。大勢の仲間と一緒であった。



7/19 夜中に、ザ~ッと一降りあったが、起きてみれば満天の星空で、今日の長次郎谷行きを保証してくれるようであった。午前4時15分、「山ノ神」 に見送られて、剱沢を降り始めた。筏井氏にしてみれば、念願の長次郎谷挑戦。ユキちゃんには、何もかもが真新しく胸の高まりを感じた事であろう。

 長次郎出合からコルまで大雪渓は、高度にして1、000㍍程であるが、びっしりと雪が連なり、勇者達には、物足りなかったかもしれない。熊ノ岩から左俣に行く喉辺りの雪の状態が、如何かと思って少し躊躇したが、まだ大丈夫であった。 右俣方面からぐるっと回っておれば、トラバースを強いられて余計な時間を費やしたに違いない。

 傾斜が強くなる上部では、まだ出来掛けのクレパスが、安全な休憩場所として利用出来ラッキーであった。源治郎尾根からの懸垂を見守りながら、また池谷乗越から来たと思われる人達が長次郎ノ頭を通過するのを伺いながら、遠くの富士山まで眺められる大展望に気分を良くしながら、コルに届いた時には、その達成感を味わった。 のち、アイゼンを外し、山頂までの岩場を慎重に登った。

 山頂で、「何処から来たのですか?」 と問われる時が、一番満足する時かもしれない。そんな中、「シュンちゃん」 が、リックの中に入れてきたのだろうか、それとも、ユキちゃんも持って来たのであろうか尋ねなかったのであるが、冷たいビールを半分程頂き口にした時は、「この世に、このような美味しい物があるのか!」 と思う程の味であった。

 「元ちゃんでない?」 と声が掛かった。誰だろうと思えば、福井のkyuさんであった。熊ノ岩と三ノ窓で泊まって、八ッ峰辺りを楽しんだと言う。たくさんの岩仲間と一緒らしかったが、いつの間に凄い山女になってしまったのであろうか・・・・ 「山ガール・山女子と呼ばれるには・・ ちょっと。」 と言っていたが、心の中では、おばちゃんと呼ばれたくないようであった。

 こちらは、剱沢でテントを撤収して、室堂へ戻らなければならないし、長居する余裕があまりなく、30分ほどで切り上げて、別山尾根に下りルートを託した。剱岳の別山尾根は、一般コースでは、どの山より、何処の山より、険しく恐いルートだと私は思っている。でも、おじさんもおばさんも誰でも登って来るのだから、山は分からない。もしかしたら、怖がっているのは私だけかもしれない。



7/18 私の荷は、24キロ、山ノ神の荷は9キロ、そして、計量を嫌った3キロの食材があったが、その3キロの荷は、必ずしも山ノ神の荷にはならなかった。そして、「あっ、忘れた。」 の言葉が雷鳥沢辺りで、「山ノ神」 から飛び出した。それは、日程が一日延びた場合の食料と、つまみ兼用の非常食であった。

 「あれだけ酸っぱく言っていたのに、忘れるとは・・」 プッツン状態! 今更怒っても仕方がなく諦めたが、雷鳥坂で、シュンちゃん・筏井氏・ユキちゃんパーティーと合流した時の筏井氏から、「ビールは現地調達なのだけれど、つまみを忘れて来た。」 には、テンションが下がった。

 しかし、剱沢でテントを張り終えてからの宴会(午後2時前頃から)で、延々と飲んでも、心配したつまみが途切れる事はなかった。剱岳を目の前にしながら、気のあった仲間と、ゆっくり過ごす事は、最高の贅沢だと思っている。

 「剱沢に着いてから翌日の行程を決める。」 と言っていたのに、彼等と会ってからは、長次郎谷に行く事が決まってしまったようなものであった。 「山ノ神」 にしてみれば、明日はテントキーパーであるだけに、剱沢に着く前に、剱御前から別山や、剱沢に着いてからでも、その周辺を歩きたかったらしい。結局、「明日はたくさん歩かなければいけないし・・」 の諸氏に負けてしまい、ちょっと残念のようであった。でも、飲めば、「それも良し。」 月も星も格好なつまみであった。そして、5人で4張りのテントは、これ以上の贅沢はなかろう。



7/17 一気に梅雨が明けた。全国的に明けたようです。大雨の被害に見舞われた方々は、あの雨は、何だったのだろうと思われているに違いない。遠くからお見舞申し上げます。

 「山沿いのお天気は、ちょっと不安定」 は歪めないが、2年ぶりの剱岳山行は、お日様マークが並んだのだから、申し分ない予報となった。昨年は、ギリギリまで待ったが、お天気は回復せず、悔しい思いをしたのだから、その分まで思う存分歩いて来たいと思っています。焦らずゆっくりを、モットーとするため、最終バスに乗れないと分かれば、もしかしたら、翌朝に帰る事もあり。



7/16 山行くために結構不義理をしている。過去にあった同窓会へも不参加とした事がある。姉や子供達には、「私の休日には帰省するな。」 と言っている事もある。今回の剱岳行きにも、二男に申し訳ない事をしてしまった。もうそんな歳でもないのに・・・・

 私なりに休暇を取った感があるから、尚更一生懸命(中止には出来ない。)登らなければならない。でも、一つの山行を終える度に、考えさせられる事がある。「今度からは、ああしよう。」 「もうこんな事は・・」 など、でも、修正出来ないでいるのだから、「アンポンタン」 なのであろう。しかし、「そんな事して何になる。」 と思うようになれば、もうお終いである。



7/15 世には、歴女(歴史好きの女子)とか、鉄子(女性の鉄道ファン)とか、新しい言葉が生まれた。今度は、山にも 「山女子」 や 「山ガール」 という俗語が生まれたようだ。「スカートにレギンスで登りたい。そして、カラフルなジャケットを羽織る。」 おしゃれに山歩きを楽しむ女性が増えているようで、街でも着られるデザインが人気。アウトドアメーカーは、こぞって若い女性向けウエアの開発に力を入れているとか・・・・

 山ガールと呼ばれるののは、「山女」よりも、うきうき楽しそうなイメージがあり、  しかも自然の中を歩き、美しい景色に心うたれ、仕事の疲れも飛んでしまう、となれば、「早速、山に登ってみよう!」 という事になるらしい。

 さらに巷には、「山スカート」 や、カラフルなジャケットなど、おしゃれウエアが、多く並び、「何かを始めるには、まずはアイテムから…」という女性にも楽しめる環境が整いつつあるようだ。

 多くの方々が、山を苦手にしていた理由には、「 苦しい。」  「きつくなってくると、足元ばかり見て、景色が楽しめない。」 「荷物が重い。」 「ウエアがおしゃれじゃない。」  「汚れ・辛い。」 「汗臭い。」 などが連動している感じである。

 若い人だけでなく、多くの人達が山と親しまれる事は、大変良い事だと思うのですが、格好だけでなく、装備の確認やルールを守って、楽しい歩きをして欲しいと望むものであります。



7/14 週間天気予報の後半に、晴れマークが出て来た。何事も思い通りにいかないのが常であるが、でも、ちょっとだけ、ホッとしているのが本音。毎年、剱沢行きを企画しても、行けるのは3年に1回ほど、いや10年に3回ほどの割合でしか行けていない感じである。

 初めて剱沢に行った時(高2の合宿=昭和39年7月)、「こんな素晴らしい所があるのか、毎年やって来たい。」 と思った。本峰をはじめ、いろいろとルートを選んで登れるが、「剱沢で、のんびり過ごすのもよい。」 と思ったものである。

 もう、長次郎谷か別山尾根(一般ルート)しか行けない程になってしまった現在、ようやくその思いが実現出来るというのか、その域に達せられるかのよう。
 それにしても、ある程度の荷を背負わなければならず、「山ノ神」 の分までとなると、快適とは言えるハズがなく、スムーズにいくのかも心配である。

 しかし、行きたいものは仕方がなく、どのような方法を用いても行くしかないのである。出来れば、もう一日あれば、いろんなバリエーションを考えられるし、余裕が出来るのでしょうが、如何せん、現実はまだ厳しく、生活そのものが、いや、心にも余裕が生まれてこない。許された範囲で、もがいているのが私(達)なのかもしれない。



7/13 白木峰を楽しむと言うよりは、久し振りの再会の意味合いが強かった昨日の山行は、下に降りて(高岡で)、22年度上半期の反省会をしようとなった。反省会と言っても、それは名ばかりで、「ちょっと一杯。」 の感。 メンバーは皆仕事であろうし、招集するには時間もなかったから、とりあえず、今日のメンバーに、連絡のついた田村氏とマキちゃんが加わった。

 「豪快に飲む。」 イメージがあっても、昨日は、アルコール類も料理も控え目で、山では知らされない人間味を感じ取ったりもした。もちろん、当会のスター達の凄い話にも及んだが、チームワーク宜しく、ずっと仲良の良い 「好山病・・」 でありたいと結んだ。



7/12 午前中に強い雨の予報も、車を走らせ高度を稼ぐ毎に、雨上がりの澄み切った山並みを醸し出した。かといって、降らなかった訳でもなく、時々は、傘を広げたりした。それよりも、小さな虫に難儀して、どうしたわけか食われやすい皮膚の持ち主達は所々を腫れ上がらせていた。

 ニッコウキスゲを期待して来られた他のパーティーの方々は、昨年の 「真っ黄色」 の話を聞いては、しきりに残念がっておられた。でも、ササユリをしっかり眺めれば、それなりに、お花の風衝草原となる。

 小白木峰よりのササユリと戯れて、山頂を経由して、すぐに白木小屋に入った。まだ10時半前であったが、すぐに昼食となった。三華のラーメンを、「北ちゃん」 がご馳走してくれた。お店のラーメンが、山中で食べられるのであるからこれは凄い。実に美味しい。そして、泊まれる程の食材が出たが、食べられるものではない。

 そこへ、「雨が凄いから中止。」 と伝えて来ていた福井の 「宮ちゃん」 と村中女史がやって来た。パーティーとして、中止と決めたのであるが、個人的にやって来たとのこと・・・・  これまた、たくさんのご馳走を担いで来てくれたのであるが、気持ちだけを頂いた。

 折角、福井からやって来てくれたのであるが、小屋を出てからは、別行動 (我々は下山) となり申し訳なかった。後の連絡では、「ササユリを見られて良かった。」 が届きホッとした。



7/11 「雨の日は行かない。」 と言いながら、結局は出掛けていた「北ちゃん」 と私。でも、4月の小佐波御前山から一緒していなかった。「ねぎちゃん」 もである。そんな事もあり、「折角の機会」 だと理由付けをして、明日は、またまた雨覚悟で、白木峰に集う事になった。これこそ 「好山病」。

 たまたま、「雨だから・・」 と、福井から、好山病の症状によく似た4人組が、白木峰にやって来るらしい。賑やかになるかもしれない。



7/10 ”事業仕分けで補助「廃止」、山小屋トイレ困った。” という記事を読んだ。

 国立公園内などの山岳地帯で、山小屋の経営者らがトイレを設置する際、環境省が費用の一部を補助する制度が「廃止」と判断されたものの、登山関係者や自治体から「環境保護のために必要」と反発が出ているためのようだ。

 仕分けで「廃止」とされたのは、同省が1999年から行う「山岳環境等浄化・安全対策緊急事業費補助」。国立、国定公園内などで、山小屋を営む民間事業者や自治体がトイレなどを整備する際、事業費1000万円以上の場合は国が半額負担する制度。

2001年の同省調査では、汚水流出やトイレットペーパー散乱などで改修が必要なトイレは全国に約200か所とされた。このうち約半数で、カキ殻やスギのチップで汚物を分解する「バイオトイレ」などが導入され、今年度も1億2000万円の予算で5か所程度を改修する予定だったとか。

 ところが先月上旬の仕分けでは、有識者から「建設費を利用料で回収する方策を考えるべきだ」「受益者負担、汚染者負担の原則から、補助は説明がつかない」などの意見が相次ぎ、「廃止」と結論づけられたようだ。

 トイレ補助の対象は急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯がほとんどで、ヘリコプターで資材を運ぶこともあり、1件あたりの事業費は平均約3700万円。使用料で賄うのは難しいという。  トイレ整備が不十分なため、使用済みトイレットペーパーが登山道脇に残っては・・・・・  せっかく、外国人の登山客も増えている事だし、汚れた山を見せるのも忍びがたい。何とか制度復活を望みたいものだ。    (読売新聞記事より抜粋引用)



7/9 大雨警報が出たが、あまり降らなかった。日本のあちこちで、大きな災害に見舞われている方々があるだけに喜ばなくてはなるまい。突如として降るゲリラ雨が多いというのが近年の特徴と聞くだけに、山行く者として気を付けなくてはいけないようです。

 晴れ間が覗くのは明日だけで、我々の休日(月)は、またまた、降るような降らないような予報となっている。翌々週は、恒例の剱沢キャンプを予定しているから、何としても、「山ノ神」 に、訓練として歩かさなければならない。二人分を担げない事もないが、それ程大きな(特大)のザックを持ち合わせていないから、やっぱり頑張ってもらわなくては・・・

 下山路を大日岳経由にしようと思っていたが、「牛首」 周辺が崩壊していると聞くし、無理する事もなかろう。今のところ同行者の予定もないし、ゆっくり剱沢で過ごすのも一つの手である。昨年は、雨で流れたが、今年はそんな事のないように願っている。



7/8 やっぱり白木峰のニッコウキスゲの開花状況が気になるらしい。「咲き具合は?」 とか、「たくさん来ていた?」 などと問われてしまう。ポツポツ咲いてると思うか、全然咲いていないと思うかは、その人の過去の経験や入れ込みがあって、その尺度は難しい。私は、例年値の3~4割くらいとみているが、やはり、昨年の物凄い咲き方が頭にあり、その表現は間違っているかもしれない。

 求められる答えより、「ササユリが、そろそろですよ。」 「白木小屋のトイレが、きれいになりましたよ。」 などと、ごまかしになってしまったような・・・・  
 晴れておれば、立山連峰を始めお馴染みの有名な山々が望め、そよ風が吹けば、1,500~1,600㍍の風衝草原は実に気持ちが良い。でも、蒸し暑く、風が無い時などは、「小さな虫」に悩まされる事もあるので注意されるといい。(私は、ハッカ油を薄め霧吹きに入れて持参し、お節介をするが、結構喜ばれている。)



7/7 お天気の所為もあろうが、このところ写真が撮れないでいる。記録写真であるから、バンバン撮れば良いのに、何故かシャッターが切れないでいる。毎回のように、200~300枚撮っていた頃が懐かしく思う。それなのに、新しいカメラが欲しいと思うのは何故だろう。子供のように、「ないもの強請り。」 かもしれない・・・・

 何年も前でなくとも、昨年の写真と比べただけも、自分の変貌ぶりにビックリするし、その老け方が、あまりにも早過ぎる。この先の事を考えると、「ぞっと」 する。逃げないで、一ヶ月でも一日でも早い(若い)写真に収まっていた方が良いのかもしれない。

 想い出を語るには、やっぱり人物が写っていなければ盛り上がらない。ステキな風景写真より、「あの時は、どうだった・・」 などとなるには、自分も映っていなければ楽しくないような気がする。歴史的写真は、何事にも代え難いのである。



7/6 「連休二日目は何処へ・・」 となったが、「山ノ神」 は筋肉痛。では、これも、「降ろうが、降らなかろうが・・」 白木峰とした。出来れば、午前中に山歩きを終え、残りの時間を、「山」 意外に使えればとの思いがあったからである。しかし、出発が遅れ思い通りにはいかなかったが、それでも、午後2時には帰宅する事に成功す。

 ササユリが好きな 「山ノ神」 の要望に応えて、小白木峰寄りに足を運び大休止。(コーヒータイム・ササユリはこれから・・) 浮島では、ワタスゲを眺めながら食事などと、「山ノ神」 には至れり尽くせり感。「午前中から飲んでもいいの・・・」 の言葉が飛び出す程。昨日も今日も、私は、コーヒーのみなのだから・・・

 昨年は、何十年に1回?の当たり年だったのか、白木峰は真っ黄色に染まったけれど、その事を思うと、分かっていたけれど、ちょっと寂しい感じがする。例年の咲き具合からして、今は、3~4分くらいであろうか・・・ でも、ニッコウキスゲの多さは白木峰が、北陸で一番ではなかろうか?

 白木小屋のトイレがきれいになった。駐車場のトイレは以前と同じだが、小屋のトイレは素晴らしい。きっと、誰もがきれいに使ってくれると思う。皆で大事にしたいものです。



7/5 時々ワイパーを動かしながらの運転となったが、白峰辺りから雨が止んで、どうかすると青空さえ覗こうとしていた。観光新道を歩き始めると、今度は暑い陽が差し始めた。「ラッキーというしかない。」 でも、山ノ神の脚力は確実に衰えている。室堂まで5時間以上費やしてしまった。疲れた所で休む。美味しい物を食べる。景色を眺める。それは本来の山歩きかもしれないが、これでは、他の人達と一緒出来ないのではと思ってしまう。

 途中で、とうとう「点滴」 のお世話になる羽目になったが、その後の足取りは、周知の通りである。室堂到着は午後2時を回れば、当然の如く、「私は行かない。」 の「山ノ神」 であり、いつもの如く我一人山頂へであった。降りて来れば、私の歩きの評論となる。一人たっぷり山を味わっているのは、もしかしたら、「山ノ神」 かもしれない。「まだか、まだか・・」 と、私が悪い事をしているかのように、何度も問われながらであったが、日が暮れる前に駐車場に辿り着く事が出来た。



7/4 「曇り」 の予報に、どうしたものかと考え込んでします。「雨」 よりは良いのであるが、なかなか皆に声を掛けられない。「起きてから・・」 決める事となったが、「白山はどう?」 と、「山ノ神」 が言う。雨のレパートリーの中に、白山がある事を忘れていた。どちらにしても、「起きてから・・」 準備も何もない。



7/3 埼玉の姉から電話があった。義兄の癌の転移を心配して週明けから入院するという。頑固な義兄であるから、少々の事で負けるハズなどないと信じている。その姉もがんセンターで検査をしたら、膵臓に変調の兆しがあると言われたそうだ。義兄の退院を待って手術する事になるらしい。

 こうなると、どれだけ極楽トンボの私だって、山ばかりに行ってられなくなる。困った。何もかもが困った。



7/2 今度の連休は、こっそり遠出を考えて資料を集めていたが、ずっと雨の予報では、さすがにその気になれず、近間の山になりそうである。今度の企画は「山ノ神」に内緒で進めていたので、「行かない。」 と言っても、山ノ神に渋い顔はない。 (先に言っておれば、それこそ大変な騒ぎになる。)

 日の長い時に出掛けたいだけに、「順延」 とはいかないが、夏山を終えた初秋、または、来春という事になるだろう。ケチケチ山旅でも、計画段階が楽しい。今度は何処の山を目指そうか・・・・

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7/1 今朝、次男から珍しく電話(携帯)が掛かった。第一声が、「大丈夫なの?すぐ、医者(病院)に行って、調べて来て・・」 などと、訳の分からぬ内容であった。「母さんは、大丈夫だよ!」 と言い返すと、私の事だと言う。

 よ~く聞くと、先日まで3週間近くいた娘(長女)から、「あんたからも、ちょっと言ってよ。」 と、けしかけられたようであった。3週間近くいると、何かを感じるのか、いや私がポロッと漏らした事が気になって、いろいろ調べたようであった。私の不都合を感じ取り、心配でしょうがないようであった。恐らく、「山ノ神」に行っても、「どれだけ言っても聞かないから・・」 と言われるだけなので、今回は、大阪の二人を抱き込んでの作戦を取ったようである。

 私の不都合は、どうしようもない事と思っている。誰にも悟られないように何十年我慢をしてきた。神経を張り詰めておれば、ある程度カバー出来ると思っていたから、生活に支障はなかった。でも、娘滞在中に、緩みが出たのか、その不都合をちょっと漏らしてしまったような気がする。「治る。」 「治らない。」 「治るかもしれないじゃない。」 の押し問答に、痺れを切らし、弟達に応援を求めたものと推察される。

 何十年の間に、きっと医学が進歩していて、「良い方に・・・」 なるのかもしれないが・・・
 でも、言ってしまった。次男からの電話に、「俺は元気なんだよ!」 「大丈夫だよ!」 と。 つい先頃まで、自分勝手をやっていた次男であったが、悲壮感を漂わせる声は、やっぱり 「子」 を感じた。その方が嬉しかった。 子供達に、なるべく負担を掛けないように、元気でいなくてはと改めて思うのである。