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11/30 北ちゃんのお店(三華)の開店祝を兼ねた好山病の忘年会には全員が集まった。月曜日なのに時間を割いて来てくれるのが嬉しい。と言っても好山病は、元々月曜日の会なので差程不思議ではない。しかし、今では、大方のメンバーの休日は、月曜日でないのに、ずっと山行やイベントは月曜日に行われている。
その好山病も12月13日で満6年になる。その日は、ちょうど月曜日になるが、メンバーの半分以上が集い低山歩きが予定されている。発足記念山行としての宴は企画されていないが、何かを催さねばなるまい。頂きでノンアルコールでも楽しめる事となれば、またまた頭を痛めねばなるまいが、ワクワク・ドキドキする2週間にしたいものだ。
11/29 「何処かへ行こう。」 と言っていた仲間が、所用と風邪で、次々に脱落し、我ら二人だけになってしまった。「それでも何処かへ・・」 と、今週の私は燃えていたが、「山ノ神」 は、「えっ、そんなとこ?」 と私の話に付いてこなかった。しかも、夕方から好山病の忘年会が予定されており、準備でちょっと早めに戻らなくてはならない事もあり、結局「尖山」 となった。
「尖山は、往復1時間も掛からないよ。」 と言ったが、山ノ神は「往路でも1時間は掛かる。」 と譲らなかった。また、我が家からの出遅れや、途中の所用をこなしていたら、登山口発が午後1時半になってしまった。そして、雨中の傘差し山行は予定の中で、樹木に取り付けてある解説を読みながらの歩きであっても、差程時間は掛からない。「意外と早いね。(時間が掛からないね。)」 と読みが違いの山頂到達であっても、「山ノ神」 は、お山のてっぺんで満足感を漂わせていた。 午後3時半には、吉峰温泉の湯の中に浸るというスケジュール通りで、その夜は、愉快な仲間達と楽しく騒いだ。
11/28 「明日もまた雨。」 無理する事もないが、でも、やっぱりちょっとでも、山に行かないと、そのような癖が付き、益々軟弱になる事が怖い。「休日は山に行く。」 という規則正しいスタイルに戻らなければ、自分でなくなるし、体力がドンドン落ちていく事になりかねない。
「あれもしたい、これもしたい。」 そして、「山以外の事もしたい。」 との整合性に悩むが、「出来るだけ・・」 の妥協にすがるしかない。時間を上手く割り当てれば、まだまだ何でも出来るような気がするが、問題は体力である。睡魔に負けるように、なかなか維持が難しい。やはり,
お酒を飲む機会(晩酌)を少なくすれば、まだまだ時間がある。でも、その楽しみを削るのもちょっと寂しい。
「尖山の往復は1時間も掛からないよ。」 と言っていたが、「山ノ神」 は、「往路だけでも1時間は掛かる。」 と主張を譲っていなかったが、我が家からの出遅れ、また途中の所用などで、登山口発が1時半になってしまった事を思えば、結果的には、「尖山で良かった。」 となった。また、「こんなに早く(短い時間)で登れるとは思わなかった。」 と言う山ノ神は結構満足げだった。
吉峰温泉に3時半に着き、ゆっくり湯に入り忘年会に備えた。
11/27 怠けていた山行記録を整理している。忘れっぽくなっているが、意外と山の事になると覚えているものである。我が家のライフスタイルは、山中心であるだけに、物事を思い出すにも、「あの山に行った2日前だから・・・・」 と言うふうに思い出す。
山行記録や公開していないGPSデーターも、次行く山行には、結構都合の良いものとなっている。遅くなっても(過去の記録であっても)整理しておけば、そのような事の他に、想い出となり懐かしい。
11/26 前日の白木峰の事もあって、他の山の事が気になって調べてみた。HP上に載っているものだけでないから正確ではないが、1~12月まで、全ての月に登った山は、千石城山と牛岳しか確認出来なかった。金剛堂山は8月、大辻山は7月に登っていないようだ。人形山や高峰山も、ちょっと足りない。あれだけ出掛けているような気がしている小佐波御前山でも、5・6月の記録を見付ける事が出来なかった。
「そんな事はどうでもいいハズ・・・」 だったが、だんだんと行ける山が限定されて来ると、数字遊びが台頭してくるという事なのだろうか・・・・ そんな面では、その山を知っている事を証明する為にも、同じ山に、10回・20回・30回登ったという方が、意味があるような気もするが・・・・
そんな事に拘らずとも、まだ出掛けていない(登っていない)山がたくさんある。小さな事に気を奪われず、もっともっと前向きに行動しなければ、心までが歳取ってしまうような気がする。小さな山、近くの山に登れる事に感謝しながら、まだまだという気持ちを持って歩き続けたい。
11/25 晩秋から初冬に掛けて、どのような山に行っていたかと振り返って見ると、牛岳が、やっぱり断然多かった。そして、大辻山が多く、人形山(春木山)や金剛堂山も意外と多かった。白鳥山や小佐波御前山のような小屋がある所が、もっと多いかと思ったがそうでもなかった。そして、白木峰が最近多くなって来たように思う。
余談であるが、その白木峰に33回登っている内容を調べていると、まだ9月に登っていない事に気が付いた。どうしても、登らなければならないとか、何故登っていなかったの理由などないのであるが、ここまで来たら何時か登ってみたい。しかし、時期的には、他に登りたい山が多いだけに、雨でも降ったら、また、もうちょっと歳を取ってからでもいいのである。
だんだんと、過激な山に登れなくなって来ると、そのような話題作りの方に、力が入っていくのかもしれない。どちらにしても、目標というのか、目指すものがあると、楽しい事は事実である。
11/24 雨にばかり祟られているからであろうか、それとも、連休だったのに、山に行けなかったからであろうか、同欄に書き込む事もなく、志気も上がらないでいる。また、この先のスケジュールに、どう対処しようか気を揉まなくてはならないが、楽しい事も予定されているのであるから、滅入ってばかりもいられまい。
寒くなると熱燗がいい。ついつい「もう一杯」 となると、睡魔に負けてしまう。特別書き込む事がなければ、「ま~、いいか!」 となってしまう。これは実に怖い事。やっぱり拘束されているのがいい。「損する」 「叱られる」 「迷惑を掛ける」 事はないにしても、「存在感がなくなる」 とでも、こじつけようか・・・・
11/23 もうそろそろ、年賀状のデザインを考えないといけない頃となって来た。毎年、早めにしておかなければと思いながら、ドンドン日が過ぎて行き、最後に慌て出さなくてはいけなくなるのがオチである。あまり気に入った画像がないのが気掛かりなところであるが、受け取る側から見れば、そんなに気に掛ける事もなく、「来たな!」 で、お終いのような気がする。
あんまり気張ることなく、「コメント」重視にすれば、それなりの値があると、自己よがり域を脱しないが、それも、手数が掛かり過ぎるのである。12月に入って何が起こるか分からないから、やっぱり早めに対応する事が良いに決まっているのであろう。
11/22 長男が、仕事を休んで付き合ってくれた。寄席・お好み焼き・天神橋・新世界・大阪城・四天王寺を案内してくれたが、今まで、こんな風にして時間を費やした事がなかっただけに、異次元の世界に行ったように感じた。でも、前日は二男の事、そして、バトンは変わり長男となったわけであるが、娘でなく息子達と2日間を過ごしたこのような時間は、これからあるとはとても思えないから、どうであれ、良き時間、良きイベントとなったような気がした。
11/21 昨日、結婚相手を連れてやって来た二男と共に、今度は、相手方の両親に挨拶をするため大阪に出向く事になった。直近の1週間~10日の間での急展開となったが、来月20歳になる彼女の両親は、42歳と父と、もうすぐ41歳になるという母であった。
「しっかりしておられる息子さん」 との評価に、顔を赤くしなくてはいけなかったが、安堵と共に、未だ見えぬ先に不安を感じながらも、一応のケジメを付けた思いがした。「何事も二人の考えを尊重する。」 という事で、大役を済ませ、二男が長男の所まで送ってくれた。
その後は、串カツ屋で、長男とその同僚を加えて大いに飲んだ。また、どうした事か、カラオケまで足を運んでしまった。
11/20 「33年前の誓いを忘れずお互いを敬う気持ちを大切に」 のメッセージがお花と共に東京の娘から届いた。「思わぬプレゼントに感激しています。ありがとう。 これからも?仲良くしていきます。 」 と返事を出したら、今度は、「本当に仲良くねー。今更の不仲はもったいない。」 のメールが ずしりと応えた。
そのとばっちりを食ったのが、今朝、挨拶にやって来た大阪の二男である。「結婚記念日」 と知らされて、放ってはおけまいと思ったのであろう。ましてや、明日は、私達を連れて大阪に戻る事になるのだから、奮発しなくてはならぬと思ったのかもしれない。
親から見れば、幾つになっても子は子、何かに付け心配なものである。でも、この頃は、子供達に心配される事が多くなって来ている。その事は嬉しいのであるが、あれもこれもと、心配されては、お終いであると思っている。「背が曲がる」「忘れる」「同じ事ばかり」 が危険信号であるとすれば、点滅しないように身体も頭も鍛えなければならない。
11/19 直近の1ヶ月程という私の山行日は、これでもかと思う程、雨に祟られクシュンとしている。そして、大阪在住の二男が結婚するという話題以外、それ程のニュースもない。そんな中、一昨日、ブナクラ修復グループの宮村氏から電話を頂いた。
3回ほどしかお会いしていないし、それも、ちょっとだけしかお話していないのであるが、彼とは強烈な想い出があるだけに、とても忘れる事は出来ない人である。長々と続く会話の中で、息子さんが高岡在住らしく、「今度、高岡に出向いた時、一杯やりましょう。」 とまで言って頂いた。
今日は、昨日話題にさせてもらった澤課長からメールを頂いた。「懐かしい」 と記してあった上に、中山君の甥(はるちゃんの甥)とは、今夏、白山に登られたともあった。また、名山へは、現在250/300のようで、佐生流山の画像まで添付頂いた。
私のような、自称「へなちょこ山愛好家」 であろうとも、あれやこれやと、意見して頂いたり、可愛がって頂けるのであるから、私は本当に幸せである。その幸せ者である私は、今度こそ(11/21~22) 山へ行く機会を失う。結婚したいという息子のために、相手方(大阪)へ挨拶に出向かわなくてはいけなくなったのである。
11/18 仕事を終えた後、「山ノ神」 と共に、市内の大型スーパーに出掛けたところ、偶然にもH女史と出会った。「比佐恵ちゃん、ケガは大丈夫」 と声を掛けてくれたが、「あれ~っ、どうして知っているの?」 と思わず言ってしまった。それは、H女史の事を、山歩きやPCには縁遠い方だと、勝手に私が思い込んでいたからでもあった。
世の中とはおかしなものである。H女史は沢課長と同じ町内に住んでいるという。そして、その沢課長夫人から、私のHPの事を教えてもらったとも言っていた。その沢課長という方の存在が面白い。 私の親友・「はるちゃん」の甥の上司であったというのであるから、世の中分からない。
山には何の興味のない「はるちゃん」の甥が、全く関係のない山の話(我々の事)を、沢課長が朝礼で話された事があったと、私が、「はるちゃん」から聞いていた。その沢課長に、5年前唐松岳山頂で声を掛けてもらった事がある。
「八方尾根から登った彼は、唐松岳から直接祖母谷温泉(泊)に下り、今度は不帰・清水岳を経由して、白馬岳(泊)へ。そして、三日目の今日は、唐松岳に戻り、八方尾根を下りる途中なのだという。」 こんな文章がH.17.8.29の同欄に記してある。
「沢」 の語呂が、娘の名 「佐和子」と、共通の響きとなっているせいもあるからか、忘れないでいる。ほんのちょっとしか喋らなかったのが、今となっては悔やまれるが、せめて写真の一枚でも撮っておれば、交流が出来たかもしれないのに・・・・
11/17 最近は雨に祟られた事や真新しい事もなく、以前の画像を探していたら、母が亡くなる直前のものになった。同時に「山つれづれ・・」 を顧みたら、こんな親不孝者はないと思ってしまった。「子が一番好きな事をやっているのが親にとっては幸せ。」 を拠り所に好き勝手していた自分が情けなくなって来ている。順繰りで、今度は自分の番だと心しなくてはならなくなるだろう。
11/16 「世の中は何故こんなに上手く行かないんだ!」 と思う程、自分の都合良くいかない。それが当たり前で、「今が最高で、こうしておれるのに感謝!」 となるまで、何年も何十年も掛かった。それ程悟ったわけでもないが、諦めばかりでもない。違った角度から見たり考えたりすると、満更でもないよ思うから不思議である。欲望は尽きる事はないが、何が何でもは、「美」 がないと感じるようになったからかもしれない。義理人情もしかりである。欠いてしまうと、しっぺ返しが必ず来る。
11/15 「どうしようか・・」 と悩んだが、結局牛岳行きとした。「暗がりから出掛け早々に下山。」 そして、「違った事に時間を使う。」 と決め込んだが、登山道の整備も脳裏を掠めたので、鎌を用意して出掛けた。
慣れた山なのであるが、クマ騒動が話題のこの頃であるだけに、まだ世が明けたか明けないかの暗がりでは、もしかしたらも心して歩き始めた。人様には、「登山道では事故はない。」 と言い続けている私であるが、牛岳で2回もクマと遭遇しているだけに、やっぱり鳴り物に頼らざるを得なかった。
牛岳登山道は、以前のような遊歩道状態ではなかったが、それなりに整備されていた。今日は、6~7合目辺りの草刈と思っていただけに、肩すかしを食った感があったが、それではと、山頂を目指すことにした。刈り残されたと思われる所には、手を入れながら・・・
山頂では、雨の中、三脚を立てて、一枚だけ写真を撮った。特別の意味が無いが、行ったか行かなかったの証拠だけ、いやいや、長い山歴の記録写真である。下山してから、夕方まで、自分として考えられない時間を過ごした。一年に何回か、こんな時があってもいいのかもしれない。
11/14 「明日は完全に雨のようだ!」 そして、気温も上がらないようです。せっかく、明日一日、自由をもらったのに、これでは志気が上がらない。何処でも行けるように、冬タイヤと交換済みでもあったのに・・・・
「山と違った所でも・・」 と、「山ノ神」に、風を吹かしてみても、「山に行かないわけがない。」 と逆に牽制され、「違った所へ・・」 を閉ざされてしまうのである。もしかしたら、「山へ行かせておけば安心」 になっているのかもしれない。
「遠くへ行くわけでもないから、ガソリン代もあまり掛からないし、後は、カップ麺とコーヒーぐらいを与えておけば済む。」 なのだろうか・・・・ また、「下界におれば、何処に飛んで行くか分からないし、余計な失費に繋がる。」 と思われているのかもしれない。
11/13 「再来週に晴れれば立山」 などと思っていたが、やはり思い通りにはいかない。どうも、1~2日前に、行き先が決まると言うのが私には似合うらしい。でも、今度ばかりは、「山に行かない日が出来るようである。」 それは、私も子の親であるから・・・・
11/12 歳のせいなのか、気分の乗らない日が、だんだんと増えて行く。「歳を取ると、わがままになっていく。」 を地でいっている事になるかもしれない。それでいて、自分は結構、穏和で、気を遣っているつもりなのである。
「好き嫌いがはっきりしている。」 「言った事は曲げない。」 と言われていた事が懐かしいと思っていたが、この頃は、悪い意味で、そのようになって来ているように思う。我慢が出来なくなって来ているのだろう。 「あ~っ、イヤだイヤだ・・・・・」
11/11 アルペンルートのHPによると、立山・室堂の積雪が145㌢とか。そして、40周年記念として現料金の4割引(4、190円→2、520円)と知り、俄然行きたくなった。しかし、今度の私の休日は、またまた予報が良くない。
もう一度ある休日(再来週)に掛けるしかない。お天気さえ良ければ、「山頂に立つ」 という欲などどうでもよい。高所のその辺を、フラフラしているだけで良いのであるが・・・・ もちろん、雪とじゃれたい。
それより、今度の休日の方が心配。せっかく、「山ノ神」 から解放されるのに、どうしたもんだ。
11/10 今日は、友引・技能の日・トイレの日・肢体不自由児愛護の日なのだそうだ。そんな折、「結婚記念日にどうする?」 と山ノ神が言った。両親の祥月命日(15日と21日)は覚えていたが、20日の結婚記念日をすっかり忘れていた。
私は、「1~2品の料理が増えて、余計目にお酒が飲めればそれで良し。」 まあ~、アルバムでも見ながら、33年の歴史を振り返るのもよいのであるが、「山ノ神」 は、それで良いとは絶対に言わない。お金をたくさん使うか使わないではなく、何処かへ行きたい人である。(休日は、一日中家にいたら、死にそうになる人だから・・)
たぶん、私が嫌がるカラオケ行きになる可能性が大であるが、一年に一日くらい「山ノ神」 の好き勝手に付き合わなければなるまい。しかし、如何に大量のアルコールや食料を買い込んでいっても、5~6時間も騒音の中にいるのは大変である。飲んで寝てしまう手があるが、分からないなりに、ドラ声を上げていた方が得策かもしれないね。
11/9 手足に幾分の違和感が残るものの普通の生活に戻った感じの 「山ノ神」。でも、若い時と違い元通りにはならないのが私の実感である。「何だか変?」 「もう少し・・」 が、いつまでも続くような気がする。でも、ここで負けたらお終いで、「これでもか、これでもか・・」 と、身体(その部位)を動かさなくてはいけないのであろう。
3回のリハビリ山行も、「山ノ神」 は、まだ荷を担いでいない。身体に付加を掛けて歩けるかが、これからの課題。そして、「下りの恐怖感を拭えるか・・・」 になるであろう。まだ、パーティーの中に入れる技量がないとなると、「私に付き合え・・」 と言われるのか、「置いて行かれる。」 と言われるのか、お天気に状況によっては、我が家の歪みになりかねない。
11/8 「大猫山や大熊山なら行かない。」 と言っていたので、朝早く出掛け、早く帰って来ようと準備をしていたら、「一人なら、私に付き合ってくれてもいいじゃない。」 と、「山ノ神」 に言われてしまい、予定変更になってしまった。
「金剛堂山なら行けると思う。」 なのである。1時間以内の千石城山、2時間程度の天蓋山から、そして、今度は、「3時間程度の金剛堂山」 と踏んでの選定である。
夜明け前の星空は続かなかったが、時々、陽が差し、行けなかった山への未練がましい私の口ぶりに、「あの雲の様子では、剱なんか望めないわよ。」 と、「こちらに来たのが正解。」 とでも言いたげな 「山ノ神」 であった。
絨毯のように敷き詰められた落葉の上を歩くのは実に気持ちが良い。そして、風が伴うと残された葉の舞い落ちる様が「暦の上での立冬」 と相俟って晩秋の装いと重なる。でも、1200mに高度を上げると初冬であった。そして、雨になった。山頂では、一時もおれないような風雨に、ターンをした感じで下山となる。
空模様というものは、人生と同じで本当に皮肉である。雨具を着れば止む。脱げばまた降る。のように、山頂を後にしてから、僅かな時間で陽が差してきた。でも、「それも良し。」 としなければならず、一気に降りようと思っていたが、あまり濡れていない場所を探して、時間的にはまだ早かったが、昼食とした。ラーメンとコーヒーを頂いただけの食事であったが、山と接する者として、今日は、それで満足であった。
陽が差せば、残された紅葉もまだまだ楽しめた。県東部の山々にも負けないくらいの感じの良さであった。登山口まで、あと500mくらいの所で、カモシカと鉢合わせとなる。カモシカの写真を撮るだけでは絵にならない。「カモシカと記念写真」 「カモシカと握手」 を強要してみても無理であることは承知していたが、変わったアングルを求めてしまった。3~5mくらいに近寄ったが、カモシカ君が平然と草を食べていたのに、「山ノ神」 は、「襲われたらどうしよう。」 と顔を強ばらせてしまった。
11/7 明日からの天候のせいでしょうか、テンションが上がりません。日中、雨が予想されていますが、私には、とても降るようには思われません。でも、午前中が勝負?かもしれません。どちらにしても、起きてからになると思います。
11/6 今日は一日中お天気であった。明日も、今日ほどでもないらしいが、好天が約束されているようだ。しかし、その翌日(月曜日)辺りから、お天気が崩れそうである。このようなパターンは、本当に精神衛生上良くない。忙しく動き回っている時は、それほどでもないにしても、時間が出来ると余計な事を考えてしまう。
「自分の友人達が、素晴らしいお天気の中を駆け回っている。」 事が、悔しいではなく、嬉しい事だと思うようにならなければ、まだまだ修行が足らない事になる。そして、雨でも歩ける自分に感謝しなければいけない。
11/5 「好山病・・」 の重鎮「北ちゃん」のお店が、新庄から新金代1-71に移して、今日から開店であった。以前のお店に比べて、こぢんまりしていたが、なかなか感じの良い店になっていた。
あまり外食の機会がない上に、私と休日が同じなので、尚更、北ちゃんのお店を訪れる事が少なかった。でも、今日は特別で、仕事を終えてから、景気付けにと、「山ノ神」 と共に出掛けて来た。
さすがに山好きの 「北ちゃん」 だけに、凄い山愛好家(浜ちゃん・ホリさん等・・)が来店しておられ、「三華」 は賑わっていた。
11/4 「喪中につき年末年始のご挨拶は失礼させて頂きます。」 という欠礼のハガキが岡山県真庭市の高田氏から届いた。10年前蓮華岳・針ノ木岳に登った時、PCやHPの事で、ちょっとだけ話しただけであったが、ずっと賀状のやり取りが続いており、近況を伝えあっていた。その高田氏の名が、違っていたので、改名されたのかと思いながら、文面を読み始めると、ご本人が亡くなられており(6/2)、奥様からのものだと気が付いた。
相互リンクしていた事もあったが、私の「有事」の際、リンクを外してもらった経緯があり、彼のHPのタイトルを、なかなか思い出せなかった。しかし、彼は、岡山県で有名な登山家であるだけに、「高田俊定」で検索をしてみたら、彼のHP(大山憂撮会と大山憂撮会のホームページの二つがある。)に行き当たる前に、次の記事を見る事になってしまった。
国立公園・大山で登山をしていた岡山県の男性が、2日、滑落し、救助されましたがその後死亡が確認されました。死亡したのは、岡山県真庭市の無職、高田俊定さん66歳です。高田さんは3人のグループで大山にのぼり山頂で仲間2人と別れ1人で縦走していましたが、下山してこないため仲間が八橋警察署に通報しました。県の防災ヘリが出て捜索した結果、通称「らくだの背」と呼ばれる縦走路から下におよそ300メートル付近で高田さんを発見、病院に運ばれましたが間もなく死亡が確認されました。大山での死亡事故は今年初めてで、去年は5件の遭難事故が発生し2人が亡くなっています。
「大山の事なら、何でも聞いてくれ! 来る時があったら、何時でも言ってくれ!」 と言っておられた高田氏。あれだけ大山を愛しておられたのに、大山に散るとは・・・ ご冥福を祈りたい。
11/3 「山登りはしていないだろうね。まだ行ったらいけないよ。転んだら、手をかばおうとして、肘や肩を痛めるケースが多いから・・・」 と主治医から言われていたらしいが、「山ノ神」 は、私にその事を言わなかった。
「昨夏、私が事故った時、翌週から山に行ってたじゃないか・・・」 の事もあってか、何とかなると思ったのであろうが、歩かなければ、体力(脚力)が落ち、山から遠ざからなくてはいけなくなる事の不安が先にたったのであろう。
でも、何故なのか分からないが、「2日間も付き合ってくれたから、来週は好きな所へ行っていいよ! 」 また、「再来週は予定を入れたから、好きなように・・・」 などと、お暇を頂いた。イザとなると遠出も出来ないし、行く所は決まってしまうか・・・
11/2 前日の 「山ノ神」 の歩きを見て、リハビリ山行は天蓋山とした。所用を済ませて、我が家を出たのは午前7時半頃であったから、車をデボしたのも10時を軽く回っていた。従来の駐車所へはゲートがしてあり、ほんの入口に車を止めるようになっていた。 (3年ほど来ていないから、いつからそうなったのか分からない。)
しかし、車を止めて、ケビンなのかバンガローなのか分からないが、その中を歩くのであるが、今、紅葉真っ最中で、かえって楽しませて頂いた感があった。天蓋山への所用タイムは、2時間と記されているが、雨でぬかるんでいる事だし、滑って転ばないように、時間を気にしないで登ろうと、「山ノ神」 に何度も言い聞かせた。
急登では、ちょっと息を継いだが、荷を背負わせなかった事もあってか、予想以上のペースに推移した。でも、当の山ノ神は、「帰りが心配。下りが心配。」 と何度も言っていた。それもその筈、濡れた葉に足を乗せると、ズル~っといきそうであった。
朝方の青空は、白い山々を拝めるかに思っていたが、高度を上げるに従い、雲に覆われ、1,400mくらいから前日の雨が雪となったらしく、登山道脇に名残を見せていた。山頂に立った正午頃は、その雪が舞い始めた。そんな山頂に長居する事が出来ず、記念写真に収まって、すぐに下山とした。
心配した下りも順調に推移し、各務原から来られたという20名くらいの団体さんを抜く事になってしまった。(如何に団体さんが遅歩きとは言え、30分以上速く降りられたのであるから、まずまずであった。) でも、まだまだ、長く歩くには自信がないという 「山ノ神」。昨日・今日と、2日間を付き合ってくれたから、「来週は何処に行っても良い。」 とまで言ってくれたが、さてさて、そんな上手いように事が運ぶであろうか・・・・
11/1 「山には行かない。」 と決めて、先週残したシャッターのペンキ塗りを始めた。そしたら、何と一時的にせよ陽が差し青空まで覗いた。でも、仕方がなく作業を続けていると、「山ノ神」 が、病院から帰って来て、「包帯(固定)が解けた。」と手を見せた。
ならば出掛けねばなるまいと、車に乗り込んだら雨が降って来た。それも、だんだんと風が出て来て雨も凄くなってきた。馬場島に向かっていたが、「山ノ神」 は、行かなくても良いとまで言った。今度は私が、「ここまで来たら行かないでどうする。」 となる。でも、馬場島に着いても、「山ノ神」は、「中山」 は、まだ自信がないと言う。ましてや、雨だから尚更で、「私に一人で行って来い。車の中で待っているから・・・」 それなら、朝早くから私一人で出掛けていたわ。」となる。
仕方なく、今度は伊折・千石線を走り、「千石城山」に行く事にした。ここでも、「山ノ神」 は、たじろいだが、「ゆっくり行けば大丈夫だ。」 の説得が奏効し、ようやく歩き出した。手(指)の不安が和らいだが、まだ大事に扱わなくてはいけない。それより、右足太腿打撲痕の痛みがまだあり、下りは言うに及ばず、これ以上ないという程の慎重な歩きにならざるを得なかった。