1/31 起きてビックリ。我が家は、ビル風を受ける事もあるが、新たに積もった雪が膝上まであった。(40cm以上) 約束の時間まで行けるかどころか、脱出出来るかとなったが、賢明の除雪が奏功し、なんとか幹線道路出たのであるが、今度は大渋滞であった。

 こんな事で大幅な遅刻となり、皆さんに大変迷惑を掛けてしまった。 今年の雪は、何故か高岡・氷見が多く、高岡と富山を比べると50cmくらいの差があるように思われる。(砺波よりも多いのであるから・・・・)

 馬場島公園線の除雪隊から、お許し頂いた場所に、車を止めて出発したのは、午前10時15分頃である。笠尻山から千石城山を企画してくれた 「北ちゃん」 には申し訳なかったが、私の遅刻と深雪に、最早諦めながらの山行となった。

 しかし、このような状況でもやって来る好山病重症患者達であるから、気力の登高が相成って、笠尻山に到着したのがちょうど正午であった。「このまま食事では、物足りない。」 千石城山には届かないまでも、尻高山より高いピークまで行く事になった。

 しかし、そのピークは果てしなく遠くに感じ、最低鞍部に達した地点で引き返す事になる。(ここまで偵察と無理矢理納得させて・・・)  山頂付近まで戻り設営となったが、今期初めてのタープを張る事で、降雪を凌ぎ、また暖かさを感じた。久し振りの純粋好山病メンバーでの山行であったが、「たまにはいいね。」 と言いながら、一気に車デボ地点に戻った。30分も掛からなかったのではなかろうか・・・

 帰途は、今朝とは違い路面が見えていたが、高岡に近付くが毎に、路面はガタガタで、高岡に入れば圧雪になっていた。そして、家に戻れば、大量の仕事が待ち受けていた。(除雪) 2時間ほど掛けて除雪をしたが、高く積み上げた雪壁を見上げながら、「これ以上降ったらどうしよう。」 かと思ってしまった。まだ、自分達の車を止める自宅裏駐車スペースの除雪に手を付けていない。
 一息付いてPCを見れば、都会に住む子供達から、「大丈夫か?」 「帰ろうか?」 のメールが来ていた。その気持ちだけでホットなった。



1/30 こんな大雪に(大雪警報が出た。)山行くバカ者がいる。でも、車が動くのだろうか・・・・



1/29 このところ、毎日、除雪で身体を動かしているのであるが、体重が増えた。そう言えば、一週間前の埼玉行きから、朝トレをやっていない。(朝風呂もない。)除雪のため時間がないのである。たくさん積もった時などは、半日程除雪をしているようなものだし、10~20cmでも、1時間では終わらない。

 雪の捨て場のない私のような所では、結構重労働なのであるが、偏った運動となり、ウエイトには、すぐに跳ね返らないのかもしれない。今日からは、手の空いた時間に、ちょっとだけでも、従来のトレーニングを再会する事にした。と言っても、僅か5~10分程度なのであるから、大それたものではない。動かすと、何となく身体の調子が良いように思う。気のせいかもしれないが、老骨に鞭打てば響くのかもしれない。



1/28 午後から雪は止んだ。ようやく一息である。でも、明朝は冷え込むと言う。そして、明日の午後から、再び寒気が入り込み(強い冬型)降雪が強まると言う。こんな予報は外れた方が良い。そして、外れても、誰も文句は言わないであろう。でも、警報が出たり、物凄く降るとの予報は、意外と外れる事が多い。(希望的観測かもしれないが・・・・)

 こんな時に、山行く者はいない。その後もいない方が多い。大勢で行けば、目的地に届く時もあろうが、単独や少人数で行く時は、何しに来たのかと思ってしまう。それは、もはや修行の域も逸脱した無謀としか言えない。それでも、行きたければ、グレードを少し落とし、気持ちだけを満足させればいい。また行きたければ、その方が良い。



1/27 このまま降り続ければ、雪の捨て場に困ってしまう。もう、私の背丈の1・5倍くらいまで積み上げた。街中は、こんな時に、イヤな思いをするのである。我が家に隣家はないが、周りが皆駐車場であるから、排雪が行われるなら良いのであるが、お互い積み上げているから、境界でギクシャクしないように気を付けなければならない。

 この様を3人の子供達に画像として送った。敏感に反応してくれる者もあれば、返事が来ない者もいる。そんな中、長男から、「除雪で腰痛めないようにね! テレビで大雪って、もっとひどそうなのかと思ったけど… 山では、雪崩に気をつけて!」 そして、その翌日、「大雪じゃなくて、豪雪っていうぐらいになった? そういう時に帰りたいのにな~」

 子供達は、38年や56年の豪雪を知らない。そして、その後の大雪は、それ程でもなかったように思う。だから、本当の大雪を体験したいのかもしれない。そんな雪を見たら、除雪の大変さを知って、コマーシャルに出て来るような 「除雪機をプレゼント」 などとは、ならないだろうな・・・・・



1/26 「忙しいのが一番」 と言いながら、本家の当主が亡くなり、昨夜は通夜、今日は葬儀に参列し、慌ただしく日が過ぎていった。そして、連日の除雪が、結構くたびれ、途中で放り出したくなる事もある。もう一つの頑張りの欠落からくるもので、加齢と共に、しなびれていく自分を想像するとイヤになって来る。

 「しかし、山は別もの・・」 は、何時まで続くやら。やはり、身体は動かず口だけになるのだろうか・・・ でも、「イヤなのだが仕方がない。」 と諦める時期を、少しでも遅らせたいのが本当のところ。それには、休まず歩き続けるしかないのであろう。



1/25 昨日は、牛岳から戻ってから、町内会の新年会に参加した。このところ、行事が目白押しで、経済的な事を除けば、充実した毎日を送っているような気がする。「人間、忙しいのが一番。」 そして、いろいろな方々と、お会い出来るのが最高の喜びかもしれない。

 その新年会から戻り、PCを開くと、牛岳で出遭った若者(村ちゃん・雄三君)から、メールが届いていた。その内容は、
 今日は本当に感謝、感謝の連チャンでした。途中で心がバキっと折れた時に、天使の行列と出会えて、一歩を越える勇気を頂き、頂上まで行くことが出来ました。(感謝) そして、大宴会に参加させて頂き、数々の身も心も温まる品々や、楽しい話や、山の裏ワザ話などなど勉強になりました。(感謝) そして、固い握手をして、お別れしたのに遭難寸前の僕等の上から、また天使の行列が舞い降りて来て命拾いしました。(感謝) また、どこかで出会えるのを楽しみにしてます。

          

1/24 どれだけの降雪があるか分からないこの時期、行き先の選定に苦慮する。久し振りに参加表明をしていたeiko女史や、まだまだ長いのはイヤという「山ノ神」 の事も考慮しなければならず、「北ちゃん」 に牛岳行きを提案するが、「何処でもいいよ!」 と返事をもらっていた。

 一週間前のハレルヤ山行(馬鬣山)で、一緒していた「ゆかりさん」 から発せられた 「一度、牛岳に行ってみたい・・」 が耳にあり、強引にお誘いした結果、メンバーのヒロシ君や朝日町の登山家稲荷さんの参加を乞い、ねぎちゃんや近所の茂ちゃんと、楽しいパーティーを形成する事が出来た。

 雨・ミゾレの状況下での高岡スタートとなったが、砺波に入ると、それが雪に変わり、見る見る内に道路が白くなった。集合場所の庄川道の駅で準備を整え、心配していた利賀街道での駐車を何の問題もなくする事が出来た。

 猛ラッセル覚悟の出発であったが、前日のものであろうかトレースがあった。そのトレースの上に積雪を見ていたが、「これではつまらない。」 と難ルート?選択となる。それはそれでいいのであったが、次第に後から、「寒い・・・」 「まだか・・・」 との声が聞こえてくる。”猛ラッセルを貫けば、山頂に届かないかもしれない。” ”トレースに従えば、つまらない。” が交差し、なかなか判断がつかないのであった。

 6合目から稜線に直登するルートを嫌い、沢に架かる鉄橋付近まで夏道ルートを辿り、そこから稜線に向かう事とした。トレースと、どれだけも変わらないかもしれないが、雪遊びに来たからには、その意気込みを大事にしたかったのである。

 喘ぎ喘ぎ登高中に、タープを張って避難する若者達と遭遇。彼らは、「ここで止める。」 と言っていたが、我がパーティーに、彼らを吸収し先に進む事となる。稜線に上がると、ブリザードのような嵐が待っていたが、今度は逆に一時であるが、青空を覗かせる模様にもなった。

 「まだかまだか」の声を聞きながら、三角点のある牛岳最高点に辿り着いたのが、スタートから4時間余で正午を少し回っていたようであった。牛岳権現がある山頂を目指すか、食事時間を充分に取るかとなったが、結局は、三角点に大きなシェルターを造る事になった。

 時折、風雪に身を縮こまさせられたが、メンバー6名、ゲスト3名、その他2名の食事処は、いろんな話が出て、楽しいものであった。その他2名の若者達は、シニアのその雰囲気に飲み込まれていたのか、物静かであったが、「このような楽しみ方があったのか・・」 と思うような表情をしていたかのように受け取れたのであったが・・・・・

 午後2時半に下山する事運びになったが、その若者達(村ちゃんと雄三君)は、気を利かせたのであろうが、一足先に出発して行った。6合目上の大斜面を滑り降りるのが圧巻で、各自思い思いに降ったが、小さな雪崩にも笑いだけがこだましていた。

 6合目からの降りに、先頭ではなかったが、ちょっと、いつもと違う光景が目に入ってきた。何気なしにトレースを辿ったのであった。可笑しいなと思った途端、ずっと下に、先程出発した若者達が、行ったり来たり、いや、我々の降りて来るのを待っているかのようにさえ思えた。

 そのトレースは、彼らが作った物で、ずっとそのまま降れば、墓穴を掘らなければならない所だった。GPSで確認し、凹部を乗り越えトラバースして、従来の尾根に出た。牛岳を知り尽くしていると思われていた私であったが、うっかりミスに、唯々、平謝りしなければならなかった。

 しかし、結果的には、我々のうっかりミスが、彼らを救った感じになったのは間違いない。後は、11名一緒に降った。彼らは、これからどのように山と関わっていくか分からないのであるが、今日の経験を充分に生かしていって欲しいと思うのである。



1/23 49日法要が終わって、しばらくの団欒後、午後8時前には桶川を発った。圏央道・関越道を通っても460キロぐらいであるから、5~6時間もあれば楽に行けるのであろうが、前日は寝ていない。そして、雪道の夜行である。しかも、午前7時前には来高したい希望があっただけに、早めの出発であった。「二人とも2日間飲まない。」 奇跡的な事もあって、高速運転を嫌がっていた「山ノ神」 も、1時間ばかりハンドルを握ってくれた。

 そんな事もあって、早い時間に新潟県に入ったのであるが、トンネルを抜けると別世界が待っていた。雪の壁、前が分からない程の降雪などで、速度が半分程に落ちざるを得ない状態に強いられた。それでも、石打塩沢に着いたのは、午後10時台であった。後は、ノロノロと睡魔に祟られパーキングやサーブスエリア毎に、車を入れなければならぬようになってしまった。

 富山に入ってからは、意外に少ない雪状態に、帰ってからの除雪が伴わない事に胸を撫で下ろすことが出来た。そして、1時間でも2時間でも、床に着く事が出来良かったのである。



1/22 仕事を終えてからすぐにでも出掛けようか、それとも、少し寝てから出掛けようか迷ったが、車の中で寝られるようなタイプでないし、あちらに行ってから寝る事が出来ないだろうと思って、後者のちょっと寝てからを選んだのであるが、気が立っていたのであろうか、全く寝る事が出来ず、辛い運転の始まりとなった。

 しかし、山歩きと違って、法要の開始時刻が遅い事も幸いし、所々で身体を休め、日頃入らないような所で食事をする事となった。高速から出たわけではないが、本当の旅のような気分になった程であった。

 誰より早く会場である姉宅に到着をしたのであるから、まずは良しである。読経に続き会食を終え、帰途に着くスケジュールであったが、仕事を休んでも行って良かったと思ったのである。



1/21 早いもので、明日が義兄の49日法要である。今晩から埼玉に向かい、法要を済ませたら、すぐに帰るつもりであるが、行き帰りが高速と言えども、夜の雪道なので不安が付きまとう。今までのスキーで遠くへ出掛けていた事を思えば何ともないのであろうが、「悲しいかな!」 いつの間にか歳月が流れ、そんなに事が運ばないようになっているのを自分も気付いている。

 「臨時休業」 の貼り紙をするが、「23日は営業します。」 を付け加える。でも、それに拘りすぎて、事故を起こさぬよう慎重運転に心掛けなければ、日頃の山行も、全てパーになる。 もう睡魔には勝てないのだから・・・・・・・



1/20 今年は県西部の方が雪量が多い。そして、砺波より高岡の方が多いのだから不思議である。でも、いつもの事であるが、最後は砺波や富山の方が多くなるのである。スキーや山歩きをしない人にしてみれば、「雪など降らない方がよい。」 に決まっている。そして、「寒いのはゴメンである。」 になる。

 でも、一旦雪遊びを覚えると、雪降るのが楽しくて、「もっと降れとなる。」 そして、気のせいかもしれないが、風邪引く事もなくなるような気がする。でも、毎日降ると、「もういいや!」 とか、「山だけ降ってくれ!」 となる。

 これから、一日一日、陽が長くなっていく。距離が延び高度を上げる事が出来る。「自然の美」 に遭遇する機会が増えるのはこれからである。



1/19 「はるちゃん」と「キヨシ君」との3人で、久し振りに親交を温めた。やがて45年になる付き合いであるが、なかなか飲む機会を作る事が出来ず、春夏秋冬の年4回は飲もうと始めた会である。しかし、それも最近は、年に1~2回程に縮んでしまっていた。

 今回は、「はるちゃん」が、「猪肉が手に入った。一杯やろう。」 と言ってくれた事がきっかけで、「キヨシ君」を呼んだ。氷見の新鮮な魚に、本ワサビ。そして、「はるちゃん夫人の京子ちゃん」 も参加してくれ手料理の持ち込みが食卓を賑わわせてくれた。

 我が家も、近所で人気の焼き鳥に、昨年末手に入れた「清酒・手取川」 を拠出、ワイワイ盛り上がった。いつも、最後は同じ話になってしまうが、彼らは、街中へ行くより、我が家で飲むのが好き。ずっと、続いて欲しい会であるが、それより、ずっと元気でいなければ、会って飲む事など出来ないのである。



1/18 除雪が重労働である事が実感するようになって来た。水分がたっぷり含んだ重たい雪には、本当に閉口する。排雪出来ないから積み上げるのに、これまた体力がいる。「無理するな!」 の声が掛かるのも当然である。

 車社会になってから、「車さえ出られればよい。」 の風潮になり、「自宅前はすっきり」 の家が少なくなったように思う。「すっきりしているのは、年寄りがいる家だけ・・」 と言うのも満更当たっていない事もない。 ずっと昔は、学校へ行く前、また職場に向かう前に、必ず自宅前の除雪をしていったものだが、今は、そのような事は、あまり見受けない。時代なのだろうか・・・・

 どんなに雪が降ろうが、山に向かって車を走らせるのであるから、その方が可笑しいと言われるかもしれない。どうかすると、駐車するのに、まず除雪から始まる事もある。また、下山したら、すっぽり雪中に埋もれていて、掘り出さなければいけない時もある。雪崩に遭い車が通れなくなった時もあった。あまりにも車の運転時間が長く、山に登らず、そのまま帰って来た事もある。

 「そんなのはイヤだ!」 と思った途端に、ライフスタイルは壊れる。騙しながらでも、動いている内はまだしも、止まれば故障となり、お陀仏になりかねない。「あの人は・・」 と言われるくらいにならないと、成就したとは言えないのかもしれない。



1/17 「何処へ行っても同じじゃない。」 朝から、ひっきりなしに降る雪に、二上山を提案したが、「山ノ神」 にしてみれば、ドライブだけでも良いから、家からなるべく離れたいという願望があるみたいで、なかなかウンと首を縦に振らなかった。

 一昨日から、ハレルヤ山行の後の休日を、どうするかと話し合っていたが、その時も、「尖山・千石城山・城ヶ平山・牛岳・来拝山」 以外は上がらなかった。 そして、「山ノ神」 が、苦し紛れで言った山が「御前山」 であった。

 「準備30分で出発!」 と言ったのに、いつもの通りで、倍の時間が掛かってしまい凍結でガタガタ道をノロノロ行くものだから、営業運転していない猿倉スキー場の駐車場を発ったのは、午前11時を少し回っていた。

 前日のトレースと思われる上に、20cm越える新雪が降り積もっていた。そのトレースが、スキー場の上部に向いていたので、それを嫌ったため激ラッセルになってしまった。「猿倉山までで充分」 と言う「山ノ神」 であったが、展望レストラン前から、またまた、そのトレースに乗っかった事もあり、息をあげながらも、猿倉山のてっぺんに辿り着いた。

 そこまで来れば、やっぱり御前山を目指せねば・・・」 となり、時間を切っての歩きとなる。最後は、直接山頂を目指したので、ヒーヒー言いながらの登りとなった。時間の都合でタープを張らなかったが、それなりの深さまで掘って食事とした。

 いつもの事であるが、「山ノ神」 にしてみれば、それからが、至福の一時なのである。第3のビール1本だけであるが、ちゃんと肴も用意されていた。風雪が強くなっても、その神事(珍事)をこなさなければ腰をあげないのであるから、飲まない私はコーヒーを沸かすしかない。

 下山は、スムーズに行くかと思ったが、スノーシューの「山ノ神」 の動きは鈍かった。最後は、ヨタヨタであったような気がする。でも、久し振りにある程度歩けた事に満足であったろうが、私は、陽が落ちなくて良かったと思った。



1/16 いつもよりスピードを落として、またノロノロ行く車の後に付いてしまった関係上、集合時間に20分も遅刻してしまった。その間に、行き先が、大鷲山でも南保富士でもない馬鬣山になっていた。

 予報が暴風雪、判断は幹事に任せきりであっただけに、何の不満もなく、大勢の山仲間と楽しく歩けるだけで嬉しかった。標高は高くなくとも、小さなアップダウンの繰り返しで、結構歩き甲斐があった。

 「もっと高い所に行きたかったのでは・・・」 気遣ってくれた方もあったが、皆で楽しく元気で一緒に歩ける事に意義があるので、「40~50年の山歴の中で、こんなのは初めてです。」 と戯けたのでした。

 三峯展望小屋では、美味しい料理に舌鼓となり、一人の脱落者もなく16人パーティーは、皆一応に、にこやかであったように思えた。シンプルな山行も良いが、このように賑やかな山行も、時には良いものである。



1/15 明日はハレルヤ山行であるが、予報が良くないだけに、幹事の堀シェフは大変である。降雪量や風、そして、集合場所に時間まで来てくれるかまで、考えなければならないのであるから・・・・

 そして、当初の大鷲山から、腹案の南保富士まで、3通りの案まで考えているらしい。もちろん何が何でも出掛けるのであるが、予想以上の降雪があると、除雪車に阻まれて、約束の時間まで行けない恐れが生じてくる。それどころか、取り付き地点の駐車場所に苦慮する事になりかねない。



1/14 山に行っても、最近は「山ノ神は?」 と尋ねられる。面識のない方でも、「あ~っ、山ノ神だ。」 と声を掛けて下さる。そして、「横にいるあなたが元さんですか?」 となる。それはそれで良いのであるが、何だかこの頃は、「山ノ神コーナーは、どうしたのですか?」 と言われ出した。

 「山ノ神」 の山行回数が減りつつあるのが原因かと思えば、この半年の間10回位しか「山ノ神コーナー」 の更新が行われていなかった。「本当ですか?」 と言う方があれば、「惚気じゃない。」 などと人様の思いはそれぞれであったが、まさか、それで、我がHPの存在感があるのではなかろうと思っているのですが・・・・

 でも、いつの間にか、「山ノ神」 を、飲んべえに作り上げてしまった。そして、嫉妬の塊のようにしてしまった。「そうでない。」 と言えばウソになるし、「その通り。」 かと言えば、大袈裟かもしれない。私は、ウソは嫌いである。でも、ちょっとオーバーには表現する事はある。

 どちらにしても、「山ノ神」 が、いなければダメなのかな。山のHPとしての魅力に欠けつつある事は、少々自覚してきているのであるが、「山ノ神」 とのバトルだけを期待されても、もどかしいから、新しい 「山ノ神像」 を作り上げなくてはならないのかもしれない。やっぱり「山ノ神」か・・・



1/13 雪のある時期の第3日曜日はハレルヤ山行である。今回は、堀シェフが幹事とあって、始めから17~18名の参加者があると聞く。暴風雪の予報であるが、高岡からも7名が参加する予定で、月一のイベントを楽しみにしている。

 しかし、最近の私は、わがままを通してもらい半分程しか参加していない。「山ノ神」 に至っては、年一くらいになってしまっている。本当に申し訳ないと思っている。だからでもないが、今回は何が何でも出掛けたい。久し振りの顔もあるし、こんな時にしかお会い出来ない方もある。



1/12 このところ、雪量は多くないが冷え込みが厳しい。じっとしていると、骨の髄まで伝わって来る。やっぱり動かなければいかない。山には、雪がいっぱいであるが、今のところ、平地では雪掻きで汗を流すほどでもない。寒い・動かない・暇などの悪条件が重なると、ついつい 「何か食べる物がないか・・・」 となる。

 私は、お菓子など甘い物が大好きである。食べ始めると止まらない。大きなどら焼きや饅頭なんて軽いもの、デコレーションケーキなどでも、ペロリといってしまう。だから、我が家では、私の好きな物の予備?は、なるべく置かないようになっている。ところが、頂き物などがあると、大変である。「あれ~っ」 となってしまう。煩い小姑役の娘が帰ってしまうと、「何処かに美味しい物がないか・・」 と探してしまう毎日・・・・・

 でも、私は、やっぱり身体が大事だと思っている。病気なんてしたくはないし、ずっと、元気でいたい。出来れば、体力をなるべく落とさないで、この先を行きたいと思っている。だから、好きな物を食べようとする時は、その分、何らかの方法で身体を使う・動かす、また食べてしまったら、やっぱり、その分、身体を動かさなければいけないと思っている。毎朝体重計の乗るのであるが、その動きは凄いものである。一週間で5キロの変動なんて、珍しくないのであるから・・・・

 一番体調の良い時は、ちょっとだけハードな山行で、あまり物を食べない。私にしてみれば、単独行で、面倒だから食事をしないような時が、帰ってから、また、翌日の身体の切れが良いように思うが、果たして健康とは別ものかもしれない。食べる・飲むのが早くて多いから、やっぱり胃や腸に不安がある。それでも、検査検診を受けないのであるから、自分でも困ったものだと思う。



1/11 午前中の飛行機で、娘・孫が帰って行き、我が家は、また二人きりの生活に戻った。それに追い打ちを掛けるように、友人の親様が相次いで亡くなられ、今晩・明晩とも、通夜に出掛けなければならなくなった。

 そんな今日、嬉しい来客があった。平成19年10月21日に天蓋山頂でお会いした高岡イオンモール近くにお住まいの「まさ氏」 である。結婚して1年半程経った娘が、何故か私達に付き合ってくれた山行であっただけによく記憶している。その時に、「山ノ神」が、「まさ夫妻」 に、我がHPのピーアールしていたように記憶しているが、「山ノ神」は、娘の方に気を取られていたせいか、あまり覚えがないという。

 その「まさ氏」 であるが、「毎日のように、夫婦共々、元さんの山歩きを見ています。」 と言って下さっていたが、もしかしたら、最近、ずぼらが目立つ、ヨタヨタになっている 「元さん」 に、「喝!!」 を入れに来て下さったのではないかとさえ思えた。

 私より、ちょっとばかし年上の 「まさ氏」は、上手に私を褒めて下さった。ちょっと照れくさいほど、もしかしたら、”褒め殺し” を匂わせるようにである。でも、イヤミなど全くなく、優しく品のあるお方であった。天蓋山でお会いした画像にあるように、微笑ましいご夫婦であったように思っている。

 いろいろお聞きしていると、雪山には登られないようであるが、お花にとても詳しい方のようである。まさのブログ(花の妖精) を一度ご覧になるのもいいよ。



1/10 それなりに早く起きたのであるが、いろいろモタモタの他に、給油・買い物、そして、道路の凍結による慎重な運転などがあり、五箇山トンネル前の取り付きをスタートしたのは、予定よりも1時間以上も遅くなってしまった。

 そして、取り付いた途端、雪を踏み抜き用水に嵌ってしまうというアクシデントに見舞われた。背丈より深い所に落ち、空だけが見える状態で、スノーシューの装着やリックが邪魔して、もがけどもなかなか這い上がれなかった。幸い水があまり流れていなかったのであるが、この登山口に来る前の城端・大鋸屋地区の気温表示板が-6℃であった程であるから、あがいた手は、冷たくてしばらくは縮こまっていた。

 深雪から杉林の中を歩いたのは良かったのであるが、何故か大斜面(今は、杉が蔓延り斜面とは言えないかも・・・)を避け、北側にルートを取ってしまったので、不安定な雪に泣きを見てしまった。1時間半を費やしたであろうか、一休みをしていると、高岡の奥氏がやって来られた。この先何処まで行けるやらと思っていたところに、ラッセル車のような彼の登場で、私はヨチヨチ付いて行くだけとなった。それでも、結構辛かったのであるから、奥氏の脚力の強さは計り知れない。

 お互い時間に制約のある身でありながら、「もう少し・・」 と、先に足をのばしたが、ブナ林の中(標高1030m 午後0時半)で山頂を諦める事にした。食事で50分くらい時間を使ったのであるから、彼の強さを考慮すれば、標高差で80m余、距離で500m弱など、問題なく行けたような気がしたが、余力を残す事も山行としては大事な事であるからして、なかなかお会い出来ない彼との時間に満足するところであった。

 帰路は、スイスイ行く彼の後を付いて行くのがやっと(ヨタヨタ)であったが、登山口に1時間余で辿り着いてしまったのであった。それにしても、祝日(成人の日)であったが、奥氏以外誰も来られなかったのは意外であった。



1/9 明日はどのようなお天気になるか分からないが、午後3時まで家に戻る条件で探したのが高落場山。これも、雪量(今晩の降雪)如何で相当違うであろうから、起きてからの判断になりそう。今決めたところだから、誰を誘う事も出来ない。

 明日は祝日だから、入山者0という事もなかろうが、あっても、スキーする人達だけかもしれない。それはそれでいいのであって、山頂に辿り着けなくても、一向に構わないのである。



1/8 「今度の休みは何処へ行く?」 と「北ちゃん」 に尋ねたら、今売り出し中の若い衆に、「何処かへ連れて行かれる・・・・ 山ノ神が行けないのなら、元ちゃんも一緒したら・・・」 と誘ってくれた。

 行き先が未だ決まっていないらしいが、行ってみたい気もするし、迷惑を掛けるかもしれないし、行き先次第では、連れて行ってもらおうかと思っていたら、「翌日には、娘・孫が帰京するのだから、山へは行っても良いが、いい加減に戻れ!」 と「山ノ神」 に言われてしまった。

 あの連中に、付いて行けるかどうか分からないのに、時間を切られては断念するしかない。こうして、山は逃げて行くのであろう。「何が何でもは・・・」 追々と止めていくと言った手前、断念しなくてはいけないのであるが、内心ホッとしたのは、何故なんだろうか・・・・



1/7 450枚余の年賀状の整理をしている中に、差出人の名がなく、「猪の肉が手に入りました。猪鍋など如何ですか?」 の文面が添えてあった一枚の年賀状を見付けた。筆跡や文面の内容からして、親友の 「はるちゃん」 だと思い電話してみた。

 「いつも達筆なのに、今年は、ちょっと文字が乱れているので違うかな?とも思った。」 と余計な事まで言ってしまったが、当の「はるちゃん」 は、年末に風邪を引いてしまい慌てて書いたものだと言っていた。

 高校を卒業した頃からの付き合いで、もうすぐ45年程になり、甘いも酸っぱいも知る仲である。休日が、ほぼ同じなのであるが、最近の山行で一緒した事がない。山では、私を避けているようであるが、一年に10回ぐらいは、一人で出掛けているらしい。

 登山はしないが、山菜採りの名人の「キヨシ君」を加えて、「三人会」と称し、時々飲む事になっている。熟年期入ってからは、春夏秋冬の一年に4回くらいは飲みたいと言っていたが、この頃は、年に1~2回も怪しくなって来ている。意識しなければ、その機会を失ってしまうくらいである。

 会場も、自ずと我が家になり、氷見と砺波の彼らは、泊まっていくからゆっくりと飲める。しかし、寄る年波には勝てず、年々酒量は減っていくのは歪めない。
 「同じ事を何回も言い笑っている。」 それでも、楽しくて嬉しい。ずっと、続けていきたい。そして、今月の平日に約束をした。時の経つのは早いと言いながら、待つのは、時間が止まっているような気がする。



1/6 今年に入ってからは、近間の低山しか出掛けていないが、袖触れ合うのも多生の縁とかで、言葉を交わす内に、「何処の山が好きですか?」 と尋ねられれば、思わず大地・初雪山と答えてしまった。少々、山をかじられた方々なら、分からない事もないのだろうが、始めたばかりの方々には、「何処にあるのですか?」 になった。

 まず、「名前がいいでしょう。」 から始まり、「高さの割には、アルペン的。」 そして、「大地からの初雪山は、絶景なのですよ。」 と自分の私物のように言ってしまった。 (ちょっと反省。)

 でも、私は、「大地・初雪山が好き!」 お天気なら、毎週出掛けてもいいくらいである。しかし、大地には、1~3月の間しか行ったことがない。そして、初雪山には、3月の経験しかない。

 一年に一度は行ってみたい山はある。もう一度行ってみたい山もあろう。時々行ってみたい山もないでない。しかし、お天気ならの条件があっても、毎週行きたいなどと思う山はそうそうないものだ。

 そんな折、今月の私の連休に、間接的であるが初雪山を誘われた。(希望を受けた。) 私としては、雪の不安定さや陽の短さが、お天気条件があっても気が進まない。「大地までなら・・」、「いや、もうちょっと先まで・・・」 ならそうでもないのであるが、こんな時は、また別の誘いもあり、私の心を痛める。



1/5 「今日は、山ノ神は?」 と何度となく言われた。当の 「山ノ神」 は、元日の二上山以来山に出掛けていない。子供達が来ていた事もあるが、体調がイマイチなのである。今度の成人の日は、月曜日で休日になるのであるが、その日は、まだ娘と姫ちゃんがいる予定(翌日帰京の予定)であるから、行くはずがない。

 もっとも、まだ足を引き摺っているのであるから、普通に歩ける見通しが立っていない事にもなる。また、2月には、恒例のカニ三昧が、「山ノ神」 と友人により企画されている。3月には、二男の結婚式があるし、益々山から見放されて行くような気がしてならない。

 「山ノ神」 からしてみれば、私がもう少し山から離れてくれれば申し分ないようであるが、私は、その車に乗りたくはない。



1/4 お正月三ヶ日の行き先制限があったとはいえ、二上山で近所に住んでおられる高嶋氏と2度も会ってしまった。「何時か一度・・」 との永年?の約束が脳裏に浮かび、手頃な山にでもと、「八乙女山」 にお誘いした。

 必ずしも好天だと言えなかったのですが、「ゆっくり行きましょう。」 でお話をしながら、2時間ほど掛けて、三角点と従来の山頂に達する事が出来ました。パーッと視界が開ける時や、青空が覗くのではないかと思わせるお天気でしたが、小雪が舞った時の方が多かったかもしれません。

 お昼時間には、ちょっと早過ぎたのですが、展望の事を考え、また雪量を加味して、林道の片隅に背丈が隠れるようなシェルター造りを試みている私に、同行の高嶋氏は、興味深げに見守ってくれていました。タープまで架けなかったのですが、本当は雰囲気を出すため施した方が良かったのではと思った程でした。

 富山から来られたというお二人が、「そんな事をしているのは、高岡の元ちゃんグループのようだ。」 と声を掛けて下さったのですが、「私がその元ちゃん(元さん)です。」 と言ったら、あちら様がびっくり! そして、「私(若松さん)は、eiko女史と友達。」 と言われて、今度はこっちが、「えぇ~」 と言ってしまった。本当に山の世界は狭いものであります。



1/3 二男が午前11時半、長男が午後2時半、ムコ殿が午後7時過ぎの電車で、大阪・東京へ帰って行くとなると、流石の私も、山には行ってられないと思っていた。でも、その間隙を縫って、またまた、二上山に出掛けてしまったのである。

 そのしょうもないオヤジの 「家を出て、家に戻るまでの2時間」 と自分に言い聞かせての出発である。カメラを忘れて取りに戻るロス、そして、そのカメラを、またまた車の中に忘れたと、取りに戻ろうとしたロスを埋めるには、1時間で往復しなくてはいけないのである。

 それは、雪上であろうと、踏み固められているトレースがある限り、それほど難しい事ではなかったが、途中で出会う方々との時間が取れない寂しさがあった。

 でも、山頂で記念写真を撮ってでも、家に戻るには、かなりの余裕があった。もしかしたら、1時間半でも大丈夫かもしれないと思ったが、長男を完全に見送れなかった事にちょっと反省。3人減って4人になったが、この4人の生活はもう一週間続く。そして、また2人になるのである。



1/2 「お昼過ぎまでには戻るから・・・」 の約束で千石城山に行った。富山に近付くと雪がなくなり、上市でも高岡より雪量が少なかった。そして、雨になり、ミゾレとなった。早乙女湖への林道は、まだ除雪されておらず、15~20cm位の新たな雪が積もっていた。

 「時間がない。」 と言いながら、「汗を掻かずに、ゆっくり登りたい。」 が今日にテーマ。しかし、前日のトレースが消えた頃から、何だか足の回転が速くなっていくようにも思えたが、それは、私の独り善がりの感なり。

 2時間程で山頂に辿り着いた頃、ふと振り返ると、ピッケル持参の青年が現れた。昨夏から、山を始めたという滑川の中島君であった。少しお話をしたが、これからの活躍が期待されるところである。

 それにしても、ラッセルの後とはいえ、ストックでなく、ピッケルであったから、相当エネルギーを費やしたと思われるが、やはり若いという事は凄いのである。下りは、彼と別れて、思うがままに降った。スノーシューの良いところである。



1/1 元日は、昭和42年から続いている高校時代からの仲間達との新年会があり、身近な山しか行けない。両親が亡くなってから、親戚に行く用事もなくなり、加えて、子供達が帰ってきたり来なかったりで、その僅かな時間を利用しての山行であるからして、ハイキング的色合いが強い。

 往復2時間程でしかないが、それなりに山の雰囲気を楽しめるのであるから、二上山ぐらいだとそうバカに出来ない。登るに際し、高岡HC有志の下山時に遭遇した。一言二言だけであるが、それは、久し振りにあった同級生のような感じである。こうして、山仲間が増えていくのである。



 「永年にわたって、年賀状を頂いておりますが、来年から遠慮致します。」 という文言が、上越のM氏の年賀状に記してあった。たぶん年齢からして、山に登れなくなったか、年賀状を出す事が苦痛になられたからだと推察している。

 私は、Mご夫妻に、権現岳・鉾ヶ岳登山の折、登山口に戻る事で大変お世話になった。また、瑞牆山に登る時、偶然にも再会したのである。私は、そんな縁を大事にしたい性格である。「あなた様は、出さなくてもよいから、私は、山に関わる間は出し続けます。」 と返事を出すつもりである。そのような事は、過去に2回(お二人)あったが、今は、その方々と、尚更親しくして頂いている。