|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2/28 ずぶ濡れになった小佐波御前山であったが、参加したメンバーは切れなかった。「何故こんなにしてまで・・」 と思わないではないが、やはり何かを求める共通のものがあるのかもしれない。山頂小屋での食事は、いつもに増して温かく、そして美味しかった。久し振りの顔もあったし、初々しいゲストもあり、余計に盛り上がったような気がした。
食事をしている内に予想通り雨が上がった。靄が掛かり視界が悪かったが、こうなれば好山病を代表する「北ちゃん」の真骨頂である。往路のルートから、わざわざ外れ、アスレチックといえばいいのか、クロスカントリーと言えばいいのか分からないような、斜面のトラバースやアップダウンを繰り返し、登りより降りの方が余計に時間が掛かるというおかしなルートを選択されてしまった。
でもでも、楽しく想い出深い山行になった事には間違いない。ゲストとして参加して下さった「礼さん」が、どのように思われたのか興味深い。またの参加機会があれば好印象、なければ、「イヤになった。」 と思わなくてはいけないのかもしれない。
2/27 明日の完璧な雨の予報に、仕方なく行き先を小佐波御前山としたが、本当に降るんだろうかと思ってしまう。降らなければ、行き先変更を悔やむし、降ったら降ったで、辛い歩きを強いられるのに・・・・
その悪天に、怯んだわけでもないのであろうが、参加者がちょっと減ったが、初めてお会いする人には、近間の平凡な山行であっても、印象深いものとなって欲しいと思うが、特別の企画もない。ニコニコと歩くしかないのかもしれないが、気持ちというものは、自然と通じるものと信じよう。
2/26 最近、「忘れる。」 「うしなける。(無くなる。)」 事が多くなり、とても困っている。忘れる事など日常茶飯事で、それほど驚く事もないのであるが、「山用具が何処へ行った。」 となる事には参ってしまう。
今は、シュリンゲ・カナビラ・ダウン(インナー)が見当たらない。心当たりを何度も探しているのであるが、出て来ないのである。予備はあるから、差程支障を来さないが、やっぱり不都合である。所定の場所に置く事にしているが、何かの都合や、ちょっとした事で、何時もと違った所に置こうものなら、とんだ事になってしまう。欲しい時に使えず、買い直すと出て来るという、おかしな巡り合わせになる事が多いが、早く出て来て欲しい。
先日の牛岳でも、コッフェルを忘れてしまった。ガス・コンロ・食材があっても鍋がなくては、どうしようもない。同行者にお湯を分けてもらったから良かったものの、ひもじい思いをしなければならなかった。逆に食材だけを自宅のテーブルに忘れて来た事もある。
今ほどの歳になると、「後からすればいい。」 とか、「明朝早く起きてやればよい。」 などは、もっとも危なく、出来れば前夜までに、何もかも準備していた方が良いようである。
2/25 明日(26日)だけお天気で、日曜日からお天気が崩れ、そして、水曜日から雪だるまが並んでしまった。山に雪が降るのは、一向に構わないのであるが、雨やミゾレ模様は辛い歩きを強いられる。
諸事情でモチベーションが上がらないため、来月の雪中キャンプの旗を、早々に降ろす事となるが、休日はどんな形であろうと、山と接しておりたいと思っている。でも、大地・初雪山だけは別で、諸条件さえ整えば、何が何でも出掛けたいという希望だけは持っている。
2/24 あれだけお天気が続いたのに、来週のお天気が怪しくなって来た。28日(月)に、せっかく休みを取って来て下さるゲストがあるのに、巡り合わせが悪いというのか、間が悪いというのか、何だか申し訳ない気持ちになって来た。
景色の良いところ、皆に喜ばれる所を考えていたのですが、予報を見詰めるに付け心が萎んで来てしまいます。県東部の展望の利く山と、静寂な県南西部の山とのどちらも選択出来ないとなると、屋根のある近間の山になってしまうのであろうか・・・・ どちらにしても、もう1~2日というよりも、ギリギリまで待って決めるしかないようである。
2/23 「妖怪とはピッタリの名(ニックネーム)を付けたね。」 と近所の「茂ちゃん」がやって来た。牛岳で見た二人の歩きを見ての評である。80歳半ば過ぎの男性が、車を運転して、しかも、単独で雪山に登っているのであるから凄い。
寺口氏(大正13年生)は一昨年、粟野氏(大正15年生)は昨年、単独で剱岳に登っておられる。これも見事である。粟野氏の談だと、「剱岳登頂の最高齢は88歳の女性だと剱沢小屋管理人に聞いた。」 とおっしゃっていたが、アンザイレンのガイド付きとは言え、これまた凄い。でも、もしかしたら、彼らのどちらかが、その上を行かれるのではないかと憶測してしまう。
「牛岳の三妖怪」とは、寺口氏からお聞きしたと思っているが、粟野氏は、「元ちゃん、あんたが付けた。」 と言って譲られなかった。その同氏は、私の名刺(10年程前のもの)をポシェットに入れて持っておいでた。同氏とは、2~3回程しかお会いしていないし、あの名刺をお渡しした覚えもないのであるが、誰かから、渡ったものかもしれない。
三角点から降りて来られた粟野氏は、「山頂まで行く。」 と告げた私達に同行された。恐らく三角点で、かなりの御神酒を召し上がっていたハズであったが、「私達と話がしたいから・・」 と壺足で我々の後に付かれた。(下山時はカンジキであったが・・) 赤い顔をしながら、何の遜色もない歩きをされる粟野氏をみて、「茂ちゃん」は、土肝を抜かれたのであろう。
驚いた事はまだあった。利賀街道(471号線)を歩いておられる粟野氏を見て、我々の車にお乗せしたが、最近、「家人に車を取り上げられた。」 との事。そして、「井波から、発電所まで自転車で来て、登山口まで歩いて来た。」 とお聞きし、またまたビックリであった。我々も、「いつまで元気?」 のハードルを、ちょっとどころか、もう少し上げなければいけないのではと思わずにはいられなかった。
2/22 まだ充分とは言えないが、「山ノ神」が復帰モードになった。元々食の細い人なので、その量の事は一概に言えないが、お風呂に入り、ビールを飲むに至った。美味しいか、苦いかの評は聞かないが、飲もうという気持ちになったのである。
今までの風邪の熱で寝込んだ時などは、何が欲しいかと問えば、必ずと言って良いほど、「ビール」 と言ったものであった。冗談ともつかぬその要求に、こちらも呆れていたが、今度ばかしは、「何もいらない。」が続いた。
胃を痛くする事もあったが、世界中の悩みを抱えているわけでもないし、もうちょっと楽天的にならなくてはいけないと思っている。「豊かな老後」は、夢の夢となりつつあっても、誰にも負けないような目標・目的を持てば、それなりの人生があるような気でいる。また、一生懸命真面目にやっておれば、きっと良いこともあるよね。
2/21 このような状態の時、2日間とも、朝早くから夜遅くまで、出歩いて良いものかと思い、いつもの好山病のメンバー「北ちゃん」や「ねぎちゃん」に連絡をしなかったし、あちらからも連絡がなかった。行かなくても良いし、近間の半日コースくらいなら良いのかなと思いながら、「山ノ神」に、その旨を、なかなか言い出せないでいた。
お天気も良いし、家にいても何するわけでないのだからと、ゴミ出しをしてからの条件で、「山ノ神」から許可をもらった。牛岳と決めたが、一人では寂しいと思い近所の茂ちゃんを誘った。午前9時過ぎに高岡を出発であったが、ゆっくり楽しんで登ろうを心掛けた。
まるで春の山のようで、随分歩き易かった。何処でも構わず歩けるのであるから、ルンルン気分である。6合目から稜線に出る大斜面の右寄りと左寄りのかなり離れた地点で、寺口氏と出遭った。顔を確認出来ないくらいの距離であったが、言葉だけのご挨拶をさせて頂いた。私を大事にして下さる寺口氏は、大正13年生であり、その元気さと、その行動力を察すれば、、唯々、尊敬の念に頭を下げるしかない。
今度は、三角点の少し手前で、井波の粟口氏と出遭った。「本間の元ちゃんに会ったからには、もう一度戻っても良い。」 などと、三角点で大分飲んでおられた様子であったが、山頂(牛岳権現)まで 付き合ってくださった。お酒を飲んでおられても、何の遜色もない歩き、そして、人恋しいのであろうかもしれないが、その行動力・意気込みにジーンと来るものがあった。
例の如く、食事処を作ったのであるが、簡単な山行を決め込んでいただけに、持てなしをするような食材を持ち合わせておらず、コーヒーとお話だけのプレゼントとなった。粟野氏は大正15年生であり、今日一日で、牛岳の三妖怪のお二人にお会い出来たことになった。もっとも、もう一人の秋山氏は、最近体調を崩されているようで、牛岳では、なかなかお会い出来ないようだとの事だけに、今日は、我々としても、ラッキーだったかもしれない。
その粟口氏は、小牧の発電所まで自転車で来られたようで、そこから登山口まで歩きであるから、これを知って、またまたたまげてしまった。無理矢理車に乗せて、その地点までお送りしたが、「月曜日に、また会えたら・・」 などと言って頂いたが、「牛岳は、条件の悪い時しか来ないのですよ。」 と言ってしまった。もう少し言い方があったように思い反省しきりであるが、あの方々なら、まだまだ元気だしお会いする機会があるであろうと、思わずにはおられない。
2/20 午前6時半、朝日小川ダムに集合してみると、私のように急遽参加となった方もあり、総勢15名となっていた。そして、雪が締まっていて、随分楽な歩きが出来た。
余談ですが、
私の所では、その締まった雪上を歩く事を、「そらを渡る。」「そ~らを渡る。」 と言われているのですが、砺波地方では、「すんずら」 と聞いた事があります。他の所では、何と言われているんでしょうね・・・・
好天に恵まれ、一ヶ月ぶりに会ったメンバーや、すっかりお馴染みになり、どちらがハレルヤメンバーなのか分からないまでになってしまった方々など、思い思いの歩き方で、景色を眺めながら楽しい山行となった。
その歩きを見ながら、山頂到達時間を考えるに、ああでもないこうでもないと言いながら、予測を随時変更していたのですが、着いてみれば、そんなに大きく違うものではなかったようでした。
大きなベンチ・テーブルで、ワイワイ話し込んでしまうと、「あの絶景を見るのを忘れていた。」 などの言葉が飛び交うほどに、話が盛り上がり、いつもながらの美味しい料理に舌鼓を打っていました。
下山は、高度を落とす毎に、腐った雪との壮絶な戦い?となり、転んだり嵌ったりしながら、それでも、シリセードを楽しむ方もあり、楽しい一面を覗かせていたように思えた。
2/19 今日も全休の「山ノ神」から、ハレルヤ山行への許可をもらったのが、夜になってから・・・・ ちょっと、元気になってきた「山ノ神」であるが、本来なら私の方から、「行かないよ。」 と言うか、それとも、近間の山に登って、昼過ぎには、家に戻るくらいの配慮がなければならないのかもしれないが、今度は、こちらが参ってしまうから、半強制的というのか、一人で仕事をしていた代償のようなものと勝手に思うようにしてしまった。
ギリギリになってからの参加希望であるから、ハレルヤメンバーには、迷惑を掛けるかもしれないが、「いつもの事・・」と、意外にケロリと迎えてくれるかもしれない。
2/18 「心配しなくていい。わざわざ来なくてよい。」 と言ったからでしょうか、東京の娘から、「中止にしました。」 と短いメールが届いた。そう言っておきながら、イザ来ないとなると、勝手なもので、ちょっと寂しい。
「山ノ神」 は、依然と物を口にしていません。死んじゃうかもと思う程にゲッソリしています。パンやみかんやバナナなどの果物でも、豆粒ほどしか食べていないのです。「食べられないのだから、カニなど食べに行けるわけがないじゃないか・・・」 と言ったからか、うどんを作ったらしい。でも、ゴミ箱に捨ててあった。私に何か言われると思ったに違いないのでしょうが、「移るから・・」 と、残った物を私が食べないからでもあるのでしょう。。でも、分からぬように隠す元気もなかったのかもしれません。
一番奥の部屋に、「山ノ神」を「隔離」 したようなものなのですが、そうなると寂しいものです。毎日顔を付き合わせて、喧嘩ばかりしていても、いないと寂しいものですね。「もし一人になったら・・」 と思うとゾッとしてしまいました。もし反対の立場だったら、「山ノ神」は、清々すると言うのでしょうか・・・・
2/17 第3日曜日はハレルヤの日です。発足の頃から私の休日を考慮してもらった感が強かったのですが、雪のある時限定と言いながら、近年の私は、半分程しか参加していないような気がして、メンバーに申し訳ないの思いが強くなって来ていました。しかし、記録を調べてみますと、必ずしもそうではなく、苦しかった胸を撫で下ろしています。
でも、今回も参加が怪しいのです。「山ノ神」のインフル、私達を心配して来高するらしい娘の事などなど、また高いハードルが出来てしまったのです。今度の行き先は、私の大好きな「大地」。とても残念です。
何事もなく、そして、元気であれば、この時期、宿泊付きの「大地・初雪山」を、目論んでいた程だったんですが・・・・・ でも、まだ諦めておりません。何もかも上手くいって、メンバーに同行出来れば最高なのですが・・・・ まだ日にちがあります。
行けなくても、また翌週、来月と、まだまだそのチャンスがありますから、そう悲観する事もないでしょう。でも、大地50回を目標としているだけに、今年は、その半分まで到達したいと思っていたのですが、どうなるか分からなくなってきました。まあ~、それだけが人生じゃないし、悩む程の事でもないでしょう。
2/16 日頃の床に着く時間は、日付が変わってからの方が多かったのですが、体調を崩してから、8時~9時頃になってしまいました。昨日は、「ようやく10時だ。」 と日常に近付いた感じとなりました。しかし、「山ノ神」 が、インフルになってしまい、私が休むのは、何となく従来の時間になってしまいそうです。
小心者の私は、ちょっとした事でも悩んでしまい胃を痛くしてしまうのですが、これからは、何事にも前向きでいかなければと思うようになりつつあります。娘から楽観主義の勧めがあったのですが、あの方(娘)も、私以上に繊細なハズ、その娘に言われるのであるから、私はかなりの重症だったのかもしれない。
2/15 山に行く2日ほど前から、咳が出ていた。でも、熱がないしインフルではないと自分で勝手に思っている。口が苦いし依然食欲はない。身体が寒くなったり温かくなったりするから、やっぱり風邪気があるのかもしれない。
山行中は、何ともなかったし、気分も良かった。でも、それが祟ったのであろうか・・・ でも、「病は気から・・」 何だから、負けてはいられない。一週間前に会合があったのであるが、気分が悪く早退をした。その会合のメンバーが、次から次へと 「大丈夫か・・」 「医者に行ってきたのか?」 と問うて来る。 実に有り難い事であるが、こちらは、小心者故の病のようなものである。その内治るよ!
2/14 沈み込んでいてもしょうがないと思って、北ちゃんの企画に乗った。集合場所の魚津IC着いたら、お天気が良いからと、大平山・濁谷山を提案され、またまた乗っかる事になった。取り付きの片貝第2発電所に着いたら、「わ~っ」 となった。
凄い急登だし、雪崩の心配も脳裏を過ぎった。しかし、登って行くのである。流石に濁谷山までは遠く、大平山で終着となったが、「北ちゃん」 と 「ねぎちゃん」 にずっと助けてもらった。
3時間半余掛かった登りであったが、降りは早いもので、1時間余であった。そして、雪崩を回避し、別ルートを模索したのもgoodであった。何の詮索もせず、身体だけを心配してくれた山友に感謝である。
2/13 二人とも、ちょっと体調を崩しました。悲観してもしょうがないので、明日から、前向きにやっていきたいと思っています。
「どうしたの?」 「元気?」 などと、ご心配をして頂いていたのに、お返事も差し上げず申し訳ないと思っています。
胃がキリキリしていました。4キロも痩せましたが、もう大丈夫だと思います。
2/4 何故か分からないが、「山ノ神」が、キャンプしても良いと言い出した。急に何故と思わない訳にはいかない。今度は、テンションが下がっている私が戸惑いを見せている間に、縁戚の不幸の連絡が入った。(通夜が6日、葬儀が7日である。)
私の姉のダンナ(先日亡くなった義兄)の姉であるから、何とかやり繰りを出来るのであるが、埼玉から姉一行がやって来る。なんぼなんでも、それを放って山に出掛ける訳にはいくまい。遠方からやってくる御一行に合わせるが、8日(火)の事はまだ分からない。
2/3 雪は止んだが、今度は残された雪との格闘である。重くて固い雪は、徐々に身体に響いてくる。この歳で、あれだけ高く積み上げたくらいだから、まだまだ体力はあるのだと思うが、後々支障が出て来るようでは困る。「いい加減にしたら・・・」 の声よりも、「凄いね!」 「頑張っているね。」 の声が掛かる方が気分が良い。幾つになっても、こんなもんなのだろうか・・・
今度の連休は、県東部の山を目指している。「キャンプがイヤなら温泉にでも泊まろうか? 高岡に戻って、また翌日朝日方面に出掛けるのも何だし・・」 と提案してみたが、「あんたが、温泉に泊まるわけがない。」 とてんで相手にしてもらえない。今までの実績がそうさせれいるのかもしれない。夜遅く宿に着いて、朝食も食べないで、また山に出掛けて行くのなら、車の時間が長くても、家で過ごした方が良いのかもしれない。
2/2 次の連休(2/7~2/8)の雪中キャンプを楽しみにしていたのだが、実行出来るか怪しくなって来た。私としては、まずまずの予報なのであるが、「山ノ神」 は、もう一つ盛り上がらないようである。
お天気が良く、荷は軽く、あまり歩かないなどと難題を投げ付けて来る。そして、暖かく、また、充分アルコール類がある事などと、違った意味でのハードルを高くして、計画を潰そうとしているようにも伺える。
休日の違いから、そうそう雪中キャンプを付き合ってくれる仲間は多くない。ちょっと頼りなく煩いが、そういう面からしても、「山ノ神」は、貴重なメンバーなのである。日帰りで、2日間の山行も良いのであるが、夕日・朝日を拝めないのは、ちょっと寂しい。最も、お天気でなければ、そのような事はあろうハズもなく、唯、「忍」の一字で耐え忍ばなければならぬ事も承知の上でなのだが・・・・
2/1 「身体が痛いのは何故だろう?」 深雪のラッセルかと思ったが、やはり除雪の影響だろうと思う。日頃、ご無沙汰している筋肉を使ったからに他ならない。だから、雪が止んでホッとしているところである。
隣の駐車場に、ブルとダンプが入り、除排雪が行われたが、我が家の駐車場には、高く積まれた雪が残っている。自宅裏の我々の駐車場も、ようやく空ける事が出来たが、まだ移動し切れていない。
「昨日は、流石に山へ行かなかったでしょう。」 と何人かに問われたが、「いや、ちょっとだけ・・・」 と言ったら、呆れて、その後の言葉が出て来なかったようであった。
昨日は、eiko女史・ねぎちゃん・山ノ神・北ちゃんと私の5名が集った。5名の内3名が女性だから、好山病・・の強さの象徴。それが、コンスタントに催し物が続いている所以であると思っている。だから、協調・調和が上手くいっているのであろう。