4/30 晴天・高温の予報が外れ、何だか肌寒く、時折、小雨がパラ着いた一日だった。同じ高岡でも、短時間ながら、ザーッと降った所もあったようだ。それでも、夕方から雨が上がり、宵山(宵祭り)に出掛けてみた。

 高岡の御車山は、国需要有形・無形民族文化財で、金工・漆工の伝統技術の粋が施されている。子供の頃は、差程活気のある山車でないし、食べ物や露天の方ばかりに気が向いていたが、だんだんと歳を重ねる毎に、動く美術館として、毎年同じ物を見るというよりは、一年に一度高岡の宝物を見学に行く意味合いを強くしている。

 「明日は晴れるのであろうか?」  高岡市民は、空を見上げながら心配している。



4/29 「今度の休日はどうする?」 お互いに顔を見合わせるが、イマイチ妙案が浮かばない。今回に限ってであるが、「お金を掛けない。」 「遠くへ行かない。」 は、共通しているところであるが、妥協点を見出すのがなかなか難しい。

 朝早くから、長く歩くのを嫌うであろうし、ちょっとでも怖いのは、始めからオミット(omit)である。そして、私が望むような所には、まだ山菜はないのである。強行突破するか、またまた、私が折れて、ドライブ的な山行となるかは、一両日の天候と、夫婦仲次第のような気がする。



4/28 明日から大型連休が始まる。10連休の人もあるというが、私は2日(月)3日(火)だけである。かといって、最近の記録を覗いて見ても、泊まり掛けで出掛けた事もなければ、大した所へも出掛けていない。お天気周りや子達の帰省などもあり、なかなか思うようにならなかったのかもしれない。イヤイヤ、人混みの中に行くのを嫌ってという事にしておこう。

 昨年は、お天気が良かったのであるが、長男が友達とやって来ていた事もあり、見送ってから牛岳へ行ったっけ。そして、翌日は、北ノ俣岳に出掛けたのであった。今年も差程期待をしていない。お天気を見ながら、「近間の山に行ければ、それでいい。」 くらいの気持ちである。



4/27 食べ物がそうであるように、一年一年歳を重ねる毎に、趣向が変わって行くような気がする。一人で歩くのがつまらなくなったり寂しくなったりする事がある。そして、大勢でワイワイ行くのも考え込んでしまう時もある。でも、常にその反対の事を求める心ありきで、自分のいい加減さにあきれ返っている。

 「山ノ神」へもしかりである。「イヤければ来なければいい。」 などと言い放つが、やっぱり一番長く付き合う山友であって欲しいのかもしれない。それは、今まで知り合った山仲間にも共通するのであろう。

 趣向が変わるのは、体力の所為なのか、わがままだけなのか分からないが、どちらにしても、穏和で協調の道を辿っていかなければ、人生そのものが面白くなくなっていくような気がしてならない。

 「有難う。」 「助かる。」 「嬉しい。」 の気持ちを持ち続けておれば、大体上手くいくのであろうが、すぐに忘れるから弱ったものだ!



4/26 これから否応なしに山菜モードとなる。昨日の山行のように、思ったように歩けなくなるかもしれない。昨夏から、2台の車が1台になったのだから尚更である。かいしょがないから致し方ないのであるが、もう少し余計に歩いてもらえないかと思うのである。

 山菜採りの楽しい事は、充分わかるのであるが、あくまでも、おまけ的に考えたい。それだけで終わるのは、ちょっと寂しい。ましてや、毎週となると、こちらが参ってしまう。一生懸命歩いて、帰りに山菜を採るのであれば、私としては理想的なのであるが・・・・



4/25 やはり行き先が変更になった。ぐるっと回って12時間。その内、山歩きは、林道歩きを含めて4時間半程度であった。夫婦山と決めたが、雨が降っていた。しかし、家の中に燻っていてもしょうがないからと、夫婦山に登るには、ちょっと早い時間であったが出掛けてしまった。

 山登りは、お天気が回復してからと決め込んで、久婦須川上流を目指した。ずっと以前に、西新山を目指した大亦林道を探る事や、発電所の先の桐谷林道にも興味があったからである。でも、結局は、雨の中のフキノトウ採りに終始してしまった。

 桐谷戻り、小井波のミズバショウを観賞してから、夫婦山に挑もうとしたが、残雪の状態をみた「山ノ神」 が、「ノー」 と言い出してしまった。押し切る事も出来ず、五十島を経由して野積川を遡り、反対側の松瀬から登る事となってしまった。

 登山口までの林道は倒木があり、すぐにストップ。歩くのは良いのであるが、フキノトウを採りだすと、すぐに袋がいっぱいになってしまった。それを担ぐのは、やはり私となる。登山道は、雪が溶けたばかりのようで、ススダケもコシアブラもまだ早い。かなりがっかり様子の「山ノ神」であったが、雪割草(ミスミソウ)を見付けた時は、ご満悦であった。

 形通り女峰に登って、男峰を目指すのであるが、昨秋の転落事故以来、「山ノ神」は、ちょっとした岩場でも足が竦むようで、今回も残雪状態を非常に気にしていた。しかし、北側を除けば、殆ど残雪がなく、普通に登れたのである。

 イヤイヤであった「山ノ神」であったが、山頂に達すると、「来て良かった。」 との表情になった。しかし、こっそり担いで来たビールを飲む事もなく、コーヒーで我慢するほど、気持ちの後遺症は深いように感じられた。



4/24 明日の山行に客人が不参加となり、その行き先が、また変更となる可能性が大である。午前中のお天気が宜しくない上に、低温・風が伴いそうで、「無理しなくても良いのでは・・」 と「山ノ神」 が目で私に言う。

 「お天気が良くない。」 「山菜もない。」 そんな所より・・ という事のようである。それも良いのであるが、山路を歩くより、車中から、「あれやこれや・・」 と言われ、その度に車を止めなければならないのも如何なものか。

 でも、こんな時にサービスをしておいて、点数を稼ぐのも一つの方法でもある。しかし、その思いは、なかなか通ぜず、だんだんと「山ノ神」 の術中に嵌っていくような気がしないでもない。

 明日は、どちらにしても、どんな事があろうが、例え低くても、何処かの頂に立たずにはおられない。



4/23 「さて、今度の休日は何処へ?」 今年は、まだ、僧ヶ岳と人形山に出掛けていない。ならばと思ったのですが、予報はあまり良くないのです。林道歩きになるかもしれませんが、行き先を人形山にしたのですが、人様を誘った手前どうしようかと悩んでいる始末です。

 修行のように歩く私のような方なら宜しいのですが、雨が伴うとなれば、面白くも可笑しくもないからです。この時期、林道が開いている時もあれば、まだ閉ざされている時もあります。どちらかは分かりませんが、雪上を歩く楽しみを同行人に教えたい気持ちもあったからなのですが、私の決断がつかず、とりあえず、明日の予報を見てからにした次第です。



4/22 最近はコンスタント?に遅れてしまっている更新状況を心配して下さる方々がある。唯の「ネタ切れ」・「なまくら」 程度に思って頂ければいいのです。かっての 「這ってでも山に行く。」 なんて、豪語していた事も、薄らいでいく感じですし、身も心も順風満帆とはいかないものです。

 当初からの 「山に拘りたい。」 が生命線だけに、どれだけ続けられるのだろうかと思うのも事実です。目標は、小さく低くなっていくにしても、また、面白く可笑しくは出来ないにしても、細々とやっていくのも、良いのではないかと思っているこの頃です。

 「元ちゃんの山歩き」「元さんの山歩き」 を通じて、いろいろな方々と知り合いになれたのも紛れもない事実でありますし、その事に感謝しながら、一歩一歩続けていきたいと思います。自己満足とわがままいっぱいの私に、もう少しお付き合いして頂けたら嬉しいです。



4/21 「山菜の話が頻り。」 私が山菜を採る所(知っている所)は、まだ殆どが雪の中である。フキノトウでさえ、ようやくというところです。「山菜なんて・・・」 とか、「わざわざ山菜だけを目的に山に行くなんて・・」 とか言っていた私であるが、最近は、「山に登って山菜があれば最高。」 そして、「山菜が目的の山行であってもよい。」 に変わりつつある。

 てんぷらや昆布締めなどで、美味しく頂くのも嬉しいが、採るのも実に楽しい。そして、その収穫を当てにしてくれる友人や、ご近所に届けるのも楽しみの一つとなって来た。そんな日が待ち遠しくて仕方がない。



4/20 やっぱり長い間運転したからであろうか背中が痛い。山中にいるより、運転時間の方が長いのだから、しょうがないのだろうが、こんな事にも歳を感じてしまう。撮った写真でも、背中が丸くなっているような気がするし、アップにも耐えられない姿になっている。どれだけ強がっても、しょうがないのか・・・・

 

4/19 奥多摩(東京)の山に行けるとは思っていなかっただけに、そういう面からして、今回の遠征は、埼玉の姉との共有時間もあったし、本当に良かったように思う。一座一座に理由付けが伴ない忘れられない(すぐに思い出す。)ものになる。山の云々ではなく、その行程に何かを感じ思うのである。

 私の目標とする「山旅」には程遠いが、まだ 「行ける。」「歩ける。」 「思いがある。」 の他に、自慢に値しないが、まだ少なからずの体力を残している。この先、時間は何とかなるにしても、また、贅沢しないにしても、ちょっとばかり兵糧が足りない。しかし、それは、元気でさえあれば、自分の熱い思いで克服出来るような気がする。

 そして、登るが故に、「富山の山」 の良さが改めて分かる。「何度でも登る。」 「何処へでも行く。」 そして、「いつでも行く。」 それは、終着点でなく、ずっと持ち続けたい。



4/18 「幾つになっても姉は姉。私は紛れもなく弟で、兄にはなれない。」 また、「自分の身体が病んでいるのに、私の身体の事を随分と心配してくれた。」 「たくさんでもないが、両親を交えた昔の事を懐かしく語り合った。」

 昨夜は遅かったし疲れたのかもしれない姉は、ぐっすりと休んでいた。起こすのも気の毒だったが、黙って行くわけにもいかないし、そっと声を掛けた。出発のタイムリミットを告げたが、「あれも食べろ、これも持って行け!」 と気を遣ってくれた。後ろ髪を引かれる思いで、アクセルを踏んだのが午前5時であった。

 圏央道「青梅」で降り、カーナビのもたない私達は、大岳山の登山口を探すのに結構苦労した。通常の御嶽山ケーブルカーを利用しない方法をとったからかもしれないが、高額の駐車料も嫌気に輪を掛けた事も事実である。奥多摩側から鋸尾根を経由するつもりであったが、地図を見ると、1000m付近まで(大ダワ)林道を利用すれば、「山ノ神」が余裕を思って登れるだろうし、もう一つの山(三頭山)にも登れるのではないかと目論んでいた。

 しかし、その林道が、なかなか見付からなかったし、ようやく見付けて車を入れれば、関係者以外入山禁止や落石の危険の看板が立てられていた。森林組合の事務所があり、一声かけて入ろうかとしたが、朝が早く鍵が閉まっていたので、仕方がなく、車を上げたが、またまた「車を入れるな!」 との看板を目にして、諦め始めた所へ、地元のワサビを見に来たというおじさんが、「入っても大丈夫だ。」 と太鼓判を押してくれたので再び車を進めた。所々に大きな石が林道に転げ落ちている様に、「山ノ神」は不安がいっぱい。また、こんな所まで林道があるのかと思う程であった。何せ標高350mから1,000mくらいまで、一気に高度を上げるのであるから・・・・

 大ダワから鋸尾根に出てしまえば、緩やかなアップダウンが何度となく繰り返すが、1時間余で、大岳山頂に辿り着いた。東京の街が望めるのであろうが、生憎の空模様では、それこそ「何にも見えない。」 のであった。山頂では誰もと会わなかったし、下山路で単独行の二人と会っただけで、人口の多い東京であっても、平日のお天気の悪い時には、登る人達がいないのかもしれないと思った。

 再び青梅街道に戻り、三頭山登山口の一つ「都民の森」 を目指した。せっかく行ったのに閉園と言うことで、徒歩で15~20分程戻る駐車場に止めてからの出発となる。しばらくは、公園の中を歩く感じなので、何となく変な感じであったが、何であっても登ってみなければ分からない。東峰(三角点)と中央峰(最高峰)に至ったが、ポツリと雨が落ちるようでは、展望も何もあったものではない。また、誰とも会わなかった。

 大岳山頂で食事をしようと思って、カップ麺や水、ガス・コッフェルを出したが、肝心のコンロが見当たらない。それでは、コーヒーさえも楽しむ事が出来なかった。「可笑しい、可笑しい!」 と言ってみても無いものは仕方がない。そんな事で、それらを持ち上げてもどうしようもないわけで、三頭山でも寂しいものとなった。

 塩山から勝沼へ抜け高速の人となったが、100キロは岡谷で一旦降り、岡谷から松本まで再び乗ろうとしたが、すぐに入る事が出来ず、ガソリンスタンドに飛び込んでから方向転換した。上高地公園線に入ってからは雨が強くなった。でも、午前0時丁度に我が家に戻れた。全走行距離は、約1,000キロであった。



4/17 「上信越経由にしようか・・」 と言いながら話し込んでしまって、上越JCTを通り過ぎてしまい否応ナシに関越経由となる。それでも、「ゆっくり楽しみながら行こう。」 と随分と休憩する機会を取り、また、それに時間を掛けた。姉は、「楽しい楽しい!」 を繰り返し、良く喋った。姉の来高機会は、それなりにあったが、私の方が来埼しなかったためかもしれないが、盛んに、「こんな事は、初めてかもしれない。」 と言っていた。

 ちょっと身体を壊している姉だけに、ゆっくり行くスケジュールだったが、意外と早めに着くのではないかとなった。そこに「山ノ神」が、川越へ行ってみたいと言い出した。「山だけだったハズ・・」 と言ったのであるが、後々響くのではないかと思い渋々承知したが、上里辺りから車が混み始めた。今年は、東日本大震災の影響から、観光する人が減っていると言われているが、日曜日の日中に、車を走らせる機会が少ない私だけに、人にも車にも酔ってしまいそうであった。

 それでも、川越に出掛けたという実績?が、「山ノ神」 にとっても、私にとっても、意味は別であっても、重要であったような気がした。街の事情が分からぬ事から、ずっと離れた所に駐車してしまい、足の悪い姉を待機させて、ちょっとの時間だけ、足早に街並みを歩く羽目になってしまった。

 それでも、「楽しい!楽しい!」 と言ってくれる姉に、何となく不自然さを感じたが、私も「ホントだね。」 と相づちを打っていた。まだまだ喋りたかった姉であったろうが、「明日は早いから・・」 とシュラフの中に入った。



4/16 埼玉行きが正式決定。送って、その日の内に帰れば、圏央道の料金を入れても、往復3,000円で収まるの腹づもりのはずであったが、「山ノ神」 は、「何処かの山に行けないか?」 との提案、それが、ダメなら、「娘の所へ行かないか?」 とまで言い出してしまった。それこそ、「あんただけ行って来られ・・・ 」 また、「いつの日か改めて出掛けては如何?」 などと逆提案したが、何処か不機嫌な顔が収まらなかった。

 ではではと、奥多摩の「大岳山に登ろう。」 になり、迷惑であろうが、姉宅に泊めてもらって、翌朝早く出発させてもらう事にした。泊まるとなると、寝具は、シュラフが有り、食事は、コンビニでビールとつまみを買えばそれで良し。



4/15 埼玉から姉がやって来た。私の休日に引っ掛かるのが、ちょっと気兼ねだったようだが、とにかくやってきた。その様子を見ていると、いとおしくなり、埼玉まで送らなければと思った。後何回会えるか分からないと思えば尚更である。

 ハレルヤ山行には、別企画で不参加と申し述べしてあるから、そんな不義理はない。そして、今年は、「何が何でも・・」 を、なるべくなくそうが、私のテーマであるから、それに、のっとったに過ぎないが、「山ノ神」 が、「本当?」 と、ビックリしていた。

 その「山ノ神」 は、1㍍でも遠い所主義、そして、車が大好きである。おまけに、送った帰りに、「何処か行く山はないか?」 とまでいう。



4/14 昨夜は、会合の後、仲間と午後9時半頃から、1時間程度、古城公園の夜桜見物に出掛けた。今宵は、「山ノ神」 と、家にあった食材を担いで、再び古城公園に出掛けてきた。「満開近し」 そして、風もなく割と暖かであったが、これも震災の自粛ムードからであろうか、例年に比べて人出は少なめに感じた。

 お花見と言えども、「山ノ神」 と二人であるから、特別はしゃぐわけでもなく、灯りで照らされた桜を眺めながら、また、真上のお月様に目をやりながら、時々「わ~っ」 と上がる人様の歓声を耳にしながら、唯、黙々と飲むだけ?であった。

 質素なお花見料理であっても、「山ノ神」手作りの料理に、ちょっと工夫を凝らした「湯豆腐」と、銚子まで用意しての熱燗とくれば、そんじょそこらのグループには負けない雰囲気。そんな事もあってか、若いカップルや、若い女性グループから、カメラのシャッター切りを何度も頼まれた。 (唯、それだけだけで・・・)



4/13 東日本大震災の余震が続き、復興にも長い時間が必要のようです。「頑張ろう!」 が、なかなか思うようにならず、日本中、元気がないように思います。また、私自身も悩みが多く、身の回りにも不幸が続き萎んでいます。でも、やっぱり、このままではいけないと思います。「自粛」 ムードを払拭し、平常通り過ごさなければいけなのではないでしょうか・・・・・

 山歩きなどは、歩きたい時に歩けば良いし、何ら、震災に結び付ける事などないと思います。被災者に申し訳ないとお思いなら、そのような気持ちを持って歩けば良いし、義援金や被災地の商品の購買など、他に、どれだけでも方法があると思います。自粛・停滞は、日本経済には決して良くないような気がします。

 それでもとお思いなら、「修行」のつもりで、また、「祈願しながら・・」 ではどうでしょう。「山頂で一杯・・」 なら、それを控えるやり方もあるかもしれません。あっ、そうそう、何処かのスポーツ選手がやっているように、「1回の山行に付き、○○円の義援金とする。」 のも良いかもしれません。



4/12 長い間、山に登っていると、いろいろな事がある。道に迷った事、雪庇を踏み抜いた事、滑落して危うかった事、落石に遭った事、テントを吹き飛ばされた事、増水して沢を渡れなかった事など、数えれば切りがない。

 でも、山中で、ケガや病気をした事は意外と少ない。18年10月に、不帰岳の藪中で、小枝が眼球を突いた事や、21年6月に、薬師岳の下山中転倒して、左手薬指を脱臼した事くらいかもしれないから、救援・救助や捜索のお世話にはなっていない。

 昨日の洞山で、雪の中に埋まっていた枝が跳ね返り、私の右目を襲った。その痛さに、尻餅を着いてしまったが、後は、少しの痛さと、目の中が、コロコロした程度でも、充血した目を周りが心配するのであった。

 帰宅後、万が一のため、眼科医で一応の検査をしてもらい 「たぶん大丈夫!」 との事であったが、念のためもう少し経過をみようという事になった。みてくれは悪いが、少しの違和感だけで、どうって事はない。「お花見のお酒を控えるように・・」 の方が辛いかもしれない。



4/11 お昼から雨の予報。そして、あまり早くからの行動に釘。また、夕方からの所用を加味すれば、行き先選定に苦慮となる。そこは和気藹々の仲間故、簡単な山(夏道もある洞山)に異論はなく、すんなり決まった。

 雪解けが進んでいても夏道があるからと思いきや、ちょっぴりヤブに悩まされた。それでも、イワウチワやショウジョバカマのお花を楽しみ、今日は、一回になってしまったが、時間を惜しまずティータイムを設け、また、スノーシューの滑り方の講義まであるという、正に「大人の山行」と我々は感じた。

 速さばかりでなく、いや、そのような事が出来なくなって来たからかもしれないが、新しい山行スタイルを模索する中で、面白さや豊かさを見出しつつあるような気がする。

 靄った山頂は想定内。シャベルもタープも使ったお馴染みのスタイル。登山口近付いてからのフキノトウ採り。雨に祟られても、満足の一日を過ごした思いがする。



4/10 明日は、ちょっと怪しいお天気。でも本当に降るのだろうか?  まあ、どちらでもいい。忙しい中、4名も揃うのであるから、どんな簡単な山でも良い。山であれば、何処でも良いのかもしれない。「ワッハハハ」 と、きっと、山にこだまするだろう。



4/9 先日の「髙幡山・横岳」を終え、車に乗った途端に、目が痒くなり、クシャミが止まらなかった。家に戻っても、それが続き、食事時もグズグズやっていた。翌日の「大倉山」に入ったら、あの目や鼻が何ともなくなった。でも、やはり車に戻れば、前日同様な症状が出た。しかし、それ程酷い事もなく、ちょっとの辛さを、我慢すればよい程であった。

 自分は、花粉症なのかどうかは分からない。それは、医者に行って診断を受けたわけではないからである。外に出て家に戻れば、それが、ちょっとであっても、目が痒くなり、鼻がムズムズする。 どちらにしても、もうちょっと我慢すればよい。しかし、このようなものは、薬だけに頼るのではなく、自分で何かを見付けなければならないような気がする。



4/8 市美術展の募集が終わった。今年は、これはと思う作品もなく、その気にもなれなかった。最も応募される方々のように、素晴らしいカメラを持っているわけでなく腕もない。数多く撮った中で、たまたま、「お~っ」 と思うような物があった時だけ、ちょっと、その気になるだけなのである。

 でも、ちょっとだけ気に入った写真がある。昨年の県美術展に応募しようと思ったのですが、プリントした段階で、色合いが気に入らず没とした経緯がある。しかし、やがて一年も眺めていると、「なかなか良いではないか。」 と思うようになったのですが、「独り善がり」 である事に気が付いたのでした。それこそ、ちょっと大人になったのかな。



4/7 今年は、何故か周りに不幸が多い。直近の3日間でも、親戚・知人と3人の方々が亡くなられた。そんなところへ、今度は、朝日町の直美さんの訃報が届いた。昨夏、白山室堂で声を掛けて下さった事もあり、2度ほどメールをやり取りした事がある。

 そして、今年1月のハレルヤ山行で、馬鬣山へ、ご一緒する機会を得た。付き合いそのものは、そんなになかったのですが、彼女のブログ(hoochieの日記)を見るようになってから、その生き様に感動していました。

 「いい人ほど、先に逝く。」 「悪いやつほど、よく眠る。」 何だか、私にも当て嵌まるような気がしてならない。「自分の事しか考えない。」 そんな日常に決別し、「どのように一生を終えてくのか・・」 を考える年齢に達したのかもしれない。



4/6 ようやく暖かくなって来たのですが、桜の開花は、昨年に比べて少しばかり遅いようです。来週初め頃が、ちょうど見頃になるのではないかと思いますが、好山病のお花見は中止となりました。

 大地震で自粛ムードが漂う中、日本が元気を取り戻さなくてはならぬのですが、メンバーが揃わぬだけでなく、その雰囲気を突破する事が出来ませんでした。昨年(4/5)は、突然の招集にも関わらず10名が集った好山病お花見宴会でしたが、今年は、「山ノ神」 と二人だけになりそうです。



4/5 今日も、昨日に続き絶好の山行日和なれど、私に付き合ってくれる常連さん達は皆ダメ。(北ちゃんは所用、ねぎちゃんは仕事、山ノ神は歯痛) この時とばかりに、日頃ご無沙汰している知人に、ちょっとばかり声を掛けてみたが、これも皆振られてしまった。3日の段階で、「大倉山」 と決めていただけに、一人になっても行かぬわけがない。

 桑首林道には、まだ雪がいっぱい。そして、デブリが凄かった。(こんなに酷いのは初めてだ。) 放射冷却で冷え込んだため、沈まなくて良かったが、登山口辺りは、変な足跡が凍っていて難儀する場面もあった。しかし、全般的には歩き易かった。

 大倉山の大展望は、いつもに増して素晴らしかった。独り占めかと思っていたら、濁谷山でキャンプのパーティーがおられた。(あちらも、ビックリのようだった。) 下山時の1,200m付近で、単独行の男性と擦れ違ったが、少し離れていたからか、それとも鬱陶しいと思われのか分からないが、声を掛けたが返事がなかった。



4/4 「北ちゃん」 を横岳を誘った。申し訳ないので、髙幡山も付け加えた。「山ノ神」 同行のため集合時間を早めた。今年は残雪が多く、佐古の集落の中で車がストップであったが、髙幡山へ直登ルートを取るつもりであったから何の問題もなかった。

 神社横から、びっしり雪が付いていたため、クラストした斜面を気持ち良く歩けた。アップダウンが全くなく無駄のない斜面を、唯ひたすら登るのである。その尾根は、かなりの急登であったが、雑木の広い尾根で実に気持ちが良かった。(もしかしたら、スキーの斜面には適しているのでは?)

 心配した「山ノ神」 の頑張りがあり、予定よりかなり早く髙幡山頂に辿り着いたのであるが、如何せん冷たい風にいたたまれなく、コーヒータイムを、横岳側の白樺林まで我慢する羽目になってしまった。その後の横岳への足取りは順調に推移し、早めの昼食に有り付く事が出来た。しかし、横岳山頂も寒く、一段降りた斜面で、シェルターを作らなければならなかった。 富山県側は、ガスで遮られてしまったが、薬師岳から御嶽山まで、遠くは白山までの展望に頗る満足であった。

 

4/3 明日・明後日は、晴天の予報です。キャンプは止めましたが、2日間とも予定が出来ました。思いっきり歩けるような気がします。



4/2 「もうちょっと、しっかりしなくては・・・」 と、「もう、どうでもいいや・・・」 が行ったり来たり。お酒を飲んだら眠たくなる。今までは、「飲んでもやらなければ・・」 の思いが強く、「何が何でも・・」、また、「どんなに遅くなっても・・」 と頑張っていたのですが、「とにかく寝よう。」 とか、「起きてから・・」 というような事が、どんどん多くなって行く。

 体力がなくなってきたからに他ならないが、自分ながら何だか惨め。「PCの前でコックリ・・・」 それよりも、「椅子から転げ落ちる。」 等々。恥ずかしい。コップ2杯のお酒は多すぎるのかもしれない。体力が落ちてきたのだから、お酒の量も落とさなければならないのかもしれない。

 お酒呑みというものは、「もうちょっと・・」 が欲しいのであるから、少なくするのは難しい。ならば、イベントとか、何か嬉しい時以外は、飲まない事にしようか・・・ そしたら、身体にも家計にも優しいかもしれない。



4/1 「もうご存知と思いますが・・・ 今回の地震の影響で、剣岳が3011大汝が3009 と逆転したとニュースで聞きました!」  なぁ~んて、メールが来るかと思っていたのですが・・・ 今年は体調不良ですかなぁ?

 こんなメールが、夜になって届きました。本当のところ、今年はどんなネタでいこうか、面白く、人様を傷付けず、笑いこけるようなものにと、頭を捻っていたのでした。でも、その出来は、あまり面白くなく、震災で落ち込んでいるこの時期に、相応しくないと思えて途中で止めてしまいました。

 「何でもコーナー」に、載せては消し、消しては載せてみたのですが、結局は、「自分よがりに過ぎない。」 の結論に達してしまったのでした。来年も、このHPが続いておれば、その時に、また、違ったコーナーにでもと思っています。