5/31 昨年も、そうであったように、この頃は、山菜採りに傾斜してか、仲間との山行機会が少なくなって来た。「3~5月頃の山が一番楽しい。」 と言っていた私であるが、その内の5月が、外されようとしている。

 まだまだ、残雪に乗っかり、その筋の山々に行けるのだけれど、自分だけの事を考えていて良いのかと思うようになったのと、山菜採りも、山を楽しむ一つであるという事が、分かって来たからかもしれない。

 昨日も、日程が合わない他に、お天気があのような荒れ模様では、誰にでも、声を掛けれるものでないし、どうしても、融通が利く、「山ノ神」との山行が多くなってしまう。「ああや、こうや」 と言っても、「山ノ神」が、一番の山友であるし、これからも、そうなるであろうから、あまり蔑ろには出来ないが、二人だけでは、喧嘩にもなるし、自分の思いが、だんだんと狭められて行くような気がしてならない。

 西種側から入った高峰山であったが、今日になって、「北ちゃん」と田村氏が、鳥越峠から高峰山に登ったと知った。所用があり、山を諦めていた「北ちゃん」であったから、まさか、雨の中にやって来るとは思わなかった。もちろん私達が、高峰山に来ているという事を、「北ちゃん」達も、知っているハズがなかったのであるから・・・

 2~3週間も一緒していないと、「友恋しいものであるから・・」、もし、高峰山で、ばったり遭っていたら、それこそ感動ものであったに違いない。雨の中を、違った所から登って出遭うのであるから・・・ それが、例え低山であってもである。



5/30 普段と変わらない程に起床したのですが、シトシト降る雨に、志気が上がりませんでした。昨日よりは、風も弱くなったような感じでしたが、山沿いには大雨警報なるものが継続していましたし、ゆっくり構える事にしました。

 それにしても、「風に揺れて、家がミシミシと軋む音に怖い。」 などと、言っていた「山ノ神」が、声を掛けなかった所為もあるのですが、いつになっても起きて来ませんでした。 (大物なのか、小物なのか分かりません。)

 「お山のてっぺん」 と、「少しでも山菜の可能性」 で選択したのが、上市の高峰山でした。西種からの林道は、「山ノ神」の言う 「危険性排除」に沿っていないと、渋い顔をされたのですが、一度擦れ違う車に出くわしたものの、後は、少々ガタガタ道を我慢すれば、楽な山行となってしまいました。 (ため池から、歩くつもりでいましたから・・・・)

 雨だから、歩く距離も短いし、「コンロやコッフェルなど持って行かなくてもいいじゃない?」 と言っても、「止むかもしれないから・・」 となった。「ザックに入る山菜の量が少なくなるよ!」 と言えば、「そんなにあるわけがない。」 となった。

 ところがです。「一眼レフのカメラを持って行けば、お天気が良くない。」 「持っていなければ、お天気になり悔しくなる。」 よくこんな話がありますが、今回も、このような話と似ているところがありました。どれだけ・・ 何処に・・・ (普通に歩いておれば、誰にでも分かる所です。)

 雲の中に隠れた剱岳を思いながら、もちろん山頂に立ち、コンロを出しました。誰にも味わえないコーヒーを飲むのも、また格別なもの。(負け惜しみの感!)



5/29 大型の台風2号も、右に旋回して、明日の休日は、晴れないまでも、雨に祟られる事はないだろうと、高を括っていたのですが、温帯低気圧に変わった途端に、北陸の予報は、傘マークが多くなったように感じています。

 「今年から、何が何でも・・・」 を止めようと誓った? いや、思っているのですが、山は、私のフィールドで、トレーニングジムのようなもの。サボるわけにはいかないのです。やっぱり、何処かに行かなければなりません。

 行き先は、朝起きてからなると思いますが、「山ノ神」 と、山への思いが違うだけに、また、一悶着があるかもしれません。でも、どんな所であろうと、出掛けない事はありません。



5/28 定かではないのですが、ちょっと前、欲張りな私は、新たな何かを求めて、二つのブログを始めました。大袈裟に公表しようと思いませんでしたし、「元さんの山歩き」に、なるべく重複しないようにと心掛けた事も事実でありました。

 でも、現在のHPでさえ、やっとの思いで繋いでいるのに、次から次へとネタが思い浮かぶものではありませんでしたし、安らぎを求めるなんて、とんでもなかったように思います。そんな事もあり、昨日、正式にブログから撤退する事にしました。

 気持ち的には、随分楽になりました。でも、現在のHPの事も考えながら、どのような道を歩めばいいのか、時間を掛けて検討してみたいと思っています。本当は、全く違った分野で、「こっそり」を企てたい思いもあるのですが・・・・



5/27 初詣や祈願で訪れる神社側から、「お願いばかりしていて、お礼参りがない。」 と聞いた事がある。もう一度来て欲しいという営業的なコメントだと思っているが、真意は分からない。

 我がHPに、「山の情報」欄がある。以前は、事細かに積雪状況から、紅葉の程度などを載せていたのであるが、最近は、感覚的なものをあまり載せないで、時折、自分が、目にしたものを載せるに留めている。

 でも考え込んでしまった。例えば、「通行止めの標識があった。」 と載せておいて、「解除された。」 を載せないのだから、先の神社側のコメントとは違うとは言え、中途半端な情報は、如何なものかと思うようになったからである。

 「昨日は、通行止めでも、今日は解除されているかもしれない。」 と思うと、私の情報で、山行計画にしわ寄せが及んでいるとなると、「申し訳なかった。」 となってしまう。勝手に取る情報だから、責任はないのかもしれないが、翻弄した事にかわりはない。

 通行止めのゲートにもいろいろあり、それに出くわすと本当に悩んでしまう。「動かす事の出来ない頑固なゲート」 なら諦めも着く。そして、片手で簡単に除けられるものは、「注意して行かれ。」 と勝手に解釈したりしている。「動かすには手間が掛かるし、動かせない事もない。」 ようなものの判断には、イヤハヤ悩んでしまう。でも、私は後退するか、そこから歩く事にしている。



5/26 昨日に述べた牛岳林道、ならば、「山田温泉側から入ってやろうではないか・・」 と、午前3時起きでスタートした。「そんなに早く行ってどうするの?」 と思われるかもしれないが、午前7時半前に家へ戻りたいというスケジュールからである。

 23日(月)にも、ある程度のワラビをゲットしたのであるが、あの通行止めで、牛岳を自由に歩けず不完全燃焼気味であったし、最後のワラビ取りと決め込んでの出動であった。最近、山菜採りに興味を持ってきたが、山菜採りだけで休日を過ごすのは、やっぱり自分のポリシーにはなく、あくまでも山歩きの付録(おまけ)という位置付けである事に変わりはない。

 でも、その妥協点として、仕事前に出掛け、その仕事に影響がないのなら、「年に1~2度くらいなら、やぶさかでない。」 と思っているからである。しかし、今回は、富山側(山田温泉側)からであり、果たして、思うようなタイムスケジュールで行けるものかという試験的な考えがあった。また、牛岳には、どことなく愛着があるからかもしれない。

 まだ夜が明けぬ山路を、寝ぼけ眼で車を走らせたのに、山田温泉から谷集落を抜け、鍋谷集落に差し掛かった所で、「で~んと、通行止め標識があるではないか・・・・・・」   「せっかく早く来たのに・・」 と唖然としてしまった。「動かせないでもない。」 のであるが、私の心が許さなかった。

 仕方なく折り返して、帰宅の途に着いたのであるが、諦めきれずUターンをし、標識の前に車を止めて歩く事にした。「3~4キロくらい、どおって事ない。」 そうなれば、朝のドライブから、朝の散歩に切り交わった事になり、少しは心が和らいだ。

 目的地に長居する事は出来なかったが、例年並みのワラビをゲットする事が出来、そして、樹木の間から、立山連峰を遠望しながらの林道歩きも気分が良かった。これも歩けばであるが、鍋谷集落の中の道を辿れば、通行止めに関係なく先に進める事が分かった。しかし、トンネルから庄川方面が土砂崩れのため通行止めとある標識に抵抗する気にはなれなかった。



5/25 「山田温泉側から谷集落を経由して、牛岳山頂まで行き、その帰りに、庄川側に抜けようと思ったら、トンネル手前で通行止めになっていた。」 と友人から聞いて、「え~っ、私達は、庄川側から入って、山頂、または、山田温泉側に抜けようと思っていたのに通行止めになっていて、山田村側に、何か障害があるのではと思っていたのですよ。」 と答えた。お互いの話を総合すると、庄川側の林道の方が荒れていたようだったが、通行止めの標識の場所に、問題がないでもないような気がします。

 他の林道においても、通りたい者にしてみれば、何でもないと思っていても、何かあったらイヤだと思う当局の考え方があり、難しいところである。また、責任逃れと思われる(自己責任を強調?)簡易的な標識もあり、絶対に入れないという所と温度差を感じる。そして、山菜を採られたくないからであろうか、集落の知恵を感じる所もあり、登山だけに来た時は、寂しく感じる時もある。でも、登りたい時は、どれだけ長い林道であろうが、歩くのであるが・・・・



5/24 縄ヶ池からの登山道を初めて登ったが、きれいに整備されたものであった。少し急登であるが、40分くらいで、登山口の標識と道宗道の標識がある林道に出る。縄ヶ池駐車場から、奥つくばね山や草沼山を巻いて伸びている林道を経由して来られれば楽なのでしょうが、今は残雪が多く車では来られない。

 もっとも、標識のある所まで車を乗り入れできるかは分からないが・・・ かって(5年前)、秋口に車で来た事があるが、伸びた草木で往生した事があった。今回は、その林道(4~5キロ)を、帰り道として雨の中を歩いたのであった。

 はっきりとして記憶していないが、5~7年程に高清水山の夏道が整備されたのが、その標識から20~40分程の登山道である。今は、これも道宗道として整備されて八乙女山まで延びている。



5/23 「山菜採りもいいが、何処かのてっぺんに登りたい。」 という私の気持ちが通じたのか、「山ノ神」が、午前6時の出発に間に合わせてくれた。山菜は、牛岳と人形山に絞っていたが、お山のてっぺんは、牛岳か袴腰山くらいに照準を合わせていた。

 しかし、牛岳林道と人形山の林道の思いも寄らぬ通行止めには、完全に計画が狂ってしまった。平スキー場辺りで、「縄ヶ池に行こうか?」 となった時には、お山のてっぺんに立つ事を半ば諦めていた。

 しかし、ミズバショウの遊歩道を歩いていて、「山ノ神」が、クマに囓られていて、何が書いてあるのか分からない標識を見付け、「これはもしかしたら、高清水山への登山道ではないか?」 となった。

 ちょっとだけのつもりで言った「山ノ神」であったが、歩く事を止めない私に、途中で帰ると言い出した。それもその筈、山用具一式は車の中にあり、お互いに1本の傘を持っているだけであった。ましてや、手袋もナシであるのだから・・・・

 5年前の10月に、日溜まり峠方面から、高清水山頂に達した事があるが、後は、赤祖父山方面からと、積雪・残雪期に高落場山からしか来た事がなく、縄ヶ池から直接登った事がなかった。

 お天気は、予報通り午後から雨になって、気温も低かったからとても寒く感じた。仕方なく付いて来た「山ノ神」であったが、私の「もう少し、もう少し・・」 に何度も足を休めてしまった。標高1100mくらいで、登山道が雪で消えてしまった。

 ヤブの中に入ったが、リスクが多い事と、約束の時間を、かなりオーバーした事で、撤退を余儀なくさせたが、途切れた登山道を改めて眺めて見ると、境界沿いの尾根に沿わなければならなかったようであった。(帰って地図を見てもそうであった。)

 標識のある林道に戻ったら、「山ノ神」は、登山道を降りるのがイヤだと言い出した。「林道歩きは、2~3倍も掛かる。」 と言っても、その方が良いと頑張った。仕方なく雪が残る林道歩きとなったのであるが、そのお陰で、タラの芽やウドの収穫があった。

 でも、濡れた衣服の所為で、身体や手がとても冷たくなり、これで良かったのかと、ちょっぴり反省の歩きとなった。しかし、林道歩きが好きという「山ノ神」と、山歩きに関して、これから、どのように向き合っていけば良いのか、考えなければいけないようである。



5/22 「ありゃ!」 明日の午後から傘マークが現れた。ならば、「山ノ神」 と別行動してまで、高い所へ行く事もあるまい。早朝の山菜採りと、近間の低山に変更しようかと思うが、これから、「山ノ神」 と交渉せねばならない。

 その「山ノ神」、「採るのは好きだからいいのだが、採った後の事を思うと・・・」 などと、今までにない事を口にしている。一緒に行く行かないは別にして、車を取られるのだけは防がなければならない。でも、「山優先」の不文律が、我が家には存在するから、心配する事もないが・・・・



5/21 暑い日が続きます。明日は傘マークがありますが、大崩れしないようです。そして、月曜日は曇りとなっています。「さて、何処へ行こうかな?」 山菜採りもいいのですが、やっぱり、どんなに低くとも、何処かのピークに登りたいのが私の思いです。即ち、下山時に採るのが理想的。或いは、下山してから採ってもいいのですが・・・・

 最近は、山菜採りの所為で、両足とも傷だらけです。これも、敏捷性の欠如から、いろいろな障害物痛み付けられています。傷だけでなく、ズボンが破れるやら、サングラスを落とすやらで大損害です。でも、採るのは楽しいですから、もう少し続くようです。



5/20 昨秋頃から、80歳のE氏に、60歳のN氏と、私とを交えた3人で、一席を設けて欲しいと頼まれていました。E氏はN氏の恩師で、N氏は優等生だから、過去に何度か同窓会でお会いしているらしいのですが、後は、年賀状のやり取りくらいらいのお付き合いのようでした。

 私は仕事を通じて、お二人を存じており、N氏に了解を取り付けていました。今年の桜が咲いた頃か、その後の気候が良くなる頃を目安にしていたのですが、例の大震災が起こり、心を痛められていたE氏から、「私から言い出した事だが、今は、とても、そのような気持ちになれない。」 との申し出があり、その事情を察知した私は承諾をするしかありません。それを、N氏に伝えたのですが、いつもの調子良さから、「山菜の採れる頃、二人で飲みましょうか。」 とも言っていたのでした。

 先日、「山ノ神」から、「採った山菜を、自家消費やお裾分けもいいが、N氏を呼ばなくてもいいの?」 と、言われてしまったのでした。忘れていたわけでもなかったのですが、「それもそうか・・」 と尻を叩かれた序でに、、E氏のスケジュールを確かめつつ、今日に至ったのでした。

 ところが、直前になって、「果たして、N氏は山菜が好きなのだろうか・・」 と確かめもしなかった自分に気付き、少々不安であったのですが、「私は何でも、いけますよ。」 のN氏の言葉に安堵しながら、我が家で、「山ノ神」も交えて、ささやかな宴が始まったのです。

 共通点もなく、学識や性格の違いを明らかに感じるのでしたが、意外と屈託がなく和やかの中に、笑いが渦巻き話が弾みました。当初は、「2時間も保つかな?」 などと心配していたのですが、時計は日を跨いでしまいました。仕舞いには、「いつか、穏やかな山行を、一緒に・・・」 とまでなり、またまた、いい加減な事を言ってしまったような・・・ でも、そのような山行や人生を、私が求めているのかもしれません。



5/19 ずぼらになってしまった私のようなHPにでも、問い合わせや激励のメールが届くと、実に嬉しいものです。寝ぼけた眼が、一時でも、ピリッとするのですから・・・・何をくだらない事を記しているのかと、自分でも思うのですが、「イヤければ、見なければいいのです。」 の開き直りで続けている次第です。

 誤字脱字は下より、更新してもUPを怠ったり、また、辻褄の合わない記述の連続で、「穴があったら入りたい。」 気持ちでありながら、図々しく続けているから可笑しいなものです。

 「元ちゃんファン・元さんファンがいるのですよ。」 に絆されて、訳の分からぬ事を、今日も綴っているのです。「止めたい・・」 は、何だか私の人生自体を、否定してしまうような気がするものですから、ついつい思い止まってしまうものです。

 「イヤければ・・・・」 の他に、「止めるのは簡単!」 を付け加えれば、飄々と続けられるというものです。60年間続けて来た人生ですが、この先は、それより身近いのは確実です。そんなに悩まなくても良いのかもしれませんが、悩むのも人生のような気がします。



5/18 急に暑くなってきた。もう雪のある所で、キャンプをしないとなれば、冬物と夏物?の入れ替えをしなければならない。スノーシューやカンジキの他に、ジャケットや手袋などがあるが、小物というものも結構ある。仕舞う前に、もう一度、陽に当て乾燥するようにしている。

 また、なかなか出番のない物や、通年必要なものであるが、余程でないと使う事のないものでも(ツエルトなど)、時々出して見て、点検をしておかなければ、蒸れていたり脱落していたりして、イザという時に間に合わない時もある。

 私は、雨具やシュラフでも、家に戻ったら収納袋から出して、吊すようにしている。そして、出番の時に、収納袋に入れる事にしている。その方が長持ちしそうだし、気分も良いような気がする。

 登山靴も、時々、ソールの状態を確かめておきたいものだ。はぐれると、情けない思いをしなければならない。それから、もっと大事なのは、忘れ物をしない事かもしれない。



5/17 終わってみれば(行って来てみれば)、やはり行って来て良かったと、「山ノ神」は言う。それは、家にいても、それまで溜まっていた家事を、こなすのではなく、テレビを見たり、布団の中で長く過ごす時間が、多くなるからに他ならないからであろう。

 そのような時間を、私は近年過ごした記憶がない。もっとも、雨が降っていて、「どうしようかな?」 と思い、外を眺めながらコーヒーを飲んでいたような時間はあっても、ゆっくり家の中で過ごした事などないに等しい。

 山行の中味はどうであれ、「休日は寝ていては、もったいない。」 「出来るだけ、外で過ごしたい。」 が原則で、出来れば、気のあった仲間と過ごせればもっと良いし、新たな出会も期待しないわけでもない。

 出来ればであるが、「休日は、ずっと起きていたい。」 気持ちであった。だから、山行前夜のHPの更新や山支度に費やす時間も、それ程悔いにならなかった。また帰宅後、後片付けや夕食時の反省会と称して飲む事も、その後でのHPの更新も、どちらかというと楽しみであった。

 「山歩き(山登り)は、健康的でいいですね。」 と他人様に言われても、寝不足や暴飲暴食に、一時のハードな身体への負担など考えれば、「身体を壊しているようなもの。」 と自分でも思っていた。だから、時々であるが、「修行のようなもの。」 と述べていたような気がする。

 でもである。情けない話であるが、身体が着いていかないようになって来た。歩いている時は、少々重荷を担いでいても、またちょっとばかり余計に歩いても、何とかなるのであるが、PCの前に座ると、ついついウトウトしてしまうし、歯を磨きながらでもウトウトし、ブラシを床の上に落としてしまうようになってきている。車の運転にしても、すぐに眠気を催すし、身体の衰退は、気力までも蝕んでいくような気がしている。

 「程々に・・・」 として、時たま、「もうちょっと・・・」 が似合うのかもしれない。自分を戒めて、時々であるが、忘れた頃に奮い立たせるのが一番かもしれない。でも、「元気でいたい。」 誰もが望む事であるが、それが、なかなか適えられなくなっていく。「ケガをしない。」「病気にならない。」 が、いつまでも歩ける一番の秘訣であるが、そのためにも、歩かなければならないのであろう。



5/16 2日連続の山行は、やはり「山ノ神」には、きつかったようであった。煩い木々を振り払っての歩きであったとはいえ、宮屋敷まで3時間半も要してしまった。宮屋敷で、リタイヤを宣言した「山ノ神」であったが、私は、「4時間は歩け!」 と、まだ妥協はしなかった。

 風当たりが少なく、しかも、稜線歩きが見通せる所を、梯子坂手前の高台に求め、「山ノ神」の休憩処とした。「山頂に行きたければ、1時間もいらないだろう。」 と、「山ノ神」は、私をけしたてた。そして、「炊事用具と飲み物は置いて行け」 と言うのである。「行き30分、戻り20分。山頂滞在10分。」 の段取りを組んだが、ロートルには、ムチが必要になった。

 ビールを飲みながら、下から眺めるのである。歩いているか走っているか分かるのであるから、しょうがない。しかも、三脚なしで証拠写真を撮るにも手間が掛かる。そして、腹ぺこの状態であった。しかし、恐ろしいくらいに、ピッタリの時間に戻る事が出来た。もっとも、若者や元気者に叶う訳もないが、今の私の実力からして、目一杯のところであろう。

 気分が良くなったとは言え、「山ノ神」の脚力に不安があったが、「山菜採りをしたければ、早く降りないと時間がなくなるよ!」 を言い続けた。その山菜採りには、ちょっとばかし時期が早いのであるが、偵察山行を兼ねていたにしては、コシアブラ・ウド・ワラビを、それなりにゲットする事が出来た。採り始めたら、止まらないのが「山ノ神」。家に戻ったら午後7時半を回っていた。



5/15 ハレルヤ大熊山行の集合場所である上市役場に行くと、お初にお目に掛かる方や、久し振りにお顔を拝見する方、そして、昨夜まで、ギックリ腰で参加が危ぶまれていた筏井氏の顔まであり、総勢17名となっていた。

 「行く。」 「行かない。」 などもあり、今回の幹事である伸子さんには、大変な苦労を掛けたようである。そして、大熊山に熟知している辰口氏が隊長となって、安全第一、そして、輪を尊ぶを掲げ、ゆっくりと楽しい山行を催されたのであった。

 大展望の大熊山頂では、例の如く、楽しい宴会となったのであるが、「ハンドルを握らない人でも、飲み過ぎないように・・」 の幹事からのお達しが利いたのか、自重する方々をお見受けし、「良い事だ。」 と思った。

 私としては、「山ノ神」が、果たして登れるのだろうかとの思いがあり、フォローする者として、アイゼンやピッケルの他に、ロープもザックに忍ばせた事もあり、大型のシャベルや三脚を装備として省いてしまった。それが、山頂でのベンチ・テーブル作りに支障が出てしまったが、好天に恵まれていた事や、愛嬌を振りまくメンバー達に助けられ、「それも良し。」 と違った意味で助けられた感があった。

 その山頂では、山梨の友人と共に、大日岳・早乙女岳方面からの帰りに、ちょっと寄ったと言われた室谷氏に、バッタリとお会いするというパッピーな事があった。また、吉尾・辰口氏のお知り合いである森川氏も、ひょっこりコット谷経由で上がって来られ、シャッターを切って頂く事になった。

 そう言えば、登りがけの駐車場で、コット谷経由で早乙女岳(山スキー)へ行くと言う福井のkyuさんとkotamaちゃんにもあった。今日は、日曜日という事もあり、大勢の方々とお会いする事が出来た。日頃は平日(主に月曜日休日、そして、月一の日曜日と火曜日)に歩いているだけに、何だか、「本当に山の中か?」 と思うのであった。

 とにかく、大勢で登った山であったから、何事もなく、下山出来た事が、当たり前の事とは言え、ホッとした気持ちで、ハンドルを握ったのでした。



5/14 「山ノ神」が、その気になって来たと思ったら、「ありゃ、今度は、俺の方が、何だか可笑しいぞ!」 となった。起きがけに、背中の張りを感じ、昨夜の夕食で、食べ過ぎたからかと思いながら、いつもの運動をこなした。それでも何も起こらなかったのであるが、顔を洗ったり、植木鉢を移動しようとしたら、腰から背中の辺りに、ちょっと違和感を覚えた。

 でも、ちょっとだけである。「何かあったら、俺がフォローするから・・」 と言っている手前、明日のハレルヤ山行に、私が行かないわけにはいかない。椅子に座ったり、その椅子から立ち上がったりする時に、ちょっとだけ、何だか、いつもと違う可笑しさを感じる。

 問題は、咄嗟の動きに対応出来るかと、「山ノ神」の分まで担げるかである。とりあえず、あまり飲まない事と、早めに寝る事にしよう。今まで、○○肩とか、ぎっくり腰になった事がないだけに、どのようになるのか分からないが、内蔵から来たのであれば、もっと悪い事になる。



5/13 日曜日の山行への不安要因が一つ消えた。そして、キャンプ山行をしないのだから、私はハレルヤの仲間達と一緒したいと思っている。しかし、「山ノ神」は、いつもの如く、「私が登れるだろうか?」 「怖くはないだろうか?」 と言っている。「イヤければ止めれば・・」 も納得いかないようで、相変わらずの優柔不断で本当に困る。

 「山登りには絶対がない。」 可能な限りフォローするが、突然の落石やハチなどの襲来など、予期せぬ事には対応出来ず、「運」 「不運」 としか言えない。滑落・転落などは、技量の他に、ある程度注意深くしておれば、防ぐ事が出来ようが、大自然の脅威には、とても太刀打ち出来ない。その見極めは本当に難しく、今までラッキーだったとしか思えない。

 イヤだと思えば行かなければいいし、怖いと思えば、途中で止めればいいと思っている。これが後悔しない一番の方法ではなかろうか・・・ しかし、団体(パーティー)だと、無理や我慢をしてしまう事が起きて来る。それを見抜くのが、リーダーなのかもしれないが、ちょっとやるせない。

 そんな事を思えば、個人山行が自由であるし迷惑も掛けない。しかし、逆に有事の時には、その対応に事欠くし、仲間との触れ合いもなくなる。一長一短は、何処にもどんな所にもあり、それを選ぶのは自分自身であろう。

 1台しかない我が家の車だけに、「誰かに乗せてもらう事が出来ないか?」 と、「山ノ神」が言うのであるが、「山が優先」を糧に、私は譲るわけがない。何処か平穏な所を求めようとした「山ノ神」なのであろうが、やっぱり寂しいのであろうか、ハレルヤの仲間の顔を思い浮かべ、心はそちらの方に傾き始めたようである。

 

5/12 「何処でなくしたのであろう。」 と、思っていたシュリンゲとカナビラが出て来た。徹底的に探しても見付からなかったのに、「なんだ、こんな所にあったのか?」 と思う所から発見された。こうなると、新年早々から、何処へ行ったのか分からないダウン(インナー用)も、意外な所から出て来る期待に駆られる。こんな事が日常茶飯事だからイヤになってしまう。

 同じ忘れるのでも、イヤな事だけ忘れてくれれば良いものを、そんな事だけ忘れず覚えており、イヤハヤ弱ったものである。最近、「無い。ない。ナイ。」 が、増えて来ており、相手方にも、その傾向が見えてきた。二人揃って、こんなのでは、この先が危うい。「世には、先に惚けた方が徳」 という人もいるが、そんなものではなかろう。

 昔の事はしっかり覚えているし、好きな事は、まだ覚える事が出来る。私の身体(頭)にあるハードディスクが、いっぱいなのなら、まだましなのであるが、何処かの機器のように損傷(熔解)しているのでは、この先が危うい。どちらにしても増量・補修など利かないであろうから、ソフトランディング出来るよう対策を、練っておかなければなるまい。

 いつまで元気でいられるかは、今の状態のように自分のしたい事が出来るという事と、自分の意識としてはイコールなのであるが、頭の方から異常を発生すれば、それも叶うまい。ちょっと悩むと、胃がキリキリする位なのに、何故物忘れをするのであろうか、あれもこれもと、気にかけるので、やはりハードディスクがいっぱいで、「入り切れないんだ。」 と思い込まなければ、やっておれない気がする。



5/11 片付けたストーブを、また引っ張り出してしまった。動いていると、何でもないのであるが、じっとしていると何だか肌寒い。でも、明日から、また暖かく(時には暑く)なるような予報であるが、予報は予報として、受け止めていた方が良いのかもしれない。

 最近は、何だかんだと、いろいろな事が絡み合い、泊まり掛けの山行気分になれないでいる。それが、日帰り山行にも及び、直前になるまで段取りが着かない事になり、ドタキャンをするのがイヤだから、なかなか約束する事が出来なくなって来ている。

 そうなると、「どないしても、あいつは行く。」 と分かっている仲間や、いつでも融通が利く、「山ノ神」との山行になってくる。「断ってばかりいると、その内誘いが掛からなくなる。」 怖さも知っているから、来週のハレルヤ山行に是非参加しなければと思っているが、まだ返事を出せないでいる。

 反対に、自分の都合が分からないから、いろいろな方々に、声を掛けられないでいるのも事実である。大勢で行くのは楽しいが、小回りが利かない欠点もある。そんな事に気を奪われない身分になりたいものだが、立場・性格から無理であろう。



5/10 夜中の強い風で目が覚めた。雨が伴って台風並であった。南風が吹くと、向かいのビルにぶつかった風が、跳ね返って我が家を襲うのである。築45年の我が家は、風にも(特に南風)地震にも弱く、揺れて揺れて遊具に乗っている感じなのである。

 最高気温が、その夜中に記録されていたのであるから、寝苦しさも手伝って、日中は寝不足気味で、ちょっと、椅子に座ればウトウトしそうであった。そして、じっとしておれば、何かを羽織らなければ寒くも感じたのでした。(最も、半袖だからね。)

 昨日収穫した山ほどあった山菜(殆どがコゴミ)が、いつの間にか姿を消した。「食べる喜び」 「採る喜び」に、「お裾分けする喜び」 があるが、これも歳を重ねて来た所為か、「食べる」 というよりも「採る」 楽しさの方に傾いて来ているように思う。

 たくさん採って来れば、お分けしなければならなくなる。「美味しい。」 「好きなんです。」 「楽しみにしていた。」 などと、喜んでもらえるのなら嬉しいのであるが、そうでないと逆に悲しくなる。

 そうなれば、もらってくれる人の選別が必要となってくる。好きでない人にあげる事などない。逆に、「もっと欲しい。」 という人もある。何と難しいのであろう。適当に採って来るのが一番なのであろう。でも、採っている時に、喜んでくれる人の顔が浮かぶのであるから、これまた可笑しいのである。



5/9 林道(桑首林道)には雪が無く、標高1,000mの稜線までも殆ど雪がなかった。「ピッケルもアイゼンも、そして、スノーシューもカンジキもない山行は、久し振りだね!」 と、いつもと違う雰囲気に落ち着かないようであったが、それはそれで、結構楽ちんであった。

 楽しみにしてくれていたeiko女史の参加が急用でキャンセルになり、「北ちゃん」・「ねぎちゃん」と「山ノ神」、そして、私の4名になってしまった大倉山行であったが、途中で、コーヒータイムを設けるなど、ゆっくり歩きに徹したり、山頂では、剱岳を始めとする大展望に恵まれステキな山行となった。

 当初、「山ノ神」が大倉山を嫌ったが、「ゆっくり歩く、山菜もあるし・・」 などの適当な会話に心を動かされたようであったが、結果的には、「来て良かった。」 となったのである。羨ましがらせてやろうと、eiko女史にメールを試みたが、圏外で届かなかったのがちょっぴり残念であった。

 「フキノトウをはじめ、桑首林道には、山菜は何も無い。」 を有志から告げられていたのであるが、ある所にはあるというのであろうか、また、目線が違うというのであろうか、結構満足顔で車に戻る事が出来た。



5/8 明日の山行は、仲間にレベルをちょっと落としてもらって、「山ノ神」も参加する事になった。穏やかで、山菜も採れる山に、気が注がれていたのかもしれないが、一週間我慢する事になったようだ。

 最も、こっちにも山菜があるかもしれないとの誘惑?に、心を動かされたに違いない。でも、本当は、常に仲間と一緒したいという気持ちの方が強いのではなかろうか・・・・

 いつもの事であろうが、山頂に立ってしまえば、その達成感が、何物にも代え難いものになり、やめられないものになるのであろう。例え、おべんちゃらであろうがなかろうが、このように誰もが付き合ってくれないものである。「誘われて行かなければ、次に誘ってくれないよ!」 とは本当の事である。



5/7 外傷体験(traumatic experience)の所為なのか、行き先を決めるのに、「山ノ神」は、とても神経質で、「滑るのではなかろうか・・」 「落ちるのではなかろうか・・」 が、頭の中から離れないようである。

 「絶対大丈夫!」 「フォローするから・・」 「ダメだと思ったら引き返すから・・」 などを、しつこく言わなければ納得しなくなってしまった。仲間から誘われると、「迷惑を掛けるかもしれないから・・」 と、引っ込み思案になり、私だけの参加を勧めるのである。

 最も、その通りにすれば、それはそれで面白くなく、後々響くのであるから厄介である。さてさて、今度はどうしようか、また悩まなくてはならなくなる。



5/6 アナログ放送終了に伴ない向かいのビルの共同アンテナが充てに出来なくなるので、手前でアンテナを立てるか、ケーブルテレビを利用するかの選択を迫られていた。元々、あまりテレビに執着がなく、「如何にテレビを見ないかが、文化的生活に繋がる。」 などと豪語していたが、経済的な裏付けがないための、やっかみも手伝っていたかもしれない。

 ビル風やメンテナンスを考えると、屋根上に、アンテナを付ける不安があったが、「あんたの寿命より長く保つ。」 との友人の言葉を、少なからず信じて、ならばと、アンテナ設置に踏み切った。そして、「山の番組もある。」 との誘惑?に負けて、BSアンテナも取り付けるに至った。

 よそ様に比べれば、小さな小さなテレビであるが、「今までの画像は何だったのか?」 と思う程鮮明に映っている。「録画もしない。」 「CDやDVDのレンタル経験もない。」 今までの我が家の生活が、もしかしたら変わるかもしれないと思った。でも、「休日は我が家にいない。」 「夕食後はPCの前に行く。」 など、やはり大代わりはしないようである。

 昨日、息子が帰阪し、アンテナ設置が、我が家のニュースになるくらいに、普段と変わらぬ生活に戻ったのであるが、「次行く山」に、気を奪われてしまうおかしな生活(夫婦)、これも元気が条件であるから、諍いをしながら切磋琢磨を心掛けなければならないようである。



5/5 今年は、大雪だった所為で残雪が多く、各地の林道の開通が遅い。先日の縄ヶ池への林道も、そうであったように、片貝・早月・称名なども、未だに冬季閉鎖が解除になっていない。

 歩いて見れば、「何で・・・」 といつも思うのであるが、「万が一にも何かあってはダメ。」 が、当局の考えであるから、「まあ~、仕方がない。」 と諦めた方が良いのかもしれない。それでも行きたければ歩けば良いのであって、その方が静かで、また美しいかもしれない。それにしても、閉鎖解除が待ち遠しいところ・・・



5/4 昨夕、やって来た息子は、友達と連れだって何処かへ行ってしまって、家に戻ってきたのは、いつだったのであろう。午後3時頃に、ようやく起きてきたが、夜は飲んで、日中は、その疲れで、いつになっても起きて来ない。明日は、お土産を買って帰って行く。「何をしに来たのだろう。」 と思うのは親だけで、私もそのような事をしていたのかもしれない。

 今夕は、我が家でゆっくりするらしいが、今度は寝不足の私の方が先に参ってしまうかもしれない。2日連続で辛い目に遭った「山ノ神」は、足が痛そう。でも、息子と食事が一緒だと張り切っている。

 2年前から、「一晩(一食)ぐらい一緒に・・・」 にの意味合いの言葉が、息子には伝わったようで、彼もそのような対応をしてくれるようになった。でも、親子とは、そんなに話す事などなく、同じ事を何度も繰り返すだけなのである。

 それでも・・・ 「一年に、一度や二度は・・・」 そうありたいものである。



5/3 昨夜の反省会?では、二子山行きを確認していたが、朝起きて、予報がピーカンだと知り、寝ている「山ノ神」を叩き起こした。 「もうちょっと、高い所へ行こうよ。」 と。昨日の疲れで、目を閉じたままの「山ノ神」は、「私でもいけるの?」 と問うた。「行けるよ。ダメだったら引き返せば良いし。通夜に行かなければならないし、夕方には息子が帰って来るし・・・」 の呼び掛けに、「山ノ神」は、渋々承知した感じであった。

 午後4時過ぎには、高岡に戻りたいにしては、朝の出発が午前6時過ぎとは、我々の技量としては、「ちょっとどうかな?」 の思いがないではなかった。人津谷林道は別にして、七姫山との林道と分かれて、尾根(910㍍位)に取り付けば、べったりの雪があると思っていたが甘かった。

 下山時は、上から雪の付きを見ながら辿る事が出来るが、登って行く時は、必ずしもそうはならず、高度を稼いでも、藪を漕いでいる感じが強かった。七姫山・大辻山方面へとの分岐手前頃から、イヤイヤもっと手前から、「山ノ神」の足が停滞し、心臓に手をやる機会が増えていった。

 もうその時点から、「いつ止めよう。」の声が掛かるのかと、気を揉んでいたが、「だるいより怖い。」というのであるから困ってしまった。分岐からでも、まだ標高差にして、230~40㍍くらいあるのだから、どうしようかと思ったが、何とか足を前に進めてくれた。

 黄砂の関係で、すっきりとはいかなかったが、剱岳を始め近隣の山々が見渡せ、「ご褒美だ!」 とまくし立ててしまった。「クムジュンのゲートから、3時間半余で来たのだから大したものだ!」と褒める事も忘れなかった。

 1時間半ほど山頂で過ごし下山に掛かろうとしたら、「文登研前進基地・人津谷経由で帰れないか?」 と「山ノ神」が言うではないか・・・「怖い。」と言うのである。昨秋の転落事故から、ちょっとした岩場や急斜面では、固まってしまうような感じである。  「あちらからの方が大変だよ。必ずフォローするから・・、 大丈夫だから・・」 を、何度も繰り返した。

 いろいろと回り込んだりしながらであったが、「山ノ神」が危惧するような事も起こらず、難無く林道に辿り着く事が出来、行ってみれば、いや帰って来れば、「なかなかの山であった。」が感想のようであった。



5/2 やっぱり縄ヶ池への林道は通行止であった。約4キロ・標高差230㍍を、登山口・若杉までの歩かなければならない。「山ノ神」 にしてみれば、お得意の林道歩きで、横・上・前をキョロキョロしながら、山菜を見付けるのが楽しくてならない様子であった。私も、久し振りに一緒する「はるちゃん」と、積もる話に花を咲かせた。

 そんな事もあり、たっぷり2時間を要した。担いで来たスノーシューを履いたのは、唐木峠をかなり過ぎてからであり、それも、急登が続く登山道だけに、残雪が疎らで、半分はヤブ漕ぎ状態であった。

 すっきり雪上を歩けるようになったのは、ブナ林のちょっと手前からであった。霞んで展望が良くなかった山頂で、いつものように穴を掘った。そして、今日の「はるちゃん」は、客人扱いで、「てんぷら」 をご馳走したが、予期せぬ料理に、とても喜んでくれた。

 林道往路で採った山菜をリックに入れたのに、またまた復路の林道歩きで、フキノトウやコゴミを採るのであるから、「欲の皮は厚い。」 とお互い大笑いしていた。



5/1 今日は、はっきりしない空模様の所為もあったのですが、久し振りに街(御車山)を見に街へ行きませんでした。夕食中に、珍しく、「はるちゃん」 から、「明日は何処に行くの?」 と電話がありました。3年半ぶりの事で、「どうしたのかな?」 と思ったのですが、無理矢理誘いませんでした。

 不思議な事なのですが、誘うと来ないのに、誘わないと来るのですね。林道の事も、雪の状態も分からないのですが、高落場山に行く事になりました。私は、林道歩きも覚悟の上なのですが、果たしてどうなる事やら、まあ~、何処ででもコーヒーを飲んで、ゆっくり話せれば良いと思っているのですから・・・・