10/31 一向に収まらない症状であったが、病院行きを蹴って、山行を選択した。夜中の雨降る音に, 白山行きを諦めて不貞寝になってしまったが、起きたら、おにぎりだけは作ってあった。

 言っても聞くはずがないと思ってか、「山ノ神」は、「どうするの?」 と問うて来た。「這っても行く。」 と言い続けて来た事を思い出したわけでもないが、「山に行ってみる。」 と答えてしまった。

 遅い時間であったから、大門山を選んでしまったが、雨である。そして、山道を嫌がる「山ノ神」に運転を強要しての山行となってしまった。横になっていると、痛みがあまりないからでもあったが・・・・・



10/30 やっぱり頭が痛い。「山ノ神」から、お酒を飲むのを止めるように諭された。明日は、雨だし山行きも危うい。友人からも、頭の事だから、病院行きを勧められた。早々に布団に潜り込んだ。



10/29 後頭部が痛い。今日は早く寝よう。でも、目が覚めなかったらどうしよう。まだ、たくさんやらなければならない事があるのに・・・・ (そんな事はない。) 負けてなるものか・・・・



10/28 このところの心痛と不完全燃焼が重なって、憂鬱な日々が続いている。こんなのは、酒を飲んでも治らない。やっぱり身体を痛めつけるしかない。「考える余裕がないくらいに・・・」 でも、そんな事が出来る年齢でもなく、非日常に託すしかないのかもしれない。

 「山歩きは、日常か非日常か、怪しいところであるが、自然には同じ事がない。」 と思うしかないであろう。そして、大自然で、改めて自分のちっぽけさを悟り、ウジウジした生活から立ち直れたらと思っている。



10/27 3年前の白山を目論見、白山公園線状況をネットで探してみたが分からず、白川村に問い合わせてみた。通行は、まだ大丈夫のようだが、今度は、「降雪の後の晴れ」 が怪しくなって来た。まだ、日にちがあるし、予報を考慮しながら判断するが、高所だけに無理する事もない。

 このところの寒さに、身を縮こませながらいるのに、「何故、そんなところに・・」 となるが、平場と山は別もの。「ちょっと怖いもの見たさ」 のような冒険が、心をそそるのかもしれない。小心者の私は、絶対的な確率を持って臨むが、それでも装備だけは、過剰という程持ち込むに違いない。



10/26 寒さの所為なのだろうか、この頃頭が痛い。風呂に入ったり、お酒を飲んだりすると、その痛さが収まる。血流が良くなるから、「もしかしたら、血圧が高いのかもしれない。」 などと医者に行かないで素人判断をしてしまう。

 「バッタリ倒れたらどうするのだ。」 と思うのであるが、「バッタリいけば良いが、中途半端になったら・・・」 などと不安が付きまとう。住民検診も行かないのであるから困ったものだ。



10/25 この頃、百名山踏破・完登・完踏・制覇などの新聞記事を以前に比べてよくみる。ブームとは言え、そのエネルギーに感服する。記事にしない方を含めれば、富山県だけでも、相当数方がその栄誉に輝かれていると思う。「時間があればお金がない。」 「お金があれば時間がない。」 「時間とお金の都合がついたと思ったら体力がない。」 などと、三拍子揃わなければ何事も覚束ない。そして、自分だけでなく、家族皆が健康でなければ出にくいというものであるから、余程恵まれた方々だと思っている。

 私の山仲間にも、その偉業を既に達成し終わっている方が2人いる。「休日は山に・・」の積み重ねた結果が踏破に繋がっているらしいが、その事ばかりに拘らず、面倒見もよく山仲間から随分慕われている。もちろんオールラウンドの山行をこなし、有職者である。もう一人の方は、仕事やボランティアの合間に、コツコツ積み上げ、百高山(標高の高い山から百座)踏破にも、あと4座と知らされた。このお二人は女性であり、正に女性の時代を感じてしまっている。(私は・・)

 私にも、「行ってみたいな。行きたいな。」 と思う山は、県内外問わず幾つもある。その願は叶わないかもしれないが、目標として、夢だけは持ち続けたいと思っている。そして、おこがましい記録に達しなくても、ずっと歩き続けられる事こそが、最大目標としたい思いです。



10/24 午前中に所用を済ませ、「今日、山に行かなかったら本当にダメになる。」 との思いで出掛けた。もう何処でも良かった。牛岳・中山などと、頭の中に思い浮かべたが、いつの間にか大辻山になった。

 お昼過ぎまで、時々陽が差したりしたが、私(達)が登り始めた頃は、ガスに覆い尽くされ、視界がなく唯歩くだけになった。在り来たりの本ルートとなったが、大辻山自体一年ぶりだったし、そのメーンルートも、一昨年の1月以来で、静かな山は、何故か新鮮さに満ちていた。



10/23 「人生不可解なり。」

10/22 紅葉への思いや、良し悪しは人様々のようである。そして、秋は、スーッと過ぎて行きそうな気がする。月を跨ぐと、高所でなくとも雪がやって来る時がある。雪の重みで草木が登山道を覆い決して歩き易くはないのであるが、何故か新鮮な季節を先取りするかのように心が躍るものである。

 雪が降っても降らなくても、12月を迎えると必ずタイヤを換える。でも、私の行動からして、11月第3週に換える時が一番多いような気がする。過去を振り返ってみると、第一週の時もあった。早く降り始めた年であった。日中になると何ともないのであるが、暗がりと共に出掛けた時は、「備えあれば・・・」になった。

 チェーンで助かった事も何度となくあった。でも、最近は、早め早めのタイヤ交換が奏功し、チェーンを持参する事が少なくなった。辛い経験は、後々、それを生かす事になるが、人生も同じような気がしてならない。



10/21 先の連休は埼玉に出掛け、今度は大阪に行って来た。週内に遠出を二回もするなど初めての事である。大阪は電車であったが、やっぱり疲れた。やっぱり若くはなく、体力の衰退を感じる。

 今から思えば、毎週のように山に出掛け始めた15年前の頃が、無理が効き一番元気だったように思う。そして、「ハレルヤ」や「好山病・・」の会を作った頃が、一番楽しかったように思う。過去の事を懐かしく思うようになるということは、元気がなくなって来た証拠なのかもしれない。

 今は、所用などに託けて、山に行けなくなる事が一番怖い。「やはり、何としても出掛けなければ・・・」 バカと言われようが、いかれていると言われようが、出掛けなければ(歩かなければ)、ダメになるだけである。



10/20 仕事を「山ノ神」に託して、大阪に出掛けた。そんなに行きたくない用事であったが、ふたりの息子と会えた事に、少しは心を癒す事が出来た。たまたま暑い日であったのかもしれないが、随分と喉が渇いた。何処にも出ず息子の部屋で夜遅くまで飲んだ。こんな事は過去に何度もなかったように思う。



10/19 「何かいい事ないかな?」 と言う私に、「昼間の幽霊と、いい事には、なかなか会えないものだ。」 と若い頃、母親によく言われた。私はそんな欲張りではない。でも、「もう、ちょっとだけ・・」 はある。

 「もうちょっと歩けたなら・・」 「あと1万円あったなら・・」 「もうちょっと上手に喋れたら・・」 「もうちょっと頭が良かったら・・」 くらいなもので、大した欲張りではないような気がする。しかし、歳を重ねる毎に、それがなくても、「今が、最高と思わなくては・・」 になりつつある。

 それ以上を望まなければ良いのかもしれないが、夢とか目標がなければ、これまた寂しいものである。幸福感は各自違うし、「幸」と「不幸」では、雲泥の差があるが、文字だけみれば、「しあわせ」と「しあわせにあらず」であるから、そう大差はない。後は気持ちの持ち方なのかもしれない。



10/18 笠ヶ岳山荘の小屋締めを終えた埼玉の高橋君が、故郷へ帰る途中に、わざわざ私のようなところまでメールをしてくれた。2年前の夏、鹿島槍ヶ岳の冷池でキャンプをした時に隣のテントにいたその人である。

 当時24歳であった彼は、サラリーマンを止めて、将来は、山岳ガイドやスキーインストラクターになりたいと、今夏から山に入ったのである。カメラにもご執心で、一眼レフで撮ったフイルムを焼き付けるのが楽しみだとも記してあった。彼の山人生元年のスタートはどのようであったのか興味深い。



10/17 「何をして欲しいか?」 と姉に問うたら、庭の整理と、隣町に所有している土地の草むしりだと言った。所狭しと並んでいる鉢や不要な器具などを片付け、車が入りやすいようにして、隣町の草むしりにも出掛けた。日差しが結構強く、汗を掻きながらの作業となったが、叢に潜んでいた蚊にも結構往生した。でも、姉の喜ぶ顔を見て、「たまにしか来られないのだから・・・ また、今までの恩返しなんだ。」 と呟いてみた。

 そうそうしている間に時間は過ぎ、姉の家を発ったのが、午後3時半くらいになってしまった。「平日の日中は、なるべく下道・・」 をモットーとしているため、今回も通勤時間帯割引を、何処で使うかが焦点であった。前回は、高崎ICからのハズが、間違って南前橋ICになってしまったのである。今回は、藤岡ICの予定であったのが、よそ見をしてしまい結果的には高崎ICからになってしまった。どちらも、関越トンネルを通過する湯沢ICまでであるが、その頃になると真っ暗になってしまう。

 石打の353号線から十日町に出て、253号線で上越に出るのが一番速いと思っていたが、前回の金山・天狗原山でお会いした群馬の青木氏から、十日町に行かず、津南に向かって松之山温泉経由で、松代の上越側に出るのが一番近いと言われていたので、それを辿ってみた。

 そのアドバイスの中に、「清津峡」の地名があったが、行かなくて良かった。新潟県は、山の中も海岸沿いも雨だった。時折、前が見えないような降り方の時もあった。「雨の夜の運転は止めよう。」と言いながら、またまた飛ばしてしまった。深夜割引が利く前の時間に、我が家に到着しなければ、下道を走った意味が薄くなる思いが通じ、午後11時半に何とか戻れた。

 その日に着かなければ、「ビールが飲めない。飲まない。」 からであるが、イザ飲もうと思っても、あまり飲めなかった。時間が遅いからであろうか、それとも疲れすぎたからであろうか、山に行かない2日間が終わってしまった。



10/16 親戚の葬儀が終わってから、お土産を買って埼玉に出掛けた。魚津IC通過が午後2時を過ぎていたから、上信越道でのラッシュに掛からないかと心配があったが、車が多いものの渋滞はなかった。

 しかし、更埴のJCTを過ぎた頃から、関越道の渋滞情報が絶え間なく表示されるようになった。「花園~嵐山120分」とか「花園~嵐山180分」で終いには、「上里~嵐山240分」とまで電光掲示板に驚いてしまった。関越道に入ってから、その渋滞に嫌気を感じ、本庄児玉ICから17号線に出た。そのICを降りるのにも結構時間を要し、下道も当然の如く込んでいた。

 でも、ノロノロをかなり我慢して、熊谷バイバスに入った頃からは、車の流れが順調に推移し8時過ぎには姉の家に着く事が出来た。鶴ヶ島JCTから圏央道に入れば一番速いのであるが、前回は東松山ICで降りて下道となったのであるが、今回は、本庄児玉ICになってしまった。改めて都会の渋滞の凄さを目の当たりにし、出発時間を考えなければならないと思った。

 2ヶ月ぶりに会う姉は、上埼にとても喜んでくれ、時間の経つのを忘れるくらいに喋りまくっていた。その間、カロリーの関係で、あまり食べられない姉を尻目に、我々は、コンビニで買ってきたビールを飲み相槌を打ち、笑顔の姉を見詰めていた。そして、持ち込んだ寝袋にくるまった。



10/15 明日の午前中は車がない。ゆっくりして、まだ途中のペンキ塗りでもやろうか? しかし、午後からでないと天気が回復しないようだ。では、、電車・バスで行ける所にしようか? いやいや、地元の二上山歩きに留めようか? まだ、分からない。



10/14 ちょっとしまっておいた小物が見当たらない。備品(用具)を処分する時、又使えそうなパーツを取っておくが、それが見当たらない。関連の物と同じ所にしまっておいたハズなのに・・・・ こんな事は日常茶飯事なのであるが、山用具に限っては、あまりそのような事がなかった。それもその筈、毎週のように出掛けるのであるから、当たり前かもしれない。今回は、数年前のものであるから、探し当てられなかった。

 どなたもそうであるかもしれないが、山専用コーナーというのであろうか、棚や押入、又は物置などに整理されていると思うが、ちょい置きするのが一番いけないようである。後から片付けるとは、私の年代のような者には、「うしなける。(なくなる。)」 と思わなければなるまい。そして、後日、「あれっ」 となるのが請け合いである。

 予備として買った物にも、陽の目を見ない事が多い。序でにとか、もしかしたらと思って買っておいても、次に同じ物を買わなかったり、廃盤になったりする事があり、そのパーツが間に合わなくなるのである。つましくしていたつもりであるが、まだまだ無駄があったようである。ちょっとしたものは、縫ったり貼ったりして修理した事を思えば贅沢しているようである。



10/13 一日の間に、友人・知人・親戚と三つの訃報が,、我が家に飛び込んで来て、連休の計画も見直ししなければいけなくなった。車が1台、これも苦しさを増しているが致し方ない。姉(埼玉)のご機嫌伺いも、キャンプ計画も悩む事なく吹っ飛んでしまったが、一日ゆっくり、家で過ごすのも良いのかもしれない。

 「葬儀の前に、登山口まで送ろうか?」 などと、「好山病重症患者」の薬は、これしかないと思ってか、「山ノ神」は盛んに言う。でも、自分の出来る範囲で「歩き」を楽しめば良いと思っている。



10/12 今年の紅葉はイマイチだと言われていますが、私もそのように思います。でも、毎年の事ですが、終わってみれば、「まあまあだったよ。」 「意外と良かったよ。」 などと、様々な見方があるようです。

 時期・時間、また、お天気周りや日当たりなど、刻々と条件が変わっていくわけですから、それに出くわす、出くわさないによって、良い悪いになるのかもしれません。そして、それ以上を望む事も、満足のいかぬ思いになってしまうような気がします。

 山に限れば標高差があるわけで、全山の紅葉など望めません。何処で見るか見たいかになるのでしょうが、限られた休日に、なかなか合わせられないのが現実です。感性とかも左右するかもしれません。草紅葉を前にして、「枯れているだけじゃない・・」 という人もいるのですから・・・・



10/11 金山から富士見峠までの間に3人の登山者と出会った。一人は、裏金山に登って戻るという若者、もう一人は、杉野沢から金山に登って、また杉野沢に戻るという埼玉の男性(焼山に登ったのかどうかは分からない。) と、富士見峠の少し手前で会った。そして、杉野沢から入って、焼山に登って来たという、私よりもっと歳を召された男性と富士見峠でお会いした。(もちろん杉野沢に戻って行かれた。)

 世の中とは本当に不思議なものである。今夏、白馬岳山頂で、偶然お会いした盛田女史が、同日、やはり杉野沢から焼山に登られたそうで、裏金山辺りから、金山に向かって歩いている登山者を伺えたとのメールを頂いた。時間的には、私のようではないかと持ち上げてくださっているが、当の本人であったかは分からない。

 「速い」 「元気」は、盛田女史には叶わない。彼女の「速い」 の表現からして私ではないような気がする。「ゆっくり、楽しく」をモットーにしていく山歩きではあるが、「衰え」はイヤである。ちょっとだけ、ストップさせたいのであるが、無理しない範囲内で、やっぱり歩き続けるしかないようである。

 また、無理して焼山に登らなくてもと思っていたのが、2日前に笹倉温泉側から、松田師匠とマキちゃんが登っているし、今回、盛田女史も登られたとなると、富士見峠まで歩いた事もあるし、やはり来年は狙って見たいと思うようになってしまった。 出来れば天候の落ち着いた秋口に、山中で泊まって楽しみたいものです。紅葉時期なら尚更です。平日がいいに決まっている。



10/10 ブナ林辺りは、陽が差すと巨木と相成ってそれなりの美しさを醸し出すのですが、1800m超すと降雪があったからでしょうか、想像以上に紅葉はダメでした。一度美しい様を見てしまうと、それ以上のものを求めてしまうからかもしれません。

 頸城の雨飾山や火打山・妙高山は、連休と好天が、そして、このところの登山ブームも手伝って、大勢の登山者が押し寄せていたようでした。それは、この界隈だけでなく、全国の名のある山々は、何処もいっぱい?だったかもしれません。

 金山・天狗原山では、全部で十数人程度なのですから、静かな山を楽しめました。3年前の素晴らしい紅葉時は、平日(月曜日)だったからかもしれませんが、私達の他に、誰もいなかった事を覚えています。

 今回の「山ノ神」の調子が頗る良く(他人様と比べてはいけませんが・・)、時間が余った?からでもありませんが、私に以前から気にした焼山行きを勧めたのでした。始めから、そのような計画ならまだしも、山頂に到着してから(午前10時半頃)ですから、とても行けたものではありません。

 でも、ついつい色気が出てしまい富士見峠(笹倉温泉・杉野沢・金山との分岐点)まで出掛ける事になったのでした。それで止めておけばよいものを、裏金山の頂に欲が出てしまいました。短い距離のように思えたのですが、思いの他のヤブに閉口してしまいました。ヤブの嫌いな私なのですが、最後は根性で突破してきました。

 金山へは、何故か、火打山か金山側から登りたいと思っていただけに、これでメドが立ったというものです。陽の長い夏に登れば、問題なく登れるでしょうが、ブヨなどの虫に悩まされるのもイヤだし、雪の降る前の好天が続行く平日に、キャンプをしながら登りたいと思ってしまいました。

 来年の10月の第1月・火に、今度は紅葉も楽しもうと、鬼に笑われるかもしれませんが、ワクワクしながら、金山・天狗原山を後にしてきました。



10/9 明日の山行は、金山・天狗原山になった。3年ぶり6回目となる。丁度一年前(10/11)は、「山ノ神」が、雨飾山で墜落事故を起こし、そこはイヤ、五箇山の大笠山は、登り始めが急だからイヤ。ブナクラは、もちろんイヤとなり、このようになったのであるが、3年前も結構時間を費やしており、「山ノ神」の思うようにならないハズなのだが・・・・

 山頂周辺の紅葉は、このところの低温で、どのようになっているのか分からないが、行ってみるしかない、全山の紅葉を期待するのは無理な話で、「何処かが染まっていれば良い。」 のつもりで行くしかないような気がする。 「あんたの言う事を聞くのは今回まで・・・」 と、「山ノ神」 に、ちょっと釘を差しておいた。



10/8 先日の燕岳・大天井岳山行の折、夕暮れ時の燕山荘前のテーブルで、ほんの僅かな時間であるけれど、我々の戯れに付き合ってくれた東京の糸賀さんからメールが届いた。私のHPからアドレスを探し出すのに面倒だったろうに、可愛い一眼レフで撮った写真を送ってくださったのである。

 「山に嵌りそう。」 そんな雰囲気が伺えた彼女から、「富山に行く時は、連絡するね。」 と書き添えてあった。社交辞令に過ぎないのだろうが、鼻の下を長くした緩んだ自分の顔を鏡でみて、可笑しくてならなかった。

 山行く時は、常に一緒という遠藤さんと、「今度は、何処へ行こうか・・」 と考えているとか、若い二人は、ずっと、にこやかであったように思う。




10/7 明日からの三連休はお天気が続くようである。私の休日は、体育の日(第2月曜)だけであるが、お天気になりそうだし、前週もお天気に恵まれた事もあり、精神的なイライラはない。「さて、何処に行こうか・・」 になるが、何処でも良いと言いながら、「山ノ神」とは、なかなか合致しない。

 最近出掛けていない県西部の山、頸城の山々などの候補があるが、鍬崎山やブナクラの山も捨てがたい。紅葉は一気に降りてくるから、一週ダメになると、その機会を失う事になる。どちらにしても、楽しめる山にしたいと思っている。速く歩けなかったら、早めに出発するのも手である。



10/6 先日の燕岳・大天井岳行きの登山口は中房温泉である。その中房温泉へ行くのに、糸魚川経由にしようか、それとも、神岡・平湯経由にしようかと迷ったが、同行者が富山の「北ちゃん」、そして、私が運転する事になったので、神岡・平湯経由とした。

 安房トンネルの料金所で、奇怪な表示にたじろいでしまった。安房トンネルは750円、そして、昨年は、無料化実験で、一度だけその恩恵を受ける事が出来たが、ETCが使えないので不便を感じていた。

 それが今回、ETC割引なる表示があり、「レバーを押して係員を呼べ!」 などとあったように思えたが、何が何だか分からず、現金を挿入してゲートを通過したのである。帰路の翌日、今度は反対ゲートとなったが、始めからETCなるものの意識があったからか、ちょっと余裕が出来ていたのかもしれない。

 前日(反対側)のゲートと、表示が同じかどうかは分からないが、余は料金の代わりに、「ETCカードを挿入せよ。」 との事であった。いわゆる「手動でせよ!」 なのである。でも、料金は高速料金的割引であった。家に戻ってから、改めてレシートをみると、確かに750円に350円の割引があった。通勤時間帯割引が適用されたのであろう。

 そうなると、前日の「割引なし」 に文句を言いたくなってしまった。 「安房トンネルにETCが使える。」 などと、もっとPRをお願いしたいものである。中日本道路公団のHPを見ても、そのような事は載っていないのであるから・・・

 しかし、ETCならば、何かの割引が提供されるのであるから、5割引や3割引になる。こうなると、流石の「山ノ神」でも、「安房峠越えをせよ!」 とは言わないかもしれない。



10/5 今回の山行前夜は全く眠れなかった事もあり、家に戻ったら疲れもあったのかぐっすり眠れた。考えてみたら、山中(テントの中)でも、殆ど眠れず、下山してからの車の運転も、途中休まず戻って来たのであるから、まだまだ大丈夫なんだと思った。

 「一日くらい眠らなくても死なない。」 と豪語していても、車の運転となれば、また別もの。他人様を乗せておれば尚更である。「山では遭難しないかもしれないが、車で遭難するな!」 が知人からの煩いアドバイスであるが、ずっと肝に銘じている。

 素晴らしい景色を堪能すると、「歳だ!」 なんて言ってられない気がする。「まだやりたい事がいっぱいある。」 その為にも、ケガや病気をしてはいけないのである。既に痛めているところは、それ以上悪くしないように心掛けなければなるまい。



10/4 夜中は風もなく満天の星。トイレに起きた人達は、手が届きそうに大きく感じる星空や街灯りの夜景を見入ったに違いない。フライは霜でバリバリだったし、空中の水分が凍ったのか、霜が舞っているのか分からなかったが、その現象に身体が縮んだ。

 フライのないテントに、スリーシーズン用のシュラフだけで、シュラフカバーもなく、一人で寝ていた「北ちゃん」は、さぞかし寒かっただろう。結露したテント内が、凍ったと言っていたから・・・

 午前4時45分、まだ暗い中、ゆっくり稜線漫歩と洒落込む為にも、早めのスタートとしました。ずっと、槍ヶ岳を眺めながらの歩きでしたが、寒さが身にしみる感じで、途中に「北ちゃん」が用意してくれた雑炊が美味しかった。

 大天井岳山頂まで片道2時間余を予定していたのですが、食事休憩もあり、倍の時間を要してしまいました。それだけゆっくり山を堪能したと考えた方が、今の我々には良いのかもしれません。時間がないと言っても、山頂では、ちょっぴり御神酒を頂いたり、暖かいコーヒーも嗜んだのですから・・・。

 復路は、後に槍ヶ岳を控えながら、前方には、北ア北部の白い山々を眺めて、「どれだけ降ったのだろう。」と思った。表銀座・裏銀座、そして、西銀座の山々の山座同定に困惑しながら(楽しんだのかもしれないが・・)、北ちゃんの 「これからの山行スタイルが変わるかもしれない。」 の一言が、私にはとても印象的に感じたのでした。

 2時間余、予定よりも遅れたが、「時間は気にしていないから・・・」 の北ちゃん言葉に甘えた。急いでケガをすれば元も子もなくなるからです。そして、「山ノ神」も、実力以上に奮闘したのでした。



10/3 夜が明けぬ内は雨が残ったのですが、41号線の南下と共に雨が上がり、合戦尾根に取り付いた頃には、時々陽が差すようになりました。キャンプ山行が、初めてだという「北ちゃん」の荷は、22キロだったのですが、「山ノ神」の食材を取り出して追加する程の余裕に流石と思ってしまいました。

 だんだんと青空が広がる様に、立山・大日連山にしなくて良かったと思っていくのでした。燕山荘下でテントを張っていると、「昨日は、氷点下4℃でしたよ。」と声を掛けられました。それもその筈、ちょっと陰になったり、風をまともに受けたりすると、縮み上がるよな寒さでした。

 明日は大天井岳に行くためには、今日の内に燕岳の頂上を踏んでいた方が良いだろうし、また陽が沈まない内に、食事(宴)をしておかなければいけないだろうと、空身(ビールとダウン持参)で山頂に出掛けました。

 槍ヶ岳の展望はもちろんですが、我々は、どうしても立山・剱岳方面が気になってしまいます。実際はどのような状態かは分からないのですが、あの真っ白な山を見るに付け、こちらの山を選択して良かったと思ったのでした。

 食材をいっぱい手に持ち、燕山荘前のテーブルを借りる事にしました。展望が抜群なだけに、山荘に泊まられる方々に申し訳ないのではと思ったのですが、流石のこの寒さには、外に出ても、テーブルに座って長居する方々はあまり見受けず、バッチリ貸切状態になりました。たくさん着込んで、雨具の上下まで身に付けても寒いのですから・・・・

 そうなると熱燗です。焼き物もします。必然的に視線が我々の所に集まり、匂いと共に人が集まって来るというものです。そして、「山談義」 とは実に楽しいものです。可愛い子ちゃん(山ガール)と向かい合わせになれば、いっぺんに盛り上がり賑やかになってしまうというものです。何だか、そのために私達のザックは重たいのかもしれません。

 テントに潜り込んだのは午後7時頃でしょうか、もうバリバリになっていました。テントの中で、二次会を企画していたのですが、バテバテと寒さ眠さに負けて、目を閉じていったのでした。でも、眠れませんでした。



10/2 お天気というものは、行ってみなければ分からない。降るといって行かなければ晴れる事が多く、お天気だと思って、行ってみればあまり良くない事が多い。たまたま、そうなるのであろうが、そのインパクトが強く、そう言ってしまうのかもしれない。

 そして、お天気の予報で、行っても良くなく、降りて来る時や、翌日のなって晴れる事が多い。また、自分の休日のお天気周りが良くなく、他人様の休日にお天気が良くなるというのは、本当に精神的に良くないように思うのであるが、私だけであろうか。

 明日からの休日のお天気が、どうしたわけか上方修正?されてきた。でも、日本海(富山湾沿い)には、まだ雲がウヨウヨいる。そこで、楽しみにしていた「北ちゃん」とのキャンプ山行を、雷鳥沢、そして大日連山を縦走する予定から、燕岳に変更する事にした。オプションが付くかもしれないが、珍道中を期待したい。



10/1 悪かった予報がドンドンよくなっていく。土・日も良くなかったハズだったのに、これでは、皆山に出掛けてしまったようだ。この調子で月・火も良くなって欲しい。中止になって欲しくない今回予定のキャンプなのだが、高所は、降る降らないは別にしても寒いだろうなぁ。

 神奈川の由利香女史から次のようなメールを頂いた。「元さん、100万回突破、おめでとうございます! 『継続はちからなり!』 すばらしい~ この間の日曜日にクライミング教室に参加しました。 怖かったけど、凄く楽しかった~ 来年は劔を目指そうかと・・・ その時は、ぜひご一緒して下さい!

 これじゃ、私より凄い。「歳だ!」 とは言っておれない。