6/30 ここ1~2年、木曽駒ヶ岳を意識している。「年取っても行ける山」 「いつでも行ける山」 と思っていたが、やっぱりエネルギーがいる。片道4~5時間掛かるし、僅かな時間しかいない割に費用が掛かる。どうしてもなら仕方がないが、それほど執着もない。

 これからは、ゆっくり行きたい。ならば、なるべく費用を掛けずに、どっぷりと山に浸かりたい。そうなると、木曽福島からのルートが浮かび上がって来る。日帰りする猛者もいるが、もしかしたら、一度しか行かない山だから、朝夕の景色を楽しまなければなるまい。

 キャンプを考えていたが、きれいな避難小屋があるらしい。テントの分、酒類を担げるというもの。7/2~7/3は、お天気が悪いからパスしよう。でも、その次の連休は、海の日の連休となり、もしかしたら、混むという事も考えなければなるまい。8月は、もう計画があるからダメ。9月の平日の連休が一番いいのかもしれない。でも、晴れるという保証は何処にもない。



6/29 ようやく、好山病夏山キャンプ(8/6~8/7)の一案が出て来た。まだ1ヶ月あるから、充分に検討すればいい。ゆっくり、楽しく想い出に残る山行になればいいと思っている。7/15~7/16は、同調者がまだいない。ならば、本当にゆっくりした山を考えようと思っている。間近に迫る7/2~7/3の予報は芳しくない。どうしたものか・・・・



6/28 こんなのを空梅雨というのであろうか。これで何日続いているのだろう。西日本や太平洋側は、必ずしもそうではないのに、北陸地方だけが、たまたま、その域になっているのであろうが、この分、いつか纏めて降られては困るのであるが・・・・

 過去にも、7月中旬は、何度となく痛い目に遭っている。何でも異常でなく、平穏に収まっていて欲しいものである。週末から週明けの予報はあまり良くない。最初の連休はダメという事になる。大幅な見直しをしなければいけなくなった。



6/27 ずぼら続きで、当欄も半日・一日ずれた感があるが、「まあ~いいか!」

 姪に送ったススダケの事であるが、「本当に美味しかった。」 と言うのである。「日にちが経っているのに何故?」 と思う。私達は、オーブンで焼くか、お湯で茹でる方法を取っているが、彼女達は、オーブンでなく、IHの魚焼きグリルに水を入れ、カラカラに焼いたというのである。

 新手の方法なのであろうか?我が家でも試してみたい。しかし、我が家では、「掃除がものい!=(面倒)」 という事で、グリルは使われていない。何事もやってみなければ・・・



6/26 6/18は、我が父の生誕100年であった。18年前、82歳で生涯を閉じた父であるが、生前は、あまり欲張らず、温厚で人付き合いの良い人であり、晩年は、800枚の年賀状を書く人であった。今思い起こせば、師範である書道を生かし俳画を施すのが、ちょっと自慢であったように思う。

 その父の法要も、このところ、滞りがちであっただけに、世に逆らうようであるが、我が家は、「没後何年ではなく、生誕○○年でいこう。」 となっていた。6/18が、その日であったが、諸条件が整わず延期となってしまった。

 そんな折、東京に住む姪(姉の娘=孫に当たる。)から、お菓子・ビール・香料・父宛の手紙が届いた。最も、その催しには、「お経の代わりに、父の想い出を語ろう。」 という趣旨を伝えてあっただけに、「爺ちゃんと一緒に飲んで欲しい。出来たら、その写真を送って欲しい。」 とあった。

 そんな優しい彼女(姪)に、何を返そうかと悩んだが、白木峰・小白木峰で採ったススダケを送る事にした。山中で、長時間たむろしただけに、翌日配達締め切りギリギリになってしまった。2個中、1個は、ススダケをクール便で送ったのであるが、そのススダケの方が迷子になって、届くのが遅れてしまったらしい。

 「ススダケは、その日の内に、出来れば、早ければ早いほど処理した方がよい。」 と言うのが、こちらの方の定説である。ところが、荷の到着は、翌日の夜半近く、また、その翌日の昼・夜に食して「美味しかった。」 「和製アスパラコーンのような、また、トウモロコシのようで、美味だ。」 との寸評に驚いている。

 「都会的な仕法があるのだろうか?」 と思ってしまう。仮に社交辞令であろうが、喜んでもらって嬉しかった。でも、来年からは、ウド・コシアブラの類の方が、気を揉まなくても良いような気がしてきた。



6/25 「白木峰・前白木峰・小白木峰の3座の内の2座に登ろう。そして、ススダケが採れれば尚更良し。出来れば、早々に下山し、久し振りに、ゆっくりした休日の午後を過ごしてみたい。」 そのような気持ちで、ちょっと出遅れたが、それでも、午前5時50分に我が家をスタートとなった。

 朝方の気温が低かったからか、いつも悩まされる「小さな虫」も差程気にならず、小さなススダケを見付けながら急登を凌いでいたら、二箇所目の林道に出る手前で、声が掛かった。「おお~っ、好山病富山組である。」 その頃から、やっぱり虫が気に掛かり、ネットか被った。ねぎちゃんが、「ネット仲間」 だと言った。座布団一枚。

 北ちゃん・ねぎちゃん・田村氏の3人は、もちろんススダケ狙いで、今回は前白木峰方面に行くと言う。ならばと、我々も同行を申し出て後に着いた。しかし、前白木峰への道は、何時になく、凄いヤブで、登山道が不明瞭であった。しかし、猛者の3人は、そのヤブを掻き分け、ここぞとばかりに消えて行った。

 ヤブの苦手な我々は、ギブアップし、前白木峰のピークも諦め、浮島に難を逃れた。暫しコーヒータイムとして身体を休め、小白木峰を目指す事にした。しかし、山菜採りの好きな 「山ノ神」は、ススダケが気になり、なかなか前には進まなかった。

 白木峰山頂から、小白木峰まで、3時間を要してしまったのである。お腹は空くし、暑いし、虫はいるし、荷は重くなるし、時間は遅くなるし・・・・途中、「どうしても小白木峰まで行くのか?」 との「山ノ神」の問いに、私が、「行く」 と返してから、「山ノ神」の表情が可笑しくなった。

 山頂に着いても口も利かず、「また登り返すのか?」 と言いたげであった。ススダケだけでも15キロ程になっていたのでは、「帰りは採るな!」 と言わざるを得なかった。しかし、「山ノ神」 は採るのである。「暗くなるよ!」 と脅しても、「もうちょっとだけ・・」 である。収穫したものは、全て軽トラ代わりの私の背にのし掛かるが、これも修行かと諦めるしかなかった。

 小白木峰から、白木峰は本当に遠くに見える。でも、それなりに歩けば意外に早く辿り着くのである。怯めば、「ホワイトアウトの中、重荷を担いで歩いたではないか・・(H.21.02.02~03)」 などと、持ち上げながら、汗びっしょりになって、山頂とヘリーポートとの分岐に出た。

 車に戻ったら、前白木峰のヤブで紛失した「山ノ神」の防虫ネットが、サイドミラーに掛けてあった。 (ねぎちゃんが見付けてくれたらしい。) 靴を脱ぎ、着替えをして車に乗り込んだら、何かに刺されたかのように、右手首が少し腫れていた。「あれよあれよ!」 という間に浮腫むようになり血管が見えなくなった。「あれ~っ」



6/24 明日は、「白山」 か 「白木峰」 か迷ったが、来月は、いろいろと計画があるため、近間の白木峰にしようと思っている。でも、いつ何時、行き先が変わるか分からないから、起きてから決まる事になりそう。



6/23 今日は、平年に比べれば、気温が低かったとか・・・ そういえば、家中で、じっとしていると、寒さを感じたような気がする。就業後、「山ノ神」 に連れ立って、スーパーへ買い物に出掛けたが、半袖姿では、生鮮食料品の前を通過する時は、震え上がっていた。

 「こんな日は、ビールより熱燗」 などと、自分の都合の良いように解釈して毎日を過ごしている。幸い、貧困な生活の中でも、アルコール類は切らしたことが無く、「ガソリン代は仕方がない。」 と言いながら出してくれる「山ノ神」 には感謝である。しかし、決められた金額の中での生活であるだけに、よそ様のように、豪華な物が食卓に並ぶ筈がない。でも、我が家では、それが普通の生活であり、何の不満もない。

 でも、我が家に、家族や友人達が集まる時は、その限りではない。と言うものの、人との交流が盛り上げてくれるだけで、特別の持てなしが出来るわけでもない。豪華・質素に関係なく、常にお腹をいっぱいにしているから、身体に良いハズがない。だから、休日は山に行かなければならない事になっている。



6/22 「夏山の計画は?」 と何人かの山仲間に尋ねられた。あれよあれよと日が過ぎ、もうすぐ6月も終わりである。いや、一年の半分が過ぎようとしている。私は、一般的な他人様のように、休日が多くないが、それでも、年間を通じれば80日もある。もう1~2日続けて欲しい時があるが、それは贅沢というものであろう。元気でさえおれば、その内、自由に休める時が来ると信じている。

 お天気にさえ恵まれれば、7/2~7/3、7/15~7/16、8/6~8/7をフルに活用したいと思っている。その内、8/6~8/7は、好山病の仲間達と恒例のキャンプ山行となっているが、後は未定である。しかし、計画を立てるのも楽しみの一つであり、子供のようにはしゃいでいる。

 そして、今年の盆休を、どのように取ろうか迷っている。思い切って一週間ぐらい休んで、「日頃行けない所に、出掛けるのもいいのでは・・」 また、「今しか行けないのでは・・」 などと、格闘が続きそうである。



6/21 昨夜も3時間しか眠れなかった。昨夜の続きが、夢にまで登場したのであるから、寝てはいられなかった。でも、私の力量では、どうにもならず、近所にお住まいのS大先生に、SOSを出してしまった。

 お忙しい中、駆け付けて下さったのであるが、「パスワードなどの類はどうしようもない。」 と言われながらも、あの手この手なのであろうか、何か魔法を掛けたかのように、「直った!」 と私を喜ばせてくださった。唯々感謝である。

 眠たいけれど、イライラが解けたからだろうか、何だかさっぱり感である。やらなければいけない事を、一気に片付けよう。



6/20 HPが、なかなか更新出来なかった。ようやく、機運が乗り、これからと思った矢先であっただけに、またまた何かのトラブルかと思った。しかし、メールやfacebookが可能であったから、FFFTPに問題があるのではないかと、いろいろやり返してみてもダメであった。

 悩んだ挙げ句、契約しているYahooのgeocitiesを覗いてみると、メンテナンスのため使用出来ない事が分かった。(18:00~翌日の20:00  でも、実際には、22:30までだった。) 「な~んだ!」 その間、何をやっていたのかと自分に呆れてしまった。

 しかしである。「解除」 されても、UP(更新)が出来ない。パスワード・ユーザー名などいろいろ触ったからなのかもしれないが、何時間掛かっても接続出来ないでいる。このままでは夜が明けてしまう。「憂鬱である。」 「触らなければよかったのに・・」 後悔しきりです。



6/19 17日(日)は、今までにないくらいにコシアブラを採った。しかし、帰宅時間が遅くなった事や、所用があり、宅配便で送る事も出来なく、近くに住む人達にもお裾分け出来なかった。翌日(6/18)も早朝に出掛け、また、夜には、「山ノ神」 を、砺波まで迎えに出掛けなければならなかった。

 「そのままにしておけば良かったのに・・・・」 「袋に入れて、そのまま冷蔵庫に入れておけば良かったのに・・・・」 大きさの選別をして、水洗いしたのである。水切りをして(足らなかったのかもしれないが・・)袋に入れ、冷蔵庫に入れたのである。

 今までに無いほどの量であるから、「山ノ神」が、さぞかし喜んでくれると思ったのが叱られた。美味しそうなコシアブラが傷んでしまって、半分以上処分しなければならなくなったのです。「しなびれた。」 だけで、食する事が可能だったかもしれないが、見てくれが悪くアウトになってしまった。

 でも、まだたくさんあったので、向かいビルのレストランの料理長にお裾分けしてあげた。コシアブラは非常に喜ばれた。でも、東京や神奈川などの山友に送れなかったのが残念で仕方がなかった。



6/18 シラネアオイに遭いたくて、17回目の雨飾山。糸魚川市山口から根知川を渡ったところで、舗装工事のため通行止めの標識が立てられていた。それがなんと、今日から7/1までなのだから、がっかりである。1時間ぐらいなら歩いても構わないのであるが、何処の工事か分からないのでは、どうしようもない。

 気を取り直して、小谷側の登山口に移動する事にした。しかし、大幅のロスで計画の練り直しである。歩きが順調で、この分なら、2時間半くらいで山頂に立てるのではないかと思っていたのであるが、ブナ平を過ぎた所から、ルートを外してしまった。

 過去にも5月に間違った事があり、とんでもない所から。荒菅沢に降りた事があった。いけない事に、予定していなかったルートのため、GPSにルートを入力していなかった。でも幸い登山道なるものが、等高線と共に出るのでその方向が分かった。

 私より先に迷った東京の青年・佐々木君が私に同行を願った。100mくらい外れているので、ヤブの中をトラバース気味に、最後は駈け降りるようになった。時間にして、30~40分くらいだったが、疲労困憊傷だらけとなった。

 荒菅沢は、すっかり雪に覆われていた。それどころか、それに至る斜面にも、べったりと雪が着いていた。スキーヤーまでいるのであるから・・・・ この分では、シラネアオイの開花を望めないのではと心配したが、登山道から離れた斜面こそ雪壁でダメであったが、それなりに咲いていてホッとした。笹平に至ると、ハクサンイチゲと共に花量が増えた。私の知っている限り、「シラネアオイは雨飾山」 を豪語してもよいと思っている。

 山頂からの展望は良いのであるが、いつものようにブヨが煩くて長くいられない。私は、笹平の雪渓を食事処としたが正解であった。後から降りてきた東京の佐々木君と、上越の岡元さん母娘をコーヒーに誘った。それから、佐々木君と最後まで一緒した。

 「GPSデーターを送る。」 と約束したが、彼は、FBの私を探し当てる事が出来るのだろうか、私は、彼を探せなかった。上越の岡元さんは、私のHPを見たような気がすると言っておられたが、果たして、メッセージが届くだろうか?

 小谷温泉の露天風呂(無料)に浸かった。早い時間だったからか、入浴者はナシで、気分の良い独り占め状態であった。ルンルン気分で148号線から、北小谷に差し掛かった所で、小滝~平岩間の洞門で、交通事故が発生し通行止めの表示が出ていた。

 今から、戻って、遠回りするのもイヤだったので、行ける所までいって、後は、解除されるのを待とうと思って車を走らせた。平岩の信号からトンネル中まで、車が繋がっていたが、何故か少しずつ動いていた。山側に迂回路があったのである。凄い勾配の山道であったが、なんとか行けたので助かった。



6/17 「山ノ神」 を集合場所(小矢部市津沢)へ送ってから、人形山に向かった。おにぎりを一個頬張って、歩き始めたのが午前8時半頃。登山道脇に採り残されたワラビやちょっと大きくなったコシアブラと、にらめっこしながら黙々と歩いた。

 10~20分程前に出発して行かれた登山者に、なかなか追い着かなかったが、第二休憩所手前でやっと追い抜いた。宮屋敷跡までには、90分くらい要した感じであった。

 例年なら、時期が遅く、もうないはずのコシアブラ採りが始まった。「そんなに採ってどうするの?」 というような感じであったが、「あの人にも・・、この人にも・・」 との思いで採っていた。

 でも、山頂には行かなくてはなるまい。先に三ヶ辻山に登った。午後1時を回っていた。「人形山は、どうしようかな?」 と思いながらやっぱり登らないわけにはいかないだろう。」 と勝手に思い込み山頂を目指した。午後2時には着いていたのであるが、やっぱりコシアブラ採りになってしまった。

 面倒なのと、小さな虫が纏わり付く中で、食事をする気になれず、ずっと歩きっぱなしとなったが、宮屋敷跡に戻った時には、流石にお腹が鳴り出し、疲労が限界に来た。水をガブガブ飲み、もう一個のおにぎりを食べた。9時間1回も腰を降ろす事もなく歩き続けたが、「やっぱり物を食べなきゃだめ」 であった。



6/16 梅雨の合間の「晴れ」 を期待しているものの、どうなるか分からないお天気であるから、明日は、「山ノ神 」の同窓会的旅行(お伊勢参り・長島温泉)の集合場所まで送る事にした。

 当初は、電車・タクシーを利用して行って欲しいと頼んでいたのであるが、送った後から、山に行けばいいのではと思うようになってしまった。「山菜が残り少なくなった。」 と言われたのも原因の一つだったかもしれない。そして、「白山」 行きはなくなった。



6/15 西の方から雨が降り出しているようである。「でも、本当に降るのだろうかと思う。」 降らなければ、もちろんいいのであるが、グチャグチャのぬかるみを歩くのもあまりいいものでない。

 でも、「絶景が待っている。」 とか、「きれいなお花がある。」 「誰かが待っている。」 なら話は別である。軟弱な私は、もうキャンプは止めにしている。2日間日帰り予定であるが、「もう、山菜が無くなってきた。」 と、「山ノ神」 の囁きが邪魔でならない。



6/14 今度の日曜・月曜日は私の連休である。「山ノ神」は、お出掛けで、久し振りに羽根が伸ばせると思っていたが、お天気が怪しい。凄い誘惑にも負けず、出来れば山に行きたい。でも、始めから降るのならキャンプは回避したい。

 「残雪の上を歩きたい。」 「シラネアオイを見たい。」 など、いろいろな思いが脳裏に浮かぶが、ギリギリまで待つしかない。「山ノ神」 の 「集合場所まで送ってくれない?」 を聞き入れれば、計画が頓挫する可能性もある。どうしよう。



6/13 自分のHPもままならぬのに、facebookに現を抜かしている。カバーとプロフィールの画像の変更に留めておけばよいものを、下手な(苦手な)英語に手を出してしまった。

 フィリピン在住の友達の友達に、ジョークを送ろうとして、自動翻訳して送ったまでは良かったのであるが、後から、その英文を日本語に直してみたら、かなり違ったものになっていた。

 「何事にもチャレンジ」 もしかしたら、迷惑至極になってはいないかと反省しきりです。でも、「I do not give up. 」



6/12 昨日の山菜山行は、今年の気象状況の影響なのか分からないが、目的のススダケはあまり収穫出来ず、ヤブ中を歩くのを苦手としている私には尚更であった。そんな中、皆に悪かったが、コシアブラ採りに専念した形になってしまった。

 その収穫を、私が、ほぼ独り占めしたのを、誰もが咎めず、見逃してくれた感じであった。一方的に宣言し、そして、美味しいからと、無理矢理・山友(神奈川の由利香さん)に送れたのであるから、自己満足にしたる事が出来たのである。

 もらってくれた方も、「美味しかった。」 「誰にもやらない。」 などと喜んでもらっては、その冥利に尽きるというものである。そして、私の仲間が、見知らぬ私の山友に、いろいろと、コメントやアドバイスをしてくれたのであるから、今日は嬉しくてたまらない。

 「山もいいが、今度は山菜採りに来るか?」 と言ってしまったが、来富の際は、富山の素晴らしい山友を紹介したいものだと、ワクワクしながら、その日を待たずにはいられない。



6/11 意気込んで臨んだ金剛堂山のススダケ採り、ちょっと時期が早かったようで、収穫はイマイチ。でも、全然無いわけでもない。その代わり、あまりないと思っていたコシアブラをかなりゲット出来、4月に約束した神奈川の由利香さんに贈る?事が出来た。

 山では降られなかったが、未明まで降っていたと思われる登山道はグチャグチャで歩きにくかったが、そこは、気心のしれた山仲間との会話が弾み、賑やかでそのような事は苦にならなかった。

 山頂では、またまた凄いご馳走が並んだ。メンバーが6人も揃ったのであるから当たり前?なのであろうが、二人で来るのと雲泥の差である。6パーティー程をみたが、コンロもない人達ばかりであったから、我々の行動をみて異様に感じられたかもしれない。

 山にはいろいろな楽しみ方があるから、何が良い悪いなどとは言えない。唯、「汚さない。」 とか、「周りの人に迷惑をかけない。」 には配慮が必要かと思う。「挨拶をしない。」 とかに、角を立ててもしょうがないであろうが、でも、挨拶が出来ない人は寂しいね。



6/10 昨日に続きはっきりしないお天気でした。洗濯物の乾きも遅く憂鬱な日でした。でも、ちょっと、涼しいと思えば、逆に過ごしやすかったのかもしれない。週末の土日を皆様は何処へ行かれたのしょうか?「お日様マーク」 でなかっただけに、何処へも行かずに家の用事をされた方もあったろうに・・・・

 明日の月曜日は、「好山病友の会」 今年2回目の山菜山行である。予報は、明日だけ、「晴れ曇り」 であるだけに、楽しいものであって欲しい。



6/9 明け方から、腹痛となり、何度もトイレ通いとなった。もしやと思い「山ノ神」に尋ねたが、「何ともない。」 と言うので、食中毒ではないと安堵。何が悪かったのか分からないが、もしかしたら、あまり食べた事のない刺身かもしれなかった。

 朝風呂も朝トレも中止。食事もままならず、午前中は、まるで「死人」であったが、お昼過ぎから、少しずつ快復し、夜には普通の人になった。止めとけばいいのに、平常通りお酒まで飲んだ。就寝前に測る血圧が、エラーの連続で測れなかった。(異常値を示した。)関係ないと思うが・・・



6/8 facebookの事は、まだよく分からない。「いいね!」 をクリックしてくれる人や、コメントを書き込んでくれる人を合わせても20人くらい。実際訪れてくれる人の数は掌握しきれないが、リアルタイムに情報を得られる点では便利である。しかし、いらない情報も数多く飛び込んで来るから厄介である。(設定次第では、如何様にでもなるのだろうが・・・)

 私のHPに訪れてくれる人は、1ヶ月に1万人ほどであるから、やっぱりHPに力が入るのは当たり前なのであるが、どうもそのようにいっていないのが現状である。「更新が遅れる。」 「更新を怠る」 が、その理由であるが、もう一度、「喝!」 を入れ直さなければいけないのかもしれない。



6/7 今年2回目の「好山病・・」 山菜山行が企画された。ちょっとばかり違った山にも出掛けようかと思っていた矢先であったが、仲間との山行を優先する事にした。山菜採りは元より、気のあった仲間との山行は楽しいに決まっているからである。ましてや、自分達の休日に合わせてもらえるのであるから尚更である。「予報は曇り」 せっかくの企画であるだけに降らないで欲しいと願っている。



6/6 最近、縁あって若い女性とご一緒する機会が増えたような気がする。と言っても、「山ノ神」や山仲間と共にである。一世代違う方々と行動を共にするのであるから、それなりにエネルギーがいる。相手方も、ロートルと話さなければならないのだから、もしかしたら、尚更そういう風に感じているかもしれない。

 こちらは「若さ」をもらうが、何のお返しも出来ない。知恵・経験などの蓄えもない。そうなると、重荷を担ぐしかない。喜んでもらえるかどうかは定かでないが、今の私には、そうするしかないような気がする。

 気楽に話せるのは、同年代のご婦人であるが、何かとお忙しいようで、その機会は減っている。楽しい思いをしたいようなら、鍛錬を怠らず精進しなければいけないのである。



6/5 「さっと行って、さっと帰ろう。」 と人形山を選んだのであるが、登り始めから、「ちょっと細いが・・」 「ちょっと伸びていない?」 などと、ワラビやコシアブラを採り始めたのであるから、「山頂などはどうでもいい。」 と、「山ノ神」 のペースになりかけていた。

 そんなところに、「元ちゃん!」 と声が掛かった。「誰だろう? どうして分かるのだろう?」 と思って振り返ると、岡田氏とあきちゃんであった。車からして、そうではないかと思ったと言われたのである。

 健脚のお二方であるから、「私達は、コシアブラを採りながら行きますから・・」 と道を譲れば、「山頂でご馳走するから・・」 と風の如く消え去って行かれた。そうなると、「山ノ神」 も行かなければいけないのである。

 いつものところには、まだ早かったが、それでもそれなりの収穫を得て稜線に出てから、「山ノ神」 曰く、「何年ぶりに頂上へ行くのだろう。」 であった。それもその筈、「山ノ神」 は、もうちょっとのところで、「足がついて行かないから・・」 「飲んでる時間がなくなるから・・」 などを理由に、山頂を踏まなかった事が多かったのである。特に残雪には、点滴を施すには最高の場所なのであるから・・・・

 山頂直下の雪原で、お二人は、「今か今かと、待ってていて下さった。」 本当に久し振りの再会であったから、嬉しく話も弾んだ。同氏は、よく「北ちゃん」 のお店に行かれるようで、「その度に、元ちゃんは・・」 と、話題にして貰っているという事は知っていただけに・・・ とても嬉しかった。

 「調味料を忘れて来た。」 そうであったが、それでも、麻婆豆腐をご馳走になった。そして、大切なワインまで差し出されたが、運転をする私だけに、代役を「山ノ神」 とさせて貰った。飲まなくともずっと話し続けた。

 同行の「あきちゃん」や「山ノ神」には、申し訳ないくらいにである。山頂から、登山口までずっとである。「またお会いしましょう。」 「下界でも、近くにお越しの時は、寄って行ってください。」 とお願いして別れした。さっと帰れなかったが、楽しい一日であった。



6/4 「唐堀山」 「また、あんな所け!」 と言っていた「山ノ神」 であったが、行ってしまえば、獲物探しにキョロキョロ。汗がタラタラと流しながら、「頑張っているのだから・・・」 をアピールしまくり。

 取り残しのワラビを採りながら、伸び過ぎたコシアブラやタラの芽を尻目に、山頂周辺の藪中に入ったが、さっと、分かるようなススダケは少なかった。落ち葉を払い除ければ、頭が顔を出す程で、これからという感じであった。

 ヘリポート周辺でも、差程なく、ザックいっぱいの目論見は外れてしまった。それどころか、両手にも大きな袋を持っての下山姿を連想していただけに、ちょっぴり無念の心境であった。

 そんな事を思っていたから、荷は少なくしてしまった。「山ノ神」の点滴も1本だけ、私のノンアルも1本であるから、肴もたくさんはない。でも、冷たい飲み物は身体中に染み渡った。

 ススダケの分、ワラビやウドに目が移ったが、上物は少なかった。「ブヨ」 に悩みながらではあったが、時折吹くそよ風を受けては、唐堀山の印象は悪くはならない。



6/3 明日明後日の連休を利用して、昨年同時期に企画していながら行き損ねた 「大山・上蒜山・那岐山」 へとの思いがあったが、親友の死に、意欲がなくなってしまった。それならば、ちょっとご無沙汰している 「埼玉の姉宅へ行ったら・・・」 と「山ノ神」が言うが、これも何となく身体がだるく行く気になれないでいる。

 それでも 「山ノ神」 は、それとなく遠くを模索しているようであるが、私は、完全にその気を失っており、近隣の山々で充分である。



6/2 昨夜弔った時K君は、天に召されたように綺麗な顔をしていた。今日の通夜式に掲げられていたヒゲを蓄えて微笑んでいる遺影をみて、涙が出て止まらなかった。「俺は、すぐには逝かないよ。もうちょっとしたい事があるから・・・」 と拝んだ。



6/1 早速、昨夜買って来た計器で血圧を測った。起床30分後であったが、高数値にびっくりしてしまった。朝方は、高いと聞いていたが、204-139、189-130とは・・・・

 朝食後、錠剤(降下剤)を飲んでからであったが、説明書を読み直し、もう一度測ってみると、130-78であった。手首に装置する計器であるから、心臓と同じ高さに保たなければいけないようであったし、薬を飲んでからでは、下がるのは当たり前であろう。

 明朝から仕切り直し、いや、今晩から、もう一度やり直しである。同じ時間帯に計測して、手帳に付ける。そして、節制に務める。それは、なかなかであるから、ちょっとだけから始めよう。二合の清酒を二合弱、いや、一合半ではどうか・・ 卑しい根性はなかなか治らない。

 そんな折、親友の訃報が届いた。ちょっと、肝臓を弱めていた事は知っていたが、「まさか、こんな早く・・」 である。K君とは、40数年来の付き合いであった。山友ではなかったが、40年程前は、剱岳や白馬岳・御岳・唐松岳などに一緒した事があった。

 なかなか会えなくなった20年程前からは、もう一人の親友・はるちゃんと共に、「1シーズンに一度、年に4回は飲もう。」 と約束していたが、近年は、年に2回、今年は、まだ顔を見ていなかった。

 同い年である。何年生きられるかというよりも、何年このように身体を動かせるかを話題にしていただけに、自分の事のように、胸を詰まらせている。K君のご両親は健在である。共に90代であるが、お父様は、来春100歳を迎えられるというのに・・・ K君は親不孝である。