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7/31 「山は涼しくていいでしょう。」 と言われるが、私などの行く山では、そのような事は、ほんのちょっとだけで、汗タラタラの辛い事の方が多い。そして、それは、涼よりも達成感を求めているから頑張れるのかもしれない。
だから、キャンプであろうが小屋泊であろうが、朝夕を過ごせるという事は、別天地(天国)にいるようなものである。お天気限定であるが、絶景を眺めて、一杯やるなどとは、修行の域を離れてしまう。しかし、話はそう上手くばかりではなく、雨や風、また雷まであるのであるから、ご褒美はいつも付いて来ない。
いつも美味しい物ばかり食べていると、どれが美味しい物か分からなくなるのであるから、時々でいいのかもしれない。「悪天候でも出掛ける。」 のは、良いか悪いかは別にして、「何かが起こる。」 を求めているのかもしれない。でも、私が行けるような山では、ずっと、雨が降りっぱなしなどという事は殆どない・・・・・・。
7/30 登山口の猿倉発が午前5時半になってしまったが、「10時半には、山頂に立てるかもしれないよ!」 と「山ノ神」 を励まし続けた。人気の大雪渓は、多くの登山者が訪れていたが、家族連れやグループが多く、そうそう追い抜かれる事もなかった。
しかし、日頃から4時間を過ぎる頃から、急激にスピードダウンする「山ノ神」であるが、今日も、その域を脱する事は出来なかった。その分、お花を眺めたり、行き交う人達との会話を楽しむ事が出来るのであるから・・・・
結局は、蓮華温泉から登るのと、差程変わらない時間を要して、山頂に立ったのであるが、またしても、山頂からの展望を楽しむ事は出来なかった。しかし、登山口でも、途中のパトロール隊から聞いていた情報(お天気)でも、「朝から雨」、また「午後から雷雨」 などだったのであるから、まだましであったかもしれない。
何度となく会話を重ねた北九州御一行と、お所の交換と記念写真を撮らせて頂いた。簡単な食事をした途端に、スコールのような雨にあった。予感からして、雨具を纏っていたから良かったものの多くの方々は、ずぶ濡れになっていた感じであった。しかし、その雨も長く続かなかったので助かった。長い雪渓の降りに「山ノ神」の足取りは重かった。
7/29 お天気が怪しくなって来た。でも、明日は白馬岳を目指す事にした。今日も、山岳地方に雨もあったらしいが、狭い範囲であるから何とも言えない。と言って、自分達が、その局地的に入ってしまえば辛い思いをしなければならない。なるべく午前中で切り上げる(出来るハズがないか・・)つもりで言って来ます。
7/28 「ずっと、お天気!」 予報通りであれば、今度の休日(7/30)は、白馬岳を予定。何回かはっきりしないが、このところ、6年は続いている蓮華温泉からの白馬岳を止めて、大雪渓からにしようかと調整している。
「どっちが楽?」 と「山ノ神」 に言われてしまうが、一般的には、大雪渓経由の方が、上り下りとも1時間くらい短いのであるが、それは、人それぞれであって、何とも言えない。「今年は、白馬大池で、キャンプしながら、ゆっくり白馬岳を楽しもう。」 という計画が、早々に壊れてしまったが、まだ機会がある。それなら、大雪渓経由もいいのでは・・・でも、お天気次第である。
7/27 下の孫が今日で生後6ヶ月になった。生まれてから3ヶ月いたし、今回も3週間近くいるのだから、半分以上高岡にいた事になる。器量はともかく、愛想が良いので、ついつい抱っこをしてしまう。(もちろん暴れたらどうしようもないのであるが・・) そんな孫達も、明後日の朝には帰って行く。
また、二人になる。良いのか悪いのか分からない。自由になるのは良いが、ちょっとでもしくじると、悪い雰囲気が長く続く懸念がいっぱい。自由になると言っても、休日が解放されるだけで、全く自由になるわけではない。「山ノ神」 の顔色を伺いながらであるから、やはり「拘束」 に変わりはないような気もする。
7/26 明晩は、年に一度の同級生有志の食事会。明後日は、娘・孫を迎えに東京からムコ殿がやって来る。どうしても、夜遅く、そして、酒量が増えてしまう。今晩も、サッカーの放送がある。毎日が眠たい。
7/25 本格的な夏山シーズンに突入で、各方面からプランが届くが、その豪華な行程に驚きながら羨ましく思っている。年に1~2回の事だから、思い切ってなのだろうが、その踏ん切りというのか決断を賞賛したい。
私は、時間がなく、一つのピークだけを目指した事が多く、それぞれを繋ぐ稜線歩きの経験は少ない。近年になって、ようやく時間のやり繰りを少しであるが出来るようになって来た。
「お金があっても時間がない。」 「時間があってもお金がない。」 「お金も時間もあるが体力がない。」 と周辺では様々の声を聞くが、私は、「お金も時間もなかった。」 だから、気力・体力だけで何とかやって来たが、もうそんな歳ではない。これからは、「何とか時間を作って、何とかお金を集めて、気力を失わないようにしなければ・・・」 と思っている。
それにしても、五龍岳から蓮華温泉(朝日岳・清水岳含む)で、山中5泊と聞けば、やっぱり羨ましい。また、立山・剱岳方面で3~4泊というのもリッチで良い。各自の思いが詰まった計画だけに、何も言うことはないが、私も、なるべく早く、そんな山行が出来ればと思っている。
7/24 昨日のペンキ塗り作業での日頃にない姿勢であったのか、腰から背にかけてとても痛い。私は草むしり作業のような姿勢が特に苦手で、その後遺症たるやは酷いものである。山の荷を担ぐ方が、よっぽど酷いと思われるであろうが、今のところそうではない。
大阪の息子から、盆休の事を尋ねられた。私達の山歩きに支障をきたさない配慮なのであるが、その事が、彼らの帰省機会を少なくしていた事に繋がっていたのかもしれない。長年の習慣が、果たして親らしい事をしていたのかと、ちょっぴり心を痛めるのであるが・・・・
その盆休を決めていない。思い切って8/13~20まで休む企画してみたものの、軍資金が続かない。山中一週間も体力・気力が保たれるかの自信もない。まあ~、企画中の方が楽しいのであるから、実現しなくとも、それはそれで流す事が出来る。
7/23 何処へ行くとも言われず、「山に行くな!」 とだけ言われて、好天の休日を、みすみす逃すのは、何ともやり切れないものであった。誰のための家族サービスなのだろうか? 娘や孫達のため、それとも、「山ノ神」のため? どちらにしても、今日は仕方なく諦めの境地。
たくさんのメニューを組んであったようだが、結局は、「山ノ神」実家の両親の墓参り、クロスランド小矢部、稲葉山を巡った。暑い日であったが、誰もが喜んだのだろうか、私には分からない。その後、海にも行こうとしたが、私はギブアップしてしまった。最も、この機会にトタンのペンキ塗りを片付けておきたいという気持ちがあったからである。(これ以上、休日を潰したくないから・・)
塗り終えた頃、ちょうど日没となって、何もかもが上手くいった。後片付けをし、お風呂に入って一杯やれば、山に行かなかった事など忘れてしまいそうであった。でも、山と違った疲れが、ドット出た感じである。山中心のライフスタイルなのだから当たり前か・・・
7/22 明日は、とても山に行ける雰囲気でないので止める事にしました。不満タラタラ記しても仕方がないので黙ります。
7/21 昨日の雨は、騒ぎ立てられた割には、差程気にならなかったが、今未明の凄い雨は、稲妻が走り家族全員が目を覚ました。もう1~2時間降り続いたら、もしかしたら、我が家にも被害が出たかもしれない。家前の側溝も家後の用水も、溢れんばかりであったから・・・
この豪雨で、高岡市内での浸水家屋数は1,000棟を超えたそうである。しばらくその類の被害を聞いた事がなかったが、本当に「災害は忘れた頃にやって来る。」 が当たっているような気がする。それも、想像も出来ない事が起きるのである。「備えあれば憂いなし。」 なのだろうが、自然の力など予測も出来ない。
7/20 空梅雨から一転豪雨に見舞われた高岡は、時間雨量100ミリを記録したとか。テレビの字幕スーパーで見たものの、そんなに激しいとは思わなかった。もちろんゲリラ雨と言われるのであるから、ほんの少し先でも違うのかもしれない。しかるに、警報も信号機のように点いたり消えたりであった。
つい2日ほど前、某テレビ局のお天気キャスター二人の梅雨明け時期を、23日と25日を予想していたのに、それよりも早く梅雨明け宣言をしてしまった気象台は、頭を抱えているのではなかろうか? 自然の事は本当に分からない。だから、「神秘」 と言われる所以なのかもしれない。
7/19 暑い上に、ちょっとでもお酒を飲み過ぎると、いつも以上に眠くなる。エアコンを起動しないのだから、睡魔は必要以上に襲いかかり、PCの前で、コックリを繰り返す。ちょっとのつもりで、ソファにもたれると、ずっとそのまま。
歯磨きをしているつもりであっても、その歯ブラシが床の上に落ちている。酷いときには、椅子から転げ落ちて、ヒヤリとする事さえもある。このような状態では、PCの操作さえ危うい。翌朝、自分のHPを覗いて冷や汗を掻くが、慣れとは恐ろしいもので、当たり前になりつつある。
7/18 娘達が帰京するまで、まだ10日近くある。もう一回休日が引っ掛かる事になるが、今から、「山ノ神」に釘を差されている。「最後の休日だから、付き合え!」 「娘の山に行ってもいいは、本心ではない。」 と言い、「どうしても、山に行きたければ、車を置いていけ。」 である。
「何が何でもは止めよう。」 と宣言しているから、山に行かなくてもいいのであるが、一番良いシーズンなのであるから、勝手に身体(心)が動いてしまう。「弱ったな!」 ならば、近くの低山に、暗がりから出掛けるしかないのか? それとも夜行登山か? やっぱり病気(好山病)は治っていない事になる。
7/17 暑かった。山から降りたから、尚更暑く感じたのかもしれないが、とにかく暑かった。(高岡は36・6℃) 「暑い」 と言うより、「熱い」 という感じであった。それに輪を掛けたのが、「自分だけ山に行った。」 という罪悪感?も手伝ったのかもしれない。
その仕打ちではなかろうが、戸を閉めきられた?ために風通しが悪く、汗タラタラで眠る事が出来なかった。スッポンポンになっても汗が流れた。私の寝ている所は2階で空調機器はない。しかも、家の周りは全部駐車場。トタンの外壁で照り返しをまともに食らってしまう。網戸の窓が辛うじてある。
締め切る戸は無いが、今は夏だから構わないのであるが、冬は外で寝ているのと同じくらい寒さを感じている。でも、試練・訓練と思って耐え忍んでいるが、最早年齢的体力には限界があるのかもしれない。朝起きて、「戸は開けておいてくれないと・・・」 と小声で反発するしかなかった。
7/16 「大猫山」か「大日岳」か迷ったが、午前5時発になってしまったから、大日岳にした。フェーン現象が伴って朝から気温が上昇。汗を掻きながらの登高となったが、大日平を経過する頃から、虫もおらず、時折吹く風に、心地よさの方が優先した感じであった。
山頂では、高岡の奥氏、富山の山本氏と、偶然にもお会いし嬉しかった。盛り上がっていたのは私だけかもしれなかったが、剱岳のてっぺんの雲が取れなかった不満(不運?)より、面々とお会い出来た事が嬉しかった。おまけにとは失礼かもしれないが、魚津の松室氏とも知り合いになれた。
山頂では、石川から来ていた若い男性(清水・宝栄君)、大日平山荘前では、ヒマラヤへ行って来たというおばちゃんに、下山してからは、山をやり始めて楽しいという富山に大泉君にまで声を掛けてしまって、同行の諸氏には顰蹙を買ったかもしれないが、とても楽しかった。
その調子で、帰宅したのが午後4時過ぎになってしまった。出し抜いた今回の山行で、「山ノ神」の態度・目線が芳しくなかった。良い思いをした私は、また一週間懺悔のような日々を送らなければいけないのかもしれない。
7/15 時間制限下の中、それでも、1300mの駐車場発が午前6時前。小白木峰寄りにササユリを訪ね、そして、浮島に行く途中から雨に見舞われた。それでも、ニッコウキスゲ・ササユリに出遭えて満足。盛りが過ぎたという見方もあるが、私にしてみれば、「今が盛り。」 と言っても過言でない気持ちである。
予定より1時間遅れて帰宅。のち娘・孫と共に称名滝見物となる。凄い水量に皆が圧倒され頗る満足と受け取った。ここまで来たら、明日は、こっそり一人で出掛けよう。
7/14 「雨ならば・・」 の苦肉の策を打ち出したのであるが、結果的に、「私も行く。」 となりそうである。「誰か・・」 と思ったが、「お天気の悪いのに・・」 などが祟ったりして、誰も誘う事が出来ず、またまた「山ノ神」 と、二人の山行となるのかと思うと何だか可笑しくなって来た。
7/13 7/15のお天気は悪そうである。夜明け前に出掛け、お昼前に戻って来られれば、「山ノ神」 の小言も聞かずにおれるのではと思う。翌日の事はさておいて、1日目は山(白木峰)に行けそうである。でも、大雨で土砂崩れにでもなれば話が別であるが、お天気が私に味方してくれそうな感じである。
7/12 私はとても欲張り。まだ行っていない名山に登ってみたいと思っているし、想い出を探るべく、もう一度登ってみたいと思う山もある。雨で視界がなく、もう一度という山もあれば、絶景でまた行きたいという山もある。
それは、全国区でなくとも、富山の山でも、隣県の山でもある。何か知らねど、何回とは限らず、いつしか何十回登ってしまった山もある。「月に一度は、また、年に一度は、足を運ばなくては・・・」 という山も出て来る。
トレーニングの山として、差程意識もなく登っていた山に愛着が湧いたりもする。逆に、何回・何十回登ってやろうと思う時もある。しかし、歳を重ねる毎に、その思いが萎んでいきそうである。そういう点からも、目標なるものがあれば張り合いとなり、元気さを保つ、一つの要因となるかもしれない。「時間がない。」 とばかりも言っておれまい。
7/11 東京の娘がやって来た。孫二人が随行だから、またまた賑やかになる。それは一向に構わないのであるが、山行に支障が出るのだけが難である。7/15~7/16のキャンプは中止したが、何とか山に行けないかと模索中である。
娘は、「山に行って構わない。」 と言うに決まっているが、「山ノ神」が煩い。だから、「一日は山に行かせろ!」 そして、どうせ、特別な計画がないのであるから、もう一日の早朝に出掛け、お昼前に戻って来られれば、二日間とも山に行けるのではないかと、勝手な算段を重ねている。
一日も、車を譲れば可能性は高いと思うのであるが、他人様頼りも心持たない。半日は、白木峰なら、充分可能であるし、午前4時~5時発なら全く問題ないと踏んでいる。ピーカンとは言えない予報であるし、目論見が達成する確率は高いと思っている。
7/10 どんよりとした空模様、しかも平日であったが、10台程が駐車していた。前日の雨で、登山道はぬかるんでいたが、それほど気にならなかった。一合毎に刻んだ標識があったが、中には、「勺」 という単位の標識があった。ガスの中のブナ林は、心を和ませてくれた。
未明発だけに、寝不足・疲労が懸念されたが、コースタイム通りに歩ければと思っていた。二人だけだと、どうしても、休息時間・回数も多くなるのであるが、その休息時間をコースタイムに組み込まれる事を考えていた。そのためには、「おだてしかない。」 のであるから厄介である。しかし、富山の山を歩いているのであるから、「山ノ神」 であっても、他県の山は、それを上回る事は少ない。
霧雨状態が、7合目辺りから、一部であったが、青空が覗き始めた。それが、高度を上げる度に、展望が開けて行き、風衝地帯を気持ち良く歩く事が出来た。19年前は、このような山並みであったとは、全く覚えていない。割引岳からとの分岐(機屋)に巻機山の標識がある。雲海の下にヌクビ沢があるが、覗かず上に頭だけ出している尾瀬方面の山々を眺める。10分ほどで行ける最高点?には、ケルンがあるが何の標識もなく、殆どの人達はバックしていく。私達は、その先の牛ヶ岳を目指した。
牛ヶ岳の標識は朽ちていたが、東斜面にはハクサンコザクラとダイモンジソウが咲いていたが、来る人も少なく、その存在も気付かない風であった。ニッコウキスゲの蕾がいっぱいで、今か今かと待っているような感じであった。
7/9 20年ほど前の事であるから記憶など定かでないが、巻機山登山口にあたる南魚沼市清水地区は様変わりしたように思えた。日本百名山の恩恵に預かったのであろうが、民宿・旅館が目立った。そして、駐車場は舗装され、料金が徴収されるようになっていた。
平成5年7月、長男と二人でこの山に挑んだ。ガイドブック一冊を持ってである。大した事のない山だと高を括って、割引沢・ヌクビ沢に入った。その後を追うように千葉の家族連れがやって来た。山をやり始めた感じの男性に奥さん、そして、就学したばかりのような子供二人であった。沢であり、たくさんの残雪があった。
その沢に入ったのは、他に新潟県の男性二人連れだけであった。新潟の男性達と私達は、順調に沢を登っていたのであるが、千葉の家族連れが危なっかしくて仕方がなかった。介助をしようとすると拒むし、巻道への誘導や退却も拒んだ。仕方なく、新潟の男性達に、「なるべくゆっくり歩き見守ろう。」 と提案したほどであった。
千葉の子供達は、「早く宿に戻ってゲームをしたい。」 などと、半分ベソを掻いていた。その内、父親の方が、気を遣った事が災いになり、小さな滝壺に落っこちてしまった。それでも、頑なに「余計なお節介」 として、手出しを拒み続けられた。何時間掛かったか忘れてしまったが、巻機山と割引山との鞍部(稜線)に出て役目を終えたと離れた事だけははっきり覚えている。
ニッコウキスゲの咲いていた山頂で記念写真を撮った後、スコールのような強い雨に見舞われてしまったが、「あの家族は大丈夫かな!」 と思いながら下山の途に着いた事が、ついこの間ような気がしてならない。
桜坂駐車場には、「割引沢・ヌクビ沢へは登山禁止。」 「遭難すると莫大な費用が掛かります。」 との大きな看板が立てかけてあった。でも、よくみると、横に小さな文字で初心者が加えてあったが・・・・ もちろん、私と「山ノ神」は、一般コース「井戸尾根」 のピストンである。
7/8 この先どうなるか分からないので、思い切って遠出をする事になった。瑞牆山・美ヶ原・八海山なども候補にあげたが、結局、最後は巻機山に収まった。19年ぶりである。お天気もどうなるか分からないが、明日は早出となる。
7/7 埼玉の姉が帰った。何処へ連れて行ってやったわけでもないが何だか疲れた。今度は、急遽、娘達がやって来るようである。2週間程度であるから、7/15~7/16の連休や、7/23辺りが危なくなって来た。賑やかになる代償であるから仕方がないか・・・
7/6 人様々である。「GPSルート作成・UPの手順を送れ!」 とせがみながら、送れば何の連絡もない人もおれば、S君のように、FBへの参加に関しての熱心さを見た。さて、自分はどうなんだろうと振り返ると、「花じい」 から、お便りを頂きながら、何の返事もしていない。「お便りだから、こちらもメールでなく・・」 と思っていたら、日にちが経ってしまった。このルーズさを戒めなくてはいけない。
姉来高で、我が家の食事が一変している。姉の持病は食事制限が着いて回るが、「山ノ神」 としては、蔑ろに出来ないという思いがあるのであろう。日頃より豪華となれば、食べ過ぎ飲み過ぎに繋がり身体に良いわけがない。その分、休日に歩かなければならないのであるが・・・
7/5 姉の来高に翻弄されている。と言っても、私が何をするわけでもない。唯、話を聞いてやる事しかない。考え方が固まっているだけに、やはり、「そうだね!」 としか言えない感じである。何年経っても弟だし、答えを求められない限り、「うんうん」 が、一番なのかもしれない。胸の閊えを無くして帰って欲しい。
7/4 埼玉から姉がやって来た。10歳上の姉であるが、2年前の膵臓手術・糖尿病・膝痛などを抱えながら、やっとかっとやって来た。若い頃は、輝かしいスポーツ選手であったが、今はその面影もない。それでも、執念というのであろうか、「墓参りをしたい。」 「○○さんに会いたい。」 などの思いがそうさせているのかもしれない。
頼りない弟の所でも来てくれるのであるから、喜ばなくてはいけない。「最後かもしれない。」 と言われると、もう少し何とかしてやりたいと思うのであるが、優しい言葉を掛けてやるしか私には能力がない。
「仲の良い兄弟姉妹をみるといいな!」 と思い、「仲の悪い兄弟姉妹を見ると何故?」 と思っていた。親や子を除けば、孫や祖父母と同じの関係(2親等)である。先は決して長くない我らであり、仲の良い事に越したことはない。
7/3 eiko女史と約束していた山行。日にちは決まっていたが、行き先が決まっていなかった。白山から戻って、急遽「中尾温泉からの焼岳」に決まった。eiko女史の 「雨が降ったら降った・・」 と言う言葉で決まったようなもの。
20数年前、3人の子供を連れて、焼岳小屋辺りまで行った事があるが、まるっきり覚えていない。ネットで眠い目を擦りながら、うわべだけの情報を入手し臨んだ事になる。行って見れば、登山道は整備され、とても歩き易すかった。
午前10時頃、秀綱神社辺りから雨が降り出した。雨が小粒で視界も良かったから、特別イヤな感じではなかった。焼岳小屋の分岐を通過し稜線分岐に出てから、笠ヶ岳や錫杖岳だけでなく、高度を上げる度に穂高岳が良くなって来る。槍ヶ岳も親指のような形で姿を現す。
ガスに覆われたと思ったら、また山並みが現れる。そのような事が繰り返されながら、岩場をぐるっと回り込まなければ山頂には届かない。前日の疲れが出たのか、「山ノ神」の足が何度も止まった。
でも、「止めた。私は此処にいるから・・・」 と言えるような場所でもないだけに、「山ノ神」も頑張った。山頂には誰もいなかった。こんなのは初めてである。人気の焼岳(百名山)であっても、雨が降ってはやって来まい。
我々も、とても食事が出来るような環境でもなかったし、雨の岩(ガラ場)はイヤだし、早々に戻る事になった。「山ノ神が、山頂で飲まない。」 異常な光景は何年ぶりだろう。
お腹を空かしながら、秀綱神社に戻って簡単な食事をした。でも、寒かった。雨具が通った事もあるが、「何かもう一枚着たい。」 という感じであった。温かいラーメン・コーヒーが一番のご馳走であったような気がする。
eiko女史が、「良かった。」 「また機会を作って一緒したい。」 と言ってくれた事が嬉しかった。山道も車の中も、3人で、ずっと喋りっぱなしであったが、「山ノ神」は、連日の歩きにかなり疲れたようで、家に戻ってからは、ニコニコ顔が消えてしまった。
7/2 観光新道から登り、砂防新道から降りる定番コース。お天気は、梅雨の合間の晴れ予報であったが、やはりちょっと心配。お花は早いかもしれないが、慌てずゆっくり行こうと言っていた。そこに、ひょっこり福井の黒川女史が現れた。3年ぶりであり、過去にも、3度ばかり山中でお会いしか事があった。奇遇であり、同コースを一緒する事になった。
ニッコウキスゲは、まだこれからであったが、キンポウゲやキンバイ、そして、キヌガサソウやカラマツソウ、また、ハクサンチドリやハクサンフウロがちょっぴり咲いていた。残雪が予想以上に多く、そのせいか、心配していた「虫」に悩まされる事が少なかった。
4時間半近くを要して室堂に着いたら、案の定「山ノ神」は、山頂への歩きを辞退した。疲労困憊なのか、点滴を施す時間がなくなるからか分からないが、黒川女史と私は、別々であったが山頂に向かった。心配になっていたクロユリが咲いていた。これからというものが多かったが、それでも、期待していた者にとっては、満足出来るほどであった。
それより先、前日facebookに載せておられた石川の金子氏の「展望台とクロユリ」が気になっていたので、室堂センタースタッフ中村氏に尋ねた。案内を申し出て下さったのであるが、こちらにも事情があったので辞退をしてしまった。山頂への登山道で咲くクロユリを持ってすれば正解であった。
岐阜から来たという男性の「花の講釈」を聞いていた事もあり、室堂を発ったのは、午後3時頃になってしまった。早く帰宅しなければいけなかった黒川女史であったが、最後までお付き合い願った。
中飯場を少し過ぎた所で、今度は福井の「宮ちゃん」が下からやって来た。「防虫ネットを落としたかもしれないから・・」 と言っていたが、彼女の2台横に、我々の車があったようで、2年ぶり再会を兼ねて会いに来てくれたかのようであった。黒川女史や宮ちゃんと、今までの2~3年分を、いっぺんに話した感じで楽しかった。
7/1 予報は上方修正?されたが致し方ない。今更お泊まりも出来ない。火曜日には、行き先を決めていないが約束をしている。それで、ちょっと前倒しになるが、白山に行く事にした。今回は、岐阜側からではなく石川側になる。