9/30 今年も山梨のKさんから、美味しいブドウが贈られてきた。毎年、夏の桃と秋のブドウを贈って下さって何年になるのだろうか? 「山ノ神」と振り返って見るが、何時からか思い出せない。20年以上かもしれないし、もしかしたら、30年かもしれない。

 そのKさんは、姉の友人(先輩)である事は知っているのであるが、私(達)は、まだ一度もお会いした事がないのである。「それなのに・・」 である。だから、御礼の電話をするにしても、共通の話題が少ないせいもあるが、ぎこちなく長続きがしない。そんな事から、現在はお礼状を書く事に至っている。その方が、何度も読み返してもらえるし、こちらの情報も伝わるのではないかと思ったからである。

 「お母さんがおいでる内は・・・」 その母が亡くなって満10年であるし、父が亡くなってから18年であるから、何時からであるのか分からない。会った事のない友人(姉)の実家に贈り続けるなんて、そうそう出来る事ではない。このKさんも、姉と同じ教育畑の人と聞いている。



9/29 台風の速度の関係で、予報が前倒しになる感じであり、連休の二日目にちょっぴり晴れマークが顔を出してきた。でも、一日目は、全日雨となれば、キャンプは取りやめである。「何が何でもを止める。」 の如くである。

 では、「一日目は、何をするの?」 まるで、趣味のない退職者と同じである。やっぱり、合間を見計らって歩かなければいけないようである。本当は、「する事がいっぱいあるのに・・」 

 

9/28 「年賀状買って下さい。」 とコンビニをやっている友人からのメール。今までの経緯があり、また、いろいろと頼まれるから、なかなか要望に応えてあげられない。そして、もうそんな時期になったのかと、改めて、日にちの過ぎる速さを感じてしまう。今年も3/4が終わろうとしている。

 今年は、これという写真が撮れていない。今から悩まなければいけないと思うと憂鬱である。一年に一度の挨拶の他に、自己ピーアールの機会であると思ってやって来たが、「来たか・・」 と言って、流されるのがオチ。でも、自分で意義を感じているのであるから、それなりに頑張らなくては・・・



9/27 予報がいっぺんに変わった。二つの台風のせいである。自然には逆らえないし、もうちょっと、この先を見るしかない。沖縄接近の17号は、今年3回目であるから、そうそう、台湾や朝鮮半島ばかりに、それないような気がしてならない。

 でも、それれば言う事なし。だから準備は怠らない。そして、また近間の低山にならないよう祈るしかない。



9/26 こんなにお天気が続くと、今度の自分の連休が心配になってくる。(10/1~10/2) 気温の低下が遅れていたが、このところの冷え込みで、ぐ~っと、紅葉が近付いたと私は思っている。それを楽しむ為に、「山ノ神」 同行となると、無理せず快適な所となる。

 ブナクラ方面を蹴り、雷鳥平や白馬大池となりそう。それとて、別山や剱御前の頂きを目指せるし、大日連山の縦走もある。また、白馬乗鞍岳や白馬岳の頂きを伺えるし、日帰りの事を思えば、日が短くなったとはいえ、充分に山を堪能出来る。

 ロートルの域に達したかもしれないが、「山が好き!」 は変わらない。でも、山ヤの皆さんと同じような事は、最早出来ず、それなりの楽しみ方をするしかない。そしてそれは、、羨ましいとは思っても、残念とか悔しいとの思いは随分小さくなってしまった。「それでいいんだよ!」 そのような方々と、遊べば良いのであるし・・・



9/25 はるちゃんが可笑しな事を言った。「最近の山で、歳取った人(高年)が少なくなったような気がする。」 「歳を聞いても俺より若い人ばかり」 だと言うのである。当たり前の話である。自分がそれだけ歳を食ったのだから、自分より歳を重ねている人の範囲が、狭められているのは当たり前のコンコンチキである。

 中高年・熟年と言われている人達の多くは、自分達より10歳程が上限である。(最もスパー爺と言われる人達は別格である。) だから、もう10年もすると、自分より若い人達ばかりになるという事なのである。逆にいうと、そんな元気な爺さんでありたいと思うのだが、そう問屋は降ろしてくれない。

 でも、それくらい辺りまでは、そう遠くない話であるし、目標を持って頑張ってみたい。だから、テントを担いで行けるの山行を、一つのバロメーターとしたい思いである。こんなに早く歳を取ると思っていなかったし、自分の事とも思っていなかった。こうなったら、羨ましく思われるような歳の取り方をしなければと思うのであるが・・・・



9/24 早く起きたが、まだ雨が残っていた。しかし、「あれよ あれよ」 と言っている間に、お天気が良くなって来る。「ありゃ!」 である。ヘッドランプも2ヶ用意したが、我が家を午前10時発じゃ、何処にも行けない。いくつかの候補を持っていたが、砺波で給油した時点で牛岳行きとなった。

 林道登山口に入った途端、それこそ、「ありゃ!」 である。草ボーボーなのである。「日頃、あまり良い事をしていない身の上だけに、そんな時こそ、ちょっとでも草刈をしよう。」 とあれだけ言っているのに、鎌・ハサミを忘れて来るのであるから、そのいい加減さには自分ながら呆れてしまった。

 でも、行くしかない。そして雨になった。足下が分かりにくいだけに、滑りやすかった。いつ「山ノ神」が「止めよう。」 と言い出すのかと思っていたが、最後まで先頭を歩いてくれた。在り来たりの数少ない花?を確かめながら・・・

 山頂に近付くと雨が上がった。そして、砺波平野が見えだした。そんな光景を見ながら、1時間を過ごし山頂を後にした。数えてみたら、今年6回目の牛岳。通算137回目であった。



9/23 「明日は何処へ行くの?」 と問われ返事に困った。終いには、「山ノ神」にまで、「明日は?」 と聞かれてしまった。「明日の日中は、降らないかもしれないけど、高い所へ行っても・・」 と濁してしまった。私より遅い足で、ササッ~、と片付けられるハズがないし・・・  寝て明日考える事にしよう。



9/22 まだ日中の暑さが残るものの、朝晩は、その暑さがだいぶ和らぎ、秋の様相を呈して来たように感じられる。「暑さ寒さも彼岸まで・・」 そのものである。山小屋も、大方が体育の日(10/8)辺りまでの営業のようで、いっぺんに秋になる。

 これから、随時紅葉が始まっていくのであろうが、今年は、「これっていうものが撮れていない。」 もちろん、プロ目線と違う素人の目線での話であるが、それとて、好き嫌いがある。年賀状の発売が、あと一ヶ月余(11月上旬)に迫ると、いつもの事ながら焦ってくる。



9/21 今日も降る事がないだろうと、シュラフを干し、テントを組み立て、汚れたところがないか、破損したところがないかと調べていたら、細かい雨が降ってきたので、すぐに片付けた。その後、所用で出掛けたら、スコールのような雨に遭ってしまった。何となく、ホーッ!

 いつでも好きなように出来る訳がないので、ここ2~3日は、このような作業が続いている。また次に使用するのであるから、そんなに神経質になる事はないのであるが、それは性格というのであろうかトコトンやってしまう。



9/20 最近、ちょっとだるい。眠たい。血圧が高めである。踝辺りの浮腫を感じる。関係ないかもしれないが、蚊によく刺される。此処に来て、「一年一年・・」 と言われた言葉が、ヒシヒシと感じてくるが、抵抗というのか、「まだまだ・・」 と跳ね返さなくてはいけない。何せ、まだテントを担ぐ山行に拘っているのであるから・・・

 2年前、膵臓の手術をした姉から電話があった。体調は思わしくないようである。「このままだと、今年いっぱい。」 だと主治医から言われたようであるが、姉の抵抗も続いている。それこそ、「あれもこれもである。」 人間なかなか無になれない。欲があっての人間かもしれない。無くなったら仏様になるのだろう。



9/19 秋の七草が話題になった。どうでもいい事なのだが、何でも知らないより知っていた方が良い。ハギ・キキョウ・クズ・ナデシコ・オバナ・オミナエシ・フジバカマで、漢字にすると、萩・桔梗・葛・撫子・尾花・女郎花・藤袴になる。オバナはススキの事らしく、キキョウは、アサガオという説もあるが、キキョウに軍配が上がるようだ。

 この秋の七草を、「おすきなふくは」 と覚えるといいらしい。「お」は、オミナエシ、「す」は、ススキ(オバナ)、「き」は、キキョウ、「な」は、ナデシコ、「ふ」は、フジバカマ、「く」は、クズ、「は」は、ハギ。  これなら覚えられるかもしれない。では、春の七草は? 「ありゃ!頭が痛くなってきた・・・」



9/18 蝶ヶ岳の帰り、平湯を過ぎた頃、「友人のお父様が亡くなられ、今晩通夜だ。」 という連絡が入った。「前日から連絡しているが、何の返事ところか繋がらない。」 などと、連絡してくれた友人が苛立っていた。

 それもその筈、16日は、明け方前から出掛けているし、自宅の電話にしても、PCへのメールも取れるわけがないし、新聞も見ていない。そして、私の携帯は、繋がりにくいから、電源を切っていたし・・・

 友人のお父様と言っても、その友人は、15年前に故人となっており、尚更お手伝いをしてあげなければならなかったのだか、これだけは致し方ない。だからでもないが、今日は、葬儀の受付のお手伝いをさせてもらった。

 葬儀に出向く前に、山用具を干し物竿に掛けて1分もしない内に、雨が降り出し慌てて取り込んだ。しかし、すぐに止んだ。でも今日は、乾かすのに適していない日だったのかもしれない。



9/17 「ほんの僅かな時間であったのだろうが、あの満点の星は何処へやら・・・」 夜明け前からテントの外へ出ていたが、深いガスに包まれていて、この先が暗かった。時折吹く強い風に、テントごと持って行かれそうになったが、張り綱さえしっかりしておれば、何という事もない。

 夜明け前からテントの撤収が始まったが、夜明けにはそれがピークになり、張り綱に引っ掛からないように注意しながら歩いていたのが、ウソのようになってしまった。

 予報に反して、一向に良くならない空模様に嫌気してなのだろうが、縦走を断念して、下山という形を取った方々が、多かったように思えた。 昨日お会いしたN君も、魚津の神谷夫妻も、その方向であったようだが、それがセオリーというものであろう。のんびりしている私達に、同じ昨日、追いつ追われつだった東京の男性が、常念岳への事を尋ねられたが、先の見通しが悪いとの判断で、やはり下山されて行った。

 「寝転びながら槍穂を眺めている。」 「お山のてっぺんで、コーヒーを飲みながら、山と親しむ。」 などの目論見が外れてしまっては、ちょっとでも歩きたい。「何も見えないから・・・」 と渋る「山ノ神」を従えて、「蝶槍くらいまで行こうよ。」 となる。

 すると、展望がなくとも砂礫の登山道は、所々色付き始めていた。雷鳥も現れるし、それなりの楽しみが増してくる。「雷鳥が現れるという事は、お天気の回復はないかもしれないね。」 と言えば、「ブロッケンが期待出来るかも・・」 が飛び出す。そして、蝶槍(正確には、三角点の所かもしれないが・・)トップで、暫し様子を見る事とした。

 小1時間も我慢していると、何処からともなく青空が現れ、ドンドンガスが切れて行く有り様となった。常念岳が見え、穂高の山容も大キレットが分かるようになってから、ピークの名を貼り付けて行く事になり、常念岳方面からの縦走の方々とあれやこれやになって賑やかになった。

 時間に限りがあり、ずっといる訳にもいかず、何度も何度も振り返りながらテント場に戻った。テント撤収も、風に少々手こずったものの予定の時間内に、山頂を後にする事が出来た。そして、今回は、慌てずゆっくりした事が、功を奏したかのようであった。

 下山時に何度も追い着いては、突き放されていた静岡の石川氏と、ステキな女性(あきちゃん)に、最後の最後の登山口で、一緒になる事が出来た。そんなお二人と、駐車場で歓談しながら沸かしたコーヒーも、想い出の1ページとなるような気がする。

 

9/16 近年の山ブーム故なのか、連休の最中、そして、ちょっと出遅れ感が歪めないではなかったが、三股の駐車場手前から、路肩に長蛇の車の列にはビックリであった。Uータンするために駐車場まで行ったのが尚更悪く、出るにも出られぬ羽目に遭い、またまた時間を要してしまった。結果的に1・5キロ手前からの歩きとなったが、まだ良い方であった。

 沖縄地方に接近している大型の台風が、気にならない訳がなかったが、縦走もせず、山頂からの大展望を楽しみながら、ゆっくりしようという今回の目論見は、「山ノ神」の希望を大いに取り入れたものであった。

 「どれだけ時間が掛かっても良い。」 と言って登り始めたのであるが、13キロと22キロの荷は、最後の最後にバテが来てしまい、山頂は遠かった。「前日はダメだったが、夜中から満点の星、そして、今朝は快晴。」 「山頂のテン場はいっぱい。小屋の横まで張っていた。」 などと擦れ違う下山者との励ましの言葉も、なかなか力にはならなかった。

 テン場到着は、午後3時頃、次から次へとやって来る登山者とも重なり合って、場所を探すにも一苦労であった。たまたま、「山ノ神」と親交のある魚津の神谷夫妻と遭遇し、いろいろとお世話を願った。

 テントを張ってしまえば、こちらのものである。何もかもが見えず、ガスの中の宴であったが、神谷夫妻にも加わってもらい賑やかになった。周り中、テントだらけで、我々の大声が、楽しく羨ましいと思われたか、煩いと思われたか分からないが、苦情は全くなかった。やっぱり近隣へのサービスが利いたか・・・・

 途中から、少しばかり林道歩きを一緒した東京のN君を、「山ノ神」は、何処で見付けて来たのか分からないが、宴の仲間入りをして頂いた。お話しを聞いていると、石川のDr・H氏並の事をやっている青年のようであった。

 最近、山で知り合いになる若者達の親様の年齢が、私より若いという方ばかりである。「良く頑張っている。」と思われているのか、「年寄りのくせに・・」 と思われているのか分からないが、「ちょっぴり歳を食ったな~。」 と思わずにはいられない。



9/15 今日、山に出掛けている方からの情報では、ピーカンとはいかないまでも、まずまずのお天気との情報を得ていたが、高岡は、夕方から厚い雲に覆われ雨が降り出した。その雨は少量であるが、雲行きを見ていると、まだまだ降りそうな感じである。

 しかし、北陸の予報は、晴れマークで心配はないようであるが、私の出掛ける北ア・南部は、どうなるのだろうか? 太平洋側は雨、日本海側は晴れの予報なのであるから・・・ どちらにしても行くしかないが、平湯経由にしようか、糸魚川経由にしようか迷っている。



9/14 沖縄に接近している大型の台風は今後どうなるのだろうか?晴れマークがあるけれど、ちょっと心配である。局地的な凄い雨がなければいいのであるが、家に戻った頃に、日本海に達する台風(低気圧)の影響で強い風が吹いているかもしれない。

 今回の予定は、三股からテントを担いで蝶ヶ岳。欲張らず、蝶ヶ岳一座だけで、ゆっくり過ごす予定であるが、晴れていなければ、ゆっくり過ごす事も出来ない。せめて降らなければ、降っても一時だけにして欲しいと勝手な希望である。



9/13 私の身体を自動車に例えれば、12~13年経った我が家の車のような気がする。何かあっても、取り替えるパーツがなくなり、その都度、生唾を飲まされる。しかし、優に15万キロを超えていても、「調子が出るのはこれからだよ!」 との声もある。

 外観は悪くとも(今流でなくとも)、メンテナンスを施し、暴走もせず、事故を起こさずという事であろうか? エンジンさえ何ともなければであろうから、心臓が丈夫ならに置き換えなければならないとしたら、些か自信が持てなくなる。

 過去の失点の累積が気になるところであるが、ガス欠(装備)やパンク(点検)は防げても、計器類の故障(臓器の異常)やエンジントラブル(心臓や脳)が起こればいたたまれない。そして、重量オーバー(重荷)や長時間・急勾配の運転のような負荷のかけ過ぎでは、長くはもたないだろう。そろそろ、自覚(○○マーク)し、程々というものを知らなければいけないのかもしれない。



9/12 今度の連休(9/16~9/17)の連休は、剱沢に行きたいと思っていた。しかし、「山ノ神」が、いつもテントキーパーでは申し訳ない。ならば、思い切って、「山ノ神」が、喜びそうな所を探そうか? 幸い曇りがちではあるが、お日様マークがないわけでもない。

 危険がなく、展望が利き、疲労を重ねなくて良いところ。しかも、実績のあるところとなれば、あそこしかないか・・・ 明日もう一日様子をみたい。



9/11 昨夜は、何時まで喋っていたのだろうか?カメラには、0時12分までの画像がある。もしかしたら、1時~2時近くまで起きていたのかもしれない。おそらく、いつもと同じ事を喋っていたに違いないが、嫌がらず話を聞いてくれる仲間に感謝である。

 そんな事もあり、一日中、睡魔との戦いであったが、「一日を有意義に使った。」 という自負があり、辛くも何ともない。唯、「月見の会」 と銘打っただけに、「月」を用意するのを?忘れていたのが頂けなかったか・・・・

   今度は、何というタイトルで会えるのであろうか? 都合が悪かったメンバーとは、ちょっと時間が空いただけで、尚更次の機会が楽しみである。



9/10 雨は夜まで降らなかった。「行かない。」 と言っていたが、そうなると、やっぱり、ちょっとでも、歩いて来なくてはならない。「千石城山」 に出掛けた。朝食を済ませてから出掛けたので、山頂では、コーヒーを沸かす程度で、すぐに山を降りた。

 欲張りな「山ノ神」は、城ヶ平山にも行こうと言う。「ちょっとだけだよ。」 と言って、大岩に向かった。雨どころか、青空が広がって、暑い日になった。登山道から見えるミョウガを、ちょっぴり頂く収穫の山行となったが、「休日は汗を掻くに尽きる。」 と改めて感じた。少し草木が伸びている山頂であったが、気分は最高。500mにも満たない山であるが、大展望が広がるからである。

 夕方から、急遽、山仲間が、拙宅に集った。「好山病・・」の過半数に達しなかったが、それなりに話が弾み、あれよあれよと時間が過ぎて行った。「皆が寄ってくれる。」こんな有り難い事はない。



9/9 明日の予報は芳しくない。それでも必ずのように何処かへ出掛けていたのに、何故かあまりテンションが上がらない。「低山は暑い。」 どうかしたら、「登山道の草木が覆い茂っている。」 の印象が強いからかもしれない。

 「雨の降らない内に、二上山でも歩いて来ようか・・・」 そして、「山ノ神に誘われていた映画でも見に行こうか・・」 と言ったら、怪訝な顔をされた。「何処か悪いの?」 とでも言いたげにである。

 もう一度、予報を見た。もしかしたら、午前中は大丈夫かもしれない。でも、志気の上がらない現在の自分であるから、起きてから決めようと思う。



9/8 どんなトレーニングでも、取っかかりが何となく気が重い。しかし、やり始めてしまうと、ちゃんと軌道に乗る。一日やると一日寿命が延びる。でも、お酒(毒)を飲むから帳消しなる。では、山登りはどうか? 1週間くらい寿命が延びるような気がするが、睡眠不足・暴飲暴食・疲労の悪要因を差し引くと、どれくらい歩留まりがあるのか分からない。

 何の根拠もない私の気持的願望なのであり、寿命の語句も、元気で活動出来ると意味に置き換えているし、山歩きや車の運転が出来る事でもあるが、唯々、言葉の遊びにしか過ぎない。



9/7 「イビキが酷い。」 と「山ノ神」 に言われてから、テントの共有を控えるようになった。それは、(山小屋でも同じ事。) 「お酒を飲み過ぎた時などは、酷いものだ。」 とか、「どうかしたら、息をしていないのではないかと、そっと耳を当てて見た事もある。」 というのである。睡眠時無呼吸症候群なのかもしれない。

 2階と1階での別居?生活なのであるから、今は注意されることはないが、山中では、否応なしに一緒になってしまう。そして、お酒を飲むから、余計にそうなのかもしれないが、この先ちょっぴり心配である。

 そんな事もあり、山仲間と行動を共にする事があっても、テントの分を余計に担がなければいけない。今の体力・持久力なら、まだ大丈夫なのであるが、もっと寒くなり、寒がり屋の「山ノ神」の分まで担ぐとなると、ちょっときつくなるかもしれない。今更、「もっと体力を・・」 などと、言えるものでもないし・・・・



9/6 2週間ほど遅れたバースデーカードが届いた。私の子供のような年齢のYちゃんからである。「二人の山行スタイルに憧れる。」 とか、「また一緒させて下さい。」 などと書き綴られ、何だか擽られるような感じであるが、ニコッとしないハズがない。

 若者とのお付き合いがあれば、「元気がもらえる。」 「新しい事を教えてもらえる。」 でも、エネルギーがいる。そのエネルギーを、惜しまないで使わなければいけないのであろうが、なかなか難しい。あちら様も、年寄り向きに、結構エネルギーを使っているのではなかろうか・・・・

 私などは、教えてあげる知恵もないから、「思いやり」 や 「聞いてあげる。」 くらいしかない。「経験」 などに乗じて、いい気になって喋るのは好まれるハズもない。でも、声も掛からぬようになってしまうと寂しいものである。「邪魔しないで、そっといて楽しむ。」 そんなのがいいのかもしれない。その先に、「誘ってもらえるようにならなければ・・・」



9/5 テントの分3キロくらいなら担いでも、まだまだ大丈夫なのだが、長い距離を歩いていると、ボディーブローの様に、ジワジワと効いてくるような気がする。今回も頂上小屋横のキャンプ場まで行けたかどうかは疑わしい。「山ノ神」の荷を、極端に少なくしたのに、7合目避難小屋で、目一杯だったように思うから、その上を目指す事は、かなり難しかったように思う。

 「もう、このような事は止めよう。」 と言いながら、悔いる事なく、続けているのは、特別の事(岩や沢登りなど)が出来ない自分達の限界を試す、突っ張りのような事なのかもしれない。

 また、時間や経済的な余裕があれば、その山行前後に、温泉や名所旧跡などへ、足を運ぶ事も出来るのであろうが、そのような事が、「夢の夢」だけに、出来る範囲以内の行動なのである。最早「老い」が迫って来ているだけに、今の内にとの焦りがないわけでもない。



9/4 昨夜は、体調がイマイチだった事もあって、あまり食が進まなかったし、持参した清酒も半分程残してしまった。外は細かい雨が降っており、最初から雨具を着なければいけなかった。そして、この雨では周遊コースを諦め、山頂に立ってから、再びこの小屋に戻る事にした。従って、寝具類を置いて出掛ける事にした。

 3Lの水を担ぎ上げたが、今朝のコーヒーで残り少なくなってしまった。歯磨きのうがいも、使い過ぎないようにした。カツカツの水がイヤだったので、昨日の内に、10分程と言われているAコースにある水場に向かったのであるが、20~25分行ってもなかったのである。涸れていたのである。

 避難小屋に戻っても、水が使えるように、カラのペットボトルを、全部ザックに詰め出発する事になった。8合目の水場まで、「山ノ神」が嫌がるほど結構大変であった。そして、此処も水が涸れていた。昨日は、雨の中、此処まで給水に来なくて良かったと改めて思った。

 玉ノ窪小屋・木曽小屋は、シーズンが終わった平日だからか分からないが、カギが掛かっていて、当然水を求める事が出来なかった。山頂を回り込みキャンプ場がある頂上小屋に行ったが、この小屋もカギが掛かっていた。きれいなトイレの中に給水設備があり、少々の心付けをしてその水を頂いた。

 この頂上小屋も、10~20m程まで近付かないと分からない視界が悪かった。そして、思った。昨日、出発時間を早くしたとしても、このキャンプ場までは、辿り着く事が出来なかったのではなかろうかと・・・・

 ロープが張ってなかったら、山頂へのルートも分からないくらいであっただけに、GPSは便利と思った。でも、山頂を経由せず、先に頂上小屋へ行ってしまったのは、あやふやの標識の所為もあるが、GPSで確認しなかったからである。

 山頂は風が伴い寒かった。写真を何枚か撮って、「すぐに帰ろう。」 と、「山ノ神」 にせがまれてしまった。木曽小屋まで5分、その先の玉ノ窪小屋まで25分ほどで届いた。小屋と石垣の間で、コンロを出し、ラーメンを作り、コーヒーで暖まった。

 「山ノ神」が嫌がっていた滑りそうな大きな岩の間も問題なく通過し、避難小屋に無事辿り着いた。その頃から、いつもの事であるが、一部に陽が差し始めたのである。食料や酒が、もう一日分くらい残っているのであるが、そんな事を言っておれないし、荷物を纏めて下山するのみである。

 やっぱり降りるのは早いものである。如何に我々でも、2時間も掛からず徒渉地点までやって来たのである。しかし、雲行きが怪しいと思った途端に大粒の雨が降り出し、何もかもが、ビシャビシャになってしまった。



9/3 頂上小屋付近のテン場から、木曽福島側から登るBコース7合目避難小屋利用に変更した為、出発も前夜から今朝に改めた。平湯トンネルを抜け、上高地公園線・奈川渡から、奈川木祖線(26号)を走り、薮原で国道19号線に出た。日義木曽駒高原道の駅から少し過ぎた「原野交差点」から、現在休業中の木曽駒高原スキー場を目指せばいい。我が家から175キロであった。

 ゲストハウス・ヒルトップの大きな駐車場に車を駐めさせてもらい、スキー場の中の林道を行く。標高差で200m以上登った所が林道終点で幸ノ川を渡る。そこが三合目らしい。少し登れば四合目があるが、水場の四合目半がなかなか着かなかった。その水場(力水)は、チョロチョロで水場とは言い難い。

 この調子では、五合目や六合目まで、どれだけあるのかと思ってしまった。その切りの良い場所に着くまでに、当然の様に「山ノ神」の休憩要求が何度となくあったのは、いうまでもない。そして、雨になった。

 7合目避難小屋は、情報通り小綺麗な小屋であった。屋根には太陽光パネルがあり、別棟のトイレに接続されていた。また、小さい物であるが、風力発電も行われているようである。そして、かなり上部から水が引かれていて、ペーパーも流せる完全水洗トイレであった。それは垂れ流しではなく、浄化槽らしいところで、バイオ技術が駆使されているものと思われた。

 この避難小屋は、始めから宿泊をあてにしてもよい設備になっている。これは本当に、関係者の方々に感謝である。トイレには年間50万円くらいの維持費が掛かると説明があったので、少々の心付けをポストに入れても惜しくはなかった。そんな小屋はだけに、食事も程々にして、眠りに入ってしまった。



9/2 今日は、必ずしも好天とは思えなかったけれど、facebookと通じて、知人・友人から、リアルタイム(必ずしも、そうではなかったが・・)で、剱岳2・御嶽・富士山・立山・徳本峠・朝日岳の様子が届いた。

 羨ましい限りであったが、夕刻のテレビニュースで、知人が八ッ峰で事故に遭ったと報じられ、すぐに安否を尋ねた次第であった。詳細は分からないが落石のようである。これで、私の友人知人が、ヘリのお世話になったのが6人目になった。(一人は故人となっている。)

 明日の木曽駒ヶ岳山行は、不安定な空模様から、下方修正し、今晩発を明朝発に変更する事にした。テント泊を回避するわけであるが、多分避難小屋を利用する事になる。したがって、周遊とか、いくつかのピークという事も白紙とし、とりあえず、木曽駒ヶ岳のピークを目指す事とした。またまた、余計な荷が増えるような感じである。



9/1 「ところによっては雨。」 「なんだあの予報は?」 と思っていたのですが、この頃は、「なるほど・・」 と思う時が多いような気がします。「なかなか降らないね。」 と言っていたら、ザーッと降る。「降ったら、なんだこれは・・」 という程降ってしまう。

 「この暑いのはいつまで続くのだろう?」 と言っている内に、もしかしたら、すぐに涼しく、いや、寒くなるような気がしないでもない。自然の事は、本当に奥深く分からないのが普通!!

 そんな事を思うと、叱られるかのしれないが、地震学者などは、詐欺師のようなものだ。「来るぞ来るぞ。」 と脅してばかりいる。そして、確率という言葉で逃げるのだから、厄介!・・・

 その反対の事になりますが、山を歩いていて雷に遭遇。「当たるもんか・・」 「宝くじに当たるようなもの。」 「雷で死ぬ人は、年間何人いる?」 などと檄を飛ばしていた自分も反省。