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11/30 今夜、縁戚の女史を見舞った。一ヶ月前胃がんの手術をしたが、体調が今一つなので再入院したと聞いたからである。食が喉を通らないらしく、やせ細っておられたが、きれいな方は、痩せようがなにしようがきれいであった。(私よりも二つ年下)
この頃、やたらにガンという文言を耳にする。近所でも親戚でも、友人からも。以前と違い、単刀直入に医師から言われるらしいが、告げられたら、やっぱりショックだろうな! それだけ、早期発見なら助かるという事なのだろうが、心臓病・脳出血・ガンでなければ死なないと言われる世である。
私の父は膵臓ガン、姉も現在膵臓で病んでいる。伯父達も殆どガンで逝っている。私も間違いないであろう。でも、それまで、ピンピンしていたい。
11/29 難しい山に行かないけれど、一年に1~2回、どれだけ山に登ったのだろうと数字の遊びをする。年間に70~80座くらいであるから、ドンドン増えるものでもないのに何故か気に掛かるのである。
「一度や二度くらい登っても、その山の事など分かるはずがない。」 と言うのが持論で、「せめて10回くらい登らないと・・」 と思っていたのだが、まだ30座にも届かない。また、大猫山と大地は、100回は無理としても、50回は登りたいと思っていたのに、どうも怪しくなって来た。
そんな事は、どうでもいいはずなのに、いつしか拘るというのは、やはり目標なるものがあると、張り合いになるような気がする。大それた事は出来ないとしても、自分なりに、またそれなりの勲章を目指すのは楽しいものである。
11/28 来週の日曜日(12/2)は、義兄の三回忌であるため埼玉に出掛けなければいけない。その日を休業とするため三連休の形になる。昨年は、その法要を終えた後、筑波山と八溝山に出掛けた。今年は、すぐに富山に帰っていつもの山行にしようか、それとも、姉と過ごす時間にあてようか、また、名山は複数回登らなければとの思いから、今一度雲取山などに登ろうかとも複雑な気持ちでいた。
でも、「せっかく近くに来たのに、声を掛けてくれなかった。」 と叱られるような気がして、神奈川の由利香さんに、電話をしてみたら、彼女も、その間いろいろとイベントが立て込んでいて難しいとの事であった。「来年、またお会いしましょう。」 となったが、不思議と寂しく感じた。
そうなると、東京近郊の山にしようか、帰路についてから、沿線の山にしようかともなるし、いやいや、山から離れて名所旧跡を尋ねる旅にしようかとなるが、後者は、どれだけ言っても、現実となるまで「山ノ神」は信用しない。まだ日にちがあるが、予報は決して良くない。
11/27 昨夜の忘年会は、仕事の都合で来られなかったメンバーがいたが9名が集った。「好山病・・」は月曜日の会であるが、半数以上が休日が違うだけに、元々行事を催す事が難しいのである。それでも、イザという時に結集するエネルギーがあり、実に頼もしく嬉しい。
宴席中、盛り上がったからでもないが、月例山行の提案があった。月1回、なるべく休日を、月曜日に当てたいとの申し出である。叶うか叶わないか分からないが、そのような気持が嬉しかった。 早速、来月から企画しようと思う。それもその筈、12/13は、好山病発足満8年である。
11/26 予想通り朝から雨。夕方から「好山病・・」の忘年会が立山町・吉峰であるし、簡単な山を考えていた。山から戻って、もしかしたら、宴会のお手伝いがあるやもしれないし、その前に、お風呂に入らなければならないから、「傘を差して登れる山」 である。
そうならば、ずっと思い続けていた事があった。10数年前、僧ヶ岳でお会いした富山の坂井さんがやっているイタリアンレストランに行く事であった。一度お会いしただけで、年賀状の交換をしているものの、正直なところ顔よく覚えていない。でも、「いつかは出掛けます。」 と言って10年を超えているのであるから、この機会だと思った。
ランチなど、外食機会の少ない私にしてみれば画期的な事である。天正寺にあるお店は、女性客で賑わっていて、静かな落ち着いた感じに思えた。「高岡の本間」 だと名乗ると、手を止めて私に応対して下さったのだが、ちょっと申し訳なかった。たった一点・ほんの僅かな交流が、こうして10数年前の事を甦らせるのは、やはり共通の想い出そのものであるように思える。
それから出掛けた尖山である。雪がなければ簡単そのものであるが、今日は工事で、横江集落通行止めとなっていたため、林道歩きが、運動不足を少なくしてくれるとの思いで歩いた。誰もいない雨の尖山であったが、うっすらした墨絵を眺めるような不思議な雰囲気に、これまた雨の中でのコーヒータイムは、私達しか味わえない乙なものであった。
吉峰温泉で汗を流してから、eiko女史アトリエの忘年会々場へ向かった。「好山病・・」の仲間達であるが、本当に久し振りの感じである。実際、今春・我が家での懇親会以来のような気がしたが、酒を酌み交わせば、すぐに心が和んでしまった。
11/25 私のfacebookのお友達で最高齢の方は、総本家の御大である。その御大に、「おじーちゃん!83歳でFacebookデビュー☆なんでもできて、いつまでも成長し続けるおじいちゃん、本当にかっこいいよ ? これからも、わたしの尊敬するおじいちゃんでいてね~!また会いに行くね~(^-^)/」 というメッセージが寄せられていた。
御大は、本間家の29代目の当主で、我々とは格が違うのであるが、唯、それだけでなく、実際、メールどころか、万葉集を嗜み、HPまでやっておられる方である。歴史・宗教から現代の政治まで、あらゆる分野に置いて熟知しておられ、私は唯々関心をしている。ずっと、元気でおられる事を希望すると共に、私も孫に慕われる爺さまになりたいものだと思ってしまった。
11/24 今日のお天気は、曇り予想が晴れになった。明日も好天が続きようである。それは良いが、明後日(私に休日)は、雨になる確率が大であるから、精神衛生上辛い。気温が低ければまだしも、雨やミゾレは適わない。明後日は、忘年会前に低山であろうが歩いておかないと、翌週は法要で埼玉へ出掛けなければならず、歩けない危険性を含んでしまうから。
そんな折、facebookに東京のK君の書き込みが、真っ白な剱岳画像と共に載っていた。「剱岳でシーズンイン」のタイトルで、木曜日から入っているという。そして、月曜日は、みくりが池温泉で小屋閉めパーティーとか。「リッチだな!」 と指をくわえているしかないか!
11/23 「膝が痛くて、もう終わりか・・」 と思ったのが一ヶ月前の事。骨が尖っているのか、周りの筋肉が衰えてきたのか、それとも、神経が何かの関係で触れるのか、分からないが、何年か前から可笑しいなと思っていたところが、悪化したのは間違いない。
でも、そのような事にお構いなしで、ストレッチとは言えないまでも、足を鍛える?運動の継続、そして、相変わらず休日は山に出掛けている。先日の人形山では、その成果が奏功したのか、山仲間と一緒に歩く事が出来た。合わせてもらった事を、割り引いたとしてもそれなりにである。
今は、痛くて目が覚める事はないし、都合の悪い事をやらなければ、そんなに問題はない。でも、椅子・テーブルでない宴会・会合では、やんちゃに足を放り出さなくてはならず、ちょっと恐縮である。それよりも、この先、スノーシューでの降りが些か気になる。
11/22 「同じ事を何度も言っている。」 「また同じ事を・・」 「聞いた!聞いた!」 と言われるが、それは、私だけでないハズ。だんだんと老いていく一過程。「言ったかもしれないけれど・・」 と注釈が付くのが次の過程。そして、イヤになっていく。でも、それを優しく対応してもらえると嬉しい。その私は、加害者ばかりでなく被害者の時もある。やっぱり聞いてあげれると相手は嬉しがる。だからといって、聞いてばかりだと、疲れてストレスが溜まる。
わたしは日頃から、同じ事を何度言っても許されるのは、「同窓会と趣味の会だけだ。」 と言い続けている。想い出や共通の話題があり話は尽きない。しかし、これにも仕法がある。「自慢しない。」 「相手を持ち上げる。」 「相手のイヤな事は言わない。」 これさえ守れば大体上手くいく。褒めてもらいたければ、褒めてあげるのである。これは何度言っても良い。酒が入れば尚更である。
しかし、我が家の事となると、なかなか上手くいかない。「返す言葉が、荒いからかもしれない。」 「気配りが、ないからかもしれない。」 もうちょっと言葉を選べば、何て事がないのに・・・ね。
11/21 長年使用している事もあり、次から次へと用具が壊れる。「もう、そろそろかな!」 と予想の範囲なら、驚きもしないが、「まだまだ・・」 と思っていたものが、ダメになるとショックが大きい。次から次へと、欲しい物を手に入れれる方はいいが、大概の方は、そうもいかないのではと思うが余計な事か。
負け惜しみも少々あるが、私は意外に物を大事にする方。愛着があるから尚更である。20年・30年というのもある。だから、「同じ格好」 と言われる所以かもしれない。実際登山シャツなどは、スカスカであちらが見えるくらいだし、前と後の色が違うのであるから (汗を掻けば一緒になるけれど)。
そんな私であるが、先日yoni店でフリースの上着を買ってみた。果たして、「ザックを担いでも大丈夫なのだろうか?」 「発汗に対しては・・」 などと、不安な事はあったが、普通の登山シャツからみれば、価格が1/5~1/10のなのだから、心が動いてしまった。(こんなのだから、日本経済はデフレなのかも・・)
「山ノ神」と歩く程度なら、汗もそんなに掻かないし、肩の擦れ切れもなかった。重荷を担がないのなら、充分に通用するような気がする。もう一枚買いたくなった。
11/20 2日間カンジキを履いた。浮力や急登場面、そして、装着の速さを思えば、断然スノーシューが便利であるが、雪量の乏しい時や危険箇所での担ぐ時などは、軽いカンジキに軍配が上がる。それが、長い長い林道歩きや重荷を担いでいる時は、本当にそう思うのである。
もう山の雪は消えない。後はドッと来るか、ジワジワと来るかだけである。シャベルが必要になる山を望んでいるのに、下界の除雪は辛いのは、歳を重ねただけなのであろうか?なのに、「雪を掘る」「タープを張る。」「食べ物は何にしようか?」 まるで、ままごとを楽しんでいるようである。
11/19 昨夜は、好天予想から大熊山を提案したが、「山ノ神」の同意を得られず撃沈! ならばと、起床後、ちょっと遠いが天蓋山行きとする。山之村隧道経由では、路肩に除雪された雪が、ちょっと残っていた程度であったが、登山口の夕顔の駅付近では、びっしり雪に覆われていた。
白樺林でカンジキを装着。雪が締まっていて歩き易かった。しかし、簡単な山だと思い込んでいる「山ノ神」の足取りは必ずしも快調とは言えなかった。特に雀平から山頂にかけては息が上がっていたようだ。
山頂では、時々雲に覆われはしたが、360度の展望に大満足のようで、槍から御嶽山まで、いや、白山もであったから、少々の寒さにも耐え忍んでいた。平日だけに他の登山者もなかったが、静かな山を楽しんだ。
帰路道を、山吹峠(双六渓谷)にしたのが良くなく、いっぺんに雪量が増え、四駆である我々の車のお腹がするほどであった。でも、明るい内に41号線に出る事が出来、2日間の休みを思う存分山で過ごせた満足感に浸りながら車を走らせた。
11/18 ずっと雨。集合場所の上梨・村上家でも雨だった。「止めようか。」 などの声は全く聞かれないまま、登山口に着けばミゾレとなった。登山口での雪の状態は、殆ど無いようなものであったが、高度を上げれば徐々に雪量が増えて来た。
雪嵩が膝下に達した第2休憩所でカンジキを装着し上を目指す。宮屋敷まで3時間余で、その後の判断が難しいところであった。そして、雪が深くなっていった。その後は、1時間程の行軍でピリオドを打った。三ヶ辻山との分岐どころか、梯子坂にも到達出来なかったのであるから・・・
でも、今年初めての本格的雪上歩きに大満足?だったからか、風が吹き抜ける食事処でも話が弾んだ。新旧二人の山友(イマイチ女史・周さん)に感謝!
11/17 お天気は、それこそ天に任せ、明日の「人形山」は決行となった。「決行とした。」が正しいのかもしれないが、一緒に行こうという人も、おかしな同類項である。たぶん、頂きには届かないと思うが、それも山歩きである。
懐かしのゲストに猛者が一人増え、どんな山行となるのであろう。中止・撤退・変更の全てを了承してもらっての歩きであるから気が楽。でも、昨日は、中根山荘辺りまで車が入ったとの情報を頂いたが、明日は行ってみなければ分からない。
11/16 今日は、とても良いお天気であった。今も、まだ星が輝いている。しかし、明日は全国的に崩れ、明後日は、その前線が東に抜けて冬型になるという。明後日の日曜日は、大概の方の休日であるから、知り合いを誘っての山行を描いていたが、一向にお天気が上向きでなく誘えも出来ず、こちらに声も掛からないでいる。
私としては、懐かしのゲストとの山行が出来るという楽しみがあり、大熊山を想定していたのが、今は、金剛堂山や人形山にトーンダウンしている。大崩れしなければ、良いのであるが、最悪の場合は小屋がある近場の山に変更となるかもしれない。
今の予報では、山仲間に声を掛ける事も出来ない。でも、もう一日あるから、おかしな同類から、「行くぞ!」 とか、「私も・・」 などの声が掛かるやもしれない。そんな輩も年老いて行く。
11/15 久し振りに旧友と会った。東京に住む中学時代の同級生四郎君から電話があったのである。もしかしたら20~30年ぶりかもしれないが、彼が大阪に、そして、私が京都にいた頃(20歳前後頃)、随分とお世話になったものである。
四郎君は、お酒を飲まないのでファミレスへ車で出掛けたが、それにしても、彼はよく喋った。私は、もう聞き役ばかりであったが、とても楽しかった。彼の自慢話が多かったが、人を持ち上げる事を知っているからかもしれない。商社で長年で生き抜いてきた知恵なのであろう。
お腹も膨れ、そして、お酒も飲まないのに、もう一軒同級生がやっている焼き鳥屋に寄った。「何故、同窓会に来ないのか?」 とやられてしまったが、久し振りに少年時代に戻った。
その後、免許証・保険証書・カードなどが入ったケースを紛失している事に気付き、入ったお店や車の中、歩いた所を探さなくてはならなくなってしまった。一瞬、心も頭も切れそうになってしまったが、意外な所で発見する事が出来、胸を撫で下ろす事が出来た。でも、なかなか寝付かれなかった。
11/14 暗い内から雷が鳴り続け、日中は、何度もアラレが降り、いよいよ冬将軍の訪れである。スキー場を始め山沿いの雪の情報がテレビニュースで報じられていたし。facebookでも逐次伝えられていたが、標高500~600mでも白くなっているようだ。
こうなると、行き先も再検討しなければなくなる。でも、お天気が回復すれば、美しい山並みを見る事が出来るのだが、そう上手くはいくまい。
11/13 寒くなってきた。徐々に気温も下がってきた。山は完全に雪である。今度の日曜日お天気だったら(降らないようだったら・・)同行してくれる仲間を募ってみようかなと思っていたのだが、傘マークが付いてしまった。もうちょっと様子を見る事にしよう。
11/12 雨予報にどうしようかと思ったのであるが、盟友からの返事がなく、行き先を人形山とした。登山口午前9時15分発は、この時期で、「山ノ神」とでは、遅い出発であったが、行くしかないとの思いであった。最も、それなりの装備もあるので、この山の不安はないのである。
稜線に出てから、「山ノ神」は、登頂を渋った。それ程速いペースではないのであるが、「山ノ神」にしてみれば、心臓がバクバク、足も思うように動かないのであろうが、「僅かの事で、達成感が違うよ!」 に心が動かされたようにも見受けたが、本当のところは分からない。
片隅に雪が残っていたものの 「無いに等しい。」 山頂での風は、悴むくらい冷たかった。一部だけに青空が、そして、黒い雲の間からの光線のような光を眺めながら一時を楽しんだ?後は、一目算に登山口を目指した事もあり、日没間際でセーフ。
「足の痛みはどうなの?」 正常ではないのですが、「山ノ神」よりは速く、荷も余計に担げる(今日は10キロ)のですから、まあまあなのかな!でも、降りの歩きは、ぎこちない事は確か・・・
11/11 沢課長からすぐに返事が届いた。まるで私が、メールをしたかのようにである。10年間程の間に、2~3回程しかメールのやり取りがない間柄なのにである。こちらの勝手・思い付きであったのに、親しみのあるメールであった。そして、文中にあと3座で、三百名山踏破とあった。
予想以上に凄い方だと思ったが、「甲信越百名山」 「一等三角点百名山」 「日本百高山」 等を、次のターゲットとしておいでる事に敬服してしまった。沢課長の人生は楽しくてしょうがないのではと思わずにはおられない。
11/10 私に与えられた今年の休日は、残すところ後10日である。その10日の中でも、忘年会が、今のところ2回有り、夕方には席に着かねばならない。また、12月頭の連休は、義兄の法要で埼玉へ出掛けなければならず、2日間を費やさなければならない。
そんなにない休日を、効率良く活動するには、やはりお天気でなければならず、天に任すしかない。痛い足の事を考慮し、休養という方法もあるのであろうが、筋力の衰えが気になりじっとしてはおれない。これより悪くならないようにではなく、歩きながら治したいのである。
11/9 今まで、当欄にいろいろな方を登場させてきた。どうかなと思う方以外、実名もしくは愛称なるものを遠慮なく(勝手に)使わせてもらってきた。我慢してもらっていた事があるかもしれないが、殆ど苦情らしいものがなかった。
読み返してみると、その中に、沢課長なる人物が2~3度登場している。私の親友「はるちゃん」の甥御さんが勤務していた職場の上司である。その沢課長が、「元ちゃん達が、今日も山に行っている。」などと言う事を朝礼の中に発せられたと、「はるちゃん」 経由で、私の耳に届いた事があった。
沢課長は山好きのようであったが、当の甥御さんは、特別山には興味がなかったが、山好きの叔父である 「はるちゃん」に、何気なくいったのであろう。そんな所で、話題になるなんて、嬉しかったが面識も何もなかった。
そんな沢課長に、7年前の夏に唐松岳山頂で声を掛けられた。当然、当人だと気付くわけもなかったが、「声を掛けて下さった方の名前ぐらいお聞きしなくては・・」 との「山ノ神」の助言で追いかけて名を尋ねたら沢課長であった。
同氏は、①八方尾根~唐松岳~祖母谷、②祖母谷~不帰岳~清水岳~白馬岳、③白馬岳~唐松岳~八方尾根の途中、3日目の唐松岳山頂でお会いした事になる。お会いしたのは、その1回だけで、ほんのちょっとだけである。
それが、昨年だったか、一昨年だったか忘れてしまったが、スーパーで同期生のK女史とバッタリ出会った。たまたま沢課長は、Y女史の近所でお住まいであると知り、その出会を当欄に載せたら、同氏から、「久し振り・・」 とメールをもらった事があった。
それから、お互い何の連絡もしていないのであるが、不思議な山の友のような気がしている。沢課長が、その後、部長また、役員になっておられるかどうかも知らないし、もしかしたら、退職しておられるかもしれない。でも、私の当欄では、いつまでも、沢課長なのである。そうそう、年賀状も出した事がない。
11/8 例年より、ちょっと早いが、冬タイヤに交換し、オイル交換も済ませ準備万端となった。雪を見てから交換する方もあるが、私は、いつ出掛けても良いように、早めにする事にしている。「夏タイヤだって減るのだから・・・・」 の考え方からである。
十数年前までは、チェーンを掛けなければならない事態に、何度となく陥り苦労した思いが強かったからかもしれない。最も、冬タイヤでもチェーンを何度も掛けたっけ。ここしばらくは、チェーンのお世話になっていないが、果たして、スムーズに施す事が出来るのだろうか?
来週あたりから、寒気が降りて来るようである。林道の少しくらいの積雪は苦にならないが、登山道の雪には往生する。草木や小枝が雪の重さで登山道に覆い被さるからである。でも、何故か雪降るのが待ち遠しい。
11/7 やっぱり足が痛くて目が覚めた。2日連続の山行と言えども、「距離にしても、時間にしても、そんなに歩いていないのに・・・」 今日は、膝でなく太腿がピリピリするような感じであった。でも、こんな事で負けてはおられない。
11/6 今日はフリー。でも天候は良くない。だから早立ちもなかった。牛岳や小佐波御前山は、これからの時期、どれだけでも登れる山だし、中山へ足が向いた。そして、馬場島に近付くに連れて、剱岳やそれに繋がる稜線がしっかり見えて来る。
「大猫山へ・・」 と心は動いたが、午前10時半を回っていたし、上の紅葉も終わっているだろうし、いつ雨が落ちてくるか分からないし、などから、やっぱり中山へ。本当は、上へ登らなくても、馬場島界隈というのか、早月川沿いの散策でも良いと思ったくらいであった。
落葉の上を歩くのは気持の良いものだ。「乾いておれば、もっと良かったのに・・」は、贅沢というもの。それだけ落ちているという事は、高度を上げると樹木に葉が残っていないという事になり、見通しがよい。白萩川と立山川から土砂が押し寄せられ、馬場島が、「島」 のようになっているのがよく分かる。そして、それが早月尾根に繋がっている。
足をかばいながらというよりも、日頃の自分の行動を省みたり、この先を案じたり、様々な事を脳裏に浮かべながらの登高は、無心などとは程遠いものである。でも、山はいい。「山の空気」は、私を元気にしてくれるのであるから・・・ 山頂に立った頃から雨になった。でも、ガスの流れは速く、時々周囲の山容を醸し出してくれた。
下山時もゆっくり歩いた。転ばないようにである。だんだんと過激な事が出来なくなっても、ずっと山に行きたいから、ケガなど出来ないからである。何処かに足が引っ掛かったり、とてつもない段差がない限り普通に歩ける。後は、距離だけだ。(長い間歩けるかである。)
馬場島を知ってから、来年で50年になる。登山道が整備された事、川筋が変わった事を除けば、山は変わっていないが、道路・定期バス・廃村など、周囲がとてつもなく変わったような気がする。
11/5 娘と孫2人を空港に送ってから、「雪の状態はどんなもんだろう?」 と言いながら、迷走して僧ヶ岳に向かった。その雪を掴まぬ前に、宇奈月・平和観音で通行止めであった。さて、どうしようかと思いながら、新川牧場経由で嘉例沢森林公園に向かった。「鋲岳」・と「烏帽子山」である。
私のリハビリ?(膝痛の確認)には最適だと思ったからであるが、鋲岳周辺は最高の紅葉であった。午後からのお天気が心配であったが、小春日和と言うのであろうか、ちょっぴり薄日が差す快適な状態である。それどころか、上着まで脱がなければならぬ暑さであった。
烏帽子山1100m付近から、週末に降ったと思われる雪が登山道の隅に現れた。その頃から、「山ノ神」の「まだ~。」 が始まった。前衛峰からも、「もうちょっと・・」を繰り返し、どうにか山頂に辿り着けたのであるが、「僧ヶ岳の林道を走らなくて良かったね!」 と思ったくらい真っ白であった。(そして、後立山の山々は優美に聳えていた。)
午前10時半に車を離れたのであるから、展望が良くても、そう長居も出来ないのであるが、1時間程とどまったのであろうか・・・やっぱり最後は、ポツリと来たが大事に至らず、また、近道と思いあまり踏まれていないルートを降りたが、「また日没になるのでは・・・」 などと笑って林道に出た。
11/4 携帯メールの変更を、在り来たりの短い文章でツマツマと送り続けている。「年賀状と同じで、あいつから来たか・・」 程度で流されると思っていたら、意外と深く受け止めて頂いたようで、近況や山への憧れ・報告、そして、私への忠告・激励などを込めたお返事を頂き恐縮している。
私は、携帯からのメールが不得意で、早く文字を打てず、また、文章にならない事もある。「やらなければ、益々下手になる。」 のであるから、拱いてばかりでおられない。家(店)にいる時なら、PCからになるが、最近、迷惑メール対策で、PCメールを拒絶する方々が結構おられるのである。ならば、やっぱり嫌がらず携帯メールも、程々でもいいから打たなければならない。
11/3 23日から来ていた娘一行が、明後日(11/5)の一番の飛行機で帰るようである。賑やかで騒がしく参った事もあったが、また2人暮らしに戻る事になる。諍いをしようと思っても、孫達のエネルギーに打ち消されてしまっていたが、この先は楯もなく、暗い生活が待っているような気がしてならない。
しかし、この先の事を思えば、「一番身近で長く付き合わなければならない友達」 なのだから、諍いも程々に、そして、「笑顔を絶やさない家庭にしなければ・・」 等と模範的な事を・・・?
11/2 この寒さに、とうとう我慢出来ず、薄着のお店にストーブを入れた。今年も、年賀状や忘年会の話題が出る頃になったのだから、当たり前なのかもしれないが、本当に月日の経つのは早いものである。
人生の3/4は、とっくに過ぎたのであるから、これからの毎日を、中味の濃いものにしなければいけないのであるが、如何せん後悔ばかりである。「どこそこが痛い。」 「あの人が気に食わない。」 などと言っておられるかである。他人様に頭を撫でられるようなら、まだいいような気がする。
11/1 諸事情が重なって携帯を換えた。番号は同じであるが、メールのドメインが変わるので知らせなければならない。一括で送信する事も出来るらしいが、携帯メールの相手は少ないし個別に始めている。
しかし、携帯メールはあまり得意ではない。手が遅いし、あれやこれやで文章が可笑しくなる事も多い。何も丁寧に書く事もないのであろうが、「話し言葉」 のようにはなかなかいかない。でも、毛嫌いしていては何の進歩もない。娘がいる間にと、赤外線を使って、アドレスの交換をする事を覚えた。復習しないと、すぐ忘れてしまいそうだが・・・・