2/28 今日は良いお天気で暖かかった。立山連峰が望めたかどうかは、外に出ていないから分からないが、多分良かったに違いない。明日も好天で、気温が更に上がるらしい。でも、午後から、遅くとも、夕方にはお天気が崩れるようである。

 またまた、巡ってくるお天気は、悪いのであろうか? 分からないからいいのであるが、このような事が続くと、精神衛生上本当に良くないのである。2月も、今日で終わりであるが、内容は別にして、休日毎に山へ出掛けられたのであるから、良しとせねばなるまい。

 今まで、いろいろとあったけれど、この歳にして、ほぼ思い通りに休日を過ごしているのであるから、私は幸せである。でも、そんな事は長く続くわけがない。感謝して、一回一回大事に歩かなければならない。



2/27 町内会の次期役員を選ぶ会合から戻りました。三役回避が奏功し、安堵感に浸っています。6年後はどうなるか分かりませんが、体力さえ維持出来れば、充分に山を楽しめる環境になりました。今日は、お酒を飲まないと決めていたのですが、何だか飲みたくなる気分です。ホーッ。 (^O^)v



2/26 今回もそうであったが、山から降りる頃になってから、少し青空が覗き始めた。車に戻る頃には、その青空が広がった。何だか悔しかったが、ずっと、降っているより良いではないかと思うようにした。高岡に戻る頃には、また雪が舞いだし、日中に降ったのであろうか、我が家の駐車スペースに10cmばかり積雪があった。

 それにしても、出掛ける前の準備には忘れ物が多い。やっぱり前夜に準備していた方が良いようだ。そして、絶対忘れてはいけない物は、大きな文字でメモするに限るようだ。それでさえ、どうかなる場合があるから、二重三重にチェックが必要という事らしい。

 長い山歩き人生であるから、過去にいろいろな事があった。今回は、コッフェルを忘れてしまったが、以前、キャンプするのに、ガス(燃料)を忘れた事があった。また、コンロ・ガス・コッフェルは揃っていたのであるが、肝心の食材を自宅テーブルの上に忘れて来た事もあった。

 財布を忘れた事もあるし、切符を落とした事もあった。でも、その時その時に、救世主が現れ、事なきを得ているが、その恩を、また誰かに返さなくてはと常に思っている。お節介になる事もあるようだが、してもらって嬉しい事があれば、してあげて嬉しい事だってある。本当に世の中は助け合いが寛容である。



2/25 何処へ行こうかと思案しているところへ、「北ちゃん」から尻高山への誘いをもらい、喜んで飛び付いた。ラッシュやツルツルが相俟って、滑川IC付近のコンビニにへ、a.m.8:30~9:00の間に着くのだろうかとの心配があったが、庄川を渡ってしまえば、何とか流れに乗る事が出来、約束に間にあった。

 何もかもを、「北ちゃん」にお任せであったが、「北ちゃん」から提案されたルートは、虎谷から、早月川沿いにぐるっと回って、西南の尾根に取り付くものであった。私は、14年前に一度だけ尻高山に登った事があったが、全く思いも寄らないルートに、「山ノ神」が登る事が出来るのならの条件以外素直に乗っかった。

 取り付きから「わ~っ」となったが、1.5mのシュリンゲ2本と5mのロープを繋げば、「山ノ神」を、何とか引っ張ってもらって登る事が出来た。それでも、雪量は相変わらず少量のようで、小枝が煩く付きまとった。

 ザックやストックに絡み閉口するが、高度を上げてしまえば、「とやま山歩き」や「越中の百山」に選ばれている山である。「とやま山歩き」では753m、「越中の百山」では、772mとなっているが、北西から南東に延びた穏やかなピークを二つとも踏み772mで腰を降ろした。

 東側に、三ツ山とも言われている白倉山が、その奥に白い斜面の濁谷山(割谷ノ頭)が鎮座している。右側に目を移せば、大倉山が雄大に見えるが、(もしかしたら、その奥に見えるちょっと高い山かもしれない。)時々、舞う雪に大展望ともいかなかった。

 白倉山を眺められるベンチ・テーブルを造り、イザ、食事にしようと思ったら、「山ノ神」の点滴用具一式、そして、コッフェルがない事に気付く。「あんたが・・、あんたが・・」 になったが、「北ちゃん」に借り事なきを得た。「何の為に山に来たのか?」 と言われそうであったが、「北ちゃん」の大事な大事な物を、少しもらって笑みがこぼれた。

下山路は、大斜面を駈け降りる通常のルートになったが、しっかりしたマーキングが施してあり間違う事はない。その快適さに、「あの登りは何だったのだ!」 となりそうであるが、「北ちゃん好みの珍ルート」 としておこう。



2/24 ありゃりゃだ! 「今世紀最大級の寒波北日本に」 のニュースを見ていて、外に目をやると、「あの星空は何処へ行ったのか!」 と思うほどに、こちらも強烈な風を伴って降り出した。こうなると、相棒達もいなくなり、「山ノ神」と2人だけになると、明日の土倉山も大倉山へも、いっぺんに消えてしまった。

 この分だと、明朝起きてからと言う事になり、どうなるか分からなくなる。でも、必ず何処かへ行かなくては、「私でなくなる。」 というおかしな思い込みが収まらない。近間の低山であろうが、それはそれでいいとしよう。

 体調不良を感じてお酒は控え目にしていたが、このところ、少量とは言え、3日間続いた。今晩は飲まないでおこうと思っていたのに、明日の山行からして、充分に時間がある。前倒しとして、今晩も飲んでしまいそう。



2/23 自治会役員改選というイヤな時期がやって来た。なり手がおらず、班毎に、三役を順送りの申し合わせがある。何年も前から、そのようになっているのであるが、我が自治会も高齢化と世帯数が減り、5班あっても、3グループでの順送りとなっている。

 6年前の約束事が通れば(当時、会長職を受けているから・・)、会長職を回避出来るのであるが、予断は許されない。年齢から考えれば、もう一回お世話しなければいけないかもしれないが、まだ山への未練があり、町内の方々に迷惑を掛けられないと思っている。

 その役員を決める会合が来週に予定されており、その2週間後に総会が設定されている。6年後なら致し方ないと思うが、今回は、何とか逃げ切れる施策を考えなければいけない。



2/22 降ったりやんだり、積もってもすぐに溶ける雪なのだが、山手では、どのくらい降っているか分からない。そして、週末は大雪の予報もある。馬場島公園線の除雪は遅いから、果たして土倉山に行けるのだろうか・・・

 でも、大雪の予報でも、あまり降らないのが常。もうちょっと様子を見るしかない。というものの、展望の利かない山をラッセルして行くのもきつい。好天にならないまでも、強く降らないで欲しいと願うしかない。



2/21 降った雪もすぐに溶ける。陽が長くなり、地温も暖かくなったという事なのだろう。二十四節気の「雨水(2/18)」から、「啓蟄(3/5)」に向かっているのであるから、山も積雪期から残雪期になろうとしている。

 山は、これからが面白い。どんどん遠くへ、そして、奥へ行く事が出来る。私の初雪山志向も、それであるが、お天気や休日との巡り合わせ、そして、なんと言っても、家族安定であろう。

 時期を遅くする手もあるが、出来れば、うっすらと雪が積もって、美しい状態の時に登れないかと欲を露わにしている。でも、そんな機会は、1~2回程であるから、やっぱり狙わなくてはいけなくなる。



2/20 何年使っているか忘れてしまったが、ザックの中が大分傷んできていた。そんなところに、「あれっ」 と思うと共に目を疑った。内側からであるが、生地が破れて、フレームが見えるのである。乱暴に扱っている事もあるが、春夏秋冬毎週のように使っているのであるから、どれだけ頑丈に造られていても寿命というものがあるのかもしれない。

 そりゃ、すぐにでも新しい物が欲しいのであるが、「今度は最後の・・」 のつもりで慎重に買いたいと思っている。まだ使えるハズだし、命に関わる程の物ではないからである。サイズを小さくすれば、予備の物があるからでもある。また、今まで、大小幾つのザックを買ったか忘れてしまったが、処分したザックは、そんなに多くはないハズ。

 大きいザックは、何でも入るし、パッキング技術も問われないから楽である。だから、何でも入れてしまい辛い目に遭うのは自分であるが、重い物を担いでの修行は、そろそろ卒業してもいいのかもしれない。



2/19 3週連続の大地行きには、山仲間も呆れていたが、それでも、私には良い響きとなって聞こえるのであるから、やっぱり何処か可笑しいのかもしれない。それよりも、雨で行かなかった昨日の事の方が、「どうしたのか?」 と言いたげな人もいる。

 でも、唯々、行かなかったのではなく、「もうちょっと何かを・・」 の気持があったからであった。それを、実行出来なかっただけなのであるが、結果的には、「山ナシ」 の休日となったのである。

 前日の山行があったから、週一のスタイルを保っているが、やっぱり休日は、ちょっとだけでも、「山の空気」 を吸って来なければ、休んだという気持にはなれないのかもしれない。



2/18 早朝が勝負だと思って窓を開けたら雨であった。(午前5時)その後も、止むことなく降り続いていた。お昼頃になっても雨が止まない。今日は、今年初めての「休日」 としたがそんなに悔しくもなかった。

 雨なら、近頃不安な身体を調べる為に、病院への選択肢もあったのであるが、昨日は、大地山行のご褒美で、しこたま飲んでしまったから、(と言っても、そんなでもない。)今更という事でなし。

 今日は、ゆっくりと他人様との付き合いの事を考えていた。山だけの人生のため、他の方面での付き合いが少なくなっている事や、ちょっと好き嫌いをしてしまっている事、また会いたいがなかなか会えない人など、近所の人から親戚の人、同級生や過去にお世話になった人達を思い出していた。

 何もかも思い通りに行く事などあるわけがないが、なるべく不義理をせず、迷惑を掛けたくないと思っている。しかし、時間・経済的などハードルは高く、「自分に正直な人生」 には程遠いような気がする。



2/17 好天に恵まれたハレルヤ山行であったが、県西部の道路はツルツル、おまけに忘れ物をしてしまい、集合場所へは大幅に遅れ皆様には大変な迷惑を掛けてしまった。出足から、こんなつまずきをしてしまったが、穏和なメンバーに恵まれており、気まずさを感じず、素晴らしい大地へ高度を上げていった。

 何度来てもいい大地であるが、初めて来て、このような光景を見れば、きっと病み付きになるに違いない。そして、写真を撮りまくる人、ダジャレを連発する人、一歩一歩気持を込めて歩く人、はしゃいで飛び跳ねる人など様々で、それこそ珍道中だったのかもしれなかった。でも楽しかった。

 終いには、今日参加出来なかった「”動く高気圧氏”がいなくても、晴れるんじゃない!」 とまで口に出す人まで現れ大笑いしてしまった。また、当初、不参加と聞いていたユキちゃんが現れ、また、マーちゃんの親戚筋に当たる東京の垢抜けた美女まで参加してもらい非常に盛り上がった。

 大地山頂は、ステキであった。大好きである。気のあった山仲間と来れば尚更である。少々足に不安のある方でも、山が好きなら ”連れて来てあげたい” と思うのであるが、やっぱりお天気が付いて回る。



2/16 私の悲痛な叫びを案じたのか、岩城君が、シャベルの取っ手を直して届けてくれた。せっかくの休日を山に行かず、また遠い所わざわざ届けてくれたのである。組み立て式の樹脂の柄だけに、作業も難航したと思え、その苦労に唯々感謝である。

 その上、彼の凄い所は、樹脂の取っ手を鉄製に換え、頑丈にしただけでなく、その重量を糧にして、「もっと鍛えよ!」 のメッセージが伝わってくるような感じである。そして、杯一杯の清酒どころか、杯一杯のビールを飲んでも、ひっくり返ってしまう彼が、「また、皆で集まりましょう。」 と言ってくれる優しさに胸が熱くなってしまった。



2/15 せんだって(先だって)、材料がなく苦し紛れに高校時代の写真を載せた事があった。「何も50年近く前の物を載せなくても・・」 の苦情が届くと思っていたら、意外な反応が多かった。

 「あんたにも若い時があったのか?」 ではなく、「昔から山に登っていたのですね。」 とか、「その時代を共有した者として懐かしい。」 の他に、「もっと、ないのですか?」 「元気だね。」 などと、山への興味があるなしに関わらず、直接コメントとして、また、時間が経って忘れた頃に、「あの写真良かったよ!」 などと言われた事もあった。

 「どこからどうして、私のHPなどへ・・」 と首を傾げながら、「嬉しいな。」 「恥ずかしいな。」 が同居しているような不思議な感じになる事がある。でも、何かの共通点があったり、見付かったりすると、すぐに話が弾む。

 ポツポツ友達が去ったり欠けたりする年代になっている。新たに友達を得る事は、心の富を増やしたように思える。また共通の想い出があれば、すぐに打ち解けられる。後は、我を抑えられるかどうかである。



2/14 「毎週でも、また何回行ってもいい。」 と言い続けている私だが、そんな所へ、ハレルヤ山行は、「大地」との連絡が入った。ハレルヤの重鎮達が、まるで私を試しているように感じるのであるが、やっぱり行かなければなるまい。

 「もしかしたら・・」 の気配はあり、その時は、帰りは分かれて、そのままキャンプインを目論んでみたりもしていたが、「お天気は必ずしも良くない。」 で、先送りを決め込み、そして、「シャベルを用意出来ない。」 は、諦めを決定的にした。

 それにしても、3週連続の大地に、「山ノ神」は、何と言うだろうか? 恐ろしくて、まだ言い出せないでいる。裏山ならまだしも、スタート地点まで、片道1時間半以上掛けて行かなければならないのだから、「お馬鹿さん」 としか言えないかもしれない。



2/13 大地山頂で、Black Diamond製シャベルの取っ手が壊れた。昨年辺りから半分が壊れて(取れて)いたのが、完全にダメになってしまったのである。山用具店で部品を問い合わせてもらったが、廃盤との連絡にちょっぴりショックであった。

 しかし、救世主が現れた。岩城君が直してくれるというのである。大型で柄が長く、固い雪にも対応出来る優れもののシャベルだけに、長年使っていた愛着も手伝って拝む心境になった。(嬉しい)

 そうなると、柄のないシャベルを持参するわけにもいくまい。大勢で出掛ける時は、他人様にお願いし、単独や、それに近い場合は、シャベルがないなりの行動となり、キャンプの企画もなくなる。それほど、雪山には必須アイテムである。



2/12 「せめて、今日のようなお天気だったら・・・」 昨日の大地山行で、二人の方が大地初登頂だっただけに、そのような思いに駆られてしまった。でも、それはもしかしたら、その方達の事より、「大地は、いいところだね。」 の言葉が欲しかったからかもしれない。

 「大地へは、何回行ってもいい。」 と、それこそ、何回も言っているように大好きな山の一つ。初雪山へは、そうそう何回も行けないだけに、初雪山を望める大地が好きになったのかもしれない。

 初雪山へは、一年に一回は行きたい。大地は何回でもであるが、当面の目標は50回である。1~3月に限定すると、ずっと元気でいなければ難しい。(お天気の時ばかりではないもの。) 今年は、まだ、2~3回行ける可能性があるが、他にも行きたい所もある。私はいつも欲張りである。



2/11 我が家を発つ時は、雪が降り始めてが、富山市内に入ると殆どなし、しかし、黒部に入ると一気に雪量が増えた。慎重に運転した事もあるが、朝日小川ダム到着は、約束の時間ギリギリであった。そして、顔ぶれを見て、またビックリ。堀君と浜ちゃん、そして、K女史が加わり7名となったのである。

 雪量は少ないけれども、先週よりは増えているので、杉林の急斜面に取り付き、阿造谷に沿った尾根を伝い621mを目指した。その621mのピーク手前の赤松斜面が一番の難所であるが、超人達のエスコートで難無くクリア?でホッとした。

 浜ちゃんと堀君、そして、岩城君は、膝上ラッセルを課せられても、我々が歩くよりも速いのであるからたまらない。待ってくれても、着いた頃には歩き出すので、休憩がないのと同じである。時々は、年上の特権を行使しなければならなくなる。

 そのような行軍が続けば、自ずと山頂に届くのが早くなる。深雪・吹雪・低温を、はね除けてであるから、「凄い」の言葉以外見当たらない。山頂でのシェルターは、寒さを防ぐために背丈ほど掘り、二枚のタープで覆った。

 外はヒューヒューであったが、シェルター内は天国であった。そして、美味しい物が出て来るのであるから止められない。達成感に浸るだけでなく、ご褒美というのであろう。話も盛り上がる。無口の私だって、喋りたくなるのであるから・・・・

 降りっぱなしの雪は、トレースを隠そうとしていたが、そのような事も問題なくクリアする復路となったが、621m標高点を過ぎてからは、問題の赤松斜面を避け、杉林に突入した。

 「速いのは分かるが、これからいろいろな人達を、サポートしなければならなくなるから、そのような勉強をして欲しい。」 などと、何度も繰り返している私の事を理解してくれたのであろうか、超人達は、ノロノロと来る私達を待っててくれるし、これと思う所では手を差しのべてくれていた。

 20歳・25歳・30歳も若いのに、ロートルの事を聞いてくれたり、持ち上げてくれたりして、気を配っていてくれたのが重々分かった。「また機会があれば・・」などと、世辞だと分かっても嬉しく思った。そのような余韻に浸りながらハンドルを握っていた。



2/10 今日も晴れ間が覗いていた。明日も、少しで良いから、そんな調子でいってくれたらいいのに! でも、予報通り雷が鳴り出したから、そんな事は望めないのか! 雪質・雪量、これも行ってみないと分からない。



2/9 雪の予報なのに晴れている。この先も、このようなお天気ならと思ってしまうが、今年は本当に、お天気との巡り合わせが良くない。「自分の思い通りにいく事など少ない。」 からみれば、それほど落胆する事もないか・・・・

 「何か良い事がないかな?」 と言うと、今は亡き母は、「良い事と昼間のお化けには、なかなか会うものではない。」 生前そのような事を言って私を窘めた。「苦労は買ってでもする。」 との意味合いは違うかもしれないが、ちょっとの喜びや達成感を求めて行く、山歩きに通じる何かがあるように思えて仕方がない。

 「寒いのに・・」 どころか、「何で・・」 を容認するようになれば、山歩きは終着を迎える事になる。そのような日が、ずっと先になるよう私はまだまだ拘りたい。



2/8 今年2回目となる好山病月例山行も、ちょっと集まりが悪い。月曜日であるから仕方がないのであるが、今回は祝日に当たる。そうなると、尚更各自予定が立て込み、上手い具合にいかないらしい。でも、そんな事は、織り込み済みで、自分の山行に支障などない。

 相変わらず予報は悪い。そんな中、大地は、ちょっぴりでも微笑んでくれないだろうか? それとも試練を与えるのであろうか? 私にとって、大地・初雪山のイメージは、「白」と「青」なのであるが、「白」だけでは、試練とか修行の域である。



2/7 晩酌を止めて、もうすぐ一ヶ月になる。ちょっと寂しいが、飲まなければ飲まないで、どうしようもないという事もない。「晩ご飯の時間が短くなった。」 「余計にたくさん食べるようになった。」 の変化はあるが、体勢に影響はない。あるとすれば、ちょっと余計に食べるから、体重の増え方を気にする事ぐらいか!

 私の朝トレは、体調を整えるくらいであったが、念入りにしなければいけなくなった。もちろん、サボる事など許されない。と言っても、僅か5~10分程の筋トレなんだから、それ程大袈裟にいう事もないかもしれない。しかし、何事も積み重ねであるから、後々のツケを回避せねばである。

 その点からも、週一の山行スタイルを欠かすわけにはいかない。と言っても、雨や雪の時は、やっぱりイヤである。しかし、行ってしまえば、それなりの成果(楽しみ)がないわけでもない。そして、もちろん、危険を感じる所へは行かないのであるから・・・



2/6 大地から戻ったのが、昨夜の午後7時半頃であった。そして、何もかもが終わってテーブルに着いたのが9時頃になったかな。泣きが入った「山ノ神」 であったが、あの光景を見たからには、「やっぱり行って良かった。」 となった。大好きな大地に行けた。そして、何も見えない中から、最後のあのように、ドラマチェックな様を見せつけられては、やっぱり止められない。あんなのは、過去にも何度かあったが、まさに劇場型とも言える自然の演出であった。

 そんな余韻に浸るには、やっぱりお酒がいい。「毎日は飲まない。」 「たくさん飲まない。」 「メリハリを付けて飲む。」 最近は、このような事を意識して飲んでいるから、今までの半分も飲まない内に、ほろ酔い気分になってしまう。山とお酒は相性がいい。山仲間と飲むのも楽しい。だから、日頃は我慢する事にした。

 

2/5 満を持しての大地山行は、ちょっぴりお日様マークがあったが、「西から下り坂」 「日照時間が短い。」 「雪量が少ない。」 など、不安要因が山積であった。それよりも不安だったのは、「山ノ神」の体力、いや、それよりも志気そのものであった。

 何度も大地に足を運んでいるし、初雪山まで行った事もある。しかし、その都度の雪質・時期によっても違うし、それは行ってみなければ分からないというのが本音で、それよりも、私と「山ノ神」の違いは、私は大地・初雪山が大好き。「山ノ神」は、行ってしまえば、良いのであるが、「行くまで、そして、降りがイヤだ。」 と言うのであるから困ってしまうところである。

 朝日小川第2発電所からのスタートとなったが、気温の割には湿っていて、「山ノ神」は、ミズスマシのようにスイスイであった。でも体重や荷の関係から30キロくらい違う私は、ゴボッてしまい結構大変であった。そして、夢創塾からの急登は、標高500m付近の赤松まで、何カ所も雪なしの場所があり、これまた難儀。

 その先は、ちょっぴりヤブもあったが、べったりの雪で快適であった。標高600m付近からは、前夜の降雪により、何もかもを白いベールで覆い尽くし、900m付近からは、樹氷に姿を変え神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 このところの暖かさ故なのか、それとも降雪自体が少ないのか分からないが、大地もその例外ではなかったようであった。しかし、大地は特別の山。私が大好きな山であるように、白い雪に青空があればそれで良いのである。でも、山頂は白い雲に覆われ、恋しい初雪山の一部さえも見せてくれなかった。

 1時間半ほど粘った山頂を後にして、十数分もしない内に、パーッと山並みが現れた。朝日岳であった。カメラを構える間もない内に、またガスに消されてしまったが、それを何十回も繰り返された。そうなると、帰りの事も忘れシャッターを切り続けた。 (後から分かったが、私は450枚、山ノ神は190枚も撮っていた。=しかし、その割には、ステキな画像はなかった。)

 そして、私の願が通じたのかもしれないが、初雪山の山頂付近だけであったが、顔を出してくれた。そして、後立山の一部も、また、雲海の上に剱岳が、ほんの少しだけであったが・・・

 「山ノ神」は、急な降りを最も苦手としている。スノーシューなら尚更である。クラストしておれば、もっとである。夢創塾に降るにしても、朝日小川ダム側に降るにしても、いつも血相を変える。

 踏んでない所を歩くのが一番いいと思うのであるが、「山ノ神」には通じない。仕方なくステップを切ってやるしかない。それでもおっかなびっくりであるから、何倍も時間が掛かる。登るよりも時間を食う。

 私は、「山ノ神」が、特に嫌う場所を幾つとなく知っている。時には、ロープを出さなくてはならない程になる。「来なければ・・」 と言ったらお終いであるから、その言葉だけは使わないようにしているが、同行者としては辛いところ。

 朝日小川ダムルートにして、何とか難所をクリアしたかに思えたが、今度は、杉林の急斜面でストップであった。どれだけ大丈夫と言っても、ダメなのであるから・・・ 左岸の朝日小川ダム駐車場に着いたのが午後5時近くになってしまった。それから、朝日小川第2発電所まで自動車道を歩かなければならず、車に着いた頃は、完全に暗くなっていた。

 

2/4 やっぱり、アラームより先に目が覚めたが、どんよりとした空を見上げると、今にも降り出しそうに思えたので、また床の中に入った。しばらくすると、雨音がし、そのまま寝入ってしまった。体調の事を考え、今晩の飲み会を一つ蹴っているし、下界で付き合ってくれそうな人を探そうとしたが、やっぱり難しく、「休日は下界では過ごせないのだ!」 と思った。

 「バカに付ける薬はない。」 と言われるが、私もその類かもしれない。週初めになると、どうもいけない。私の病気は、「山の空気」 以外に治す妙薬がないようである。岩・沢、山スキー、そして、特別の山に登るわけではないけれど、「山が好き」 なのは変わらない。

 でも、本当に山が好きなのかどうかは分からない。分からなくなって来ている。「意地になって登っている。(行っている。)」 ところがあるのかもしれないから・・・・

 今日は、始めから雨。山頂にタッチして、すぐにターンするつもりであったから、荷を軽くした。歩き始めて、「何て軽く楽なんだろう。」 と思った。私は、いつも何を担いでいるのだろうかと思ってしまった。そうなれば、亀のような私でも、それなりの速さで歩く事が出来るのでした。

 五箇山の山々や砺波の散居村も、かすかに見える程度で、それほど魅力ある山歩きではないが、「前日は誰が歩いたのであろうか?」 また、「何人で歩かれたのであろうか?」 「何処で休まれたんだろうか?」 などと、どうでも良い事を考えながら、コツコツ歩くのも、それはそれで面白いものである。

 トレースが有った事、そして、それ程沈まず、牛岳権現様まで、おおよそ登り2時間、降り1時間。時々、カメラのシャッターを切ったりするが、コーヒーを飲む雰囲気でもなかった。殆ど口にせず下山したが、それはそれで満足のいく牛岳登山であった。



2/3 明日の予報は悪い。でも、お天気は、その日その時になってみなければ分からない。午前中は降らないようだが、お天気は意地悪い。行かなければ降らないし、行けば降るような気がする。

 「止めとこか・・」 何がそうさせるのか分からないが志気が上がらない。昨年、いや、一昨年辺りから、「何が何でもというのは止めよう。」 と思うようになったのであるが、それとも違うような気がする。そう言いながら、明朝には気が変わっているかもしれない。

 今年に入って2~3度、「雨の日でも登る人け(ですか)・・」 と初対面の方に言われてしまった。「毎週登っているがけ・・」 ではなく、「雨の日でも・・」 の言い回しにちょっと驚いたのである。

 もっとも、「雨の日でも雪の日でも、這ってでも・・」 が、私のキャッチフレーズのようなものであるから、バカげているが、勲章をもらったような気分になった。ならば、やっぱり出掛けなければ、私でないのかもしれない。



2/2 今まで出来た事が出来なくなってハッとした。「内にも外にも異常を感じていた事と繋がりがあるのだろうか?」 「仕方がないと諦めていいのだろうか?」 などと、弱気と強気が交差している。

 弱気を強調したり、し損じた事などを書いたりすると、他人様は、結構覚えていてくれるが、自慢のようなものは、あまり興味がないようだ。そりゃ!そうだろう。私だって、他人様の悪口は面白く話も続くが、褒めるとなると、差程面白くなく、すぐに話も尽きてしまう。

 「誰にも言うなよ!」 「あんただけに・・」 と言うのも当てにならない。守ってがっかりする事があるし、反対に筒抜けになる事がある。だから、自分の胸に留めておけばよいと思うが、それが出来ないのが人間である。さて、それを何処で吐き出すかであるが、それが知恵というものであろう。堪忍袋を一つ用意しておけばであるが、何時かは破裂するのがオチ。



2/1 「目覚ましのベルはまだかと起きて待つ」 「起きたけど寝るまで特に用はなし」 「歳重ねもう食べられぬ豆の数」 どれもこれも見事な作品です。なるほどと思うようになってしまった私です。あと、一週間もせぬ内に、我がHPも14年目に突入です。