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3/31 いよいよ明日から娘が出勤となる。そして、私達の子守が始まる。それが、私達の連休からとなるのが運命と言うのであろう。てんやわんやとなるのだから、休みで良かったと思えばよいのか、始めから山行きが潰れて、クションになるのか分からないが、少しは娘や孫のために、日にちや時間を割いても良いのかもしれない。
親様の介護で自由の身になれない方々の事を思えば、私達は、まだ良しとせねばならない。だんだんと弱っていく親を看取っていくのと違い、孫達は確実に大きく成長していくのであるから希望というものがある。
しかし、私達が、親の介護をしていたのは、10~20年前の事であり、まだ若く、その間隙を縫って山と接していたのであるが、これからというものは、だんだんと壊れていく身体に「もう時間がない。」 と、ついつい思ってしまう横着な考えがあるかもしれない。
3/30 小柄で恰幅のいい社長から、「どうしたら痩せるかね!」 と問われた。尋ねると、私より13cm程背が低く、体重は私と同じくらいであった。「う~ん、医学的な事は分かりませんが、食べるのを少なくするか、ちょっと過激な運動をするかでしょう。」 と生意気な返事をしてしまった。
その社長、週に2~3回ゴルフをしておられるようですが、カートを利用ですし、何キロ歩くと言っても時間を掛けてだし、自分で荷物(クラブ)を担いでいるわけでもない。「山登りしたら一変に痩せますよ!」 と、またまた余計な事を言ってしまった。
大体、ゴルフをして疲れるという事は、運動不足なのである。4~5キロを1時間で歩くのなら分かるのですが、3~4時間かけてなのでしょうし、坂を駆け上るといっても、何十分も続くのではないのですから・・・ ましてや、他人様に用具を持たせたり、機械に乗せて歩くのでしょう。(ゴルフをやった事のない私が言うのは可笑しいかもしれませんが・・)
そして、珍味と言われる高価な物や、美味しいと言われる物は、高タンパク高カロリーの物が多いようです。たまにならいいのでしょうが、美食と称して、食べ過ぎると身体にはどうかと思います。食べた分、身体を動かさなくてはね!
山歩きも、少人数や単独行の時の方が、絶対的に食べ過ぎないような気がします。次から次へと美味しい物が出て来る大きなパーティーの時は要注意かも。
3/29 このところ、目が痒く鼻がムズムズ、喉が何だか変。そして、何だか寒い。だからか思考力が悪い。花粉症? 風邪? そんなので、近年は医者に行った事がないのに・・・・
3/28 1歳2ヶ月の女の子は、母親の姿が見えなくなると泣き叫ぶが、高岡へ来て、まだ4日なのだから当たり前であろう。もうすぐ、4歳になる女の子は、ジイちゃん・バーちゃんと金魚の糞のように付きまとってくる。何処にでもある平和な様なのかも。これに、まだ休日は山に行きたいのであるから、罰当たりかもしれない。
4月の山行は我慢。でも、月1回の日曜日と、月曜日の祝日があるから2回は確保。「でも・・」 と思っていたところに、「山ノ神」が、15日(月)に友人と小旅行に行ってもよいかと言ってきた。私一人で子守が出来るかどうかは分からないが、「了解!その代わりに私にも一日下さい。」 と逆提案出来る雰囲気が出来るというものである。
「真面目にやっておれば、何とかなる。」 「高望みしなければ、何とでもなる。」 が私の哲学? ずっと、笑っていたいから・・・・
3/27 一昨日の初雪山行の折、夢創塾から638mのピークに達する頃、娘のムコ殿から次のような携帯メールをもらった。
「今、飛行機を見送りました。
高岡まで送って行きたかったのですが、段取りが悪く。
今後の人生を決めるターニングポイントとなる決断でしたので、Sa子さんもギリギリまで悩んでいたと思います。私も迷いました。
日程的にギリギリになってしまいました。
保育園も決めきれず、お義父さんお義母さんのサポート必須が前提の状況となっており、その点、大変申し訳なく。
今の時代、いろいろな夫婦の形があります、先を案ずるより、やってみようと思います。
二人の子育てだけでも大変なのに、二足のわらじで、○○○試験に受かった人ですから、そんな志のある人が主婦ではもったいない。
自らの意志と努力で切り開いた道に、挑戦し、自己実現を果たして欲しいと思っています。
離れても、お互い尊重しあって、協力して頑張っていきます。
最初のうちは、不安も大きいかもしれません、ご支援のほど、よろしくお願いします。」
こうなれば、親として、ジジ・ババとして、「何が何でも山へ・・」 などと言っておれまい。「でも・・」 である。此処で屈すれば、唯のジジ様である。何とか間隙を縫って出掛けられまいか・・・・ 私にとって、今が一番大事(元気)な時なのである。それこそ、「孫を背負ってでも・・・・」
3/26 昨日の夢創塾の下山は、午後4時半前であった。高岡まで送ってもらったのは、午後6時半頃であったが雨は上がっていた。娘が用事に出掛けた間、下の孫に、「山ノ神」が、ずっと泣かれっぱなしであったとかで、前途多難と思わずにはいられなかった。
時間が経てば、きっと慣れてくれ、それ程でもないかもしれないが、娘が仕事のため、いなくなるのであるから、我々の仕事に支障が出て来るのは間違いないが、それは致し方ないのである。
それよりも応えられないのは、山中心のライフスタイルが一変するので、こちらが参るのではないかと心配である。しかし、第3日曜日と昭和の日(旧天皇誕生日)は、出られるのではないかとかなり期待をしている。出来れば、2休日の内の1回、解放されないかと消極的ながら期待をもっている。
しかし、「山ノ神」も思うところは一緒であろうから、「交代で・・」 とはいかないかと模索しなければならない。こんな状況になってから、「4月は一緒出来ないか?」 との問い合わせがあり、皮肉と言うのか非情である。でも、5月から、保育園に預かってもらえるのであれば、ちょっぴり緩和?の期待もないではない。
3/25 娘・孫がやって来るのに私は、その迎えを「山ノ神」に託し、のほほんと山に向かった。宮ちゃんとの山行は、2~3年程なかったように思うが、初雪山となると6年ぶりであった。宮ちゃんのカンジキトラブルがあったが、それでも、大地まで3時間は掛からなかった。
始めは曇りがちであったが、大地山頂では、全くのホワイトアウトとなり、GPS頼りで初雪山に向かった。大地を踏んでから、「いつ止めてもいいよ!」 と言っても「止めよう。」と言う返事がなく、進む一方であった。1223mのピークなどは、雪庇が崩落している事もあったが、南側に巻く感じで通過する事となった。
実際は、何処を歩いているのか分からないというのが本当のところ。視界が良い時で20mくらい。その内、堅強な宮ちゃんの足が攣るアクシデントに見舞われる。致し方ないので、私のスノーシューとカンジキを取り替える事とした。
この悪天に先行者がいると思っていたら、朝日町のN君であった。スキーのトレースが無くなり、何処がどこだか分からなくなり、戻って来たという。そんなN君に、私達は、今一度山頂チャレンジを強要してしまった。
白金の頭との分岐地点に達した時が一番分からなくなり、GPSだけが頼りとなった。山頂へのちょっとの降りも疑心暗鬼であったが、恐る恐る進み、山頂のポールに至るのでも、4~5m前で、やっと分かるという状態であった。
ホワイトアウト状態に風・雪が伴い、冷たく痛いだけで、山頂に達した喜びは、すぐには湧かなかった。シャッターを切ってもらう為に、N君を連れて来たような感じであったが、彼も意外な程にGPSの威力を感じたに違いない。
ターンして戻る事になったが、再び白金ノ頭との分岐付近で方向が分からなくなってしまった。その後も幾たびか、GPSに頼らざるを得なければならなくなったが、黙々と歩いた。あの吹き付ける雪では、昼食を取る事も出来ず、結局は、大地山頂を通過し、鍋平よりも、もっと下部の風が当たらぬところで穴を掘った。
それまでも、ずっとN君と一緒で、宮ちゃんの作ったラーメンとコーヒーを一緒してくれた。6年前も、同じ山の同じ所で会った事を懐かしく語り合った。あの時は、我々が先行していたハズ。変なおばさんに出遭った時でもある。 ホワイトアウトで、初雪山の全容を見る事も出来なかったが、あの雪庇の崩落や雪量の減少では、初雪山の賞味期限が終わったような印象であった。
3/24 明日は、娘達を空港へ迎えに行かなければならないから車はダメ。半ば山行を諦めていたのであるが、救世主が現れた。「家まで迎えに行こうか?」 とまで言ってくれた福井の宮ちゃん。でも、それではあまりにも気の毒なので、「山ノ神」に、魚津まで送ってもらう事になった。
行き先は、大地・初雪山方面。明日のお天気は、午後から下り坂。6年前(H.19.03.26) 宮ちゃんと出掛けた時は、お天気の予報が雪になり、視界が20mもないくらいになったが、それでも、山頂を踏んで来た事を覚えている。今度は逆にならないかな!
3/23 明後日に娘達がやって来る事になった。娘の就職で、ムコ殿との別れた生活が始まるわけなのであるが、必ずしも良い事ではないとしても、夫婦間で決めたことであるから、親として出来る事をカバーしてやるしかない。
2人だけの生活が、5人になるわけだから、俄然賑やかになり、違った意味での諍いが始まるかもしれない。また、「じいちゃん」・「ばあちゃん」 と呼ばれる事になり、一変に年寄りになる事の警戒をせねばならないかもしれない。
取りあえず、ムコ殿がやって来るGWまで、耐え忍ぶ事にする。では、「山は・・・」 全く分からない。こんな生活を考えた事もなかっただけに、遠く長い事を考えると、参ってしまうから、取りあえず、向こう一ヶ月だけを考える事にする。
3/22 まだ、BSが見られなかった頃、近所の方に、毎日10分間録画してもらった「日本百名山」のテープを処分する事にした。現在、我が家にはビデオ装置がなく、撮る事も見る事も出来ない。ましてや、それ以前のものであるから見られるハズもない。
そんな感じであるから、テープ時代に録画しても、それを見る事もなかったし、レンタルビデオなどは借りる事もなかった。「録画して、ゆっくり後から見る。」 方の生活がよく分からない。どうして、そんな時間があるのだろうと・・・
でも、そんな私でも、「北ちゃん」 が撮ってくれた山行記録的なCDを何枚か持っている。我が家ではPCでしか見る事が出来ないが、私の宝物の一つである。そして、それは、「私にも若い時があったんだ!」 と言える時である。
3/21 先日、「山から離れて行く友人・知人が、何となく目立つようになって来た。」 と記したのですが、最近、自分が覗いていたHPやblogが、中止や削除されているに気付き、ちょっぴり寂しく感じている。
アドレスを変えられたり、facebookに移行されたのかもしれませんし、何らかの事情で止めなければならなくなったのかもしれませんが、行動範囲が狭まってネタ不足がちの自分にも、やがて、そのような事が起きるのでしょう。
いろんな事情から、思い通りの山行が出来なくなっても、その方その方の 「山と親しむ方法がある。」 と思っています。低山・高山に関わらず、「山を眺める。」 「花と親しむ。」 また、「書く」・「撮る」・「呑む」 などもある。
と言いながら、毎週のように出掛けている私が、月一・月二になっただけで、狂いはせぬかと自分ながら心配をしている。そして、山に行けなくなったら、HPを止めると言ってきた自分、本当に、一月に一度くらいの山行しか出来なくなったら、続けられるか自信がない。そんな事は、他人様にしてみれば、どうでも良い事なのにね!
3/20 近年、私の春の山行が様変わりして来ている。毛勝山や猫又山が遠い存在になってきているし、ここ2年ほどは、4月の僧ヶ岳にも行っていない事に気付いた。その最大の理由は、「山ノ神」に引き摺られて、山菜山行的になって来ているからかもしれない。
最近は、その山菜に興味を抱き、食するのも採るのも好きなのであるが、やはり頂きに立ち、その帰り道に採るのが理想である。この辺が、「山ノ神」の考えとの相違となり、ぶつかり合うところである。
今年は、「まだ白い内の僧ヶ岳に行きたい。」 「もう一度、大明神山に行きたい。」 との思いにかられているが、また違ったハードルが掛かりそうである。しかし、思い通りにいかないのが人生である。でも、「念じれば通じる。」 「今年行けなければ、来年も覚束ない。」 そんな気持で、チャレンジしなければ・・・・
3/19 好天に恵まれたこのところの初雪山や小白木峰に関して、いろいろとコメントを頂いたが、「羨ましい。」 との記述に、どことなく気分を良くしてしまった。日頃から、「山歩きは人生と同じで、悪い時もあれば良い時もある。」 「じっと我慢しておれば、いつか良い時が来る。」 などと分かったような分からないような事を言い続けているが、「帳尻が合う。」 と同意語と思っている。
悪天の山歩きには、次に多くの期待を持つが、ステキな山を見てしまうと、それ以上の事に、なかなか出合わないものである。私は、大地から初雪山への稜線歩きが好きである。出来れば降雪の後である。そのような好条件は、何度もないのであるが、見てしまうと、ついついそれを求めてしまうのである。そのような欲(夢)を満たすには、やっぱり何度も通わなくてはならない。
今春も、大地に4回・小白木峰に2回足を運んだ。好きな山だから、少々条件が悪くても、好きな人に会いに行くようなもので、そんなに悔いが残らない。時々、肘鉄を食らうような思いにさせられても、それはそれで納得のいくものなのである。
周囲の同年代の方々が、腰や膝を痛めて離脱?を強いられていく様を見るに付け、私の膝痛は、「まだまし・・」 なのであろうと悩むより感謝しなければいけないのかもしれない。
あの素晴らしき光景を独り占めして、ニヤニヤしているよりも、気のあった仲間と共通の想い出とした方が、残り少ない人生を豊かにするのではと思っている。でも、この先の事は、分からない。何とかいろいろな壁を乗り越えて好きな事をやって来たが、もっと、ハードルが高くなる気配が充満している。
でも、嘆くよりも、その間隙を上手く抜けられないかと考えなければならない。上手い事など行くわけがない。何十年経験済み!でも、好きな事をやらなければ、死んだようなものだよ!
3/18 昨日の今日、そして、悪天予報であっても、本来の私なら、その隙を突いて、低山であろうが何処かの山を目指したに違いない。今日も、フキノトウ採りを目的として、車を走らせたまでは、今までと同じであった。
でも、昨日の小白木峰下山時から、目が痒くなり、鼻水が止まらなくなってしまっていた。今日も、それが継続しており、それに、輪を掛けて酷くなったような感じである。出掛けた低山は、通行止めの標識が掲げられており、その後、二上山に変更したものの、何となくその気がなくなってしまい、またまた、富山方面に車を向かわせた。
しかし、強風が理由か分からないが、目も開けておれなくなり、引き返す事になってしまった。その後、一段落してからと思い、待機の形を取っていたら、東京の姪が突然現れた。それで、「山行はなし。」
3/17 予報通りピーカンとなった。林道に雪が付いていたし、チームワークも良く、急登を凌げば、約束通りの大展望が待っていた。遠くではあるが、北アの山々から御嶽山まで、それはそれは素晴らしかった。
固い山頂の雪であったが、皆で背丈に達する穴を掘れば、風が凌げる簡易御殿とした。たっぷりあった滞在時間故に、次から次へと出て来るご馳走に、お腹が、はち切れそうになってしまった。
そんな熟年者達に、若手から山頂からのダイビングを嗾けられた。年甲斐もなく、意外と楽しく童心に戻った気になった。これも、グループでの楽しみ喜びなのかもしれない。それでも、時間が余った。ずっと、寝転んでいても良いと思ったくらいに小白木峰山頂は快適であった。
懐かしき河ちゃんがやって来た。山男の風貌は変わらなかったが、添い合いらしき女性が同行していたからかもしれないが、一皮剥けた感じに受け取れた。陽に照らされ光り始めた金剛堂山と、周遊出来たかもしれない白木峰を眺めながら、快適に元のルートを降りた。
下山途中も、下山してからも、「まだ出て来るの・・」 と思わせるsweetsに、それでも手が出てしまった。「本当に有難う。」 そして、3月のハレルヤ山行は終わった。
3/16 明日のハレルヤ山行(小白木峰)の参加人員が10名となった。正式メンバーは、私と「山ノ神」だけになって寂しいのであるが、ゲストが豪華で楽しい人ばかりである。例年よりは、ちょっぴり雪が少ないかもしれないが、なだらかな広い稜線に上がってしまえば、静寂で神秘的な光景が、飛び込んで来る事受け合いである。
予報も良いことだし、初めての方々に、違った角度からの白木峰と、目の前に位置する金剛堂山の雄姿を、拝ませてあげたいと思っている。そうなればいいのだが・・・・
3/15 「登山は健康に良いですね。」 と良く言われる。でも、私の山歩きは、寝不足に帰ってからの暴飲暴食、そして、クタクタになるまでの歩きであるから、決して健康的でないと思っている。医学的な事は分からないが、汗で、不純物を流し、一度はお腹を空っぽにするのであるから、心地よい疲れが伴って、身も心も浄化されるような気持になる。
山への評価は口だけなのであろうか、「やってみる?」 「行ってみる?」 との問い掛けには、殆どの方が、「私は・・・」 などと言われて腰を引いてしまわれる。イヤな事、好きでない事に、時間を割かなくていいと思うので、それ以上に無理強いをしない。
でも、ちょっと行ってみたい人や、何となく行って来たい人には、「合わせるよ!」 「フォローするよ!」 などと言いかけているのであるが、なかなか踏み切れないようである。もちろん、家庭の事情や未知の世界、また、装備の事などに、不安がある事は間違いないが、休日の違いが最大のネックかもしれない。
私の行ける範囲も時期も、だんだんと狭まって来るし、体力が落ちて来ている。「今の内だよ!」 と言い続けているのであるが、どうも届かないようである。そんな中、「私の娘を剱岳へ連れて行って・・」 と言うお母さんが現れた。
「20代の娘さんが、私のような爺さんと行っても楽しくないよ!」 と言ったのであるが、無視されてしまった。そんな意向も夏まで続くかどうか分からないし、娘さんが心変わりをするやもしれない。「気持だけ嬉しい。」 としておこう。
3/14 可愛い姪から久し振りに電話があった。こんな時代だから電話料を気にしなくてもいいのかもしれないが、1時間10分にも及んだ。相談と言うより悩みを打ち明けられたと言った方が正しいかもしれない。山登りをする元気な叔父さんなのだろうが、「あまり頼りにされていないハズ。」 なのであるが、何処へも持って行きようがなかったのかもしれない。
「誰にも言わないで・・」 と言われるのが一番辛い。「山ノ神にも言わないよ。」 なのだが、今度は、こっちが参っちゃうかもしれない。元来私は、ちょっぴりお喋りかもしれないが、決して聞き上手ではない。「他人様の秘め事は他言しない。」 がモットーで、「自分の悩みは他人様には言わない。」 性格であるから、時々変なところで爆発を起こす。
容量の問題だけでなく、年々萎縮していく私の脳も対応しきれなくなっていく。何処で吐き出さなくてはならないように、私なりに同コーナーが逃げ道なのかもしれない。「山ノ神」 も違った意味で私の被害者かもしれない。
3/13 今度の日曜日(3/17)は、ハレルヤ月例山行日である。当日、主要メンバーが悉く所用があり(10名中7名)、平生ノホホンとしている私に世話役が回って来た。この先、どうなるか分からないお天気の他に、選んだ行き先に満足してもらえるのかと、ちょっと心配でもある。
そして、例年なら心配しなくてもよい雪の状態が気になるところである。今冬は、雪量こそ少なかったが、低温が続き、それなり歩きをしていても、一気に進む雪解けや、1週間から10日も早い桜の開花予想を聞いてしまうと、世話する者として、心中穏やかでなくなって来る。
何人集うか分からないが、大勢ならこの上ない楽しさ、少人数なら纏まりがあって尚更楽しと、何もかもをプラス思考でいきたいと思っている。あっ、そうそう、ハレルヤ山行は、メンバーより、ゲストの方が多いという可笑しな状態が続いている。そんな方に支えられて、ハレルヤがあるのかもしれない。
3/12 昨日の大地・初雪山の余韻を楽しんでいる。初雪山へは、私として、お天気・家庭の状況・休日・気力体力などが揃わなければ、なかなか行く事が出来ない。ましてや、きれいな初雪山となると尚更である。
その初雪山を眺められる大地には、ようやく30回のなった。私なりに拘りがあり、1~3月となると、そうそう行けないのである。目標50回というのは、多く行きたいという表現であって、何が何でもではない。
唯、目標と言うのは、人生の張り合いになる事だけは間違いないと思える。その為には元気でいなければとなる。欲張りな私は、未だ多くの行きたい山がある。家庭に理解を得ながら、元気でなければならない。そして、ムードを高めてくれる仲間、一緒してくれる仲間も重要である。
3/11 イマイチ女史は、15年前大平川を遡り、寝入谷と川黒谷の間の尾根を詰め、大斜面を横切って山頂に一緒して以来、大地からは初めてとか、周さんは、持ち前の脚力にものを言わせ、「何処へでも・・」 との意欲旺盛、そして、私は3年ぶりの初雪山。
今日がダメなら、来週(3/18)に予備日まで準備するほど、皆が燃えていた。どちらかと言うと、「山ノ神」だけが、ロングコースに懸念を持っていたかもしれない。でも、スタート地点に立つと、誰もが、ちらつく雪模様に、何の懸念もなく夢創塾からの急登に臨んで行った。
誰が喋りすぎか分からない程に、歩きながらのお喋りであるから、やっぱり余裕? があるのだろうか・・・・ 行程表を覗く度に、ムードに水を差したか分からないが、出来れば日の暮れぬ内に、車へ戻りたいという気持からであるのは、皆同じであるハズ。
楽しく美しい初雪山を見て、そして、その稜線を気持ち良く歩くのが、今日の目的でもあった。大地山頂に届くまでは、お天気予報は、山とは別ものとの雰囲気が漂っていた。しかしである。ひょこっと現れた入善の滝本氏。その時と同じにして、初雪山劇場が切って落とされたように、ガスがサッと晴れたのであるから不思議であった。
その滝本氏に同行を願ったのであるが、同氏はとんでもない脚力の持ち主で、我々を気遣っての歩きかと思われたが、あまりにも差が有り過ぎドンドンと進んで行かれた。まるでカモシカのようにである。
我々は、絶景と言っては立ち止まり、「あの山は何という山?」 と言っては、肩を並べていた事もあり、それも仕方がなかった。早々に下山されようとしていた同氏に、あれやこれやと、シャッター切りの注文をしても、容易に引き受けてもらえて好印象。またの再会を約してお別れをした。
大地から初雪山まで3時間を要して登って来たのであるから、ターンをして、下山に掛からなければいけなかったのであるが、「風があり低温の初雪山頂での食事をする事にも意義がある。」 などと講釈をたれてしまい長居する事になったしまった。
しかし、意外や「初雪山から大地に向かっての歩きは早かった。」 のであるが、大きな落とし穴に嵌った美女の救出に結構手間取ってしまったが、これも、後々語る機会があれば、初雪山行の大きな想い出となる事受け合いである。
大地発が午後4時40分遅い出発である。その分、真っ赤に染まった白い山を眺めながら、また真ん丸な夕日に向かいながら、それなりに急いだのであるが、最後はヘッデンのお世話になってしまった。覚悟の上とは言え、またまた、いけない事をやってしまった感じである。でも、参加したメンバーには、心に残る山行であったと確信している。
3/10 朝高かった気温が、お昼頃から急激に降下して、夕方から真冬並みになって来た。明朝は氷点下で、最高気温も前日に比べて15℃くらい下がるようである。明日の稜線歩きはどうなるのであろうか?お昼からの晴れマークを期待しているが、下界と山中では、行って来るほどの違いがある。強風に見舞われたら骨身にしみるであろう。 初雪山のてっぺんを目指すが、条件が悪ければ潔く撤退もありゆる。でもね。久し振りに大好きな初雪山を踏みたいのです。それも、チームワーク次第だね。
3/9 「はるちゃん」が、食材を担いでバスでやって来た。もしかしたら、今年も昨年も飲んだ事がなかったかもしれない。ましてや、今年に入ってから、私の体調不良を理由に、拒み続けて来た事もあったから尚更である。
たくさん話があったから、3時間はあまりにも短かった。酔った気がしていないが、空き瓶からすると、たくさん飲んでしまったような気がする。そして、若い時のように、終列車で帰る「はるちゃん」を中川駅まで送ってきた。もちろん歩いてである。別れが惜しくて、そのような事が多くあった事を思い出す。随分時間が経ったものだ。
3/8 お天気が良ければ、3/11初雪山を狙っている。最近では、H.21.03.09と、H.22.03.22に出掛けているから3年ぶりという事になる。4年前は、「山ノ神」 と二人であったが、最後の最後に日が暮れてしまった。3年前は、岩城君と文さんに追い着き、帰りは一緒に下山した事を覚えている。
あれから3~4年の年月が経っている。歳を重ねると、1年と言えども大きいものであり、計算通りにいかなくなる事が多い。今回も60歳過ぎの4人の挑戦である。何と言っても、雪量・雪質、また、風の有無が、山頂へ辿り着けるかどうかの分かれ目になる。そして、展望が利く利かないも、後々の想い出に大きく作用するようである。
3/7 時節的なものなのだろうが、このところ、会合で外出する事が多い。町内行事や業界の集い、そして、有志の会などであるが、それに、「休日は山に・・」 であるから、次から次へと結構スケジュール的には忙しい。
そんな折、盟友の「はるちゃん」から、「一杯やろう!」 と連絡があった。春夏秋冬の年4回、そんな機会を作ろうと言っていたのが、いつの間にか、年々、その回数が減ってきている。3人の内の1人、庄川町の清志君が、昨年亡くなった事から、その雰囲気が顕著に表れてきた。
その会場は、常に拙宅となる事が多いのであるが、当の本人が、「休日は山へ・・」 なんだものだから、痺れを切らしたはるちゃんは、「おい、平日でも良いから・・」 となった。きっと、特別の話もないのだろうが、会うと嬉しく、笑いが絶えない。でも、今度会ったら、清志君の事で涙するに違いない。
ずっと、会えなくても、会わなくても、友達に代わりはない。そして、共通の想い出が財産であり、どんなわだかまりも、すぐに吹っ飛んでしまう。明日と言っていたが、明後日になるのか、私の留守に電話があったらしい。
3/6 一昨日の大倉山も昨日の千石城山も、山から降りてくる頃に、尚一層お天気になったような気がする。こんな事は、いつもの事で、車に乗れば、尚更のようにスッキリした山並みが目立つ。「もう少し留まっておれば良かった。」 と思っても後の祭りである。
何かに付け、「帳尻が合う。」 と思い続けているが、このところ、「大分、お天気回りが良くなってきた。」 ような気がする。来週は、初雪山の予定であるが、何とかこの調子が続いて欲しいと願っている。
3/5 二日続けては辛いから、簡単な所へとの「山ノ神」の意向と、お昼から晴れるのを信じて、「千石城山」 としたが、なかなか「山ノ神」は起きて来ない。車の中も、眠っていたし、歩き始めても足が上がらない。
「昨日の大倉山では、あんなに褒めてやったのに・・」 と思ったが、諸々の荷を私のザックに移した。でも、まるで二日酔いのように喘ぎ喘ぎ状態であった。(名誉の為に→ 昨夜は、疲れて缶ビール1本も、やっとであったのは確か。)
どんなに遅くとも、足さえ前に出しておれば、そんなに差はないもので、何分も経たない内に、「山ノ神」はやって来た。楽しみにやって来たのに、剱岳にだけ、ガスが掛かっていた。それでも、てっぺんが見えたから、まだ良しとしなければなるまい。
3/4 予期せぬ「北ちゃん」の参戦で、大倉山行が俄然楽しくなった。夏道を通らず周遊案を引っさげて、林道分岐から杉林の急斜面に取り付く事になる。今日は起きた時から、体調が優れない上に、万が一の為に、ピッケル、そして、一眼レフに重い三脚までを担いだので、始めから足が重く、北ちゃんにラッセルをお願いする事になった。
高度を上げる度に大展望が広がり、次第に樹氷がきれいになっていった。クラストした斜面に新雪が積もるややこしい雪は、時間の経過と共に、疲れを感じるようになっていった。登山口方面にトレースがあったので、1,053m付近の合流地点から、そのトレースを期待していたが、途中で止めたのであろうか、ずっと、新雪の上を歩かなければいけなかった。
「トレースの上を歩くのは・・」 などと豪語していたけれど、3~4時間を経過すると、やはり何処かに無理が来る。ズルッといったり、嵌ったりすると尚更である。「午後からの展望は期待出来ない。」 と思っていた事が、目の当たりに迫ってくる。
何だか怪しげな雲が覆い始めて来たのである。1,300m辺りからは、あの青空の世界が、白の世界と変わってしまったのである。例えが悪いかもしれないが、まるで、「青春」が「白秋」となるようなものである。
疲労困憊となった私に合わせるかのように、「元気者の北ちゃん」 までが、疲れたという顔になった。(本当は、まだ余裕があったのでしょうが・・) 広い山頂に立ってからは、「山ノ神」が俄然元気になり、私の荷を担いで、サッサと山頂(三角点)に向かって行くのには少しビックリ・・・
蓬沢・剱橋付近で車から離れたのが、午前7時5分、スノーシューを履いたのが7時15分。山頂でシャベルを持ったのが、なんと午後1時5分であった。途中、あんなにきれいに見えた剱岳はおろか、猫又谷でさえ半分程しか見えなくなってしまった。記念撮影時などは、何も見えなくなってしまった。
下山時刻が、午後2時半を回っていた事もあり、下山時に予定していた、山頂から、1,058 1,001 953.5の標高点を経由するルートを諦め、復路は往路と同じとする事にした。山頂から離れると、またまた青空が広がりつつ、車に乗ってからは、もっと良くなったのであるが仕方がないことである。
3/3 諦めていた雪山キャンプであったが、明日は晴れマークになり、「山ノ神」に大倉山を提案したが、首を縦に振らなかった。時間が経ってから「山ノ神」は、大辻山を逆提案してきた。大辻山が好きで行きたいと言うのなら分かるのであるが、大倉山に行きたくないのでの提案だったので、私は「ノー」と拒んでしまった。
6年前、山頂に届かず稜線に出た所でのキャンプとなってしまったが、今回は、出発を早くし、急登箇所では荷を担ぐ、そして、荷はなるだけ軽くしてあげるとしたが、稜線に出るまでがイヤなようである。
私としては、出来る事なら山頂でキャンプをし、夕日や朝日を拝みたい気持なのであるが、それだけ体力を無くした「山ノ神」なのかもしれない。でも、今年は、例年になく山行回数が豊富であり、この時しかないと思っていたのであるが、イヤなら致し方ないのである。
前日・前々日の記述のように、もしかしたら、これから、否応なしに山行機会を失うかもしれないだけに、大切な機会と思ったのだが・・・・ ならば、気持をかえて、明日は大倉山日帰りとなる。
3/2 「子供達や姉に、私の休日に高岡へは来てくれるな。」 などと、いつも非情な事を述べているが、私だって、普通の人であって、来るとなれば歓待したいし、嬉しいに決まっている。今度の娘の事でも、出来るだけ希望に添ってやりたいのは当たり前である。私の欲は、その上での話である。
そして、この先の事は、なってみなければ分からない事であって、思い通りになるはずがないと思っている。60余年思い通りになった事など、ほんの僅かで、悩んでも仕方がない事が、今になって分かって来た。
でも、思い通りにいかないにしても、真面目に一生懸命やらなければ、もっとその先で悔いるような気がする。他人様にも真剣に向かえば通じるような気がするし、ずぼらをしておれば、ちゃんと見透かされているような気がしてならない。
「苦労は買ってでも・・・」 という言い伝えがあるが、山歩きの達成感に似たものがあるのだろうか? もうこの歳になったのだから、「楽をしたい。」 「もっと上手い目に遭いたい。」 のは誰でもが思うもの。そんな事を思うと、好きな事とは言え、汗を流し、歯を食いしばって登る山歩きは、まだ発展途上の域であるような!
3/1 お天気が前倒しになったのか、早く崩れてしまった。それでも、暖かく、燃料が高騰の折、気分的に「良かった!」 と思ったのは私だけではあるまい。そして、月曜日の予報が、曇りの横に、傘マークが付いたり、雪だるまマークに変わったりしている。それだけ、定まっていないという事なのだろう。
お天気にこそあまり恵まれていないが、それでも、今年は順調に、「休日は山に・・」 をこなしている。でも、もしかしたら、今月末か来月初めから、私のライフスタイルが一変するかもしれない。娘の就職を応援するために、孫達を預からなければいけなくなるかもしれないからである。
時間的な制約、そして、車の事などを考えても、今までのような自由な行動が出来なくなる事は間違いない。その範囲以内で普通の人となるのだから、何も可笑しい事でないのであるが、今までが今までだったから、上手くやっていけるかあまり自信がない。
その条件下での事を、「今から、ああやこうや、と言っても始まらない。」 ような気がするので、取りあえず、今、与えられている機会を、上手に大事に使って山へ出掛けなければと思っている。「いつか行けなくなるのだから・・」、また 「思い通りにならなくのだから・・」、「ちょっと早まっただけなんだから・・」 なのだけれど、「私は、きっと抜け穴を探してでも行くに決まっている。」 と豪語?したい。