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5/31 熱を出した下の孫と初めて床を一緒にした。フーフー言っていた孫だけに、何とかなるだろうと思っていたが、なかなかであった。熱もさることながら、息が苦しいらしく、大きな息づかいをしては転がり、終いには、布団から飛び出してしまうという有り様。
そのため、殆ど寝る事が出来なかったが、山での持論は、「1~2日寝なくても死なない。」 であるだけに、一日眠たかったが、何とかやり通せるものであった。
それが奏功してか、2日間休んだ保育所へ、彼女は行く事が出来、呼び戻される事もなく、ホッとした一日であった。
5/30 ママチャリに近い自転車を買った。古くて、すぐに空気が抜けてしまう自転車を手放してから、車か歩くかの二つの選択肢しかなかった。これで、ちょっと遠くでも、自転車で行ける。ましてや、車がない時にも、出掛けようという気になれるのではないかと思う。
もっとも、買うに付け、もう一つの動機があった。時間制限下の山行だけでは、絶対に運動不足になると思っている。実際、ウエイトに、その変化が現れてきているだけに、自転車への期待感があった。
歩く事が好きな割には、街中歩きはてんでダメで、すぐに疲れてしまうし、毎朝・毎晩に歩くなどという事は、私には出来ない事である。走ってみたい気もするが、この件に関しては継続に自信がない。
週に1~2度ほど、一生懸命漕いでみよう。また、急坂を走ってみようというものである。いつまで続くか分からないが、「そうしなければ、大好きな山に行けなくなる。」 の御題を掲げれば、やらなければならなくなるのでは・・・・
5/29 家族に病人が出ると、てんやわんやである。 「うるさい。」 と思っていた孫も、ぐったりしていると、やっぱり可哀想である。2人から5人になって、早いもので2ヶ月が過ぎた。自由にならない分だけ、他の事で楽しみや喜びがある。一人で生きていけないのだから、我慢もしなければ・・・・
5/28 高速でなくとも、1週間に一度くらい吹っ飛ばさないと、車の調子が悪くなるような気がするが、自分の身体も、そのような状態になっている事は間違いない。医学的な裏付けがないにしても、食べ過ぎや飲み過ぎが、一変に何処かへ飛んでいくような、そして、気分的にも爽快になる事受け合いである。
そして、貯筋力というのであろうか、ちょっと、動かないと、すぐになくなってしまう。歳と共に、力を付けていくのには、相当時間が必要なのに、衰えの速さは、凄まじいから恐ろしい。仕事をしているからとか、毎日歩いているからでは、調子を保つくらいには良いかもしれないが、鍛えるという意味では果たしてと思ってしまう。
やっぱり、「坂道を登る。」 「自転車を漕ぐ。」 のような太腿を虐めないとダメなのであろう。1時間に300~500m登るのと同じような運動は他には見当たらない。だから、時間を見付けて、山を歩くしかないのかもしれない。
5/27 牛岳で山菜採りをして、高峰山か大辻山に登るつもりであったが、予定していた林道が悉く通行止めであった。通行止めの看板が除けてあったから、行けたかもしれないが、期間が記してあったから、心臓の弱い私はあえて、それを選ばなかった。
中山登山口に着いたのが午後1時頃、喘ぎ喘ぎ登る「山ノ神」同行のため、一生懸命とはいかなかったが、それでも、久し振りに汗を掻いた。もっと早く来ていたら、立派な剱岳を眺める事が出来たであろうに、仕方なく、朝から何も食べていなかったお腹を膨らませて、同じ道を降った。
5/26 もうしばらく、山菜採り?になるかもしれない。でも、「低山であろうが、思い切り歩きたいな!」 それから、「山菜採りになってもよい。」 のであるが、なかなか思うようにならない。1週間に一度だけであったが、思いきり歩き身体を消耗してきたスタイルが崩れ、ウエイトに変化が現れてきた。まずい兆候である。歩かないのなら、たくさん食べたらダメ!なのである。
5/25 東京から、由紀子さんがやって来てくれた。今年は、時間がなく、昨年のような山菜山行、そして、飲み会もないが、訪ねて来てくれた事に感激である。
5/24 今月の上旬、二百名山の御座山に登る事が出来た。46座目であった。現在、百名山が76座、三百名山が40座である。その名山を特別に意識している訳ではないが、出来たら登りたいと思っている。でも、現在の私の環境や、技量からして、夢の夢のような気がする。
元々、「半分ぐらい登られれば良し。」 くらいの気持であったが、最近は、6割ぐらいにUP(笑)している。二百名山や三百名山が半分を超えるようなら、その域に達するというもの。
昨年は、百名山を2座。でも、二百名山と三百名山はなし。今年も後、1~2座登れれば、御の字である。新しく通る道、その辺の名所・旧跡などを調べるのも楽しみの一つ。しかし、あまり時間を掛けられないのが辛いところであるが、そのような機会に恵まれれば、大事に歩きたい。そして、もう一度登る山(複数回目の山)にも興味を注いでいる。
5/23 今日は、三浦雄一郎氏のエベレスト登頂に湧いた。山に登る人も登らない人も、皆祝福したに違いない。無事に下山して欲しいと願うは私だけではあるまい。80歳、元気に生きているだけでも大変なのに、正しくスーパーマンである。
目標があるという事は、本当に素晴らしい事なのである。大きいか小さいかは別にして、常に目標を持つという事は、大事な事のようである。「成功への道は、目標設定である。」 という格言は、何事においても共通しているのかもしれない。
本当にくよくよせず、少々のわがままを通すくらいの人生が良いのかもしれない。良い事は、真似をし、そして、「また一から・・」 というのもいいのかもしれない。わがままは、長生きのための必須条件でもあるが、それが良いか悪いかは、また別の話であろう。
5/22 何の弾みか知らないけれど、「東大卒の独身男性、月3万円の生活」 の記事をネットで見た。タイトルは性格ではないが、60代の男性で、一日の食費は500円程度のようである。夢破れて現在の生活になったようであるが、悲壮感などなく楽しんでいるようであった。
食事は当然手作りで、如何に易くなるか知恵を絞っているようである。友人との交流も大事にしているようであった。飲み会は外でとなると出費が嵩むので、自宅パーティーにしているようである。手作り、来客の持ち込み、そして、割り勘にすれば、気兼ねなしの付き合いが出来るとか・・・・
世の中には、いろいろと面白い人がいるものである。今日も、アメリカの竜巻で、何もかもを失った被害者の方が、「一から出直しです。」 とインタービューに応えていたが、常に前向きな姿勢に共感を覚えた。何もかも心の持ち方一つという事なのであろう。
5/21 2日間の休日は、人形山と牛岳に出掛けた。人形山は、途中で止めたし、牛岳の山頂を踏んだものの、たくさん歩かなかった。そして、山菜採りがメーンになってしまった。3休日連続の山菜採りでは、不完全燃焼だけでなく、異様な疲れが出てしまった。
「山ノ神」は、それで良いのかもしれないが、私は不満である。あくまでも山歩きがメーンであって、山菜採りはオマケでありたい。それでは時間がない。だから、一生懸命歩かなければいけない。そのような方程式は「山ノ神」にはない。たまには、一生懸命歩かなければ、そのような身体になってしまうではないか・・・
そのような事が理由ではないにしても、当欄の更新も遅れがちです。始めの内は、ちょっと焦っていたのですが、毎日更新に拘らなくてもいいのではないかと思うようになってしまった今日この頃です。山に行けなくなったら、HPはお終いですが、そろそろ、違った事も考えておかなくてはと思ったりもしています。
5/18 長女の4歳の誕生日だという事でムコ殿がやって来た。親だから当たり前なのかもしれないが、2ヶ月足らずの間に、3回もやって来るのだから大変だ。こちらは、短期間であるし、賑やかになるのであるから、それなりに楽しいし歓迎である。
しかし、明日は第3日曜日で、我々の山行日である。若夫婦には、その件に関しては織り込み済みで、付き合ってもらわなくても、見送ってもらわなくてもいいらしく、気遣ってもらう方が心苦しいようである。でも、予報は良くなく、北ノ俣岳・僧ヶ岳方面は諦めている。
5/17 家族構成の変化が、いいろいろな面でギクシャクを起こす。私は、当欄で何でも記し、心配を掛けてしまっているが、悪い事ばかりでなく、結構、楽しんでいる事もある。山行に関する面では、今までのように自由にならなくなった事は事実であるが、しかし、全く行けなくなったわけでもなく、ちょっと、縮小されただけと考えれば、それなりに納得となる。
「いつかは、必ず、このような時が来る。」 と思っていただけに、それが、ちょっと早く、やって来たのであろう。幸い自分(達)が、事故や病気になって、そのような事態になった訳でもないし、時間制限を上手く利用して行動する事も出来るし、月に一度や二度は自由に出来そうであるから、普通の人になったと思えばいいのであろう。
また、どんな事で、自由を取り戻せるか分からないから、鍛錬を欠かすわけにはいかないと思っている。でも、せっかく自由になると思っていた日が、お天気が良くないとなれば、心穏やかでなくなる。「わ~っ」 と、騒いで私の憂さ晴らしなる。「全く人間が出来ていない。」 のであるが、そんなに他人様の害にはなっていないと思うのであるが如何であろう。
5/16 いつもニコニコし、相手の話を聞いてやり、欲を出さず、自慢もしない。でも、そんなのには、なかなかなれない。「ご苦労さん。」 「良かったね!」 「もっと、頑張ればいいね!」 などと、言っておれば、何もかもが上手くいくのだろうが、そんな人は、本当にいるのだろうか・・・・
でも、「有難う。」 とか、「嬉しい。」 とかの言うチャンスを、結構逃しているのは事実である。コンビニやスーパーのレジを通過する時から、その心構えを忘れないようにすれば、そのような言葉が、すぐに出る訓練となるかもしれない。まず、「有難う。」 から始めようか・・・
5/15 安房トンネルの料金所は、ついこの間まで、ETCカードを手動で操作しなければいけなかった。今は、高速道路のETC専用ラインと同じになった。それを知らなかった私は、停車して、カードの挿入口を探していた。何処にもないはずである。 (先日の蓼科行きの話である。)
係員から、「ETCのランプが点いていますか?」 「カードが入っていますか?」 などと、何度もアナウンスされ、ゲートが変わった事を察知した。ところがである。ETCが作動しなかったのである。後には車が続いているから、バックも出来なく、係員に説明し、脱出させてもらった。
そうなると、後々、ETCが使えなくなり、往路の松本→諏訪、復路の小渕沢→松本間は、下道を走らざるを得なかった。帰りの安房トンネル料金所では、当然、ETC専用ラインではなく、一般のレーンに入った。ところが、そこには、ETCカードの挿入口があり、料金は割引された。何故なんだろう?
そんな事もあり、その故障を直しために、ディラーを尋ねた。新たな機器の購入、もしくは修理代を覚悟していたが、何とケーブルが外れていたとの事で、事なきを得た。ラッキー。
5/14 昨日は、久し振りに再会した好山病諸氏との話や、山菜の土産を持ってしてでも、不参加となった「山ノ神」は不機嫌であった。その不機嫌な顔に目を合わせないで、黙々と飲むしかなかった。
「あんただけが・・・」 の気持が分からないでもないし、「山ノ神」自信怒っても仕方がないと思っているのであろうが、これは、時間の経つのを待つしかないのである。60を過ぎても、まだまだお互い未熟者だけに、公開して笑ってもらう事にした。
歩ける事、食べられる事、仕事がある事、家族がある事など、何もかもが恵まれている。今が最高などと思えなかった自分が未熟者。これからは、「こんなハズじゃない。こんなハズでなかった。」 ではなく、「今が最高」 の気持で、何事にも接しられるように心を入れ替えなければと思っている。
「もうちょっとだけ・・」 の気持が捨てきれないが、それは未熟者の証であって、試行錯誤を繰り返しながら、自分の心との格闘となる。他人様に感謝。そして欲張らなければ、大体上手く行くものなのに・・ などと言いながら、喧嘩しないで暮らしていけるのだろうか?
5/13 孫の急な発熱で、「山ノ神」は不参加となったが、ゲストに池田氏を迎えての好山病山行?となった。ところが、好天でも高温のせいなのかどうか分からないが、縄ヶ池を散策したものの、高清水山への気勢が上がらず、五箇山トンネルを越えて、別の山での山菜採りとなってしまった。
不完全燃焼?のまま、人形山登山口の東屋を食事処としたが、「こんなのも悪くはない。」 と、美味しい食材と冷たい飲み物、そして、久し振りに交わした会話に、皆の顔を眺めると、結構満足そうにみえたのだが・・・・
「こんなのなら、内のカミさんも・・、内のダンナも・・参加出来たかも・・」 となった。鬼が笑うかもしれないが、来年の5月第2月曜は、どのようなスタイルになるか定かでないが、山菜山行を約す事になる。
歩かない山行となったが、自力で採る山菜は、また格別のようである。それなりの収穫で砺波ICに戻ったら、既に午後5時。「5時まで富山に戻らなくてはいけない。」 と言っていた人がいたが、その後どうなったのだろう。
5/12 時間制限があるのは、私だけではないようであるが、そのような環境下で、明日は6~7名での山行となる。一生懸命歩いて、山菜も採るとはいかないかもしれないが、大いに笑いながら、楽しく歩きたいと思っている。縄ヶ池を中心に、5~6時間の歩きとなる計画を立てているが、またもや残雪に阻まれないも限らない。
でも、会話として、「久し振り・・・」 となる面々ばかりである。昨年の同時期には、「好山病・・山菜山行」 として、キラズ山に出掛けている。その主力メンバーの一人が、体調不良で不参加となる。不思議な事に、「飲み会なら参加出来たのに・・」 などのメッセージを寄せてくれるのだから、違った意味で嬉しい。その機会を作らなければ・・・
5/11 明後日の変則的な山行(時間制限下)を記したところ、好山病のメンバーが、続々ではないが、もう少し増えそうである。「何処でもいい。」 と託されたら、それはそれでなかなか難しい。
そして、もっと戸惑うのは、出発時や集合時がラッシュに掛かり、迷惑を掛けてしまう事である。でも、今回は、何もかもの箍を緩め、久し振りにメンバーとの再会に重点をおこうと思っている。
お天気が良いようである。元気者の手綱を纏める事が出来るであろうか? まあ~、低山歩きである事は間違いない。でも、まだ行き先を決めかねている。
5/10 「なかなか山に行けなくなった。」 と言いながら、「4/29、そして、5/6~5/7と、思うように歩いているではないか?」 と言われそうである。私(達)より、もっともっと、事情があって、その機会を無くしておられる方々の事を思うと、ホント贅沢なのかもしれない。
しかし、特別な山歩きをしているわけでもないが、他の事をしなくても山に行きたいという者にとって、なし崩しになっていく事が辛い。「何としても行きたい。」 本当は、行きたい山に行かれれば本意なのであるが、そうでなくとも山と接していたいのである。
「次行く山は何処?」 と考えるに付け、「家族を蔑ろに・・」 などとは思わない。「間隙を縫って・・」 または、「協力を得て・・」 が、本当の気持ちである。「あんたの事だから、何としても行くのでしょうね!」 「もう、そろそろ趣味を換えては・・」 などのアドバイスは、全て応援と思っている。
5/9 今度の休日(5/13)は、初めて孫達を保育所に預けての山行となる。8:00~16:30の枠をちょっと、広げてもらえるよう交渉しているが、少なくとも、その間が自由となる。しかし、有事の時は、電波の届かない所にいたり、また、戻って来るまでに、かなりの時間が掛かるというリスクを負ってであるから、必ずしも安心とは言えないのである。
そんな変則的な山行となるのであるが、eiko女史が、「合わせてもいいよ!」 と申し出てくれた。何処へ出掛けるかまだ分からないが、短時間で一生懸命歩くのか、山菜採りとなるのか、もうちょっと時間があるし考えてみたい。最大7:00~19:00の枠が、早く利用出来るようにれば、もっと自由になれるのであるが・・・
5/8 山三昧の連休中に、朝日町のN君から、頗る形の良い山菜が大箱で届いていた。箱中に、「初雪山で、ご馳走になりました。御礼の返事はいりません。」 と、はにかみ屋の彼らしく、至って短文で心遣いが伺えた。
彼に、ご馳走などしていない。視界がなく、退却してきた彼に、もう一度山頂へと誘った事と、大地に戻って、ラーメンを振る舞っただけである。6年前も同じ時期、そして、殆ど視界がなく、しかも、こちらのメンバーが宮ちゃんと、不思議な巡り合わせであっただけに、何か因縁を感じてしまう。
「ちょっと、腰を痛めてしまって・・」 言っていたN君は、以前ほど大地・初雪山に足を運んでいないらしいが、私は、個性が強く遠慮がち彼を、からかうわけではないが、積極的につかまえて、半ば強制的にテーブルに着かせてしまう事が多い。
そんな彼が、私のような変なオヤジに、どう感じているか分からないが、大地・初雪山を尋ねる度に、私は、彼の事を思い出すのである。
5/7 あれだけ飲んだのに、朝食をたくさん頂いた。次行く山があるのに、そんなにゆっくりした事など今まではない。でも、急がないで、ゆっくりしていたい気持ちが優先だったのである。池田夫妻と別れて、メルヘン街道を走った。途中、ややこしい別荘地帯で時間を食ってしまったが、それをすぐに取り戻した。通過した麦草峠(2,127m)が、今回目指した「御座山 おぐらさん 2,112m)」 より高いのが、何だかおかしな感じであったが、八千穂村・小海町、そして、御座山のある北相木村へ向かった。
今回の白岩登山口は、駐車スペースが2~3台分しかなく、長者の森からの登山を勧めている大きな看板があった。もっとも、林道というより、農道であるため、車同士の鉢合わせになったら大変である。
私達の登山口の到達は、平日(火)であったし、しかも午前11時半くらいであったから、そのまま、白岩登山口を選んだ。登山道は整備されとても歩き易かった。展望台付近からのシャクナゲの群生地は、5月下旬から6月上旬が見頃のようである。前衛峰から一旦降り、最後の登りは、心配していた薄氷が残っていた。
どうしようかと思っていた「アイゼンを持参して良かった。」 になった。山頂は、登山道にないような岩峰で、この様が御座山の由来に繋がっているかのようであった。登っただけになったが、山頂には長居しなかった。私達の足でも、往路3時間弱、復路2時間弱であった。
野辺山・清里を通って、20号線の小渕沢に出て、ETCの不都合もあり、そのまま下道を通った。前日は、未明の午前3時過ぎから、今日の帰宅は午後11時半であり、思う存分遊んだ事になる。こんな事が、またあるかないかは分からない。あまり先の事を考えず、一つ一つの機会を大事にしたいと思う。今回は、池田夫妻に感謝・感謝に尽きる。
5/6 池田夫妻のお招きで蓼科に行く事になった。ホテルのような所に泊まれるのは、もしかしたら、新婚旅行以来かもしれない。山小屋やテントが似合う私達であるから、緊張して臨まなければいけないような感じであったが、でも、心はワクワクであった。
「行き帰りは好きように・・」 であったし、「この日ばかりは、思い切り歩かせてあげたい。」 との夫妻の思いやりであったから、一日目は、思い切って、八ヶ岳の一角の天狗岳を目指す事にした。
ETCの故障というアクシデントが起こり、高速を諦め下道を走ったが、登山口とした唐沢鉱泉到着は計画通りであった。しかし、天狗岳は2,646mの高さ故、ある程度の雪を覚悟していたが、歩き始めて、すぐにアイゼンを用いなければならないとは思っていなかった。
薄氷ながらカチカチであった。まるでガラスの上を歩かなければならない状態である。「こんなのに行くの?」 山ノ神の顔が引き攣っていた。「行ける所まで・・ダメだと思ったら引き返す。」 と、言ったものの、私自身あまり自信がなかった。「山ノ神」にしてみれば、軽アイゼンを使った事があるくらいで、ピッケル・アイゼンの使用法など皆無と言っていいくらいのレベルであるから・・・。
「滑らないから・・」 と何度言ったか分からない。古くて重い12本刃のアイゼンであったが、その威力が、「山ノ神」に浸透していったみたいであった。でも、山頂直下の岩場では、唯でさえ苦手にしているのに、所々が凍っており、アイゼンを外しわけにもいかず、固まってしまった事が何度となくあった。
西天狗岳に登れば、強風に見舞われたものの絶景である。13年前の11月、渋ノ湯から、この山頂に立った事があったが、全く雰囲気の違うものである。「あれが赤岳・阿弥陀岳、そして、こちらが、根石岳から硫黄岳・横岳」 などと言いながら、暫しの大展望を楽しみ先を急いだ。
西天狗岳の西側は殆ど雪がないが東側はびっしりと雪があった。しかし、東天狗岳も西側には殆ど雪がない。こちらも風が強く食事どころではなく、お腹を空かしながら黒百合ヒュッテを目指す事になる。
途中、中山峠と道を分けるのであるが、それまでに、トレースがあるものの、降り気味のトラバースは、「山ノ神」でなくともイヤなものである。短い距離であったが、カチカチの急な降りで、「山ノ神」が固まりかけたので、雪量の多い所に活路を見付けるために踏み込んだ私が、ずぼっと、嵌り転倒し、アイゼンで自分の膨ら脛を切ってしまった。 (少々痛かったが、風呂に入るまでキズを見なかった。)
高度を下げ、天狗ノ裏への降りは、少々雪が緩み、時間を稼ぐには絶好のところであったが、「山ノ神」の空腹と疲れは、ピークに差し掛かっており、「早く早く」 とは言えなかった。黒百合ヒュッテ前は、まだまだ雪に覆われていたが、雪上のベンチを利用して、カップ麺を頂いた。少々ぬるかろうが、固かろうが何を食べても美味しかった。
後は、時間との競争である。渋ノ湯・唐沢鉱泉へ向かう登山道は、凍っていても高速道路のようで歩き易かった。全行程7時間半くらいであったが、我々の力量として、まずまずであったように思う。
そして、宿泊先の「サンライズ蓼科」に向かった。池田夫妻に暖かく迎えて頂き、美味しいディナーを頂いた。4人だけであったし、たくさんお話しをさせて頂いた。もちろん、部屋に戻っても、心行くまで飲み続けたのでした。
5/5 御大の計らいで、明日から蓼科。その周辺の山を歩いてみたいと思っているが、どうなる事やら・・・・ 明日未明には、発ちたいと思っている。
5/4 山行く者、今や名山ブーム。深田久弥氏は喜んでいるのだろうか?同氏の名も知らないで登っている方々もあるそうだが、ちょっとだけでも勉強されるといいと思うし、同氏が登られた状況も理解していると、もっと良いのかもしれない。
私だって、名山(百名山だけでなく、他の名山にも・・)に興味があるのですが、環境からして、なかなか思うようになりません。でも、一気に登れなくても、「次行く山」 などと、何日も何年も掛けて思い続けるのも良いような気分でいます。お金がなくても、時間がなくても、「憧れ」 「憧憬」 の二文字が、自分を支えてくれているよな感じです。元気なら、百名山は歳取っても登れる。
「山の茜を顧みて 一つの山を終わりけり 何の俘の我が心 早も急がるる次の山」
5/3 連休後半のお天気は良いらしい。このようなお天気の良い時に、出掛けられるとは実に羨ましい。でも、皆が皆、そのような事を出来るのではない。「精神衛生上良くない。」 などと戯けた事ばかり言っている方が可笑しいとなる。
お金がちょっと足りないけれど、何とかやっているじゃない。ちょっと、痛いところがあるけれど、まだまだ歩けるじゃない。そして、家族も友達もあるのだから・・・・・ 何を贅沢な事を言っているのでしょうね。
でも、やっぱり、何か目標なるものがあると、張りがあって良いような気がします。時折、拘束されるのもしかりです。
5/2 ムコ殿がやって来た。これで孫達から、しばらくは解放される。しかし、休日でないから山には行けない。知人から、「二上山に行って来た。」 というメールをもらった。心臓を患っておられるだけに、山歩きなど考えられなかったらしいが、「なんと気持の良いものですね。」 ともあった。
そして、今までのちょっとした運動と違った筋肉が痛いらしい。「太腿を鍛える事は、とっても良いことなのですよ。」 のメッセージを送っておいた。
5/1 友人から、「山に行った時は良いのだが・・」 云々のメールをもらった。きっと、私の記述は、ボヤキが多くて覇気がなく、それに対しての激励的なものであったと感じている。だんだんと萎んでいく自分がイヤでたまらないのは充分承知している。だから、やるせないんだよな!
今日から、二人の孫を保育園で正式に預かってもらえる。しかし、始めから希望通りの時間とはいかないだろうし、何が起こるか分からないだけに、空喜びをしておれない。慣れれば、私達の休日の時だけ、10~12時間預かってもらうという皮算用を目論んでいるが、果たして・・・・
それよりも、月に1~2回、「本当の自由をもらえないか?」 であるが、「山ノ神」との交渉は難航しそうである。とりあえず、一ヶ月間は様子をみるしかないようである。