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9/30 孫達を保育所に送り、そして、高速を利用してでも、大熊山の林道ゲートで、車をデボしたのが、午前9時20分であった。何とそこには、「北ちゃん」の車がデボしてあるではないか!
彼も、家庭の事情から、そんなに早くスタートしていないハズだから、一生懸命歩いたなら、山頂で会えるかもしれないと、喘ぎ喘ぎの「山ノ神」にハッパを掛けた。それでも、のろりのろりの上に、「頭を木にぶつけた。」 と言っては悲鳴を上げていた。
それでも、1,264m付近を、2時間足らずで通過したのだから、まずまずと言うしかないであろう。しかし、歩き始めて2時間半程経ったⅠ,400m付近で、降りて来る「北ちゃん」と遭ってしまったのだから、嬉しいというよりも、ちょっぴり残念という感じであった。
それもその筈、今日の「北ちゃん」は特別で、午前7時スタートであったというのであるから致し方ない。それでも、山頂で1時間半ほど、ゆっくりしていたいうのだから、健脚者と比べる訳にもいくまい。
20分程、腰を降ろさず、あれやこれやと話したし、今後のスケジュールも話題とした。このまま、一緒に下山する訳にもいかず、「北ちゃん」を見送りながら、山頂に足を向けた。「北ちゃん」との談笑時間を除けば、3時間余で山頂に達したのであるから、今の「山ノ神」の脚力からしたらバンバンであろう。
山頂は、全くのガスの中。それでも、新しい熊の看板を話題にしながら、1時間程滞在をしたが、今日は喧嘩をする材料がなかったからか、割と穏和な時間を過ごした。私は、大熊山には、まだ7回目であるが、やはり大熊山は、雪がある時が良いように思う。
9/29 ず~っと、咳と痰が止まらない。そして、今日は一日、ボーッとしていた。こんなので、山に登れるのかと思ってしまう。行き先が決まらず、体調もイマイチでは、誰に声を掛けられるものではない。
9/28 10月に「僧ヶ岳」を企画している友人に、「僧ヶ岳林道が通行止めになっているよ!」 と連絡をしてあげた。それは、HP上の古い情報で、平和の像からの通行止めとなっていたが、実際は、第3登山口(1,043mの広場)まで行けるものであった。
昨年11月、僧ヶ岳に出掛けたのであるが、平和の像で通行止めの標識があり、がっかりして引き揚げた経緯がある。そんな二の舞にならないように善意のつもりであったが、悪い情報を送ってしまったようである。
それは、嘉例沢からだと僧ヶ岳へは5時間だと伝えたが、第3登山口からだと、3時間余で行くかもしれないからである。しかし、最近は、烏帽子口からの入山が多く、第3登山口からの状況が分からないだけに、「それは、それでいいのかもしれない。」 と自分を慰めているが、気を遣ったつもりがの失敗例である。
9/27 思ったような山へ行けなかったり、お天気に恵まれない事もあり、なかなか思うような写真が撮れない。それどころか、憂鬱で、書き込む事も出来なくなっている。最も、体調が優れない事も手伝ってであるが・・・・
9/26 やはり、何事も一生懸命やっている人ほど、山に出掛けているように思えてならない。私は、山しか知らないから、他の事はよく分からないが、多分同じではないかと思う。仕事や家事、或いは、介護・看護や勉学など、一生懸命やるから、趣味である山への憧憬が強く、メリハリを付けて出掛けられるのではなかろうか?
時には、チャレンジではなく、逃避や癒し的要素もあるのかもしれないが、それは勘ぐるに値しない。明日への活力となるのか、痛め付けた身体に、自分を見直す機会を作るのか、それこそ人様々である。
9/25 孫の運動会に間に会わなかったが、ムコ殿が、土曜日(9/21)からやって来ている。今になって、夏休暇が当たったという感じである。差し障りのない限り、夕食の飲みに付き合っていたから、どうしても、深酒になり、PCの前に座る頃には、思考力が可笑しくなり、当コーナーも、「明日へ明日へ・・」と先延ばしになってしまっていた。
そのムコ殿も、明日の午前には帰京となる。娘や孫の事は、何でも聞く優しいムコ殿であるが、先月の残業時間が100時間だったという不規則な生活の中でも、食事だけは、しっかりとって、健康に気を付けて欲しいと願うのである。
9/24 日没との戦いを覚悟して太郞平小屋を後にした午後4時半頃、大きなザックを担いで、ゆっくり登って来られるご婦人と遭遇した。81歳と言われた。山口からだとも言われた。先行されていたご主人と二人のようであったが、今回は、6泊の予定だそうである。
ご主人の渓流釣りが目的らしく、薬師沢小屋で2泊、その行き帰りの太郞平小屋で2泊、そして、下で2泊(宿か車中かはお聞きしなかったが・・)の予定であると言う。「速く歩けないから・・・」 なのだそうだが、「実に羨ましい。」 「それが本当の山歩き。」 と返してあげた。
亡くなったり、病で臥せっているなどで、今は山仲間がいなくなってしまったと零しておられたが、生きているだけでも凄いのに、好きな山歩きが出来るなんて、実に素晴らしいと褒め称えた。
私達は60代と告げると、「若い。若い。」 と何度も言われた。過ぎた歳月は返って来ないが、想い出を懐かしむ事は出来る。脚色せずとも、ニヤニヤしながら、遠き昔へ、すぐに戻る事が出来る。
9/23 2年ぶりに薬師岳を目指した。まずまずのお天気であったが、展望はイマイチで、下山時に、水晶岳とワリモ岳が、僅かに望めた程度であった。それでも、草紅葉が始まっており、北アの初秋を実感してきた。
最近長い距離を歩いていない「山ノ神」は、始めから自信がなさそうで、別行動でも良いと言ってくれたが、やはり何かあったら悔いる事になるから、それを辞退した。それでも、太郞小屋まで3時間半余で行けたのであるから、山頂には届かない事はないと思っていた。しかし、途中でお会いした兵庫の川上さん母娘と、妙にウマが合い、二度のコーヒータイムになってしまった。
薬師平で午後0時20分となった時点で、「山ノ神」と別れて、私だけが山頂を目指す事になった。しかし、午後2時までに、薬師岳山荘に戻ってくる条件があった。どれだけゆっくり歩いても、休まなければ、そんなにタイムは変わらないと思うのであるが、「山ノ神」にすれば、どっかり座って、山の雰囲気を楽しみたいとの思いが強いのかもしれない。そして、「ビールを飲むために、」山に来るのだ!」 と豪語するのであるから、おかしな人である。
山頂での展望は良くなく、簡単な食事をしてすぐに離れ、薬師岳山荘に約束の時間より5分ほど早く戻った。「山ノ神」の気分は良く、山荘のご主人堀井氏を独り占めにしていたようであった。私もコーヒーをご馳走になったので、杜氏でもあるご主人の造られた「清酒・薬師岳」を買って別れを告げた。またまた、予定より出発が遅くなり、日没覚悟の歩きとなってしまったのである。
9/22 「山ノ神」との折衝も限界に来た。「山ノ神」は、出来るだけ遠くで、登った事のない山に行きたいと言う。私は、「歩いたと実感がもてる山」に執着する。そのような中、「行きたければ一人で行ってきたら・・・」と、言えば「山ノ神」は憤慨するが、その言葉を、私に言ってくれないかと待っている今日この頃である。
結局、落としどころとして、薬師岳になった。しかし、だんだん陽が短くなって来ているだけに、明るい内に、車へ戻れるのかという心配もあるが、話し込まなければ、多分大丈夫なのであるが・・・・
9/21 自分の子供の運動会に行った事もないのに、孫の運動会に1時間ばかり顔を出した。今まで、かたくなに、運動会や学校祭へ行く事を拒み続けていた自分が可笑しいと感じた。(見てやれば、良かったと思ったのである。)
今日は、仕事の合間に抜け出した運動会や壁紙貼りなど、一日中忙しく動いた。でも疲れた。何もかも片付けて早く山に行きたい。その一心である。
9/20 9月になって、まだ牛岳と千石城山にしか行っていない。台風や所用が重なったを理由にしても、あまりに貧弱である。これからの先細りを払拭するにも、9/23は、意義ある山行をしなければならない。しかし、「山ノ神」との折衝が待ち構えているだけに、見通しが立たない。
9/19 「シュンちゃん」が、10年前の僧ヶ岳の写真をfacebookに載せたのを、懐かしく拝見した。そして、その日の当欄を覗いて見た。
11/16 もしかしたら、晴れなくとも雨が降らないのではないかの期待をもって臨んだ「僧ヶ岳」。烏帽子口に着いた途端に雨が降り出し風も強くなった。視界も悪く「こんな日も」などと自分で苦笑しながら歩き始めた。この時期にしては、珍しいくらいの早朝時の気温20度が示すように、1800mを超す山にも、ひとかけらの雪もなかった。
何時、雷が鳴り出しても可笑しくないくらいの空模様は、だんだんと気温の低下へと繋がっていった。降りしきる雨の中、ツエルトで雨風を凌ぎ、おにぎりと魔法瓶のコーヒーを頂いてから降りようとしてリックを背負ったところ、何と何の打ち合わせもしていないのに「シュンちゃん」が登って来た。
彼は、亡きお母様に纏わる沢山の想い出を担いで登って来たようであった。一ヶ月間山を我慢し、お母様にも由緒ある僧ヶ岳を選んで、雨の中をやって来たようであった。そんな話を聞くと、男のロマンを感じるのは私だけであろうか?
話はそれだけで終わらなかった。その後に、「シュンちゃん」と親交の深い小竹氏夫妻と筏井氏が、美味しいものを、どっさり担いで登って来られたのである。「シュンちゃん」の大型のツエルトをタープ代わりに張り返し、我々までが、スキヤキのご相伴に預かる事になってしまった。
暖かいお酒まで振舞われて、チョッピリ肩身の狭い思い・・・・ しかしである。家を出る時、“ 今日は雨だし、ビールはなしだよ。” “ 分かった。” の会話が成立していて、狭いツエルトの中で、顔を寄り添って食事をした時にも、流石にビールは出て来なかったのだが、6人の宴がたけなわになると、何処から出してきたのか、いつものビールが出て来たのである。
主催者側のおだてに乗り、“ 飲まなくっちゃ!” になって、しまいには“ ビールなしの山なんて・・・・”と冷たい雨の中でも、美味しくて楽しくてならないようであった。その効果もあってか、山頂から烏帽子口までの帰路は、皆と同じペースで一度も休まず降りる事が出来たようである。“
いつもと違がって、元気なのは何故!” と私は言いたい・・。その余勢で、視界の悪い僧ヶ岳林道を、片貝側(別又川方面)へ降ろされてしまった。私も一度は行って見たいと思っていたが、何も雨の中を行かなくてもの思いがあったが、それは、それなりの緊張があって、今日は充実した一日となった。
そして、翌日は、雪となった人形山へ「山ノ神」と出掛けた。11/24は、シュンちゃんの復帰山行と題して、雨飾山に出掛け、「ハレルヤ」の母体が出来上がっていった気がする。
9/18 「1秒間もあれば恋が出来る。」と公言した人がいるが、しかし、相手様がいる事で、テレパシーが通じるかどうか分からない。人を愛する事は、「好きな人のためには・・」 と言う事が働くから、成就するまでは、辛く悲しいものである。
異性に限らず、隣人・友人・家族に対する愛も、この頃は希薄になっている現状だけに、今一度、若い頃の気持になって、考え直してみる価値があるかもしれない。山や海を、彼女と例える事が多い。征服を狙うのであるが、歳と共にそのチャンスを逃してく。
9/17 やっぱりそうだった。自分の休みが終わったら晴れた。しかも、爽やかな晴天である。人生と同じで、なかなか思い通りにいかないね。「精神衛生上良くない。」 とばかり言っておらないで修行とでも思う事にした。
窮屈な生活になって、やがて半年になる。(こんな事を言っていると、罰が当たるかも・・) 山行だけに限ると、この先がくらい。あの山にも、この山にもとの思いが、だんだん遠のいていく。
大猫山や大地などの目標とする回数を、下方修正しなければならなくなる。「山ノ神」を口説いて自由の身になるか、元気で長生きし、ずっと登り続けるかのどちらかになるが、どちらも私には自信がない。
9/16 外は雨。時折、風を伴って強く降っていた。大雨による各地の状況を見ていると、止むのを待って、近間の低山との思いも遠のいていった。この連休も、台風と家の用事で終わってしまった。
カビた壁落とし、障子・襖の張替、そして、カーテンや壁紙の下調べでDIY店偵察など、今までの自分としては考えられなかった一日であった。そして、大した動きでもないのに、腰や腕が痛い。
9/15 結局、人形山・金剛堂山・白木峰などを拒否され、中山・尖山・千石城山の中から選ばねばならなくなった。何処に行っても、展望がないだろうし、後は山慣れと、訓練にするかどうかという事になった。
そうなれば、お天気が良くない事だし、早く家に戻って、娘や孫達と一緒に過ごす選択肢が浮上してくる。また、まだまだある家の修復作業に時間を掛けるのも良しとなる。明日は、もっとお天気が悪そうである。そうして、山が、だんだんと離れて行くのかもしれない。(逃げて行くのかもしれない。)
9/14 明日・明後日は、他人様と同じ休日なのに、お天気が悪そうである。まず、キャンプなし。そして、何処へ行こうかとなっても、行き先が決まらない。今までは、「私の行く所に、山ノ神が付いて来た。」 感じであったが、今や、我が家の情勢は一変し、「山ノ神」に、お伺いを立てねばならなくなっている。
リスク回避から、当然の様に、辛い思いをするような所へは、足が向かなくなっている。どの山に登っても、それなりに良さはあるものの、何処か、もどかしさは歪めない。「明日は、雨の予報。」 何処へ行きたいのかと尋ねても、「山ノ神」は返さない。私が提案すると、「えぇ、そんな所?」 と言われてしまう。困ったものだ!
9/13 簡単なのか、そうでないのか、私はよく分からないが、ようやく家中の工事が一段落した。そして、予算中に入らなければ、なくてもいいと言っていた畳が、来週末に搬入される予定となった。基礎的な工事だけを依頼しただけに、他の事は自分達でやる事になる。でも、そのような知識は全くないから、手探りで始める事になる。
まず、カビた壁を落としてみた。下地と思われるボードが顔を出さず、クロスが貼れるのか、塗料が塗れるのかも分からない。幸い、3部屋とも、すぐに使用しなければならないという事がないだけに、空いた時間を当ててみたい。未知の世界が広がった感じである。
15~16日は、私にとっても連休であるが、またまた台風に邪魔されそうである。いつもの通り行かないと、その台風が逸れてお天気に、出掛けると風雨に見舞われる事になるが、まだ、時間がある。
9/12 今日は、とても蒸し暑く、ちょっと動いても汗が滲んだ。友人の母様の葬儀・初七日法要・我が家の片付けの続き・会合など、慌ただしく過ごした一日であった。でも、だんだんと、「365日の一日を無事過ごせた。」 と思うようになっていくのだろう。
平凡な生活を送りながら、おかしなもので、アクセントを付けながら、赤裸々に綴り続けている自分であるが、「書きたくない。」 とか、「自分の胸に留めておきたい。」 とか思う事もある。それは、辛い事もあるが、嬉しく楽しい事もある。そして、、聞かれれば、言いたくないし、その反対に、少し聞いて欲しい時もあり、誠に厄介至極なり!
9/11 友人の母様が逝かれた。102歳である。如何に歳を重ねようと、親は親であり、人前では、シャンとしていても、悲しいハズである。喪主を務める友人は、6人兄弟の末っ子で、しかも、婿に行った身の上である。
決して、口は上手くはないが、結構「義を重んじる男である。」 が故に、今日も明日もお手伝いを買って出た。高校時代からの付き合いであるから、どのように考えても50年である。良いに付け悪いに付け、私の人生を語るに、なくてはならぬ一人であるから・・・・・・
9/10 eiko女史から、「女性3人で朝日岳にいます。」 とのメールをもらった。ガスの中を歩いていたが、突然のように、「夕陽を拝めた。」 とあった。また、シゲキ氏グループともお会いし、「俄然楽しくなった。」 ともあった。
「好山病・・」は、月曜日の会である。なのに、「北ちゃん」と私が、家庭の事情で、なかなか思うようなスケジュールを描けない故に、休日が違う同士を誘えるハズがない。そのような事が重なり、会としての山行がめっきり少なくなってしまった。
でも、このような感じで、山行報告をもらうと、自分の歩きと同じように、心が弾むから嬉しい。「近いうちに、また、皆で・・」 と言いながら、なかなかなのであるが、そのじれったさを、次の飲み会で発散してもらいたい。
そんな飲み会が、まだ設定されていないのであるが、皆が待ち遠しいのは確か。「忘年会」 「9周年」 まで待たなくても、「月見の会」や「北ちゃんの還暦」 など、タイトルを付けようと思ったら、なんぼでもある。
9/9 「可笑しいなと思いながら、イヤなもので定期検診も受けないでいたら、いつの間にか、ガンになっていた。」 そのような状態が我が家に起きている。ならばと、修理をお願いしたら、いつの間にか飛び火(転移)していて、大事なところがやられていた。
薬を注入して、悪い部位を切除(削除)の予定であるが、放射線(薬)で、大丈夫だと言われながら、命を落とすケースが幾らでもあると聞く。私の身体も、何だか、そのような気がするが、「ガンにはならない。」 と念じておれば、その可能性は、少しでも小さくなるとの噂もある。正に、病気は気からであるが、その反対に、気を確かにもてば、少しは留まりが高くなると言うことであろう。
自分の思う通りに行かないのが人生であるが、他人様に、なるべく迷惑を掛けないで、尚かつ、欲張りにも元気で生きようと思っている。亡父が、何の病もなく元気でいた年齢が、私の目標年齢である。差し当たって、現代では、車の運転を止めなければいけなくなる年齢のような気がする。
私の妙薬は、「山の空気」であったが、最近その念力が、だんだんと薄らいでいくのは、何故何だろうかと考えるに付け、志気の欠落のような気がする。雑務(山以外の事は、そのような表現になるかもしれないが・・・) に翻弄されているからであろう。
何もかも(いや両方)が良いようには、なかなかならない。どちらかを選択して、後の事を補うしかないのであるが、その選択方法が、保守的になるのがいけないのであろう。でも、「人生は帳尻があう。」 ような気がするから、何も嘆く事はないのかもしれない。偉そうに言っているけれど、やっている事など、全然大した事でないのだから・・・・
9/8 明日は晴れるようである。しかし、山には行けない。でも、それは私だけが、家におればよい事なので、「山ノ神」には、自由にして良いと言ってある。何とか、貸しを作りたいと思っているが、上手くいかないようである。
一週間ぶりに、孫達が帰って来た。俄然、また賑やかになった。気のせいか分からないが、経った一週間で、1歳7ヶ月の孫は、随分成長したように感じる。ハッキリとした言葉を発するようになった? のであるから・・・
9/7 「お腹が出て、お尻が小さくなり、太腿が細くなる。」 のが、私の一番なりたくない体型である。避けられないのかもしれないが、出来れば、一年でも二年でも遅くでありたいと思っている。毎日のように腕立て伏せや、腹筋運動を試みていても、お尻の肉は、確実に落ちているような気がする。
スポーツジムに行けるような立場でない私だから、週一の山歩きは、日の出から日没まで目一杯歩く事が必須。そして、毎日の運動の中味を、もう一度精査する必要がありそうだ。食べ方にも問題がありそうだが、それ以上の運動をすれば、全て消化しそうに思える。
大腿部の筋肉を鍛えておけば、転んでケガする事も少ないと思う。それでも、バランスと瞬発力はどうにもならない。避けて通れないのではなく、ドンドン落ちていく体力は、思考力と共に、遅らす努力以外ないのかもしれない。
9/6 如何に戯言・呟きと題していても、後になって読み返していると、「何をくだらない事を・・」 とか、「恥ずかしくて、消したくなるような事」 がたくさんある。「酔っ払って・・」 とか、「舞い上がって・・」 とかで、何卒容赦の程願いたい。
13~14年もやっていると、とかく生意気になって、言いたい放題(書きたい放題)である。でも、「イヤなら・・・」 「嫌いなら・・・」 見なければいい。のつもりでしたから・・ そんなに遠慮する事もなかった。そして、赤裸々に綴っているのだから・・・
9/5 「怖い目に遭った。」 「酷かった!」 などと、山にあまり興味のない人に言ったら、「そんな所へ行かなければいいのに・・」、 そして、山をやってる人に言っても、「そりゃ、大変だったね!」 くらいなもんだ。その点、同行者があれば、「あの時は・・・」 などと、良い悪いは別にして、何かに付け話題になる。これが共通の想い出として後々まで残る。
その点、単独行は辛い。意志が強く秘めたものがあればいいのであるが、やっぱり、それなりの論評が欲しいものである。「凄いね!」 「記録だね!」 をもらえれば、頗る志気が高まり、次への意欲が増すというもの。
「孤高」 なる語句は、偉大かもしれないが、孤独のイメージが強い。人は一人で生きていけないが、やっぱり、極希に、そのような意志の強い人がいるのであろう。だから、成功裏には、持てはやされるのかもしれない。
百名山を始め、二百名山三百名山・百高山や三角点踏破、都道府県の最高峰、あるいは、その地方の名山など、目標は幾らでもある。岩稜や雪山を目指すのも方法であるが、やっぱり、何処かで、コメントを求めてしまうのが本音であろう。目標とする指針は大事だし、人生を豊かにする事受け合いである。
9/4 今夕、周さんから、「御嶽山の登山口にいるが、雨で雷鳴が轟き始めた。」 とのメールが届いたので、「ビックリだよ! こんな日に、山へ行くなんて・・・ 岐阜・愛知は大雨だよ!諦めなはれ!」 と返したが、裏銀座へ行く予定であったが、変更して濁河へやって来たのだという。一杯飲んで、明朝のお天気をみて決めるとの事。
周さんの山への入れ込み方が凄い。まるで凧の糸が切れたように没頭している。「ステキな事、素晴らしい事」 なのであるが、こちらのやっかみも混ざって、「大丈夫なのか?」 と思ってしまう。そして、あの健脚と山への意欲には、こちらが、もう付いていけない状態である。
9/3 二日も休みがありながら、「山に行かない。」 なんて事はない。一段落して、牛岳に行く事にした。新鮮味を出すために、庄川側からではなく、二本杉からにした。下界では、何とかお天気が持っていたが、歩き始める頃は、ガスに覆われ、山頂でのコーヒータイム中には、スコールのような雨に見舞われた。
しかし、それは想定していた事で、そんなに悔いにはならなかった。歩き足らない事もあって、深道のブナ林を歩く事にした。時間的に脇谷まで行けるわけがなかっただけに、10分、20分程歩こうと出発したが、結局は、40分程歩いたところで、倒木で道が塞がれ、ヤブ化している所で引き返す事となった。
山頂に戻る頃から、傘を差さねばならぬ羽目となったが、それも乙なものである。帰路は、牛岳スキー場を通らず、ガスで視界のない鉢伏山への林道を経由した。
9/2 せっかくの連休も雨。そして、片付けが終わっていない。お天気が良く、他に何の問題
もなかったら、鑓温泉キャンプ、そして、白馬鑓ヶ岳(杓子岳・白馬岳までは無理だろうから・・) を目指していたかもしれない。
目に熱いものを感じながら、両親の遺物、そして、我々の思い出の品を片付けている毎日であるが、アンチックな家具に、ちょっとばかり執心する事になった。ペンキを塗ってみたが、必ずしも、きれいにならなかったし、ガラスの棚の古いセロハンテープを落とす事が出来なかった。でも、充実の一日を送ったような気がする。
明後日から、朽ちた部屋の改造となるが、費用の関係上、あくまでも、我々が出来ない部分だけ。壁面などは時間を掛けて、自分らの手で補修する事とした。出来るわけがないような気がするが、やってみなければ分からない。幸い3部屋とも日常使っていない部屋だけに、ゆっくりやればいい。でも、そのような時間がないはず。
9/1 一週間と言えども、また二人になったが、会話が増えるわけでもない。酒量が増えるだけである。明日からのお天気も良くない。山行く志気は完全に落ちている。先頃、退院した埼玉の姉宅を、訪ねるのも妙案なのであるが、3日夕まで、何もかもが終わらなければいけないし、諦めムードが漂っている。