11/30 昨年6月、雨飾山の雪道でお互い彷徨中に出遭った東京の青年・佐々木君の友人が、facebookで興味深い事を載せておられたので、シェアと同時に同コーナーにも紹介してみます。(友達の友達)

 天気がいいので、立山で使った道具を乾燥中です。 27日夜に起きた立山の出来事を報告します。 失敗談なので恥ずかしい話ですが、今後立山に登る人の参考になればと思います。

 「たった200mなのに」  27日昼過ぎに室堂に到着。 ターミナルから200mほど離れたテント場に向かう。 (山小屋の営業が終わったこの時期は、特別にここに指定されている) 親切に10mほどの間隔で旗が立っており、少しのガスがかかったぐらいでは迷うことはない。

  2,3分で到着しテントを設営。(周囲に他の人のテントが10張ほど)。 視界が悪くなかったので、16時ごろまで近場をひと滑り。 17時頃から天候悪化(強風)。 早めの夕食をとり仮眠。 19時ごろ目覚めると、テントの半分ぐらいが雪に埋まっていた。 1回目の除雪。

 この時点で、立っていられないほどの強風(風速30mぐらい?)と吹雪。 視界は5mもないぐらい。 30分後、また半分ぐらい埋まったので2回目の除雪。 その15分後、また埋まり除雪のためテントの外に出る。 すると、近くのテントから女性(単独山行)がおびえた様子で這い出てきた。

 女性のこの状況は厳しいと考えターミナルに避難することを決定。 彼女に荷物をまとめるように伝え、準備が整いターミナルに向けて出発。 彼女は歩き始めてすぐに倒れ、起き上がりまた数歩進んでは倒れてしまうほどの状態。

 これは厳しいと考え、とりあえず僕のテントに引き返すことに。 女性の手袋が濡れたので、コンロで暖をとった。 この間も、僕はひたすらテントの除雪。 20分ほどかけてテントの除雪をしたが、一周すると最初の場所が埋まっている状態。

  女性も少し落ち着いたので、ビバーク道具を詰めた僕のザックだけを持って女性は空身で再びターミナルに向けて出発。 この時点で、もしものことを考えGPSを起動。 数十m歩いたところで、男性3人組(ひとりは座り込んでる状態)を発見。

  話しかけると、ターミナルに向かおうとしたが、道に迷ったとのこと。 後を付いてくるように伝え再び出発。 2,3歩進んでは立ち止まるような状態で進んだ。 すぐに3人組が離れ、見えなくなる。 探しに行くことも考えたが、彼女の状態を心配し2人でターミナルに向かった。

 30分以上かけて、ターミナルに到着。 すぐに山岳警備隊に状況を報告し、3人組の救助に向かってもらうことに。 この時に僕のGPSを渡し、僕の歩いた軌跡を追うことを提案。 その後、警備隊の方から3人を救助したと聞かされて安心した。

 その日は、ホテル立山さんのご厚意で泊まらせてもらえることになった。 翌日の事情聴取で山岳警備隊の方から、「GPSの軌道を追わなかったら、発見は難しかったかもしれない」と聞かされ、急に怖くなった。

  翌日、テント場に行くとテントが完全に埋まって見えない状態。 避難したみんなで協力して、すべてのテントを掘り起こした。 天気の悪化が予想されたのに山に行ったこと。 すぐ近くにターミナルがあるから大丈夫だろうと甘く見ていたこと。 山岳警備隊の方々やホテル立山さん、関係者のみなさんに迷惑をかけたこと。 反省しています。

 そして、この経験を生かそうと思います。 気軽に行ける標高2400mの世界。 たった200m歩くだけなのに。 そのたった200mが簡単に命を奪おうとする立山の自然。 大学時代から高山植物の研究や登山で通いなれた大好きな立山でしたが、 その反面怖さを感じた2日間でした。
  (原文のまま)



11/29 やがて築50年になる我が家であるが、先般シロアリにやられ、仕方なく補修工事を行った。簡単にの要望を聞き入れてもらった関係上、手が届かなかったところがあったが、それ程にも考えていなかった。

 しかしである、床の間の修復は完全ではないが、ある程度の形に戻ったが、もしかしたらの思いで、押入の作業に取りかかったら、見るにも無残であった! 敵の姿はなかったが、まるで食い千切られた廃墟であった。

 ケチった(かいしょがなかった)からであるが、底が抜けそうな押入の底や壁面の修理を、自らの手でやらなければならない羽目に陥ったのである。元来・技術家庭が苦手な私であるが、背に腹はかえられないから仕方がない。

 過日の古びた壁面でのクロス貼りを手がけた事もあり、今や、何でもチャレンジである。「出来る事は何でも・・」は、生き延びるために、いや、好きな事をやるための手段でもある。



11/28 今日も寒い一日であった。時折、ミゾレやアラレが降り、本格的な冬の到来を思わせた。山沿いでは、いや山中では、かなり降ったと思えるのであるが、この時期の山行は、冷たい思いをしなければならないし、結構厄介である。

 4月から、自分自身の山行スタイルが変わっているだけに、これからの雪山へは、どうなる事やらと憂慮しなければならない。朝が何とかなればいいのであるが、ならないのが現状である。打開策を考えつかなければ、私の埋没は確かであろう。



11/27 本当に、「後、何年元気でおれるのだろうか?」 と思う。回りには、元気な方々が、大勢おられるが、それこそ希であって、選りすぐり人達である。私は、その方達を目標とするが、多分、その域に達しないような気がしてならない。

 私の父は、あまり手が掛からないで逝った。その元気であった頃の年齢を、第一の目標としている。実際、山頂を踏む事が出来なかったが、79歳で富士山を目指している。欲に切りがないが、私も、その1~2年の誤差は構わないが、その頃まで、今と同じとはいかないかもしれないが、自由に動き回れるようでありたい願っている。



11/26 この頃、いや、以前に増して、誤字脱字、また単なる間違いが酷くなってきた。いよいよボケの始まりなのか情けない。しかし、この歳になると、開き直りというのがある。それはそれでいいのであるが、他人様に迷惑を掛けるようではいけない。幸い私の場合は、HP上の間違いであるから、「イヤければ見なければよい。」 で収まる。でも、この先が案じられるな~。

 「好山病友の会」の忘年会の日取りが決まった。平日なのに大勢のメンバーが集ってくれるようだ。「今後の事」 を話会っておきたい気持があるが、それよりも久し振りに会うのだから、メチャメチャ嬉しくなり、それどころではないような気がする。

 我が家も休日でありながら、孫の処遇で悩まざるを得ない。本来なら、どちらか一人の参加となるところであるが、お互い譲らず痛み分けになると思いきや、孫達を富山会場まで連れて行き、娘に後を頼む事で何とか収まりそうである。

 当日は、忘年会もさることながら、「北ちゃん」と「山ノ神」の節目の歳という事で、祝う事になっているから、「山ノ神」に、辞退を強要しなくて済み、ホッとしている。しばらくは、我が家の平穏を期待している。



11/25 156号線も利賀街道に入っても、凄い風が吹き荒れ、車ごと持っていかれそうになった事もあった。金剛堂山に取り付いたら、尚一層強くなり、時たま、立ち止まらなければいけないような ”烈風”と表現した方がいいような風になった。南風は、雪を急激に溶かしていて、登山道はグチャグチャであった。

 今日も、栃谷登山口発午前9時45分である。保育所の迎えを考えれば、山頂へは届かないかもしれないと思っていたが、何時間か歩かなければならない使命感のようなものがあり、小雨の中を発ったのである。

 しかし、”烈風”と表現したくなるような風は、轟音を伴い、それはそれは殉情ではおれなかった。「山ノ神」は当然怯んだ。「私の2時間は歩かなくては・・」に我慢していたのかもしれない。でも、片折岳(一服金剛)周辺では、この暖かい風に溶かされた雪が、グチャグチャになっていたのである。

 当然の様に展望は良くないけれど、山頂近くが望める場所まで行って、撤退を決め込んだのであるが、何処も彼処も、風に見舞われて、休む所を得ずに、とうとう登りも降りも、口に何かを入れられるような事はなかったのである。

 登り際に、ナメコをちょっぴりゲットした事以外、今日の収穫はなかったのであるが、山の恐ろしさを、まざまざと実感した事は、有意義だったように思えてならない。ビバーク時にあのような風・音を、一晩中聞かされたら、私みたいな小心者は、参ってしまうのではなかろうかと思ってしまった。

 今日は、早く家に戻れると思って車を走らせたのであるが、北豆沢を通りかかった時点で、本来のピークを踏んでいないと思ったからであろうか、高峰(利賀の高峰)に向かって車を走らせてしまったのである。

 何度か来た山頂であるが、一回でも稼いでおきたいという気持が動いたのは確かであったが、やっぱり高度を上げると雪道となった。冬タイヤに四駆だから、心配はなかったのであるが、やはり今冬初めての本格的な雪道だけに、気を引き締めハンドルを握っていた事はいうまでもない。

 利賀の高峰のピークからは、北アの山々が眺められた。しかし、雨が近い事を、あの状況から感じたのであるが、実際は、家に戻ってからの雨となった。今日の予報は、全くぴったりであった。



11/24 明日は、また雨だ。無理する事もないか・・・・ 今日のfacebookに、「月曜日の祝日があったら、同行の機会を・・」 とのC嬢からの投稿があった。「イヤハヤ、こちらのレベルが低いので・・・」 と返したら、「夫婦の漫才で結構楽しめる。」 との事。

 我々のメチャハチャが、そこまで浸透しているとは、喜んで良いのか、悲しむべきなのかよく分からない。でも、「まあ~、忘れられていくよりマシ。」 かとも思うが!



11/23 お昼頃から、真砂岳の雪崩のニュースが、とても気になって仕方がなかった。友人・知人達が立山に出掛けていたからであるが、日帰りだったら、あの場所へは行かないと思っていてもずっと心配であった。

 そういう事態に遭遇したら、どんな凄い人でも助からないのではなかろうか! やはり「危うきに近寄らず。」 という事なのだろう。ずっと、山と関わりたいから、忘れずに心しておきたい。

 薬を変えたら、血圧が急降下した。頭が楽になったが、気にしている副作用が気になるところである。人生と同じで、何もかも「良し」 という事はないのかもしれない。薬なしの自力?では、もうダメなのだろうか・・・・ (加齢と言われるのが一番きつい。)



11/22 何だか不調! 明日からの薬を変えてもらったが・・・  (本当は飲みたくない。)



11/21 昨夜は、それ程飲んだとは思えないが、千鳥足で帰って来たように思う。”演技”だと思っていたという「山ノ神」であるが、玄関で尻餅を着いた時は、酔っぱらいとしか思わなかったのではなかろうか!

 何かにぶつかったからであろうか、お客様から頂いた菊を痛めたし、壁面のタイルが剥がれていた。全く不徳の致すところなのであるが、そんなに気分が良かったのかどうか分からない。恐らく、「山ノ神」の追求をちょろまかして、いい気になっていたのかもしれない。  でも、そんな事はなかろう。クドクド同じ事を言っていたに違いない。
 

11/20 ついこの間まで覚えていた結婚記念日。「何処へ行く?」 と言われて、ハッとしてしまった。「こんな酷い日なので(大雨警報発令中)、日を改めて・・・」 などと言えば、膨れてしまうのが分かっているから、「何処へでも・・」 言うより仕方がなかった。

 「娘には早く帰るように・・」 と言ってあったらしく、その上、祝い金までせしめていたのでは、なんぼ、外へ出るのがあまり好きでない私でも、出ないわけにはいかなかった。36年間苦労をかけてきた事は間違いないのであるが、そんな日ばかりではなかったように思うのは、些か思い上がりなのであろうか?

 飲み始めて、「最近、心が離れて来ているように感じる。」 と言う「山ノ神」に対して、「24時間365日、休日まで一緒。少年少女でもあるまいし、本当は、もう一寸自由が欲しい。」 言い返したが、飲むほどにウヤウヤになってしまった。

 手のひらの上に乗せられているような自分に、自由権・独立権なるものを、ちょっぴりでもいいから、取り戻さなければと思うのであるが、日本と近隣諸国との交渉のように、テーブルに着く事さえままならないのではどうしようもない。甘んじて残りの人生を送るのも人生であるが・・・・・



11/19 昨日は、せっかく5名も揃ったのに、忘年会の日程は決まらなかった。職種が違うから、当然休日が違うのであるが、私の家庭の事情が大いに影響しているのは間違いない。しかし、今年は、未だ40日もあるのだから、知恵を出し合えば何とかなると思う。

 忘年会に拘らず新年会に移行する手もある。唯、恒例化していたものが、崩れていくと、何もかもが、ダメになっていく恐れがあるから心配。本当は、どれもが儀式的なものであって、本来の山行にメンバーが集まれば、なんという事はないのであるが、そうでないから、悩まなければいけない構図である。元々「月曜日の会」として発足しているのであるから、それを壊すわけにはいかない難しさもある。



11/18 久し振りに好山病諸氏5名が集った。(北ちゃん・ねぎちゃん・eiko女史・山ノ神、そして私) ゲストは、eiko女史の山仲間お二人(礼ちゃんと純子さん) 舟倉用水経由の小佐波御前山に、孫の保育所預けが課せられている私達は、集合時間に間に合わない事から、神通川沿集落「芦生」からの参加となった。

 夫婦二人だけの山行が多いだけに、この”珍事”に、日頃無口の私が、「ちょっと喋りすぎ」 と、またまた「山ノ神」 に釘を差されてしまったが、気の合う山仲間との歩きは実に楽しかった。企画からビデオ撮りまでやってくれた 「北ちゃん」のお陰があるのは言うまでもない。

 懸念された雨もいつの間にか止み、時折の陽射しも手伝ってか、雰囲気もよく、終始笑いっぱなしであったように思う。小佐波御前小屋での昼食タイムは、出は出るはのご馳走にお腹がいっぱいになり、せっかく消耗したエネルギーが台無しになるとまで言い放されてしまった。しかし、尚も出されたスイーツに、手が伸びないわけがなかった。

 2回目の礼ちゃんと、初参加の純子さんは、果たして好山病山行を、どのように感じられたのであろうか、また、参加したいと思われたのなら良いのであるが、呆れ果てられたら私の責任か・・・・ 周遊コース起点に辿り着いてから、「北ちゃん」に芦生まで送ってもらって今日の終わりとなった。



11/17 結局は白木峰。正間トンネルを経由して大長谷へは行けず山越えとなったが、1,300mの駐車場まで車を上げる事が出来た。何度となく、管理棟から歩いているだけにラッキーであった。しかし、風が強く、雪量よりその方が心配であった。

 朝方の雪は凍っていたが、登山道から山頂まで、それ程の時間を要せず届いたのであるが、吹き曝しになると、何度となく身体ごと持っていかれそうになった。でも、空は真っ青で、積雪は10~40cmくらい。「ブラボー」 と叫びたかった。浮島への木道には足跡がなかった。途中から、今冬初めてのカンジキ使用となる。

 強風に体温を奪われとても寒かったが、ちょっと窪地の浮島での風は弱く感じた。立山連峰を望んでのコーヒータイムは、日頃のモヤモヤを、一気に吹き飛ばしてくれ癒しの心中であった。地塘も凍っていただけに、その神秘さが伝わって来たような気がした。

 何度も何枚もの写真を撮ったが、いつものように思うようにはならなかったが、胸中にはあの素晴らしい光景が、家に帰ってからも焼き付いている。雪の白木峰・小白木峰は意外と気に入っている山である。「今冬も、12~3・4月までの間に行けるといいな!」 と思っているが、現況のハードルは高い。



11/16 6年前の11月、雨飾山でお会いした新潟市在住のTさんから久し振りにメールを頂いた。今夏に、早月尾根日帰りをなされたそうであるが、同じ日に、私が大日岳に行っている事を知り、ニアミスだと思った事が、メールの動機と添えられていた。

 剱岳と大日岳は確かに向かいであるが、ちょっと離れているし、ましてや早月尾根である。また馬場島と称名では、かなり違うのではないかと思うのであるが、新潟市から見ると近い事は間違いない。

 そのTさんの娘さんが当時小3であったはず。ご主人は山には興味がなく、母娘で百名山を意識しておられたように覚えているが、その娘さんも、中3になられ受験生との事。今も、一緒に山へ行かれるのは、何よりも幸せではないかと思うのである。



11/15 今度の連休(11/17.11/18)の連休は、例の如く分断であるが、一日は、好山病メンバーの一部と約束が出来た。日曜日の予報の好転もあり、さて、何処に行くかとなるが、私一人では決められないという事情がある。

 facebookの企画でお誘いがあるが、何だか気恥ずかしい。この時期、白鳥山も候補の一つになるのであるが、そのような事でカットされてしまった。さて、「何処へ・・」 と問うても返事がなく、またまた、ギリギリになってから決まる事になるが、私の述べる候補には、一発でOKとなる事など最近はなくなって来ている。



11/14 今日は、全く予期しないサプライズがあった。いろいろ私の事を気遣って下さる梶氏から、「1234567回アクセス達成おめでとうございます。11月14日8時58分に確認しました。」 とのメールを頂いた。そして、事細かく証拠としての画像の添付もあったのである。(連番)

 同氏は、どちらかというと、スポーツより勉強というタイプで、山登りなどには興味がないはずなのに、私の節目のカウントを、何度となく、ゲットして下さっているのである。趣味よりも、ウマが合っているのかもしれない。

 長い間やっていると、カウンターの数字が伸びるのは当たり前であるが、最近は、どちらかというと、以前と比べれば、少々いい加減のところもあり、恐縮の念を感じているのである。なのに、時々であるが、思い掛けぬアドバイスや励ましのメールが届き、「もうちょっと頑張ろう。」 という気にさせてくれている。山日記が、いつの間にか、常用日記になりつつあるが、それでも、泣き笑いがあり、心を豊かにしてくれているのは間違いない。



11/13 来年の7月で90歳になられる寺口翁からお便りを頂いた。同翁は、3~4年前に、単独で剱岳登頂を果たしておられるし、雪山にも、カンジキやアイゼンを履いて来られる程逞しく思われる方である。とは故、山行をご一緒した事もないし、登山口や途中擦れ違いで何度となくお会いした事があるだけであった。

 でも、何回もお便りを頂いたり、メールを頂いたりした事もある私にとっては、最年長の山の友でありメル友でもある。その同翁からの便りの内容は、「年賀状を出さない事にしたから、私にも出さなくてもよい。」 との趣旨のものであった。以前にも、そのような事があったので、「あなたはどうであれ、私は出します。」 の返事を出した事を覚えている。

 私から見れば、親のような年齢の同翁である。目標とするためにも、一日でも、一ヶ月でも、一年でも、多く長く山と親しまれる事を願っているだけに寂しさを覚えてしまうのである。「足腰が・・・」などの記述があったが、「寝たきりになっても困るから、身体を動かさなくては・・」 などともあるから、心配する事もないのかもしれない。

 「車の運転はどうなのかな?」 「好きで上手な絵は描いておられるのかな?」 などと、お会いする機会が少なかったけれど、何となく気に掛かるのである。元ちゃん・元さんのファンだと言い続けて頂いている同翁が、「牛岳の妖怪は未だ健在。」 と雪山に現れるのを、ちょっぴり期待して止まない。



11/12 血圧降下剤を変えてから数値が高く頭が重い。気のせいかもしれないが、心臓辺りが、いつもと違うような気がする。かといって、「コロリ」 と逝く保証もない。「山中なら、救護が覚束ないから、その点心配がないのでは・・」 とコメントをくれた人もいたが、不思議と山中では気分がいい。酒を止めてみたが、そのような事ぐらいで良くなるハズもなかろう。



11/11 雨。そして、忘年会もあるから牛岳にした。ナメコがあればこの上ないし、崩落してからの登山道を見ていない事もあったからである。歩き始めてから、すぐに雨がミゾレとなり、6合目から登山道が白くなった。今冬初めての雪だけに、落葉の上の雪だから滑りやすかった事も、冷たさ寒さも苦にならなかった。

 未だ4~5cm位の積雪であったが、水っぽさも手伝って、靴や雨具、そして、手袋を通してしまった。それだけに、山頂でのカップ麺や、コーヒーが温かく美味しかったのである。

 通常1時間半程度の道程を、3時間以上掛かっての登頂は、ナメコ探しに精出したからでもある。車に戻って、キノコ採り名人と談笑すれば、ややこしく採って来なかったキノコは、ヒラタケとクリタケだったみたい。



11/10 明日もお天気が悪そうである。そして、夕方から忘年会がある。そんな事から、近間の低山になるのが必然。



11/9 週初めから冷え込みそうな感じだ。青空駐車の我が家では、タイヤ交換の機会を失った感じである。次の晴れ間を待つ事にしよう。これからの時期、冷たい雨やミゾレ、また水気を含んだ雪に、一番悩まされるのが手袋である。

 「何が良いか?」 であるが、今現在では、園芸用の安価な手袋が一番と考えている。(300円前後~600円前後) 安価だから幾つでも買えるから、取り替えが利くというもの。そして、一日中降る事も少ないから、これまた安価なフリースの手袋と取り替えれば良いと思っている。冷たいのがイヤなら、こまめに取り替えがお勧めである。



11/8 キノコの事はあまり分からないから、採らないし食べなかった。唯一知っているのは、ブナハリだったが、何年か前からナメコが加わった。しかし、スーパーで買ったものしか見ていないので、大きくなった物や色が変わった物などは、違って物に見えて仕方がない。開いてくるとマイタケなどに似てくるから厄介。そのマイタケは、食べられるのであるが、やっぱり分からない。分からないのは食べないから問題はない。

 今は、ナメコの食べ方が話題である。味噌汁だけでなく、ナメコ丼もいい。他のものと炒めるのもいい。鍋・麺類の具などもいいだろうし、大根おろしとも合う。おろした山芋、納豆、叩いたオクラなどとあえると、ぬめりが倍加するとの事。そのぬめりを楽しむのは日本人だけとか!



11/7 あの山この山と言っている内に、「登った事がある。」 「何回登った。」 よりも、その中味のような気がしてきた。もちろん、難度などばかりでもないし、ピークに立つ速さでもない。出来る事なら四季通したり、ルートを変えて楽しめれば最高である。

 急ぐのも良いが、時には立ち止まったり、ゆっくりもいい。なかなか思うようにいかないが、泊まれば朝夕の絶景が待っている。雨になれば、またの機会がある。そのような夢みたい山行が出来ればと常々思っている。

 それも出来なければ、地図を広げて机上登山でもよいから、ずっと山を楽しみたい。でも、出来る事なら、気のあった友人と、いついつまでも一緒に歩きたいと願っている。



11/6 「山にあって、島とは何ぞや。」 との、馬場島の名の由来は、「白萩川と立山川の扇状地で高台から見下ろすと島のように見える。」 からのようであるが、 では、馬場とは、やはり何か馬に関わりがあるのでしょうね!

 などと、昨日のメーページ載せたコメントに、早速、岩城君が懇切丁寧に、その趣旨に沿った学術的な資料とコメントを送ってくれた。その詳細は、また何かの時に述べたいと思うが、馬場島から、中村・千鳥経由で滑川へ馬車にてモリブデンを運搬したそうである。また、剣センターから大熊谷の間(杉の平)に、以前は「鉱工事務所」があったとも記してあった。

 何だか頭の中が、スッキリしたように思う。お酒を飲まない(飲めない)岩城君有難う。



11/5 限られた時間で、しかも変化を持たせるのもなかなかである。今日は、紅葉も楽しめ、北アの展望も楽しめる所として、大辻山と高峰山を選択した。鳥越峠まで車を入れ、北尾根ルートで大辻山を往復し、残された時間で高峰山に登るというものである。

 しかし、登り掛けこそ、剱岳や北方稜線が、かすかに見えたのであるが、後は全くと言える程姿を隠してしまった。それとかに余り関係がなかったが、いつの間にか、朽ちた樹木に目がいき始めてしまった。ナメコは昨日の中山同様、まだ出始めたばかりであったが、(イヤイヤ勢いをなくしてしまったものもあった。) 採り始めると、山菜採りと同じで結構面白いのである。

 そんな事もあり、大辻山々頂まで、2時間半を要する有り様。でも、何も見えなかった山頂だけに、結果オーライとなった。これでもかと、高峰山に向かったが、ナメコちゃんは少なく、もっとも時間のない事もあったが、素晴らしき紅葉に目をやる事の方が良かったのである。



11/4 朝から雨。予報も雨。あまり体調が良くなく、山に行かなくても良いと思ったくらいである。でも、「山ノ神」は、行くものだと思っている。 (起こさないと起きないくせに・・) 私が不調を訴えても、「行くに決まっている。」 と思い込んでいるから厄介である。そして、一人では行かないし、私が家から出ないとなると、一人で行き所を見付けて出掛けていくのである。もちろん、車諸共である。

 私は雨だから、屋根がある小佐波御前山を提案したのですが、「山ノ神」が、中山との逆提案となり、運転してくれるのならの条件付きで、渋々言う事を聞く事になりました。最も、”中山は文化の日がいい。” とまで以前から言われているのですが、このところの私達は、雨や雪に見舞われる事が多いのです。

 ゆっくり歩きました。傘をさしたものの、赤や黄のコントラストがとてもよく、憂鬱さが次第に解消していきました。少量ですが、出始めたナメコをゲットする事もあり尚更のようでした。雨の山頂に滞在する事もなく、東小糸谷の周回コースに降りたのですが、中山自体や立山側周辺の紅葉が盛りのように思えました。明日はお天気のようですし、きっと素晴らしい紅葉が映えるものと思います。



11/3 このところ、体調が優れない。自己診断では血圧の所為だと思っている。冗談で「コロッといけば良いのだが・・・」 などと皆が口にするが、上手くいくハズがなく、大概「ズルズル・・」 になるそうである。

 普段拘束されているのに、高速を使う事も少なく、その上、梗塞になろうものなら、洒落にもならない。目立たなくてもよいから、「ケガもせず、病気にもならないで、好きな事が出来ればよい。」 のであるが、なかなか難しい。

 さて、健康法であるが、日頃から、質素であるから、肥満などは程遠いし、やっぱり酒量を減らすしかないのかもしれない。(イベント以外、そんなに多く飲まないのであるが・・・)後は、減塩なのであろうか? イヤイヤ最近、ストレスも感じるようになったからかもしれない。



11/2 全くゴルフをやらない私だが、ホールインワンのプレゼントをもらった。我が家には余り縁のないとても美味しい牛肉であった。何年か前にも、違った友人から、同様にお酒をもらった事がある。こんなのは、お返しをしなくてもいいのかな!

 話は変わるが、過日、テレビ番組で、スーパー高齢者達は、朝から肉を食していた。肉を食べないとパワーが出ないとか言っていたような気がする。歳を重ねる毎に、肉どころか、脂気の物を食しない傾向にあるが、それは食べられなくなっていくという事のようだ。あのスーパーマン達(スーパー高齢者達)は、それをこなしている事になる。

 我が家は、家庭の事情から、その種のものから遠ざかり、時々しか食する機会がないが、その時だけでも、パワーが付くような気がする。もっと食べれば、もっと元気になるのだろうか? それとも、特殊な人達だけなのだろうか?



11/1 霜月。カレンダーが残り二枚になった。過ぎた日はとても早いが、これからと数える日にちは意外と長い。後2ヶ月しかないと思うか、2ヶ月もあると思うかは、その人の気持ちによって随分と違うのであろう。

 「後、何年こんな事が出来るのだろう。」 と、不安げな言葉を連発する中で、「一回一回が・・・」 「まだまだ・・」 と各人の思いが違っても、「より長く、より多く・・」 は同じではなかろうか! そんな中、11/7は立冬、11/22は小雪(しょうせつ) と日が過ぎて行く。