3/31「 山に行かない。」 となれば、こんなもんなのだろうか? 「朝方から、お腹が張ってしょうがなかった。」 痛くはないのであるが、何回も何回も、トイレに通わなければならなかった。葬儀の受付(香典の記帳)は、こなしたのであるが、七日法要は、「山ノ神」に代わってもらった。

 一人家に戻ってみても、何も食べる事が出来ず、フラフラしていただけであった。 そして、「寒かった!」 所用を済まして戻った「山ノ神」から、「なによ、その格好は?」 と言われてしまったのである。明日まで治したい。



3/30 今日は、ずっと雨だったが、明日は、朝方には雨が止みそうである。山行く仲間達には、「良かった!」 と言ってやりたいが、未熟者の故、私の心中は必ずしも穏やかではない。「一回ぐらい。」 「一日ぐらい。」 なのであるし、「どうって事ない。」 程の余裕が欲しいものである。

 しかし、拘る者として、その拘りを失えば、拠り所をなくしてしまう事であり、牙城失墜に繋がってしまう。「何でもない事・・」 であっても、その人に取っては、生き甲斐に匹敵する事さえある。

 人は、一人では生きていけないのであるから、やはり、物事に交わっていかなくてはならない。不都合な慣習もあるが、一定の秩序を保つ事もあり、不平ばかりも言っておれない。そして、何のために生きているのかを考えるに、”我慢”も、時として、妙薬になる事もあるような気がする。



3/29 友人のお父様が亡くなられた。92歳であったが、安らかに眠られたそうである。私達同級生のグループは、慣習として、その弔事に対してお手伝いする事になっている。以前より、やる事がなくなってしまったが、いろいろな思いを持って参列する事になる。

 通夜は明晩、葬儀は明後日で、私の休日が葬儀になる。従って、7日法要もあり、山行はナシになる。過去には、何回となく、暗い内から山を歩き、お手伝いする時間まで戻ってきた事もあったが、今はそのような事は出来ない。

 まずまずの予報であったが、ちょっとだけ、傘マークが付いた事もあり、無理矢理納得させる自分が何故か可笑しい。



3/28 「ウソは述べないが、何もかもが本当ではない。」 粉飾と言えばいいのか、大袈裟な時もあるし、ちょっぴり、もじったりもする。赤裸々過ぎるのも、どうかと思うし、そのままでは、恥ずかしくてやってられない。

 私の事を心配して頂いているのは嬉しい事であるが、「鬱憤をはらしている。」 とくらいに思って頂ければ、ちょうどいいかもしれない。小心者の私は、この程度の事くらいしか出来ないのでしょう。

 自分だけでなく、家族まで恥ずかしい思いをしているのかもしれないが、それは、お愛嬌として受け取って頂きたい。長い事やっていると、連続ドラマのような感じになってしまうかもしれませんが、これ以上、面白くは述べる事が出来ません。

 唯、自分自身、「あの頃は、こうだった。」 との思い出(参考)として、振り返る事が出来、重宝しているのは事実です。「プロバイダーに送り、バックアップしてもらっている。」 と思ったり、「見られている。」 が励みになっているのも事実です。

 「何も公開しなくてもいいのに・・・」 なのですが、事始めは、山の情報としていたわけで、今は、その役割を担えない状態ではあるのですが、止めるのが寂しいからかもしれません。だから、「イヤなら見ないで下さい。」 もうしばらく、悪足掻きをさせて下さい。



3/27 我がHP中、休止していたコンテンツを、いざ復活させようとしたら、いろいろと、ややこしい事がいっぱいあり参っている。同じ事を毎日やっておれば、それなりにやれるのであろうが、ちょとでも離れてしまうと、なかなか思い出せない。

 歳だけで片付けてしまうのもしゃくであるし、やったからには、やっぱりやり通さなくてはという気持ちがいっぱいである。実際、病院を訪ねて、「お歳ですからね!」 とか、「加齢・・・」 などと、言われた暁には、「もっと、言い方がないのか・・」 と思ってしまうのであるから、尚更意地でも頑張らなくては・・・



3/26 今日は特別記する事がない。そんな中、古い女友達に、「祝・お誕生日」のメールを送った。「よく覚えていたね!」 の返事が来たが、「忘れるハズがない。」 と、また返した。もう40年から50年近くの友人(仲間)であるが、他人様の妻でもあり、そうそう接近も出来ない。

 でも、多くの友達と共に涙した事もあり、青春の1ページを語るには、なくてはならぬ人でもある。お互い歳を取れば、何もかもが懐かしい。例え、何度同じ事を言おうが、イヤな事さえ言わなければ、楽しくて仕方がない。そして、一瞬に、何十年前に戻してくれるのであるから、これも財産の内の一つである。



3/25 「膝の水を抜いてきた。」 と周さんがやってきた。山から帰った後とか、運動した後に、膝周辺が腫れる症状があったそうだが、やっぱり何かを感じたのであろう病院へ行って来て分かったらしい。

 この1~2年の間、意欲的に、いや貪欲に山へ傾向していたが、その影響があったのだろうか? 昨年、「ちょっと転んだ!」 と聞いた事があったが、それが、今になって影響をもたらしていたのかもしれない。

 元気な周さんであるが、この3月は、娘さんの結婚式や、その関連の用事で、一度も山に行っていないとか。もしかしたら、膝の事もあったのかもしれない。同じ年代の仲間として、早く山に戻ってきて欲しいと願うが、焦る事なく、徐々を頭に入れておいてもらいたいものである。



3/24 小白木峰とした。遅いスタートとなるため、「気温が上がる。」 予報は、林道歩きにリスクが伴うため、一旦は躊躇したが、風があまり伴わないを確信して決める事にした。前日に篠川氏らが、小白木峰から白木峰への縦走を試みておられる情報をFBで承知していたが、それは、ちゃんと、小白木峰のてっぺんを踏んでいるものであった。

 昨年1月には、有志を募って降雪の厳しい中を、そして、3月には、好天に恵まれたハレルヤの仲間達と山頂を踏んだ。小白木峰は、なかなかいい所である。除雪最終地点(21世紀の森入口)から、3~4時間程度(もちろん条件によっては違う。)行けるから、時間に制約があっても、その気になる所でもある。

 山頂から金剛堂山が眩しい。連なる白木峰や仁王山が大きく見える。そして、立山や剱岳が隠れて見えないが、他の北ア北部の山々が、屏風のように窺えるのである。もちろん、乗鞍岳や御岳山、そして、中アの山並みも、小さいけれど・・・・

 林道取り付きから、殆どアップダウンがなく、登る一方であるが、一部を除けば意外と穏やかで、杉林を抜けてしばらく行くと、だだっ広い平原に出る。(視界が悪いと迷いそうな所。)向かいが金剛堂山である小白木峰山頂は、風衝地帯であるが如く、雪面はカチカチである事が多い。

 小白木峰山域は、仁王山と比べて、スキーヤーが少なく、訪れる人達が少ないような気がする。故に、その静寂さを余計に感じるのかもしれない。5年前(H.21.2.2~2.3) この小白木峰山頂でキャンプをした事がある。今一度、そのような機会を持ちたいと思っているが、なかなか思うようにならない。少ない機会を、如何に上手く活用するかに掛かっているのかもしれない。



3/23 明日もお天気のようである。さて、何処へ行こうかとなるが、時間制限の中(拘束がある中)、なかなか思うようにならない。10時間程の時間を与えてもらっても、行き帰りがラッシュに引っかかっては、そう思うようにならないものである。

 そりゃ、一見自由が損なわれていないように思うかもしれないが、実質、6~7時間しかないのである。その上で、あのお方と一緒せねばならないのであるから、レパートリーが広がらない。同じ山ばかりでは、流石の私でも参ってしまう。「速く歩けば・・・」 と言ってしまえば、もうお終い。

 白鳥山・大鷲山などは、往復高速使用になるし、なかなか手強い。金剛堂山・牛岳ではあまり芸がない。どうしよう、やっぱり、明朝起きてからになるようだ!



3/22 前から気になっていたJR高岡駅へ行って来た。新幹線・新高岡駅開業まで、あと1年となったが、そのイベントに合わせてか、現高岡駅が改修され来週(3/29) オープンの予定である。駅ビル(クルン)やロータリー、そして、万葉線がビル中に延伸の模様、駅前ビルの取り壊し状況などを見ておきたかったからである。

 新幹線が現駅併設ならず、1・5キロ離れた所に新駅(新高岡駅)が出来る事で、高岡はどう変わるのか分からないが、北側に住む者として利便性が、ちょっぴり心配である。新幹線開通により、並行在来線は、第三セクターの「あいの風鉄道」に変わるからである。

 新駅から乗れば、東京まで乗り換えなしで、しかも、早く行く事が出来るかもしれないが、現駅から考えると乗り換えがあり、料金も高くなる事に間違いない。(車で新駅まで行く人達はそうでもないが・・・) また、大阪へのサンダーバードの始発・終着が富山から金沢に変わると言われているから、不便になるのは間違いない。

 でも、否応なしに、時代と共に変わっていくのは仕方がない。文明機器と共に、それに対応していかないと置いてきぼりにされるのだろう。しかし、生き方として、対応するのもいいし、我が道を行くのもいいだろう。



3/21 「お父さんに褒められた事がない。」 と子供達に言われている。そんな事はないと思うが、この歳になっても、あまり褒めるのが上手ではない事は確か! 「褒め方」 というのがあるのだろうが、なかなか習得が出来ない。此処に来て、考え方を変える事にした。

 「ヘタなのはしょうがない。」 違った方法という事である。家族・親戚や友人・知人にも通じる事だと思うが、「イヤな事を言わない。」 事に努力する。これも結構難しいのであるが、良いと思って言った事が、相手様にしてはイヤな事である事があるわけだから見極めが難しい。

 「持ち上げてあげる。」 「頷いてあげる。(聞いてあげる。)」 「口数を少なくする。(自慢しない)」 どうも、キーワードは、この辺にあるようである。私の周りの人達よ! イヤな思いをした事がたくさんあったと思います。ちょっとずつ、変身していくつもりです。



3/20 先の事だから、あまり当てにはならないが、今度の月曜日に晴れマークが付いている。何処へ出掛けるとは決まっていないだけに、「大地」を候補にあげたら、「またけ!」 と「山ノ神」の響きの良くない返事が返ってきた。雪の状態が良く、高速利用でなければ到底行ける所ではないのは、重々承知しているのであるが、大地・初雪以外、流石の私でも、同じ所では少々飽きが来る。

 山の空気を吸いに行くとか、修行、あるいは、トレーニングと割り切る事が出来ればいいのであるが、欲深く人間が出来ていない私には長続きが難しい。だからとは言い難いが、身近な山に、100回200回と、重ねておられる方々の忍耐力には頭が下がる思いがある。

 時間制限下の状況が、もうすぐ1年になる。ストレスが溜まったと言えばいいのか、よく我慢をしたが、当てはまるのかよく分からないが、これからは、こちらの言い分も、通してもらわなければなるまい。

 我慢する事だけでなく、”協調” を前面押し出し、腹を割って話しするしかないと思っている。少しでも、こちらの気持ちを分かってもらえ、こちらも、若い人達に協力が出来たらいいと思っている。



3/19 私のテントはゴアである。しかし、今回のキャンプで初めて結露した。テント内入れていたスパッツが、昆布のようにパリパリカチカチになったが、極端な冷え込みではなかった。本体と外張りの間隔の問題だったのだろうか? それとも、排気の関係なのか? 私には分からない。酷いものでなかったから、気にする事がないのかもしれない。

 以前、山用品店主から、「ゴアの登山靴でも、濡れる濡れないに関係なく、20回ほど履いたら効果がなくなる。」 と聞いた事があるが、登山靴とテントと、一緒に考えなければいけないのだろうか?

 その点、防水のあまり効かなくなった雨具を着ているが、雨の中、タープ周り(食事処)の補修にあたり、かなり濡らしたが、タープの中で、食事をしている間に(飲んでいる間に)乾いてしまった。

 経験している間に、いろいろな事を学ぶが、ずっと、分からない事もあるし、すぐに忘れてしまう事もある。私が、山歩きを始めた頃は、ラジュースの全盛の時だったが、必ず携帯燃料を持参せよと言われていた。

 それは、「点火出来ない。」 あるいは、「油漏れ」 などの故障に対しての対策であった。今でも、寒い時や濡らした時に、ガスコンロへ点火出来ない時がある。ライターやマッチなど、二重三重の装備(対策)があっていいと思う。



3/18 今回の大地・初雪山で撮った写真860枚を眺めながら、「やっぱり行って来て良かった。」 の思いが強い。そして、「行く事が出来た。」 の実績にもなる。「果たして、その天候で出掛けて良かったか?」 との疑問が残らないわけでもないが、技量もなく小心者の私が、わけもなく突進するハズがない。でも、自然の驚異は、何処に潜んでいるか分からないのも事実である。

 「結果オーライ!」 に救われ、強風に見舞われはしたが、好天は見事に的中した。でも、そのような事は、過去の例を見ると、そう多くはないから、おまけみたいなような気がする。唯、今回の山行に拘ったのは、天候や所用で、なし崩し的に行けなくなる事への抵抗のようなものであった。

 まだまだ、この程度の雪山なら、行ける行けないのテスト。いわゆる実績作りのようなものであった。「まだ担げる。」は、今後の山行の自信となるが、継続していないと、すぐに、”老い”に負けてしまう。

 

3/17 午前4時に起きて、テン場を5時過ぎには出たいと思っていたが、後々の為の片付けをしていたら、食事をしなくても6時になってしまった。でも、気持ちの良い朝を迎える事が出来、周囲の山々と対峙しながらゆっくりと歩いた。

 大地山頂に着くと、やっぱり風が気になった。これからの行動を考えると、ちょっとでも、お腹に入れておかないと身体が持たないと思い、初雪山側の凹んだ所を見付け、簡単な食事をした。しばらくは、最中のような雪面に、ゴボって歩きにくかったが、後は、強風に晒されているからであろうか、テカテカの雪面に、スノーシューの刃が、小気味よく食い込んで歩きやすかった。

 しかし、山頂近くの稜線に雪煙が見え、相当強そうな風が吹いているかのように思え、もしかしたら、登頂を断念せざるを得ないかと思ったりしたが、難所の1,223mピークを越えた頃から、これなら行けると思った。しかし、見た目にも、青く光った雪面を見るに付け、どのように感じるかは本人にしか分からない。

 雪面に出来る風紋が面白かった。何度も何度も立ち止まり、シャッターを切った。(結果的には、思うように撮れなかったが・・・) 剱岳や毛勝の山々も、いつもより黒々と(群青色の方が適当かも)見えたような気がする。

 後方から、かなりの速さでやって来る人が見えた。宮ちゃんかと思った「山ノ神」が、何度も振り返り手を振って迎えようかとしていたが、近付いて来られてみたら、魚津の男性であった。その後、ほんのしばらくしてから、やっぱり宮ちゃんがやってきた。トレースの無い夢創塾からである。膝や肩が痛いと言いながら流石である。

 山頂へは、3人で一緒に歩いた。宮ちゃんは、4回目の初雪山だそうだ。初回は、ずっと以前、寝入谷から入ったとの事。後の2回は、天候の悪い時に、私と歩いたものである。だから好天に恵まれた今回の山行を、随分と喜び、私達に負けないくらいにシャッターを切っていた。

 山頂は、予想通り強い風が吹いており、絶景を一通り楽しんで、すぐに降りる事にした。その強風は、止むことがなく、大地山頂まで続き、食事をする事も出来ず、お腹を空かして戻った。その大地山頂でも、相変わらず強風に、否応なしにテン場に戻った。

 テン場に戻れば、ウソのように風がなく、残り少なくなった水を利用してうどんを食べた。コーヒーは、仕方なく雪を溶かす羽目になったが、pm2.5などと言っておれなかった。風がなくなったら今度は暑い。撤収に手間取り、午後3時40分になってしまったが、帰りの時間を気にしなくてよく気持ちは楽であった。

 難儀した降り場面で、「山ノ神」のザックを担いだが、後は順調に歩けたかに思えたが、やっぱり最後の最後に疲れが出たように思う。宮ちゃんを朝日小川第二発電所(夢創塾側)に送り、今回の山行が終了した。帰りは、高速を使わないでも1時間半程度で我が家に帰る事が出来たのである。



3/16 今日のお天気の事はあまり考えず、明日のお天気を信じて、歩き始めたのが午前7時10分くらいであった。今回のキャンプには参加出来ないが、明日はやってくると言ってくれた福井の宮ちゃんに、「朝日小川ダムから歩き出します。あなたはどちらからでもいいです。」 とのメールを打つのも忘れなかった。

 「大地山頂まで7時間で登ればいい。もし、急登場面に出くわしたら、何度となく、山ノ神の荷を担げばいい。」 そんなつもりでのルートを考えた。朝日小川ダム第一発電所から、”くろべ平 ”までは、なるべく林道に沿い、杉林の中を歩き、621mピークの北側に出るというものである。

 ”4時間足” と言っている「山ノ神」であったが、今日は意外と元気で、夢創塾ルートからの合流点に3時間半で着いたのである。「こうなれば、大地山頂に届く。」 との期待をもってしまった。正午過ぎ、小川ダムから5時間、標高1,000m付近(通称=鍋平)で、雨が雪になったと思ったら、また雨になった。

 殆ど食べていなかったし、さすがに疲れたのか、「山ノ神」が、「大休憩しよう。何か食べたい。タープを張ろう」 と言ったので、時間もあるし、それに従う事にした。その時、初めて大地にやって来たという射水市のM氏が降りて来られ、「立ってる事も辛かった。大地は風が強いところですね!」 「もしかしたら、元さんですか?」 とも言って下さった。こちらは、「キャンプだ。」 と言ったら、ちょっと驚いた様子だった。

 簡単なシェルター造りのハズだったが、雲行きが益々怪しくなってきたので、必然的に頑丈なものになってしまった。雨具が、びっしょりとなったが、そうするしかなかった。と言っても、ずっと降っているわけでもない。止んだらテン場造りに精出した。目的地は大地山頂であったけれど、この天候(強風の山頂)では、おそらくテントを張るのも難しいと思ったからである。

 しかし、「山ノ神」は、「本当に良いのか?」 と何度も尋ねた。それは、私が大地山頂で 「日の出を迎えたい。」 という気持ちを、イヤと言うほど知っていたからである。「またの機会があるよ!」 と言って笑ったら、「山ノ神」は、ようやく安堵したようであった。そんなに積まなくてもよいのにと思うほど、風除けに底を掘りブロックを積んだ。

 また雨が降った。小雪になった。雷鳴が轟いた。否応なしに風が吹いた。でも、動かした身体は温かかった。何もかもを終えて、タープの張ったシェルターは「居酒屋」とした。贅沢にコンロも二台用意した。やはりお酒が美味しかった。1・5Lを用意したが、午後7時半にはなくなってしまった。当初の予定では、2Lであったが、削っての結果であったが、「もうちょっと、欲しいというところが、良いのだ!」 と妙に納得させた感じとなった。

 寝床も、エアーマットの下に、銀マットを敷くというこちらも贅沢なもの。でも、冷え込んだ! 低気圧の通過の状態が、どうだったのか分からないが、夜半には、月が出たり隠れたりしていた。未明になって星空になった。



3/15 明日のお天気から、晴れマークが、また一つ消えた。午後から、低気圧の通過で、強風、そして雷も伴うという。「それでもいくのか・・」 と言う「山ノ神」に、「時の状態によっては、設営地点を考える。」 でようやく収まったように思えた。でも、「イヤなら・・・」 だけは我慢した。

 「山へ飲みに行くわけではないから・・」 と、お酒を少なめにして1・5L、ビール3本、水は500mlのペットボトルに10本としたが、二つのザックは、これ以上入らないという程いっぱいに詰め込んだ。そして、夢創塾からの最初の急登を避け、朝日小川ダム取り付く事にした。それも、621mピーク手前の嫌らしい所を外して杉林を行く手法。



3/14 明後日からの雪山キャンプ(大地・初雪山)は、結局「山ノ神」と2人になってしまった。所用が出来てしまった人、どんなに強靱だと思っていた人でも、故障に見舞われたなど、やっぱりなかなか思うようにならない。

 そんな事もあり、「山ノ神」は、「どうしても、キャンプをしなければならないのか・」 と、私に計画を見直すようにとでも言いたげだが、行かなければ、やらなければ、このまま、ずらずら行ってしまいそうな人生に、クサビを打つためにも出掛けたいのである。

 例え、途中敗退になろうが、チャレンジ精神を失いたくない少年のような思いもある。もちろん、キャンプをしなければ、味わう事の出来ない朝夕の光景を、目の当たりにしたいからでもある。

 今夕、買い出しに出掛けたが、こんなに食べられない程の食材量である。まず、ザックに入るかと思うし、担げるのかとなる。その上に、酒・ビール・水が付いて回る。何だかぞうっとする。

 以前、大倉山の時、2人併せて、43キロを担いだように思う。でも、歳の事を考えれば、「山ノ神」の荷は、12キロ前後に押さえたい。私も、20キロくらいまでにしたいから、如何に荷を減らすかになる。

 日曜日(一日目)に雨マークが入った。お天気は晴れなのであるが、一時的に風を伴って、雨になる予報が気になる。雪ならまだしも、雪山での雨はイヤである。明日の予報更新に期待をしたい。

 取っ付きを、朝日小川ダムにするか、夢創塾にするかも迷っている。二日目に、宮ちゃんがやって来るというから、どのような形になろうが、やっぱり行かなければならない。高温も気になる。



3/13 久々の雪山キャンプ準備に取りかかったものの、”あれもない。これもない。” と困惑気味である。見当たらなくても、我慢出来るものもあれば、なくては困るものもある。昨秋のキャンプ計画が、ボツになった後の片付けが悪く ”遭難” しているのかもしれない。また、この一年全くダメであったが、雪山キャンプとなると、僧ヶ岳以来4年ぶりなるのかもしれない。

 それもそうだし、お天気もどう変わるか分からないが、我が家には、爆弾のような物を常に抱えている。自分たちの他に、孫達が熱でも出そうものなら、それで、計画が頓挫する。でも、それよりも、荷を担ぐ事が出来るかが問題である。だって、登りはじめは、スノーシューも担がなければいけないかもしれないから・・・・



3/12 一昨日の城ヶ平山は、これで9回目だった。「山ノ神」の同行があっても、時折、振り返り一寸待ってみるとか、難儀しそうな所で手を差し伸べる以外は、それこそ 「お互い単独行」 のようなものである。

 だからであろうか、自分の殻に閉じ籠もったように、城ヶ平山に関わった頃を思い出していたように思う。20年程前になると思うが、いつ買い求めたか分からないが、「越中の百山」 を改めて書棚から取り出してみて、「登っていない山がたくさんあるな。」 「読み方が分からない山もある。」 などと、「とやま山歩き」 も読みながら、新しい山行に踏み込んだように思う。

 今、思い返しても、何処から、どうして登ったかは覚えていない。平成9年2月17日 低山であっても、行った事のない雪の山である。確かミゾレが降っていたような記憶がある。良い時も悪い時もある。でも、雪山の楽しさが、どんどん分かってきた時期なのであろう。



3/11 今夕、町内会の総会があった。何事もなく、後に懇親会となったが、最後の最後に、私のHPの事が話題になった。「いつも同じ事ばかりなので、まとめて見ている。」 とのコメントが、S先生から発せられた。だからと、「山ノ神コーナーだけを見ている。」 とまでの付け加えがあった。

 私は、苦笑いをしながら、「私のHPは、山の事ばかりだから面白くない。」 と言い、「同級生や親戚の人、また、町内会の人達に見てもらうのが恥ずかしい。」 から見ないで下さいと言ってしまった。話題になるのは嬉しいが、やっぱり恥ずかしい。「あいつは、山が好きで貯まらないヤツだ!」 くらいに思って頂くだけで嬉しいのである。

 よく考えてみると、女房の悪口を綴る事で、「元さんの山歩き」 の存在感を保っているとなると、ちょっと考えさせられてしまう。だって、もっと過激な事を求められているのではないかと思ってしまうではないか・・・・  「見て!見ないで・・・」 可笑しな事になった。



3/10 起きてシャッターを開けたら、「これではダメだ!」 と大地行きを諦めた。「ある程度は行けるのであろうが、高速を使ってまで、行く事もないだろう。いや、そう多くは降らないだろう。」 と、心の中で格闘がしばらく続いたが、やっぱり止めた。

 嗜好品や水の荷揚げが目的だったが、それを我慢すれば良いだけなのであるが、長い夜の事を思うとちょっぴり寂しい。最も、だんだんと落ちてゆく体力に、些かの不安があるのも事実なのである。

 孫の方は、熱が下がり登園は可能となった。「非常時には、山から駈け降りれば良い。」 の思いに出掛ける事にしたが、いざ出掛けるとなると、行き先の選定に迷ってしまった。でも、簡単な山という事で、城ヶ平山を選んだ。「山の空気」を吸えれば良い、そして、非常時にも備えられるからであった。

 降雪は、一日中続いた。風はなかったのであるが、山頂に居座ってから吹き出し、とても寒い思いをした。雪量が少なく、樹木がないとなると、タープを張るのに、雪を集めなくてはならない。でも、やってしまった。そのような状態の中、一瞬であるが、視界が広がり、青空が覗いた。でも、また降り出した。下に降りてからは、そうでもなかったが、一口荒れは続いた。



3/9 明日は、強い寒気の到来で、一日中雪の予報である。これでは、時間制限下で、「大地」には行けない。潔く諦めるか? でも、「降る降る」 という時は、意外と降らない事が多い。でも、下の孫が、ちょっと熱を出している。それが続くと、当然出掛けられなくなる。やっぱり、「何事も翌朝起きてから決まる。」 いつものパターンとなる。



3/8 今朝の雪を見て、気持ちが萎んだ。体調も不調。もしかして、父が病んで、姉も病んでいる膵臓なのかと、イヤな予感が頭をよぎる。そして、明後日の雪の予報では、楽しむための荷揚げを目論んでいたが、どうなるか分からない。でも、精神的には、「這ってでも・・」 は変わらない。



3/7 この後、2週続けて、大地・初雪山方面を目論んでいるが予報が良くない。おまけに、先日の大地行きで痛めたのだろうか、それとも上の孫を持ち上げた(肩車)時に痛めたのか分からないのだが、背中から腰辺りが一寸痛い。張っている状態とでも言った方が良いのか、表現の仕方がよく分からない。それから、いつからとなく、差し出す角度によっては膝に違和感を覚える。「嗚呼、情けない!」



3/6 山の帰りにお風呂(温泉)に入れば気持ちが良い。美味しい物を食すればより満足である。高速を使えば便利である。しかし、何もかもを満たす環境ではなく、好きな事をするには、我慢(忍耐)が必要になってくる。服装・装備なども自慢出来るような物ではないが、後悔するような事だけはしたくないと思っている。

 ここ最近は、ちょっと思うようにいかないが、山中心のライフスタイルに変わりはない。何を削っても山であり、それに関わるようなものも削りたくない。贅沢は出来ないが、山仲間との交流も欠かしたくない。

 後は、先日車検を受けた13年で175,000キロ走っている車の問題である。すぐには、ダメにならないだろうが、いつか乗り換えをしなければならない。「中古でも良いから寝られる車が欲しい。」 「2台なら便利なのだが・・」 などなど、欲には切りがない。

 しかし、「山に行かれるだけ幸せ!」 を忘れてはいけない。連日、欲っぽく書いてしまったが、世の中には、身体を思うように動かせない人や、健康であっても、環境から、そのような事が出来ない人達が、たくさんおられるのである。



3/5 孫の保育所への送迎が、一部でも解除されれば、山行スタイルが変わり、ストレスが改善されるような気がする。狙っているのは、月に1~2回の朝の送り免除である。これから夜明けが早くなるから、尚更であるが、早く出発すれば、早く戻れるというものである。また、もう少し行動範囲が広がり、気分的に随分と楽になるのである。

 今は、スタート時も戻る時も、ラッシュに掛かり、県東部の山に出掛ける時は、高速を利用しなければならない。早朝に出掛ける事が出来れば、往路の負担がなくなり、その分を、保育所へのタクシー代に回す事が出来ると思うのであるが、そう上手くゆくとばかりも言えないか!

 娘は、4歳と2歳の子を抱え保育所に送ってから、自分が電車に乗らなくてはいけないのである。食事・身支度など大変なのは分かるが、ジジババがいなければ、自分がしなければならないのであるから、自覚を促すしかない。また、月曜日には、荷物が多い事や、2歳になったばかりの子に手が掛かるのは間違いない。そして、電車時間がある。車はないし、高速代が、タクシー代に変わればと思うのは、独り善がりなのか?

 このようなスタイルになって、4月で満1年になる。老い先短い我々にも、もう少し自由があっても良いのではと思うのは、贅沢なのだろうか?労使交渉や春闘ではないが、同じテーブルに着いて話し合ってみたい。



3/4 お天気が良さそうなので「大地」行きとした。普段なら高速を使わなくても良いのだが、保育所の送迎が課せられており、往路は黒部IC、復路は入善PAを利用する事とした。朝日小川ダムから登れば距離的には短いのであるが、「山ノ神」の嫌がる所があり、今回は、夢創塾の手前の北陸電力朝日小川第二発電所をスタート地点とした。

 まだ夢創塾まで車を乗り入れる事が出来なく、かと言って、赤松(標高500m地点)までは、所々にしか雪がなく、スノーシューを履いたものの歩きにくかった。638m、そして、鍋倉三角点までの「山ノ神」の歩きを見ていると、とても時間内に行ける状態ではないと思い、「装備一式を置いていくから、此処にとどまるか?」 と問うたが(提案したが)、「悔しいから行く。」 と言う。

 内心、「これは困ったぞ!」 と思ったが仕方が無いと諦める。しかし、執念というのであろうか、「山ノ神」の頑張りがあった。1時間余りで、山頂の目の先まで行けたのである。標高1,100m辺りであるから、残すところの標高差は60~70mくらいで、一生懸命歩けば、10分程度で山頂に達する位置であった。

 しかし、「山ノ神」は、「此処で止める。」 と言って聞かなかった。「予定退却時間まで1時間程ある。」 と言っても聞く耳を持たなかった。展望はまずまずだし、何と言っても、休む時間が欲しいというのである。(飲む時間なのであろう。) 「シャベルや炊事用具などを置いて行け。」 とも付け加えられた。

 何としても山頂に達し、初雪山を拝みたい自分であるから、その歩きは軽かった。何も口にせずとも、眼前に聳える初雪山を眺めそれだけで満足であった。雪庇が発達している黒菱山への稜線も好きな所である。そして、剱岳や毛勝の山々も、すっきりと眺められたのであるが、今日だけは全く脇役になってしまった。

 約束の時間の10分前に戻るから、「お湯を沸かしておいてくれ!」 と頼んでいたが、何故かガスだけ、置いていかなかったようであり、「山ノ神」にしても、炊事用具は無用の物になったようである。しかし、元々食材を忘れて来ているのであるから、コーヒーだけが楽しみだったのであるが致し方ない。

 時計と、にらめっこしながらの下山となったが、鍋倉三角点まで50分程度で降りられた事もあり、余裕と感じたのか、638mに帰る途中、「山ノ神」の姿が見えなくなってしまった。どうも、ヒラタケを採っていたようであるが、またまた、イヤミを発してしまったが、険悪な状況にはならなかった。500mの赤松からスノーシューを外し、壺足となったが、夢創塾に午後4時半くらいで降りる事が出来て一安心となった。。

 今度は、車デボ地点である朝日小川第二発電所に至る林道歩きは、朝方と違い腐った雪上を、フラフラして歩かなければならなかった。でも、今年初めてのフキノトウを、少しながら収穫しお土産となった。午後5時少し回ってしまったが、吹っ飛ばした事もあり、保育所の迎えに間に合った。



3/3 限られる時間では、何処へでもというわけにいかず、どうしても同じ所になってしまう。「何度出掛けてもいい。」 という所もあれば、あまり行きたくないという所も必然的出て来る。でも、「トレーニングの場」 とか、「数字(ポイント)を上げる遊び」 とすれば、また違った局面が出て来る。

 砺波に入って雪となり、閑乗寺スキー場は真っ白であった。しかし、歩き始めは、スノーシューを担がなければいけないほどの雪量であったが、それはすぐに解決した。しかし、昨夜から揉めた我が家では、ずっと引き摺り沈黙の登高となる。世には面白い表現をする人達がおり、「お互い単独行」 ではと言われた。

 八乙女峠の東屋でコーヒーを入れたが、「山ノ神」は、プイと行ってしまった。トレースがないのに三角点や最高点が分かるのかと思ったが、三角点で追いついた。大寺山に向かう途中、「喋らないで楽しいのか?」 と逆に問われる始末。「イヤければ帰れ!」 と応酬する羽目に・・・・

 「4時間は歩かないと、週一のトレーニングになるわけがない。」 と思っても、だんだんと離れていっては、後ろを振り向かない訳にはいかない。それでも、大寺山の標識までやって来たのであるから、何かの思いはあるのかもしれない。一時、青空が覗いたが、我々夫婦の心は晴れなかった。



3/2 中学の同級生にマサちゃんがいる。一年あまり前に、彼は妻君を亡くしている。我々の歳になって相方を亡くすとは辛く悲しい事であり、ちょっぴり心配していたが、さすがマサちゃんである。今は、お城巡りをしているらしい。余り詳しく分からないが、我々の百名山のようなもので、100城なるものがあるらしい。

 先日も沖縄まで出掛けてきたらしく、もう70城になったようだ。この城巡りは、我々の山登りと違い、一城毎に証明しなければならないようで、いつ出掛けても良いとは言い切れないようだ。趣味とは面白いもので、聞けば聞くほど、なるほどと思う。そして、やっている事が凄くとも、ギャラリー(聞き手・褒める人)がいなければ、これまたつまらないのである。そんなマサちゃん、ずっと、元気でいてほしい。



3/1 「朝日岳や、まわりの山は真っ白ですが、足元は、少しづつ春のきざしを感じるようになって来ました。お孫さんに囲まれながらも、冬山・春山を楽しんでおられることでしょう。私は、・・・・・」 Mさんから、嬉しい便りをもらった。忘れた頃に、ひょこんともらうお便りは、「忘れられていない。」 を実感するもので、胸がキュンとする。

 老若男女、誰からもらっても嬉しいもので、メールと違った味がある。一度の出会いであろうが、すれ違いざまに言葉を交わしただけであろうが、その時の印象が強烈であれば忘れる事などない。

逆に、何の話をしたっけと思うほど印象が薄かった人でも、長い間お便りを交わしておれば、思い浮かばぬ顔も勝手に想像をしてしまうものである。針ノ木岳・蓮華岳で知り合ったB氏もその一人で、年賀状の他に、晩夏には写真を貼り付けたハガキが届く。