4/30

4/29 大倉山の登山道を歩いていて、「宮ちゃん」が、赤い小さな物体を見付けた。「どんぐりだ。」 と言う。確かにどんぐりの大きさだが、帽子を着けていない。そして赤く、その物体に亀裂が入っていた。よく見ると発芽しているようで、地に着けようとしているようだった。これが大ききなって、どんぐりの木(コナラ)になるのかと思った。

 どんぐり図鑑によると、コナラ・ナラガシワ・ミズナラ・カシワ・クヌギ・アベマキ・・・・など、20種類ほどあるらしいが、その辺の学が無い私は、唯々、「へぇ~」、というしかない。確かに自然は面白いし神秘的だ。過日、ブナの芽が一面に蔓延っているのを見て、思わずきれいと思った事があったが、これからの山歩きには、そのような視線が必要なのかもしれない。



4/28 登山口から大倉山山頂(三角点)まで、往復3時間半、何もかもをザックに詰めた事もあって、「宮ちゃん」について行くのが結構辛かった。それでも、山頂付近の散策を含めても2時間余り滞在した事になる。

 当初の計画では、時間と「山ノ神」の脚力を考えるに、「山頂まで行けるのであろうか?」 また、「山菜採りをする時間があるのだろうか?」 と、思い悩んでいたのであるが、孫の発熱で、急遽、不参加となり、何もかもが解決してしまった。

 しかし、準備段階で、いつもと勝手が違ってしまい、私のカメラが、いつの間にか山ノ神」のザックに入ってしまったらしく、不携帯となってしまったのである。下手くそながらも、いつもカメラを持ち歩いている者として、無いのは面白くないものである。それが、いつもと同じ光景であってもである。後に、時間経過も分かるし、雪の状態なども分かるから、やはり私には必須条件なのである。

 それにしても、曇りがちを想定していたし、雨が降らなければ良いと思っていたのに、どうかすると青空が覗いて来るという模様は頗る満足であった。剱岳を始め周辺の山々は、最後の最後まで姿を見せてくれたのである。

 今回は、好山病諸氏の企画があったが、時間的に合わず諦めていたが、いろいろな事から、私(達)にも都合の良い企画を再考してくれたのに、それを蹴って大倉山に足を運んでしまったのである。でも、福井から、「何処かへ一緒したい。」 との声が掛かれば、やはり、それなりの山に行かなければと思ったのも正直なところであった。しかし、「あんなに速く歩いて満足したのかな!」 と思ってしまうのであるが、「来月は?」 と言われても返す言葉がなかった。



4/27 休んだら、「何と楽なんだろう。」 と思った。長続きするためにも、この調子でいこうと思っている。でも、その間、膝と腰が可笑しくなった。サボった罰なのだろうか? 私のような者は、やはり何かをしていないとダメなのかもしれない。

 目に見えないが、「可笑しいなぁ。」 と思う所はどれだけでもある。 医学・科学でも分からない所がたくさんあるらしいし、やっぱり、最後は気力だけかもしれない。それ故に、ポツリと止めてしまうと、何かしらの反動があるのかもしれない。時間もお金もないけれど、それなりに、目標を持って歩み続けなければ、ボーッとした人になりかねない。



4/23 「やっぱり、右膝が可笑しいぞ!」 ずっと前は、左膝だったのに、今度は、どうしたわけか左膝だ。ちょっとした段差でも、スムーズに足が出ない。でも、歩けないわけでもないし、急坂を登れないわけでもない。ローからセカンドなのか、セカンドからサードなのか分からないが、ギアみたいなものが上手く噛み合わないのかもしれない。

 時々、足を引きずったり、膝に手をあてがって、階段を登ったりしている。「そんなのに、山へ行く。そして、歩いているから可笑しい!」 と言われているが、山には独特の空気があり、活力を与えてもらっているような気がする。



4/22 「雪山の雨」など楽しいハズがない。「でも、何故行くのだ・・」 と尋ねられれば、「もう、そうするしかないから・・・」 としか答えられない。「限られた範囲で、ライフスタイルを守る。」 などと、大袈裟な事は言えないのであるが、いつかまた来る自由の為への備えなのかもしれないし、体力維持へのせめてもの努力かもしれない。

 楽しいとは言えないでも、充実感とか達成感というものは、低山歩きでも結構あるもので、屋内の同じ所を歩いているよりは、断然楽しいと言える。小さな自然でも大きい事を発見する事もあり、やっぱりやってみて、行ってみてであろう。



4/21 家を出る時から雨であった。庄川道の駅で雨具を纏い靴を履いた。山は思ったより白い。「こりゃ結構雪があるぞ!」 五合目ヒュッテから上は、雨で濡れた笹が登山道を覆った上に、グチャグチャで歩きにくかった。でも、ある程度登ってしまえば、登山道がしっかりしていてそうでもなかった。

 6合目から上は、雪がべったりと残っていた。前日の1000m辺りから雪であった大倉山と比べれば、牛岳は豪雪地帯の一角を担っている事は明らかだと思わずにはおれなかった。と言っても、急登箇所では、所々雪が消えていて、何かに掴まなければ容易に登る事が出来ない。

 雨は、強くなったり弱くなったりを繰り返していたが、止む事はなかった。息が上がりかけた「山ノ神」の様子を見て、稜線に出る前に、コーヒータイムとしたが、反対に雨が強くなってしまい休憩には適さなかったような感じである。

 でも、それで「山ノ神」が息を吹き返した感じになり、稜線歩きとなる。しかし、稜線に出ても、1~2月の積雪期や、3月頃の残雪期と違い、雪が消えている所を避けるために、北側の斜面に、何度となく回り込まなければならなかった。

 それでも、夏道に沿うより断然歩きやすく、安全である。山頂の牛岳権現様を奉った祠は、全容を現していたが、牛岳全体は、まだまだ雪の中、それよりも、白い雪に覆われていると言った方が合っているかもしれない。

 さて、山頂に辿り着いて車へ戻るには、①同じルートを戻る。②二本杉から三段の滝に出る。③鍋谷林道・牛岳トンネルを経由する全くの林道歩きの三つのルートがあり、「山ノ神」に選択を任せた。

 ”点滴”を楽しみながら、「山ノ神」が選んだのは、林道歩きであった。その理由は、怖い目に遭いたくないのと、フキノトウ等の山菜採りが目当てであった。保育所の迎えと、友人の母様の通夜式の事があったが、時間は充分にあった。

 林道歩きと言っても、ずっと、雪に覆われていた。従って、所々の雪の切れ間に、フキノトウが顔を出しているのを摘み取るだけ・・・ それでも、かなりの量にはなった。雪は腐って歩き易くはなかったが、登りと違って、その気になれば早いものである。

 牛岳林道に出て、今度は1100m余りある牛岳トンネルを抜けると、出始めてばかりのコゴミに目が移った。山頂から、あれやこれやで3時間。僅かであったが、休憩時間を入れれば、全行程7時間。車に戻った頃には、全身ビシャビシャになっていた。



4/20 4月のハレルヤ月例会の幹事は池田氏。人生経験が豊富な同氏だけに、企画・連絡等は流石であった。しかし、自然現象には勝てず、当初の細蔵山から大倉山となったが、それも全て計画通りであった。

 別名「動く高気圧」と呼ばれている筏井氏の助け?もあってか、お天気も味方し、頗る好調な歩きが続き、大汗を掻かされたのは私だけではあるまい。「今日は、どうしたの?」 と、その都度先頭を歩く人に、思わず声をかけてしまう程であった。

 11人のパーティーとしては、驚くほど?の速さで大倉山に達したのであるから、「土倉山や、濁谷山に行けるのでは・・・」 の声が必然的に上がっていた。でも、その分だけ、山頂で長い時間滞在出来る事が出来たのであるから、ハッピー・ハッピーであった。

 でも、その煽りを食ったのが私で、次から次へと出て来るご馳走に、欲張り、いや、食に飢えているからか、お腹を壊してしまった。そのような事を除けば、頗る順調で、長い林道歩きでさえ、日頃ご無沙汰の解消かのように話が弾んでいたように思う。剱岳のてっぺんが、山頂から眺められなかったのが、ちょっぴり残念であったかもしれないね!



4/19 「舌の根が乾かない内に・・」 なのだけれど、もうちょっとだけ頑張ってみようか! (でも、怪しい!) 70歳までとか、アクセスカウンター200万件までとかは別にして、休みながら続けられるまでの方針でいこうと思っている。多分、すぐに挫折すると思うけれど・・・

 明日は、ハレルヤ山行。私の参加は1月以来なのであるが、久し振りに皆の顔を見る事を楽しみにしている。11名の参加と聞いている。



4/18 「今日は何を書こうか?」 と思って14年余り。最近、少し疲れ気味? 止めるのも寂しいし、いつになるか分からないけれど、ちょっとだけ、休んでもいいよね! 予告しておかないと、「あいつ、生きているのだろうか?」 と思われてもいけないし・・・・



4/17 父は20年前、母は12年前に亡くなっている。その両親の持ち物を、なかなか処分しきれないでいるのだから、自分の持ち物は尚更に処分出来ない。「残したら、子供達がまた困ってしまう。」 「大事にしていても、ポイと捨てられてしまう。」 等々、諸先輩方から、いろいろな意見を聞いているものの、優柔不断というのであろうかその作業が進まない。

 手に取ってみて、「もうちょっと・・」 「これは、なけなしのお金で買ったもの」 などとかが、脳裏を過ぎり、またしまい込んでしまう。お蔵入りなのであるが、「ある事」 「持っている事」 に意義があるとかの理由付けなり。 結局、いつもの通り1~2割の削減で妥協しても、嵩は変わらずか、まだ大きくなってしまう事がある。

 想い出は財産。共通の想い出が如何に多くあるかが、和やかな人生を送れるかどうかが掛かっているのではと私は思っている。でも、その過去のことばかりでは、進歩がないだけでなく、退化が加速していくような気になる。身体が衰えようが、冴えない頭になろうが、やっぱり、それなりに前向きにならなければと思うのであるが、たやすい事ではない。



4/16 何だかこの頃、膝の調子が可笑しい。時々、ピリッとなる。2~3回前の山行から、違和感を覚えていたのであるが、日常でも感じるようになった。でも、歩けないわけでもないし、山行意欲がなくなったわけでもない。しかし、そのように感じた時は、無意識にギアを入れ替えているように思う。

 雪解けが進み、クッシュン的なものがなくなっていくと、もろに間接に響いてくるかもしれないが、その時はその時である。時間がないと嘆いているより、自分自身の故障の方が重大である。休むと衰えが急速に進むから、鍛えながら仲良くやっていくしかないのだろう。



4/15 4回目となった臼越山。初回はH.14.04.15であるから、今回と同時期であった。その当時の紀行文を読んでみると、尾根筋でなく、砂防ダム群がある支谷を辿って稜線に出ている。今回(いや、過去の3回とも)の尾根筋の右側に当たる谷である。GPSもないから、はっきりした事は分からないが、おそらく七姫山との分岐付近のちょっと臼越山側に出たと思える。

 あの頃は、元気があったし、常に燃えていたように思う。帰ったら、すぐHPにUPしていたし、今のような写真を貼り付けているだけでなく、事細かく記載されている。「同じ山に登れば記する事がなくなる。」 は、唯の方便で、元気がなくなってきた証拠のような気がする。でも、まだ燃え尽きていない。



4/14 孫達を保育所に送ってから郊外に出て、靴下を忘れた事に気付いた。サイズにピシリと来ている足と靴なら、軍手などの手袋を代用品として使う事が出来るのであるが、一つ大きめのサイズの登山靴であるため、厚手の靴下を2枚履かなければならず、どうしても取りに戻らなければいけなかった。

 それでも、小杉・富山間に高速を使ったから、クムジュン手前に車をデボして、スタートしたのが午前9時半であった。人津谷の林道は相変わらず荒れていたが、スノーシューを履けるだけの雪量があり、意外と速く歩けた。

 臼越山に行くのに、林道をショートカットしようとしていたところに、ガイドの多賀谷氏一行が、スキーで降りて来られた。 (3人。多賀谷さんは、何だか痩せておられたように思えた。) 先頭を滑っていた方から、「何処かで見かけた顔?」 と言われたが、「私は分からなかった。」 多賀谷氏から、「大日ですか?」 と尋ねられたが、「いや、この時間ですから、臼越です。」 と言って別れた。

 杉林の急斜面を登ると、林道に沿うよりも、大幅に時間短縮になる。でも、「山ノ神」は汗びっしょりであった。しばらくして、林道を外れ尾根に取り付いたが、カチカチでもなく、それなりの雪量で、七姫山と分け合う稜線分岐に出たのが、午前11時半。

 その分岐から山頂(1421m)までの標高差230~40mが、「山ノ神」にしてみれば、スタミナが持つか持たないかの境目である。でも、今日は雪質に助けられた感があったが、結構頑張ったのである。3年前の5/4の4時間を、大幅に縮めたのであるから・・・ 2時間半はちょっと粉飾に近いが、私よりちょっと遅れた感じで、2時間40分~45分程であった事は間違いない。

 この調子で、七姫山へもと、思ったのであるが、やっぱり、ゆっくり山頂で過ごそうという事になった。毛勝の山々に、ガスが掛かっている以外、すっきりと慣れ親しい山々を望む事が出来た。調子に乗って、この雰囲気をメールで送ろうとしたが、液晶が光ってよく分からない。元々、携帯メールが苦手(遅い)なので、「絶景!」としか打てなかった。可笑しなもので、その頃から、ガスに覆われ、見る見る内にお山を隠されてしまった。

 「行きはよいよい、帰りが怖い!」 そのものを体験する事になった。急な降りは、スノーシューを外さなければいけなかった。でもその他は、スノーシューでの滑りの練習にはなり、滑っては転び、転んでは滑った。



4/13 明日もお天気のようである。こんな中途半端な時間にしか山に行けないのであるが、やっぱり何処かに行かなければならない。苦肉の策であるが、臼越山か七姫山辺りにでも出掛けようかと思っている。当然のように「山ノ神」が引っ付いて来るから、山頂には届かないかもしれないが、稜線には出られるであろう。



4/12 「今度は何処へ行こうか?」 だんだんと夜明けが早くなり、陽が落ちるのも遅くなって行くのに、決められた時間しか行動出来ないもどかしさ・・・・ 毎回高速も乗れないから、県東部の山は遠のいていくし、利賀街道は通行止めで遠回りしなければならない。そして、雪解けが進めば、登山道のある山以外は登りにくい。山菜には、まだ早いような気がするが、今年は如何に・・・



4/11 5/5~5/6は、自由に使えると思っていたら、次男が彼女を連れてやって来るという。その彼女、「山に連れてって・・」 なのだそうだが、要領が分からぬこちらは戸惑ってしまう。息子は、あまり山に興味がないはずだし、装備なども全くないと思うから、「いつも行っている山でいい。」 などと言われても、スニーカーでやって来るのでは、どのような山に行けるのだと思わずにはおれない。

 「軽登山靴くらい用意せよ!」と言いたいのであるが、一回きりなのであれば、そのような事も強く言えない。登山靴以外の物なら、それなりにカバー出来るのだが・・・ ちょっと、高度を上げれば雪が残っているし、雪解けで、グチャグチャも覚悟をしなければならない。

 それでも、”顔を合わせた事もない私達と山に登りたい。” と言ってもらえるのは喜ばなくてはいけないのかもしれない。



4/10 年度初めで、忙しいのであろうか、朝早く出掛け、帰りも遅い娘に、朝だけでも 「保育所への送りの免除」は、なかなか切り出しにくい。仕方がないと思いながら、それでも、月に1~2回ぐらい何とかならないものだろうかと思うのは、親として、ジジとして失格なのかもしれない。

 でも、そうして、だんだんと外堀を埋められて、身動きが出来なるのが必然である。ある意味では、わがままを通さなければ、元気を保てないような気がする。「仕方がない。」 と、諦めてもらうのも、一手なのであるが、そのような事が出来るのなら悩んではいないと思う。



4/9 なるべく高速を使わないでの山行を心掛けて来たが、保育所への送迎の関係上、県東部の山に出掛ける時は、利用しないと、山中の滞在時間が短くなってしまう。先日の大地行きに際して、「小杉→黒部」 を利用した。今まで通行時間帯割引で、半額の800円だったのであるが、その割引が3月末で終了してしまったらしく、表示板に出た金額が1,540円であった。

 消費税分くらいは覚悟していたが、半額の割引は、もうちょっと先まで、継続されるものと思っていたのが誤りで、通勤時間帯割引はなくなったようであった。この話を赤祖父山頂(扇山)で、こぼしていたら、池田氏から、「頻度に応じて割引があるらしい。」 事を伺った。

 平日朝夕割引(通勤時間帯割引と同じ時間帯6:00~9:00、17:00~20:00) を利用すれば、その頻度によって、3割引 or 5割引になるというものである。同月に1~4回利用では、割引がないが、5~9回の利用で約3割引。10回以上利用すれば約5割引なるという。でも、それだけ利用しなければならないから困ったものだ。高値安定?のガソリン価格にも弱っている。



4/8 赤祖父山へは、ひょんな事から、eiko女史の他に、池田夫妻共ご一緒する事になった。福寿草が見られれば、そして雪割草も・・・・である。疲れれば、休んでコーヒータイムとすればいいし、「何も山頂に拘らなくてもいい。」 くらいの思いがあった。

 前々から、eiko女史から、「ハードな山行はイヤ!」 と聞かせられていたし、yoko夫人の「私は遅いから・・」 などを、まともに聞いていたら、それこそ、アゴテンを食らってします。彼女らは、謙遜の塊みたいな人達で、「どうして、どうして・・」 であった。

 最終地点を扇山として、テーブル・ベンチを造り、ゆっくりと寛いだ。持参した食材を分け合い、積もった話を充分にした。以前、池田氏にyoko夫人との山行を強請っていた事があったが、ひょんな形で実現する事が出来、私にとっては、頗る満足のいく山行となったような気がする。

 朝方の福寿草は、恥ずかしそうに萎んでいたが、池田氏からの助言を元に、再び群生地に足を運べば、黄色の生き生きした福寿草を見る事が出来とてもハッピーだった。



4/7 夢創塾付近でも、うっすらと雪が積もっていた。標高500m付近でもスノーシューを着ける程の雪でなかったが、ブナ林に入ったら、そのスノーシューが重くなり、無理矢理装着とした。それでも、638mの標高点からは、べったり(この時期としては・・)の雪であった。

しかし、「山ノ神」は、全くの不調、「止める、止めない。」 で言い争いになりかけてしまったが、何とか鍋倉三角点まで頑張ってもらった。既に正午6~7分前であった。3/4は、「止めると悔しいから・・」 と山頂直下まで、3/16~17は、辿ったルートは違ったが、重荷を担いで頑張ったのにと思ったが仕方がなかった。

 鍋倉三角点なら、周囲の山を眺める事が出来るし、シャベルと炊事用具を置いて、遅くとも午後2時半までに戻ると約束して、またまたお互い単独行の様相となる。新雪は、トレースの上に5~10cm。朝日小川ダムからの合流点を過ぎると、吹き曝しの所のトレースは消えていった。そして、脹ら脛まで沈む事もあった。

 稜線に出ると、我が道を行くような気持ちの良い歩きとなったが、重荷を担いだ男性が降りて来た。大地山頂付近で、キャンプをしていたという飛騨のM・Tさんであった。「いいところですね!」 の挨拶に、「昨日は大変だったでしょう。」 と言葉を交わして別れた。

 4月の初雪山(大地からの)は、うっすらと化粧を施して、私を迎えてくれたように思えた。今まで、髭がいっぱいある(雪が少なくなって、樹木が向きだしになる)初雪山は見たくないと思っていたので、1~3月に限定して出掛けていたが、今回はタイミングが良かったのか、想像以上に素晴らしい初雪山を眺める事が出来、短い滞在時間であっても、頗る満足のいく山行となった。

 荷を少し軽くしたとはいえ、鍋倉三角点から山頂間を100分(65分・35分)で行けたのであるから、「まだまだ・・歩けるんだ!」 と自分を妙に納得させていた。 (そりゃ!若いもんにゃ、叶わないが・・当たり前だ!) 山頂滞在時間は、10~15分程度だったから、午後2時前に、かなり余裕をもって三角点に戻れたので、ゆっくりと食事をする事が出来た。そして、予定下山時刻を大幅に縮めた事もあり、高速を使わないで帰宅する事が出来ブラボーであった。



4/6 明日は、何処へ行くにも時間が足りず、1~3月しか行った事のない「大地」に行く事にした。「山ノ神」の足次第では、また、かつかつの山行となるが、歩ける喜びを大地にぶつけたい。4月の大地はどんなのだろう? もしかしたら、初雪山も薄化粧をして迎えてくれるかもしれない。



4/5 婿殿が昨日からやってきている。子達の入園式とかで、やって来たようであるが、別居生活を始めてもう1年になる。大事な年齢なのによくやっている。ましてや、こちらの企業でないし、丸々交通費が掛かるのであるから大変であると思う。子達は、婿殿に纏わり付いているから、夫婦での会話があるのかと心配になってしまう。

 それなのに、いい歳をして、「山に行けない。」 などと、私は戯言を並べている。もうちょっと、若いもんの事を考えてやらねばならないのだろうが、こちらとて、やがて歳を取り、思うようにならなくなるのが見えている。お互い、「もうちょっと我慢をしてくれれば・・」 なのだろうが、何もかもが、上手くいくハズがないのであった。

 失ってしまって後悔するのがいいのか、わがままを通して後悔するのがいいのか、その見極めは難しい。この先思うようになると思っていないが、ちょっとでも、笑っておられる時間が長ければいいと思う。ましてや、人様から見れば、恵まれているのではと、勝手に思っておられるのであるから・・・・



4/4 何だか肌寒い。そして、週末は、もっと寒くなるようだ。暖かな日が続いただけに、余計に寒く感ずるのだろう。しかし、次の月・火(我々の連休)は、回復しそうなのである。それとなく、2日間に4回ある保育所の送迎、1日目の迎え、2日目の送りの免除(伝え方は別方法)を、それとなく、娘に打診してみたが、快い返事をもらえなかった。

 大倉山辺りで、朝夕の剱岳を始めとする山々を眺めたいと思ってみたものの、またも叶わぬ事となった。大明神山・早乙女岳・僧ヶ岳・細蔵山・毛勝山など、旬を迎える山々へも、なかなか出向く事も出来なくなる。その内、こちらが出掛ける事が叶わぬようになるのだろう。



4/3 娘から、同じ会社に勤めておられた 「I氏が退職された。」 と聞いた。まだ定年でないのに、何かわけがあったのだろうかと思わずにはおれなかったが、「これで、お父さんと一緒に山に行ける。」 と声を掛けてもらったとも言っていた。

 話を聞いたのは、4/1だったので、耳を疑ったし、エープリルフールではと思ったりもしたが、「きっと、何かやりたい事があったんだ。」 良い解釈をしている。何事も前向きに、あるいは、上向きに考えた方が良いし楽しい。そして、この機会に、もう少し、花の勉強をすれば良いのかもしれない。でも、もう頭には入らないぞ!



4/2 3/31(月)は、所用で山に出掛ける事が出来なかったので、憂さ晴らしというより、トレーニングという事で、仕事前に二上山へ行って来た。歩く時間にしてみれば、小一時間なので、自転車で出掛けようと思ったが、後から文句を付けられたら困るから、下の部屋で寝ている「山ノ神」に声を掛けてみると、「行く。」 と言って起きてきた。そうなれば、時間の事もあり、車で出掛ける事になる。

 スニーカーで歩くと、いつもの登山靴と違い、もろに地べたを感じ、少々違和感があったが、これが本当の歩きなのかもしれないと思った。時間があまりない、唯歩るくだけの今日の行程であったが、陽が昇り、その陽が、富山湾にも映る光景には、何となく足が止まってしまった。家から出て、家に戻る一時間半の、いつもと違う僅かな時間であったが、「やっぱり歩けるっていいな!」 と思わずにはおれなかった。




4/1 何も食べなかったら、いっぺんに2キロ以上痩せてしまった。当たり前の事であるが元気も出ない。「お金がなくても、元気が一番。」 というのが、今更ながら実感している。本当の正直なところは、「お金も欲しいけれど・・・」

 現在の我が家は、我々夫婦に、娘と孫2人の5人であるが、どうも、もう1人いるようである。仲良くなってしまうと、情けが募ってしまい追い出すわけにもいかない。この先も、ずっとそうなのか、「貧乏神くん」