6/30 白鳥山は、ブヨも毛虫もいなかった。前日の雨もこちらでは降らなかったのか、金時坂は渇いていた。程よい風に心地が良く大汗を掻く事もなかった。しかし、靄の中で見通しが悪く、唯々修行の歩きのようであった。

 今日は、スタートが午前10時40分と、ちょっと遅くなったが、遠きにした分仕方が無かった。でも、予想以上の「山ノ神」の頑張りに (休憩が多くなかった。)、ほぼ2時間で山頂小屋に辿り着く事が出来た。

 雨になった事もあったが、小屋で1時間半も、ゆっくりと過ごす事が出来た。最近では珍しい事である。(苦笑) 白鳥山にはよく出掛けていたつもりであったが、3年ぶり (H.23.03.07以来) であった。それが、無雪期となると、何と5年ぶり (H.21.10.26以来) である。それだけ歳月が流れた事になる。



6/29 久し振りに纏まった雨となったが、所によっては、「あまり降らなかった。」 「もっと酷かった。」 など、今年のお天気は、局地的に随分違うようである。県東部では、時間雨量50㍉の所もあったようで、山中で酷い目に遭った方もあったと聞く。

 このところ、県西部の山を、何となく彷徨いているが、たまには東部の山に出掛けてみたい。時間制限の中、高速を使わないからラッシュがある。しかも、大雨の後だけに、グジャグジャが予想される。でも、出掛けてみよう。



6/28 今話題の映画 「春を背負って」 を見てきた。山仲間から結構辛いコメントを聞いていたが、私としては、まあまあではないかと思って見てきた。見る人が、何を求めているのかによって、随分違うのではないかと思うが、山を題材としての映画では、結構いいのではないかと思う。

 あまり外に出ない私。だから映画も久し振りであった。見る物・出会う物、何もかもが新鮮である。外食もあまりしないが、それでいて、美味しい物に出会えば嬉しいに決まっている。小心者、臆病者である私でも、好奇心があるし、慣れればそれなりにである。



6/27 ひょんな事で旧友達とお会いする事がある。同級生や古い山友達がそれであるが、時間が経ち盛り上がりと共に、「ちょっと好きだったんだけれど・・・」 とか、「なかなか話が出来なくて・・」 などと言われてその気になり、「もうちょっと早く言ってくれれば良かったのに・・」 などと言って大笑いする事がある。

 何年何十年経とうが、すぐにプレーバックする。「もう一言足りなかった。」 「一言多かった。」 「もうちょっと追いかければ良かった。」 「もうちょっと素直になれば良かった。」 など、思い出すと共に、悔いが残らないでもないが、それが青春というものであったのかと苦笑いするしかない。

 歳を重ねる毎に我が強くなり、長年の信頼関係が崩壊し、距離を置き始めなければならない事もあれば、ちょっとした事に感動し、ホンワカな気持ちになる事もある。ほろ苦い想い出も財産であるし、これからの一つ一つの物事も、実入りになるよう心していきたいと思っている。青春→朱夏→白秋→玄冬



6/26 「時々、飲まない事もあったが、それが、時々しか飲まないようになり、最近は飲まなくなってしまった。」 血圧降下剤の話である。「一度飲んだら、ずっと飲まなくてはいけない。」 とか、「安心してお酒を飲むために服用している。」 をよく聞くし聞かされる。その反対に、「危険ラインは、製薬業者と医師会が結託して作ったもの。」 「飲み続けていると、がんや認知症になる確率が高い。」 などと、様々な意見が飛び交っており、どちらが正しいのか分からない。

 元来、あまり薬に頼るのが好きでない私は、いつかは、また何処かで止めようと、その機会を探っていたが、そのタイミングがなかなかやって来なかった。いつしか飲み忘れが続いた。気が付いたら、時間が過ぎていたとか、持参するのを忘れたとかが続いたのである。もっとも、他の出費が続いて、懐が寂しくなった事も歪めないが、しばらく医者に行かないことにした。

 まあ~、素人ながら動脈硬化が進んでおり、いつ詰まるか、破裂するか分からないが、自分の意思の元にやるのだから、それはそれでいいような気がする。今のところ、身体を動かしている時はとても調子がいいし、同じ姿勢や何もしない時の方が、何となく調子が可笑しい。どちらにしても、40年50年先まで生きられない事だけは確か!



6/25 近年、毎年のように続けていた白馬岳・薬師岳・雨飾山・白山・大猫山などの山行が途切れそうである。昨年は、雨飾山を外してしまった。時間制限の中、高速を飛ばして出掛けたのであるが、梶山側も小谷側も通行止めで諦めざるを得なかった。今年は、余程の幸運と巡り会わない限り、もっと狭められそうである。

 10年の間に3回程になってしまった剱岳も、7月第3週の連休のワンチャンスである。でも、そう嘆く事もなく、8月9月の新たな計画をなくせば、それらの山々には、行けなくもないのである。唯、今までのように、毎週好きな山へ行かれないだけの事。

 カレンダーを見れば、9月以降、月曜日の祝日が結構ある。一日中歩けるし、仲間と一緒出来る機会にもなるかもしれない。いい事ばかりはないもの。出掛けられるだけでも良いとし、また、いい事・楽しい事がやって来るものである。



6/24 福島県の二岐山でお会いした新潟の北村夫妻は、当時300名山に、あと17座と言っておられたが、昨日のメールでは、今月末、箱根駒ヶ岳・金時山・黒岳・国師ヶ岳に登れば、あと10座だそうだ。この一週間に、また何処かへ出掛けられたのであろう。

 残すのは、簡単な山ばかりと言っておられた気がするが、どのような山であってもエネルギーがいる。何もかもが噛み合わなくては、その偉業を達成する事はない。「努力」の他に、「運」もなければ到底かなわないのではなかろうか? 幾多の困難にも、モチベーションが落ちないようするのは至難の業でもある。達成した暁には、おめでとうと言ってあげたい。



6/23 あまり登られていないのかと思うほど、取水口の階段を越えて、沢に出た途端、登山道を見失うハプニングとなる。しかも、しばらくは、斜面をトラバースする道は、濡れていれば、ズルッといきそうな雰囲気で慎重に歩いた。しかし、ブナが出て来ると何故かホッとし、直登のしっかりした道で高度を上げた。地塘に咲く2~3輪ニッコウキスゲを見付ければ、最早、小白木峰の領域である。

 3カ所の地塘を過ぎてからが、ススダケの宝庫?なのであるが、「先人にやられた!」 とか、「細いね!無いね!」 などと言いながら、それなりに採っていたかのように思う。何せ、私の時間制限下に付き合って下さった方々であり、ヤブの中で長居をする事が出来ないのですから・・・

 小白木峰登山口から、ススダケを採りながらでも、白木峰の山頂に3時間10分で到達するのであるから、「山ノ神」はバテバテで、「小白木峰の登山口に戻らず、21世紀の森側に降りる。」 とまで言いだす始末であった。しかし、30~40分程度の休息(食事)を終えての再出発には、「山ノ神」も平常心に戻ったようであった。

 持ち時間は、まだ3時間近くあったので、ちょっぴりススダケ採りが許された。小白木峰の展望台で、暫しの休憩をしてから、ガラリと雰囲気が変わった。その降りを懸念していたのに、「山ノ神」が、ドンドン足早に降りていくのであるから・・・  池田氏が私に、「何か言って怒らせたのか?」 と問われた程であるから、尋常でなかった。その事により、小白木峰から登山口まで、コースタイムの半分ほどで降りる事が出来、悠々と保育所の迎えに間に合ったのである

 今回は、時間の制約の他、前夜の誘いにも関わらず、私達の山行に付き合って下さった河原氏・池田氏に、唯々感謝しなければならない。そして、白木峰山頂で、北ちゃんと田村氏に、久し振りの再会を目論んでいたが、時間に間に合わず、申し訳ない事をしてしまった。

 久し振りに多くを食せず、歩き通す事が出来、身体の老廃物が吹っ飛んだようで身体の調子がいい。朝方、後頭部が重たかったが、家に戻った頃は、何もなかったように快適そのものであった。冷たい物も美味しく頂く事が出来、山歩きはハッピーという感じであったが、PCの前で眠ってしまったようである。



6/22 明日は、小白木峰から白木峰へと、通常の逆コースを辿ってみようと思っている。その事を、最近ご無沙汰している、好山病の重鎮・北ちゃんに連絡すると、彼も田村氏と白木峰に行くとの事。

 お互い時間制限があるのと、コースが違ってでは、白木峰山頂で会える可能性は少ないような気がする。それに、ススダケ採りが付いて回るのだから・・・。 携帯が通じるのだろうか?使った事がないだけに分からない。でも、会えたらハッピー。



6/21 ちょっとばかしサービスとして、蛍観賞に行って来た。保育所の送迎以外、爺らしい事をしていない私だけに、罪滅ぼしの意味合いがあったのかもしれない。「山ノ神」や娘も同行で、外食の期待も寄せられたが、それも、たまには良いのかと思いつつも、私が渋い顔をしてしまった為、それ以上求められず、帰宅してからの食事となった。

 この頃は、夕方になると、肩から首筋、そして、頭が痛くなる。しかし、飲んだら痛みが和らぐような気がする。やはり血圧のせいなのだろうか? 血圧降下剤は飲み続けなければいけないと聞かされているが、私は、この頃飲んでいない。これがいけないのなら弱ったものだ。

 今は、薬を飲まない事に、賭をしているようなものかもしれない。バタンと逝くのならいいのだが、中途半端は宜しくない。そのような事もあり、帰宅してからの食事となったが、女達には面白くなかったに違いない。でも、「私を抜きにして行っても良い。」 と言っているのだが、それも都合が悪いのだそうだ。弱った!弱った!



6/20 金沢のM氏から、僧ヶ岳東又登山口まで、車を乗り入れる事が出来るかと尋ねられた。このところ、いつもの事情で、僧ヶ岳にはご無沙汰で、それらの情報を持ち合わせていなかった。ネットで調べてみると、この時期の事だから、当然OKであったが、以前と比べると、随分遅いものであった。

 阿部木谷の砂防工事が一段落したからであろうか、それとも、その時の事故から、積極的に林道整備がされなくなったのであろうか、詳細は分からない。南又線(市道)は蛇石や洞杉があるせいか、東又谷方面より早く開通する傾向である。

 どちらにしても、何の支障がないのにと思っても、当局は、安全のためにと、なかなか通行解除しないのは、車を入れては、山菜を乱獲されてしまうという地元住民の意向が働いているようである。

 それにしても、片貝第2発電所から、デブリを越えて、当たり前のように出掛けていた頃が懐かしくなってきた。キャンプでも、日帰りでも、「まだ行ける。」 気がするが、行かないと行けなくなってしまうのが怖いところ。黄砂のない未だ美しい雪を踏める4月上旬が私は好きである。



6/19 私のような者でも、「一緒する機会があったら・・」 と言って下さる方がある。しかし、時間的な制約があるし、直前まで行き先が決まらない事が多いだけに、なかなかお誘いする事が出来ない。また、お会いした事がないだけに、どのような歩きをされるかも分からないから、失礼がないようにしなければならないのではと思うところもある。

 いつでも、何処へでも付き合ってもらえそうであるが、健脚な方なら、「山ノ神」が重荷になるし、また、自分の足にも、そろそろ不安が宿る今日この頃だけに、始めから、速く歩く事だけに執着しないと条件を付けないといけないかもしれない。

 そのような事より、最近は、従来の山仲間との山行機会を失っていて随分寂しい思いをしている。それは、モチベーションだけの問題ではなく、物理的に解決しなければどうしようもないところもある。解決出来るのが先か、自分がダメになるのが先か分からないが、山に行きたければ、頑張れるよう努力するしかないようだ。



6/18 人生に勝ち組・負け組があると言われるけれど、私はそのように思わなくなった。何処までが勝ちで、どのようなものが負けなのか、境は付けにくく、価値観も一人一人違うからである。

 私は、「人生は自ずと帳尻が合う。」 と思っている。何かに優れていても、決して何もかもが良いとは言い切れない。人様より抜きんでていても、何かの我慢や犠牲が必ずあるはず。逆に何かに劣っても、得たものもあるような気がする。偉い顔をしても、何処かに陰を感じる事もある。また、末路で寂しい思いをする事もあるのではないか・・・  

 だから、卑下する事など全くない。自分を信じて、周りの人達を愛しておれば、小さな幸せが付いて来るというもの・・・  「勝ちも負けもないと思っている。」 この事を知人にはなしたら、「だけど、負けっ放しはある。」 と言った。そうなのだろうか・・・



6/17 「夜の運転を止めよう。」 と言いながら、今回も、また出掛けてしまった。何回も、続けて休む事が出来ないだけに、行ける時は、少々きつくてもの心境になってしまうのであろうが、いい加減に止めなくてはと思っている。いつでも、何処でも、休める車があれば、だいぶん違うのであろうが、そうならないのだから仕方がない。

 行って来てしまえば、「何ともない。」 のであるが、近頃は、計画段階から、どちらかというと尻込みなのである。お金を掛けての豪華な事は望まないが、ゆっくりする時間が欲しい。

 遠出する山は、一座一座、山から降りて、休む事や食料調達が出来るから、少々弱っても、根気さえあれば何とかなるような気がするが、北アの真ん中や、南アの縦走となると、重荷が課題となるため、「今の内に・・」 と思うのであるが、「山ノ神」は分かってくれない。もっとも、そのような事が出来ないと思っているからに違いがないが・・・



6/16 118号線で二岐山のある天栄村に向かった。途中、「山ノ神」の要望を聞き入れ、鶴ヶ城に寄ったが、お城どころか駐車場自体も閉鎖されていたので、外から眺めるだけであった。二岐温泉から登山口の御鍋神社へのダートな林道を進んだのであるが、その時点で周遊コースを半ば諦めた。

 ブナ坂・あすなろ坂・男坂などの情報通りの地点を乗り越えて山頂に達したが、標高差550mくらい、時間にして2時間であるから、何処にでもあるような山であった。山頂は、深田久弥終焉の地茅ヶ岳の山頂を小さくしたような感じで、360度の展望が得られた。

 しかし、こちらも馴染みの山がなく、せっかくの眺望も、ちょっぴり味気ないものとなってしまった。以前、遠出をする時には、100円ショップで、その県の道路地図を買って出掛けたものである。おおよその山名が分かるのであるから・・・

 ちょうど、新潟県から来られた北村夫妻と一緒になった。後17座で300名山踏破になるという凄い方々であったが、その方々を持ってきてでも山座同定は難しかった。山頂は、ブヨよりもハエが煩く長居したくないような雰囲気であったが、北村夫妻との会話が弾み1時間ばかり過ごす事が出来た。

 今回は、早めに山から降り、明るい内に下道を通り、充分飲める時間に帰宅するのも、一つの目標であった。それでも、帰路8時間。全行程917キロの旅であった。



6/15 急な所用が出来、昨夜の出発が少々遅れたが、計画には支障がない。磐越道・上川Pで、仮眠を試みたものの、明るさと聞き慣れない物音に、神経質な私は眠れなかった。しかし、目を閉じていただけでも、随分楽になったように思えた。

 目的のICは、磐梯河東であったが、給油の事を考え、一つ手前の会津若松ICで降りる事にした。しかし、24時間営業の所は、いろいろと尋ねたりしたが見当たらず、不安を抱えながら磐梯山の登山口八方台に向かった。

 八方台登山口は、磐梯山の初心者向きのコースらしく所要時間も短い。21年前、小学生の息子2人を連れ、磐梯山と安達太良山に登って以来になったが、「山ノ神」は、その時は不参加であった。今回、磐梯山を選んだのは、一切経山が主目的であったが、「山ノ神」が未踏であった事を加味し、短時間コースを選んだのであった。

 「晴れ」を確信して臨んだハズであった磐梯山は、一向にお天気が回復せず、霧雨の中を歩き通さねばならなかった。展望は全くなしで、磐梯山とは縁がないのではと思う程であった。あの時もずっと雨で、何処をどのように歩いたかもあまり覚えていない。当時の写真をみると、雨具を着ていても、びしょ濡れ状態のようである。

 日曜日の百名山は、やはり込んでいた。W杯でテレビに釘付けかと思ったのであるが、山にやって来る人達の考えは、また他にあるのかもしれない。下山時の擦れ違う人達に、「何にも見えなかった。でも、いつも私達が下山したから晴れるのですよ!」 と言い放っていたが、それが現実のものとなった。

 磐梯山の登山中、また下山してから、いろいろな方々に、「一切経山に向かう途中に、ガソリンスタンドがあるか?」 と尋ねた事もあり、磐梯吾妻レークラインから磐梯吾妻スカイラインに入る途中に、小さなスタンドを見付け事なきを得た。その一切経山の登山口・浄土平は、意外なほどに遠かった。(地図を見ると、安達太良山より北にあるのだから・・)

 浄土平には、登山者・観光客が大勢やって来ていた。標高が1580mなのだから、ドライブにもハイキングにも格好の所なのであろう。私達が歩き出したのは、正午を少し過ぎた頃であったが、行き交う登山者は多く、人気の300名山なのだろうと思った。磐梯山でのお天気は良くなかったが、少々予報が遅れたのだろうか、一切経山では、風が強く、時折陰ったが、「晴れ」になったのである。

 酸ヶ平から山頂に達したのであるが、馴染みの山は少なく、説明を伺ったものの、唯々、「うん、うん」 と頷くしかなかった。山頂付近から見下ろす五色沼は、神秘的であったが、「何故此処に・・」 と思っていたが、この界隈には、他にも五色沼があったわ。

 鎌沼や姥ヶ平への周遊コースへとも思ったが、高所から見下ろす限り、吾妻小富士のお鉢周遊の方に心が動き、足早に浄土平へ降りた。「あんなところに・・・、あんな所を・・」 といつも感じるのであるが、歩き終えると、自分ながら、よく歩いたと思うのと、人間の凄さを感じるのである。

 今回も、キャンプをするつもりであったが、お天気のリスクを鑑み、ましてや、前日にネットで見付けた格安のホテル(ワシントンホテルツイン7200円)に執着、会津若松泊とした。その代わりと言ってはなんですが、アルコールや食材は持ち込み。しかし、寝不足(寝ていない。)と500キロ近くの運転疲れか、ウトウトとしてしまったのは言うまでもない。



6/14 行き先は「福島」。 遠出となると、名山歩きとなるのであるが、なかなか縁がなかった 「一切経山」 がメーン。「二岐山」 「七ヶ岳」も考えたが、帰りがちょっときつくなるので、「七ヶ岳」を外す事にした。その代わりに、「磐梯山」を入れる予定であるが、どうなる事やら、往路は高速利用だが、帰路はは下道。それで飲めれる時間に戻る予定なのだから、ムチが入りそう。



6/13 このところ、「山ノ神」との2人だけの山行が続いている。「お互い単独行」 の意味合いがないでもないが、制限がある環境下で、よく我慢して続いているとの評価があってもよいかもしれない。「無いものねだり」 という言葉があるが、GWにやって来た二男との山行(5/5金剛堂山)以来、誰とも一緒していないから、「人恋しくなってきた。」 が実情。

 時間制限下では、その域から脱する事も出来ず、もがいているからして、誘う事もないし、誘ってもらえる機会もなくなってきた。そんな折、今度の連休(日・月)ムコ殿がやって来る。チャンスだから、遠出しようと「山ノ神」から持ち出されている。保育所の送迎をしなくてもよいかもしれないが、またまた、ムコ殿の相手も出来ないのではと、胸を痛めるのであるが、お互いその方が良い面もあるのかもしれないが・・・・

 その「山ノ神」の当てはないらしく、「何処かへ行け・・」 だけなのである。険しいのはイヤ、辛いのはイヤの条件では、なかなか妙案が浮かばない。「山ノ神」の本心は、山に行かなくても良いのであろうが、私のために山というだけの事らしい。その私は、「深夜の運転はイヤ、雨の時は尚更・・」 などと言っているのであるが、さてさてどうなる事やら・・・



6/12 降りそうな顔をしながら降らない日が続いたが、夜になって降り出した。その雨に、気後れしたのか、ある会合が延期となった。それ程でもなかったのにと思ったが、結果論かもしれない。いつか、ツケが回って来るのではの不安も、今日のところは、ひとまず回避と胸を撫で下ろした。

 「雨でも山に行く。」 との看板を上げているが、何度も痛い目に遭っている。道路を閉ざされた事、山中での落雷、増水で難儀した徒渉、渡れなかった事、あげれば切りがない。でも、幸い大事に至らなかったから、現在の自分がある。これからは、もっともっと慎重にならなくてはと思っている。



6/11 トロ~ンとした登山シャツから、イメチェンを図ろうと、ポロシャツなる物を、長袖のアンダーシャツの上に着てみた。何だか厚いし、そして重たいと思ったが、差し出されたままに着たのである。その日は、とても暑く(金剛堂山・唐堀山)、汗が滴り落ちるくらいであった。たまらず、「これは可笑しいよ!」 と、「山ノ神」に進言したら、綿との事。それでは、汗を吸収するかもしれないが、山歩きには適さないのでは・・・

 日頃無頓着で、山用品以外の衣服など買った事のない私であったが、ユニクロに出掛けて、ポリエステルのポロシャツ買った。でも、山に出掛けて撮った写真を見たら、自分ではないような気がした。写りがいいとか悪いとかではなく、何だか変! もちろん歳取った自分を認めたくないのもあるのだろうが・・・・



6/10 南又発電所の上と聞いているが、猫又谷の手前なのであろうか、「山ノ神」の友人のダンナはまだ見付からない。そして、捜索が一旦終了となったらしい。N女史の心境は、どのようなのか計り知れない。「ご無事で・・」 から、早く見付かって欲しいと願うしかない。



6/9 午後から雨かもしれないと思いながら人形山に出掛けた。コシアブラを採りは恒例なのであるが、例年より1週間から10日は早い。今年は何処に出掛けても、少しばかり早いような気もするが、来週は私(達)の連休となるので、この先の予定が、どうなるか分からないという事で出掛ける事にした。最も、少々の雨でも出掛けるのであるからして、そんなに珍しい事でもない。

 午前9時45分のスタート時点では、暗雲立ちこめていたが、何とか目的地付近まで、我慢してくれないかと思いが叶わず、第2休憩所辺りからポツポツ降り出して、宮屋敷跡を過ぎてからは、ちょっと雨具が欲しいくらいになってしまった。私はスパッツを着けていた事もあり傘で凌いだが、「山ノ神」は上下の雨具を着込んだ。それはそれは暑い事だと思う。

 道草を食っただけ時間は過ぎて行くのであるが、前年の宮屋敷跡でリタイヤに比べれば、踏ん張りもあり、よくぞ三ヶ辻山との分岐までやって来られた感じである。「山頂まで40分だよ!速く歩けば20分も掛からない。」 を感じ取ってかどうか分からないが、「山ノ神」は、その先に足を進めた。

 「もうちょっと・・もうちょっと・・」 の誘導には、「山ノ神」は、痺れを切らしたのか、「もうここで良い。」 と立ち止まってしまった。残雪が有り虫除けの効果が期待出来ると思ったのか、「山頂はいいです。何回も登っているから・・」 で話は決まってしまった。

 私からすれば、一生懸命歩けば、後5分、ゆっくり歩いても10分も掛からないところ故、執着がないとはこの事かと諦めざるを得なかった。でも、「山ノ神」からしてみれば、「遅いとも午後2時半には、バック開始しなければ・・」 が頭に有り、「私の休息がない。」 「楽しみの飲む時間がない。」 になってしまうのだろう。猶予時間は30分程度である。

 最近の我々の山歩きは、楽しみよりは修行の域のようなものである。「時間制限の中でも、速く歩けば余裕時間が出来る。好きな所へも行ける。」 と促すのであるが、年々足が速くなるわけでもないし、実のところは、失速しているに違いないのにそういうのであるから、もしかしたら、地獄の特訓のようなものかもしれない。

 私は、「山ノ神」より速く歩けるから、それなりの余裕がある。しかし、「山ノ神」は、大変であるに違いない。それでも、「もう止めた。」 「そんな山には行かない。」 などと、口にしないのであるから、これも何かの思いがあるに違いない。

 悪い事ばかりではない。山では飲まない私でも、僅かな時間に、麺類などを浚い込み、コーヒーを飲めば、お腹の調子が悪くなる。このような山行状態になってからは、朝食を済ませてからの自宅スタートとなるため、昼食はあまり欲しくなくなってきた。「山ノ神」に合わせているから、食事をするのであって、コーヒーかパンなどがあればいいくらいである。それがとても調子がいい。家に帰ってから、ビール(アルコール)を浴びても、目方が減ったままを維持できるのであるから・・・・



6/8 何だか調子に乗らず当欄をサボっていたが、今朝の新聞に、魚津の男性が山菜採りに出掛け、川を渡ろうとして流されたとあった。もしかしたらと、情報を集めてみたら、「山ノ神」の友人のダンナであった。昨日の事であったらしいが、まだ見つかっていない。悲しい事にならなければと願っている。 



6/5 昨日のコメントが、はったりとならないかと記録を調べてみた。今日現在、30回以上が12座、10回以上が31座、7回以上になると50座、5回以上が73座、もっと下げて3回以上だと106座だった。回数だけだったら、この先5~10年以内に達成するような気がするが、毎週同じ山に登ってばかりも出来ないし、そのような事ばかりに拘っておれば面白くもない。

 1年に一度は出掛けたい山もあれば、2~3年に一度という山もある。厳冬期に登れない山もあれば、あまり行きたくない山もある。春夏秋冬楽しめる山もあれば、季節限定の山もある。どのような天候でも出掛けられる山もあるが、とても行けない山もあり、計画通りにはなかなかならない。

 唯々、数字的なお遊びに過ぎないと笑って頂いて結構。「それ程のものであるからして・・・」 でも、落ち込んでいる時や、士気が上がらないような時には、結構励みになるのである。「ポイント稼ぎにでも行くか・・」 が、後々、力となりバネにもなるような気がしてならない。

 時間のない時、お天気が悪い時に出掛けていた牛岳の回数が、いつの間にか147回を数えている。「そんなに好きな山でもなかった。もっと、いい山がある。」 のであるが、長い間登っていると、その良さも分かってくるし、自分の歴史にもなっている。高1の時に登り始め50年になるし、亡き母が、ディーサービスに出掛けている間にも何回となく登った。987mの山であっても、大雪になって登頂を阻まれた事もある。

 私が、10回という数字をあげたのは、10回ほど登れば、「その山の事が少しは語れる。」 というものであって、大した意味は無い。出来れば、楽しく登れる事が望ましい。多くの想い出が残ればいい。そして、その想い出を共有出来る人が多いほどいいような気がする。山登りは、「人生の縮図」 と言われる事が多い。本当にそう思う。でも、なかなか実の人生に生かせない。速く歩こうが、ゆっくり歩こうが、最後はあまり大差がないような気がする。危険を回避も大事。



6/4 どうしてもという事はないが、このままの体力を維持し、経済的な問題をクリアすれば百名山踏破も夢ではない。でも、二百名山や三百名山は、ちょっと無理ではないかと思っている。しかし、、6~7割くらいは、その気にさえなれば行けない事もないような気がする。

 「越中の百山123座」 になると、あと、2~3座くらいは登れると思うのであるが、年齢と共に、モチベーションが下がって来ており、完踏などは、もうとっくに諦めている。そこでである。人間何か目標がなくては、張り合いがないというのか、頑張れないような気がするので、新たな私自身の目標を考えてみた。

 10回以上登った山を100座つくる。出来れば、その中で50回以上登った山を10座以上、30回以上登った山を30座以上などと・・・  時間制限下の週一山行では、ちょっと届かないかもしれないが、その内、週二くらいは歩けるようになるかもしれないから・・・ でも、「ここが痛い、あそこが変だ。」 という歳になって来ているから、どうしてもなどとは思わない。

 

6/3 昨日も暑かったが、今日も暑かった。充分過ぎるくらいの水を担いだが、全部飲み干し余る事はなかった。陽が高くなる前に出掛けられればいいのであるが、そのような事はなかなかで、時間の許す中での山行であるからして、出掛けられる事に感謝し、後は、耐久訓練のようなものである。

 この時期の唐堀山は、当然、ススダケ狙いであるが、その狩り場へ行くまでが一苦労なのである。「山ノ神を怒らせない。」 も常道手段で、夫婦の山歩きは、見た目以上に気を遣う。後から付いていけば、「先に行け!」 と言われるし、先に行けば、「置いて行かれた。」 と言われる。なかなか来ないと探しに行けば、どっかり腰を下ろして大休憩。これを長年やらされているのであるから、それなりに苦労をし、ストレスが溜まっているのである。これも運命?なのであるから仕方がない。

 今日も予定より大幅な遅れであった。しかし、獲物を前にしたら人が変わってしまうし、ビールを飲む顔は、「これほど幸せな事はない。」 と言いたげである。私は、その間コーヒーを飲むだけである。よその家では、旦那が飲み、帰りは夫人が運転が多いようであるが、もう此処まで来れば、羨ましいなどと思わなくなってしまった。

 少ない時間であったけれど、それなりの収穫はあった。それを担ぐのが私なのであるから、何だかそんな役回りである。帰れば、後始末(皮剥き)がある。これも手伝わなくてはいけないのであるが、「たくさん採らなければ・・」 と思ってしまう。

 それにしても、喉が渇いた。ビールが、どれだけでも胃袋の中へ入っていく。10本が飲み干された。6:4くらいの割合かと思うが、「山ノ神」は、8:2だと言って聞かない。そして、私のビールが無くなってしまうと嘆く。10本飲んでも1000円余、コンビニでの買い物をしなければ、その分でペイされるではないか・・・ 



6/2 大長谷第三発電所猿越ダムスタートが午前9時45分。よそ見をしないのなら、それなりに行けるのであろうが、荷も重くなり、今回も4時間越えになってしまった。「休憩時間がなくなるよ!」 「ビールがぬるくなるよ!」 などと、「山ノ神」にハッパを掛けたが、今にも 「止~めた!」 と言い出しそうな雰囲気であった。

 しかし、最後の雪壁(山頂直下)を苦労して登ってみれば、遠くに白山、北アの山々が、うっすらであったが望め、小さなご褒美を頂いたような気になった。既に午後2時であった。「30分だよ!」 と慌ただしい山頂(金剛堂山)滞在であったが、これだけが、私達の贅沢というもの。吹っ飛ばして、保育所に間に合ったのはいうまでもない。



6/1 時間制限の中、ああやこうや言いながら、山に行けるのであるから、喜ばなくてはいけない。ちょっと高度を上げた残雪の山や、名山歩きもあるのであろうが、それはそれと、割り切らなくてはいけないような現状であるからして、「山の空気」を吸える事に感謝である。

 一昨年から、5月下旬から6月初旬に掛けて、金剛堂山・唐堀山が定番化しつつある。明日も、どちらから望もうかと思案したが、八尾側からの金剛堂山とした。山菜をゲット出来るかどうかの楽しみもあるが、そのような事より、この時期は八尾側からがいいようである。もし、実現出来たとしたら、「金剛堂山 40回目」 である。