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7/31 「人生、いつだってこれから・・ 朝は、必ずやって来る。」 という文言を知った。「目が覚めた。まだ生きている。」 より活力を感じる。平均寿命・余命、健康年齢などが脳裏を揺さぶるが、他人様の話とすれば、意外と気にならないかもしれない。
それより、元気な人を目標にすれば、「まだまだ・・」 とか、「負けてはおれない。」 などと、自分を奮い立たせるかもしれない。「頭を使う。」 「身体を動かす。」 「人との交流を欠かさない。」 などは、必須条件で、仕事を辞めたら、皆平等である。偉い顔をしていたら誰も付き合ってくれない。そのような人は、先に落ちていく事は間違いない。
7/30 人の心を掴むのは本当に難しい。良しとしてやった事が裏目に出たり、言葉足らずで不愉快な目に遭わせたりする。こちらが一生懸命な時に感じる事であるが、これが反対だったらどうなんだろう。相手様も同じように思っているに違いない。どうすればいいのだろう。メールより手紙? 手紙より電話? 電話より会ってお話?
どちらにしても、一生懸命側は、取り入ってもらおうとするだけであるから、「何で分かってくれないか?」 の一心である。でも、受け取り側が、同じテーブルに着かない限り話にはならない。
まあ~、後から考えると、あれだけ重大な事、あれだけ頭にきていた事、そして、あの一言は、本人にしてみれが、決して譲れないことだったにせよ、この大きな世界、また地球・宇宙からみれば、ちっぽけな事だし、何故そんな事で悩まなければならなかったのかと思うのであるが、でも、
そのプライドで生きている人もあるのだから一様にはいかない。そんな時に、「山に登ってみれば・・・」 「大きな海に出てみれば・・・」 と言いたくなる。
7/29 私は、夏暑く冬寒い2階で寝起きしている。トタン張りで、周りが全て駐車場だから、「暑いなんの・・」 とそれ以上の表現のしようがない。2階に上がるだけで、汗がタラタラである。冬は仕切りの戸もなく、空調(設備がない。)どころか、ストーブも使わない。どうしても、寒い時には、ペットボトルにお湯を入れ凌いでいる。
これまで、「鍛錬」・「修行」 と言い続けてきたが、「元さん、いい加減にしなよ! 歳を考えな!」 と言われるようになって来ている。そう言えば、山中を歩いている時でも、脚力にそう変化がないと思っているが、汗の噴き出し方が、以前と変わってきているかもしれない。日頃の生活での食欲は相変わらず旺盛だと思っているが、山中の昼食では、あまり食べたくないようになってきている。 「歳」とか「老化」というイヤな言葉通りなのかもしれない。
そんな事もあって、ここ2~3日、2階から下へ(1階)へ避難をしている。暑くて転げ回っている2階と違い、通路からの風が入り、涼しいというより、パジャマを着ていないときは寒くて目が覚める。こんなにも違うものかと、改めて知る事になるが、しかし、私の居場所はやはり2階。(築50年近くなる我が家は、強い南風や台風の時は、揺れに揺れて生きた心地がしないというスリリングな場所。)
今は、交代して「山ノ神」が居座っているが、あの暑さに耐えきれるハズがないと思っているが、まさか、「汗を掻けばビールが美味しい。」 などと、言う事はないと思うが・・・
7/28 この時期朝早く出掛けられないのでは、非常なハンディでありストレスが溜まる。しかし、低山であっても、全然出掛けられないわけでもないのであるから、喜ばなくてはいけないのに、タラタラ流れる汗に心が乱れる自分が不甲斐ない。
家中、誰も彼もが伸びきっているからか、いつもより出発が30分程遅れてしまった。同じ山ばかりに飽きが来るが仕方がない。今日は、上市の低山のハシゴと決め込んだ。剱岳が眺められる城ヶ平山・高峰山・千石城山辺りを、それとなく歩くというものであったが、お天気の回復が遅れたのか、山側の展望は、まるっきりダメであった。
城ヶ平山をピストンし、大岩から浅生を経由して、骨原(西種上部)のため池に出たが、工事中で通行止めの看板が立っていた。無理するのがイヤで、高峰山を諦めて、千石城山に向かう。「山ノ神」のピッチが全然上がらず、すぐに立ち止まってしまう。
城ヶ平山でも、そうであったが、山頂到達に10~15分程の差が付いてしまう。海が望めるブナ横のベンチ辺りは、風が通ってとても涼しい。風・陰は、暑い日であっても、その差は大きいようである。「山ノ神」様の今日の点滴は、いつもの「のどごし」と違って、冷蔵庫に残されていた「エビス」である。グレードが随分と違う為なのか、私の頂くコーヒーには目もくれなかった。
そんな事もあり、城ヶ平山頂の滞在時間とは比べものにならない程の1時間を遙かにオーバーとなった。そんな事もあり、そそくさと千石城山を降りた。千石城山に来る途中、骨原へ至る標識横に「三角山」の名をみていた。「北ちゃん」が、いつだったか、自転車で出掛けたような事が、彼のHPで見た事があり、「どのような山なのか行ってみようか?」 と思っていた事もあるからである。
骨原集落からの林道はダートになった。どのような山なのだろうかと心が躍ったが、この道を自転車で来たのなら、それは凄い事だと思わずにはおれなかった。骨原から車で10分程の所で、草に覆われてちょっと見にくかったが、「三角山まで15分」とあった。
地図上に標高540mのピークがあったから、それだと思って歩き出した。きれいに刈り上げてあり、急登だと思ったが、6~7分ほどで到達した。見晴らしもなく標識もなかったが、ちょっと下がった所に標識とベンチがあった。種の水田が緑色でとてもきれいに見えた。
車に戻りその先を進んだが、道が何だか怪しくなって来たので、500mばかり進んだ所でUターンをした。分からぬ所を進んで、万が一の事が起これば、「保育所への迎えが難しくなる。」 そんな思いもあったからである。
7/27 10日余り滞在したムコ殿が帰京した。その事で、娘も何日か休暇を取った事もあり、私達の休日に、そうそうあてがうわけにもいくまい。それでも、盆休辺りには、1~2日ほど調整してくれるようである。
宿泊付きの山行は、上手くいけば、9月半ば辺りにも、可能性があるような気がするが、行ってみなければ分からない。それでも、今秋から初冬に掛けて、月曜日の祝日があり、日帰りだけれど、仲間と一緒出来るのではないかと少々希望を持っている。
7/26 今冬、スノーシューハイクに来てくれた東京の由起子さんからステキな贈り物を頂いた。(山梨の桃) そのサプライズに早速お返事を出したら、唐松岳にいるという。何と行動的な人なのだろう。私(達)の休日に合わせるのは大変のようだが、そんな事はどうでも良いので、いつでも出掛けて来て欲しい。
6年前、「橋ちゃん」・「ねぎちゃん」と出掛けた蝶ヶ岳・常念岳以来親交が続いている岡山の杉原女史も、来月2度、後立山にやって来るという。休日の相違と健脚で拘りのある彼女だけに、山中ではなかなかお会い出来ない。それでも、山の便りを届けてくれるので私の心は弾んでいる。
7/25 そのような折、キャンプのお誘いをもらった。せっかくの機会なのに、「即答が出来ない歯がゆさ。」 何処にぶつければいいのだろう。しかし、大袈裟であるが、家族の平和も考えない訳にもいかない。
じっと我慢するしかないのだろうか? これも、修行の一つだと思えばいいのか? 一人では生きていけないのだから、わがままばかりを通すわけにもいかないだろう。しかし、断ってばかりいると、その内、お誘いがなくなるのが一番心配なのである。
7/24 必ずしも自由になれないながら、今年は、4回の泊まりがけの山行をしている。3月は、大地・初雪山、5月は、大山・上蒜山(鳥取・岡山)、6月は、磐梯山・一切経山・二股山(福島)、7月は、白馬岳である。その内の5月は、山から降りてのキャンプ。6月は、会津市内のビジネスホテルであるから、山中で、キャンプしたのは2回だけである。
もう意識的にやらなければ、だんだんとその機会を失っていくのは間違いない。体力が衰え担げなくなるより、士気の低下の方が大きい。同年代は、そのような事はやらないし、一回り若い人達は、職場の中枢に位置し、おいそれと私のような者に合わせてくれない。休日が違うというのは、その点大きいと今更のように思ってしまう。
彼らが現役を終える頃は、私が、どれだけあがいても、もうだめであろう。でも、何となく続けていると、ちょっぴりでも可能性が残るような気がする。今年は、まだ1~2回(お盆・9月)ほどの機会があると思っているが、お天気に恵まれなければそれもダメになる。
7/23 先日の白馬岳は、もう1~2日居座ってもよいくらいの食料を残して下山した。いつもであるが、食べられないと分かっていても過分に準備するのは、「山で迎える来賓のため?」 「それともギャラリーのため?」 なのであろうか。二人では、それ程食べられないし、飲めないのは確か!
今回は、びっしりと詰まったテン場に、時折だけど小雨が伴ったりし、そのような雰囲気でなかった事もあり、清酒までも残して帰った。献立に苦労しながら残すのであるから、もうちょっと吟味しなければなるまい。
その上、「寒いのはイヤ!」 「背中が痛いのはイヤ!」 「アルコールは出来るだけ持参!」 などと、ドンドン荷が増える。私は、かねがね 「20キロまでに押さえたい。」 と言っているのに、軽くオーバーである。
これが、積雪期・残雪期になれば、ピッケル・シャベル・マット・防寒具などが増えるし、場合によっては、スノーシューなども担がなければいけない時もある。体力が衰えていくのに、荷が増えていくのでは、行き先を、もっと身近なところに換えなければいけないのかもしれない。
7/22 1年に一度、お仲間と百名山巡りをする金森亮一さんのお話を聞いた。今回は、至仏山と武尊山であったが、武尊山の鎖場は雨で苦労したとか、泊まった宿(温泉)が良かったとか、私の山行スタイルと違いを感じ、そろそろ、そのようになってもいいのかなと思わずにはいられない。
一方、周さんは、13日間の山旅で、6座の名山を制覇してきたそうである。山にのめり込んでいる彼であるが、彼なりのスタイルを構築中である事は間違いない。それにしても、同じ年代の者として、その行動力に敬意を称するしかないであろう。
7/21 雨どころか満天の星空になった。「行くぞ!」 と声を掛けると、「こんなに早くけ。」 と「山ノ神」。「3時半スタートと言っていたじゃないか。」 と突き放さなければいけない。歩き始めの100㍍程の残雪は、カチカチであったが、「登山道の残雪は、ここだけだよ。」 と夜明け前の暗い道にヘッデンを点けて行く。
船越の頭に出た頃に、雲海から陽が上り始めた。「早く来て良かった。」 が、「疲れた。」 を上回ったかに思えた「山ノ神」であったが、実は二日酔い症状のようであった。でも、その素晴らしい光景に、何もかもが吹っ飛んだようであった。
小蓮華山・三国境、そして、山頂に達するのであるが、程よい高山植物に恵まれ、これまたハッピー。ハクサンコザクラ・チングルマ・ハクサンイチゲ・ウサギギク・シナノキンバイ・コマクサ・ウルップソウなど、お花の名を上げれば切りが無い。しかし、今回も、ツクモグサは終焉を迎えていて、チョッピリ残念だった。
日帰りだと、山頂に達するのが、正午を回ってしまい、大概の場合はガスに覆われて、大展望とはほど遠い事の方が多い。今回は、ゆっくり写真を撮りながらでも、午前8時頃なのであるから気分が良い。そして、長居が出来るというもの。入れ替わり立ち替わり、登って来られる登山者と、言葉を交わして楽しめたのである。
テン場に戻っても、正午前。のんびり片付け簡単な食事をして、蓮華温泉に向かった。途中、体調を悪くした方の介添えのきっかけを作ったり、可愛い5歳の少女(あやのちゃん)と仲良くなったのも、ホンワカな気持ちにしてくれたようであった。
7/20 県東部で凄い雨が降っているようであったが、夜半から県西部も、ピカピカゴロゴロで雨が伴った。「こんなでも行くの?」 と言いたげな「山ノ神」であったが、「おいおい、星が出ているぜ。」 に少し安堵したのか、午前3時過ぎだったが、のろのろ起きてきた。
もちろん、下道である。それでも、蓮華温泉まで2時間半ほどで着くのであるから、県内の山+1時間と思えば、そんなに遠くはないのである。白馬岳へは、今回が14回目で、大雪渓からが3回あり、他の10回は、全て蓮華温泉からの日帰りである。
「そんなのでは、白馬岳の良さが分からない。」 「若くないし、タイムトライアルでもないのだから・・・」 などと、勝手な言い訳を作って、白馬大池キャンプとした。また、「山の風景は、朝夕にある。」 「のんびり、お酒をお飲みながら・・・」 幾らでも理由付けが出来る。
今回も、あれもこれもとなり、荷は24キロと13キロとなった。まあ少々重くなっても、白馬大池まで4~5時間あれば着くであろうし、もっと、遅くなっても、何の問題もないのであるから気が楽であった。結果的には、テントの受付を、正午過ぎに済ませたのであるから、4時間半を費やした事になる。
「山ノ神」は、もう歩きたくないと言って寝転んでしまったが、私は、「白馬乗鞍岳まで行って来る。」 と言うと、渋々付いて来る事になった。私が、白馬乗鞍岳に執着したのは、ずっと以前(車で上がれた頃)、栂池から2度山頂まで来た事があったが、白馬乗鞍岳から白馬大池間を歩いた事がなかったからである。
午後4時頃、テン場に戻り、テント前で宴となった。テン場は、ぎっしりと埋まり、賑やかであったが、我々は、二人だけの静かな宴であった。座る事の苦手な私は、どうも落ち着かず、二つしかないテーブルの空きを見付け、そこに宴会場を移した。
如何に山であっても、夫婦二人だけはダメである。メーターが上がっていく「山ノ神」の言動が可笑しくなっていった。日頃のある事、ない事を、こぼし始めたのである。私は苦笑するしかなかったが、全然面白くなかった。その内、雨が降ってきたので、終了となったが、その後片付けが大変であった。その内、「山ノ神」は、ゴロンであったが、残酒をひっくり返し、テント内がワヤになってしまった。 (翌日、全然覚えていないと言うのであるから、弱ったものだ!)
7/19 明日はどうなるか分からないけれど、蓮華温泉から白馬岳に向かう。しかし、例年と違い、今回は、標高2,400m付近の白馬大池でキャンプをし、ゆっくり白馬岳を楽しむというもの。そうなると、何故か荷が重くなる。でも、全てが天候次第という事になる。
7/18 姉が帰った。何だか、いっぺんに疲れた。もしかしたら、これが最後かもしれないと思いながら、相変わらず何もしてやれなかった。姉の事を心配しているが、ヒョロヒョロしている私の方がややこしく、かえって迷惑を掛けるかもしれない。したい事はやらなければ、そして、身の回りの片付けもしておかなくては・・・・
7/17 やはり思うようにならないものである。私の事ではないが、何とかならないかと思っていた事が、やっぱり、そう簡単にいかなかった。北朝鮮との交渉のように、聞く耳がなければ、何ともならないようである。賢人・偉人はどのように纏めたのだろうか?皆仲良しが良い。
そんな今日、シュンちゃんと筏井氏の来訪があった。私のような者へも気に掛けてもらっている事が嬉しかった! 筏井氏の大腸がんの報告には驚いたが、既に飲んでも良いとのお許しが出ているくらいであるから、安堵したが・・・・
7/16 昨日から、埼玉の姉が、そして、今晩から・東京のムコ殿がやって来て、我が家は俄然賑やかになった。姉は3泊4日、ムコ殿は、一週間くらいいるようである。お互いのライフスタイルを守れるような心遣いが浸透しているから大丈夫だろう。
それにしても、20日(日)・21日(月)の予報が芳しくない。このままだと、剱沢は止めよう。白馬大池かな。でも、悪ければ、2日とも日帰りで、白山や薬師岳になるかもしれない。
7/15 山とは全く関係のない話。20年程前、土地取引に関する事で収入印紙(20,000円)を重複して買ってしまった。どうしたものかと思いながら、20年の歳月が流れた。その間、金融関係の人や賢者と思われる人達に、良き知恵をと尋ねたが、特殊な事なのか、どうにもならず今に至っていた。
1年に1~2回程、1,000円、または、2,000円の収入印紙を使用する事があるので、何とか崩せないものかと思うのであるが、他人様の意見は、金券ショップくらいであった。税務署で尋ねてみようと思った事もあったが、なかなか足が向かなかった。
そんな中、ネットで、私と全く逆のケースで困っている人があった。どういうわけか、20,000円分の収入印紙を、200円の収入印紙で求めてしまったというものであった。すなわち100枚である。ちょっとした領収書に貼るのは、200円の収入印紙で事足りるが、契約書となると、金額にもよるが、1,000円・2,000円のものが必要である。ネットの相談者は貼る所がないと悩んでいた。
そういえば、収入印紙は郵便局で求めたのだから、まずは郵便局でいろいろ尋ねてみようと思った。ハガキや切手の交換手数料は一枚に付き5円であったし、それより少々高くても構わないと臨んでみた。
「収入印紙を細かいのに換える事が出来ますか?」 と尋ねると、「交換手数料が掛かりますけれど出来ますよ!」 の返事があり、「高いですか?」 の問いに 「5円です。」 が返ってきた。ホッとするほど心が和らいだ気がした。
2,000円×5枚、1,000円×10枚を頼んだが、お願いした私の方が1枚だからであろうか、手数料は5円だけであった。来月上旬、契約延長に掛かる印紙代2,000円が助かった感じである。まだまだ、知らない事、分からない事がたくさんある。
7/14 お天気がもう一つだし、何処へ行っても同じ事、時間にも制限があるのだし、無理する事がないと決めたのが金剛堂山であった。でも、あまり体調が良くなく、止めても良いとまで思ったが、しかし、我が家の雰囲気は、そのようなものでない。孫までも、休日は山に出掛けるものと思っている。
でも、ずーっと、頭が重かった。肩・首・後頭部が痛いというのか、重たいと言えばいいのか表現の仕方に戸惑うが、いつもなら、「山の空気」を吸うと同時に治るような気がしていたが、今回は、ずっと首を振っていなければいけないような状態であった。
山に行くという事は、それなりに大丈夫だと思うのか、「山ノ神」は、いつものように私に荷を担がせる。もっとも、私の方が速く歩くのであるから、そう思っても不思議がないかもしれない。傘を差したり雨具を着込む程ではなかったが、時々と言った方が正しいのか、ずっと降っていたと言った方が良いのか分からないが霧雨が降っていた。そして、風衝地帯に掛かれば、程よい風を受け、それ以外は、大粒の汗を垂れ流していた。
誰一人出会わない静かな山に終始したが、欲張りな私(達)は、湧いてくる雲に、”雲上” を期待したのであるが、自然はそれ程生やさしくなく雲中の人になってしまった。それでも、前金剛から中金剛は、短い距離だけれど、風衝地帯だけに気持ちの良い好きなところである。
この頃から、ようやく頭がスッキリしてきた。でも、最近、何でか分からないけれど、物がたくさん食べられなくなってきている。「飲まないから・・・」 「時間がなくなって来ているから・・」 もあるのかもしれないが、もしかしたら、これも機能低下なのかもしれない。
7/13 「雨が降ったら、お花のある白山」 という選択肢があったが、今は、そのような自由がない。県東部の低山であっても、カツカツの行程である。それでも、「休日は山へ・・」 が、続けられるだけ良しとしなければいけないのだろう。それに、「雨の日でも・・」 が、付いているのであるから、可笑しな事となっているのだろう。
元気が続いていたら、いつかは、時間制限が解除されると思うのであるが、先の事は、どうなるか分からないし、予想・想像など出来ない事である。実際、私が歩いて来た人生だが、思い通りになった事など、ほんの僅かであるし、もしかしたら、それが本当なのかもしれないと思うようになっている。
いい事などないのが普通。思い通りにいかないのも当たり前。そう思えば気が楽である。後は、コツコツやっておれば、たまには、ニッコリ出来る時が訪れるというもの。そんな中、私の心も揺らいでいる。「無理して行かなくてもいいじゃない!」 「雨の日なんか行かなくても・・」 などと、格闘が続く今日この頃。ならば、「旅行などいいね。」 となるが、「でもね・・・」 となる。
7/12 1年に一度はと思っていた剱岳へも、だんだんと遠のいているのが現状で、最近では、10年に3回程度となっている。それでも、大方は、剱沢キャンプか早月尾根日帰りで、今年も、第3日・月に、剱沢キャンプを目論んでいるが、この歳になって、どうしても、長治郎谷を登らなければならない事もないだろうと思っている。それどころか、別山尾根も、だんだんと手強くなっているのも事実である。
また、日頃の「山ノ神」を見ていると、重荷を背負って目的地まで行けるのかと不安が漂っている。時間を掛けて剱沢に行き、そこで、ゆっくり過ごすのも手なのかもしれない。また、昨年は一緒出来なかった恒例の蓮華温泉からの白馬岳日帰りを、今年は、白馬大池でキャンプという手もある。
どちらにしても、自由に使える日々が少ないだけに、お天気が気になるところであり、そして、始めから雨と決まっておれば、それを押してまで、キャンプをする元気はもうないような気がする。
7/11 御大が食されたナメコは、我々が出掛けて悩んだ翌日のものであった。「えぇ~、この時期に・・・」 の思いからであったのであろうが、その行動力に敬意を称したい。未着の携帯へのメールを、せがんで再送してもらって判明したが、「春から夏にかけてもまれに発生することがある」 を身をもって検証された事になる。
文中、「捨ててしまったのですか? それはもったいない。」 とあったが、間違いないナメコと思っても、なかなか食する勇気がなかった。それに引き替え、御大の勇気は、経験から来ただけではないような気がする。やっぱり、「我が家でも毒味は私の役」 とあったから、何処でも一緒かと、何となく安堵する自分が可笑しかった。
7/10 御大から、「ナメコおろし」 として食べた結果(印象)が伝えられてきた。いつ採られたのか、詳細には述べられていなかったが、以前に収穫されているものと推察した。ちょっぴり、弟子をからかうようにも思えたが、親しさ故の鞭撻に恐縮しきりである。
見た目・食感(舌触り、歯ごたえ)は、冬のものと全く変わりません。ただし香り・味となると、無味無臭とまではいわないけれど 「やっぱり季節はずれではこんなものだろう」 という程度でした。まだ大きいのが残っているので、明日はみそ汁になるはずで、まァ捨てることはしませんが----(笑)。
「わざわざ採りに行く」 という気を起させるほどのものではないようです。
そして肝心の中毒症症状は、今のところ大丈夫です(笑)。(モノによっては、発症するまで3~4日かかる毒キノコもあるとか)
ナメコシリーズ③のメールであるが、②は、間違って携帯に送ったとあったが、まだ届いていない。そのメール、何処を彷徨っているのか分からないが、まさか、毒を盛られて消えてしまったのではなかろう。イヤイヤ時間差を考えての投稿かもしれない。御大は、結構テクニシャンだから、ぐっとこらえて笑わせるのかもしれない。
7/9 夏のナメコ騒動で、少々迷惑を掛けてしまいました。現物どころか画像も見せないで、突然、「この時期に、ナメコが出るものだろうか?」 と聞かれた方も、回答に困るというもの。でも、丁寧に答えて頂いたDOIHIRO女史に感謝!
昨夜の飲み会へ、ちょっと骨のある方と思って、「山ノ神」が、現物を持ち込んだのだが、やはり、この種の物は、責任が持てないからか、はっきりと言えないようである。でも、その知人は、あまり知らないように感じられたが、私の思い込みかもしれない。
今朝になって、池田氏から、キノコ図鑑で調べたら、発生時期について、「まれに春から夏に発生することもある。」 との情報を得たが、やけになったのか、「山ノ神」が処分してしまった後だった。でも、「あれは、絶対ナメコだった!」 と確信を持って私に吠えるように言う。私としては、「毒味をさせられなくて良かった。」 と胸を撫で下ろしているのだが・・・・
7/8 高速を使わない、そして、夜の懇親会に間に合う為に、保育所の迎えを午後5時として出発したが、鳥越峠スタートが午前10時近くになってしまった。お天気が回復傾向だったし、もう一度白木峰も考えてみたが、一日でニッコウキスゲの変化もないだろうし、一層の事、大辻山と高峰山の2座狙いが浮上したわけである。
「山ノ神」の思いは、ぬかるみの少ない尾根、比較的歩き易いであったハズが、足取りが悪く、ペースが上がらなかった。アルペン村のコンビニで、「あまり食欲がない。アイスクリームを買ってくれ!」 と帰りでなく、可笑しな事を言うとは思っていたが・・・・
でも、もしかしたら、「今日は、楽しみな物を持って来なかった!」 が、一番災いしたのかもしれないがね。その内、「あっ、ナメコだ!」 と「山ノ神」が叫んだ! 本当にナメコだと思ったが、「この時期にナメコが出るの?」 の思いが強かった。
ブナの倒木に確かにナメコ似の物が生えている。そして、柔らかくやや大きいが、周りに、ツブツブの子供のようなナメコちゃんもある。違うのではないかと思いながら、「山ノ神」の命令で、私が採り役になった。
ナメコの事で、一番始めに尋ねてみようと思ったのが、私から見ればプロのようなDOIHIRO女史であった。でも、明るいが故に、液晶画面が見にくく、なかなかメールを打つ事が出来なかった。こちらでは、状況が分かっていても、突然、「この時期にナメコが出来るものか?」 と尋ねたものだから、DOIHIRO女史も戸惑われたに違いない。 (仕事中だったろうに、ゴメンナサイね!)
そんな事もあって、短い山頂滞在は、携帯との悪戦苦闘に終始してしまった。剱岳も雲の中に隠れてしまったし、簡単な食事をして、再び鳥越峠に足を向けた。降りも、山ノ神」のペースは上がらず、午後2時を回ってしまった。それでも、私は、許される1時間ほどを、単独行で高峰山に向かう事にしたが、急に雨となり、無理する事がないだろうと止める事にした。
管鮑会(高校時代から50年近く続いている会)の懇親会から戻り、HPを綴ったが、メチャハチャの投稿になってしまった。でも、夢の中で、うなされる事間違いない。毒キノコを持った「山ノ神」が、無理矢理口の中に入れて来るのではないかと、想像するだけでもゾッとする。
7/7 白木峰は、予報通り雨だった。時間の制約から、レパートリーが萎みがちだが、それでも山に行かれる事に感謝している。「山ノ神」が、ご無沙汰気味の 「さおりさん」を誘った。私も、「予定がなければ・・」 と、「北ちゃん」 を誘ってみた。
雨だったが、ゆっくり歩き、混んでいたが白木小屋で充分な時間を取った事もあり、久し振りにたくさん喋った。日頃は、「山ノ神」と二人が多く、話す材料もないことから、ちょっとした事で仲違いとなる事が多い。そんな面では、久々の友と一緒した事は、頗る新鮮さを感じたのである。おまけに帰りは、白木小屋から駐車場まで林道を歩き、好山病の行く末を、ちょっぴり話し込んだのである。
それにしても、大長谷や五箇山方面のマイマイガが凄い。いや、酷い。まるで紅葉しているかのように山林が赤い。白木峰の浮島でさえ、毛虫が蔓延っている。「ワタスゲかと思ったら毛虫だった!」 ウソのような本当の話です。
7/6 いとこのダンナの通夜に行って来た。父方のいとこが30数名、その連れ合いを含めば70人程度になる。先代は全て亡くなったが、その子達(いとこ)は、まだたくさん残っている。そのいとこの中で、私は、下から数えて4番目であるからやりきれないところがある。多いという事は、財産でもあるが、負債の側面もあるから・・
でも、直接・間接的にお世話になった事があるのだから、唯々、手を合わせるしかない。めでたい事で会うことなど、殆ど無いが、悲しい時には、同窓会のように懐かしい顔が見られるものだ。しかし、今回は、何故か数少なく寂しいものだった。でも、それだけ中身は濃い気がした。
7/5 遙か南方に台風が発生したようだ。7月としては最大級だという。でも、来るか来ないか分からないが、しばらくの間ヤキモキする事になる。雨降りもそうで、何か用事がある時ばかりにやって来るような気がするが、果たしてそうなのであろうか?
自分よがりというのか、自分中心に考えているから、そのように思えるのかもしれない。成り行きに身を任せておれば、そう腹もたたないのに・・・・ もちろん、備えとか代案とかを準備しておれば、大概の場合何とかなるような気がする。自然は、そう意地悪ばかりではない。
7/4 いろいろな山用品にガタが来ている。お金がないと言えども、山登るには、万全の備えがなければと思っている。お金がなければ、それなりに、自分で修理・手当をしなければいけない。本当に好きなら、何を削っても、その手当をしなければ、後々悔いが残るかもしれないからである。
また、例え1回しか使わないかもしれない場合でも、そこへ行きたければ、もったいないではなく、そこへ行けた事に意義があると思わなければいけないのでは・・・ 大それた事を言える立場でない私であるが、好きな事にはお金が掛かる。本当に好きなら、仕方が無いと言うのか、どうしようもないのである。
7/3 娘の帰宅が遅い時や、体調の悪い時などは、5歳と2歳の孫の相手をする事がある。馬になったり怪獣になったりして、じゃれなければならないが、そんな事があまり得意でない私は、ついつい短時間で抜け出してしまう。
「これが喜び。」 なのかもしれないのに、半ば放棄しているのであるから、決してよい ジイ ではないと思っている。自分中心に考えるのは良いにしても、周りへの思いやりが足りないのだろう。そのくせ、「いつ山に連れて行こうか?」 などと考えるのだから可笑しい。
7/2 歳を重ねる毎に、だんだんと、”わがまま”になっていくようである。他人様の意見が耳に入りにくくなり、ドンドン、我を押していく様は、もしかしたら、自分もそうなのだろうと思う時がある。実際、身の回りの友人・知人達も、その傾向にあり、片方が黙り込んでしまうか、衝突が起こっている。
長年培った友情も、一瞬の内に失う危険があり、「もったいない。」 と思うのは、他人様の姿を垣間見て、初めて気が付く愚かな自分もいる。「わがままでなければ、長生きが出来ない。」 のであろうが、それが、楽しいか嬉しいかは、また別のような気がする。
「ちょっと控えめに・・・」 「相手の事も考えて・・・」 を脳裏に叩き込んでいるハズなのであるが、その域に達するには、何年も掛かりそうである。だから、長生きせねばならぬ!(笑) 「気を遣う。」 「気を遣ってもらう。」 が一番良いようであるが、たまりたまって、爆発するようでは身も蓋もない。人生の発展途上にしておこう。
7/1 私(達)が、白鳥山に出掛けていた頃に、「北ちゃん」 と 「はるちゃん」が、大猫山で出会ったらしい。二人共、私の大事な友であるが、牛岳記念登山を含め、過去に1~2回程度しか顔を合わせた事がないハズである。そんな事もあり、何処か出会った人だと思いながら、お互いなかなか思い出せなかったようである。
そして、それは、ゲートから登山口までの事であり、その後は、お互いの趣向・体力・思考などの相違で、「お互い単独行」 となったらしく、多く話す機会がなかった模様。その大猫山でも雨があり、山頂まで届かなかったようであるが、そんな話を聞かされ、羨ましがらないように心掛けていても、もうちょっと、時間があればと思ってしまう。
今年は、まだその大猫山に出掛けた事がない。この後も、行けるかどうかも分からない。以前は、50回・100回は行けるのではと思っていた事があったが、現在35回止まりである。とは言え、全く行かない事もないだろう。猫又山を絡めて、一度くらいは行かなくては、山からも見放されてしまうような気がする。