8/31 「明日は何処へ行くの?」 と「山ノ神」に問われた。「どうせ言ったって、また同じ所とか、イヤな顔をするだけだから・・・」 と、また余計な事を言ってしまった。晴れマークも切れ、その代わりに、少しだけど傘マークが混じった。火曜日も曇りになってしまった。

 そんな苛立ちから、余計な事を言ったのかも知れないが、言ったって始まらないのに、自分の浅はかさに呆れるしかない。時間制限の為、思った所に行けない上に、お天気が良くないので悄げなければならないのだから、反対に考える余裕が、まだ自分にはないのかもしれない。



8/30 仕事が終わった頃、上の孫が、「牛岳へイルミネーションを見に行こう。」 と行って来た。「山ノ神」か娘のどちらかの入れ知恵に違いない。「私は行かない。あんた達で行って来たら・・」 と言ったが通らない。仕方なく運転をさせられた。

 音川線(359線)に出てから、何となく車の数が多い。そして、山田村に向かい始めたら、益々多くなってきた。スキー場に向かって大きなヘアピンカーブを過ぎた頃から、完全な渋滞になってしまった。今日は土曜日。そして、今まで雨に見舞われた事が多かったので、一気に訪れる形になったのかもしれない。

 車を整理・誘導する人達がいない割りには、スムーズに駐車出来たような気がする。メインゲレンデ前に立つと、幼い孫達でさえ「キレイ!」 と言葉を発した。以前は、山頂(ゲレンデ上部)で行われていたような気がするが、人出の事を思うと、今の飾り付けが良いように思えた。

 大降りにはならなかったが、雨がぱらついた。でも、その別世界を目の当たりにして、親子連れも、アベックも、皆感動したに違いない。それは、誰もが、非日常を求めるという事なのかもしれない。 



8/29 北アのキャンプ場の料金。早月小屋500円、池ノ平500円、阿曽原小屋700円、奥黒部ヒュッテ500円、
 朝日小屋700円、風吹小屋500円、白馬大池700円、白馬岳700円、白馬尻700円、天狗山荘700円、白馬鑓温泉700円、唐松岳700円、五竜山荘700円、冷池山荘600円、針ノ木峠500円、大沢小屋500円、

 燕山荘700円、大天山荘700円、常念小屋700円、蝶ヶ岳ヒュッテ700円、大滝山荘700円、徳本峠600円、烏帽子小屋500円、三俣山荘800円、雲の平800円、黒部五郎小舎1,000円、双六小屋1,000円、わさび平小屋800円、笠ヶ岳山荘800円、

 岳沢小屋1,000円、横尾山荘700円、徳沢園700円、涸沢1,000円、北穂高小屋700円、穂高岳山荘1,000円、西穂山荘1,000円、槍沢ロッジ700円、槍ヶ岳山荘1,000円、南岳小屋1,000円、槍平小屋1,000円

 雷鳥沢・剱沢・薬師峠などは、おそらく700円だと思いますが、正式なものを入手していませんので記載しませんでした。キャンプ場だから、どのような形であろうが、水(有料の場合有り)やトイレがあります。そのような事を考えると、決して高くはありません。



8/28 今夏は異常な暑さと、ゲリラ雨に悩まされたが、此処に来て、朝晩めっきり涼しくなり、秋の気配さえ感じるようになった。そして、来週は晴れマークが並び始めた。私達の連休(9/1~9/2)も、その中にあるのであるが、そう、はしゃぐわけにはいかない。

 後半の連休に標準を合わせているから、あれもこれもと、わがままを通すわけにはいくまい。ならば、許された時間内に、どう過ごすかに掛かる。嘆くより実行、そして、実績作りである。



8/27 日曜日(8/24)の午後から車のキーが姿を消した。食卓のテーブルの上にあるのを、家族全員が確認しているのだが、何処へ行ってしまったのだろうか? 午前中に娘が車に乗ったが、その後は誰も乗っていない。その後テーブルに置いたようだ。

 月曜日の朝、山に出掛けようとして、キーのないのに気付き、我が家は騒然とした。その場は予備キーで凌ぐ事としたが、依然として何処にもないのである。大概ちょっとしたところにあるものだが、まだ出て来なく弱っている。

 慣れとは恐ろしいもので、昔の事を思えばそうでもないのであろうが、雨の日や荷物のある時などは、14年目に入った車と言えども、便利・不自由がはっきりと分かるのである。18万キロ超えではあるが、もうちょっと、頑張ってもらわなくてはいけないし、早く「キー様」 戻って来て下さい。



8/26 私は、携帯の事はあまりよく分からないのだが、2,000円余り出すと、携帯からどの電話に掛けても、いわゆるかけ放題というのがあるようだ。各社が競い合って、いろいろなプランを出しているようでもある。今より、負担が増えるかもしれないが、「これだと便利だな。」 と思い娘に相談してみた。

 「基本料金に上乗せだよ。」 と、娘に一喝されてしまった。娘は、今流行のスマホではなく、従来の携帯(ガラ系?)を使用しているし、意外と 「便利・無駄」 を使い分けているようだし、なんと言っても、彼女が就職して以来、ずっと私達夫婦の携帯料金を払い続けてくれているのである。

 そんな事もあり、あまり何でも言えないが、格安のスマホも気に掛かかるところである。「もう、携帯料は、私達が払うよ!」 と何度となく言っているのであるが、「もう少し大丈夫だよ!」 から、「僅かだから・・」 に変わっても、今の状態が続いている。



8/25 何となく「中山」になってしまった。流石の私でも、同じ山では、いい加減イヤになってしまう。最近の1~2ヶ月を振り返ってみると、登頂回数の嵩上げに出掛けているようなものである。でも、歩きたい。また、その回数に上乗せしたいという意識があるのは間違いない。

 中山登山口では、数少なかったが、オロロの纏わり付くのがイヤで、少し離れた大きな駐車場で準備をした。スタートは、今日も遅く午前10時半。「山ノ神」に、「先に行け!」 と言われ、振り返らず1,100m辺りのちょっと広まった所で上がってしまった。

 15分くらい遅れてやって来た「山ノ神」の第一声が、「帰ろうかと思った。」 であった。後に付けば、「先に行け。」 先に行けば、「行ってしまった。」 また、何処ででも止まり休憩をする。しかも大休憩が多い。たまには、「自由に歩かせろ!」 と言うのが私の思い。

 今回だって、途中、「山ノ神」の苦手な蛇を二回見た。真ん中にいた蛇が逃げ去るまで、確認していたくらいの配慮をしているのに・・・・ そんな事もあって、「お互い単独行」から、山頂までは、「お互いだんまり歩行」 となってしまった。

 かすかに見えた北方稜線も雲に覆われ、沈黙の山頂は、全く面白くもない。それでも、「山ノ神」は、例の点滴を始めたが、凍らせてきたものが溶けていなく苦労をしていた。しかも、短時間に2本も、やつけようとするのであるから可笑しい。 しかし、上手くいかないその様を見て、私は笑いをこらえるしかなかった。この頃の私は、短時間にたくさん食べられなくなってきている。今日もカップ麺を食べたが、大好きなコーヒーを沸かす気になれなかった。

 こんな事だから、歩くしかなく、次の山を提案した。城ヶ平山午後2時半スタートである。歩き始めてしばらくしたら、雨が降り始めた。山頂は諦め、チョッピリ、ミョウガと採って下山した。保育所への迎えも余裕があって良かった事になった。



8/24 明日は、またお天気が良くない。一年を通せば、特定の曜日が良いという事もないのだろうが、それにしても面白くない。時間制限の中で、同じ山ばかりになっている上に、展望がないのであるから、何の為に登っているのかになってしまう。

「雨でも歩く。」 は、決して雨が好きなのでなく、次のため(歩けなくなるのがイヤだから)歩いているのである。非常時の訓練になった事もないではないが、想い出になっても楽しかったという事はない。また、起きてから、行き先が決まるのでは、誰にも声を掛けられない。



8/23 「あの家は、家族全員働いているし、そして、元気だから、何の問題もないのでは・・」 と思っても、内情は必ずしも外から見るのと同じではないようだ。経済的に問題なくとも、人としての繋がりが上手くいっていないとか、それ以上の望みが満たされていなく、ギクシャクしているというのである。逆に健康であっても、よい仕事に恵まれないとか、先行きが不安であるといったふうに、様々な欲望と不安が相まっている。

 私の欲望なんて、ちっちゃなもの。「1万円でもいいから小遣いが欲しい。」 「損傷の激しい物だけでいいから、新しい山用具が欲しい。」 「時々、気の合った仲間と飲み会をしたい。」 くらいなものである。いや、本当は、一週間に一度、自由に山に登れたらこんなに嬉しい事はない。

 と言いながら、本当の本当は、どうでもいいのかもしれない。低山ながらでも毎週のように山に行けて、そして、毎日のように晩酌をしているのであるから・・・・ 飽きないのは、仕事と、ご飯(白いご飯)だけだと聞かされた事がある。いやいやな時もあったが、今、まさにその通りだと思っている。



8/22 立山黒部アルペンルート富山県民感謝デー(8/20~8/31)で乗り物は3割引である。この機会を利用して、立山周辺(三山縦走 or 奥大日岳)に出掛けられれば最高なのであるが、孫守の事があって、なかなか、そうはいかない。

 「どちらか一人」 を提案するのであるが、「山ノ神」は、ウンと言わない。私が留守番すると言ってもダメなのである。このような事が続く限り、高所や時間の掛かる所へは行けない。後は、その孫達を連れてとなるが、行き先が限定されるし、毎週ともならない。ましてや、不安定なお天気が続いているのであるから尚更である。



8/21 北ちゃんのHPを覗いたら、「8/20をもって、どこでも名山HPを終了させていただきます。」 とあり、唖然としてしまった。「何かあったのだろうか・・・」 と問うてみたら、「何でもないんです。前々から止めたいと思っていただけで、このタイミングになっただけの事」 という返事が届いた。

 その返事に、胸を撫で下ろしたが、自分も過去に何度となく休止した事があった。イヤになってしまった時もあったし、「こんな事をしていていいのだろうか?」 と思った事もあった。そりゃ!14年半の間には、何だってあったよ。でも、励ましや宥めてもらったりした事もあった。でも、止めたらやっぱり寂しかったのは本音。

 山の情報発信として始めた私のHPであるが、最近は、私のボヤキ、すなわち鬱憤晴らしの様相を大であり、如何なものかと思うのであるが、今や、いろいろな方法でその手の事は賄えるようであるし、私はこの手の事しかか出来ないと思っている。「元ちゃん」から「元さん」に変わって久しいが、「元じい」の待望論がないでもない。でも、その時は、もう終焉を迎える頃であろう。

 北ちゃんのHPは、もしかしたら、私より古くからやっていたような気がする。タイトルが少し変わったような記憶があるが、それにしても、ずっとやっていたハズだ。ちょっと休んだ時もあったような気もする。彼も、山を切り離す事など出来ないハズであるから、もしかしたら、また戻って来るかもしれない。いや、何か新しい事を考えているのかもしれない。そう思えばワクワクするのである。



8/20 また誕生日がやって来た。365を数えたら、1年経つのであるから早いはずである。20年過ごした人と、60年過ごした人の感覚は、1/20と1/60であるから、その速さは数学的に考えても頷けるというもの。また、一度通った道は、未経験より要領が分かり早く行けるというもの。

 今年は、いろいろな形で、友人・知人からお祝いのメッセージを頂いた。素直に嬉しいと思った。それだけ、忘れないで、また、気に掛けてもらっていたという事になる。そして、この先、このような事が何十回もあるわけがないので、一年一年大事にしていかなければと思っている。

 最近は、「羨ましがらない。」 「焦らない。」 をモットーにしているが、これからは、「迷わない。」 を追加したい。なかなか思うようにならないものだが、誠意というものは伝わるものである。こちらが、イヤだと思えば、いつの間にか伝わってしまうように・・・  今日は、生きている事に感謝! 皆さん有り難う。67歳



8/19 一日経って考えた。白山は、軽く50回くらい行けると思っていたが、最近の状況からして、黄信号が灯る感じである。「やっぱり自由はいいな!」 である。だから、時々でいいから解放して欲しいと願わずにはおられない。そしたら、年に3回くらいはいけそうだが・・・ 

 白山と言えば、あの女の子達(みさきちゃんとちひろちゃん)は、「ちゃんと仕事に就けたのだろうか?」 「足を引き摺っていないのだろうか?」 と、チョッピリ心配している。もちろん、若いから、回復が早いと思うし、私達が心配する事もないのだが・・・

 駐車場に着いて、「山はどうだった?」 と尋ねた時、「良かった!」 「また来たい。」 と言っていた言葉が嬉しかった。そして、「もう少し鍛錬します。」 とも言っていた。いつか成長した彼女らと、富山の山で、再会出来たらハッピーだよね。



8/18 4連休最後の休日は、西の方から晴れてくるとの思いから白山とした。先日の平瀬道通行止めの苦い経験から、ちょっとばかし距離は長いものの、別当出合から入山しようと思った。もちろん、月曜日は、マイカー規制が外れるのも後押しした感じである事は歪めない。

 東京のムコ殿に会いに行った娘と孫達が、今夕、来高する事もあり、早めに戻る事に越したことはないから、自宅発午前3時半とした。金沢市内の山側環状線を走り、予定通りの行程かと思いきや、白峰のゲートが閉じられたままであった。

 前日の大雨で、崩落があったらしく、その確認とかで、関係車両が入って行ったが、その結果待ちで1時間以上掛かってしまった。デモンストレーション的な要素と、役所らしき慣習からであろうか、それでも午前7時でなければ開けないとの事であった。

 そのような事から、待ち時間にコーヒーを沸かした。後の車の若い女の子二人にもプレゼントすると、嬉しそうに飲んでくれた。何でも、登山が初めてで、しかも、行きは砂防新道、帰りは観光新道の日帰りだという。若いから大丈夫と思ってみたが・・・

 「山ノ神」の希望通り、我々は、観光新道を歩いた。蒸し暑く、すぐに大汗を掻いだが、時折、すーっと抜ける心地よい風に、山の良さを感じた。稜線に出てしまうと、この時期でも、かなりのお花が目を楽しませてくれた。一番のお気に入りは、やはり、マツムシソウである。

 お花と戯れたとは故、室堂まで5時間近く掛かっては、最早、山頂への歩きが「山ノ神」にはない。簡単な食事を済ませた私にだけ、山頂への歩きを勧める。自分だけ、ゆっくりと飲みに掛かるというヤツである。

 ここで私達は、いつも論争を繰り返す。「山に来て、冷たいこれを飲むのが楽しみ。」 ←「山ノ神」 「元さん」→ 「飲みたいだけなら、家で飲んでおれば?」 というものである。もう、言っても始まらない。家で一番偉くなってからは、自分の主張を曲げないようになっている。

 室堂から山頂(御前峰)までの往復に50分を与えられた。この時、いつも思う事は、「何の為に、二人で来ているのだ!」 である。タイムトライアルをする年齢ではないのであるが、やっぱり今までの歩きが気にならないでもない。

 口に出さなくても、褒められたり、「凄いね!」 などと言われたいのは、皆同じであろう。お花を撮りながら、室堂を振り返りながら、約束の時間を気にして登っていたら、今朝出会った若い女の子達(みさきちゃんとちひろちゃん)が山頂から降りてきた。

 室堂のベンチで「山ノ神」が、でんと構えているから、「コーヒーでも入れてもらうといいよ!」 と別れた。時間内に戻ると、「山ノ神」のベンチは賑やかであった。みさき・ちひろちゃんに、診療所の医師、そして、馴染みの敦賀の辻本女史と金沢の吉井女史、そして、そのお連れさんがおられた。

 観光新道経由で下山すると言っていた「みさきちゃんとちひろちゃん」は、遅くなったので砂防新道に 変更するというので、一緒する事になった。でも、若い二人だけに、それなりの話もあるだろうと思い、引っ付いたり離れたりして歩いた。時々、待ったり、お茶タイムを取ったりした。 終いには、やや不安な歩きをみて、ストックを貸してあげたりした。たぶん、一番遅い下山者になったのではなかろうか? お世辞だとは思うが、「一緒して頂いて楽しかった!」 「助かった!」 と言ってくれて、余計なお節介も 「良かった」となった。

 

8/17 今日も行けない事もなかったが、日帰りで、3日間も、雨と分かっていて出掛ける気になれなかった。明日は、最後の休日だけに、何とか高い所へ行ってみたいな思いである。



8/16 雨は一向に止まなかった。それどころか、ほぼ県内全域に大雨警報が出され、シューンと、せざるを得なかった。それでも、お昼前に買い物に出掛けるのならと、雨が止んだり小降りになった事を考え、いつでも変更出来るよう山歩きの準備だけはしておいた。

 幾つものお店を回って、8号線に出たら、剱岳のてっぺんだけは雲に隠れていたが、これなら行けると思ったのであるが、「山ノ神」に食事を催促されてしまった。唯でさえ、食べるのが遅い「山ノ神」だけに、これで終わりかと諦めたが、外に出たら、やっぱり雨が降り出してしまった。

 仮に、そのまま山に向かっていても、ダメだったに違いないのであるが、やはり気持ちの問題である。午後の3時半近くになっては、城ヶ平山辺りがいいところであった。気温こそ高くはなかったが、蒸し風呂のような山中では、雨具を着用しなくても大汗を掻いてしまった。

 僅かな時間しか山頂におれなかったが、それでも、お山のてっぺんである。「低かろうが、行った事に意義がある。」 「雨だろうが、行けた事に意義がある。」 などと、小さな達成感に酔わないわけにはいかない。



8/15 「雨なら白山へ・・」 と車を走らせたのであるが、先般の台風の影響らしく通行止め標識と施錠では致し方なく諦めざるを得なかった。さて、このまま引き返すわけにもいかず、どうしようかと思ったのが、ひるがの高原からの大日ヶ岳であった。

 しかし、13年前に登っただけで、地図もなければ、パンフレッドもなく、登山口を探すのにも苦労してしまった。折からの土砂降りで、「こんなのに行くの?」 と「山ノ神」から言われるのも無理はなかった。

 「止めようか?」 「登山口だけでも行ってみようか?」 「ちょっとだけ登ってみようか?」 「酷かったら、イヤだったら引き返してもいいし・・」 と刻々変わっていく私の言い回しに、「山ノ神」は、信用するよりも苦笑するだけであった。

 この状態では、食事もままならないであろうからと、炊事用具を外し、荷は私だけが担いだ。(本当は、体調が良くないのだが・・) 大日ヶ岳の過去の印象は、山頂に大日如来が祀ってあったのと、2時間ぐらいで登ったような気がした。急登があると記してあったが、何処か何処かと言っている内に山頂に着いた。くらいであった。

 弱くなったり強くなったりであったが、ずっと雨であった。登山道は整備されていて、しかも、起伏が大きくなく歩きやすいものであった。「山頂まで3キロ」 まで、何の標識も布きれ一つ付いてなく、前回もこのルートを歩いたのだろうかと思った程であった。そして、登山道は川となっていった。

 展望どころか視界も悪く、前衛峰なのであろうか、展望台と称する所に至った時には、真っ黒な雲に覆われ、風雨が強くなったのである。雷がイヤであったから、「もう止めようか?」 と言いながら、前へ進む私に仕方なく「山ノ神」も従うしかなかったようである。山頂では、やっとの事で、カメラを出した程で、水さえも飲むことが出来なかった。すぐにUターンしたが、まるで沢登り・沢下りのようにさえ思えた。

 しかし、いつも述べるように、ずっと、強く降る事などあまりなく、必ずと言っていいほど、一時的に小降り、また、収まる事があるものである。今回も、登山口に戻る頃になって、小降りになり、チョッピリ近隣の山々が望めたのである。しかし何処の山だったのだろう。このような雨だったからであろうが、盆休、二百名山であっても、他に登山者はなかった。



8/14 せっかく、娘と孫達が、ムコ殿に会いに東京へ行くというのに、山行計画がまるで立たない。予報からして、泊まりがけは余程の急転がない限り止める事になる。でも、4日間とも、朝立ちが出来るそれだけでも気分的には随分違う。さて、何処に行けるやら・・・



8/13 優れない体調に悪い予報が重なり憂鬱そのものである。かといって、行かなければ晴れるし行けば降るパターンは、イヤほど経験しているだけに行かないわけがない。後は、どのように行くかだけである。大荒れでなければ、覚悟していくわけであるから、それなりの雰囲気はある。唯、テントとなると、食事の時や片付け(撤収)が億劫になる。それも技量の内といえばそれまでなのであるが・・・・

 誰もが心地よい歩きが出来て、殊の外良き展望に恵まれる事を願っている。しかし、自分の思うようにならないのが常。ましてや自然相手だけに、予期せぬ事も起きる。そのような事を望むわけではないが、非常時の訓練の為に、一番知っている山(知り尽くしている山)での悪条件下で過ごすのも勉強になる。私は、もうそんな事はしないけれど・・・



8/12 あれもこれもと思っている間に、盆休が近付いてしまった。なのに、計画は全く立っていない。高天原と赤牛岳か、間ノ岳・農鳥岳辺りを狙っていたが、テントの他に酒類を担いででは、果たしてと思ってしまった。3~4日の行程だけに、「山ノ神」の分までとなると、そうはいかないのではとなってしまう。

 そして、遠出を願う「山ノ神」であるからして、長い道程を歩くのはイヤだという事だと思っている。その折り合いが付かない内に、予報はドンドンと悪くなって来ている。そうなると、日帰りが一番楽かとなる。

 早起きさえ承知なら、大方の山々に出掛けられる。重い荷を担がなくても良いし、帰ってから、冷たいビールが飲めるというもの。それも有りかと思っているが、長い車の移動は良いとして、長く歩くのはイヤだと言われては、計画の立てようがない。



8/11 そう言いながら、山に行った。山と言っても相変わらずの低山である。台風が過ぎても一過とはならず、山の上には、真っ黒な雲が立ち込めていた。ぬかるみを考慮して、鳥越峠からの高峰山と大辻山とした。2週間前は、大辻山を降りて高峰山に向かおうとした時に雨に見舞われ、士気が落ちて高峰山を断念した経緯があったので、今回は、手短な高峰山からとした。

 ところが、前日に降らなかったのかどうか分からないが、ぬかるみなどなかった。それ程の起伏もなく単調な登山道は、もう少し歳取ってからの山に、ちょうどいいのかと思って登った。平野・海側の展望はあったが、山側は全く視界がなく、こんなもんだと思っていても、ちょっぴり寂しいものである。

 コーヒーを沸かしてから、鳥越峠に戻ったが雨になった。「この時期のワラビなんて、堅くて美味しくない。」 と言いながら、それでも、柔らかそうな20本ばかり採った物を車に入れ、傘を差して再び北尾根から大辻山に向かった。高峰山にしても大辻山にしても、展望があればそうでもないかもしれないが、ちょっと歩き足りない事もあり、2座となるのである。

 「このような雨の日のウイークデーだから他の登山者なんてないよ!」 と言っていた本ルートとの合流点(⑨)で、家族ずれの4人の方と遭遇した。山頂での話であるが、最近登山を始め大辻山も初めてとの事。ブヨがたくさんいて、最悪の大辻山であっただろうに、山の印象が悪くならなければいいのにと余計な心配をしてしまった。

 大人4人とあって、コーヒーをプレゼントしたら、「山でコーヒーが飲めるとは思わなかった。」 と喜んでもらった。お互い名も告げず聞きもせず別れたが、気持ちのよいものだ。今回は、登山道上にある折れた小枝を取り除く作業をしてきた。山への小さな感謝のつもりである。



8/10 こんなHPを続けて何が面白いのかと思う程、あまり調子が良くない。医者に行くのもイヤなくせに節制も出来ない可笑しな大人。「口が変わった。」 「頭が可笑しい。」 「心臓の辺りに違和感を覚える。」 全部大事なところじゃない。

 でも、「喉元過ぎれば・・」 何とかで、すぐに忘れてしまう。忘れて得するのは他の話なのだけれど・・・ そう言えば、最近、自分の治癒力にも、限界というのか、自信がなくなってきている。そのくせ、他人様の力を借りたくないのであるから弱ったものだ。家族に弱気をみせれば、「すぐに医者に行け!」 と言われるだけ。「どうなったの?」 と優しく聞いてくれる事などない。



8/9 「負けてたまるか・・」 と思う時もあれば、「もう、これまでかと・・」 と思う時がある。歳の頃が良く似た仲間と話し合う毎に、「あと、何年元気でおれるか・・」 という事になる。寿命ではない。健康でおれる年齢という事である。

 私は、「その時はその時、パッと散ればいいじゃない。」 などと、勝手な事を述べてしまうのであるが、自分は死ぬのがイヤだし、また、そう簡単に死ぬわけがないと思っている。でも、あれもこれも都合が悪いとなれば、ついつい弱気になる。



8/8 僅か5~10分ぐらいの運動であるが、山行日以外毎日続けている。そして、雨であろうが、雪が降ろうが、また、少々の用事があろうが、必ずと言っていいくらいに、休日は山へ出掛ける。それもこれも、唯、山に行きたいからである。

 しかし、どんなに頑張っても、衰えていく体力を止める事が出来ない。それよりも、士気の低下が一番悲しい。安全とか無理という文言に、ついつい下がってしまうのである。現在の時間制限下では尚更である。



8/7 h.fujii氏から、「富山の百山」が、8/11(山の日)に出版されると情報を頂いた。彼も、百山選定に携われ大変な苦労があったのではと推察される。本当にご苦労様でした。私も記念として、一冊購入させてもらう事とした。

 百山選定にはいろいろな意見があった事を承知している。実際私も、「何故あの山が落ちたのであろう?」 とか、「あの山が入るくらいなら、この山を入れて欲しかった。」 という山があった。選定にあたって、各自の思いがあっただろうし、各団体からの強い要望があった事も歪めないかもしれない。

 でもそれは、「区切り」 に拘っただけの事であり、自分の愛する山を、胸中から何も落とす事などない。黒部川沿いの山々や、岐阜県境の山々の何座かもれているが、何も卑下する事なく、山を愛する人達で盛り上げていけば、違った意味で、日の目をみるに違いない。ネットの時代だけに、良いも悪いもその情報の伝わり方に掛かってくる。



8/6 この頃の高温(熱帯夜))には、些か参っている。相変わらず空調のない部屋での寝起きが続いているが、限界を感じつつある。仕方なしに扇風機を動かしてみたが、効果は薄いのか、のたうち回っている。ビデオで撮られたら、可笑しな事になるであろう。

 そう言いながら、今日は8月も6日。盆休まで10日もない。行きたいところがたくさんあり、また意見の違いもあり、その行き先に思案している状態である。ゆっくり同じテン場で過ごす手であるが、結局最後は、歩き回るスケジュールになっています。

 一日で雲の平まで入れるのなら、後は思い通りに計画が組めるのであるが、二日も掛かってしまうようであれば、その計画もオジャン。もっとも、いつもの荷を担いでとなると、林道の開通を待ってでは無理であろう。

 「避暑」 と割り切って、滞在型を選択すれば、意外と行くところがあるのだが・・・・ それもこれも、天候次第である事は間違いない。



8/5 休みになれば必ず山に出掛ける爺さん・婆さんが、孫には、どのように写っているのであろうか? 「月曜日になれば、今日は、お山に行くの?」 と上の孫は必ず問いかける。毎週月曜日と月1回の火曜日、そして、月1回の日曜日には車のないのであるから、「そんなにも、山がいいのだろうか?」 と思い始めているのではと爺婆目線。

 「焼きそばが食べられる。」「ラーメンが食べられる。」 くらいなのであるが、お花があったり、虫が出て来たりの非日常な事に、リックを担ぐ、コンロや鍋が出て来る事に興味を示すのかも知れない。猿倉山や山菜採りで出掛けた高落場山への林道など、数少ない事例しか経験していない5歳の子であっても、意外と多くを覚えているものである。

 ならば、涼しい所へと思い、今朝早く出掛けるつもりであったが、下の子が発熱。(娘が保育所へ預けてくれる段取りであったが・・) それでは、娘が仕事を休まなければならなくなる。おまけに、上の子も微熱有りとなり。思いきって登山中止とした。でも、微熱を観測したけれど、上の子の気持ちが収まらない。

 それではと、二上山に予定を変更した。でも、ゆっくり歩いていては、下の子を置いて娘が仕事に出掛けられない。そうなると、私が走って、家に戻らなければならなくなった。そして、娘が、勤めに出てから、具合の悪い下の孫を車に乗せて、二上山へ、「山ノ神」と上の孫を連れ戻しに行った。

 戻ってからは、一日中、家中にいた。そして、風呂掃除をやった。外に出たのは、アイスクリームを買いに行っただけである。とにかく暑かった。37℃を超えたようである。それよりも、夜中の気温が28℃(富山は29℃)には参った。今夜も、それに近いようだ。



8/4 そう言いながら、結局は出掛けてしまった。熱が出たらどうしようと思いながらである。 (結果的には何ともなく、約束の時間に迎えに行った。) 真新しくと時間的な事を考えて、17年ぶりの 「猿ヶ山」とした。お互い口を効かない事もあり、途中から「山ノ神」の運転となったためか、ブナオ峠発が午前10時20分となった。

 17年前は、笹藪を掻き分けてのイメージしか無く、展望とか要した時間などはあまり覚えがない。最近、きれいに登山道が整備されたと聞き及んでいたが、昨日の浜松氏FBによる情報も後押しをしてくれた感がある。

 しかし、こんなにも展望が効かない山だったかと思う程である。歩行距離は5キロくらい、標高差は450㍍くらい、アップダウンが少なく、急登箇所も少なく歩きやすいが、何だか物足りないと思うかもしれない。

 しかし、歩いておれば、「ススダケが採れるかもしれない。」 「紅葉は良いかもしれない。」 と思うのである。また、ブナオ峠からは無理にしても、残雪期に登れば、きっと満足するような山のような気がした。

 帰り(戻り)は、大獅子山を気にした。自分のイメージでは、登山道上にあったかに思っていたが、ピークや三角点は、チョッピリそれていた。時間があったので、我一人チャレンジする事になる。赤布があり、かなり導いてくれたが、最高点らしき標識は、三角点よりもずれていた。私もその先を喘いだが、もしかしたら、数㍍の所で諦めたのかもしれない。戻るにも一苦労だからでもある。



8/3 四国は記録的な物凄い雨が降っているが、こちらは、明日も、まずまずのお天気のようである。しかし、「山ノ神」との意思疎通が上手くいっておらず、しかも、一昨日から、下の孫の調子が可笑しい。(時々、高熱が出ている。) そう言いながらでも、大概は何処かへ出掛けている事が多いが、現状は、どうしてもという気持ちは薄らいでいる。

 さほど変わった所へ出掛けられるわけでもないし、緊急連絡が入っても電波の届かない所にいては、また、娘の負担が増えるというものであるし、例え電波が届く所でも、保育所に戻るまでには相当の時間が掛かってしまう。こんな時は、誰か一人、家にいた方がいいに決まっている。でも、アホな私(達)だから、明日になってみなければ分からない。



8/2 本当に怒ったら損だ。忘れられたら得。それが笑えたら、もっと得する。大損は言わなくても知れた事。そんな事は、重々承知しているハズであるが、なかなか、その通りにいかない。浅はかというのか、変なプライドが脳裏を過ぎるのか、悪い方に悪い方にいってしまう。

 「定めなきは浮き世のさが(性)」 と言われるように、だから人間なのかもしれない。草枕(夏目漱石)の序文を思い出した。 「山路を登りながら、こう考えた。」 から始まる。

   智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
  ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。 人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
 ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い。



8/1 このところ、メーンページに、4~6年前のキャンプの画像を載せている。いずれも、8月上旬の山行で、私の休日に合わせてもらったものである。(蝶ヶ岳・常念岳、鹿島槍ヶ岳、朝日岳=橋ちゃん。ねぎちゃんに感謝である。) 

 3年前は、うやむやになったが、それでも、「シュンちゃん」 と雨の中、雷鳥沢キャンプとなった。そして、ここ2年は、盛り上がらなかったが、それでも、一昨年は、私と「山ノ神」だけで、唐松岳キャンプ(計画は唐松岳・五竜岳)、昨年は、キャンプが叶わなかったが、好山病メンバーで、大猫山に日帰り登山をする事が出来た。

 そして、今年も、キャンプの企画を立ててもらったが、メンバーが集まらなかった事と、ご存じのように、私達は孫達の預かりで、どうしても計画に加わる事が出来ず流れてしまった。こんなのが続くと、誘えず誘ってもらえずになりかねない。来年からは、長期的なプランを立てて、家族にも理解を得て、企画段階から参加したいと思っている。