12/31 何だか、2~3日前から、咳が出だしたと思っていたが、風邪のようである。歳暮れのイベントどころか、明日(新年)のイベントも危ない。弱った!



12/30 ここ4年の間、4月の僧ヶ岳に行けていない。片貝第2発電所から歩かなければいけないだけに、保育所の送迎があってはとてもじゃないが行けるわけもないが、出来れば、もう一度テントを担いで行ってみたい。

 3年間、横岳にも行っていない。特別の山でもないが、高幡山も加えて、何となく好きな山である。果たして、来年はどうなるのだろう。どれだけ歳を取っても、前向きに行かなければと思っている。



12/29 今年は、「どんな山に登ったのだろう?」 と振り返ってみると、城ヶ平山・金剛堂山・大倉山・千石城山が、4回ずつと肩を並べた感じである。意外と少なかったのが、小佐波御前山と人形山で1回きり。白山も1回だけになった。そして、大猫山や猫又山に行けなかったのが、チョッピリ残念であった。

 それでも、一年に一度はと思っている薬師岳や白馬岳・雨飾山へ行けたのであるから、「良し。」 としなければいけないかもしれない。また、孫達の保育所の送迎があり、なかなか思うようにならないながら、6回も泊まりがけの山行が出来たのは、分からないままにも、家族の協力があったからに他ならない。

 6回の中でも、山中のキャンプが3回あったし、温泉に泊まれたのもラッキーだった。唯、短期間での県外遠征は、最早辛くなって来たのは間違いないから、時間を掛けながら、ゆっくりと出掛けられたらいいのにと思うが、まだその体制は整っていない。



12/28 寒くて何もかもが凍り付いた。そのせいだろうか、咳が出るようになった。昨日は、「何だ!このくらい。」 と高を括っていたが、やはり弱くなっているのだろう。幸い頻繁に咳き込む事もないので、大事にしたいと思っている。今日も含めて、あと4日である。終わりを良くしなければ、何もかもが、パーになるから。



12/27 ようやく、全ての年賀状を投函する事が出来た。これからは、来年のHPの事で、ロゴを作成するなど、全てが、そちらの方に力を注がなくてはいけない。現在でも未完成というのか、不十分なのにどうしたものだろう。まあ~、止められたHPやブログがある事を思えば、まだ健闘しているとでもしてもらおうか・・・



12/26 上の孫が、おう吐を繰り返し、明日上京する予定の娘達に暗雲が立ち込めている。変わった所へ出掛けようとする時、子供達が熱を出すというパターンは、古今東西、いつでも何処でもあるパターンである。でも、子供達は快復が早いから、明日になってみないと分からない。

 夜遅く息子から、ギリギリに帰省するという連絡があったようだ。そうなると、箱根駅伝中継がある日は、単独行になる可能性が高い。どちらにしても、その時にならないと分からないのが実情。元日登山は何処にしようか?お天気を見ながらになる。



12/25 9連休を利用して、娘と孫達は、婿殿がいる東京に行くという。しばらくの間、煩わしさから解放される事になるが、私の休日は、元日から3日間である。2日・3日がお天気で適量の雪があれば、低山でのキャンプを目論んでいたが、現在は、その考えが萎んでいる。

 一日挟んで5日・6日が連休となるが、その時は、孫達が帰ってくる。そうなると、例年通りの日替わり山行となるような気配である。そんな事より、今は年賀状の事で頭がいっぱいである。今朝も、相当早起きをしたのであるが、娘とプリンター使用でバッテングとなり、また遅れてしまった。



12/24 年賀状作成進行状況が思わしくない。まだ25%程度である。これでは徹夜しても覚束ない。やっぱりお酒を飲まないでやるしかない。身体にも良いし?明日から頑張ろう。今夜は、もう飲んでしまった。(^▽^)



12/23 一昨日のハレルヤ山行に「花じい」を誘った。昨年同時期に行った同窓会的山行以来、一年ぶりの再会であった。お誘いした時は、「喜んで・・」 のお返事をもらったが、後に「ハードなのはちょっと・・」 と不安げさを覗かせておられた。

 私は幹事ではなかったが、もしもの事があったら、行動を共にする覚悟でいたのである。ところがである。往年の脚力はないにしても、(10年前までは、誰もが認める健脚であった。)鼻歌を口ずさんだり、ナメコ採りをしたりして、余裕さえ感じさせられたのである。心配しただけ損をしたと言ってよい程。(^▽^)

 後に、彼からもらったメールの一部を紹介。

 「参加したいです」との返事の時は、大丈夫かいな?と自分でも思っていました。
 はじめは、「残念ですがやめておきます」と書いてでも心の底から、
 『でも行きたい』と思って書き直したのです。

 実際、今、最近感じたことの無い疲労感です。
 体がむりだと言っているようで、悲しくなります。
 (最後の雪かきで頑張りすぎた?)

 でも、低山でもいいから、山に行かないと、
 もっと弱っていくように思うので、行って良かったと、心から思っています。
 ありがとうございました!!!


 謙遜気味のメールであるが、私はとても嬉しかった。お互い衰えていくのは仕方がない事であるから、後は、どのように山と接していくかであろう。日頃は、なかなかお目に掛かれないかもしれないが、来年も一緒出来るよう私も精進しなければと思っている。



12/22 今年最後の山は何処にしようかと思ったが、余裕を持てる山という事で、「八乙女山」 とした。登山口の閑乗寺から横殴りの雪で身を縮めたが、「行くしかない。」のである。前日のトレースは、かすかに残っていたが、高度を上げると、また、風当たりの強いところでは次第に消えていった。

 少々、風雪が強かろうが、ずっと降っているわけではないし、膝上のラッセルも、ゆっくり歩けば、「静かな山」 そのものである。「山ノ神」は、雪に囲まれた八乙女峠の東屋で充分と言い、いつもの通り、「あんただけ、頂上へ行ってこられ!」 である。

 既に正午を過ぎていた事もあり、私は、お湯を沸かし、カップ麺を食べて出発である。高度を10m上げると雪量は想像以上に多く、時間制限を掛けられては、雪を蹴散らしながら、「止めようか。」 「此処で止めようか!」 と、何度となく思ったが、いつも山頂に立ちたい私は、最後の力を振り絞って到達する事が出来た。2枚の写真を撮って、一目散に「山ノ神」の待つ、東屋に向かったが、深雪だけに法面を駈け降りる事が出来、メチャクチャ遅れる事もなかった。



12/21 雪のある時限定のハレルヤ山行が始まった。(第3日曜日) 今回は、池田氏の綿密な計画、そして、前日の下見などご苦労をしてもらった分、我々は、スムーズに事を運ぶ事が出来た。また、適当な雪量・雪質、そして、12名の健脚が揃えば、2時間も早く目的地の千石城山に辿り着く事が出来たのである。

 山頂に2時間滞在しても、最終下山地の剱橋には午後2時頃には着いてしまった。「ヘッデンを用意したのに・・」の笑いもあったが、何もなく無事下山出来たのであるから、メデタシであったが、何と、挨拶をして、別れてから問題が発生した。馬場島公園線の下田・折戸間で雪崩が起きていたのである。

 長さが10~20m、高さが50cm~1mくらい塞がっていたのだから、皆が呆然とした。下田から滑川市蓑輪へ抜ける道も冬期閉鎖とくれば、人力でやるしかなかった。幸いシャベルも、そして強力達が揃っていた事もあり、意外と思っていたよりも短時間で片付ける事が出来たのである。もちろん、二次的に発生するかもしれない雪崩の監視も怠らなかった。

 折戸の登山口~笠尻山~千石城山~剱橋のルートは、低山でありながら、マニアック?であるとの評を受けたが、確かに、幾つものアップダウンを繰り返し、二重山稜の山容である。深雪では苦労するのは受け合い。私は、ここからの剱岳を眺めた事がない。いつかはである。

 

12/20 明日は、今冬第1回目のハレルヤ山行日である。あまり良くないお天気だけれど、12~13名が集うようである。娘や孫達の健康状態があまり良くないが、「休日に山へ行かないわけがない。」 くらいに思っている事であろう。裏を返せば、休日に山へ行かなければ、精神的にも肉体的にも可笑しくなってしまい、そのリスクの方が大きいと思われているから出やすいのである。



12/19 一年一年正月らしく感じなくなっていくのは、時代の様変わりばかりと思っていたが、それは、自分が歳取っていくそのままのようである。若い頃は、物が転がっても、肩をぶつけ合っても、可笑しかったが、今は、そのように思えないのだから、少々麻痺仕掛かっている気がする。

 その打開策など無いのかもしれないが、やはり、いろいろな人々と接する事が、一番のような気がする。「喋る機会を得る。」 「そして、聞き上手になる。」 のが良いような気がするが、なかなか上手くはいかない。「無い物ねだり」 の感が強いからであろうか、「静」を求めたり、反対に「賑」を求めたりするのだから、厄介そのものである。

 年賀状も、その風物詩の一つと思えるのであるが、これも世代交代の一環なのだろうか、年々減少傾向だそうだ。でも、私には、年賀状のないお正月はあり得ない。「ものい。」 のも苦労と置き換えて、一年に一度の便りの交換が楽しみなのである。



12/18 相変わらず、暖房機がなく開けっ放しの2階で私は寝ている。流石に寒くなり、パジャマを冬用にした。それでも、始めの内は、ネコのように縮こまって凌ぐ。でも、足はなかなか温まらず、肩の辺が寒い。やっぱり歳のせいかと思わずにはおれない。

 4枚の襖が2枚しかなく、開けっ放しと同じだが、窓際の障子戸は4枚ある。今日から、それを閉めてみよう。それがダメなら、ペットボトルにお湯を入れて、湯たんぽ代わりにするしかない。「山ノ神」は、下の階で冬用のシュラフにくるまっている。何だか、貧しさをさらけ出している話になってしまった。



12/17 薬が合わなかったのか、身体中に発心が出来た。可哀想なくらいに酷い。点滴をして、一日様子を見たが一向に変わらず、息苦しいと言ったら、「救急(二次)」に回された。娘の話である。

 折からの悪天に私が運転する事になる。移るものではないらしいが、ゆっくり休ませるためにも、孫達は、バア~さまと寝る事になった。仕事が溜まっているという娘だが、張り詰めた神経を、もう少し緩めて欲しいと思うのは親だからだろうか?



12/16 一昨日帰京のムコ殿のその後であるが、夜中の1時半頃高岡に戻ってきた。翌日(昨日)も、東京方面はままならず、米原経由でしか行く事が出来なかったようである。我々が、山行を終え、家に戻っても、ムコ殿がいたのには流石にビックリした。もうたまらないと思ってか、最終の飛行機で羽田に向かった。

 そんな事とはつゆ知らず、仲間と山に出掛けていたわけであるが、どうにもならない舅・姑と改めて感じた事だろう。もっとも、前日から、熱っぽい孫達の事が気になってはいたが、無事保育所に届けてからは、無罪放免とばかりに、羽を伸ばしていたわけである。

 それとは関係ないと思うが、娘の方が可笑しくなってしまった。当日も、そうして、今日も仕事を休んでしまっている。もしかしたら、明日もダメなような気がする。「休んではおれない。」 と焦っているが、あの身体ではいけないような気がする。自分勝手な私(達)であるが、次の山行に支障がなければと、本当にいい加減な親である。



12/15 「上市市街地に午前9時半集合」 余程の事がない限り朝立ちが出来ない私(達)の状況を考慮して企画された今回の山行に、「北ちゃん」は、我々を含めて10人の仲間を集めてくれた。トイレのある駐車場から、スキー場を登り、直接千石城山を目指すルートである。

 登り始めは雪。そして、小雪が止み、3時間を掛けて、山頂に辿り着いた頃には、好山病結成10年を祝うかのように、青空が覗く程までになっていた。そして、剱岳だけが雲間から顔を覗かせていたのである。普段は、他の山々が見えても、剱岳だけが見えない事の方が多いのであるが、今日だけは、他の山が見えなくて剱岳だけが見える珍現象?ようであった。メーンルートの反対側から山頂に上がったのであるから、その印象は格別でもあった。

 三つの鍋が用意され、まるで好山病鍋祭りのようであったし、出て来る料理が食べ尽くされず、持ち帰りになった物もあったようである。私としては、久し振りの大人数での山行だっただけに、「人恋しさ」 が叶ったように思った。雪を蹴散らす元気者を見るにつけ、羨ましさよりも、そのエネルギーをもらったような気がする。また、一緒してもらえるように、「イヤな人間」 にならないでおらなくては・・・



12/14 今日も、水分を多く含んだ重たい雪が一日中降っていた。明日は、好山病諸氏との山行が予定されているのであるが、これだけ降れば、違った意味での山行日和になる事受け合い。ところが、高岡と比べて富山の積雪が極端に少ないから、ちょっと、不安であるが、上市の山だから、間違いないほど降っている事と思う。

 子供達(孫達)に愛想をして、またムコ殿が帰って行った。架線の故障などで、「はくたか」は、かなり間引きされていたようであるが、ムコ殿の電車は定刻に動いたようである。しかし、糸魚川で待機とのメールが届いたようである。反対列車が来なければ進まないようである。何時に東京に着くのやら・・・・

 その後、糸魚川の一つ先の駅でストップで、その先に進むことが出来ず、逆の列車に乗って高岡に戻るとか、でも、それが何時になるか分からないとの連絡が入ったらしい。待っていられないから、先に寝る事にするが、明日の山行に支障が出なければいいのだが・・・・



12/13 ゆっくりでも、前に足を送り出しておれば、先行する方と、それ程の差もつかない。しかし、止まると、その差は歴然となる。年賀状作業も同じで、前々からやり出しておれば、それ程慌てふためく事もないのであるが、毎年同じ事を繰り返している。

 今日、ようやく始動となった。どんなに凝っても、また、幾つものパターンを作っても、相手様に届くのは、一枚だけである。そうなれば、気が楽なのであるが、相手様の顔を思い浮かべて、一枚一枚コメントを載せるとなると、これまた大変なのである。

 私の持ち分460枚を、根気よく最後まで、その意気込みで貫き通せばいいのであるが、時間切れになることも多々あるのである。「まだ時間がある。」 と思っていても、いろんな事が起きてくる。焦らずとも良いが、先送りせず、「コツコツとやらなければ・・・・」 である。何といっても、一年に一度、自分をピアールする場でもあるから。



12/12 最終一つ前の「はくたか」で、ムコ殿がやって来た。明日、保育所で行われる行事(クリスマス会)に合わせての来高であるが、このような生活パターンが、やがて1年9ヶ月になろうとしている。娘が富山で就職したためとは言え、30代半ばの若者達には可愛そうな気がする。

 私が、チャチャを入れる事ではないが、「何か良い方法はないか・・」と思わずにはおられない。でも、やっぱり、そっと、見守ってやって、陰から応援してやるしかないのだろう。と言いながら、私達の山行に支障が出ているのは間違いない。その事になると、親と子でなくなってしまう。わがままで情けない親である。



12/11 夢の中の夢だったのか、そして、現実との境がつかなく、しばらくその事実の裏付けをしようと過去の記録を見開いた。「やっぱり、そんなはずがない。」 と夢だった事に気が付いた。それは、私自身の事、「歩きについての事」 であり、何も慌てふためく事ではないのであるが、いよいよ可笑しくなって来たのかと思わずにはおれなくなった。

 どんなに鍛えても身体は劣っていくし、容貌もくすんでいく。「心だけは・・」 「気持ちだけは。。」 と思っていても、やっぱり可笑しくなっていっているに違いない。反発しないで、それを受け入れて生活していかなくてはいけないのだろうか?



12/10 年賀状の受付開始まで、あと5日になってしまった。「何もしていない。どうしよう?」 先延ばしにして、今年も、また今日になってしまった。本当に、私はずるいヤツ! 「後から・・」 とか、「明日・・」 を、繰り返してきたツケが回ってきた感じである。ぬるま湯から脱出しなければ、後々、辛いのは自分なのだから・・・



12/9 この歳になると、「いつまで元気におれるか?」 とか、薬の話になってしまう。聞くだけでなく、私自身が、言ってしまう事も多い。健康に自信がないくせに、薬を飲むのが嫌いだから、どうにもならないし、困ったものかもしれない。

 しかし、クヨクヨ考えても、どうせ思い通りにいくわけもないし、身体は、ドンドン落ちていくのに間違いない。ならば、好きな事をやればいいとなるが、山は、泊まる事を除けば、週に1~2回でたくさんである。そうなると、飽きないのは、仕事と白いご飯だけとなる。



12/8 出発直前まで行き先選定に迷ったが、夕方からの忘年会がある事から、城ヶ平山・ハゲ山とした。予想より積雪が少なかったから、「もうちょっと高いところにすれば良かった。」 のかもしれなかったが、どの山も登ってしまえば、それなりの良さを感じるものであり、喜びもあるものである。

 しっかりしたトレースを伝って、楽々、城ヶ平山に到着する。今日の行程からして、山頂でコーヒータイム&少々の腹ごしらえと思って、テーブルの準備し、お湯を沸かそうとしたら、コッヘルがない事に気が付いた。ラーメンも焼きそばどころか、コーヒーもダメなのであるから、それはそれは愕然としてしまった。

 大型のシャベルや、タープ類も準備してきたのにである。そうなれば、さっさと、ハゲ山に登って、下界で何かを食べるのが一番となり、壺足から、今年初めてのスノーシューに換えた。壺足のトレースに、なかなか馴染まず、ちょっとばかし、コースを外してみたが、それ程の雪量でもなく、やっぱり、そのトレースに準じるしかなかった。

 タイム的には、それ程の違いがなかったと思うが、ハゲ山まで遠く感じた。そのハゲ山到達も、写真を撮ってUターンなのだから、浅生に降りる途中では、「山ノ神」が、一時座り込んでしまった。そのような状態では、「ビールも飲めなかった。」からかもしれないが、林道歩きに、口も効いてくれなかった。ザックの底に、先週から忘れていた菓子パン(揚げパン)一個があり、賞味期限を、一週間も過ぎていたが、半分ずつにしてかぶり付いた。



12/7 水分の含んだ重たい雪だったが、たくさん降ったので、駐車場で滑り台を造った。娘もソリやシャベル買ってきた事もあり、孫達は大はしゃぎであった。私の顔ほどの高さに造った滑り台は、5歳と2歳の子には、ちょっと難度が高すぎたようで、終始気配りをしなくてはならぬ羽目になってしまった。

 孫達の笑顔や喜ぶ様をみれば、「もう一回、もう一回。」 の要求を呑むしかない。自分は、他の爺様と違うと思っていたが、何ら変わらず、苦笑いをしてごまかすしかない。くたびれた!

12/6 今日も雪が降り続いた。冬期道路情報によると、高岡の積雪は、午後11時現在13㎝。でも、実際は、倍くらい積もっている気がする。それでも、その情報では、宇奈月では55cm、立山町芦峅寺では、52cm、朝日町蛭谷では、45cm、そして、五箇山では、南砺市梨谷109cm、同じく西赤尾では、83cmだそうだ。

 明朝まで、降り続くのは間違いない。降るのは構わないが、除雪が結構辛い。湿った重たい雪であるから尚更である。我が町内では、長い間、休眠していた消雪装置の再稼働が予定されているが、管理組合の再結成や住民の同意など、まだまだ紆余曲折があるかもしれない。



12/5 雪が降った!一日中、雪模様であった。でも、高岡の積雪はゼロ。富山では7cmとか。前日まで積雪がなかった県東部でも、かなり降ったようである。そして、五箇山である。さすが豪雪地帯だけあって、見る見る内に(時間の経過と共に)積雪が上積みされていく。明日にかけて、もっと降る予報であるが、平地は降らなくても良いと思うのは私だけではあるまい。



12/4 15日(月)は、好山病の諸氏との山行が期待出来る。21日(日)は、ハレルヤの仲間と会えるようだ。冷たい雨やアラレが降り、身を縮めているが、山の事になると、俄然話が違ってくる。倒れている草木が雪に覆われて、好きな所に行けるのを想像して地図を見入りたくなる。

 その前に、もう一つ、忘年会がある。と言っても、その時間までに戻れば良いだけの事で、低山しか行けない私には、それ程の問題はない。早く、スノーシューやカンジキを履いて、雪中を歩きたいのは私だけではない筈。



12/3 先般、当欄で、「PCでは見えるが、タブレットでは文字化けする。」 という内容の指摘を受けたと記したら、S先生から、「文字コード」 の問題だと教えてもらった。アンドロイドでは見えないらしい。「ANSI」 から、「UTF-8」 にしなければとの事。「分かったような分からないような・・・」 そして、横を向いただけで忘れてしまう現在の私。

 また、HP自体何だか見にくくなっている。どうも「タグ」の問題であるような。コーピーや貼り付けを繰り返している内に、だんだん可笑しくなってきたものやら、歪になっているものを、自分勝手にタグを加えたり、削っていった末に、尚更可笑しくなったようだ。

 素直に既存のHP作成ソフトを使っておれば、このような事が起こらなかったかもしれないが、”可笑しな手作り” 故の騒動だったようだ。でも、このような事で、S先生を始め、いろいろな方々と交流を持てた事も、喜びや財産だったような気がする。「もうちょっと、頑張ってみようか?」 迷惑を掛けるのも愛嬌として欲しい。



12/2 昨夜騒いだ寝不足と、雪あられが降り始めた事もあり、この連休に企画していた、五箇山のもう一座を中止にした。でも、ダメなのである。時間が経つ内に、「休日は山に・・」 と、”好山病” が騒ぎ出した。

 「やっぱり行くわ! あんた 行く?」 と、臥せっていた「山ノ神」に尋ねると、「行かない・・」 との返事であった。しかし、準備をしていると、「なかなか寝られない。山には行かないけれど、登山口まで行く。」 と言って起きてきた。五箇山の山ではなく、千石城山だと言ったから、その気になったのか、それとも、監視のためなのだろうか?

 本当に山の支度はしなくてよいと言う。「待っているのは寒いよ!」 と言っても埒があかなかった。ならばと運転を頼んだ。千石城山の登山口は白くなっていた。そして驚いた。登山口の標柱が建っていた他に、周辺の立木(杉かな?)が伐採されていた。その辺の事はよく分からないから、コメントは控える。

 雪は、まだまだ、これからであるが、白い道を歩くのは気持ちが良い。750mの山頂は10㎝強の積雪。今晩、そして、今週は、かなりの積雪が見込めるかもしれない。いよいよ雪である。スキーは、遠く昔の話になってしまったが、雪を楽しむのは、そればかりでもない。



12/1 かなりの悪天予報であるにも関わらず、また、時間的制約があるのを、ものともせず、私達の山行に付き合ってくれる山仲間に感謝である。今回は、草沼山経由の高落場山に標準を合わせていた。積雪期・残雪期には、高落場山から高清水山に向かう時、その草沼山を経由した事があったが、無雪期にブナ林の尾根(三方尾根)を歩いてみたかった。

 一緒してくれた「シュンちゃん」によると、12年前、若杉登山口から登った時(H.14.11.04)、11月上旬ながら、1㍍強の積雪があったそうだ。もう一度は、やはり3人で、五箇山トンネル前からであったが、どちらにしても、「雪の無い山頂を見てみたい。」 と一風変わった興味があったという。

 道宗道は、整備されていた。ブナの落葉を踏みしめながらの歩きであったが、濡れていなかったら、もっと感じの良い尾根歩きが違いない。3人とも一回ずつであったが、すってんころりんとやってしまったが、それも愛嬌だったかもしれない。雨降りしきる中、山頂を踏んだ後、ちょっと下がって、タープを張って食事とした。

 雨降る初冬に、山で何をしているかと思われても、「じっくり、山と向き合える。」などと、うそぶいているが、晴れに越したことは無い。でも、年中、山を楽しむ?ためには、あれこれ選んでばかりはおれない。二人ではあり得ない馳走と、楽しい会話があれば何もかもが温かくなる。

 「雨避けるも良し、雨中歩きもまた良し。」 何もかもを見方にせねば、出掛ける機会を失ってしまうからである。ベタベタ、ドロドロになった事もあり、早々に切り上げ、五箇山の風呂に浸かった。夜は、好山病友の会の忘年会があり、これまた大いに盛り上がった。当会も12/13で、満10年になる。