1/31 私の部屋(寝室)は、とうとう6℃を切った。昨年の今頃は、ペットボトルのお世話になっていたような気もするが、今、我が家には、大きなペットボトルがない。わざわざ買いに行くのも面倒だから我慢をしている。でも、そのペットボトルのお世話になるのも、精々一週間程度であるから、冬物のパジャマにしたら結構暖かい。

 こんな話をすると、湯たんぽを貸そうかとか、あげようかと言ってくださる方が出て来るが、気持ちだけを頂いている。今年も一ヶ月が経ってしまった。日照時間も、だんだんと長くなるに連れて、寒さも和らいでいくハズである。



1/30   何もかもが上手くいかない。イヤになってしまう。どうしたもんだ・・・・



1/29 「自分が衰えたな!」 と、一番感じるのは、ちょっとした傷の治りの遅いのと、体調を崩したら、なかなか治らないと思う時である。顔や頭の事は仕方ないにしても、体型が崩れて行くのにはやっぱり寂しい思いがする。頑張って歩く、また飛び上がったりしても、後日、写真に写っている自分を眺めれば、背が曲がっているし、どことなく年寄り臭いから悲しい。

 また、自分が気付かなくても、同じ事ばかり言っているのであろう。そして、控えめにと思っていても、いつしか高慢な態度で接しているかも知れない。ならば、言葉少なくしておれば良いのかとなれば、尚更頭の回転が悪くなり、周りの人達に迷惑を掛ける事になる。

 「イヤだな!歳取るなんて・・」 「いやいや、そんな事もない! 歩けない。動けない人達からみれば、私は何と幸せなのか・・・」 この世に生かせてもらっているのだから、精一杯動き回らなくてはいけないのだと思う。それに見合うような社会貢献などおこがましいが、ちょっとでも何か良い事をと思うのだが、実際には何もしていないようなものだ。良い事が出来なければ、せめて悪い事をしないようにしなければ・・・・



1/28 ひょんな事から、2月のハレルヤ山行の幹事が回ってきた。日頃は、何気なく参加しているが、企画するに当たって、そのお世話の苦労が分かるというものである。 「さて、何処へ行こうか?」 となるが、下見に出掛けられない私だけに、やっぱり知っている山になってしまう。

 土倉山(1,384m)や戸田峰(1,227m)を、第一候補にあげてみようかと思っているが、大地山(1,067m)や大倉山(1,443m)も捨てがたい。どちらにしても、お天気次第だし、雪の状態(道路状況や駐車スペース)を見極めての判断になりそうである。

 「それって、あんたの好きな山ばかりではない?」 「そうですよ! 好きでない山なんて、企画も紹介も出来ないじゃない・・」 本当は、もっと羅列したいのだけど、一座しか行けないしね。「でもね。吹雪・大雨などの悪天になれば、やはり屋根のある小佐波御前山辺りになるでしょうね。」



1/27 昨日の金剛堂山は、車でデボ地点に、午後4時までに戻れた事もあって、保育所の迎えも自治会新年会への参加も余裕があった。仲間に感謝である。私の体調は、相変わらずであるが、「山ノ神」の方が不調を訴えて起きてこなかった。そのような事態になったため、一日忙しく動いた事もあり、何となく憂鬱さが薄らいだように感じたが、本当のところは分からない。

 下の孫が、本日3歳になった。私はこの機会に娘へ提案をしてみた。「無理にとは言わないが、月に一度、保育所の送りをして欲しい。」 本当は、毎週、やって欲しいのだが、自分の事で目一杯である娘の事を知っているからに、そう難題を吹っかけるわけにもいかない。

 「子供達の送迎は自分でする。」 と息巻いて、ちょっと離れているが、時間的に融通が利きそうな保育所を選んだようだが、やはり事は思い通りには運ばなかった。保育所に送り届けるどころか、自分自身が電車に乗れるかどうかの日々が続いている。

 でも、3月末で2年にもなるのだから、また、下の子も3歳になった事だし、少しは、こちらの事も考えて欲しいからである。早朝発が可能になれば、夕方保育所の迎えを考慮しても、かなりの自由が戻って来るから、行動範囲の拡大期待との思惑がある。出来れば、毎週そうなれば最高なのであるが、まずは、月一を願うのである。

 

1/26 くるくる変わる予報に翻弄されたが、結果的には、休日を確保してくれた仲間達と一緒出来て本当に良かった。私が集合場所の旧スノーバレースキー場に着く前から、「体調が悪いのは血圧のせいでは・・」 と心配してくれていたそうである。

 もしかしたら、そうなのかもしれないながら、山に入っての歩きは、平生通りであり、3時間で山頂に立たなくてはと思うのは、今回も午前9時半スタートだったからである。皆が本気を出せば、見劣りするのは、やはり「山ノ神」で、最終判断を4キロ地点にしたが、あの烈風には、身が縮む思いをしたため登頂を諦めなくてはならなくなった。

 高度を少し下げ、風を凌ぐためのシェルター造りに専念したが、雪質が前回のように固まらず、吹き込む強風を、シャットアウトするに至らず、身体を丸くしての食事となったが、そこは、10年も付き合っている仲間達であるだけに、心は暖かで、ついついというのか、またまた食べ過ぎてしまった。



/25 明日のお天気は、どうなるか分からないし、体調もどうなるか分からない。でも、出掛けるしかない。仲間に迷惑を掛けないように歩かなくては・・・・ 

 家に戻ってから、町内会の新年会もある。何もかも良いように考えたい。



1/24   不調! 頭の中が、何だか可笑しい! 肩とか首回りも可笑しい。だから、思考力が欠落。



1/23 「このところ、HPの更新が順調である。」 といっても、怠け癖が付いているから、あれもこれもというわけにはいかない。過去の抜けているところを、補わなくてはと思ったりするが、そんな以前の情報などいらないに決まっている。 でもである。自分にとっての想い出、そして、記録なのであるから、そう捨てたものではない。こんな事が、山に登れなくなるまで続くのであろう。



1/22 今度の休日(1/26)は晴れマークが付き、それならば、もうちょっと高い山に行けるのではないかと思っていた。遅いスタートとなるのを承知で、一緒してくれる仲間に感謝しながらの企画である。天候や雪質、そして、体調や道路状況など不確定要素が多い中、昨年の2/3のようにはなからいかもしれないが、「お任せ」に、わがままを通させてもらうつもりであった。

 ところがである。当たり前と言えば、それまでなのであるが、予報が変わり傘マークが入ってきた。まだ、日にちがあるだけに、オセロのようにくるっと変わってくれないかと願うのであるが、人生と同じように、思うようにならないのが常である。でも、期待せずにはおられない。



1/21 例年通りといえば、それまでであるが、「休日は山に・・」 を実行し、今月末の休日を、もう一回予定通り消化すれば9回になる。その山行内容を別にすれば、今年も良いスタートを切れ、この環境下で、また、この歳としては健闘していると自賛している。

 周囲には、呆れられているが、バカ・アホ・キチガイと言われるには、それ相当の歳月を掛けている事だし、勲章のようなものだと言い聞かせている。また、それが、よい響きとなり、私を応援してくれているよう気がする。

 他人様に自慢出来るようなものがないにしても、ささやかな目標は、自分への励みとして勇気付けてくれる。不満を希望に置き換えるのも一つの手である。そしてまた、鍛錬も怠れない。



1/20 北ちゃんから、「笹津山・大乗悟山」に誘われた時、思わず 「また、ヤブか?」 と言ってしまった。そして、もっと、高い山をも催促したように思う。でも、北ちゃんやeiko女史達にも会いたかったし、私の時間を考慮してくれる仲間に、何を贅沢な事を言っているのかと自戒していた。

 今度のルートは、楽今日館横の漕艇場から、直接笹津山に登るようなルートであったが、24年2月のルートは、笹津山にいたる、387.1mの三角点を意識したものであった。私には、その良さをまだ分からないでいるが、もしかしたら、私がよく口にするチャレンジ精神なのかもしれない。

 顔に煩く、ザックを通させんとする、あの樹木や木々に、腹立ちを覚えるが、考えようによっては、「大地でパズルをやっているようなものだ!」 という感覚になってくるから不思議である。もっとも、危険箇所では、そのヤブが、命綱の役目をする事も分かってくるから面白い。

 今回の特筆する事は、大乗悟山のてっぺんで、「北ちゃん」と、完璧に近いシェルターを造った事であった。背丈ほど掘り、壁面は垂直にし、雨風雪を完全にシャットアウトする事に成功したからである。もっとも、その入口に、何か手当をしなければならないのは、以前からのテーマでもあるが・・・・

 シェルターを造るに深く掘り進んだ時、何か可笑しなものを、シャベルの先に感じたのであるが、よくよく掘り進んでみると、大乗悟山の標識と、それに付随する瓶のような物のであった。と言う事は、やっぱり積雪は、確実に2m超えであったようである。

 タープを張ろうかどうかと迷ったが、晴れていたのは、ほんの一時で、タープを張った完璧のシェルターに、暖かさを感じ取ったのである。それも、それなりに、皆が直接・間接に労力を掛けたから尚更のように思う。

 暖かくなれば、心も弾み、あれやこれやと楽しい話になる。そして、窮屈に考えていた我々の制約ある山行に、理解を得られた事が大いに勇気付けられたのである。もしかしたら、形は変わっても、メンバーと一緒する機会が増えるような期待を持たせてくれるようである。



1/19 高岡は雨。笹津に近付くに連れ、路面に雪が現れ、雨も雪に変わっていた。楽今日館横の漕艇場駐車場に車を止めての出発である。3年前も、この場所から、笹津山・大乗悟山へ、北ちゃんとeiko女史とで出掛けたようであるが、今回は、少しルートが違うようであるし、それに、礼ちゃんと「山ノ神」が加わった感じである。

 ヤブ好きな「北ちゃん」は、私が望むような山ではなく、低山・里山の登った事のない山を、また、別ルートから登るのが信条のような人だけに、常に地図を眺めるのを怠らないようである。最近は、ヤブ嫌いな私でも、何かにつかまっておれば、それ程、危うい事もないと思えるようになってきた。

 その木々につかまりながら、いくつかのアップダウンを乗り越え、笹津山を越え、大乗悟山に、ちょうど正午頃に辿り着く事が出来た。私達が、時間で苦慮しているのを合わせての企画で有り、本当に頭が下がる思いである。

 一時雪が止んだ大乗悟山のてっぺんで、シェルター造りを育んだ。最近は、どうも思うようにならないと嘆いていたのであるが、今回は、シャベルを握るのは2人であったし、意思の疎通が上手くいった。背丈ほど堀、壁も垂直な程に合わせてもらった。後の風や降雪を、完全にシャットアウト出来る程のものである。

 その中で、温かいおじや、カレーうどん、ぜんざいを頂いた。中から出るのがイヤになるくらいの完璧に近いものだっただけに、去るのが惜しかった。何事も、手間暇掛ければ上手くいくである。今回は、持論通りを通し、樹木を一切利用しないものであった。

 私達の時間に合わせてもらえるのなら、仲間達と一緒出来る機会がもっと増えるのであるが、それは、なかなか言い出しにくいものである。でも、何となく述べてみると、その方が時間的に良いとの返事も有り、もしかしたら、2人だけの山行が少なく出来るかもしれない。そんな期待もあり、元気でさえあれば、まだまだと言えるのである。



1/18 そのお天気が、急速に回復し快晴となった。ハレルヤ山行1月例会に集った16名は、皆感嘆の声を上げた。雪質は、固まった上に新雪が積もった状態で、それ程のラッセルというものではなく、工程表より進捗率?が良かったようであった。

 しかし、予想通り8合目付近から上は、危険が伴うとの判断で、登頂を諦めたのである。このリーダー判断に、誰一人不服を述べる者もおらず、7合目に戻り、大きなテーブル・ベンチを造った。限られた場所で、しかも斜面となっていたため、少々時間を要したが、作業員?が多かっただけ、スムーズに行われたように思った。

 その7合目からの展望は素晴らしく、剱岳こそ見る事が出来なかったが、(山頂に登らなければ望めない。)大地・初雪山を始めとする私の大好きな山々が軒を連ねていた。朝日岳も眩しく輝き、「白金の頭」が、妙に格好良かった。黒部平野や富山湾が、いつもより鮮明に思えたのも、賑やかな雰囲気がそうさせたのかもしれない。

 山頂に立てなかった分、早い下山となったが、何事もなく楽しい山行となった。今回も、私としては、初めての方が3人もおられた。また何処かでお目に掛かりたいものである。また、食事中、3人のパーティーと遭遇したが、何と2年前、大地・初雪山でお目に掛かった滝本氏がおられ、何故か旧友に会った気持ちになった。



1/17 明日のハレルヤは、入善町の最高峰である負釣山。最近、出掛けていないが、確か7合目より先が、何だか細く、ハラハラさせる所のようだった記憶がある。何か、いろいろ持って行かなければならないような気がする。

 私より、小心者の「山ノ神」が、途中で「止~めた。」 と言っても困るし、納得してもらうような用具がいるかもしれない。今夕から降り出した雪が、明日のお昼頃には止んで、山頂からの遠望を期待しているのであるが、どうなる事やら・・・



1/16 夜明けは、まだまだという感じであるが、夕方の暗くなるのが、随分と遅くなって来た。それもそのはず、冬至から、もうすぐ、一ヶ月にならんとしているのだから当たり前である。 そんな中、自分が幹事をしながら、先日の大鷲山行きの集合時間に遅れてしまった。明後日のハレルヤ山行の集合場所も、同じ朝日町であるが、心しておかなければ、愛想をつかされるかもしれない。

 大阪の息子と埼玉の姉に蒲鉾を贈った。昨日、スーパーに出掛けた際、何となく何か贈ってやりたい衝動に駆られた。ほんの少しで有り、送料の事を思えば、もったいない気持ちもしないではないが、そんな事はどうでもよかった。

 最近、その送料の事であるが、ずっと、切手を収集していたが、残しても、あまり意味がないような気がして、使い始めているのである。今まで、使った金額をナシとすれば、逆に送料はナシ、もしくは、少額で済むのであるから、思い付いたら後悔しないように思うのが優先である。

 小学生の時からであるから、長い趣味であったが、シートで買っていた頃から、値がなくなり、1/2シート、4枚、2枚と少なくしたが、15年ほど前から、その買いを止めていた。現在、子達に残すより、使って有効利用を心掛けるに至っている。



1/15 しばらく雪模様でないせいもあり、空き地の片隅や道路脇を除いて、殆ど雪がなくなった。でも、昨晩、古城公園内の射水神社の左義長に出掛けた時、結構ある雪量に驚いた。ちょっぴり小高いが、やはり、手つかずの所にはあるんだとの認識をさせられたが、幼児達の格好の遊び場受け合いである。

 「今年の山の雪はどんなもんだね?」 とよく尋ねられるが、ちょっと降らないと、低い所では、すぐなくなるし、たくさん降れば、車の駐めるにも往生する。「まあまあだね!」 としか答えようがない。

 実際、五箇山辺りでは、物凄い雪量であるし、海沿いの山の取り付き地点では、「あれっ」 と言わなければならない状態もある。でも、ちょっと高度を上げれば、そのような心配はすぐに忘れてしまう。 どちらにしても、これからの降雪次第という事になるのだろう。



1/14 喜んだり、怒ったり、悩んだりの浮き沈みは誰にでもある。山に登っても解決する筈がない。でも、憂さ晴らしというのか、逃げ道になる。辛い時や苦しい時に、少しは癒やされるような気がする。それは、若くても年老いていても同じではないだろうか? いつか、その「逃避」から「挑戦(チャレンジ)」 となる事を望んで止まない。



1/13 このところ、知り合いのHPやブログの休止や廃止が相次いでいる。その理由は定かでないが、いろいろあるのであろう。私とて、何度も止めようと思った事があった。手間暇が掛かり、時間的なものから、もしかしたら、中傷される事もあるやもしれない。

 そんな中、激励などがあると、私のように、ついついその気になり、また続けてしまって、現在に至っているケースもある。15年は、やっぱり長いから、なかなかである。止めてしまえば、自分自身を否定しているようなものであるから、「自分史を公開している。」 と思えば、また違った与え方・受け取り方になるような気がする。

 「継続は力なり」 止める事は簡単。続ける事は、それなりに難しいし辛い。それこそ、山登りと同じような気がする。しかし、続けている事で得たこともある。山仲間をたくさん得た事もあるが、山に登らない人とも交流を持てている事もある。「この歳で・・」 にしては、健闘しているから、自賛しても良いのではないかと思っている。



1/12 歩き始めは海抜100mにも満たない所からで、その標高差は750mくらいの大鷲山は、低山ながら晴れれば、右に海を眺めながら、左には、眩しいくらいの山々が飛び込んでくる様は、否応なしに心を掻き立て、私の大好きな山に組み込まれる一座である。

 悪天が予想された、その大鷲山に9名の強者達が集まった。(イヤ、私達夫婦は除外しなければいけないが・・)行ってみれば意外と少ない積雪に驚いたが、少し高度を上げれば、そのような事は忘れてしまう程であった。叩き付けるような風雪に身を縮めるような時もあったが、「わ~っ、海が・・」 「焼山・黒菱山が・・」 などと、歓声を上げさせてくれる時もあった。

 一番のポイントである雪庇の張り出した所や、細尾根の所だけは陽が差し、皆がカメラを構えていた。強者達の勢揃いだっただけに、「ラッセルの順番が回ってこない。」 との不満があったかもしれないが、低山でありながら、真冬の厳しい寒さの体験で、ご破算になったような気がする。

 その証拠に、食事処を山頂に求めず、海が眺められるまで降りての設営には、苦渋をなめさせられたのである。高壁を築いた割りには、幅広になった為、2枚のタープでは覆いきれず、美味しい食材を頂きながらも、低温と寒風に耐え忍ばなければならず、修行の時間を過ごさなければならない羽目になった。

 もう、このようなメンバーで、一緒する事などないかもしれないが、年の差を超えて、一時を楽しく過ごさせて頂いた。これも、山を通じての喜びである。一定の時間を共有し、しかも、箸を突っ突き合い、運命共同体となるのであるから、イヤな人とは行けるはずがない。感謝である。

 

1/11 明日の好山病山行は、お天気が危ぶまれるが、大鷲山を決行する事になった。好山病山行と言っても、好山病以外のメンバーが多くなり、それも強者達ばかり。このような時、私はいつも叫ぶ。「パーティーを見ながら・・」 「弱い者に合わせて・・」 「行く行くは、リーダーとなって、いろいろな方達の面倒を見なければならないのだから、その練習」 などと。

 しかし、血気盛んな強者達には、あまり聞こえないようである。でも、明日は、大声を出して、「待て! 待ってくれ!」 を繰り返す事必死と思っている。「辞退しようか?」 と「山ノ神」が怯んでいる事もあるが、如何に強者達と言えども、山を愛する事に変わりがなく、調和よくしてくれるものと確信している。



1/10 この3連休も、大雪だと脅かされているが、今のところ、そのような感じには受け取れない。もっとも、北陸と言っても、そのお役所によって、その行政区が違うからなのかもしれない。昔は、雪降る境目は、石川・富山で、今は、富山・新潟のような気がする。

 学校に通っていた頃、北海道では、美味しいお米がとれないと教わっていたが、今は一級品がとれ、大人気だそうだ。これも、暖冬傾向の影響なのかもしれない。果実の北限や南限も変わりつつある。もちろん、技術がそうさせているのかも知れないが、そればかりではなさそうである。



1/9 1月は、どんな山に登っていたのだろうと調べてみたら、やっぱり断然牛岳(21)が多かった。次いで、千石城山(13)・小佐波御前山(9)・大辻山(8)・八乙女山(6)と続いた。1月に限ってであり、過去15年間を振り返っての記録である。よく出掛けているような感じであったが、それ程でもないのかと思った。

 それでも、その間40座くらいが対象になっているのであるから、そんなものかもしれない。大地山・大倉山・土倉山や白木峰・小白木峰にも出掛けている。金剛堂山や黒菱山もである。馴染みのない山では、肉蔵山や奥ノ山などもである。

 今度の休日に予定している「大鷲山」も、1月としては、3度目になると思うが、お天気次第である。お天気に恵まれる可能性は低いが、悪天と言われるようなものになって欲しくないと願って止まない。



1/8 成人の日(1/12)まで、ずっと雪マークである。山行計画を企画する者にとって、憂慮する点が幾つかある。積雪・降雪による除雪の心配(人家のない所は除雪が遅い。)や、駐車スペースの問題がある。また、この時期、夜明けが遅く、日の入りが早いだけに行動時間が短い難点もある。

 しかし、お天気さえ上方修正されれば、強力なラッセル付きの機関車を準備出来るため、不安が随分と軽減されるような気持ちでいる。それとは別に、機関車と言えども、勢いよく飛び跳ね回る馬車馬のような若手を、どのように調教?するかが問われそう。



1/7 私は、晩秋から初冬に掛けての小さくてプリプリしたナメコが好きである。でも、最近は、色の良い大きめのナメコは、もっと美味しいことが分かってきた。この時期、黒ずんで樹木に凍り付いているナメコが絶品という人達がいるが、私はなかなか手が伸びない。

 昨日の洞山でも、それよりも惚けたナメコがたくさんあったが、あまり採る気になれなかった。「山ノ神」は別である。その中から、良い物を取り分けていたし、ヒラタケには飛び付いていた。まるで猿の腰掛のような大物?に、ご執心。

 それはそれで、良いのであるが、担ぐのは私なのである。「俺は、食べないよ!」 などと言いながら、担がなければいけないのである。「あそこにも、こちらにも・・」 と、だんだん荷が重くなっていった。

 問題は、その後(帰ってから)である。山菜と同様、「近所の方々に配って来い。」 と指図されても、自分が食べない物を、よそ様に配って来られないと拒否すると、渋々、「山ノ神」自身が足を運んでいた。でも、そのような事は、いつも私に委ねているだけに、あっちもこっちも行けなかったようである。

 食べないと言っても、無理矢理のように、食卓に並べられるのであるから、仕方なく食べなければいけない。あの大きいのを、こんなに細かくしてしまったのかと、言ってはみたものの、あれを、そのまま焼かれては、箸が進むとも言えない。でも、口に入れてしまえば、それなりの味がするものである。



1/6 予報よりも早く降り出した雨。洞山登山口の庵谷へ行くまでの道路気温表示は、10℃から9℃、そして、8℃まで下がったが、まだ温かく歩き始めは完全な雨であった。しかも、風が轟音と共に吹くのであるから、「山ノ神」は、「本当に行くの?」 と何回も尋ねた。内心、「行かないはずがない。」 と思っているくせにである。

 洞山は、人気がないのか、それとも、雨や風で消えたしまったのかトレースが無い。それはそれで、気分が良いのであるが、雪が重たいのである。まるで鉛の靴を履いているようであった。一歩一歩、それでも、抜けて、嵌まってしまうのには、エネルギーを相当消耗してしまう。

 1番目の鉄塔でも、林道に出てでも、「山ノ神」の囁く、「もう止めよう。」 には耳を貸さなかった。「もう1時間経たなければ・・」 「お昼まで・・」 とか、「いたたまれなくなるまで」 とかを言い続けてしまった。それでも、不思議なもので、あれだけ重い足の「山ノ神」であっても、ナメコ・ヒラダケを見付けるや否や、急に足が速くなるのには、どうなっているのかと思ってしまった。

 それでもである。3時間を経過し、「山ノ神」が、例の如く、「あんただけ、行って来られ!」 となる。と言われても、放って行くわけにもいかない。ずぶ濡れだし、これが限界かと思った。すぐ、引き返す手もあったが、「何か食べたい。暖まりたい。」 の他に、ちょっとでも、山にいたいと思う心が働くのか、穴を掘ることにした。

 背丈ほどのものであっても、二人が凌げばいいのだから、それ程時間を要しない。でも、風が強いから、タープを張るのに手間取った。それでも、雪壁を同じような高さに揃えてから、タープを張り、その上から、雪で押さえるスタイルをとった。温かかった。カップ麺も、コーヒーも美味しかった。そうなると、山頂はどうでも良かった。



1/5 時間が思うようにならない私達の牛岳山行に、池田氏・周さん・中澤女史・河原氏の4人に集まって頂いた。重い雪、サラサラの雪、モナカのような雪など、時間によって、いろいろな状態を楽しむ事が出来た。健脚揃いだけに、休憩も無く淡々と進むのは、日頃の二人だけの歩きと違い新鮮な感覚であった。

 朝方まで降っていた雨について、「回復傾向である事は知っていたが、まさか、あんなに晴れるとは思わなかった。」 が、皆の感想であった。飛び回っても、会心の一枚を撮るに至っても、自由なパーティーだけに、和気藹々と止まったり、叫んだり、思い思いに楽しんでいたようである。

 山頂では、五箇山の山々と砺波の散居村が、チョッピリ霞んでいたが、何故か剱・立山連峰を含む北アの山々だけが、スッキリと望めたのである。私としては、149回目の牛岳(雪の牛岳は81回目)であって、楽しんでもらったのだろうか、また、印象はどうなんだろうかと、勝手に気を揉んでいる。

 もっとも、時間の無い時、天候の悪い時に、牛岳へ足を運ぶ事が多かっただけに、「それほど、牛岳が好きか?」 と問われると困るのであるが、でも、お世話になっているのは間違いないし、トレーニングの山としても出掛けたのである。そして、牛岳には、少年時代から、医王山と並んで多くの想い出がある。



1/4 年末からの風邪のせいなのか、このところ体調が可笑しい。山歩きしている時は、普段と変わらないような気でいるが、やっぱり、食べる量や酒量が少ないように思える。しかし、熱はないし、何処が痛いというものでもない。唯、咳き込むと酷い。そして、食する時、身体全体にジュワッとくる。それは何なのかは分からない。

 何もかも昔からのツケが回って来ているのだろう。遅かれ早かれ、皆が死ぬと思えば、そんなに怖くはない。とにかく、「明日・明後日の山行で、どのような状態なのか見極めたい。」 と言っても分かるわけがなく、気休めにしかならない。



1/3 「休日は山へ・・」 をモットーとしている私でも、今朝からの雪の状態では、やっぱり止めようかと思った。4時頃から起きて、残務?をこなし、お正月最後の休日に備えるつもりであったが、夜が明けてからも、あの激しい降雪に、程ほど参ってしまったのでした。

 「山ノ神」は、前日からの痼りも手伝って「行かない。」を決め込んでいたし、私自身も、「止むのを待って、二上山でも行くか?」 と思うようになっていた。でも、時々、お天気の情報を見たり、空を見上げたりしていたが、10時過ぎ頃に、「やっぱり、千石城山に行く。山頂に届かないと思うが行ける所まで・・・」 と、テレビ観戦の「山ノ神」に誘いを掛けたが、返事はNO。

 でも、「晴れるかもしれないよ。」 としつこく誘った。ダンマリが続くのに、いたたまれないからである。重い腰をようやく上げた「山ノ神」に、30分で準備せよ!」 と言っても、聞く耳はなかったようであるし、渋々感は歪めなかった。そして、結局、我が家を午前11時寺スタートになってしまった。

 東種を過ぎて骨原との分岐までは、きれいに除雪してあったが、その先は、ドアを開けられない程の積雪であった。かなり進んだ所で、帰りのこと、そして、歩きは大変、途中で止めたら、除雪の邪魔になるなどを考え、ハゲ山に行く事にした。

 昨日のトレースも新雪が覆い被さり、水上からのハゲ山へは、おおよそ10年ぶりだけに、ちょっぴり戸惑ったりもした。その証拠に稜線に出てから、400mのピーク(西山?)に行ってしまった。 登るにはラッセルが付いて回るが、元に戻るのは容易である。

 すぐに引き返して、再びハゲ山に向かう。城ヶ平山との分岐の標識を見て頷く。もっとも、先程には、無かったカンジキのトレースに、この辺を精通している土井夫妻や池田氏を想像していたが、昨日も登ったと言われたその土井夫妻が山頂から降りて来られた。山頂では一緒出来なかったが、新年の挨拶だけでも出来たので良かったのである。

 前日のように、スッキリした剱岳を拝む事は出来なかったが、それでも、午前中のモヤモヤを吹き飛ばすには充分な展望であった。 帰りは、間違って登った西山に再び訪れ、そこから西種を目指し公民館の横に出た。振り返ると、お正月の3日間は、上市通いとなったが、一度も標高500mを越える事が出来なかった。それでも、山と親しめたのであるから何の文句もない。



1/2 昨日の疲れなのであろうか、それとも、やはり箱根駅伝を見たいのが本当なのか分からないが、昨夜から「山ノ神」は、今日の「山には行かない。」 と言っていた。私は、いろいろ考えたが、行き先を「城ヶ平山」に決めて所用をこなしていた。

 携帯を身体から離していたことも有り、北ちゃんからの電話もメールにも気付いていなかった。かなり時間が経過してから気付き連絡をしてみると、何と岩城君と「城ヶ平山」に行くという。しかし、とても、その時間には間に合うわけもなく、後から追い着くと約束をした。

 当然、二人の脚力からして、山頂での出会いを想定するし、もしかしたら、ベンチ・テーブルも出来ていると思っていた。今日は、「山ノ神」ナシであるから、食材がない。それではと、上市に入ってから、24時間営業のスーパーで、食材と果物を買う事にした。

 彼らの考えに考えたトレースを追った。杉からの落雪の洗礼も受けながら・・・・。  意外な事に、山頂への半分辺りの所(無雪期なら、茗荷畑を過ぎたベンチのある所)で追い着く事が出来た。上部では、昨日の尖山と肩を並べるくらいの雪量であった。それでは、流石の二人でも思うようにいかなかたのかもしれない。

 もしかしたら、スノーシューを忘れて、カンジキだった北ちゃんが影響していたのかもしれないが、そこには、魚津から来られた加藤氏が加わっておられた。しかし、私が一緒した頃からは、岩城君がフル回転状態になり、ピッチが上がったように思えたが気のせいばかりではなかったと思う。「若いっていいね!」

 予報は、決して良くなかったが、山頂では、青空が覗き、剱岳の全景が拝めたのだから、これまたビックリである。加藤氏と、チョッピリ山談義となったが、午後から所用があると下山して行かれた。きっと、後ろ髪を引かれる思いがあったのではと、勝手に想像してしまったが、如何に?

 後に現れたのが、同じ魚津から来られた下司さんであった。意外とウマが合ったというのか、波長があったというのか、和やかな会話が成立していた。好展望での食事を終えた頃、ハゲ山には行かないと言っていた二人は、大岩の温泉方面へ降りるというのである。

 調子に乗った私達は、不安げな下司さんを誘ったのである。さほど深く山をやっているとは思えなかった彼女であったが、意外なほどに楽しんでいたのかもしれない。もしかしたら、林道歩きになってからの方が辛かったかもしれないが・・・ 大岩への主要道路へ出て、これまたビックリ、参拝の車が、数珠繋ぎだったのである。



1/1 「高岡の積雪は0㎝」 そのような状態で神通川を渡って雪量は一変した。それどころか、立山公園線を立山方面に走れば、尚更のように雪量が増え、路面はガタガタカ・テカテカになっていった。田んぼや側溝に5台もの車が突っ込んでいるのを見るに付け、対向車が来ると、お互い車を止めて待つような状態が続いた。

 今回は、思いきって、横江集落入口の駐車場を利用させてもらった。向かい側にも出来、これからは、こちらを利用させてもらえばとても便利になる。集落を歩いていると、自宅前から車を出そうとしている方達がいたが、どうにも動かないらしい。

 そんなのを見ると、黙っていられなく性分で、「押しましょうか?」 から始まって、除雪などが加わって、30分ほど余計な時間を費やしてしまったが、終わってみると気分が良かった。日頃から、あまりいい事もしていないので、そのような機会があれば、大いに出しゃばる事を心掛けている。相手様が感謝してくれれば、尚嬉しいというわけだ。

 登山口までの林道歩きに、トレースがあったが、新たな雪がたくさん積もっている。それを、スノーシューで行くわけだが、周囲の雪は膝上となる。1㍍は優にある。(林道の積雪) 雪のある尖山は登り甲斐がある。登山口まで車が入らないし、ルートを外して歩く事が出来るからでもある。

 途中、4パーティー10名と擦れ違った。降りっぱなしの山頂には、滞在しきれないからであろうが、我々が出会ったのは、夫婦連れの1パーティーのみであった。それでも、私達は、カップ麺とコーヒーを頂いた。

 50年近く続いている高校時代からの友人グループの新年会が、夕方5時からになった事もあり、悪天候でも尖山まで来らてたのであるが、今夕に帰阪してしまう息子には、ちょっと申し訳ないような気もしていた事もあり、少しでも早く帰宅したい思いはあった。

 そんな事で、家路を急いだわけではないが、何度か、あわやと車を揺さぶられた事があった。事なきを得たから良かったものだが、お正月から何もなく本当に良かった。山行に関しては、幸先良いスタートを切れたし、HPも続ける事にした。年末からの風邪(だと思うが)が、イマイチ良くならないまま、山に行って来てしまった。気を付けなければ・・・