3/31 最近、カメラの調子が良くない。雨が降っても雪が降っても撮っているし、そのような時に、セルフタイマーまで使うのだから可笑しくならないわけがない。何度も落としたりぶつけたりしているから尚更であろう。

 胸ポケットに入るくらいのデジカメに重宝しているが、汗でいつも濡れている状態であった。だから、2~3年でお釈迦になるのであろう。もっとも、この頃は、1万円前後のものしか購入していない。私には、そのようなものが一番使い勝手がいいのである。

 「ジャバラが完全に開かない。」「せっかくの画像に曇った可笑しな物が着く。」 など、この頃は、自宅に帰ってからの画像をみてガッカリする事が多い。物入りのこの頃であるが、安価な物で良いから、何とか手当をしなければ後々後悔するに違いない。



3/30 時間制限下の山行は、毎週出掛ける事もあり、行き先選びに難儀する。殆どが平日だけに、いつも高速を使うわけにはいかないから、県東部の山には、どうしても行き難くなる。そして、如何に同じ山へのカウントを意識していても、飽きて来るものである。

 そんな折、何もかもを満たしてくれる山として、金剛堂山を選んだ。「登山口まで意外と時間が掛からない。」 「標高がある。」 「雪量が多い。」 「その気になれば、山頂までの時間が、それほどでもない。」 などなど。

 しかし、本当のところは、二人とも咳き込んでいて、行くような状態ではなかったのかもしれないのですが、「山に行けば治るような気がする。 「行かなければ、次の山行に支障が出る。」 などを口実に、今回も行ってしまった。

 ピーカンで無風状態。人影がなく、山頂では素晴らしい展望が広がっている。などの事を思いながら、早く登らなければと、「山ノ神」を急かすのであるが、一向にペースが上がらない。それどころか、勝手に休んでしまうのだから困ってしまった。

 「また、途中で止めてしまうのか?」 「早く行かないと、休憩している時間がなくなる。」 と複雑な気持ちになる。4キロ地点で、「山ノ神」が先に進んだので、山頂に行けると思ったが、「山ノ神」の足取りが覚束なかった。私が先に行って、何かトラブルがあっても困るし、離れずくっつかずを保つしかなかった。

 それでも、4時間余で山頂に立てたのだから、この上ない喜びである。山頂には、スキー場から登り、その峰々を伝って来られた大阪のカップルが休んでおられた。挨拶を交わし、その自慢話を少々お聞きした後、我々が登って来た所へ滑り込んで行かれた。

 4時間を費やしては、休憩時間が少なくなってしまう。それでも、「山ノ神」は飲まずにおられない。それも2本であるからして、私の気分は良くない。その後の行動に支障がなければ良いのであるが、「もう、次から来なくてよい!」 と言いたくなるのだから・・・

 帰路は、午後5時15分を過ぎてからのスタートであるから、どんなに飛ばしても限界というものがある。居残り組の一番最後になってしまった孫達に申し訳ないと思うが、もう少し、何とかならないのかと、「山ノ神」に注文を付ける羽目になってしまった。



3/29 友人の母様が亡くなられたのでお通夜に行って来た。97歳。心筋梗塞、そして脳梗塞を患われ13年間も施設で過ごされたそうであった。私達の同級生の親様達は、若くても80歳代後半であるからして、残っておられる方は少なくなってしまった。

 親がいなくなってしまうと、遅かれ早かれ、次は自分の番であると思うと寂しくなる。それでも、上の兄弟がいると、兄・姉の次だと思うから、ちょっぴり余裕を感じる。しかし、メチャクチャ時間があるわけではないから、悔いが残らぬよう、やりたい事をやらなければである。



3/28 「週一の山行+1」 に近付けるため、今朝は、二上山を歩いた。街中歩きでも良いのであろうが、やっぱり坂を求めてしまう。先日、近くに住むT氏に教えてもらった雪割草を探しに行ってみた。

 朝5時に家を出て、7時頃まで戻るというものである。お花は、まだ眠っているようであったが、夜明けの山(北ア)を眺めるのは、神秘的でもあるし気分が良い。時間があればコーヒーでも沸かそうかと、一通りの物を準備していったが、そのように、事は上手く運ばなかった。



3/27 ネットを見ていたら、「雪の無い大地山に登っている人達が、結構いるものだ。」 と思った。好山病の仲間・eiko女史からも、無雪期に何度か登った事があると聞いていたが、私としては驚きであった。

 私は、37回の内、36回が1~3月の期間中であるし、昨年、初めて4月の第1週に登った程であった。大地に登るのは、初雪山がきれいに見える時と、勝手に決め込んでいたが、いろいろと登って見てから言った方がいいのかもしれない。



3/26 ひょんな事で購入していた映画のチケットが今月末が期限だったので、「風に立つライオン」 を観てきた。特別な思いで観た映画ではなかったが、大きなスクリーンや大音響に圧倒された。批評や感想は、これってないにしても、新たな物事へのきっかけとなった事は確か!

 歳を取ると共に、気を付けていないと、受け入れる間口が狭くなりがちになる。 ”めんどくさい” とか、”どうせ” などは、危険信号かもしれない。私も、好きな事以外は、「出たがらない。」 のであるから、そのような病に陥っているのかもしれない。



3/25 「休日は山に・・」 「何としてでも出掛けなくては・・」 と言い続けながら、これで良いのかと思わないわけがない。人の心とは、本当に弱いものである。援軍を求めたくなる事を思うと、比べようがないにしても、「孤高の人」 の強さが分かる。

 娘や孫達がやって来て2年になる。小さかった孫達も、4月から年長と年少組になる。娘も移動があると聞く。そんな中、「ずっと、山・やま・ヤマと言っていて良いのだろうか?」 と疑心暗鬼に陥る時がある。残り少ない私(達)の人生。そして、将来がある若い者達の人生との調和を、如何に保っていけるかという事になるのであろうが答えなど無い。

 「出来るだけ協力してやりたい。」 との思いが充分あるが、自分をどれだけ殺せるかという事になる。「テコの原理」 と言う事を聞いた。ちょっと離れた人の話は聞くが、身近(身内)の助言・忠告など聞く耳がないとの事。その通りかも知れない。

 ”子を見れば、我が来た道。親を見れば、やがて行く道。”  う~ん、”天井に向かって唾” したのと、そんなに変わらないことなのかもしれない。そして、「孫と暮らしている方が、元気で長生き出来るかも・・」 などの考えも聞く。欲があっても、知恵が無い自分だけに、まだまだ修行が足りないと、閻魔(えんま)様も追い返されるに違いない。

 何をやっても、どのようにしても、これで良いという事はないようだから、やっぱり、何もしないで悔やむより、行って後悔をした方が良いようだ。



3/24 今日も寒かった。山では平気でも、家に戻ったらからっきしダメな私。山での2倍は着込んでいるのに寒いのだから可笑しい。山では歩いているとはいえ、家中では暖房機があるのだから・・・

 実際、夏と冬の違いは、下着が半袖と長袖くらいで、寒くなれば、雨具を着るくらいである。最も、私の行けるくらいの所では、通用しても、北アの稜線に立てば、そのようなわけにはいかない。

 山での食事中に、「寒くはないのか?」 と尋ねられる事があるが、大概は我慢出来る範囲以内なのである。そして、めんどくさくて着ないのが、本当のところかもしれない。今宵も暖かい布団の中、マットは敷くとはいえ、山中のシュラフの中とは雲泥の差である。



3/23 雲の流れからして、あまり降らないだろうと、小白木峰行きを決めたが、行ってみれば一日中雪であった。高温続きで緩んだ雪が、急激な寒さで凍ってしまい、その上に雪が積もった感じで、急登箇所では、「山ノ神」が何度もたじろいでいた。

 その雪質では、ラッセルがないわけで、意外と高度を稼げるのである。強弱を交えながらも、ずっと降り続いているのであるから、高度が1,000mを超えてくると、10~15cmの積雪となった。寒さを別にすれば、結構気持ちよく歩ける。

 しかし、二人とも風邪気味、「山ノ神」の方が、ちょっとばかし酷いから。何度も止めようかと言ってみたが、「上まで行きたいんでしょう。」 と私の気持ちを見透かしているようで、「私も稜線まで行きたいから・・」 の言葉で、先に進んだ。

 一瞬であるが、陽が差したり、青空が覗き始めたが、期待を持たせるだけで、あっという間に、雲に覆われてしまった。吹き曝しの広い稜線に出たが、ホワイトアウト状態では、時間のない中、無理する事なく退却と決めた。山頂まで標高差で50~60m、時間にしても、20~30分程度であったろうが仕方がない。

 1,226mの標高点辺りまで降りて穴を掘った。一生懸命掘っているのであるが、待っている者にしてみれば、降雪と寒さ故に結構辛いものである。形や深さに拘る事なく、非常時の待機所であるから、15分ほどでタープを張った。

 カップ麺とコーヒーを飲むだけであるが(山ノ神は、寒いのにも関わらず、いつものようにビールを飲んでいたが・・)、ほっとする時間であった。穴から出る時、明るくなったようにも思えたが、やっぱり雪が降り続いていた。車に乗ってから、青空が広がったが、いつものパターンである。



3/22 お天気は下り坂。”雪だるまマーク” まであるが、どうなるかは、これも起きてからの判断になる。小白木峰・高峰山・千石城山・二上山と4つのメニューを揃えてある。夕方、ヒューッと吹く冷たい風に、怯みそうになったが、それではいけないと、思い直している。

 現在、まだ午後9時半過ぎであるが、☆張っている。日本海から寒気が強く降りて来なければ、やっぱり、少しでも高い所へ行きたいし、たくさん歩きたいのが本音である。明日も、孫達を保育所に送ってからの行動になるが準備だけはしておこう。



3/21 止まらない咳と喉の奥(喉ちんこ)が赤く腫れているので、近所の耳鼻咽喉科で診てもらった。子供の頃、扁桃腺が腫れて熱を出した時に、喉奥にヨーチンを着けられ、「ゲエ~」となりながら、症状が治まった事が頭にあり、それを望むように医院を訪れたのであるが、今や、治療方法が変わったのか、そのような荒療治は行われないようであった。「堅い物で傷付いたか、咳き込んで傷付いたのでしょう。」 との診断で、拍子抜けしながら、チョッピリ安心であった。でも、私は、風邪からの症状と思っているのだが・・・



3/20 今度の休日(3/23)は、曇り時々雪の予報である。こんなに暖かいのに、その日とその翌日だけが、雪予報である。昨年の今頃は、小白木峰へ出掛けている。時間制限下でも出掛けられる事を実証済みだから、行き先候補であるが、直近にならなければ判断は難しい。

 でも、何処かへ行かないわけが無い。衰えは足からである。週一(月2回は週二)の山歩きだけでは心持たない。もう一日、あまり好きではない町歩きでもしなければいけないのかもしれない。毎日のように続けている腕立て伏せと腹筋は目に見えないが、少しは功を奏しているのであろうか?



3/19 勝手に血圧降下剤を飲むのを止めて、やがて1年になる。「そんなのダメだよ!」 と言われているが、ここまで来たら、徹底的に抵抗しようと思い、それなりの文献(書物)を読みあさる事にした。もっとも、自分の考えに合うような物しか手にしないから、”正論” となるかどうかは分からない。


 年齢と共に足=下肢(ふともも、ふくらはぎ)の筋肉が衰え、筋量が減少し、下肢が弱くなってくる頃に、「物忘れ」「息切れ」「シミ・シワが増える」「新聞の字が読みにくい」「歯が抜ける」「便が細くなる」「頻尿になり、尿の勢いがなくなる」「手足や腰に痛みが出る」・・・・の老化の症状が表れてくる。それと平行するかのように「高血圧」「脳卒中」「心臓病」「糖尿病」「ガン」・・・も発症しやすくなる。

 「高血圧は老化病」だから、下肢の筋肉をしっかり鍛え、若い頃と同じような筋量を保つ事が、高血圧の予防、改善に肝要である。
今、手にしている本の序文である。降圧剤より「歩く」 減塩より「半断食」   高血圧の9割は「脚」で下がる。 ともある。興味深く読んでみたい。



3/18 このところ、町内の会合や有志の会などがあり結構忙しい。自分が企画するような事がないので、それほどでもないから、気忙しいだけである。まあ~、そうして、他人様との交流があるから刺激となり、こうして元気でおれるのかもしれない。

 何もかもが面倒になると、”危ない” ようである。他人様の世話など、あまり出来ないが、それなりに与えられた事などは、やはりこなさければいけないと思っている。遊ぶ事だって、真剣でなければいけない。「お天気が悪いから・・・」 「用事かあるから・・」 と言っていては、ついつい、そのようになっていってしまうような気がする。

 これが、他人様から誘われて、断っていると、終いには、お呼びが掛からなくなってしまうケースだってある。断る時は、チャンと理由を述べて納得してもらわなければなるまい。「ちょっと都合が悪いから・・」 は、あまり良くないような気がする。



3/17 風邪気味のところに花粉が相まって最悪な一日であった。思考が鈍り、何もかもが、イヤになってしまっていた。そんな折、黒部の能登夫妻の来訪があった。鉄人と称している能登氏は、亥年である私の一回り上の御仁。毛勝山・剱岳・駒ヶ岳・雨飾山など幾多の山頂で、何度となく、お目に掛かった事はあったが、始めからご一緒した事などは一度も無い。

 しかし、馬が合ったのか、文献・資料などを頂いたり、メールを頂いたりしていたから、遠い方だとは思っていなかった。また、ご夫妻共有名なランナーである事は、周知の通りである。そんなご夫妻が、訪ねて下さったのであるから、嬉しさを通り越して舞い上がってしまった。この先、何度お目に掛かる事が出来るか分からないが、何だか楽しさが増えたような気がする。



3/16 夜中は、ずっと強い風が吹いていた。私は、ちょっと風邪気味な事もあってか、寒くて全然眠られなかった。とうとう午前1時半頃、好待遇の「山ノ神」と入れ替わる羽目になってしまった。私は、銀マット一枚に薄手のシュラフ。「山ノ神」は、銀マットの上に、180cmのエアーマット、そして、厚手のシュラフであったから・・・

 起きてみると、ガスで真っ白。初雪山に行きたがっていた稲荷氏が、「止めよう。」と言い出したから、少々戸惑ったが、まずは、めしを食って(朝食)からとなる。しかし、食べ終えて、雪洞から出てみると、視界が良くなり、雪が堅くない。しかも、風が殆ど無いとくれば、留守番(待機)を決め込んでいた「山ノ神」も初雪山へ参加となった。

 午前8時頃のスタートとなる。1,221mピーク付近で、夜明け前から歩き始めたという元気者の「周さん」が追い着いて来る。ピーカンといかないまでも、時々青空が覗き、快適な歩きとなる。各々写真を撮りながら、またお喋りをしながら・・・

 そして、昨日、ハレルヤの仲間達と大地まで来ていた河原氏が、初雪山に取り付かれたかのように登って来るのを確認し、山頂付近から声援した。頑張る河原氏が山頂から戻って来るのを待って、大地に向けて一緒する事なる。

 キャンプサイトに戻ってから、撤収の合間に食事(昼食)となる。下山はルンルン気分となるが、やはり、「山ノ神」のイヤな所では、皆の手助けがあった。また、荷を担いでもらう事にもなった。何事もなく、今年も大地・初雪山のキャンプとなったが、来年も来られるような体力や気力を維持し、他の条件も揃えば、きっと、また行けるのであるが・・・



3/15 一週間前に6キロの食料?を山頂にデボしてきたのに、二人の荷は37キロ(23・5キロと13・5キロ) 同じ大地を目指すハレルヤの仲間と、とても一緒出来る筈がないと、少々早めのスタートとなった。

 お天気が良く、晴れ上がった事もあり、あまり沈む事がなく、順調に推移し、後に、相ノ又トンネル上からの稜線を歩いて来られたハレルヤの仲間と、621mピーク付近で合流する事が出来た。

 合わせて頂いた事もあり、そんなに遜色を感じない歩きをする事が出来たように思えたが、最後の最後になって、「山ノ神」が、手助けを乞うてしまったようである。それでも、展望が良く、気持ちの良い歩きが出来たに違いない。その証拠に、当初、朝日小川ダム~大地山頂までを、5~6時間を見込んでいたけれど、4時間40分程度で行けたのであるから・・・・

 もちろん、621mピーク付近から、びっしりトレースが着いているという条件が備わっていたからであるが、この日は、今まで見た事のないような大地の賑わいであったからでもある。その大勢の方々であったが、大地山頂の風の凄さに、足早に戻られる方が殆どであった。

 ハレルヤは、そのような事には怯まず、初雪山側の斜面を降り、横長のベンチ・テーブルを造るに至った。ステキな初雪山を眺めての食事だけに、何を食べても美味しかった。食事中に、私は、デボしてある食料(実は酒類と水)を探しに行った。目印の所を1・5四方背丈以上掘ったが見当たらなく、横穴に転じて、ようやく探し当てる事が出来たが、一心に掘っただけに疲労困憊してしまった。

 ハレルヤの仲間達が帰ってから、テントの設営になったが、雪が堅く雪壁を造るのに結構苦労してしまった。その後は、食事処を造らなければならず結構な労働となる。その間、稲荷氏は、立派な雪洞を掘られていた。居住性も良く、見習わなければと思う程であった。3人の食事(パーティー)は、話も弾み楽しいものとなった。



3/14 お天気予報が良いように変わって、ホッとしている。この先どう変わるか分からないが、2日間とも「晴れ時々曇り」 になり気分が良い。この調子だと、風邪らしき症状も良くなるような気がしてならない。

 出来れば、ハレルヤの仲間と時間の共有が出来れば良いと思っているのだが、余程頑張らないと少ない時間になってしまう。6キロ分の荷揚げが、奏功するかどうかは、一年歳取っているから、歩いてみなければ分からない。



3/13 少し気温の高いのが気に掛かるが、「曇りのち雨」 「曇り時々晴れ」になった。積もらないが、横殴りの雪になったり、時折強い雨が降ったりすると、やっぱり怯むのが正直なところ。濡れてしまうと何もかもつまらなくなる。出来るだけ、「雨やミゾレにならないでくれ!」 と願うしかない。

 此処に来て、ちょっと寒気がする。咳もちょっとある。風邪なのかも知れない。早く寝て治すしかない。また、これは山で治すしかないのである。



3/12 相変わらずお天気が悪い。そして、15日(日)16日(月)も良くない。そんな中、ハレルヤの仲間達の士気は高く、同じ大地山へ行くようである。以前から、3月の第3日・月は、大地・初雪山と決めていただけに、同じ領域に行く者として一緒したいが、荷の関係上、同じ歩調とはいかないし、昼食時にも間に合わないような気がする。例え間に合ったとしても、設営に時間が掛かるし、悪天の場合は尚更である。

 2日間とも、「曇り時々雨」の予報が、「曇りのち雨」 と 「曇り」 になった。100%とは言い切れないが、今のところ、決行の予定である。雨やミゾレ、そして、吹雪以外なら、当然の如く行くしかない。今は、山頂に辿り着けなかったらが問題になる。

 鍋平付近にデボすれば、山頂まで、また担がなければいけないと思い、山頂周辺まで荷揚げしてしまったから、手前で設営するとなった場合、取りに行かなければならなくなる。そのような時はお天気が良くない時になるから、これは参った。

 お天気だったら、もう少し、「一緒に・・」 の声が掛かる想定もしていただけに、当て外れになった感がある。それはそれ、行きたい者だけが行けばよいので、初雪山まで足を延ばせなくとも、山中にいるだけで良いのであるから・・・



3/11 北陸新幹線開業に合わせて、「北陸新幹線沿線百名山 栗田貞多男著」 が出版された。黒部の鉄人・能登善徳氏を通じて、共同著者の伊久間幸広氏から、県西部の山のコメント(地元から・・ 山ファンから・・)を依頼され、金剛堂山を、「山のグループ・ハレルヤ」、赤祖父山を、「好山病友の会」 のグループ名を使わせてもらい「山ノ神」と私名で、100字程度の記述を投稿していた。

 新書を手にして、写真がふんだんに載せてあり、きれいであるが、ガイドブックとしては、ちょっと物足りないかも知れない。でも、私にしてみれば、知らない山もあり、きっかけを作ってくれる楽しさもある。そして、長野の方々から見る 「富山の山」 にも興味がある。



3/10 積雪がないものの午前中から雪が降り出した。今度の休日(日・月)とも「曇り時々雨」の予報になった。楽しみにしている「大地・初雪山」のキャンプ予定であるだけに憂鬱である。昨年の一日目は、雨から雪になり、雷鳴が轟いたが、夜半から晴れだし、二日目はピーカンとなった。

 お天気は、予報通りにならないものの、大地でキャンプをした過去の事を思い出しても、お天気に恵まれた事は意外に少ない。お天気を見越して出掛ける日帰りは、それなりの成果が伴うにしても、「山の味は朝夕にある。」 の如く、それを上回る事はない。

 だから、辛い目をしてでも、その雰囲気を味わうために出掛けるのである。二日とも雨には、ちょっと参るが、ちょっとの可能性があれば、出掛けないわけにはいかない。高めの気温予想は、雪でなく雨あるから、本当に困るが、まだ時間がある。



3/9 「遅い!」 「速い!」 と言い合いしながら登ったが、結局は3時間半で大地山頂に届いた。今回の目的は、雨を気にしながら食材の荷揚げであったが、「もうちょっと担げば良かったか?」 と少々後悔。(6キロ全て水類)

 時間制限の中、どちらから登るかとなったが、「山ノ神」からみると、夢創塾からの最初の急登。そして、朝日小川ダムからは、621m付近の赤松の急斜面と、左折する感じの750m一つ手前の細い急斜面がイヤなところである。

 結局は、621mのピークを外してという事で、朝日小川ダムからとした。発電所までの林道は、ブルで除雪が行われていたが、ダムサイトの駐車場は、雪崩発生の危険からであろうか、かなりの部分が駐車禁止になっている。

 廃屋が残っているくろべ平へ直登し、621mのピークを外すため、杉林を横断するようにして、(大きな谷に達するまで) その稜線の先に出た。もう一つの難題も何とかクリアしたものの、降りは、スノーシューを外させ、私が確保する事になった。

 海側から、黒い雲が迫って来た事もあり、すぐ、止まる(歩くのを止める)「山ノ神」に、「また休む。」 と言ってしまったため、またまた、いつもの ”お互い単独行” になってしまった。そして、前回(2/3)と同じように、「山ノ神」は、1000m付近で止めてしまった。

 しかし、今回は、私が先行していたため、シャベルも炊事用具も、全部私のザックの中となれば、「山ノ神」に、ひもじい思いをさせた事になったが、それでも、ビールとつまみだけは彼女が担いでいたので、それなりに満たしていたようである。(もしかしたら、清酒を隠し持っていたかも・・)

 一人立つ大地山頂は、風もなく穏やかであった。青空がないから、初雪山は白い割りには、ぼんやりしていて、あまりステキな山容とは思えなかった。でも、好きなのである。時間が無くても、何とかしても山頂に立ちたいのであるから・・・

 1,167mから、「山ノ神」が待機している所までの標高差は160~70mであるが、滑り降りる感じで、5~6分程で着いたから、さっと、お湯を沸かし、カップ麺とコーヒーを頂けるだけの余裕があった。そして、僅かな時間であったが、陽が差したのには驚いた。山のお天気は分からない。ホッとしたのも束の間の事であったが・・・

 高岡午前8時発だったから、仕方なく高速を使った。(1,540円) 朝早く出る事が出来れば、このようなお金を使わずとも、同じような時間で行けるのにと思うのであるが仕方がない。帰りは失敗してしまった。雨になった事もあるが、大きな渋滞に巻き込まれ(下道)、予定の時間に戻れなかったのである。

 デボしたものは、全部が水物。ここ2~3日は雪模様であるし、四つ足の動物に食される事はないと思っている。2本足の方々も、どうか、せっかく苦労して上げたものだけに宜しくお願いします。



3/8 明日はお天気が良くない。「いつから雨に見舞われるか?」 のようだが、出来れば、一週間先の為に、少しだけ荷揚げをしておきたいと思っている。昨年も、そのような事を思っていたが、やっぱり一週間前は、お天気が良くなかった。

 その為、当日は、二人で40キロを担がなければならなくなってしまった。余計な物を担いでいる事は、重々承知しているのであるが、それがなくては、間が持てないというのか、楽しみが少なくなるというもの。ましてや、修行の域を欠落して暖かく眠りたいという願望があるからでもある。

 急登も重荷を担ぐのもイヤな「山ノ神」であるが、テントでは充分すぎるくらいを望むから厄介である。しかし、一年一年、衰える体力に、鞭打っていても、担げないものは担げないのである。時間制限下、そして、お天気が崩れる予報で、何処まで行けるかであるが、登り始め前からだけは降って欲しくないのである。



3/7 過日、FBで、緊急自動車が来たら、「自転車も止まろう。」 という記述を見た事がある。先日、車を運転していたら、後方からサイレンを鳴らしながら救急車がやって来たので、路肩に寄って車を止めた。

 ところが、前方に、横断歩道を堂々と渡っていく人を見た。青信号なのであろうが、救急車を無視しているようにも見受けられた。救急車は、当然速度を落とさなければならなくなった。それこそ、僅かな時間であり、それほど影響がないのかもしれないが、そのモラルが如何なものかと思ってしまった。

 自転車の右側通行や傘さし運転なども、違反だと知らないのであろうか結構多い。どうしたら周知徹底するのだろうか?分かっていても守らないだけなのだろうか?



3/6 世の中、そう捨てたもんじゃない。「捨てる神もあれば拾う神がある。」 と思う事しばしば・・・。真面目にやっておれば、誰かみている人がいる。という風に・・・。イヤな事とか、悪い事とかが、いっぱいあるけれど、ちょっとでも、良い事や嬉しい事があると、ホッとし、何もかもが帳消しになるような気がする。

 その私も、人のため世のためになる事などをと思っても、その手立てなどなく現在になっている。ならば、「悪い事をしない。」 「ダメな事をしない。」 に心掛けているが、それでは物足りない。優しい言葉を掛けよう。困っている人がいたら、ちょっとだけでも手助けしようと思ったりもする。でも、中途半端だったら、やらない方がいいのかな!

 困った車を押したり、雨で濡れている人に、傘を差し出したりするくらいか? ある日、道路を渡ろうとしていた目の日自由な人に、手を差し伸べたら、「余計な事をしてくれるな!」 と、半ば叱られたりした事もありとても難しい。「触らぬ神に祟りなし」 もあるからね!



3/5 「言わなければよかった。」 と言う事がたくさんある。ずっと昔から・・・、そして、最近も・・・である。夫婦・親子・友人・仕事関係など、いろいろあるが、いわゆる「余計な一言」 である。言って(喋って)スッキリかもしれないが、その代償は大きい。

 「しまった。」 と気付けば、まだ良い方かも知れないが、分からないままで、いつの間にか、可笑しな関係になる事は、とても不幸な事のように思う。「それまでの間柄」 だと割り切れる人は、強い人なのかもしれないが、後々寂しい思いをする。

 余計な事を言わない人、聞き上手な人、そして、すぐ謝れる人などは、きっと、誰にでも好かれる類なのであろうが、そんな人は多くはない。弱い心の持ち主ほど、その反動なのだろうか、傲慢さが出てしまう事がある。経った一回の事で、何もかもが、パーになるのだから、心して置かなければならない。

 「昔は・・」 「若い時は・・」 なども自慢の一つ。こんな事を言っても喜ばれる事は少ない。謙虚で相手様を褒めるに尽きる。そして、同じような事を言っても嫌われないのは、同窓会と趣味の会だけである。でも、我を出し過ぎたら、やっぱりダメであろう。「転ばぬ先の杖」 なのであるが、私などは、もう何回も転んでいる。



3/4 昨日の大倉山では、途中で、「大地にすれば良かった。」 と何度も「山ノ神」の口から飛び出した。まずは、ツルツルの路面の走行で、「運転しないでも胃が痛くなる。」 から始まった。そして、取り付き地点(登山口)では、「止めてもいい。」 とまでなった。

 案の定、登り始めは、シュリンゲやシャベルを使わなくてはならぬ羽目になった。それでさえ、こちらはハラハラの連続であった。何としてもの私である事を知っているだけに、「いつ止めてもいい。」 と言っても、「止めよう。」 とは言えなかったのも分からないではない。

 「始めから来なければいい。」 と言い返されるのがイヤだったのであろうが、ちょっとは、もう少し高い所へ、また、誰も行っていない所への気持ちはあったのであろう。しかし、雪はべったりであっても、急登の連続で、なかなか足が前に進まない。

 「ゆっくりでもいいから、足を前に出せ!」 と言えば、「足が前に出ない。」 と言う。それもその筈である。休日の山歩き以外、全く運動をしていないのであるから仕方がないのかもしれない。高い所で、一杯やりたい願望だけで、山に来ているようなものだから・・・

 終いには、「風が出て来た。」 「雲行きが怪しくなって来た。」 「雪が深くなって来た。」 などと、私の心を揺さぶる。「山とは、こんなものだ!」 と言うが、このやり取りが長く続くと可笑しくなり、険悪な状態に陥る。こんな事が、この先、ずっと続くのであろうが、行けない人達からみれば、まだ ”まし” なのかもしれない。

 

3/3 保育所への朝の送りを免除されては、日頃から出掛けたいと思っていた所へ行かなくては・・・大地山と大倉山が候補となったが、鍋倉山から剱岳を拝む事が出来なかった事もあり、まだ今年になって出掛けていない大倉山とした。

 放射冷却も有り、馬場島公園線は、雪が溶けて濡れている路面が凍り、まるで、ガラスの上を走らなくてはならない状態であった。慎重運転と少し出遅れた事もあり、剱橋橋詰スタートが、予定より一時間遅れの午前7時となってしまった。

 公園線から桑首林道に駆け上がってスノーシューを着け、何日か経ったトレースらしき後を伝ったが、そのトレースは、釣り人のものらしく、登山道に連なっていなかった。その登山道の取り付き地点を見上げて唖然としたが、まず「山ノ神」が怯んでしまった。

 「どうして登ろうか?」 となった。この場所さえクリアすれば、後はべったりと付いた雪上を歩く事が出来ると思っていたから、木にぶら下がり、雪を蹴散らせて駆け上がろうとしたが、ザックが絡まったり、足元が崩れたりしてなかなか思うようにいかなかった。

 そうなると、「山ノ神」は尚更のように登れない。手を差し伸べたり、ストックを差し出したりしたが難しかった。とうとう、シャベルを出して階段を造らなくてはいけなくなった。そして、シュリンゲを繋いで引っ張り上げなければいけなかった。標高30m上げるのに、一時間を要してしまったのだから、先行きの見通しが悪くなってしまうというもの。

 モナカ雪状態とは言え、後はべったり雪が着いており、体力勝負だったが、「山ノ神」にしてみれば、どこもかしこも雪壁に見えたに違いない。なだめすかして登るしかなかったのであるが、稜線に達したのは、スタートしてから4時間を経過していた。

 稜線に出てからは、風が伴い樹木の雪が飛び散らされて、とても寒く感じた。もう登頂を諦めていたが、休むにも「剱岳が見える所で・・」 を最低の条件とした。5時間経った正午には完全に諦めて穴を掘った。

 「山ノ神」は、盛んに私だけを山頂に勧めたが、あの時間になってからだし、気勢を、そがれてしまってからだけに、とても行く気になれなかった。「こんな事もあるさ!」 と潔く諦めて、剱岳を眺めて2時間ほど過ごした。今日は、山頂の分まで含めるとコーヒータイムは3度。

 たっぷり雪の着いている斜面を降りるのはスムーズだった。急斜面にたじろぐ「山ノ神」を誘導するのに手間取る事もあったが、意外な程に早く降りる事が出来た。今朝方難儀した所も、それなりに注意すれば、ほんの僅かな距離であった事に、「何で?」となった。こんなのでは、大きなザックを担いで、大地へ一緒出来るのだろうかと不安が付きまとう。



3/2 体調不良といいながら、西種のバス停付近に駐車し、高峰山と鍋冠山を目指した。相変わらずの午前9時半過ぎのスタートである。今回は、始めから林道に沿って歩くつもりであったが、歩いている内に、「山ノ神」が、不満顔になった。しかし、その「山ノ神」がブレーキで、とても2座など無理と思えた。

 リハビリの意味合いがあっただけに、無理する事なく、鍋冠山頂に留まって、長いコーヒータイムを楽しんだし、何が何でもは、自粛した感じとなった。「大人の山行」だと、自分よがりの面もあるが、長い間山と接するには、それも大事な事だと思い込ませている。

 「降らない。」だけを拠り所にしていただけに、一時的にも晴れ間が覗き、少しは展望が効けば、こんなラッキーな事はない。陽が差せば暖かく、陰れば寒くなるパターンは変わらないにしても、ずっと、降られっぱなしや、ずぶ濡れになる事を思えば、全て良しである。

 その晴れ間も、帰路(下山時)は、雪に見舞われたが、何故か戯れたくなるような降り方で、「山に雪が残る。」証明のような気がした。今のところ、今年は、山の雪が多いのである。明日も山を楽しみたい。

 

3/1 体調が悪い。どこもかもだ! 今は雨。こんなのに、明日は山に行けるのだろうか? 「山は雪。」なら、やっぱり出掛けなければなるまい。何処へ行くかは、明日起きてからになるだろう。孫達を保育所へ送り届けてからなのだから、考える時間はたっぷりある。