4/30 明日の御車山祭の宵山に娘の帰宅を待って、孫達と共に、街中(山町筋)を歩いた。結果的には、孫達のスタンプラリーと、お菓子をもらいに歩いた感じになったが、それでも、久し振りに我が高岡を見て、その良さも分かったような気がした。

 街中を歩けば、いろいろな友人・知人とも顔を合わせる。「やぁ~、やぁ~」 と挨拶するのもいいもので、苦痛など感じない。2時間も歩けば、山と違って、町歩き独特の疲れが出る。冷たい物が美味しい。



4/29 ずっと調子が悪いと述べているからであろうが、各方面から、「大丈夫か?」 と問われている。今日も、中学時代からの友人M君が、ちょっとばかり様子伺いに寄ってくれた。有り難いことである。

 見た目は何ともないと思われる。話す時や、寝しなにちょっと咳き込むぐらいであるから、問題はない。5日間であったが禁酒。一週間くらいの早めの就寝が奏功したかにも思えるのであるが、昨日から、飲み始めたからか、「う~ん」となってしまう。

 でも、体力は元通りになった気がする。ところがである。私のように節制しない「山ノ神」の咳は、一向に良くなっていない。どれだけ言っても、「馬の耳に念仏」 のようである。



4/28 昨日は、久し振りにお天気に恵まれ、これからは、あまり良くなかったお天気の分を、取り戻れるかと思いきや、来週の休日(5/4・5/5)が良くない予報となる。これじゃ、計画を練り直さなければならなくなる。 「弱った!」 こんな時だけ、予報通りになる事多いんだよね。



4/27 登山口手前で、ユンボウが行く手を遮っていたが、それでも、午前9時40分頃にスタート出来た。「3時間以内で着かないと、休んでいる時間がないよ!」 と言っておいたのが奏功したのか、何とか大展望の大倉山に届いた。それでも、1時間以上、澄み切った山並みを眺めていた事になる。

 「まさか、大倉山に行くとは思わなかった。」 という「山ノ神」であったが、その上に、山菜採りを行わなくてはいけないのであるから、その行程が忙しい。保育所の送迎から、「山ノ神」の荷を担ぎ、時間を気にしながらの運転など、本当に楽しんでいるのかと思わないわけでもないが、それが、ライフワークとなってしまっているのだから仕方がない。



4/26 このところ、お天気が続いている。今度こそ、私の休日もお天気のようである。行きたい山が山ほどある。しかし、わがままばかり言っておれまい。桑首林道奥まで、車が入れるらしいから、時間制限下でも、大倉山なら、射程内なのであるが、「山ノ神」と二人となると、そうともいかない。

 どうしても行かなければならないというわけでもないし、今回は、何処かの小さなピークで、我慢しても良いと思ったりしている。しかし、また、フキノトウ採りに興じなければならないのかと思うと、折角好天予報なのに、何だか寂しい気がする。来月(来週)の4・5日も、お天気になると約束されるのなら、少しは心が休まるのであるが・・・・



4/25 今日は、兵庫・尼崎列車事故から10年である。その事故があった当日、好山病諸氏と片貝第2発電所から歩き、僧ヶ岳から北駒ヶ岳へ行って来た日であるから忘れられない。午前5時にスタートし、午後8時に第2発電所に戻って、ラジオでは何やら騒いでいると知ったのであった。

 北駒ヶ岳で、小宴会があったとは言え、15時間の山行は、私(達)の記録である。だから、僧ヶ岳に登る度に、列車事故の事を、また、尼崎列車事故の報道がある度に、長い歩きの僧ヶ岳・北駒ヶ岳を思い出すのである。



4/24 余命○ヶ月と言われたと人に、「明日の事は分からないし、私だって、余命○年かもしれない。」 と言ってしまった。「何千年何万年の中では、何ヶ月も何年も同じようなものだ!」 まで付け加えてしまった。言葉が見付からなかったとはいえ、全く無責任で傷口を塩で撫でてしまった感じで、もっと、慰められる文言が、なかったかと反省している。

 でも、彼は、常に前向きだけに、「私は、もしかしたら・・・」 との願望を抱いている。そして、明日は我が身である。思い通りにいかないまでも、後悔する事が、少なくなるような生き方をしなくてはと思うのであるが・・・・



4/23 酒を毎日欠かさず飲んでいたが、とうとう、毒に負けるような身体になったのかと思い止めた。(いや、休んだ。) といっても、このような嗜好品は、くせのもので、飲まなければ飲まないでなんとでもなる。悪者(毒)に負けないような身体でなければ、ちっとも面白くない。

 血圧を下げる一つの方法に、半断食というのがあった。「食べ過ぎるな!」 という事だと受け取っているが、自分もあまり食べないで、山歩きしている時の方が、翌日の体調が良いように思う。クタクタになって、「腹減った。何か食べたい。」 と思う時は、達成感と共に、満足感が漂う。

 日頃は、全く反対の事をしているのだから、身体にいいわけがない。そして、当たり前であるが、確実に衰えを感じる。当欄、HP自体の継続も怪しくなってきた。マンネリの他に、根気がなくなってきたのかも知れない。いや存在感がなくなってきたからかもしれない。

 いっその事、止めようかとも考えている。その時期であるが、私の誕生日も、一つの案。「寂しくなるだろうな!」 他に、何か代わりの物を考えておかなくてはいけないかもしれない。 何もかもが調子よくなって、「そんな事、言っていたけ!」 となれば一番良いのだが・・・



4/22 車の調子が良くなったが、私自身の身体は、一向に良くならない。咳き込むようになって、もう一ヶ月になる。タンが絡むが熱はない。休日の山行も、下山時は、何だか気怠くなる。ちょっとした事で、手足の甲が攣ったりする。そして、良いのか悪いのか分からないが、3日前から血圧が急降下(正常値)である。

 今日から、酒類を飲まない。充分に睡眠を取る。(早く寝る) という私の処方箋である。早く直さないと、いろいろな臓器が可笑しくなるのではの心配がある。自己治癒力に期待である。



4/21 車が、修理から戻って来て凄く順調である。ナックル、ハブASSY交換左前が修理箇所らしいが、修理に出す2~3日前頃から、凄い音で異変に気付いていた。それよりも、1年程前から、スピードを上げるや否や轟音となり、かなり諦めて運転していたが、それも、今度の修理と関係があるのかないのか分からないが、随分と静かになった。

 もしかしたら、購入時のようになったかも知れないと思う程である。このままで推移すれば、車を買わなくても良いかもと思ったりするが、修理を依頼する時、車の底を覗かせてもらったが、主力の部分の錆が酷く、次の車検を通すのは難しいとの事。弱った!でも、今は気分が良い。



4/20 今日は、もっと遅いスタートであった。我が家を午前8時半、西種(骨原)のため池が10時であった。車中は雨。「こんな日にも・・」 と思いながらであったが、富山に入った頃には、小降りになり、山々が見えていた。上市町に入ると、剱岳がくっきりと見える。風が強いから、もしかしたら、お山のてっぺんに辿り着く頃まで持つかもしれないと思った。

 林道は壺足で歩いた。釜池への分岐辺りからカンジキを装着したが、やっぱり引っかかりがあり歩きやすい。高峰山への取り付き頃は、正午近くになったから、後々の事もあり、「山ノ神」に、鍋冠山への変更を提案したが、意地だったのか首を振られた。

 しかし、私のルート選択が悪かったのか斜面のトラバースでは、「山ノ神」が、またまた怯んだ。何でもない所でも、彼女にしてみれば怖いのかも知れないが、こちらは、「何で・・」 と思ってしまう。でも、その代償は大きかった。カンジキの刃で、雨具のズボンを引っかけてしまったからである。

 夏道に沿った稜線に出てからは、歩きやすかったが、今度は、烈風に何度も身を屈まされた。でも、予想通り展望は良く、何度も立ち止まってシャッターを切った。この頃は、お天気の悪い時や時間のない時しか、高峰山を訪れなくなったせいか、あまり剱岳や毛勝の山々を眺めた記憶がないように思ったが、今回は、それを全て払い除けてくれたような気がした。

 920mのピークで、例の如く、「山ノ神」は、私だけに山頂行きを促した。午後1時頃であった。写真を撮ったりしていたから、往復に50分ぐらいかかってしまったが、あの風の中で、一人でいるのも辛かったかもしれない。



4/19 昨年のコースタイムを考えれば、「雨に遭わない内に、山から降りられる。」 との皮算用であったが、まず藤橋ゲートの封鎖に参った。それも、20~30分の事だからと思い直してのスタートであったが、「山ノ神」のピッチが上がらない。

 例年より雪量が多いように思えたが、「山ノ神」にしてみれば、どの斜面も急に見えていたのであろう。とっくに、山頂で穴掘りを終えて食事をしているハズの時間帯には、七姫山との分岐であった。その頃から、ポツリと雨が落ちてきた。

 怯んでいるせいか、今回は、臼越山への尾根(斜面)が、偉い急に見えた。この時点で、七姫山は完全に諦め、唯、強い雨に遭わない事だけを願わざるを得なかった。幸い風が伴っていなかったから、イヤな感じだけはなかった。

 山頂まであと、距離にして300mという時点で、「先に行って穴を掘っておれ!」 などと、「山ノ神」から、きついお達しを告げられる。しかし、今回も山頂の雪質は意外に堅く、深く掘るのに時間を要してしまった。その間、雨足が強くなり、全身びしょ濡れになってしまった。それでも、屋根があるという事は、気持ちまで温かくなる。

 タープ上に水が溜まり、風でバタバタ揺らされると、「この場所に、そんなに長居していても良いのか?」 と思ってしまうものだ。いい加減に撤退しなければと、外に出てみれば、そんなに強い雨でもなかった。でも、また、いつどうなるか分からないので、足早に降りる事になる。

 しかし、「山ノ神」の降りは、「何年、山をやっているのか?」 と思う程遅い。スノーシューを履いておれば尚更。スノーシューを外しても、何をしているのかと思う程である。それでも、降りは早いものである。ずぶ濡れになって車に戻った。



4/18 片貝第2発電所からのスタートで、僧ヶ岳を考えていたが、雨マークが先に出てしまった事で、変更せざるを得なくなった。きれいな僧ヶ岳を見たかったが、やむを得まい。大倉山と共に僧ヶ岳は、GWの山行き候補の一つなる事になってしまった。

 かといって、この自由時間を放るわけにはいかないから、比較的短時間で勝負出来る臼越山に行こうと思う。「もし、雨が遠のいたら、七姫山も隣にある。」 などと欲張りな考えであるが、雨に遭わないように、お昼過ぎには下山したいような行程でいる。



4/17 明後日(4/19)は、ハレルヤ山行である。それを外してもらって、余計に歩く山行を企画している。余程でない限り、まるまる一日自由に使えるのは、月に1回であるから、わがままを聞いてもらった。

 ところがである。その後の予報が、「晴れ時々曇り」 または、「晴れのち曇り」 だったのに、、「曇りのち雨」 に変わった。夜が明ける前からのスタートを考えていただけに、ちょっと怯み加減である。もう一日様子を見よう。



4/16 60歳・70歳は、他人様の事だと思っていたのに、自分自身が、その域に入ってしまった。そして、寿命より、いつまで元気でおれるかという話ばかりになる。年々、衰えていくのは仕方がないにしても、今の状態と似通った生活をである。

 すなわち、「山にも行けて、車も運転出来、お酒も飲める。」 等々である。もちろん、いろいろな事に関わりたい気持ちもいっぱい。それには、健康でいるためにの鍛錬を欠かさず、他人様と付き合うためには、謙虚で気遣いが必要。

 そんな私でも、死について考えるようになっている。「死んだら終わりだ!」 と思っているくせに、身の回りの整理とか、死に方など、チョッピリ後の事も気に掛かる。以前、ちょっと気になって、コピーしていた記事があった。



  ◇ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔・トップ5」
 もし、今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか。それはどのようなものですか。

 人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware さん。
 彼女によると、死の間際に人間は、しっかり人生を振り返るのだそうです。

 また、患者たちが語る後悔には、同じものがとても多いということですが、
 特に死を間近に控えた人々が、口にした後悔の中で多かったもの、トップ5は以下のようになるそうです。



1、「自分自身に忠実に生きれば良かった」  「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」 という後悔。Ware さんによると、これが、もっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢が、たくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを、抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。

2、「あんなに一生懸命働かなくても良かった」  男性の多くが、この後悔をするとのこと。仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かった、と感じるのだそうです。

3、「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」  世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もない存在で終わってしまった、という無念が最後に訪れるようです。

4、「友人関係を続けていれば良かった」  人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。そして、連絡が途絶えてしまった、かつての友達に想いを馳せるのだとか。もっと友達との関係を、大切にしておくべきだった、という後悔を覚えるようです。

5、「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」 「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、と Ware さんは指摘します。旧習やパターンに絡めとられた人生を、「快適」と思ってしまったこと。変化を無意識に恐れ、「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。

 以上、どれも心に重く響きますね。 今の自分の人生を振り返ってみて、非常に考えさせられる内容だと思います。 死ぬ前に、後悔はしたくないですよね。 これを読んで、あなたは、今日からどう過ごしますか?



4/15 一週間ぶりにパジェロイオが戻って来た。不具合が一層されたように見えるが、「この先、一年もってくれよ!」 と、祈る気持ちである。この一週間、代車の三菱エアトレックに乗っていたら、「この車も、いいなあ。」 と思わずにはおれなかった。

もう販売されていないから、10年以上経った車なんであろうが、「ゆったりしている。」 「荷台が広い。」 「もしかしたら、寝る事が出来るかもしれない。」 などと、思ってしまった。もちろん、古いから、いつ故障するかも分からないし、燃費も悪いのかもしれないが、乗ってみると、すぐ愛着をもってしまう私である。

 今回の修理代は、予想したより安価であったが、この先、一割高くなっている自動車税や自動車保険などと物入りである。次求める車は、「自分だけの事を考えていいのだろうか?」 「娘や孫達の事も考えなければ行けないのでは?」 も課題となる。



4/14 とうとうシャベルが悲鳴を上げた。シャフトの脱着が出来なくなったのである。このところの堅い雪に、それでもと、頑なに力を込めていたので、本体が僅かながら変形したようである。何回も、同行者に引っ張ってもらった事があったが、今回は、そのように上手くいかなかった。

 「何年使ったのだろうか?」 もしかしたら、富山にコージツが無かった頃、金沢で買ったのかもしれない。よく覚えていないのであるから、随分歳月が経っている事になる。その間、長勢君に、中間のシャフトをもらったり、トッテの破損を、岩城君に直してもらったりしている。

 最長105cmだから、穴掘りには都合が良いし、横穴には、中間部分を外せば良いし、本当に使い勝手が良かった。仲間のシャベルより、堅い雪にも対応出来ると自負していたが、いよいよ寿命かと思ったら寂しくなった。

 どうしたものかと、取りあえず、ネット上で探してみたが、私が求めるものは見当たらない。思案の挙げ句、トンカチで脱着を試みてみたら、完全といかないまでも、何とかなる事が分かった。しかし、岩城君が直してくれたトッテ部分が、樹脂から鉄に変わっている。これにトンカチが、また加わるとなれば、より重くなるのである。

 少々重くなるのは、日頃の荷からして、あまり問題ないのであるが。やっぱり雪山キャンプの時は、少しでも軽くしたい気持ちがあり、迷うところである。そこで、軽いトンカチを探しに100円ショップに行ってみた。何とかなりそうである。こんな事が(重い重くないと言っておれるのは)そう長くもないだろうし、もうちょっと、鍛えればいいだけの事かもしれない。



4/13 雨を見越してであるが、私達の時間に合わせるのは、「何の問題もない。」 と言ってくれる周さんと一緒に赤祖父山へ行く事になった。残雪で登山口まで行けなかったのであるが、もちろん、歩き始めから雨である。

 福寿草の群生地に入ろうとした時、何か動物が動いたように見えたのが、イヤな事に、その福寿草を盗掘する男性であった。我々が声をかけて勝手が悪かったのか、こちらを向いて座り直して、愛想笑いをしたかのように見えたが、他の場所に袋に入った福寿草があったから、あの男性が採ったものであろう。

 通り過ぎてから、「注意をすれば良かった。」 「写真でも撮れば良かった。」 と思ったが、その考えが、その時、思い浮かばなかった事に、自分の情けなさを悔やむしかなかった。

 登山道の合流地点(分岐)で、私はスノーシューを着けた。林道に出てから、周さんが、スノーシュー、「山ノ神」が、カンジキを着けた。直接、夏道に沿わず、林道を高清水山方面へ、少しばかり歩いてから、杉の急斜面に取り付く。夏道と合流すれば、大寺山が大きい。また、牛岳が違った感じで見る事が出来る。

 杉林から、ブナ林に変わる所からが、赤祖父山のいいところである。残雪期ばかりでなく、晩秋の小春日和に、落ち葉を踏み歩くのも実に気持ちがよい所でもある。雨降る中、扇山でシェルターを造る事にしたが、雪が堅くて、なかなか作業が捗らなかった。

 周さん持参のスノーソーの出番まであったが、タープを張るまでに、かなりの時間を要してしまった。その間、ずぶ濡れになってしまっても、屋根があって、火を焚けば、心まで温かくなるなるもんだ! 

 シェルター造りと、その中で過ごした時間が、どちらが長かったかと問われれば、答えようがないのであるが、10~15分で、造り終える算段であったから、待つものにしてみれば、長い時間であっただろう。



4/12 明日は、「臼越山」を予定していたが、あまりお天気が良くないようだ。でも、少しの望みをもって、明朝起きてからの決断になる。昨年は、雪質も良く、剱岳まで望めたのであるが、今年は、雨が降るか降らないかとなってしまった。

 臼越山なら、保育所の送迎をこなしても、何とか行ける山であるが、朝だけでも、その制約から解放されないものかと、 諦めの悪い私は悩んでいるのである。もう一回、もう2回と、その欲には限りがない事も確かであるが・・・



4/11 僧ヶ岳に暫くご無沙汰。4年半も行っていない。この時期になると5年にもなる。想い出の画像を見ていると、無性に行きたくなって来る。しかし、この時期になると、片貝第2発電所辺りから歩かなければならない。その年によっては、物凄いデブリもある。

 GWを過ぎれば、登山口まで車が入るだろうし、随分と楽になるのだが、美しい僧ヶ岳とは言えなくなる。辛い思いをしたものだけが得る喜びなのであるが、今の私には、なかなかそのような機会がない。月に一度の機会に、お天気が味方してくれれば、様子が違ってくる。



4/10 「3月から5月にかけての残雪期が一番楽しい時期だ。」 と言っていた事がある。気温が上がり、陽も長くなる。従って、行動時間が長くなる。また、雪が締まり歩きやすくもなる。だから、ずっと奥(遠く)まで行けるからである。これから尾根筋に雪が無くなり谷筋になるが、それがまた楽しい!でも、違ったリスクが付いて回る。

 しかし、自分の置かれた立場からして、その味わいから遠ざかっている。そして、いつの間にか歳を重ねてしまう。ずっと、行っているから、行ける(歩ける)のであって、間隔が空いてしまうと、体力と共に、気力までもなくなってしまいそう。「転けたらお終いだ!」 が、ブレーキをかけるのであろう。



4/9 早起きして、近くの古城公園に出掛けた。桜が気になっていたのと、週一の山行+もう1日(1回)の運動を課せていたからである。月2回の連休があるからして、後は、連休の無い週に、1日(1回)何かをすれば、ノルマが達成出来るのである。

 それでいて、毎日5~10分程であるが、腕立て伏せや腹筋に関する運動をしているのだから、普通人としては、まずまずの運動量ではないかと思っている。毎日のように街中を歩くような事は出来ないが、いざ、出てみると、結構気分が良いものである。

 今日の私は、カメラを手にして、それこそブラブラ歩きになってしまったが、もうちょっと、しっかり歩いておれば、快い気持ちになるのは必然であろう。道中、20年ほど前まで、一緒にバトミントンをしていた婦人に声を掛けられた。ビックリした私は、久し見ぬ顔に、「元気だね!」と返したら、「相変わらず、山ばかり登っているのでしょう。」 と言われて照れてしまった。

 あちら様は、20年ほど前と殆ど変わらない美形。こちらは、風前の灯の髪の毛に真っ黒な顔。僅か数十秒であったが、懐かしく元気をもらった時間であった。今度お目に掛かる時は、「いつまでも若いね!」 と言わせてやろうと思ったが、そのためにも鍛錬を重ねなければいけないのだが、なかなか身体は動かない。



4/8 15年目に入った愛車(パジェロ・イオ)は、相変わらず轟音とエンジン警告灯が点くという、トラブルめいた症状に、いつも腹を痛くしている。しかし、エンジン警告灯は、5~10分以上走れば消えるようになり、そんなものかと、少々安堵していた。

 ところがである。2日間の山帰りに、いや、往復共だったかもしれないが、ガタガタという音が、だんだん大きくなり、終いにはABSのマークまで点灯しだした。ディーラーに電話すれば、「すぐにでも、来なさい。」 という次第である。

 来年3月の車検までとは言わないまでも、今年中は、何とか持ってくれないか、拝むような気持ちだけに、どんな診断を受けるか心配である。あれは、タイヤのナットが緩んでいるような音だったが、車から降りて点検したが何ともなかった。

 次の車を考えなければいけない時期に来ているのは間違いないが、好山病の他に、金欠病も患っているだけに、そうそう簡単に事が運ばない。「車で寝る事が出来ればよい。」 「荷物が多く入れば良い。」 などと欲深いだけに、新車には手が届かないだろう。

 4WD・車高などの条件を付ければ、尚更難しい事になる。中古の小さい車になる可能性が高い。古くても小さくても良いから、2台になれば、大概の事は我慢できるのだが・・・・



4/7 「いい加減に上がるだろう。」 と思っていた雨。大きく降らなかったが、ずっと、降っていた。今日は、担ぐ事を思うと、カンジキの方が楽ではないかと、スノーシューを止めた。林道終点近くから、そのカンジキを装着した。カンジキも、そうであるが、傘を差しながらの雪山も久し振りである。

 そんなにも風は無かったが、前日と比べて気温が低かったから、ちょっと止まると寒く感じられた。避難小屋(小佐波)での食事時間でも、濡れた雨具を脱いでダウンを着込んだが、やっぱり寒かった。風邪気があるから、尚更なのであろうが・・・



4/6 結局、「行っちゃった!」 お互い咳をしながら・・・ 
 分かっていたとは言え、我が家から登山口の剱親公園まで、ずっと雨。歩き始めても霧雨という状態であった。今日は、「山に親しむ」 が、テーマ?だけに、長くて遠い林道歩きを選択した。「フキノトウでも・・」 との淡い思いがあったが、林道は、かなりの雪量に覆われていて、そのような雰囲気ではなかった。

 第2登山口には、雪が着いていなかったので、山頂側に歩いてから、斜面に取り付いた。稜線に出てからは、雪を拾いながら歩いたが、途切れ途切れになってきたので、スノーシューを外して担いだ。

 山頂では、流石の「山ノ神」でも、ビールの持参がなかった。カップ麺1ヶを分け、コーヒーを飲んで下山した。早く戻って、家の用事をと思っていたが、車に乗ってから、「山ノ神」に、フキノトウ採りをせがまれ、結局、家に帰っても、風呂掃除まで出来なかった。



4/5 やっぱり士気が上がらない。娘からも、「行かなければ・・」 などとの助言?がある。その通りだと思う。後は、自分の心との戦いである。



4/4 明日からの3日間の予報が思わしくない。そして、二人とも、まともの身体ではない。そうなると、元日から続いている「休日・皆勤」 の危機である。しかし、今の私の状態では行けい事はないし、休んだらズルズルいってしまうような気がするから、どうしても行きたいのである。

 それが、近間の低山であろうが、何処でも構わない。「特別な山に登るわけでないから、無理する事などないではないか?」 などと、聞こえて来そうだが、ライフスタイルを守るためにも行きたいのである。もしかしたら、気分が良くなるのではとの思いがないわけでもない。



4/3今日も虚脱感が強く、あまり何でもやりたくない。昨夜は、たくさん着込んで早めに休んだからか、自分では、最悪期を脱したような気がしている。でも、こんなに暑いの寒気を感じているのだから、そうとも言えないのかもしれない。

 まだ先の事であるが、花見のお誘いをもらった。そのような状態であるから、返事を出す気力を失っていた。相手方から、私の状態を察知したのか、キャンセルのメールを頂いた。返事くらい出せば良いのに、次から誘ってもらえないかもしれない。



4/2 今日は、体調が思わしくない。早めに床に着く事にする。



4/1 今日は、エイプリルフール。何か面白いネタがないかと模索していたが、体調が宜しくないせいか、そのようなウイットに飛ぶような物を思い付く事が出来なかった。金剛堂山から帰って、急に右耳に痛みを感じた。一晩寝れば治ると簡単に思っていたが、その後の聴力が落ちたように思える。

 依然、咳も止まらない。夕方になってから寒気がする。風邪なのかもしれないが、随分と可笑しな身体になってしまったものだ。でも、山行と酒は止められない。そのような時は、もうお終いの時なのだろう。でも、まだ負けたくない。そして、不自由な身(環境)で有りながら、次行く山を模索する。