8/31 折角、自由に使える一日であっても、雨が滴り落ちていては士気が上がらなかった。朝早くから、お茶を飲んだり、雑用をこなしていても、私と同じ考えなのか、「山ノ神」は起きてこない。そして、何処の山へ行くとも決まっていなかった。

 ようやく、「医王山に行くか?」 と腰を上げたのが午前10時過ぎだった。いつの間にか、雨も、時々ポツリポツリに変わっていた。始めから、夕霧峠から奥医王山しか歩かない予定であったから、給油しても、野菜の直売所に立ち寄っても何時もより余裕があった。

 ところがである。久し振りのイオックスアローザスキー場に来てから、どのように林道を辿れば良いのか分からなかった。山に行く標識も見当たらなかった。それではと、道なりに進めど進めど、山から離れていくような林道に、「もう少し行ってみようか?」 と3回ばかり延ばしていると、それは、刀利ダム方面へ行くものであった。

 思い直して戻る途中に、夕霧峠方面への林道を見付けたが、落石の為通行止めとしてバリケードがあった。仕方なく、殿様林道?なる中腹と思える林道を通り法林寺方面に向かった。アップダウンが伴うのは仕方がないにしても、本当に自分達が思うような所に出るのかと不安であったが、医王山トンネルを抜けた所にある温泉施設から上がってくる林道と交差する峠に辿り着いた。

 そこへ来てしまえば、道が狭いながらも、国見ヒュッテに向かうだけである。ヒュッテ前の駐車場には数台の車があり、自分の事を棚に上げながら、「こんな日にも来る人がいるんだ!」 と思って通り過ぎようとしたが、もしかしたらと思って車を止めた。

 やっぱり石川の盛田女史であった。彼女も何となく気付いてくれたのか? それとも、何処かで見た車とでも思ってくれたのか分からないが、2/16高落場山頂でお目にかかって以来である。

 何年前か忘れてしまったが、袴腰山頂でお目に掛かったのが最初で、それ以来、白山の途中を除けば、全て山頂での出会いである。何処からともなく現れ、そっといなくなってしまう不思議な人である。だから特別印象に残る人なのかもしれない。

 喋り始めれば切りが無い。1時間半程話したのだろうか? 雨がちょっと大きくなったのを境にして、お別れして夕霧峠に向かった。歩き始める準備をしようと、着替えなどが入っている袋を探したが見当たらない。そこには免許証を始め大事な物が入っているのであるが、出掛けに忘れていたらしい。

 過去には、軍手を靴下代わりにした事があったが、今回は、「山ノ神」の予備を借りる事となった。かっての医王山のメーンは、三蛇ノ滝と鳶岩であって、奥医王山へは、祖谷や広瀬館から歩くとなると、かなりの時間を要し、白π頂上へも余程で無い限り行かなかったように思っている。(富山県側から)

 そんな中、高1の秋(昭和38年) その山頂から、湯涌方面に抜け金沢へ歩こうとしたのだから、若い時は、底知れぬエネルギーがあったと思わざるを得ない。今は、夕霧峠から、300名山としている奥医王山へは、30分掛からずして登る事が出来る。本当に時代は変わったのである。

 山頂で、今は仕事の関係で金沢に来ているという神奈川の来栖さんにお会いした。山が好きで好きでならないという女子である。聞けば、父様が私より一つ年上とか? 此処でもやっぱり歳を感じてしまった。でも、山だけの事に関すれば、まだまだ聞いてくれるようであった。

 「山ノ神」が、次から次へと食べ物のサービスをするから、彼女も離れられなかったのかもしれないが、短い山歩きにしてみれば、山に登った感じになった。夕霧峠に戻り、当初予定していた富山の山用品やに行く事を止めた。私が、免許証や財布を忘れて来たからである。



8/30 eiko女史から、「達熟女4名、土砂降りの中、涸沢に着いた。」 とのメールが届いた。明日の穂高へは、天候を考慮しての事。やっぱり、好きな人達は行くんだね!



8/28 昨夕、娘が3日間の出張から帰ってきた。その間、孫達と一緒に寝たのであるが、顔を蹴られたり、布団から飛び出して行くのを戻したりで、まともに寝られる状態ではなかった。でも、短期間なら、それもまた楽しなのであるが、毎日だったら叶わないと思った。

 その娘と孫が、夫・父のところへ行く為に上京する。5日間であるが、ちょっと静かになる。休日山行も時間的自由になるのであるが、予報は悪い。全然ダメである。この段階で臨時休業はなくなった。



8/27 前日の歌詞の前後に音符を載せようと「文字コード」を、「ANSI」→「Unicode」に変更。その音譜は乗っかったから、少々の文体の変更はやむを得ないと思っていた。しかし、文字化けの一種なのかも知れないが、文中の「不得意」が「上得意」になっているから慌ててしまった。 (原文と違って表示なのだから・・)

 携帯から絵文字を送られて、そのもの自体が消滅(実際は=になっている事が多い。)事が多いし、どうかすると、全部が文字化けして意味が分からない事がある。「あれはどうして? テキスト形式でないから?」 世の中は、分からない事だらけである。



8/26 ? 一つ また一つ 雲は山を離れ 夕暮の空に 空に浮かぶ
     雨の後(あと) 山は新緑の襟を正し 膝を交えて並んでいる
     峡(かい)の奥 杉の林に 発電所の燈(ひ)がともる
     そうして後ろを顧(かえり)みれば 雲の切れ目に鹿島槍
     一つまた一つ 雲は山を離れ 夕暮れの空に 空に浮かぶ ♪

 先日の私の誕生日に、「はるちゃん」から送られてきたバースデーカードの一節である。三好達治が作詞した「雨後」という曲で、合唱団に属している彼は、今、この曲の練習に励んでいるようです。

 私は、歌が不得意ですが、それでも好きな曲は口ずさんでしまいます。特に山の歌となると、上手くならないものかと、何度もハモったりするのですが、なかなかです。でも、山の名が出て来たり、情景を思い浮かばせる物には、心を躍らせてくれますし、和ませてもくれます。



8/25 世の中、何だか不安定。可笑しいな国会。乱高下を続ける株価。今度は円高か?誰でもいいとの殺傷。「毒にも薬にもならない山歩きは、まだマシか?」 今のところ、原油安に伴う石油製品安が一番の恩恵!



8/24 北ちゃんとねぎちゃんに合わせてもらって「城ヶ平山」に行って来た。ちょっぴり、ミョウガを頂ければとの思いもあったからである。そのミョウガであるが、花を頼りに採る私達と違って、北ちゃんの這って採るやり方に、感心しながらプロを感じてしまった。

 1時間程で到達する山頂には、平日であって、もかなりの登山者があった。その方々は、いずれもハゲ山へ行く途中から浅生に抜けるようであった。我々は、山頂で、ゆっくりと語り合った。久し振りであっただけに、あれもこれもと思っていても、実際には、思うように語る事は出来ないのであるが、何だか会っただけで、スッキリしたような不思議な感じである。

 その後は、北ちゃんの思いのままの道を歩いた。それは新鮮で楽しいものであった。今冬、山頂から温泉(お風呂)のところへ抜けたものと、また違ったものである。それでも、もうちょっと歩きたかった私達(私と山ノ神)は、千石城山に登った。



8/23 未だ虫刺されの足の腫れが治らない。痛くはないのだが何だか気持ちが悪い。多分歩くには支障がないと思うのであるが、明日は、里山程度に留めておこうと思っている。来週は、娘達が(孫共々)上京するらしいので、しがらみがなくなるから、丸々一日使えるかもしれない。

 そうなると欲が出てしまう。好天予想なら、次の日を臨時休業して連休としてもよいと思ってしまう。まだ先の事であるが、ハラハラしながら、予報を見入る事になりそう。



8/22 10日前の長男に次いで二男がやって来た。こちらも突然思い立ったようだが、男というのは、こんなものなのかもしれない。くたびれていないか見に来たに違いないが、意地でもそんなところは見せられない。でも、自覚なしに、同じ事を繰り返し喋っているのだろうから、やっぱりダメかもしれない。

 明朝、早々と帰って行くに違いないが、「まあ~、久し振りに、元気な顔を見られて良かった。」 と思うしかない。今夏は、二組の ”親戚の人” がやって来た事になるが、こんな事は珍しい。



8/21 誕生日が過ぎて、一つ歳を重ねたからでもあるまいが、眠くて眠くてならない。だるいと言うよりも眠いのである。3日間の盆休を利用しての山行と言っても、前後の夜中の運転が付いている。しかもキャンプだし、帰りの東北道は、雨の中の運転であった。

 もし、この事が影響しているのだったら、イヤだが、やっぱり歳という事になる。そして、どんな虫なのか分からないが、足元をかなりやられた。その腫れは、血管やくるぶしの存在が分からないような状態であった。こんな事は初めてである。今日は、ようやく腫れの中の血管が少し見えるようになってきた。これも、体力がなくなった証拠なのだろうか?



8/20 とうとう68歳になってしまった。イヤイヤでも仕方がない。なのに、ヤジ・励ましのメールやfacebookのコメント、ハガキ、電話など想像以上の数を頂いた。もうちょっと、「頑張ってみるか!」 との思いにもなる。



8/19 何だかいつもより、テーブルが賑やかである。私の誕生日は明日なのに、どうした事かと尋ねると、明日は、娘の帰りが遅くなるというので、今日に変更になったらしい。私は、元来「イベントとしなくていい。」 と言っているが、まあ~、悪い気はしない。

 チキンカツ一枚、ビールがもう1本あれば、それでいいのであるが、準備する者としては、そうはいかないようである。ショートケーキも出て来たが、孫達が、「じいちゃんの顔」 だと言って見せてくれた絵が、一番のプレゼントだったかもしれない。



8/18 今朝の午前3時に戻った。走った距離は1,520キロ。帰りは雨だった。そして、眠たかった。そのせいなんだろうか、磐梯山SAと猪苗代磐梯高原ICを間違えて、割引に支障が出てしまった。

 ゆっくり、余裕をもって行動しなければいけないのに、3日で3座、そして、2泊はキャンプなのだから、年寄りにはきつすぎるのであろう。もうこんな事は止めようと言いながら続けている自分が可笑しい。





8/13 盆休は、「ゆっくりと、北ア北部で・・」 との思いがあったのだが、東北遠征になりそうな気配である。「北アで、ゆっくりとは・・」 計画する前の話であって、実際には、「一日中歩かされるのはゴメンだ!」 との「山ノ神」の考えがあったのかもしれない。

 そして、なるべく温和な山行を望むとの要望には些か参っている。次の山への移動がなかなかであるし、あれもこれもの欲を押さえきれないからでもある。夜の運転はイヤ、雨が降っていれば尚更であると言いながら、今回は、4回目になるのだろうか、それとも5回目?

 今回も当然、飯豊山はお流れ、まあ~、混む時に行く事もないが、そのような事を言っていると永遠にいけないかもしれない。南アもそうであるが、「行けないのは、行かなくてよい。」 ということなのかもしれない。「山で遭難しないかもしれないが、車で遭難するな!」 を肝に銘じて行く事になるだろう。



8/12 突然、息子(長男)がやって来た。「福井まで来たので、どうかと思って・・」 なのであるが、友達連れもあって、相も変わらず台風のようである。夕方やって来て飲んで、朝には帰るのであるから・・・・

 他人様には、「自達分の子供というより親戚の人という感じ。」 と言っている。そんな息子であるが、「山ノ神」に、そっと、小遣いを置いていった。あっちが、大人になったのか? それとも、私達がくたびれて見えるのか? 複雑な気持ちである。でも、胸が熱くなる。



8/11 昨日の大猫山は、実に2年ぶりの36回目だった。3・4年前までは、軽く50回くらいは行けると思っていたが、世の中は、そう上手くいかないものだと痛感している。1年に3~5回くらいのペースを目論んでいたが、完全に打ち砕かれてしまっているのだから・・・・・

 1,「山ノ神」が行きたがらない。 2,保育所の送迎に伴う時間制限。そして、3,登山口手前にゲートが出来て、片道30分くらい余計に時間が掛かるようになった。落ちつつある体力の事もあるが、時間的な事が、一番のハードルである事は間違いない。同じ時間でも、早朝に自宅を発つのと、ラッシュの時では、雲泥の差があるのも事実。

 でも、行きたいとの願望が強ければ、自ずと運がこちらに向いて来るような気がしないでもない。だから、平生から鍛錬を怠ってはいけない事に通じる。他にも、ステキな山がたくさんあるが、大猫山・猫又山は、優とも劣らない。



8/10 母様の介護の為に月に一度、と言っても一週間くらい東京から出向かれるM・FUJII氏を、チョッピリ尊敬している。同氏は、母校の5級先輩であるし、今でも、スキーや山登りを続けておられるのであるから、我らの仲間である池田氏と共に、私としては目標としている御仁である。

 そんなM・FUJII氏を「大猫山」に誘った。時間的制約のある私であるが、今回の件で、「山ノ神」も娘も協力を惜しまなかった。同氏とは、5年前、平瀬道からの「白山」に出掛けた事がある。その後、お互いに5年の歳月を費やしたのであるが、口では、控えめであるが、まだまだのつもりであったハズ。

 思ったより少なめとは言え、オロロの襲来、そして、例の如く急登、そして、連日の暑さに、参らないではないが、そこは、経験則の働きや、そこへ行きたかった願望が有利に働き、私にしてみれば、そんなに酷いものではなかった。でも、予想外の草ボーボーには、些か愚痴が出るのであるが、自分が鋏や鎌で刈ればいいだけの事。それをしないで愚痴る事など出来ない。

 「こんな酷い登りは、最近経験がない。」 と言っておられたM・fujii氏のペースが、なかなか上がらなかったが、大猫平での大休憩が奏功したのか元気を取り戻された。暑さだけでなく、シャリばてだったのかもしれない。展望の効かない山頂への招聘は、私だけの欲望だったのかもしれないが、達成感というのであろうか、後日のための拘りだったのかもしれない。

 へとへとになろうが、汗がタラタラ流れようが、何もかもが勲章や宝石のように感じるのは私だけなのだろうか? どちらにせよ、二人の共通の想い出が一つ増えたには違いない。



8/7 なかなか思い通りにいかぬ山行に、自分なりの目標を立てている。「50回以上10座、10回以上100座」 である。バカバカしいなどと、お叱りを受けるかしれないが、自分を奮い立たせる目標である。

 100名山・200名山・300名山には劣るかも知れないが、「これならやれるかもしれない。」 と思っている。もし達成する事が出来たら、ハードルを上げたいと思っているが、人生と同じで、そう上手く事が運ばないかもしれない。

 牛岳149回・千石城山51回・大辻山47回・金剛堂山44回・白木峰44回・小佐波御前山39回・大地山37回・人形山36回・大猫山35回・白山34回・医王山33回・剱岳30回・大倉山29回・中山28回・僧ヶ岳24回・高峰山20回 などであるが、結構数字の遊びとは面白いものである。何時の日か、100座の名を並べてみたい。



8/6 山にはいろんな個性がある。小っちゃくても愛くるしい山もあれば、高度があっても何の変哲もない山もある。しかし、どの山も、何かしら歴史が有り、土地の人達との関わりがある。故に、祠があったり鳥居があったりするのだろう。

 名に惚れて名山だから登るのもいい。お花を楽しむのも良し。各自のスタイルで登るのも良いのであるが、他の山から望んだり、麓から望んだりするのも味があって面白い。山頂から、次ぎ行く山を選択した時は、是非、その山を各方面から眺めて欲しい。



8/5 由利香女史の事故死に関して、友人・知人から、いろいろなコメントを頂いた。その度に、悲しさが込み上げて来て仕方がなかった。彼女とは、振り返ってみると、12~13年の間に、そんなにも一緒した事もないし、メールや電話を頻繁に、やり取りする事もなかったのであるが、何故か気になる人であった。

 でも、「死んでしまったらダメだ!」 どんなに良い人でも、どんなにステキな人でも、やがて忘れられてしまう。お互い元気だから、「次はいつ?」 とか、「今度は何処へ・・」 などと、夢みたいなものが湧いてくるのではなかろうか?

 目を細めながら、口元も、そんなに大きく開けないのであるが、ニコニコしている姿が、何回となく、よみがえって来る。私達は、そんな貴女の想い出を、心奥にずっと留めておきたい。



8/4 白山から戻ってPCを開いたら、何だかどういう事なのか分からない。山友の由利香さんに、何かがあったらしい。その後、「亡くなった。」 というから、「何よ!何故!」 と叫びたくなった。その後も、facebookを通じて山の事故だと知る。

 それならと思って、「山口由利香」と「事故」をキーワードにして検索をしてみると、「山梨県大月市の滝子山で沢登り中、滝壺に滑落して亡くなった。」 と各新聞社が報じていた。北日本新聞にも、彼女の事故の事が載っていた。現実であると思い知らされた。

 13年前だったろうか、私の金峰山紀行文に対して、メールを頂いた事がきっかけで、時々であるが、メールのやり取りが始まった。北陸遠征を高岡合宿として、我が家に3泊を願った事もあった。また、私共が、大山・丹沢山に出掛けた時、途中からであったがご同行を頂いたりしていた。

 ここ1~2年は、岩登りの講習会に出掛けられると聞き及んでいたが、彼女の負けん気の強さから、そうさせているのかと思っていた。昨年も、北アの帰りに我が家に寄ってくれた。今年も、雲の平辺りにやって来ると聞いていたので楽しみにしていたのに残念でならない。まだ57歳であった。



8/3 山頂に届かなかったが、ミーはよく歩いた。12時間、そして、その距離は12~13キロ、標高差1400mである。何度も休憩を入れてであるが、6歳の子としては、よく頑張ったと褒めてやりたい。

 白山・室堂までは、6時間ぐらい掛かった。途中雨にも遭った。また、下山路のエコーラインでは、雷鳴が心底まで響いたし、車到着時は、ヘッデンこそ点けなかったが、真っ暗直前であった。

 時間的には、山頂へ行く時間を無くしてしまったのであるが、疲れ果てていても、山頂に立ちたい意欲は、ミーにはあったようである。流石に、下山時では、へたへたになり、我々の援助?を受けざるを得ない箇所があったものの、忘れられない白山登山になった事は間違いあるまい。



8/2 上の孫(ミー)がキャンプをしたいと言う。今まで「中山」と「白木峰」しか登った事がないし、雷鳥沢や白馬大池、そして、白山・南龍ヶ馬場などを考えたが、どれだけ歩けるかを試してからにした。

 という事で、明日は「白山」に登る事にした。6歳・年長組のミーには、「登れたら、キャンプに連れて行く。」 と約束したが、果たして何処まで登れるかである。日帰りだし、室堂まで登れれば、「御の字」と考えているが、果たしてどうなるか、期待と不安が同居している状態である。

 また、この頃のお天気は、とても気まぐれで、いつ大雨となって襲って来るか分からない。連れて行く者として、いろいろなパターンを想定し、対処しなければならぬ事を心しておかなければなるまい。しかし、この先、何年も、また何回もないことだから、大いに楽しんでこようと思っている。