|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
6/30 今、我が家は悪い空気が流れている。年取る事に仏になっていかなければならないのに、気に入らぬ事があると、不機嫌になる。一気に吐き出す事が出来ないものだから、だんまりになる。こちらとて、事を荒立てたくないし、触らぬ神に祟りなしの如く、知らぬ顔をするから、無言の毎日が続く。
しかし、二人だけなら、ず~っと、となるかもしれないが、孫達の同居人がいるから、どうしても話さなければならない事も起きてくる。怒っている事、悩んでいる事など、大した事がないのに、一度、カーッとなってしまえば、冷めるまで時間が掛かるというもの。
怒ったら損。忘れるが得。なのであるが、何時まで経っても、出来た人間になれない。笑うは大得なのだが、なかなか、そこで、ニコニコと笑えない。だから、普通の人なのであろう。何時までも根に持っている浅はかな人なのかもしれない。
年取る事に、だんだん頑固になっていく人がいる。頑固だけならいいのであるが、何がなんでも、自分の我を通そうとする人を見るにつけ、自分は、そんなのになりたくない。と思っているが、もしかしたら、自分もその類なのかもしれない。
英国のEU離脱の国民投票で、あまり考えなくして投票したという人達があるという。流されて、流された所で考えてみて、という事らしいが、私も離縁状を渡されたら、判を押してしまうかもしれない。さて、それからどうなる。行くところもない。形だけ分かれて、同じ屋根の下での生活になるという事か・・・
結果的には、所帯主が増えるだけ、経費が増えて窮地に追い込まれる。山でもお互い単独行が増えつつある。家中でも会話が減っていく。何処でも(どなたでも)そうなのかもしれないが、寂しい話である。でも、休日に近付くにつれて噴火が収まりかけ、当たり前のように車に乗って山に行くとは、一体全体どういう事なのか?
6/29 「一ヶ月掛かって親しくなった友。同じ釜の飯を食えば一週間で、一晩一緒すれば、一日で親しくなれる。」 と先人達から聞き及んでいた。それはそうであろう。美しい汚いなどと言っておれば、一緒に食事など出来ないし、昼夜共に一緒するのであるから、正に運命共同体である。
そんな事を思えば、10年以上、それも、月曜日の私達の休日に合わせてくれた好山病の諸氏達に感謝しなければならない。多い時は、月に3~4回もであるから、振り返ってみると、そのエネルギーたるや凄いものであったに違いない。
しかし、最近は、私のライフスタイルに象徴されるように、なかなか思うように、休日を合わせるようにならなくなってきている。それは、若い人達の技量についていけなくなってきているのも原因の一つかもしれない。
唯でさえ、数少なくなってきているのに、先月は、有志がせっかくの飲み会を企画してくれたのであったが、私の病も手伝って、流れてしまった。そのままズルズルいくのも如何なものかと思い、再度企画する事になった。何としても行かなくては・・・
6/28 薬師岳や白馬岳のように、一年に一度は登りたい山があれば、白山や大猫山のように、一年に何度となく登りたい山もある。今春から、上の孫が小学生となったため、許容時間が1時間短縮され、益々、行く山に苦慮せねばならなくなった。先述の山々は、そのために登れなくなったわけではなく、丸一日なくては登れない。
「山が逃げていく。」 のは、体力だけでなく、幾多の環境の変化も見逃せない。この分だと、ぎりぎり出掛けていた大地山も危なくなってきた。もちろん、最低でも、月に一度の休日(第3日曜日)があるのだから、それを充てれば行けない事もない。しかし、「大地詣」・「大地通い」 とはいかなくなる事は間違いない。
月一度の自由になる休日とて、付き合いもあれば、悪天もある。また、時には、登った事のない山にも心が動かされる。度胸・器量が小さいくせに、私は、あれもこれもと欲張りである。でも、この意欲が、「まだまだ・・」 と心を掻き立てるのであるから、大切な事なのかもしれない。
今夏は、ワンチャンスであるが、剣岳に行く機会がある。白馬岳も、何とかして出掛けたいと思っている。そしたら、「白山は?」 「薬師岳は?」 となるし、まだまだ出掛けたくてならない山が、ドンドン湧いて来る。「まだ仕事をしながら・・」 という強い拘りはないが、仕事が出来なくなる頃には、その元気がなくなると思っている。
6/27 今月(6月)3回目の白木峰に出掛けた。同じ山を何回でもというのは、新しい山、行った事がない山を狙っている方々にしてみれば、何が面白くて、あるいは、無駄なという言葉が返ってきそうである。しかし、続けて何回とか、1年に何回とかでないと、その山を熟知する事は難しいような気がする。
私事であるが、150回以上登っている牛岳にしても、分からない事だらけである。コースはもちろんであるが、どんな花が咲いているとか、その時期に関してとか、あるいは、水場や紅葉時期、そして、見頃や、その展望などと、それを数えれば切りがない。ましてや、春夏秋冬となると尚更である。
今回は、最近、なかなか一緒出来ない「北ちゃん」と時間を調整しながら、白木峰に臨んだ。好天に恵まれ大勢の登山者で賑わっている中で、駐車にも苦慮しながら、今後の好山病のイベントについて話したかったのであるが、歩き始めると、やっぱり山の雰囲気に流されるのか、そんな事を話す雰囲気になかなかならなかった。
とは言え、要だけはお互い抑えた感があったからであろうか、何人かの友人・知人にお会いしたのであるが、性格上であろうか、すぐに盛り上がってしまう。しかし、それもまた、山行く者の楽しみでもある。肝心の白木峰のニッコウキスゲの開花状況であるが、”今が見頃” だと思う。この後のお天気が気になるところである。
6/26 北ちゃんから、「何処か行かない?」 との連絡をもらった。お互い制約がある中で、すぐにOKの返事をした。もしかしたら、偶然、出会った大倉山以来かもしれないから、3ヶ月ぶりになる。先月の飲み会も逃しているし、積もる話がいっぱいある。
そんな計画が決まった今夕、「明日は、孫たちの送迎免除してもいい。」 と娘からあったが、「約束してしまったからいいよ! もっと早く言ってくれたらなら・・」 となれば、ちょっと、気まずい空気になったが、その通りであるから仕方がない。
そのような事は、これから先に残してくれたら良いのだが、そんなに上手く事が運ばないだろうが、淡い心を持ち続けたい。娘たちの生活も考えながら、自分達の生き方を模索しなくては・・・・
6/25 「細々とだけど、やれる時に何でもやっておこう。」 もちろん、いろいろな制約があるけれど、その殻を少しでも掻い潜ってである。今年は、「もう一日、休みを取ってもいいだろう。」 「一年に、もう何日か・・・」 そんな気持ちになっている。
実際、病気で休む事を考えれば、それくらいの事は、許される筈。ずっと、元気でおられるはずもないし、もうちょっと先になるが、週休2日も考えている。何事も徐々に進めていく事は、やぶさかでないが、飽きないのは、”白いご飯と仕事” だけだという事も、先人たちに伺っている。いろいろ参考にしながら・・・
6/24 守門岳や浅草岳から、ヒメサユリの情報が入った。我々が登った会津朝日岳とは比べものにならないくらいの華やかなものだった。昨日は、飯豊山の情報も入ったが、ここでも、ヒメサユリの話題があった。何年か前に登った粟ケ岳には、さぞかし多くのヒメサユリが咲いているのではないかと思うのであるが、どうなんだろう?
昨夜、同窓会の打ち合わせに友人2人と会った。その事もあって、「今日は飲まないわ。」 と、家を出たのであるが、戻ってきてから、何だか物足りなく、ついつい飲んでしまった。飲むだけならいいのであるが、やっぱり何かを食べてしまう。その量が少なければいいのであるが、節制が効かないというのか食べ過ぎてしまう。意思の弱さを改めて感じてしまった。
6/23 一時的に、「山はダメかもしれない。」 と思ったくらいであったが、「這ってでも行く。」 とは言えないまでも、意欲だけは回復傾向にある。幸い富山や近郊には、素晴らしい山が多く、何度でも行きたいし飽きもしない。
とは言えども、浮気的な考えではないが、時たま、遠くの名山に心が傾く事がある。先日の会津朝日岳も、その表れなのかもしれない。その名山なるや、「なかなか行けるものではない。」 と思っているから、他人様より執着心が薄いかもしれない。
でもである。登ってみなければ、その批評は出来ないし、その話題すら乗る事が出来ない。本当は、そのような事はどうでもよい筈なのであるが、こんなところでも、人並みにを意識してしまうのかもしれない。そんな私でも、「名山の半分くらいは登ってみたい。」 と言っていたのが、最近は、6割くらいに上方修正?しつつある。
いやいや、その上の2/3(200)の数字に届くのではなかろうかと思うようになってきている。でも、唯、山頂を踏むだけでなく、ゆっくり歩きたいし、その地良いところを味わってきたいという気持ちに変わりつつある。いわゆる本当の「山旅」である。
とは言いつつ、「もう一座」の欲は一向に消えない。無理はしないの裏腹である。それよりも、勝手に作った目標・50回以上10座、10回以上100座がある。簡単な山が数多く含んでいるから、その達成の方が現実的である。これも、時間と健康がなければ覚束ない。
6/22 今回の夜行日帰り(会津朝日岳)は、今までより早く出発出来たので、仮眠場所でビールの1本も飲もうかと思っていた。でも、実際あまり体調が良くなかったし、また、翌朝酒気帯びになったらダメだと思ったので、あまり飲めなかった。しかし、横の「山ノ神」は、悠々と2本を飲んだらしい。
遠出をする時は、運転を代わってもらわなくてはならぬ事態も起こりうるので、「山ノ神」に、山頂での飲酒を禁止している。その会津朝日岳登山口から2時間ばかり経った「叶の高手」で、何気なくビールの事を問うてみたら、ひつこくも、まだ1本担いできたと言うではないか・・・ その言いぐさが、「飲まなくても、何となく持ってきた。お守りみたいなもの。」 には、いささか参ってしまった。
降りかかった「クロベ」辺りで、「ここで飲めば大丈夫!」 「山頂まで2時間以上あるし、登り返しが辛いよ!」 「ぬるくならない内に飲んだ方が良い。」 「350mlの半分だから、影響はない。」 「しばらく降りだから、大丈夫!」 なとと、可笑しな問答の末、プシュとなった。
実際、ハンドルを握ったのは、7時間半後であったから、何ともなかったが、余計な物があると惑わされて困る。ここ何年かは、日帰り登山では飲まない事にしているから、そのようなものだと思っている。しかし、「山ノ神」は、山頂で飲むのが楽しみなのだと言い切り、だから頑張るのだという。(最近は、山頂手前でも構わないらしいが・・)
6/21 2日間の山行を通じて、「復活したか?」 との問いに、まだまだと言わざるを得ない。「だるさ・疲れが残る。」 からである。当たり前と言えば、それまでであるし、以前と比べて、歳取っているのは間違いないのであるから、妥協せねばならないのかもしれない。
「でもでもである。」 こんなハズでないと思いたい。だから、もうちょっと、頑張ってみたい。「目方(体重)のせいなのであろうか?」 「食べる食べない。動く動かない。そして、飲む飲まない。」 によって、体重の変化が激しい。患う前の半分は戻ったと思ったら、また落ちた。
6/20 18日(土)は、殆ど寝ていない。19日は、午後10時に家に戻り、後片付けと風呂に入って、ビールに有り付けたのは、11時頃であった。「飲みたい一心で帰って来た。」 と思っていても、そんなに飲めるものではない。その後、PCの前に座ったが、うたた寝で、床に着いたのが午前1時半頃であった。
相変わらず、「休日は山に・・」 が災いしてか、午前5時半起床。なかなか起きて来ない「山ノ神」に、「行くのか行かないのか?」 を問うと、やっぱり行くという。昨日の疲れを考慮しながら、ニッコウキスゲの開花が気になる事から、白木峰へとなる。
初めから小白木峰を外して、ゆっくり過ごす事にしたが、少しだけ、小白木峰方面に降りて、ニッコウキスゲとササユリの開花状況を確認してから、白木峰に戻り、それから浮島に向かった。時々、黒い雲が立ち込める事があったが、結局降らずじまいに終わり、その分だけ、ヒンヤリとし、ブヨが寄って来なかったようだった。
ニッコウキスゲは、その場所によって、咲き具合が違っていたが、全体的には、1分咲きと言ったところではなかろうか? 1週間か10日先が、見頃のように感じたが如何なものだろうか?
浮島のワタスゲがきれいであった。その浮島には、ゆっくりしていく人がいなかったのか、私達の独占状態であった。半袖では寒いくらいであったが、先に述べたようにブヨが寄って来ず、快適に過ごす事が出来た。
帰りは、「山ノ神」の要望通り林道歩きにした。その目論見は、フキ採りであった。採ってもいいが、後処理が大変である。でも、それを苦にしないと言ったので、協力する事になり、結構採ったのである。
6/19 本来なら、上越から253号を使い十日町に抜けるのであるが、最近、病を患ってからというものは、全く夜に弱くなり、ちょっとでも早く目的地付近に着きたい思いから、魚津から高速に乗った。当初は小出までの予定であったが、一つ手前の堀之内で降り、252号に入った。
計画的にも、登山口までは無理との思いがあり、入広瀬辺りで仮眠が出来ればと思っていた。早めに着いて、軽く一杯飲み、3~4時間眠れれば良いの思いであったが、なかなかそのようにはいかないものである。その計画の中には、「初めてデリカで寝る。」 の試みがあり、何の下準備もなく、布団や毛布を積み込んだだけのものであったから、尚更思い通りにいかなかったのかもしれない。
結局は、殆ど眠れずじまいで、夜明けと共にハンドルを握った。それでも、午前6時にスタートが出来たのであるから、許容範囲以内である。只見から289号線に入り、黒谷からは、いよいよ川沿いに登山口に向けて走る。この辺は、4~5年前の水害で相当やられたらしいのですが、嵩上げや車幅の拡張が行われたらしく走りやすかった。
白沢からは、細い道をイワナの里を目掛けて走ればよいし、そう長くはなかった。事前の情報として、駐車場の事が心配であったが、イワナの里の奥に無料の広いものがあった。水害以来造成されたのかもしれない。
登山道は、山開きから、一週間しか経っていない事もあろうが、整備されていて歩きやすかった。心配したブヨもおらず、半袖で、ちょうどいいくらいであった。しかし、視界が効かず、あまり面白くない山であった。また、時々、開けるのであるが、馴染みのある山が少なく、また、何処が何処だか分からないのでは、唯々、試練のように歩くしかなかった。
叶の高手までは、水場以外標識がなかった。その先は、事細かく小さな標識があったが、特別の場所というものではなかった。避難小屋から、しばらく行っての頂上へのザレッぽい露岩が、「山ノ神」の一番気にしていた所である。
出発前に、ネットやガイドブックで、イヤらしい情報を得ていたらしく、すれ違う登山者に、「私でも登れるでしょうか?」 などと、問い質す事もあった。「ガイドブックに載っているくらいだから、普通の人なら登れるよ!」 という私の意見など、どれくらい聞き入れていたか疑問であるが、事前に準備してきたロープ類を使わずに登る事が出来たのである。最も、出さなくてもいいくらいロープが下がっていたのであるから・・・・
山頂はあまり広くなく、三角点と方位盤があった。360度の展望であるが、有名な山は遠くに、分からないくらい霞んでいるし、馴染みのない山を聞いてもピンと来ない。でも、東北の山である匂いがして、その満足感は、また違ったものである。山頂から、楢戸沢に切れ落ちるスラブ帯は、雨飾山の荒菅沢・フトン菱を思い出さずにはおれなかった。
道中、あれほどブヨがいなかったのに、山頂では、それとは違った小さな虫が煩かった。でも、本格的に悩まされるものでなかったから、1時間以上おられたのかもしれない。地元の夫婦と思われる方に、芝寿司をプレゼントすると非常に喜ばれ、「富山に行ってみたくなる。」 と言われたのには、こっちもびっくり。
ササユリに、ピンク(赤)を濃くしたようなヒメサユリは、「山ノ神」の大好きな花。粟ケ岳と比べものにならなくても、出遭えた事に喜びを隠しくれないようであった。快適な登山道であったが、登山口に近付く最後の15~20分程は、ヨタヨタの歩きになってしまった。本当に疲れてしまったのである。
帰りは、もちろん高速を使わない算段であった。「眠い。」 「疲れた。」 と言いながら、入広瀬道の駅から富山まで、ノンストップ4時間は、家に帰ってから、ちょっと無謀かなと思った。途中で何か食べたり、飲んだりするより、家に帰って、「冷たいビールを飲みたい。」 という一心での運転だったように思うが、本当に疲れたのである。
6/18 明日は、白山か雨飾山へと思っていたが、昨日・今日、そして、明日も晴れの予報である。ならば、自分が、どれだけ耐えれるかを見極める事も兼ねて、ちょっと、遠いが「会津朝日岳」へ行く事にした。いつもより、ちょっと、早めに出掛け、仮眠出来ればと思っている。
6/17 肺炎が、ほぼ完治した3週間前、担当のW医師から、「本間さん、肺炎はいいのですが、AST(GOT)・ALT(GPT)・ALPの数値が下がらないのです。これは、肝臓や胆嚢に異常があると考えられます。今回(肺炎)の影響か、それとも本当に異常なのか見極めるため3週間程期間を置いて再検査をしましょう。」 と言われていた。
その日が今日であった。その結果であるが、エコー(超音波検査)と採血の結果、数値は基準値に下がっており、断層撮影法でも異常が見当たらなかったようであった。「取りあえず、ホッとした。」 が正直なところであるが、まだ、だるさが残るから、自己判断ながら、完璧に治ったとは言えないのかもしれない。
これからは、適度の運動をしながら、節制に心がけ、一喜一憂せず、心穏やかにしなければと思っている。出来れば笑顔を絶やさず、誰とでも仲良くである。そして、感謝の気持ちを忘れない事であろう。
6/16 当欄の誤字脱字は当たり前。長年、我がHPを応援してくださっている方々は、多分、毎度の事で、そう騒ぐ事もないと、静観してくださっていると思っている。しかし、最近、縁あって、「元さんの山歩き」 を、覗いてくださった方や、「あいつは、この頃どうしているのだろう。」 と、忘れていたかのように覗いてくださる方々にしてみれば、日付が可笑しかったり、文章がなってないなどと、思われているのではなかろうかと、あまり読み返さない私としては、ちょっと恥ずかしくなっている。
私の間違いというのは、見てくださる方からすれば、気分が悪いかもしれないが、山行計画に影響を及ぼす事もないだろうし、実生活に支障を与える事もないと思えるからして、ちょっとばかし、”愛嬌” と思って、見逃して欲しいのであるが如何なもんでしょうか?
「図太くなった。」 「どうでもよくなった。」 かもしれないが、事私の事であるから、笑いの材料にしてもらえれば、それでよいのではと思ったりもしている。まあ~、そんなに長くも続かないのであるから、大目に見てくださいよ。
6/15 今度の連休(6/19~6/20)は、晴れと曇りの予報である。今の状態からして、とても、泊まり掛けでは出掛けられないが、日曜日は、丸一日使えそうである。でも、お決まりの所しか行けないと思うが、”無理しての遠出” を、ほのめかしてみると「山ノ神」が飛び付いた。
そうなると、仕事が終わってからだから、夜行日帰りになるが、先月に体調を崩してから、早く休むようになり、とても、夜中の運転など出来ない状態である。でも、朝早く起きるようになったから、お天気なら一番日が長い現在、意外と行けるかもしれない。でも、まだ完全でないだけに、もうちょっと先に延ばしたいのが本音である。
6/14 調子の良い日と悪い日が交互にやってくるような感じである。「だるい。」 のは面白くない。そんな日が多くなる事を連想すると憂鬱である。そんな中、最近の片付け(整理)が、あまりにも性急過ぎると感じられるのか「山ノ神」が戸惑っているかもしれない。
そういえば、20~25年程前だったろうか、突然、毎週のように山へ行きだした頃に、「どうなっているのか?」 と心配された事を覚えている。ローソクの火が燃え尽きる頃には、パッと、炎が大きくなる例えまで出してである。今回も、恐らく何かを感じているハズである。
6/13 「雨どうしようかな?」 と思ったけれど、やっぱり行かなくてはと思ったのだから、元通りの身体に戻ったような気がします。だから、前日(前夜)に、「出掛けないのも選択の一つ。」 などの講釈を言っていたのが可笑しいくらいだ!
それでも選択肢は左程多くなく、大辻山・鳥越峠スタートが、午前10時25分となった。ずっと、雨の中でありながら、一言二言 言い違いがあって、今日も、お互い単独行となってしまった。山頂では、そんな事を言っておれず、食事となったが、それもバラバラ。
しかし、今日は風がなく、この時期特有のブヨが纏わりつき、「山ノ神」自体、ゆっくり飲んでおれなかったのではなかろうか? ササユリが少し咲いていた以外、展望もなければ、人影もないのだから、お互い単独行も手伝って、”鍛錬” には、ちょうど良かったのかもしれない。
6/12 22年前に亡くなった父の物を処分しきれないそんな私であるが、最近、自分の物を整理し始めている。今日も膨大な数の手紙類を整理した。一通一通読み返していては、どうしようもないので、目を瞑ってゴミ袋の中に入れた。年賀状は、4~5年前に、一応の整理が出来ていたのであるが、手紙は、なかなかそうはいかなかった。
それは、私の青春の全てのような気がするからである。恋い焦がれた人。想いを寄せてくれた人、旅先(山)で知り合った人、両親や姉からの物、幼い頃の子供達のからの物などなど。でも、一番多かったのは、友人からの物であった。毎月一通としても50年間で600通にもなる。時には、毎週のように届いた事があるから、何通になるかわからない。でも、全部は捨てきれなかった。
また、悔いが残る時代の物も残してみた。どうしようもないのであるが、もう一度涙するためかもしれない。そして、近年、手紙類が、ぐっと少なくなっているせいもあるが、その中から、気になっている物も残したのである。あれもこれも、大事に宝物のようにしていた物が崩れてしまうと、今度は、これもあれもと、捨てられる運命になるのであるから、可笑しな感じである。
この先は、写真とかアルバムである。これも結構厄介である。まだ何年か楽しむために残しておきたいし、あんな重い物をたくさん残されても、後に残る者達も困るであろうから・・・ これからが知恵の使いどころかもしれない。
6/11 「今日は、何となく調子がいい。」 と思う。最近、夜明け頃から目が覚めるためか、じっとしていると、すぐ眠たくなるのであるが、動いておれば、それほどでもない。昨日は、だるかったが、今日は、何ともないのであるから、「私の身体はどうなっているのだ。」 と思ってしまう。
こんな時は、次行く山が、どんどん浮かんでくる。「あそこにも、ここにも・・」 となるのである。「元気でさえおれば、何処へだって行ける。」 病院への掛かる費用や時間の事を思えばとなる。月曜日は雨予報。昨日の状態だと、「雨なら行かない。」 だったが、今は、やっぱり、ちょっとでも歩いて来なくてはとなる。
6/10 「雨が降ったら行かないでおこう。」 「酷い雨だったら行かない。」 「止まないようだったら行かないかもしれない。」 初めから、このように思ってしまうようでは、モチベーションの低さが分かるというもの。でも、実際、面白いとか楽しいというものがないのだから、唯々、修行・訓練の域である。
なら、何故今まで、そのような時まで、出掛けたかと思い返してみると、「次の山行のため。」 「他にする事がなかったから・・」 ばかりではなく、ちょっとでも山の中に、いたかったからかもしれない。でも、もう歳を考えなければいけないようになた気がする。
6/9 やっぱり身体が優れない。昨夜、会合から戻ると異常なくらい疲れてしまった。1時間くらいで、お酒が出るような会合ではなかったが、他の人から見ても、声は小さいし、だるそうに映ったらしい。先日の山行では、そのような事はなかったのだが、目的(目標)がないと、気力からして落ちているのだろうか?
肺炎は克服しても、何処かの内臓に異常があるのかもしれない。私の一番イヤな事である。一週間後、検査・診断を受けるが、それ以上の事は望まない。そうなると節制しかないのだろう。笑って過ごせる日が待ち遠しい。
6/8 この2日間の歩きで、心地よい痛みに、久しぶりの山歩きを堪能したように感じている。しかし、「山ノ神」は、階段の上り下りに、結構苦慮しているようである。3週間何もしていない人と、曲がりなりにも、この日に備えて軽いとは言え、トレーニングを積んでいた私との差が出たようである。
火曜日(白木峰・小白木峰)は、娘が、急遽、保育所の送りを免除してくれたので、早く家を出る事が出来た。このような日が、月に何度かあれば、随分と行動範囲が広がるのであるが、このところの娘の仕事は異常で、帰宅が午後10時や11時が何度もあるだけに、親としてあまり負担を掛けるのも如何と思うのである。
娘は、高岡にやってきて4年目になる。ダンナを東京に残してきての変則所帯で頑張っている事は事実なのであるが、こちらとしては、かなり自由を奪われている。その事自体、「喜べ!」 などと言ってくれる人もいるが、なかなか割り切れないものもある。当の娘は、その事を重々知っていての 「我々への緩和処置」 なのであろうが、そうされれば、また仕事に支障が出るのではと思うのである。これが親なのかもしれない。
6/7 快復したように見えても未だ無案内。そんな折、私の事をずっと心配してくださっていた池田氏との山行となった。「どのくらい大丈夫なのかを確かめたかった。」 のであろうし、なんと言っても、HP開設以来の山友でもあるから・・・ (そして、同氏は、山ノ神奉賛会の代表でもある。⇔何の事?)
お天気の心配はないでもなかったが、白木峰・小白木峰なら、ススダケの収穫の期待もあったし、このところのお天気周りで、ぬかるみがないを確信し、私の体力からして、手頃なコースと思ったのである。でも、大収穫だったら、担げるだろうかの一抹の不安はあったが・・・(´∀`)
1,300mの駐車場に着いた時は、半袖では寒く、思わず長袖に手を通した。その北風は、帽子も飛ばしそうであったが、これからこのような山特有のブヨに悩まされる事がなかった。また、時折霧雨が降ったが、それはかえって気持ちの良いものに感じたくらいであった。黒い雲に、いつ雨に見舞われるかの不安があったが、最後まで落ちてはこなかった。
池田氏によると、「小白木峰のススダケは、もう終焉を迎えており、上物はあまりない。」 との事であったが、「山ノ神」にとっては、どれもこれもが獲物であって、その煽りを受けたのが私であった。担げるだろうかとの不安があったが、同行の諸氏に迷惑を掛ける事無く歩けたような気がする。3週間ばかり歩いていなかったのと、この2日間の歩きで、久しぶりに太腿が張っている。でも、気持ちが良い。
6/6 地元の二上山トレーニングもよいが、やっぱり、もうちょっと山らしい処へ行きたいと思った。今年の4月から、上の孫が小学校となり、行動範囲(行動時間)がより縮められているが、それでも行きたい時は、それを覚悟して行くしかない。
その山を人形山としたのであるが、今の身体の状態と、許される時間では、到底無理だと分かっていたが、コシアブラが気に掛かるところである。今年は、2週間くらい何でも早かったし、昨日が、山開きとなれば、その収穫に期待は少なかったのであるが、それでも行って確かめてみたかった。宮屋敷跡を過ぎても、お方のコシアブラは、その時期を超えて大化けとなっていた。
山頂は遠かったが、それでも梯子坂まで行けたのであるから、それは、それなりの収穫と取って良いのではないかと思っている。しかし、やっぱり疲れがある事は間違いない。でも、5時間半、山中におれた事にも感謝である。登り始めは、右胸横下辺りが痛かったが、歩き始めると共に、何処かへ飛んで行ってしまったのである。山の空気が、それほど妙薬的に思えるのは、可笑しなくらい不思議である。
家に戻って、食事になると、相変わらず「山ノ神」がビールを飲む。今日は何故か自分も飲んでみたくなり、少しだけ分けてもらった。相変わらず美味しくはなかったが、今までとは違っていた。そして、冷蔵庫の中に、”のどごし” でなく、”サントリーのプレミアム” が1本あった。「それでは・・」 と飲んでみると、美味しいとは言えないまでも、何となく飲めたのである。これを身体が良くなったと取って良いのか分からないまでも、何か変化を伺えるのであるが・・・・
6/5 父は、たくさんの植木鉢を残していったが、殆ど枯らしてしまった。唯一残っているのは、大鉢に入ったサツキだけである。赤いたくさんの花を着けてくれていたが、昨年あたりから、ほんの少ししか花を着けなくなった。それは、植え替えもせず、根腐りをいているに他ならなかった。
毎年、この時期になると、「植え替えをしなくては・・」 と思いながら、22年間も、ほったらかしにしてしまっていた。車にぶつかられたり、酔っ払いに折られたりしながらも、生き延びてきたサツキを、このまま枯らかしてはいけないと、流石の私も植え替えを決意した。
上手く根が着くかどうかわからないが、今の私に置き換えてしまい、かなりの重症のように思った。「お前が助かれば、俺も助かるよ!」 との暗示を掛けてしまったが、不摂生が、このような状態にしたのである。そして、どちらも、私が悪いのである。 「罰だ!」
6/4 朝早く目が覚めたので、そっと二上山に出掛けた。何とか調子を整えようとする気持ちが、そうさせるのかもしれない。先日と同じ、まなび交流館からスタートであったが、すこしギアを上げてみようと思った。でも、汗を掻かないくらいの速度でないと、後々が心配なので、その事を頭の中に入れて歩いた。
山頂まで30分。先日より5分短縮した事になるが、現状では、このくらいのペースが一番のような気がする。あと5分短縮するとなると、汗を掻かなければならないし、10分短縮するとなると、走るように登らなければならないからである。今は、そのリスクを負いたくない。
夕食のメニューに餃子があった。それを見て、何故か今日は、ビールを飲んでみたくなって、小さなコップに注いで見たが、一口飲んで止める事にした。全然美味しく感じないのである。これからも、しばらく、アルコール類を口にしない事になると思うが、家計に優しいし、私の健康にも良いから、何の問題もないとなるが、飲める者が、「美味しくない。」 「飲みたくない。」 のは、やはり不健康のバロメーターとなるのかもしれない。
6/3 お酒は、あれからずっと飲んでいない。HPも、こんな状態だからあまり時間を掛けていない。そんなわけで時間が余るはずなのだが、何をしているかわからない。きっと、ボーっとしているのであろうし、確かに床に着く時間は早い。まだまだなのかな・・・
6/2 すっかり元気になったような気がしています。気持ち悪さがなくなり、だるさも何となく無くなったような気がします。そして、何といっても、ぐっすり眠れるようになり、食事も美味しく頂けるようになった事でしょう。
今一つ、躊躇していた事に対しても、「やらなくちゃ!」 の気持ちになっています。古くなったソファの解体、不燃物の整理、そして、かねてからのphotoshopへのチャレンジ(解説本を買ってきた。)など、2~3週間前に比べれば、雲泥の差というところでしょうか! でも、もしかしたら、気力だけでもっているかもしれないので、もう少し様子を見なければなんでしょうね。でも、「山に行きたい!」
6/1 午前4時40分 荷なしで、まなび交流館(旧二上青少年の家)をスタート。汗を掻かないように、そして、心臓や肺に負担を掛けないようにゆっくり歩いた。それでも、二上山頂まで35分で到達。一生懸命歩くのと比べても、5~10分程しか変わらないのだから、リハビリのスタートとしては、上出来だっだように思う。
山頂で少し休み、そのまま来た道を戻った。家に、6時半前に戻れば、娘の勤務や孫達の通学・通園に何の支障もない。今度の休日まで、もう一度歩いてみたいが、そんなに上手く事が運ぶだろうか?