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11/30 本当に早い。今年も、あと一ヶ月である。この一年、何をやって来たのだろうと反省しきりである。このHPも、いつ頓挫するか分からないのであるが、「止めたい。」 と言いながら、必死にしがみ付いている状態である。
誕生日が過ぎれば、年末まで。歳を超せば、桜の咲く頃まで。その内、古希までとか。同じような事しか綴られないのに、踏ん切りが悪いというのか、存在感を失いたくないからだろうか、本当に往生際が悪い。でも、ここまで来たら、○○までと思うのも必然的かもしれない。
最近は、「大地(大地山)に行けなくなったら、山へのスタンスを変えたい。」 と有志に伝えている。それは、体力もそうであるが、環境もしかりである。これで良いというものはないが、他人に迷惑を掛けたくないの他に、自分一人では生きていけないからでもある。
「まだ歩きたい。」「ずっと、元気でいたい。」「まだ、くたばるわけにはいかない。」 などと、私は欲深い。でも、一人では生きていけないから、自分の周りにいる方々と、一緒に元気で長く付き合っていきたい。
11/29 四つ切にして焼いた柿が食卓に出て来た。思わず「えぇ~」 と、声を出してしまい 「これ、おかず、それとも、デザート」 とも付け加えた。何分焼いたのか知らないが、意外と美味しかったが、柿を焼くなって思ってもみなかった。
最近の「山ノ神」は、創作?なのか、今までと違ったものを結構作っている。ナメコ採りの成果もあるが、味噌汁・鍋物・大根おろしと共にの他、焼き物として、また、つくだ煮やどんぶり、そしてこの間は、干し物にしていた。そういえば、今春のあの干したコゴミは、まだ食べていない。
そんなのは良いが、「私がやめておけ!」 と言っているキノコを採り、それだけならいいのだが、最初は私に食べさせるのだから困る。食べないと言っているのに、分からないように食べさせるのである。弱った!
11/28 一か月前のリベンジで高頭山へ行く事にした。このところ、娘が気を利かせてくれて、朝の縛りがなかったのだが、お天気が悪いし、こちらから辞退し、エリー(下の孫)を保育所に送ってから出掛ける事にした。
平日の雨の日ともなれば、そりゃ!誰も来ないというもの。送水管横を歩いていたら、それなりに、周りの山並みが見えていた。だと思ったら、急にアラレが降って来た。前日か、夜半に降ったのかもしれないが、もうすでに、側溝周辺には雪が溜まっていた。
送水管から離れて、三枚滝への水平道なるが、すぐに分かれて急登となる。これが、連日の雨や雪で、それこそ、グチャグチャで、タイミングが悪ければズルッとなる。切株の尾根に出てしまえばそうでもないが、降雪が伴い、笹や小枝に着いた雪が煩く冷たい。
今回は、山頂というより、ナメコ採りの意味合いが強く、滑りながらも、キョロキョロするので、「おっと!」 となる事がしばしば。「あった!」 と言っては、登山道から外れて、小枝や笹を払い除けていくので、もう着衣はベタベタとなる。降雪が伴えば、雨具もあったもんではなかった。
ナメコだと思って近づいて行っても、高い所で手が届かぬ事も、しばしばで、それこそ地団駄を踏まなければならぬ事も何度か。しかし、無いと思っていても、根元の方に、雪で隠れている事もあり、お相子(おあいこ)という感じ。
水っ気の多い雪に、冷たさや寒さを感じたのであるが、短時間であるが、青空が覗いた時は、生き生きしたブナ林と共に、山は生きていると思わずにはおれなかった。「時間がない。」 と言いながら、此処にも、あそこにもと採るのであるから、後に走らなければならなくなる。
やっぱり転んだ。何もかもが泥だらけ。でも、自分で採った山の幸の味は何となく違う。でもね。毎食毎日、ナメコづくしは考えもの。それでも採ってくるのだから・・・・
11/27 「明日も雨か?」 でも、そんなに大降りはしないと思う。しかし、展望も期待出来ないし、「やっぱりナメコ狙いか?」 「今まで採れなかった所へ、もう一度出掛けてみようか?」 でも、明朝、起きてからになる。
11/26 夜遅く雨になり、明日は一日中雨のようだ。またしても、 月曜日は雨か?お天気が悪いとなると、何を目的に出掛けるかとなる。回数を重ねるため? それとも、やはりナメコちゃん採り? ドロドロの登山道を歩くのは、私だって好きでないよ!
11/25 同窓会が終わり、お歳暮の手続きが終わった。これから忘年会があるが、それは、時間と体力だけの事であり、左程問題はない。それより、悩まなくてはならないのは年賀状である。最近は、「出さない。」 と言う方も増えて来たが、私は、歳時記の一つとして、また、自己PR機会と捉えると共に、消息(元気である)を伝える手段に使っている。
そして、「もらう。」 と、やっぱり嬉しい。そんな中で、欠礼のハガキを受け取った。「自分は出さないけれど、送ってください。来ないと寂しい。」 という方もあった。だからでもないが、「スタンプ一つだけ。」 は、寂しい。「どんなにしようか?」 と考えるのが、辛いか楽しいかは、その人その人の考え方である。大量に出す賀状は、高額になるかもしれないが、一枚52円で、近況を知らせられるのであるから、私は、もったいないとは思わない。
11/24 首都圏の積雪は、大きな混乱を招くから、早朝から、ずっと、そのニュースで持ちきりであった。富山での降雪・積雪は何時になるのだろう? 立山室堂では22~3cmという情報がある。これではスキーも出来ない。
でも、降ったら降った、降らなかったら降らないでの楽しみ方があるというもの。自然に逆らう事などない。そうはいうものの、これからいろいろな行事が予定されている。飲み過ぎて身体を壊さないように気を付けていなければ、何もかもが面白くなくなる。
11/23 寒波がやって来るという。でも、関東甲信越地方や、ましてや、都心に雪が降るというのであるから、北陸・富山では降らないだろう。でも、中部山岳を初めとする山沿いでは降るかもしれない。それは、嬉しいような、そうでもないような気持でいる。
今冬は、昨年なんかと比べたら、降るような感じであるが、それも、高所と局所に限定されるような事も耳にする。「山だけに降って欲しい。」 と願うのは、山を愛する人達ばかりではなく、普通の生活を送っている人達にも通じるところである。
初冬の山は、辛くあまり面白くないが、それでも行かぬわけにはいかない。そのためにも、私的公的に関わらず何もかもを片付けて、余裕のある体制を整わせておかなければならない。その点、今夕は、同窓会の後始末を世話人で片付ける事が出来、一つは終わったという感じである。
11/22 東京に住む姪にナメコを送ったが、その喜び方は、尋常でないくらいの反応で、送り方としては、また送りたくなる。久し振りの電話をもらったが、1時間も話し込んでしまった。その一番のナメコ料理が、天ぷらだというのだから、また驚きである。
不作と言うのか、それとも、時期が遅れたのか定かでないが、一通りの方々に配ったから、何となく、あっかりしている。「山ノ神」は、干しに掛かっている。ワラビ・コゴミのようにはいかないと思うが、お手並み拝見というところである。
11/21 昨年は、機会を逃した鋲岳・烏帽子山に出掛けた。特別の思いのある山ではないが、10回目を意識しての山行とした。朝方は、予報通り晴れるのかと思う程、黒い雲に覆われていたが、次第に晴れ間が広がっていった。
上部が白い後立山や、富山湾・黒部扇状地に目をやりながらであったが、ナメコばかりに気を取られてしまった。晩秋に幾度となくこの山を訪れているのであるが、ドサッと採った事はなかった。昨日の収穫までは、今年は殆どと言っていいくらいナメコに敬遠されていたが、今日はいつもと事情が違っていた。
折角、ゆっくり山頂で過ごそうかと思っていたのにである。無理やりのように「山ノ神」を、山頂まで導いたのであるが、その収穫のため、帰り時間考えれば、そう上手くはいかなかった。そして、その山頂で、また揉めたのである。
私は、一足先に山頂へ辿り着いたのであるが、日向ぼっこをしていた蛇を踏みそうになったのである。「わ~っ」 となったのであるが、この時期の蛇の動きは遅いのであろうか、スルスルと動かなかった。そして、標柱の前の板に乗っかって動こうともしない。石を投げたり、お湯をかけたりしたらどうか分からないが、ラジオのボリュウムを上げようが、ストックでトントンしようが、動じず、終いには頭さえ落とし眠ってしまったように見えた。
しかし、蛇が大嫌いな「山ノ神」は、見るのもその事を聞く事も嫌がり、山頂への手前でストップして座り込んでしまった。でも、ビールだけは飲むのであるからよく分からない。動きもしないし、食事に関しても何もしなかった。撤退の約束時間が来たので、せめて記念写真と思っても、その場所に行くのがイヤだというのであるから、シャッターを切ってくれと言ったら、目に入るだけでもダメだと怒ってしまった。
それなのに、「山ノ神」のいる場所で撮ってくれというので、言い合いになってしまい、私が三脚を片付けている間に降りて行ってしまった。普段なら、ちょっと、遅れても、すぐに追い付くのであるが、大量?のナメコを担いでいるからか、1時間経っても追い付かなかったのである。「怒ると何故か足が速くなる。」 のは過去の経験からあるのだが、それにしても可笑しく、何処かに隠れているのを追い越して来てしまったのかと不安にもなった。
でも、展望台なる入り組んだ所で、座っていたが、もし、そこに私が上がらなかったら、会えなかったかもしれなかった。また、一言二言言い合いになったが、新たなナメコを見付けて休戦となった。
11/20 幾つかの提案をしたが、「山ノ神」からの返事がない。そのくせ何処かへ行きたいのであるから困ったものである。お天気が良くないし、もしかしたら、ナメコがあるかもしれないとの思いから、近間の夫婦山と祖父岳に行く事にした。
そうなると、松瀬からのルートとなる。登山口で、軽トラに乗って来られた地元の方との話として、「自分達が作っているナメコも出来が悪い。」 と言っておられた。その方達は、ゲートを開けて奥へと行かれたが、私達は山へと告げると、「ご苦労様な。」の言葉を残して行かれた。
やっぱり、例年に比べると少なかったが、今までと比べると収穫があった。2パーティー5人の方々と出会ったが、ナメコ採りではなかったようであった。3人の女性がおられた山頂の片隅で、我々は、ひっそりと食事をしたが、今日は結婚記念日だという事を忘れていた。
松瀬から、4~5キロほどの所に、祖父岳桂原ルートがある。しかし、「山ノ神」は、行かず車で待機すると言った。此処まで来て行かないという事はなく、私の単独行になったが、課せられた時間は1時間半。でも、なるべく早く戻らなければとの思いから急いだ。
山頂近くから、ガスに覆われ雨が降り出す始末。三脚も出さず、三角点にカメラを置いて、2枚の写真を撮って下山開始となる。薄暗く誰もいない山道は、あまり気持ちの良いものではない。しかし、いつも思うのであるが、戻ったら達成感が漂うのである。
11/19 明日からの連休の遠出を中止とした。こちらと違い太平洋側のお天気は良いようなのであるが、この時期、どうしても行きたい山もないし、唯々、「山ノ神」の思い通りになりたくないとの思いもあるからである。もっとも、雨の夜行運転がイヤになっているのもある。のんびり寝られるし、同窓会のCD作りに精出す事が出来る。
11/18 先延ばしや割愛が多くなってきている今日この頃、ライフスタイルも変わりつつある。日付が変わる頃まで起きていたのに、午後11時時過ぎには、床に入る事が多くなってきている。朝も5時過ぎに起きていたのに、6時頃になりつつある。物事も、すぐにやっておれば後が楽なのに、先延ばしにする事が多くなった。そして、忘れる事が多いのだから弱ったものだ。
これで、「休日は山へ・・」 を、お天気が悪いからとか、所用があるからと、蔑ろにすれば、益々最悪のケースに邁進するだけのような気がする。イヤな事や辛い事を避けるようでは、衰退の一途である。頑固なのも如何かと思うが、芯がなければ折れてしまうような気がする。そして、一人では生きていけない。
11/17 親子のように歳の離れた山友に手紙を送った。何が気に入らないのか分からないままに、音信不通になってしまったからである。何もかもシャットアウトして、まるで貝のようであるからして、この手段を取らざるを得なかったのであるが、久しぶりに手紙を書くのも、それなりの感情を正直に述べるかのように思えた。
しかし、表現力の不足や誤字脱字などの弱点を曝け出しての呼びかけに、果たして相手様は、私の事を理解してくれるのだろうかと疑心暗鬼に陥らないでもない。多くの山の想い出は、財産であり、何一つ悔いはない。唯、訳分からず離れていくのに納得がいかないのである。
そんな事を思えば、幾つもの別れがあった。「あれだけ親友と言い合っていたのに・・」 「お互い離れたくないと言っていたのに・・」 などなど、思い出すには辛いものもある。先に逝ってしまった友もあり、別の道を選んで苦労している人もいる。取り返せる事が出来るのなら・・・ 「時が過ぎてしまった。」 「まだまだ、これから・・」 果たして、どちらなのだろうか?
11/16 今度の日曜日が休日なので、中5日で休日となる。中6日と中5日とでは、全然違った感覚! 週休2日の方々などは、慣れてしまっているから感じないかもしれないが、私にとっては、すぐに休日がやって来るという感覚なのである。
雪が待ち遠しいこの時期であるが、降ったら降ったで厄介である。草木・小枝に着いた雪で、ビショビショになるし、それ相当の積雪をみても、登山道を塞ぐように倒れる樹木は、そのルートさえ見誤らせる事に繋がる。
それでも行くバカ者に、「富士山が見える山に行こう。」 という「山ノ神」に閉口している。あちらは、カラカラ天気かもしれないが、またまた夜行の運転となる。もう夜はイヤ、雨なら尚更イヤなのであるが、行くとなると、欲張りの私は、もう一座となってしまう。何処までバカなのだろう。かと言って、何も決まってはいない。
11/15 今日は、亡き父の祥月命日。22年も経ってしまった。この間、何をしていたのだろうかとか、父は、私の歳に、どのようにしていたのだろうかと考える事が結構ある。それにしても、反省の他に、大した事のないと思っていた父に追い付きもしない自分のだらしなさに、嫌気を感じてしまう。
時代が違うかもしれないが、家庭を大事に、そして、家族の事を一番に考えていた父に、私は、それを上回る事など何もない。あえて言うなら、「休日は山へ・・」 のように、好きな事(趣味)に没頭しているという事だけかもしれない。
11/14 50年間で7回目の同窓会。時々会う人、それこそ、50年近く会っていなかった人など様々であったが、「元ちゃん」 「本間さん」 「元三さん」 など、呼んでもらえ、タイムスリップしたかのように、楽しい一時を過ごした。専門学校故に、年齢差もあり、普通の同窓会と違った味がある。
正午から飲み始めて、家に帰ったのが、次の日を跨ごうとしていた。山に行けなくて残念なところもあったが、それを全部帳消しにしてくれるくらいに楽しかった。「今回が最後」 とお世話したのだが、またという声も上がっていたが、それは、その時になってみなければわからない。
11/13 ようやく、9割方体調が戻り、明日の同窓会に間に合った。幹事の一翼を担っているだけに、どうしたものかと思っていたが、気分と意欲で治した感じである。”肺炎” が、脳裏を過らなかった事もなかったが、「そんな筈がない。」 とだけ思い続けた。そんなわけで、明日の山行はお休みである。以前なら、その前に、牛岳辺りを歩いてからにしていたが、今は、そんなわけにはいかない。
11/9 大熊山へ行く前から、何だか調子が悪かった。痛かった喉が、今度は、声が出なくなった。(かすれている。) そして、右耳が痛くなった。熱はない。食べられない事はないが、5月の”肺炎”のようにはなりたくない。こうして、一回一回の病で歳を取っていくのだろう。
11/8 お昼過ぎから、お天気が崩れるという予報であったが、孫達を送ってから、高落場山へ出掛けた。時間的にも、雨に遭わないのではとの考えと、昨年、倒木にびっしりと着いていたナメコが気になっていたからでもあった。でも、さっぱりでした。
それでも、この時期、ブナ林の中を歩くのは、とても気持ちがいい。葉は落ちているから、裸の白い樹木の羅列かもしれないが、それがまたいい。そして、なんと言っても、サラッサラと落葉を踏みしめるのが好きなのである。何日か晴れていなければ、そのような登山道を歩けないのであるから、そういう面ではラッキーだったようだ。
「もうすぐ降るかもしれない。」 「まだ少し降らないだろう。」 と言い合いながら、林道を歩き高清水山へと向かった。予定になかったのであるが、「もう一座」 に登るのが好きなのである。特別な事もないのにである。
それでも、林道歩きの間に、フキノトウ採りをやった。大きな葉の着いた根元あるのだが、なかなか採りにくい。でも、この時期のフキノトウは、なかなか口に入らない。美味しいか美味しくないかは、それぞれであって、寸評は控えたいが、何か手にした喜びはある。その時間を費やしたため、車に戻る少し前から雨になった。
11/7 今日は、ねぎちゃんも一緒で、大熊山に行って来ました。一日中お天気で風がなく、しかも暖かく、シャツ一枚でもOKという日和でした。標高1,300m辺りから積雪を見たのですが、まだまだ本格的な雪ではないようです。しかし、予報通りなら、明晩か明後日辺りから寒くなるようで、山ではかなりの積雪をみるかもしれません。
ぬかるんだ所、笹薮に覆われた所など厄介な所があったのですが、仲間と一緒に登るのは、それ以上に楽しく、何もかもを帳消しにしてくれるようでした。このところは、割とお天気に恵まれ、雨具を纏う事も少なく、ようやく帳尻があって来たと盛んに言い合っていました。
それにしても良いお天気で、「出来る事なら寝そべっていたい。」 という雰囲気でした。剱岳は元より、大日岳や奥大日岳、北方稜線に毛勝の山々、大辻山から七姫山や臼越山、もちろん、前大日岳や鍬崎山なども。遠くは五箇山の山々の奥に白山も。富山湾や富山平野など、何を眺めても堪能というのか感嘆の声を上げたのでした。
もしかしたらのナメコは、この大熊山でも、殆ど見当たらず、ちょっぴり寂しい思いをしましたが、対岸の山々の陽に当たった紅葉を楽しませてもらい、満足満足と急な山道を降りたのでした。
11/6 息子もムコ殿も帰って静かになった。ちょっぴり寂しくなったが、平常に戻っただけだ。この後、いろいろなイベントが待ち構えており、楽しみもあり、憂鬱になるものもある。これも、山歩きと同様、山あり谷ありである。
明日の予定は大熊山。ピーカンの予報であるが、行ってみなければ分からない。でも、助っ人が現れた。また楽しくなりそうである。そして、恐らく、諍いも起こらないであろう。
11/5 今日は、本当に良いお天気で暖かかったのに、何となく寒気がする。しばらく、風邪と縁がなかったのに、一つ躓くと、ガタガタとなるのかもしれない。いつまでも元気でいようと思っているが、なかなかそうはさせてもらえないようだ! 取りあえず、早く寝て、明後日の山行に備えなくては・・・・
11/4 長男が突然やって来た。今年4回目である。以前はこんな事がなかっただけに、「もしかしたら・・」 と、期待をしてみたが、その方は全然であった。奇しくも、この日は、ムコ殿がやって来る日でもあったが、最終の”かがやき”故に、我家到着は、日を跨いだ。娘もそれに合わせたのであろうか、残業して、同じあいの風鉄道の最終で帰って来た。
飲みながら待ち続け、そして、また飲んだのであるが、午前2時半を回ったところで、流石に限界だど思い若い者に任せて床に入った。まあ~、良いか悪いかは分からないが、人が集まるというのは楽しくて愉快である。
11/3 「明日、槍ヶ岳に行こうと思っていたのだが、変更して奥丸山に行く。」 と周さんが言っていた。こんな時期に行こうと思う事自体ビックリするが、モチベーションの高さなのだろうか? 元気者は、倍の速さで歩くのだろうが、自然の脅威を侮らないで欲しいと思う。後は、健闘を祈るしかない。
高所へ出掛ける晩秋から初冬に掛けての山行は、これでもかと思う程、注意しなければいけない事がいっぱいある。何もなければ、結果オーライなのであるが、ミゾレなどに見舞われると、それはそれは辛いのである。雨具と防寒具を、別に用意しなければいけないし、手袋一つでも濡れたら、それはそれは、辛い思いをしなければならない。まあ~、彼の事だから、ケロッと、帰ってくるだろう。
11/2 ようやく、立山・白山の初冠雪が観測された。立山では、遅い記録として2番目だそうだ。今冬も、小雪・暖冬という予想もあるが、結構降るという予想もある。しかし、観測技術が発達しても、分からないというのが本当のところか・・・
一年一年、思うような山行が出来なくなって来ている現状であっても、冬の備えはしなければならない。週明けには、タイヤ交換を終えたいと思っている。それは、高所の峠越えや早朝発に対応する為の備えでもある。一寸の自由時間でも無駄にしたくはないから・・・・
11/1 またまた数字の遊び。日本百名山や山岳標高ベスト100、また、新日本百名山や花の百名山。他にも、二百名山・三百名山。富山にも、越中の百山や富山の百山など、目標として、いろいろと心を弾ませてくれるものがある。
それに近付きたいと、一時は、とても燃えた事もあったが、今は、ちょっと萎みかけている。費用や体力の他に、時間的制約も大きく影響しているのも事実。もしかしたら、意欲が衰えたと言った方がいいのかもしれない。
10年、いや20年前程は、夜行日帰りで、そしてまた、両夜行日帰りで、何処の山まで行けるかを真剣に考えていた事があった。その頃は、「山で遭難しないかもしれないが、車で遭難するな!」 と、よく言われたものであった。
九州や北海道へ、いつ行けるか分からない現在では、自分を急き立てる新たな目標なるものがいる。それが、「50回以上登る山10座、10回以上登る山100座」 である。他人様には、何の意味もない事なのであるが、私だけの指針なのである。
現在、50回以上が3座、10回以上が37座、5回以上が77座である。その77座目が、昨日の高頭山であった。10回以上の予備軍として、4回が15座、3回が18座ある。見逃しているものもあるかもしれないが、それはそれでいい。最後の最後に、二上山も数にいれるかもしれない。(笑)