12/31 今年も、何もしないままに終わってしまった。もったいない。「残り少ない人生なのだから、思った事をやればいいのに・・・」 と思うのであるが、なかなか進まない。本当に、唯々、時間が過ぎていくようで仕方がない。

 「来年こそは・・」 すこし勇気を出して、小さい後悔で済ませたい。そして、嫌悪な顔は出来るだけ見せないで、笑って、そして、また笑って過ごしたい。怒って良い事など一つもないから・・・・、出来れば、「イヤな事など、すぐに忘れる。」 技を磨きたい。忘れる事が多くなって来ているだけに、その事に少しは期待したい。



12/29 まだやりたい事がたくさんあるのに、体力は下り坂。それは否応なしであるが、緩やかなものであって欲しいと願っている。来年は、一つ上の世代に突入で、ようやく慣れた10年間と、おさらばである。「衰え。」 というキーワードで、その格差は広がるのであろうが、あまり自信がない。

 ならば、気力はどうだろう。尚更まだらで、気分によって、あっちにもこっちにも引っ付くような、かなりいい加減である。もっと、楽な遊びもあるのだろうが、止めたり、間引いたりすれば、最早、「元さん」 でなくなってしまう。もう少し、意地でも頑張ってみたい。



12/28 雪が降らない。雪マークが出ても降らない。高岡の市街地は、車上や屋根に、薄っすらと積もった事があったが、まだ地べたには積もっていない。日常生活には雪はいらないが、山遊びを好む者にとっては、山だけに降って欲しいと願っている。

 元日は、尖山辺りを、そして、2~3日は、城ヶ平山や千石城山辺りで、雪中キャンプを目論んでいたが、その条件として、50cm以上の積雪がある事としていたから、今のところ危うい。そうなると、4日間の休日は、お天気を見ながらの山行となりそうである。



12/27 娘と孫達が上京して(ムコ殿の所へ)、今日で3日目になる。保育所や育成クラブ(学童保育)の送迎もなく、時間的に余裕があるが、「山ノ神」と二人だけになっても、特に話す事もなく、夜になると、お酒を飲むか、PCの前に座るだけになる。

 こんな時に、書店や家電店などに出掛ければいいのにと思うが、ライフワークの違いを、そう簡単に埋めれない。そうなれば、山の本を読むか、ネットで用品を眺めるしかないのかもしれない。まだまだ年末年始の準備があるのに・・・



12/26 今年最後の山行日であると共に、今年最後の休日でもある。如何に山歩き中心のライフスタイルとはいえ、「する事」 「やり残している事」 がたくさんある。そこで、簡単な装備で、早めに帰宅出来るハゲ山・城ヶ平山へ行く事にした。

 朝食を済ませてからの出発であるから、荷は、雨具くらいでいいのではであったが、コーヒーぐらいは飲みたい。食べる食べないは別にして、一応麺類を準備するとなっていった。もちろん、「山ノ神」のあれもである。

 西種(水上)から、少し登ったところで、水を忘れて来た事に気が付いた。いつもなら、必ずといっていいほど、1・5~2.0Lの水を担いでいるのであるが、前夜に準備をしなかったからか、痛恨のミスである。辛うじて、「山ノ神」が自分の飲み水として、500mlを持参していたので、何とかなると思ったし、飲まなくとも食べなくともいいとまで思った。それは、「車まで、取に行って来たら?」 の「山ノ神」進言を無視したのである。

 飲む・食べる楽しみは、それとして、雪が隅っこに、チョッピリあるくらいの登山道は、ぬかるみも殆どなく、快適に歩く事が出来た。ハゲ山や峠山では、剱岳を充分すぎるくらいに眺めれたが、城ヶ平山では、剱岳だけが姿を消してしまった。それでも、いつもの通り、富山湾や富山平野を眺めているだけでも気分がいい。

 500mも満たない標高のハゲ山・城ヶ平山であるが、なかなか趣のある山である。その頂きで、お湯を沸かし、一つの冷凍麺を分けて食べ、コーヒーも ”はんぶんこ” して飲んだ。ある程度の雪量があって、お天気もまずまずの条件なら、お正月の三が日に、雪中キャンプを目論んでいるのであるが、果たしてどうなるか分からない。城ヶ平山や千石城山が候補なのだが未だ分からない。



12/25 明日は、今年最後の山行日。天候は、必ずしも良くないが、それでも、午前中は、まずまずのようである。さて、何処へ行こうか? 雪を求めて金剛堂山・夏道の大鷲山・早めに切り上げられる城ヶ平山・ハゲ山などが候補であるが、どうなるか分からない。お互いする事があり、コミュニケーションが悪い。いや、かなり無視され(無視し)直前まで分からないというのが実情!



12/24 今夕、先日、大辻山へ一緒してくれた犬田君が、手土産をもって訪ねて来てくれた。すぐに、大辻山行の事を尋ねてしまったが、「全然違和感がなく楽しかった。」 と言ってくれてホッとした。そして、「休日が合えば、また一緒したい。」 とも言ってくれ、何だか、また新しい山友が出来たような気がした。

 百瀬慎太郎ではないが、「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」 である。自分が元気であれば、付き合ってくれるだろうが、元気がなくなると、必然とそれが減るのは目に見えている。今の大事な仲間達に、ずっと仲良くしてもらうためにも、元気でいなければならない。精神的にも肉体的にも、鍛錬を怠らないようにしなければ・・



12/23 私の年賀状は400枚。「山ノ神」と娘が、各々50枚。合計500枚を用意したが、欠礼のハガキが39枚も届いた。そのような事もあり、少々余るかもしれないが、それはそれで構わない。そして、ようやく、ここ2~3日で投函出来るメドが着いた。

 僅かなコメントだが、一人一人の顔を思い浮かべて書くのは、結構楽しい。追い詰められて、焦る気持ちが同居したとしても、私は、それで年末という気になる。一年一年、「らしくなくなってきた。」 というけれど、良いにつけ悪いにつけ、それは、自分達が、そのようにしてきているのだと思う。

 来夏に迎える誕生日で、私は、もう一つ上の世代になる。なりたくなくてもなるのであるから仕方がない。「歳を取りたくない。」 「若くありたい。」と思っていても、避けられない事であるが、もう一つ、努力が足りないような気がする。「言うは易く行うは難し。」



12/22 今年も残すところ、山行日としては、後一日(一回 12/26)となった。今年の山行を振り返ると、いろいろと制約のある中、まずまずではなかったかと思っている。肺炎を患うというアクシデントには、聊か参ったが、今は、それに増して元気になった?と思っているが、歳を考えるとそうでもないらしい。

 でも、大地・初雪山の雪中キャンプは出来たし、久しぶりの剱沢キャンプを仲間と出来た。また、長く温めていた飯豊山にも行く事が出来たのも喜びである。後は、与えられた時間を有効に使い、近間の低山歩きに徹した感がある。どちらにしても、山に接する機会を与えてもらったと感謝の念に堪えない。



12/21 大辻山から戻って、FBに投稿しようと開いたら、ニッチモサッチモいかなくなり、強制終了を余儀なくされた。それが何度となくなるから、終いにはイヤになってしまった。「止めてもいい。」 と思った矢先に復活した。でも、遅いニュースなど誰も欲しがらない。

 ようやく年賀状に着手出来た。本当にようやくである。毎年であるが、ずっと前からやり始めなければならないのに、明日・明日と延ばしていたツケが回って来て、後々辛い目に遭わなければならなくなる。でも、やるしかない。そうして、何とかなるのだから不思議である。



12/20 今回の大辻山(12/18)に犬田君が加わってくれた。その犬田君は、私の3人の子供達より若いのであるから、どれだけ雪山に憧れていても、熟年いや高齢者?達と一緒するのに、かなりの抵抗感があったのではなかろうかと、私は勝手に想像している。

 しかし、歩いてしまえば、奇妙な言動やお節介を除けば、まあ~、そんなに違和感がないと思うのであるが、どうであろう。それよりも、熟年パワーに驚いてはいないだろうか?とも、これまた勝手に思ったりしている。

 イヤだったら、次から来なければいいだけの事であり、興味があれば、また参加してくれたっていいのだから、楽なもんだよ!そう言いながら、休日の違いもあり、なかなか一緒出来ないのである。これからの私(達)は、後何年どころか、何回も歩けないかもしれないし、今回は貴重な山行となったのである。



12/19 周さんのスマホ探しに、今日も大辻山へ。しかし、我家の事情からして、そんなに早くスタート出来なく、ムードを盛り上げればいいような感じで、国少の家午前9時半頃となった。そこへ、やっぱり気になってか、河原氏もやって来た。足の速い河原氏には、先に行ってもらい、我々は、その後を追った形になった。それでも、トレースのなかった前日と違いピッチは上がった。

 しかし、午後3時頃まで、国少の家まで戻らなければならない行程に、「山ノ神」 と、長尾峠で分かれる事になる。私は、長尾山経由で山頂へ向かったが、「山ノ神」は、前日、周さんが一人で降った⑨番から、②との合流点まで歩いたようである。

 その先、奥長尾山方面から、降りて来られた男性に声を掛けた。もちろんスマホの件である。それが、なんと、スマホを拾っておられたのだから、ラッキーであった。としても、いろいろお話しなければ、お渡し願えないのが本当のところ。たまたま、どんなタブレットか知っていたし、身元などをお知らせして、お渡し頂いた。

 そうなると、俄然、元気が出て、先行の二人に知らさなければいけなくなる。どちらにしても、山頂で会おうとなる。その山頂は、素晴らしい展望に恵まれ、何もかもが素晴らしく眺められた。記念に写真を撮り、午後1時、すぐに山頂を降りた。いい日だった。



12/18 あまり降雪がなければ、除雪車との遭遇もないと見込み、これまで強靭なまでのラッセル隊をもってきてでも、何度となく林道歩きで終わった事があるので、「アルペン村午前6時15分」 と、集合時間を少し切り上げた。それでも、緊張してからか、それよりも、ずっと、早く来ていたメンバーもあった。

 元気者の周さんと河原氏に、今回初登場の犬田青年が加わってくれた。余程の積雪がない限り、この3人にラッセルを任せ、私達は後から付いていけばいいとの思いがあり、それを見守った。ツムラ68番のお世話になった3名があったが、それでも、負けられないとの思いがあるのか、その相乗効果が手伝ってか、国少の家から、5時間半程で山頂に到達する事が出来たのである。

 剱岳こそ拝めなかったが、それでも、頗る良い展望に、達成感も手伝ってか、大満足の表情が伺えた。ある程度の食材と笑いがあれば、何もかもが楽しかった。雪質が、もう少し良ければ、ベンチ・テーブルも格好良く作れたのであろうが、それは、愛嬌で何とでもなった。

 下山路も順調に推移したのであるが、城前峠で、突然周さんが、「スマホがない。落としてきた。」 言い出したのだから、ちょっと後味が悪かった。明日も私達の山行に付き合うと言っていた周さんであったが、その事で、何もかもが白紙に消えて、明日も大辻山へとなったのである。



12/17 明日のお天気は、どちらかというと曇りがち。お日様が覗くという予報が、だんだんと、そのお日様の数が少なくなっていく。でも、その通りになったという事は少なく、行ってみなければ分からないというのが正直なところ。

 そしてまた、行けば悪いが(降るし)行かなければ晴れるというパターンが多いのも事実である。



12/16 今度の日曜日は、ハレルヤ山行日であるが、幹事にお許しを得て、大辻山に行く事にした。現在、高岡の積雪は0センチであるが、県東部では、かなりの積雪を見たらしい。またまた林道歩きで終わるかもしれないが、今は、山頂への意欲は充分ある。

 陽が短い時期だけに、林道歩きに時間を費やせば山頂は遠い。でも、この時期、どうしても、大辻山のてっぺんに立ちたいという願望が、そうさせるのであるが、山仲間への不義理に繋がるのはちょっと辛い。そんなところに、援軍が現れた。違った味を出せたらいいのだが・・・



12/15 最近、FFFTPの調子が悪い。(いや、違った所に原因があるのかもしれないが・・) UPしても、私のPCでは、前日のものと変わらないのである。でも、他のタブレットでは見えるのであるから、やっぱり何処か可笑しいのである。

 自分の怠慢から更新が遅れているのも確かである。「今日は、もういいや!」 とか、「明日にしよう・・」 などと、怠けているのである。また、綴っている自分がマンネリ感があるのだから、見てくださる方々にも、同じ事ばかりや、何を戯けた事をなどと思われているに違いない。

 以前は、「イヤければ、見なければいいのに・・」 と強気のところを見せたりしていたが、最近は、やや仏様に近付きかけているというのか、柔らかな心持になってきているのは間違いない。でも、時折、その反対もある。それは、尚更の反動のようにも見える。人としてはまだまだ・・・



12/14 お酒が切れた。その機会に、一日でも飲むのを止めようと思った。いや、休もうと思った。毎日のように飲んでいるのに、胃袋は、さぞかしビックリしているのではなかろうかとの心配はあるが、飲まなければ、その分費用が掛からない上、飲んでないから、何処へでも出掛けられる。それを生かし、今日から年賀状と思ったのに、寒いからと、早めに床に着いてしまったのでは何にもならなかった。



12/13 山から帰って、すぐに同業の有志との忘年会に臨んだ。山ではあまり食していないので、空腹でのお酒に一抹の不安があったが、気持ちよく飲めた。そして、大量?に飲んだ。(ような気がする。)いつもは二次会なしなので、ほどほどに帰宅するのであるが、この日は郊外のカラオケハウスに出向いた。

 私は、カラオケが苦手。歌わないから下手になる。下手だから歌わない。どうしても歌えとマイクを渡されて歌えば、古い昔の歌だと言われたり、騒音・雑音にしかとられていないような気がする。そのような悪循環から、益々下手になっていく。

 ところがである。この有志の会は、私より下手なのが半分以上いるから助かる。下手な私でも上手に思われるから、調子が良くなるというもの。

 そして、また飲んだ。隣がコンビニとあって、持ち込みも利くし、安上がりと来ている。上機嫌のまま散会としたが、結構長い距離を歩いて帰った。きっとフラフラしながら帰ったのだと思う。靴の散乱状態とか服の脱ぎ方をみれば、相当酔っていたのかもしれない。でも、仕事は出来たし、食事もチャンと出来たのであるから、何の問題もない。



12/12 午前5時半くらいに家を出ようかと思っていたが、相当の冷え込みで、車のフロントガラスが凍っていて手間取った。一応の装備をしたが、途中の食事が疎かにならないともいえないので、コンビニで菓子パンを買って臨んだ。もちろん、滑らないように慎重な運転に心掛けた。

 五箇山トンネルを抜けると路面が白くなっていたし、下梨手前の気温表示はマイナス5℃(車はマイナス3℃)であった。上梨の田向から林道に入るのであるが、今は、小水力発電の工事が行われている。もちろん、時間的にも、工事前なので問題なく通過となる。大きなヘアピンカーブを過ぎた頃から雪が現れ、中根山荘付近では、かなりの積雪となった。

 「登山口まで行けるかな。」 と思ったが、新雪だし勢いで車を走らせた。20cm超の積雪で、車の気温がマイナス9℃であるからびっくりした。杉林の中は左程でもないが、スノーシューを履くには充分な雪量であった。

 第一休憩所までは、順調に歩く事が出来たが、第二休憩所までは、無雪期の倍以上の時間を費やさねばならぬ羽目になり、もう、三ヶ辻山は頭から消えた。宮屋敷跡までの急登箇所となると、ラッセルが膝上になり、踏み固めたり、小枝を掴んでの登高となり、次第に消耗していってしまった。

 宮屋敷跡でちょっぴり休んだ。登山口に午後3時に戻るとした場合、宮屋敷跡から登山口まで1時間半を想定すれば、あと2時間弱しかない。そうなると、人形山もダメとなった。残されたのは、春木山であった。しかし、1m超の積雪であっても、ヤブ状態であった。

 雪上を歩くのと違い何処が何処か分からない。GPSを頼りに歩くわけであるが、木々を掻き分けても、その間の雪は柔らかく、ズボッと沈むのであるからかなわない。少し歩いては、GPSを見るのでは距離も稼げない。積雪期・残雪期の晴れている時は、何事もなく歩けるのにである。

 これでは、かなわないと思い南東側の斜面に近いギリギリの所をルートとした。しかし、藪から逃れても、膝上まで沈むのであるから容易ではない。降って登って平らな所に出て、今日はそこで止める事にした。宮屋敷より10mくらい低い春木山の山頂には届かなかったが、単独だし、また体力の衰えもあるのだから、仕方がないと思った。

 宮屋敷跡に戻る僅かな距離であるが、やはり難儀した。それでも地形図にある点線上を辿ったら、宮屋敷跡と反対方向に向かってしまうところであった。あまり写真を撮れなかったから、三脚を立てて何枚か撮ったりした。時計を見たら、午後3時まで70分しかなかった。

 雪上だから走れば何とかなると思ったのであるが、何度か深みに嵌り足が攣ってしまった。焦ってはいけないと思い直し、身体を整えてから改めてスタートしたのであるが、10分遅れだけで登山口に到着となった。小水力発電工事付近で10分程度待たされたが、孫達の迎えに何とか間に合った。



12/11 明日は、孫達の送迎や「山ノ神」から解放されるというが、夕方から忘年会もある事だし、人形山辺りに行く事にした。人形山・三ヶ辻山・春木山が、ターゲットとなるが、積雪状況、そして、小水力発電工事の通行規制などが気にかかる。ダメなら、戻って、考え直せば良いだけの事。



12/10 もうそろそろ冬の準備である。綻びている物もあれば、手入れをしなければならないし、使い物にならないような物は手当てをしておかなければならない。車とてそうであるように、タイヤだけ換えておけばよいものではない。イザという時のために、スコップや、その他の小物を準備しておかなければなるまい。でも、これは、過去に痛い目にあった者の取り越し苦労かもしれないが・・・・



12/9 堕落の道を歩き出しているのかも分からないが、時々、「どうでもいいや!」 と思う時がある。信念を失いかけているのか、元々なかったのかもしれないが、弱い心を曝け出し始めたのであろう。当欄も、「別にいいではないか?」 とか、「無理しなくても・・」 になってきている。

 山から戻って、「何がなんでも、今日の内に・・」 というところが、まるでなくなったのは、体力・根性というものより、ハリがなくなったからであろう。その証拠に、この頃は、「若いっていいね!」 を連発するようになっている。

 「まだまだ・・」 と言っていても、そういうところにも衰えを感じながら、弱い心(良い心?)と強い心(悪い心?)の綱引きが連日のように戦わされており、弱い心(良い心?)が、萎んでいくのである。朝の僅かなトレーニング(5分程度)は、今のところ、まだ負けてはいない。



12/8 今度の休日は、「山ノ神」に所用があり、解放される事になった。「自由?」 に使えるようになるのであるが、今度も忘年会があり、やはり制約がある事になる。でも、日没が早いから、必ずしもそうだとも言い切れない。

 ならば、この機会にと思っても、この時期行ける山は限られている。息を切らして、修行のような歩きも、たまには良いのかもしれないが、あれやこれやと話しながらの方が楽しいかもしれない。予報は、ちょっとは良いような感じである。でも、まだ分からない。



12/7 カンジキもそうであるが、スノーシューも、幾つも壊したし、部品も何度となく取り換えた。現在使用している二つのスノーシューも、あちこち手を加えている。そんな事もあって、今回、もう一つ買ってしまった。ナケナシのお金をはたいたから、大事に使わなくてはならない。

 今度が最後と思って買う物が多いが、決して最後にはならず、ずっと買い続けている。行きたい所があれば、辛くともお金を惜しんではならない。万が一の事が起きてから悔やんでも始まらない。行きたかったら仕方がないところ。たった一度であろうが、どうしても行きたい所があれば、惜しんではならないのである。



12/6 昨夜の忘年会は、良く飲んだ。良いか悪いかは分からないが、近年にないほど飲んだような気がする。久し振りに会った仲間もあり、話が弾み随分と楽しかった。でも、私の独り善がりかもしれない。気温が下がり、雨も降っていたから、どうしようかと思っていたが、行かないわけがない。

 家を出たのは、午前10時を回っていた。昨夜はたくさん飲んだから、この時間になっても、何かあったら、酒気帯びにならないとも言えないので、慎重な運転に心掛けた。芦峅寺の雄山神社横を通り抜けた頃から雪になった。大辻林道は真っ白になり、長尾峠で一旦車から降りて計測したら、10cmの積雪であった。

 鳥越峠発は、正午を過ぎていた。唯、高峰山の往復となっただけであったが、雪道を歩くのは気持ちがいい。食事もコーヒーも沸かさない寂しいものとなったが、それなりの成果(満足感)と思わずにはおられない。そして、今冬3度目の雪となったが、雪中を車を走らせたのは、初めてとなった。



12/5 富山で好山病の忘年会があるし、近間の牛岳を選んだ。暫く行っていないし、新しい登山道が出来たとも聞き及んでいた事もあって、雪のない時に偵察がてらとなった。その稜線コースなるや、積雪期に使われる所を刈り込んでつくられていた。

 地形図には、6合目から稜線に出て、後は、その稜線を辿るものとなっているが、何時まで使われていたのか私は知らない。この度つくられた砺波登高会のコースは、その稜線まで、ちょっと東寄りを辿っていた。そのコースは、これでもかと思うほど、虎ロープが施されていたが、それを証明するかのように、雨の時や、雨が降った後は、ズルズルといきそうで、とても登り易いとは言えない。でも、稜線に出てしまえばそんな事はない。

 時々、強風が吹いたり、雨になったりしたが、それほどでもなく、雨具を纏った私は暑く感じた。三角点にベンチが設けられていて、新たな標識も立っていた。ちょっと早かったが、この場所の方が雰囲気が良いと思えたので食事とした。この先にある牛岳権現様が祀られている所が頂上なのであるが、最高点であり、三角点があるこの場所が、頂上と思われるのはそう遠くはなかろう。

 頂上は、必ずしも、最高点とは限らず、また三角点がある所ではない。言い伝えや行事(信仰)などが加味されたものであろうし、歴史を紐解かなければ分からないところがある。その権現様のある頂上に立ち寄り、下山は従来の登山道を辿った。その要所要所に、”危険” と記され、そして、稜線コースを辿るように表してあるが、その危険とされるところには、ここにも、虎ロープが施され、こちらの方が楽なように感じたが如何だろうか?

 ナメコはなかった。これからなのかと思う程であった。そうして、久しぶりであった牛岳登山が終わった。152回目であった。

 

12/4 明日のお天気は、2~3日前の予報より、上方修正された感がある。その通りになれば、雨は明け方までで、日中は陽が差すかもしれない。後は、娘の体調だけである。でも、明日は、忘年会もある事だし、近間の低山歩きに甘んじようと思っている。さて、どうなる事やら・・・ 起きてみてからでないと分からない。



12/3 明後日は、忘年会であるが、連休でもある。このところ、娘が結構便宜を図ってくれて、窮屈ながら、それなりの山行に繋がっている。その娘がダウンした。その症状を掌握し切れていないので、はっきりは分からないが、もしかしたら、仕事にも行けないかもしれない。そうなると、我々の 「休日は山に・・」 も、どうなるか分からない。

 そうなったら仕方がないが、一年に一度の忘年会へ出席するのに支障とならなければいいのだが! 本当に世の中は、自分の思う通りにはならない。何処かへ行こうとすると、病気になったり、所用が出来たりする。子供が、行事になると、熱を出すのと同じである。



12/2 新しい物へのチャレンジという面から、スマホへの関心が深まり、今年中にはの思いがあった。しかし、イザとなると、その決心というのか踏ん切りがつかず、あれやこれやの言い訳がましくなる。

 もっとも、現在使用しているガラケーでさえ、その使用頻度を考えると、イザという時以外、使い切っていない状況である。もったいないと思えるのに、この上、果たしてスマホを有効利用出来るのかである。しかし、これも、時代の趨勢というのであろうか、20年近く前のPCもそうだったように無くてはならぬ物になっていくのだろう。

 さてさて、キャリアはダメでも、格安スマホならと思うのであるが、あまりにも数が多く、その表示方法も様々で、私のような、その道にオンチな者には本当に分かり難い。そう言っていないで、求めてしまえば、良いも悪いも、それなりになるのであろうが、財布にゆとりのないからか決断が鈍い。でも、やってみたい。

 

12/1 好山病・・の忘年会(12/5)の参加者の概要が整った。元々月曜日の会だけに、参加するには相当の調整がいる。それを凌いで参加してくれる仲間に感謝したい。忘年会は夜であるから、大方は、シュラフを持ち込んで泊まりとなる。そして、また勤務先に出向かなければならないのであるから、体力の他根性もいる。

 最近は、多くのメンバーを集めての山行はめっきり少なくなった。休日の違いは初めから分かっているのであるが、10年も経てば、お互い周りの環境が変わって来ているから、それは仕方がないことである。でも、個々が、時々思い出したように、調整しながら一緒してくれるのであるから、いつも感謝の念に堪えない。

 今度の月曜日、富山の真ん中で、久し振りに歓声を上げたい。同じ釜の飯を食った仲間だし、運命共同体として歩いていた仲間であるから、少々会っていなくても、すぐに元に戻るような気がする。例え歳の差があっても、暫しの時間は、それをも忘れさせてくれるのである。