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4/30 明日は、高岡御車山祭。ユネスコに登録された事で、今年から学校が休みになる。非常に結構な事であるが、その事で、私(達)の休日が、一日つぶれてしまいそうである。そのお祭りに一緒してやるのは吝かでないが、午前中に山へも、孫達を連れて行かなければならない。しかし、お祭も山行も雨に見舞われそうである。
4/29 「夫婦でたくさん登っている人達は、そんなに多くはない。」 と言われて、そう言われてみれば、「そんなに多くはないかも・・・」 と思った。でも、我々夫婦の山行は、自慢出来るようなレベルのものではなく、唯、数多く歩いているだけなのだ・・・・
でも、これが、もう5年・10年続けられれば、少しは評価されてもいいような気がしている。岩峰を登るわけでもなく、厳冬の高所にチャレンジしているわけででもないんだから、今の私達の年齢では、それ程の内容ではない。
今の状態で80歳を超えておれば、それは評価してもらってもよいような気がする。しかし、これからは、クレパスが待ち構えているように、また、突然の落石み見舞われかねないように、いくつものハードルがあり、そのハードルはかなり高くなってような気がする。「そんな危険な事を止めたら・・・」 と言われても、「それしかないんだから・・」 の如く、今しばらく夢を追いたい。 (私だけなんですが・・・)
4/28 明日からGWである。この時期になると、北ノ俣岳に何故か行きたくなる。もしかしたら、それなりの標高(2,662m)があるからかもしれない。北アの奥深くの山並みを眺められる事もある。しかし、「山ノ神」と一緒だと、いつも、往復に12~13時間を要している。
ともあれ、ついて来るのだから、蔑ろには出来ない。自分自身にもノルマを掛けている事もあり、その目標もある。北ノ俣岳へは、10回登っているが、寺地山には、もう1回登らなければ10回にはならない。今年は、それを達成しなければと思っている。
4/27 3~5月が、山としては一番いい季節であると思っていた。陽が長いし、アイゼン・ピッケルが程よく使えるなど魅力がいっぱいである。しかし、歳を重ねる毎に、いろいろと所用が重なるし、最近では、山菜取りなるものが増え、その機会を減らしている。
何が良いとかは、各々が考え思う事だし、批評めいた事もいうべきではあるまいが、 そんな上で、”危険” のリスクは増しているのかもしれないが、ピッケル・アイゼンが軋む感覚が久しい。この時期の一時でもいいから、「山ノ神」から解放され、我身の事だけを考えればよい山歩きをしてみたいと思うのはダメな事なのだろうか?
4/26 年初めから、巡り合わせが悪いというのか、私達の休日は、あまり良いお天気に恵まれなかった。一年を通じれば、大体帳尻が合うと思っている私であったが、このところの休日は、「晴れ」 「晴れ」 が続いている。時々、時間制限から解放される事も手伝って、頗る気分が良い。
しかし、良い事は、長続きしないというのが常で、これからが危うい。でも、強くモチベーションを保っておられれば、それなりに何とかなるような気がする。これから、しばらく残雪の山が続くだけに、もう少しお天気に恵まれればいいなと思っているのだが・・・
4/25 臼越山へは、人津谷本谷から分かれて、林道を辿るか、それともショートカットして斜面を登り、986mの標高点右側(東側)の尾根を登るようになった。私が、初めて臼越山に挑戦した時は、今から15年前であるが、現在利用している尾根より右側の谷 (臼越山南西部ある砂防堰堤の多い谷)から詰め鞍部に出たのであった。
尾根筋を辿るようになってからは、もう谷を詰める事がなくなった。大辻山から大日岳方面に延びる稜線上の臼越山 (大辻山から4つめのコブ) にあと4回登る機会が訪れるかどうかはわからない。
4/24 藤橋ゲートが閉まっていた。「アルペンルートが開通しているのに何故?」 と思ったが、歩く事にした。暫くして、車が何台か上がって来たから、時間的なものだったのかもしれない。 (下山時は、ひっきりなしに車の往来があった。でも。余計に歩けた事に感謝しなければ・・・?)
人津谷ゲートから雪があった。途切れてスノーシューを外した所もあったが、全般的には雪があり、少雪と言われていたが、遅くになって降雪があったからであろうか、ある程度の山々の雪の状態は、概ね「まだ有る。」 である。
水門上の林道をショートカット出来るくらいに斜面の雪量があったし、(しかし、小沢は渡らなければならぬ状態になっていた。) そのまま、バッチリ雪上を歩く事が出来た。七姫山との鞍部から分かれて、しばらくした急登箇所だけは、雪が着いておらずヤブを漕いだが、短い区間であったし、まるで道が付いているような感じで、それほど苦労を要しなかった。
先の鞍部から270~280m程登らなくてなならないのであるが、最後の最後に「山ノ神」の息が切れた。先に行って準備をしておけ! (穴を掘って、お湯を沸かしておけ!) とでも言いたそうな感じに受け取れるのであるが、好天だから迷う事がないにしても、途中で何かアクシデントが起こらないとも言えないので、振り返りながら声をかけながら、一足先に山頂に立った。
今回は、6回目の臼越山となったが、一番展望が良かったような気がする。剱岳はデンと構えているわけではないが、大日岳の左奥に君臨し、北ア北部の重鎮であるよう雰囲気を醸し出している。雪ある頃は、そう簡単に登る事が出来ないと言わんばかりである。
怖い・きつい山では、流石に飲まない「山ノ神」であるが、私がちょっと先まで歩いている間に、2本も飲んでしまったらしい。(イヤハヤ・・ 怖くなかったのかもしれない。) 帰りの時間を気にしなければならない身の上ながら、それでも1時間半滞在した事になった。
朝方は凍っていた雪面も、午後になれば緩んでくる。しかし、急斜面でのスノーシューは、それなりに大変である。「山ノ神」には、アイゼンを着けてもらった。それでもおっかなびっくりであった。
4/23 この後どうなるか分からないのですが、明朝は解放してくれるというので、2年ぶりに臼越山に行ってみようかと思っています。雪の状態が分からないので、幾つもの装備を準備しなければなりません。いつもより、2~4週間程遅いだけにどうなるか分からないのですが、5/3に行った事もあるので、それなりの事は想定出来るのではないかと思っています。
4/22 山に登るのに定義がいるのだろうか? 「山があるから・・」 も、一つの理由。 しかし、「唯、登ればいい。」 は、もったいない気がする。足元を見たり、遠くを眺めたり、自分なりの ”定義” があればそれでいい。他人様の為とか、他人様に見せるだけでは、あまりにも寂しい。
そして、早駆けだけに拘るのは如何なものかと思うがどうだろう。トレランもあるこの時代だから、それも有りかと思うが、本来の ”山と親しむ” からは、少し離れているような気がする。しかし、否定するものでもない。この歳になって思うのは、余裕さえあれば、もうちょっと、ゆっくり時間を掛けて歩きたい。出来れば、好きな山に何度でもである。
ちっちゃなリックを担いで、近くの山へ、また、重荷を担いで大好きな山へゆっくりと、そして、真っ白で美しい雪の山になどと、そのような事を思うだけでも楽しい。それは、幾つになってもである。「寂しくなったら、仲間と一緒に、イヤになったら、また一人で行けばいい。」 というように、如何様にも楽しむ事が出来る。
4/21 先日の赤祖父山で久し振りにカンジキを持参した。雪がどれだけ残っているのか分からなかったし、スノーシューを担ぐのも面倒(重たい)だったからである。しかし、スノーシューに慣れたからであろうか、カンジキで結構躓いていた。自分の左右のカンジキが重なり合ったのである。
基本に忠実なら問題ないのであるが、いい加減に歩いているから、何度となく躓いていたのであろう。そのカンジキやスノーシューが、またまた綻び始めて来た。今まで、幾つも履き替えてきたが、出来る事なら、自分の手で直せるものなら直してみたいという気になってきている。それにも小道具が必要となる。
4/20 休日を山以外にも充てようと目標を立てたのであるが、それを実現したのは2日間だけ。あとの24日間は、山に出掛けている。その2日間の一日は、孫が二人とも、インフルエンザに掛かってしまったのと、大阪から息子がやって来たからである。
だから、旅行に出掛けたとか、違った事をしたという感覚はない。もうちょっと、文化的な事とか、知識(視野)を広めるという本来の目標に至っていない。そう言いながら、いつでもなんだって出来るためにも、足を鍛えておかなければとなってしまう。そして、お金も欲しいし時間も欲しい。
4/19 全部ではないが、私の休日は月曜日が多い。時間的制約があるものの、それなりの山行をこなしている。月一回は、日曜日の休日があるし、時々ではあるが、娘が勤務を見計らって、その制約から解放してくれる事もあり、山への意欲も手伝って、皆から思われるほど、窮地に至ってはいない。
娘や孫達がやって来る前に比べれば、自由度は雲泥の差である事は間違いない。しかし、山か、賑やかな家族かの選択は、野暮というもので、二つとも失いたくはない。そんな中、上の孫(ミー)が、育成クラブ(学童保育)を止めたいというのである。
私(達)としては、一大事である。その学童保育は、午後5時過ぎまで。(正確には5時半まで) 下の孫(エリー)も、それに合わせて延長保育してもらっているのが崩れる事になる。午後2時や3時に戻らなければならなくなると、厳しい山行の追い込まれてしまう。もう1~2年留保してもらよう柔らかく説得しなければならない。
4/18 2日間あるいても、特に足の張りはない。順調である。唯、杉林の中を歩いたからであろうか、くしゃみが止まらない。杉林の中を歩いたばかりではなく、風が吹いているからかもしれない。花粉症なのかどうかも分からないが、どちらにしても、もう少し我慢をすればいいのだろう。
今月の休日は、あと一回になった。「あそこも行けなかった。」 「ここも行けなかった。」 と、相変わらず良く深い私であるが、だから元気でおられるのだと思っている。でも、敏捷性や瞬発力、そして、バランス感覚の衰えが極めて激しいように思う。
まだ、持久力だけが、何とか保っているので、それなりの山行が出来るのではと思っている。「老い」 は、どうしようもないが、仲良くしていなければならないのであろうが、「スーパー爺さん」 なんて夢のような話だ!
4/17 連休2日目は、「何処へ行こうか?」 となったが、お花と会えるかもしれないとの希望と、時間内に戻れる思いからして、赤祖父山と決めた。もしかしたら、午後から雨になるかもしれないとの気象条件があった事も歪めない。
崩壊している登山口から、しばらくして、まるで小谷のような登山道に入ると、雪割草が現れた。ポツリポツリであったが、次第に 「此処にもあそこにも」 となり、福寿草群生地からの登山道に合流してからは、もっと多くの雪割草が可愛い姿でお出迎えしてくれていた。
雪が少なくなってから、いや、なくなってからの方が、雪割草に会えるのだろうか? (今までは、やって来ていたのが、ちょっと早過ぎたのかもしれないね!) だから、チョット行っては、シャッターを押さなければならず、なかなか前に進まなかった。
さすがに、林道に出ると雪が現れた。いつもなら、高清水山よりに林道を歩き (林道が途切れる) 杉林に取り付くのであるが、今回は、忠実に登山道を辿った。先の (いつもの) ルートと合流する地点 (大寺山が見える) でカンジキを付けた。ツボ足でも大丈夫であったが、せっかく準備してきたのだから、使わぬ事もなかろう。
後続の女性二人に追い抜かれたが、それはそれで、お互いの思考の違いだから仕方がない。(凄く元気な方々だった!) 扇山(最高点1,033m) のブナ林も好きなところであるが、今回は、赤祖父山頂上と言われる所まで行く事にしていた。その標識は、雪の下だと思われるが、高清水山方面へのルートと分かれて、その標識から先に行くと展望の良い所がある。(1,013m)
我々は、その分岐点で、ベンチ・テーブルを造った。今にも降りそうな空模様だっただけに、簡単なもので良かったのであるが、アルコールを口にしない事にしている私としては、やる事がないから、壁造りに精出すしかないのである。
下山ルートは、福寿草群生地経由としたが、思いの他、雪割草が次から次へと現れるので、なかなか前に進まなかった。でも、可愛いお花は、心を随分と和ませてくれた。福寿草もまだ健在?だったが、雲行きが怪しく暗くなったからであろうか、黄色のお花が萎みかけていた。
4/16 ハレルヤ不参加としたが、娘達にしてみれば、第3日曜日は、山に行くものと思っていただけに、最終的には、山に行かなければとなった。本来は、この連休に、僧ヶ岳・駒ヶ岳方面でキャンプの予定であったが、片貝川沿いの林道の状態があまり良くないとの情報と、目まぐるしく変わる予報が重なり、「山ノ神」が、あの急登に自信がないと言い出したからである。
ならば、何処か簡単な所へであったが、結果的には、「山ノ神」を騙す事になってしまったかも・・・。471号線八尾町杉平から、21世紀の森へは、雪が残っている為車が入れず。最も、小白木峰を経由するとなると、車を乗り入れられなくて良かったのかもしれない。
長い林道を辿ったわけであるが、所々雪のない箇所があり、スノーシューを着けたり外したりしながら、標高790m地点で、大きくカーブしている所をショートカットし、最初の登山口に出る事が出来た。(標高870mの登山口)
こうなれば、もう一つ林道を跨ぎ、立派なブナ林を通過すれば、1,300m駐車場の上に出る。ここから、林道に出るまでの急登が問題だと思っていたが、「山ノ神」は、難なくクリアしホッとする。そこから、ちょっと左に寄ってのトラバース気味の取り付きを上手く通過出来るかと思っていたが、ここも何とかなり、後は、白い斜面を山頂に向かって邁進すれば良かった。
今年も、山頂には雪がなかった。(もちろん、付近には、それなりの雪がある。) スタートから、白木峰山頂まで5時間を要したから、少々の風が吹いていても、簡単な食事とコーヒーを頂いた。「イヤだったら、小白木峰に行かず戻っても良い。」 との条件で、白木峰にやって来たが、「山ノ神」にしてみたら、戻る方がイヤらしいと思ったのかどうか分からないが、小白木峰を目指す事になった。
登る事より降りる事の方が、迷い易いと言われるように、2度アレレとなったが、歩行そのものは順調に推移し1時間10~15分程で、小白木峰と白木峰の分岐 (下山ルートとの分岐) となる平原に着く事が出来た。ここまで来ると、小白木峰山頂まで、もう少しなのであるが、「山ノ神」は、行かないと言って、腰を下ろしてしまった。
そうなると、私は、炊事用具を置いて一人ででも行かなくてはならない。荷が軽くなれば、それこそ、アッという間に山頂に届いてしまう。私は、ここから眺める金剛堂山が好きである。またここで、テントを張りゆっくり過ごしたいと思った。何と言っても、朝夕の景色が一番なのであるから・・・
今回は、万が一のために、ピッケル2本、アイゼン2組、シャベル、タープなど一式の物を持参したが、使用する事はなかった。でも、私は、そのようなものを用意しないと不安で出掛けられない。ましてや、「山ノ神」と一緒の時は尚更である。あっそうそう、簡単なロープも忘れられない。それを担ぐのは私なのであるから、これも困ったものだ。
4/15 明日はハレルヤ山行日。しかし、以前から、僧ヶ岳・駒ヶ岳でキャンプをすると申し出て、ハレルヤに不参加としていた。でも、お天気が危うい故に、覚悟はしていたが、林道の残雪が凄いとなると諦めなければならなくなった。 今更、迷惑を掛けるわけにはいかないので、近間の山にでも行くしかない。
4/14今夕、ムコ殿がやって来た。(~4/16まで)でも、娘の帰宅は今夜も遅い。そこで孫達も含めて古城公園へ花見に出掛けた。大型のザックに山用具を詰め込めば準備は意外と簡単。暖かい夜だったので、大勢の花見客が押し寄せていたが気分は最高。また、たくさん飲んでしまった。
4/13 まだ花見をしていない。最も、車で通った時に何となく見たものの、古城公園の桜は未だである。満開のようであるから、暖かくて風のない夜に、一式持ち込んで、「花見」 としたいものだ!
4/12 「寒い!」 暖房が無くてはいられない。暖冬・少雪などと言われるが、高所の雪は、それなりにある。でも、高温に風が付いて回れば一気に溶けてしまいそう。
4/11 昨日のコット谷(大熊山)は、何と8年ぶりであった。その時は、前大日岳から早乙女岳に行きコット谷を降ったものであった。それより先は、11年前、新雪のコット谷から大熊山へ登ったのである。(昨日と、ほぼ同じコース) そして、コット谷に一番最初に入ったのは、今から20年前で、早乙女岳と大熊山に登り大熊谷に降りている。
「広い谷をイモ虫のように」 ”とやま山歩き” の早乙女岳・大熊山の紹介の一部であるが、私もこの表現が、最も相応しいように思い、時々引用させてもらっている。あと何回行けるかであるでるが、休日のお天気周りや、温暖化の影響からの雪の状態、その上家庭の事情など、必ずしも環境は良くない。でも、その間隙を縫って行ってこそ、意義があるようにも思うが・・・
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4/10 小又川の取り付きから雪でスノーシューを装着。久し振りの小又川遡行であるが、想像していたよりも残雪が多いように思えたが、それでも温暖化のせいなんだろうか、以前と比べれば断然少ない。そして、デブリの凄さと堰堤の多さにびっくりである。
コット谷に入っても、その堰堤は上へと延びていた。今回の遡行で難儀したのは二か所(左岸)と、ルートを選んで渡渉が一か所。後は、広い谷を芋虫のようにコツコツ歩くだけ。「山ノ神」は疲れたようであったが、そこは、自分から行きたいと言っただけに我慢するしかなかったようである。
コット谷の鞍部 (早乙女岳と大熊山の分岐)でコーヒタイムとしたが、登って来た谷を見下ろし、その調和の良い美しさに何度もシャッターを切った。少し未練がないでもなかった早乙女岳への稜線と、その山肌も真っ白で目を見張った。
小さなアップダウンを繰り返す大熊山への稜線から、早乙女岳の上に、真っ白な頭を覗かせていた大日岳も印象的であった。何でもないと思っていたそのアップダウンの下りに、「滑り落ちたら・・」 の恐怖心が、頭をよぎったのは私だけではなかった筈。
私は、大熊山から眺める剱岳は、そんなにも魅力を感じていなかった。理由もなくである。もしかしたら、ゴツゴツして黒っぽいからかもしれない。でも、今日の剱岳は、雪を付け少し白かったからであろうか、何だか格好良く見えた。同じ山容なのに、それ程違わないはずなのにである。やっぱりお天気の他、一緒してくれる山友にも関係しているのかもしれない。
剱岳が主役に変わりはないが、脇役の毛勝の山々は、それ程ピリッとして見えない。まだ早乙女岳の山容(斜面)と大日岳方面が、準主役のような気がした。風もなく暑いくらいの山頂で、また登れた事への幸せを感じた。
記念の写真を撮ってから下山となるわけだが、コット谷鞍部まで戻らず、山頂から4~5分程降りた斜面(標高差約300m)を一気に降りた。降り始め(取り付き)こそ、ちょっと不安であるが、慣れてしまえば結構楽しく、スイスイ行けるのである。
広いコット谷へ出て、あれやこれやと話をしながら歩くのも楽しい。問題の所も、北ちゃんの助けをもらいながら、難なく乗り越えられた。不安も乗り越えられたら、何もかも楽しく、その達成感も膨らむものである。
4/9 2シーズンぶりに、臼越山と決めていたが、「北ちゃん」が、コット谷へ行くと言うので便乗させてもらう事になった。しかし、「山ノ神」が、”へつり” や渡渉に耐えられるかが問題である。その点、「北ちゃん」と一緒だから安心でもある。今週(明日)も朝早く発つ事が出来る。
4/8 くるくる変わるお天気(予報)。これでは計画が立てにくいであろう。そのような中、今度の月曜だけに晴れマークは付いている。でも、行ってみなければ分からないのが本当のところ。ましてや、山なのだから、それこそ、行ってみなければわからない。
4/7 気温が高い。これでは、雪が解けてしまう。しかし、これだけはどうしようもない。風がなく、気温が高ければ花見に最適。でも、もう少し、山に拘りたい。山から戻って花見なら最高。
4/5 昨日の大倉山は32回目。目標の50回には程遠い。今の環境下では、年に何回も行くわけにはいかず、その目標に届くかどうかは分からない。しかし、歩ける限り、その小さな目標に向かって邁進したいと思っている。実際、車が登山口まで入れば、時間制限があっても行けない事はない。しかし、雪がなくなると、眺望もそうであるがあまり面白くない。
それより難儀なのが、大猫山や僧ヶ岳である。大猫山は、ゲートが手前に出来てから尚更難しくなった。僧ヶ岳は、雪が消えて烏帽子口から入れば問題ないのであるが、残雪の東又からが面白い。まあ~、そう言いながら、目標に達しえないでも、一つ一つ階段を登っていくのが張り合いとなっている。
4/4 大倉山・桑首林道の入口に来て唖然。昨年は一週間前に来ているが、登山口近くまで車を乗り入れる事が出来たのに・・。でも、林道歩きは、ある程度想定していたから意欲は満々。先の寒気のせいなんだろうか、「4月上旬には、雪が消えていそうなもんだったが・・」 カンジキにしようか、スノーシューにしようかと迷っていたのに、すぐにスノーシューという事になった。
その雪であるが、結構凍みっていて、「山ノ神」が四苦八苦。稜線まで一往復半した感じとなった。(山ノ神の荷を何度となく担いだ。) 今にも死にそうな顔をしていた「山ノ神」に対して、今日の私は、唯々、「忍の一字」 で対応した。
今日の私達は、娘からのご褒美で、2人の孫共送迎を免除されていたので、「ゆっくり過ごそう。」 と、それなりの準備をしていた。まず、稜線に出て、コーヒータイムとした。私は、途中、リックの中から小道具を出す事に面倒とは思わない。好きなお菓子も一緒なら尚更いい。 (でも、単独行なら、水も飲まないかもしれない。)
稜線歩き(標高差約420m)になっても、「山ノ神」のピッチは上がらなかった。次第に怪しい雲が現れてきて、もしかしたら、剱岳や毛勝の山々が隠れてしまうのではの心配があったが、今日は、その事をおくびにも出さなかった。林道入口から5時間40分程でようやく山頂に辿り着いたが、何とかいつもの景色がたもられていた。
4/3 車中での予報は、「お昼過ぎから雨。その後も・・」 ちょっと困ったが、そんな事もないだろうと、予定より30分遅い西種(水上)を午前9時のスタートとなった。二人の孫共、ちょっと大きめの靴(エリーは、ミーのお下がり)で、行く手に少々の不安があったが、孫達の急成長にちょっぴり驚いた。
ヒョンヒョンと飛び跳ねるような歩きに、転げ落ちるのではとの不安も時間が経つに連れて薄らいでゆくのであるから、何年か先は、こちらが待ってくれというのかもしれないと思った。
彼女らの思いは、山に行けば、カップラーメンやカップ焼きそばが食べれるとの一心からではなかったかと思っている。でも、非日常の素晴らしさを感じたかもしれない。その証拠に、麓に戻ってのフキノトウ採りに、キャーキャー言っていたのだから・・
4/2 明日・明後日のお天気が良い方に修正された。一日は、孫達と一緒に過ごし、もう一日は、山行としたいと思っていただけに良かったである。というものの、孫達とハイキングに出掛けるのであるから(ハゲ山・城ヶ平山)、二日間とも、やっぱり山ではないかと言われそう。
4/1 今シーズンの大地・初雪山が終わった。大地に何とか3回行けたし、キャンプが出来初雪山にも行けたので、それなりに満足している感じです。私は、大地が好き。そして、初雪山まで行けたら最高というスタンスでいる。
その大地に44回目を記録した。そして、44回すべて雪山なのだから、私の記録としては他に類をみない。毎週のように大地通いが出来ない現在、当座の目標50回に到達するには、あと二年かかると思われる。それでもいい。歩ける事に、行ける事に喜びを感じているのだから・・・
私とて、好天の大地が好き。そして、初雪山を眺めるのが最も好きである。しかし、この山は、例え視界が悪く眺められなくとも、何だか可笑しいくらい納得が出来、歩ける、そこに行ける事に意義を感じている。では、今年の春山は終わったのか? いや、これからである。