6/30 この先の予報は、大小はあるが、ずっと傘マークが並ぶ。梅雨だから仕方がないのであるが、山行く者として、ちょっと憂鬱。ならば、雨の降らない所へと思うのであるが、小さな休みでは、そのような事をしてまでと踏ん切りがつかない。

 最も、この先の計画では、2ヶ月半びっしりと埋まった。資金的に大丈夫なのだろうか、それよりも、身体は大丈夫なんだろうかと、他人事のように思っている。5年・10年先の事は分からない。それどころか、2.3年先も分からない。いやいや、来年の事も分からないではないかが、そう思わせるのかもしれない。

 「元気な内に・・」 なのであるが、今も元気なのか分からない。まだ意欲があるのだから、その分だけでも元気なんだろうと思っているが、その通りなのかどうか怪しいところである。でも、前向きでありたいのである。



6/29 「ジャムおじさん」 の異名を持つ周さんに梅ジャムをもらった。何でもジャムにしてしまうほどの ”巷の料理人” という感じである。その周さんは、山おろか自転車も達人の域に達しているようである。それで、家事をやり、人様との付き合いを熟しているのであるから、尊敬の念に堪えない。

 この周さんに負けずとも劣らないのが、ハレルヤ筏さんである。facebookや彼のblogでも紹介されているように、もはや鉄人である。私は、自転車の事は、全く分からないから、その論評は控えるが、自転車で、あそこまで行けるのかと思ってしまう。また、山歩きも、手が付けられないところのレベルまでいっているのかもしれない。

 呆れてしまう程であるから、嫉妬などするレベルではない。そして、そのような友人をもっている事が誇らしく思える。そう言えば、最近、あまり一緒に飲んでいないね。いろんな話を聞いてみたい。



6/28 山はやらないが、東京の姪から鎌倉のハムをプレゼントしてもらった。「三浦雄一郎さんは肉を食している。 叔父さんも、ずっと、元気で山歩きをして欲しい。」 というものである。いつも気遣ってくれて感謝している。私はと言えば、何一つ、叔父らしい事はしていないから、ちょっと恥ずかしい。

 そんな彼女(姪)とであるが、一度は登っていたい高尾山に一緒出来たらと思っている。何もかもタイミングであるが、どちらにしても、元気でいなければである。姪の体調は、必ずしも、万全でないと聞いているが、いつでも、出掛けられる体制をつくっておかなければと思っている。



6/27 ススダケ処理の一部を、ミーが手伝ってくれた。皮を剥けば剥くほど、ゴミとなる様を何と感じているのだろうか?でも、一度一緒している白木峰で採って来た物だという事から親しみを感じていた事は確か。

 いつもより、虫(ブヨ)が少なかった事もあり、長袖を用意していたが、半袖でスタートした。(山ノ神は長袖、私の長袖はザックの中) 朝方は、気温も低く、快適な歩きが出来たのだが、やっぱり、ヤブの中に入ると話は別物であった。

 家に戻ってからが大変で、あちこちが腫れあがっていて痛みも手伝った。それは、長袖の「山ノ神」も同様であった。私の場合は、腕に限られていたが、こんな事は初めてであった。「山ノ神」の場合は、この後、必ずといって化膿するのであるから厄介である。



6/26 予報より、かなり上方修正したお天気になったが仕方がない。ニッコウキスゲには、ちょっと早いが、もしかしたら、まだ、ススダケがあるかもの希望を掛けて白木峰・小白木峰行きとした。車の往復時間を差し引けば、正味6時間弱の行動時間となるが、”早く歩けば解決する。”

 ところが、スタートがちょっと遅れて、午前9時45分となる。また、歩き始めて最初の林道に出た時、虫除けスプレー(ハッカ油)を間違って、まともに左目に掛けてしまったのである。自業自得とは言え、目が開かなく、七転八倒してしまった。持ち合わせていたペットボトルの水を目に注ぐが、見当違いの所に注ぎ、衣服がびっしょりとなる。それでも、10~15分程経った頃からであろうか、ようやく、痛いながらも目が開いたので先を急いだ。

 白木峰山頂に立った頃には、少々雲が立ち込めていたものの、北アの山々が、すっきり見え、その大パノラマに感嘆の声を上げた。ニッコウキスゲの咲き誇るのも良いが、白木峰から北アの名峰を眺めるのもぐっといい。。

 「山ノ神」は、ススダケにご執心。私は、充分に歩いてからの収穫を望むのであるから、どうしても、袂を分かしてしまう。別行動の提案に「山ノ神」は嫌がり、その折り合いは、小白木峰帰りの収穫、もしくは、時間内に車へ戻る事が出来る確証が整った時点で収穫する事となった。そんな折、ススダケ採りにやって来ていた「北ちゃん」の下山時に遭遇となる。

 相変わらずザックいっぱいに詰め込んでいたようである。話したい事が、山ほどあったのであるが、先を急いでいたので、少々の立ち話で別れた。昼食の時間などないと思っていたが、小白木峰山頂で、40分程時間を掛ける事が出来た。その時点で、車に戻るまでの時間は、2時間半弱。

 「あまり時間がない。」 と言いながら、ヤブ中へ入るのであるから、なかなか戻れない。そして、時間は刻々と過ぎていく。「ここにもあった。あそこにも・・」 では、「ふ~ん」 となってしまう。それを担ぐのは当然私となる。このところの私は、あまり体調が良くない。でも、歩かなければならないから歩く。でも、採りたがり屋の「山ノ神」の足が上がらなくなって来る。

 怒ってもダメだから、宥めたり励ますしかない。ニッコウキスゲが割と咲いている山頂近くの祠に戻った時は、午後3時15分であった。3時半まで車に戻らなければと思っていただけに、かなりの遅れであった。でも、「山ノ神」は、ベンチに腰掛けて歩こうとはしない。先に行っても、同じ車で帰らなくてはいけないのだから、じっと我慢しながら、少しずつ歩くしかなかった。

 ほとんどのススダケを私のザックに移し替えたが、その足取りは重たい。そして、今度は私が疲れて来たが仕方がない。駐車場に着いたのが午後3時45分であった。素早く着替えなどして、スタートしたのが3時58分。5時過ぎまで高岡にはとても戻れるような時間ではなかった。そんな時ほど、前には遅い車がいるものだ。(抜けない所で・・) 本当に弱った。でも、間一髪で、大目玉を食らうには至らなかった。

 

6/25 明日は、孫達の迎えだけのハズであったが、朝の送りもする事になる。お天気は必ずしも良くないようだし、このところの娘の帰りは、非常に遅いし、今日も昼から、職場へ出掛けて行った。我々のやっている事は、休日とは言え、遊びに変わりはないのであるから、このような時には協力してやるしかないであろう。

 次の時(こちらの大事な時)に、こちらの要望を組み入れてもらう圧力?になるかもしれないし、また、お互い協力して仲良くやっていくためにも、ある程度の妥協は必要であろう。ずっと、元気でいる事も、子供達からすれば、”介護” の心配が現実としてないのであるから、大きなメリットである筈。



6/24 予報がどうであれ、夏山の計画を立てなければなるまい。また、家庭環境がどうであれ、計画を進言し、より実のある方向に持っていかなければと思っている。でも、わがままを通して、実行(実現)出来たとしても、”それがどうした。” にもなる。

 私(達)のやっている事は、全くの自己満足の世界。そして、自己申告の世界でもある。評価してくれる人達があって、救われたり、喜びもある。でも、” もういいや!” が、だんだんと忍び寄って来る。払拭する元気がなければ、妥協するしかない。歩け無くなれば、当然の如く、山友達との交流が少なくなり、減っても行くのだろう。



6/23 梅雨は憂鬱。でも、まだ朝晩は涼しいので助かっている。今夏の予報は非常に暑いと言われているが、これも終わってみなければ分からない。暑い暑いと言っていても、2~3ヶ月の事、あっという間に過ぎて行くに違いない。だから、無駄に過ごさないように心掛けなければと思っている。



6/21 疲れている。眠たくてしょうがない。椅子に座れば、すぐにウトウトとする。だから、動いていなければならない。日光の太郎山・女峰山に登るため、結果的には両夜行になった。山行自体は、太郎山7時間・女峰山12時間掛ったが、「山ノ神」と一緒だから、それ程の疲れは感じなかった。

 日光東照宮参拝というおまけもあり、これからの山行としてのプラスを実行で出来たのであるから、充分な意義を感じている。しかし、車の運転が響いているようである。「夜の運転はイヤだ! 避けなければ・・」 と、言い続けているのに、欲が出て、そういう段取りにするのが間違っているのであろう。

 身体は何ともないのであるが、眠いというのは、やっぱり疲れている証拠なのであろう。それより一週間前の犬ヶ岳行きの時は、3~4日太腿が痛かった。一人歩きの事もあり、日頃の歩き方と違った事が原因である事は間違いない。「今まで 何ともなかったのに・・」 は、もう通用しない身体になっているのを自覚しなくてはいけないのに・・・



6/16 月曜日は解放されそうだ。そうなれば、日光の女峰山と太郎山に行く事になる。二百名山と三百名山である。百名山を含め、全国あちこちに行けないと思っているだけに、その名山には、それほど執着をしていない。でも、行けるものなら行ってみたいと思うのは人情である。

 北海道や九州は、なかなか行けないと思っているから、百・二百・三百名山の各半分以上、そして、その合計が200座達すれば、山好きな者として、面目が立つのではと勝手に思っている。でも、最近は、折角出掛けるその地方の名所旧跡を歩いて来ても良いと思っている。だから、お天気が悪くなれば、東照宮拝観・参拝というのもあるやもしれない。

 こうやって、遠征をすれば、50回10座、10回100座の目標は、少なからず遠のく。でも、そんなものは、数字の遊びと、自己満足だけの世界だけに、こちらも、それ程に気にする事もない。元気で、唯々、山に邁進すれば、自ずと記録と言うものが着いて来る。



6/15 今年は、私にとって節目の年。その先の事は分からないけれど、この一年は、思いっ切り計画を立ててみようと思っている。そう言いながら、もう半分(半年)過ぎてしまったけれど、「遅い!」 という事もなかろう。お天気や家の事情(孫達の送迎など)があるから、全部思う通りにならないかもしれないが、こちらとて、だんだん体力・気力が落ちていくのだから、今を大事にしなければと思うようになってきている。

 差し当たって、連休は泊り掛け。遠かろうが近かろうが、そんな事はどうでもよい。もちろん、山中心に変わりないが、年頭には、「山に拘らない。」 と言った手前、その限りではない。でも、今、頭の中にあるのは、日光周辺の山と、南アの一角である。可能性は半々というところか!



6/14 中学時代の同級生から、クラス会をやろうと電話が掛かって来た。それはそれでいいのですが、「世話をやれ!」 と言うので一歩引いてしまった。「押しかけて来る。」 と脅かされたが、最後だと思って引き受けた方が良かったのかもしれないと、ちょっぴり反省をしている。

 この後、どうなるか分からないが、あっちもこっちも逃げていたから、いい加減に、年貢を納めなければいけないのかもしれない。私は、「ワ~ッ」 と言うのも嫌いではないが、そんなのが続くと、静かにのんびりもいいと思ってしまう。無いもの強請りの感があり、その反対もある。



6/13 昨日の犬ヶ岳行きで、栂海山荘発が午後1時であった。霧雨で雨具を纏う程でなかったが、樹木に触ったりすると、上からの雨水に見舞われたり、小枝の葉を擦ると、もろに着衣が濡れる始末。下山時も、同じ所で、またワラビを採ってしまった。(尚更重くなった。)

 でも、根性で登り返しをこなし、午後4時には白鳥山に着いた。しかし、その先は、登山道が、グチャグチャ・ヌルヌルになってしまっていた。暗くならない内に、車に戻る予定を上方修正出来ると思っていたが、そんなあんばいでは、転ぶリスクが大きいと考え、慎重に足を運んだせいもあり、登りより時間を要してしまった。それでも、6時なんだから良しとしなければ・・・

 車の運転も順調に推移し、早めに自宅に着いたが、車から降りた途端に、両足が硬直し動けなくなってしまった。僅か数メートルの距離を何分かかったであろうか? 「助けて!」 と言うわけにもいかず、本当に困った。でも、数分後には普通の状態に戻ったが、気を付けないとと思わずにはおれなかった。



6/12 「朝夕とも制限なし」 になったのは2日前。自由(単独行)になって、さて、何処へ行こうかと考えみたが、大猫山や白山、そして、薬師岳を退けて、久しぶりに犬ヶ岳になった。まあまあのお天気を期待しての山行であったが、8号線魚津を通過した時は、ザーッと降られ、北に向かうに連れて黒雲が立ち込めて来た。

 でも、坂田峠にやって来た頃には、何とか晴れて来るのではとの淡い気持ちになったが、それも、白鳥山までであった。下駒ヶ岳・菊石山への長い下りでは、霧雨が降ったり止んだり、その先も雨具を着けるまではいかないものの、ずっと霧雨が降り続いていた。

 犬ヶ岳山頂では、展望はおろか、セルフタイマーをセットするにも、気を使わなくてなならぬ状態で、昼食も山頂直下の栂海山荘に戻って土間を借りた。着衣が濡れた事もあったが、とても寒く、温かいカップ麺やコーヒーが美味しく感じた。

 今年の高所は、何時までも雪が残っている事から、この栂海新道も、どのような状態か分からないので、ピッケル・アイゼン・ツエルト、そして、水も2Lを準備した。いつもの事だから、何とも思わないのであるが、途中、欲の皮が突っ張って、上等なワラビをゲット。それが重荷になったのだから閉まらない話である。

 6回目の犬ヶ岳山頂に立てたのは良かったが、展望どころか、セルフタイマーもままならないのでは、山頂直下の栂海山荘で、食事を取らなければいけない事になる。着衣が濡れ冷えた身体には、温かいラーメンが何もかもを温めてくれた。コーヒーもまた良しなのだから、山で食べる物は全て良しになるのかもしれない。

 至福の時間を得た事は良いのであるが、暗くならない内に車に戻るのが当初からの目的、いや予定であった。栂海山荘発が午後1時頃であったから、6時までは車に戻れると踏んでいたが、またまた、ワラビ採りに僅かではあったが、時間を費やしたし、白鳥小屋から、金時坂の頭までは、霧雨とは言え、雨には変わりなく、グチャグチャ・ヌルヌルの状態が半分以上で、慎重に歩かなければならなかった。

 山中12時間。久し振りにバカになった。また、「山の空気」を、いっぱい吸った。10年・20年前はどうであれ、今日ここに、栂海新道の一角を歩けたのであるから、それなりの意義を感じたのである。「転んではいけない。転んだら山は終わり。それだけならいいが、寝たきりにならないとも限らない。」 これからも、早さだけではなく、より慎重に行動しなければと思うのである。

 

6/8 今度の休日(6/12)は、「山ノ神」が、友人達と小旅行 (日帰りバス旅行) に出掛ける。チャンス到来なのであるが、まだ、孫達の送迎の事は解決していないので、何処へ出掛けるか決めていない。今のところ、朝の送りが免除されそうな雰囲気だが、夕の迎えは、どうなるか分からない。

 丸一日、自由の身になるのなら、思い切って、日頃行けないような所へ行ってみたい気もするが、その思い切ってというのも、最近は怪しくなって来ている。やっぱり、余力を残して戻らなければなるまい。しかし、あそこもここもと、次から次へと山の名が浮かぶ。そしてまた、日頃会えない人にも会ってみたい気もする。もう少し悩もう。



6/7 そんなに歩いていないと思っているのに、今朝は太腿が痛い。久し振りの事である。「どうして・・」 と思う前に、歳だからになるが、鍛え方が悪いから(弱いから) だと思うようにしている。まだまだやりたい事があるのだから、負けてたまるか!

 東京の姪にススダケを送った。私達と違い予想もしないような調理をするのだから、そのコメントが楽しみだったが、ちょっと、体調を崩していたらしく、コメントは先になる。”嬉しい” の言葉・語句をもらえば、それだけで、こちらも嬉しい。



6/6 今日は、孫達の送迎が課せられていたので、近間の低山を選んだ。久し振りに袴腰山としたが、間隔をあけると、随分と思いが違うものだとの実感であった。標柱が変わっていたし、こんなに急登だったろうかと思ったりしが、菅沼(グリーンパーク池の平)への登山道が、分かり難くなっていたのにびっくり。

 平日にも拘わらず(そのような人達が多くなったのかも) ススダケ採りの人達が結構おられた。あまり期待していなかったシャクナゲの名残を楽しませてもらった。そして、三方山方面へ少しだけであったけれど、進んでみた。しかし、その先は、またの機会として山を後にした。



6/5 東京へ出張する娘であったが、朝の子供達の面倒を見てくれるというので、唐堀山へ涼しい内から出掛ける事にした。この時期、ブヨに悩まされるのであるが、気温が低い時や、風がある時は、あまり纏わりつく事がないようである。

 ススダケ採りが目的であるが、他の山菜もやはり気になる。しかし、タラの芽やコシアブラは、伸びて化けているし、ワラビは、採り尽されてしまっていた。でも、採り残しを集めると、2握りぐらいのお土産が出来た。

 土日の唐堀山は、かなり賑わったようである。「もうススダケが無いのでは・・」 との心配をしていたであるが(笑)、各々が、リックにいっぱい採ったとしても、それだけの事であって、無くなる事などないのである。

 そして、りっくいっぱい採って来ても、ゴミを担いでいるようなもので、家に帰って、処理した後は、ほんとに少なくなってしまう。「お裾分けしても、食べるのは少しだけ・・」 でも、旬が味わえるのであるから、良しなのかも!

 山頂付近で、別ルートからやって来た「北ちゃん」と「ねぎちゃん」と出会った。後にへりーポートで会う事にして、お互い再び竹藪に入った。共にした短い昼食であったが、楽しくてしょうがなかった。そして、9月に大きなイベントをする約束をして別れた。



6/3 一日中寒かった。半袖で、じっとしていると、どうもダメで、長袖の着衣が欲しくなった。外出時は、とうとうセーター(サマーセーター)を着込んだが暑くはなかった。一週間前のあの厚さは何だったのかと思ってしまう。山歩きには、ちょっと寒いとか、涼しいというのが、ちょうどいいのであるが、多分、こんな事を言っているのも今だけであろう。



6/2 先日の数字の遊びではないが、昨年行けなかったススダケ採りに唐堀山へ行かなくてはなるまい。切りの良い10回目となる。連休(6/5~6/6)のいずれかになるが、朝の制限が解放される6/5が有力。もしかしたら、ちょっと早いかもしれないが、もうそんな事はどうでもよい。



6/1 ずっと、お天気が続いていたのに、オセロの駒が、くるっとひっくり返り、可笑しな空模様になって来た。暑い暑いと言っていたのに、長袖を引っ張り出して来なくてはならないなんて。 でも、昔からの言い伝えではないが、「6月の客も火で賄え・・」 というのもあるから、いつの世も、思う通りにはならないらしい。