8/31 「山から降りてきて、お風呂に入るのは気持ちがいいでしょう。」 と言われますが、山帰りに私は殆ど風呂には入らない。そりゃ、気持ちが良いに決まっているのですが、山中で飲まないのですから、1分でも1秒でも早く家に戻って、ぐっと冷たい物を飲みたいからです。

 最も、月に5~7回程、山に出掛けるのですから、毎回お風呂に入っておれば、相当の金額になります。なるべく高速に乗らないのと同じで、次の山行に備えたい気持ちからなのです。コンビニ利用も控えていたのですが、最近は、それくらいの贅沢は良いのではと甘えが出てきていますが、後から響いて来るでしょう。

 山のベテラン 花じいから、こんな事を教わった事があります。「山から降りて、すぐお風呂で汗を流すのは気持ちが良いに決まっている。でも、本来は、クールダウン(冷やす)のが正しいのです。) そう言えば、競技の後に、アイシングをしている映像をよく見る。ケチで (本当は貧乏) 家路を急ぐのとは少々違うが、温めていないのだから、少々理に適なわないか?



8/30 10日前の唐松岳に行った時、僅かな時間であったけれど、東京の小池夫妻と知り合った。もちろん若い方々である。そんなお二人から、何だか見た事のない、そして、高そうなビール詰め合わせが、有名なデパートから贈られてきた。「何で・・」 と思ったのと、ビール故に、にんまりの心が同居したような雰囲気である。

 しかし、我家は、”のどごし党 (第3のビール) であるからに、そのビール味が分かるのかが心配である。しかし、何もかもが雰囲気であるからして、お二人のお顔を思い出して頂くのが一番だと思っている。ちょっとだけ、お話した序でに、コーヒーをプレゼントしただけなのに、喜んでもらって光栄です。



8/29 今回の白馬岳山行の折、午前11時半頃、三国境で、中年のパトロール隊と思われる方から、「何処へ行かれますか?」 と尋ねられた。「私は、あっち。」 と山頂方面を指さした。「明日は、天気も下り坂で、出来れば早く下山され、唐松方面へは行かないで下さい。」 との指示めいたものであった。私達は、山頂を目指し、そのまま蓮華温泉に戻るのであるが、「はい。分かりました。」 と、返事をし、「ご苦労様です。」 も付け加えた。

 何年か前、白馬岳登頂後、小蓮華山で休息をしていた時、若いパトロール隊と思われる方から、やはり「これから、何処へ行かれますか?」 と問われ、「蓮華温泉」 と答えたら、「到底、蓮華温泉まで行かれません。そのような方が、おられるから、遭難が起こるのです。」 と言われ、これからは、言い方を変えようと思っていた。

 彼らには彼らの任務があり、そのように指導するのは当たり前の事である。「何回も来ているし、装備は万全、体力には自信がある。」 などはとは、毛頭言えない。だから、あっちとか、こっちまでとか、具体的には、手前の小屋を差したりすればいいのかも・・ その話を山頂で会った熟女達にすると、「白馬岳界隈では、他の山以上に厳しい。(そのように指導しているらしい。)



8/28 「明るい内に下山したい。」 との思いから、我家を午前1時半スタート。(でも、1時45分なってしまった。) もちろん、高速でなく、下道である。意外と道は空いていたし、朝日・糸魚川間に遅い車がいなかったから、平岩からの山道を、ゆっくり行っても、蓮華温泉には、4時半頃に着く事が出来た。

 支度に時間を要したものの、5時にはスタートを切れたのであるが、しかし、「今日は、お昼前には山頂に届く。」 との淡い思いも、天狗ノ庭や白馬大池へは、「えぇっ」 と思う程の時間を要してしまったのである。1時間・1時間で2時間。30分プラスしても、2時間半で白馬大池まで行けると思っていたのに、3時間半を要してしまった。当たり前なのかもしれないが、頭の中で、若い頃のタイムが離れないのかもしれない。簡単な食事をした事もあり、白馬大池を発ったのは9時である。

 特別 急かしたわけでもないが、時間の事を話題にすると、「山ノ神」が、だんだんと膨れていった。疲れては、カメラを出したり、擦れ違ったりする人との会話が始まる。後にいると、先に行け。先に行くと行ってしまったと言うのであるから、いやはやイヤになる。

 6時間のコースタイムなのであるが、近年二人で登ると、7時間近く掛かるのであるが、今回は7時間半でゴールである。 (午後0時半到着) 時間がないからと言っても、折角登って来た山頂からの展望を楽しまないわけにはいかない。しかし、普通は11時以降やって来ると、上昇気流の関係か、それとも、天気が悪くてもやってくるからであろうか、展望が悪くなってしまう。

 「山ノ神」のビール。そして、カップ麺を頂く時間を取った。隣の熟女から、声が掛かった。「何処かで会ったね。」 いろいろな山名を上げておいでたが、こちらは分からない。そして、とうとう赤祖父山の名が出た。そして、「元さん」も。そう言えば、赤祖父山で、「どっちへ行けば・・」 と、帰路を尋ねられたし、シェルターを見て感心しておられた様子を思い出した。「目が大きくて・・」 などとも言われちゃった。

 その熟女(田畑さん・真木さん)より先に下山に掛かったが、天狗の庭で抜かれてしまった。それでも、ヘッデンを使わないで降りれたのであるから良しとしよう。



8/27 このところ、一年に一度だけれど、ずっと白馬岳に通っている。殆どが蓮華温泉であるけれど、昨年は、10年に一度の暴風雨に見舞われ白馬大池で撤退を余儀なくされた。残念だけれど、それは仕方がなかった。

 毎年登っていると、どれだけの体力かというバロメーターになり、自分の位置が分かるというものである。二人で登ると、コースタイムをオーバーし、山頂到達が正午を回る事が多い。だから、山頂に留まる時間は多くはない。

 唯、疲れに行くだけと思われるかもしれないが、それなりに満足感と達成感というものが、後から付いて来るから面白いというのか不思議である。 もちろん、泊まり掛けに越した事はないが、時間がない者には仕方がない。でも、やっぱり山は、朝夕の景色が良いし、ゆったり歩くのが良い。これからは、そのような考えに同調してくれ方々と一緒出来れば最高である。

 明日も、早々に出掛け、夜が明ける頃から歩きだし、日が暮れない内に下山出来たらと思っているが、ヘッデンを点けた事も何回となくある。最後の日帰りとなるかどうかは、その結果が出てからであろう。



8/26 このところ、どうしたのかと思う程、いろいろな山の情報が入って来る。私がアタフタしているからであろうか? それとも、いろいろと、新しい山仲間が増えたからであろうか? どちらにしても、山の事にしか興味のない私にしてみれば、何もかもが新鮮で喜びを感じている。

 こんな折ではあるが、今まで、重宝されていた山に関するHPが、休眠・休止になっているのが多い。全国的にはどうなのか分からないが、富山県内、そして隣県にあたる方々の物が、半減したかのように思う。

 facebook、Twitterなどの、SNSに食われてしまったかのようにである。瞬時とはいかないとしても、HPの良さもあるのに言いたいが、その私とて、ついつい怠け癖が出てその良さを出し切れていない。古い情報などいらないのであろうが、噛み締めれば満更でもないような気がするが・・・



8/25 9/4~9/5に壊れそうになった好山病企画山行がある。まだ実現実行まで100%とは言えないが、何としてもという気でいる。今年末で、当会が満13年になるが、もしかしたら、最後のキャンプ山行となるかもしれない。それ故、月・火など、なかなか休暇の取り難いのに参加してくれる仲間に感謝である。

 ずっと、わがままを通してもらっていて、唯々感謝である。これからも、ずっと負けずに元気でいるつもりであるが、そういう気でいても、他方からみれば、自ずと分かるというもの。会社でも余力のある内に止める。というのを聞くが、私は、それに当て嵌まるかどうかは分からないが、引き際を感じている。

 ゆっくりとか、やわやわとか、いろいろな山行スタイルというのがあるから、山を止めるものではない。腰や膝が痛かろうと、どれだけでも山と親しむ事が出来る。もうちょっと、孫達が大きくなり、元気であれば、それこそ自由に飛び回る事が出来るのである。だから、皆と一緒に山に行きたい。 だから晴れて欲しい。



8/24 「昨日、大日平山荘から30分くらい登った所で、雨と寒さに危険を感じて下山しました。 下山したら晴れていて、諦めきれずその足で室堂へバスで行き、今日、雄山くらい登れないかなと思っていたのですが、風雨強く、これまた下山となりました。」 先月、小佐波御前山でお会いした美紀さんからの山行報告である。

 「臆病なくらいがいいよ!」 そして、「再チャレンジも、山好きには良い響き。」 と、返事したが、若い人達が、ドンドン山に入って来る様は実に頼もしく嬉しい。そんな人達と、少しでも交流出来て、「元気をもらえば、医療・福祉にも役に立つ。」 とは、オーバーかもしれないが的外れでもあるまい。

 我が「好山病友の会」 の山行機会が激減している。異業種の集まりだけに、休日の違いや働き盛りを迎えていて、なかなか思うようにならない日々が続いている。でも、昨年の剱岳に続いて、今年も、全員とはならないにしても、9月上旬の企画が実行出来そうになった。それ故、私は、嬉しくなっている。



8/23 唐松岳で若いご夫妻と仲良くして頂いた。時間的には短いものでしたが、何となく、「ウマが合った!」 という感じであった。それも、私(達)の一方的だったかもしれないが、「山を始めて間もない。」 と言われたから尚更だったのかもしれない。

 山頂で、facebookとHPの事をお話した事もあり、自宅に戻ってから、facebookで検索を試みても探されないでいた。あちらから、探してもらうか、HPからのメールを頂くしかないので、かなり諦めの境地にいたところ、今晩、その東京の小池さんからメールが届いたのである。

 最近、小佐波御前山での美紀さん、白山で小松の3人娘さん達、そして、今回唐松岳での小池夫妻と、立て続けに若い方々と知り合いになった。最近、70歳の誕生日を迎えてしまったが、「もうちょっと、頑張れ!」 と神様が不思議な縁を取り持ってくださったのかもしれない。



8/22 白山もそうだったが、唐松岳は、もっと登山者が多かった。若い人も熟年も、単独行もあれば、ファミリーも多かった。そして夫婦またはカップルも。それよりも団体さんが目立った。ツアーもあるのだろうが、何かのグループ (もしかしたら、山の会かも)

 そんな中、唐松岳山頂から、唐松山荘に向かって、20人ほどのグループが、全員ヘルメットを装着していたもので、「あちらから(不帰ノ儉)来られたのですか?」 と思わず声を掛けてしまった。その中の女性は、「唐松だけですよ!」 と照れ笑いをされた。

 年齢の事は分からないが、どうも私の年齢に近い人ばかりのような感じであった。ツアーなのか山の会なのか分からないが、安全のための防具であったに違いなかった。その凄い意欲に感激したが、ずっと、若い人達から見たら、どのように映るのだろうかと思ったが・・・

 それにしても、それを纏める人(達)は、さぞかし大変であろうと思うのであるが、どうしても、登りたいという意欲が、何もかもを上回るのかもしれないね。



8/21 予想外のお天気になった。昨日から、キャンプに行っておれば良かったと悔やみかけたが、長期の休暇を取って戻って来た娘の初日の勤務に支障が出たらいけないと思ったが、親ばかだったか!

 それでも、「休日は山に・・」 の如く、簡単な山として、城ヶ平山を選んだ。1時間程度の山故、12キロ超の荷を担いだ。しかし、今日は、暑かったから、シャツの中の汗が流れるのが分かった。

 辛い思いをすれば、その先に何か良い事があるやもしれない。それは、光り輝くものでなくても、自分の身体が鍛えられるというのもある。無駄な抵抗なのかもしれないが、その方が、今の自分が望むところかもしれない。努力したものが報われるでないかもしれないが、飲んだものを吐き出す(消化する=蹴散らす)くらいにはなると信じている。



8/20 雰囲気の悪い中、午前3時前に起きた。2時間程しか寝ていないが、やっぱり何処かへ行かなくてはならない。降らないと思うが、午後からのお天気が心配だったので、長い白馬岳より、安全策として、ちょっと簡単な唐松岳を選ぶ事にした。気まずい雰囲気の中、言わなくてはならないのは、「行く行かない?」 

 歩きは、リフトを横目に、いつもの通り黒菱平からである。下から歩けば、長く歩いただけ充実感があるような気がするが、「山ノ神」の歩きに陰りが出て来ている。でも、昨夜の気まずさから、黙って歩くしかないようであった。

 そんな中、東京の小池夫妻と、何となく言葉を交わしている中、我々のお節介もあってか、仲良くさせてもらった。また、曇りがちの中、白馬三山方面が、雲海の上に聳える様を眺めるにつけ、心も次第に和らいでいったのかもしれない。

 山頂からは、僅かな時間であったが、剱岳のてっぺんを望められ、ホットな気分になれた。前半は、五竜岳・鹿島槍ヶ岳が望め、後半は、不帰から白馬三山の山容眺められたのは、今日の予報からして、ラッキーだったとしか言えない。

 今日は、私の誕生日である。イヤなんであるが70歳になってしまった。なってしまったのは仕方がない。後何年元気でおれるかとか、先行きを心配していても仕方がない。今日からは、何事にも前向きに生きる事にしたい。病気なんかに負けておられるか? スーパー爺を目指そう。(なれるかもしれない。)



8/19 明日明後日の予報は、必ずしもよくない。でも、明日は降らないような気がする。しかし、「山ノ神」は、テントを担ぐのには、あまり賛成のようでなかった。その内、山行には関係のない事で、雰囲気が悪くなってしまった。せっかく、月曜日は解放されるのに・・・



8/18 飲み過ぎなのだろうか、食事を終えてPCの前に座った途端眠くなる。ウトウトしたり、コックリとなるから、我HPの更新が覚束ない。そんなに飲んでいないのであるが、弱くなった証拠なのであろう。もしかしたら、もしかしなくても、いやな言葉なのだが、歳なのかもしれない。

 そんなのに、「HPを開設しているなどと、言ってもいいのだろうか?」 と、また自問が始まる。「ここまで来たら、どうにでもなれ!」 というところもあるが、また新しい山友が出来て刺激になったり、、止めてしまったら、唯の年寄りになるとの危機感も手伝い、大きく目を開けなければならない。

 明後日からの連休(日・月)のお天気が、またまた良くない。一年に一度の白馬岳へと思っているのであるが、日帰りにしても、キャンプにしても、まだ決断がつかない。



8/17 盆休は、迷った挙句の日帰り山行となったが、やっぱりテントを担いで奥深く入れば良かったと、ちょっぴり後悔をしている。雨は辛いが、雨は雨の趣がある。連日の日帰り山行が楽かと言えば、戻って、また出掛けなければならないという負担もある。

 荷を軽くし、ゆっくりした日程を組めば、まだまだ山と親しむ事が出来るような気がする。それには、継続という努力や慣れが必要である。楽な方になびきたくなるが、求めるものと辛さは裏腹の状態なのかもしれない。



8/16 テントよりは身軽に出発出来ると思っていたが、なかなか思うようにならず、スタートが午前5時となった。それでも、ゲート通過が午前6時の事を思えば、1時間半も早く発てたのだから、2人で山頂に立てると思っていた。

 しかし、思い通りにはいかないものである。三角点まで2時間近く掛かり、その上、朝食とくれば、太郎小屋には、午前10時着になってしまった。あと、500mの所から、先に行ってお湯でも沸かしておればと思ったのであるが、「山ノ神」がやって来ない。「迎えに来てくれるか思った。」 というのであるから、これでは、2人の山頂はないと思ってしまった。何せ、ここで30分も取られてしまったのであるから・・・

 薬師平に着いた頃には、帰りの事を思えば、とても2人で山頂に立つ事は無理だと思ったが、薬師岳山荘の手前の稜線までは一緒する事にした。(ちょっと戻って山ノ神の荷を担いだが) そして、炊事用具を「山ノ神」に渡して、私だけが山頂に向かった。

 「1時間もあれば戻って来れるだろう。」 と山ノ神が言うが、「一年一年衰えていくのだから、そのような時間では行けないよ。」 と言いながら、「午後1時半まで戻らなかったら、太郎に向かって下山開始してくれ。」 とも付け加えた。(1時間5分しかない。)

それでも、私は、山頂に行かなければいけない。いや、行きたいのである。薬師岳山頂着が午後1時。そして、写真を撮るのに5分間。それからであるが、走るまではいかないが、それなりに頑張ってみた。約束より7~8分程度遅れたが、「山ノ神」は、暢気にまだ帰り支度もしていなかった。1時間の余裕時間に何をしていたのか想像出来るが・・・

 太郎小屋まで午後3時くらいまで着かないと、暗くなってしまう心配があったが、10分遅れ程度で着く事が出来た。しかし、太郎小屋前で長居する羽目になってしまった。挙句の果てに雨が強くなり、雨具を着るに至った。 しかし、「山ノ神」が意外に頑張り、ヘッドランプを使用するに至らなかった。それどころは、私に「頑張れ!」 と言うのだから恐れ入った。

 

8/15 白山から帰って、やっぱり飲んだ。前夜は、あまり眠られなかった事もあり、一杯やると、目がチョロチョロになった。でも、白山で出会った娘さん達が、FBやHPを見てくれるかもしれないと、2時間後に目覚ましをセットしていた。

 また、遠方(唐松岳)へも捨て切れずにいただけに、午前3時起きとなったが、怪しい空模様に判断がつかず、そのまま時間が過ぎて行った。「休日に山へ行かないわけがない。」 と思いながら、提案のないまま朝食を迎えてしまったのである。

 「明日は薬師岳に・・」 の提案に、「山ノ神」は、「それなら、今日は天蓋山」 と逆に切り込んできた。そのまま、有峰林道に入って、折立に泊まるとの算段であるから、買い出しをしなければならず、山之村登山口スタートが正午になってしまった。

 今にも降りそうな感じであったが、山頂近くの急登箇所で傘を差しただけで終わった。2時間程度の簡単な山であるが、1500mを越えるだけあって、お天気なら展望が凄く良い。紅葉も良いが、昨年は12月に来て、山頂付近では結構な雪量になってしまった事を思い出した。

 午後4時まで登山口に戻らないと、後々が面倒になると言っていたのであるが、結局は、4時半を回ってしまった。それでも、明るい内に折立に着き、車の前で夕食(飲み会のようなもの)をし、結構寛げたのである。でも、やっぱり少々の雨でもテントがいい。



8/14 昨夜は、五箇山まで凄い雨で、どうなるかと思ったが、五箇山を過ぎてから雨は上がった。でも、やっぱり車の中では寝れなかった。(道の駅) 「白水湖登山口から室堂まで4時間」 と「山ノ神」に、はっぱを掛けたが、最後の最後に疲れ果ててしまったようであった。

 室堂で、生ビールを所望する「山ノ神」に山頂へ誘ってみた。あまり山頂へは行きたがらないのであるが、「ゆっくりでいいから・・」 「時間は、たっぷりあるから・・」 の言葉に納得したのか、久し振りに山頂を目指す事になった。

 これが、奏功したのだろうか、途中から、愛想の良い若い娘さん達と、抜きつ抜かれつ、そして、時々、言葉を交わすようになった。小松から来られた学校時代の同級生らしく、まだ山との関りは少ないようであったが、心意気は若いだけあって、その活力は漲っていた。

 ちょっとの時間であったけれど、年寄りの話を聞いてくれる優しさに感謝しながら、その若さからのエネルギーをもらったような気がした。HPやFBからの繋がりで、交流が出来るかどうかは分からないが、彼女らが、これからも山に親しんでくれたら良いのにと思うのである。

 それから、その彼女らと話し込んでいる時に、「元さん」と富山の太田氏から声を掛けてもらった。山で、2~3回程しかお会いしていないのに、よく覚えて頂いていると恐縮である。明日明後日の気象予報は良くない。どうしたもんだ! 休日を1日短くする事も考えなければいけなくなる。でも、何処かへ行く。



8/13 盆休(8/17まで休むつもり)の予報はあまり良くない。その中で、まだ、明日は良さそうなのである。しかし、今日も良いはずのお天気だったが、何だか雲に覆われていた。白山・薬師岳・唐松岳・白馬岳の中で、取りあえず、明日は白山に行く事にした。

 南竜ケ馬場でキャンプの話には、「山ノ神」が乗り気を示さないので日帰りとするが、それでも、「山ノ神」は、今夜に家を出たいという。私は、どんなに早く家を出るにしても、畳の上で寝るのが一番であるから、それこそ、あまり乗り気になれないのであるが、男と女の差がここにもあるのかもしれない。(それなら、山の上で過ごした~い。)のが本音!



8/12 今日から、娘と孫達が、ムコ殿の所へ出掛けて行った。この時こそチャンスなのであるが、イザとなると考えてしまう。予報が必ずしも良くないのが理由の一つではあるが、自分勝手な事も出来ないし、後々の事も脳裏に浮かべば考えも委縮してしまう。

 その範囲の中での行動になってしまうが、今までの経験からして、思い切って出てしまうのが一番のような気がする。それが、覚束ないのなら、ゆっくりと楽しむ方法しかない。毎日、日帰り山行というのもあるかもしれないが、今回は、それをあまり望まない。



8/11 依然として予報は良くない。そして、今も、所々に強い雨を降らせている。この1~2年は、ちょっと無理をしてもの思いが強く、いろいろと探るのであるが、相方もいるし、何処へでもというわけにはいかない。行くからには、フォローが出来るかが付いて回るし、その無理には限度が生じて来る。

 今回のメニューから東北が消えた。後は、日帰りかキャンプかになる。雨はイヤだが、それを嫌うと、行ける事も限られる。そんなのでは、山を愛するとか親しむとかを語る資格がないような気もする。四季を問わず、しかも、どのような場合にでも出掛けてこそ、その山が分かるというものである。

 そう言いながらも、雨の山、それがテン泊になるとしんどい。雨の中を歩くとなると、修行・忍耐の他なにもない。それが、山と親しむとは言えないが、イザという時に役立つ事があるように思う。イザという時には、訓練・練習以上の事は到底出来ないからである。



8/10 「まだ行った事のない名山に行くべきか、それとも、勝手知ったる北アの山で、ゆっくり構えるか?」 などと、この先の予報も良くないだけに迷っている。登っていない山の事は語る事も出来ないし、登ってみなければ、良いか悪いかも分からない。遠く(今回は東北)行くには、それだけ移動に時間を費やさなければいけない反面、山以外の所へも訪れる機会も生まれて来る。

 しかし、今まで出掛けた山々の感想からして、北アの山々に勝る所は、未だに感じていない。特に富山や、それに隣接する山々は、何回登っても飽きる事などない。まだ手の届かぬ山もあるが、お気に入りの所でゆっくり過ごすのも良い。各自いろいろな目標があると思うが、まだ重荷を担いででも、山に入れる事に感謝しなければならないだろう。



8/9 2週間前に、法務局へ出向いて抵当権解消の手続きをしてきたが、その登記完了証なる物をもらって来た。20年と24年の長い間の借入が、名実ともに完了した事になり、ちょっと安堵感に浸っている。(でも、他の事で、まだまだなのだが・・・)



8/8 富山を直撃するという台風であったが、通過した事は間違いなかったが、それ程凄い風や雨はなかったようであった。それでも、朝から雨では、子供達(孫達)を連れて山に登るわけにはいかないので、時間までトランプ遊びに興じてやった。

 どちらかというと、この種の事は、苦手な私であったが、この日ばかりは、孫達を喜ばせる為にやって来たのであるから、ニコニコ(我慢)してやるしかなかった。チェックアウトの後は、ピンポンである。ラリーが続かなかったが、それでも、そのような事をやった事に意義があったように思う。雨が少しばかり酷くなった頃に帰宅の途に着いた。



8/7 台風が直撃するような雰囲気であるが、出掛ければ降るし、出掛けなければ降らないような気がする。(これはいつもの事である。) それでも、午前中は降らないだろうとの思いと、リスク軽減から「尖山」に出掛ける事にした。

 それにしても暑かった。横江駅前から歩き始めたが、登山口に着いた頃には、孫達が喉の渇きを訴え始めていた。とにかく暑かった。「こんな暑い日に・・」 にと思っていたが、結構な人達が、この尖山に登っておられた。そして、山頂には、大きな団体さんがおられた。

 山頂の展望は頗る良好で、剱岳を始めとする北アの名峰が眺められた。山頂を後にして、同じコースを戻るつもりでいたが、ミーが、「同じコースではつまらない。」 と言い出し、夏椿コースを降りる事となった。

 登りと下りには雲泥の差があり、増してや家族とは言えども、子でなく孫であるからして、やはり気を使わなくてはならなかった。しかし、キャーキャー言いながらであったが、孫達にしてみれば、アスレチックのように思えたのかもしれない。

 尖山から降りて、まだ時間があったので、立山町市街地まで戻り、買い物をしてから家族旅行村管理棟に来たのであるが、それでも時間が余り、パークゴルフなるものを経験する事になる。ヒッチャカメッチャカであったが、それなりに楽しく遊ぶ事が出来たような気がした。

 30年程前に家族旅行村のケビンを利用した事があったが、時代の流れなのだろうか、至り尽せりの設備にびっくりしてしまった。そして、台風の雨も風もなく夜は更けていった。



8/6 暑い日が続き、特に熱帯夜には参る。相変わらず空調のない部屋で寝ているが、歳なのか、それとも異常な暑さのせいなのか分からないが、あまり眠れなく消耗し切っている。

 立山山麓家族旅行村から確認の電話があった。台風の予兆はあるものの行かないわけにもいくまい。孫達も何処の山に登るのかと問うて来る。雨の前に、手短な山に登るしかないだろう。



8/5 ずっと晴れの予報だったのに、☂マークが入って来た。台風の関係なのだろうが、その先の事は、なってみなければ分からない。ケビンを申し込んでから予報が変わったが仕方がない。こんな事ぐらいでキャンセルも出来まい。雨も風も、生きている限り付いて回るもの。と言っても、小さな女の子、そして、親から離れてなのだから不安がいっぱいになるだろう。



8/4 今度の連休は、思うようにならなくなったが、孫達を抱え込めば、泊まり掛けであっても山に行ける。しかし、私が子供達を山に連れて行ったやり方では、孫達も、やがてイヤになってしまうかもしれない。 (山もスキーも、強行日帰りばっかりだったから・・・)

 そんなわけで、キャンプも良いのだろうが、始めが肝心というところで、立山山麓家族旅行村に泊まる事にした。喜んでくれるかどうかは別にして、2日間だから、尖山・高峰山・極楽坂山・瀬戸蔵山・大品山などから、2座は登らせたいと思っている。

 そんなのだから、子供達にも嫌われたのではないかと、「山ノ神」に言われるのであるが、楽しい事や簡単な事は、何時でも出来る。非日常の体験をさせてやりたいと思うのは無理なのだろうか?



8/3 「盆休は、何処へ行こうか?」 「北アか東北か?」 でも、自分の事ばかり考えるわけにもいかない。北アとなると、重荷を担がなければならない。そうなると、「山ノ神」が、余程頑張らなくてはいけなくなる。でも、贅沢さを無くすれば、荷は相当軽くなる筈。

 東北は、余程でない限り、登山口から日帰りで、「車に戻ってから、車中かテントで泊まりたい。」 と言うから、またややこしくなる。「それでは、早く歩けるのか?」 と言いたくなるし、行き先が絞られてしまうからである。



8/2 今度の連休(8/7~8/8)に、メンバーから誘われていた山行がダメになった。もちろん、事前に、こちらの事情を説明してあったのであるが、いざ、行けなくなると、申し訳なさと、久し振りに一緒出来ると思っていただけに、ちょっぴり寂しくなる。

 このところ、日光・四国・南アと立て続けに出掛けているのであるから、一服を与えてもらったと思えば、それも良しかと思うのである。また、「孫達と一緒に過ごせ!」 とのお達しかもしれない。さて、ならば、「一緒に山に行こうか?」 「それとも、キャンプをしようか?」 親抜きで、ジジババの思う通りになるのだろうか?



8/1 昨日から、S先生に、FFFTPの設定に関して、多大なるご尽力を頂いた。忙しいのに、また、腰痛を押して、私のために一生懸命して頂けるのであるから、本当に有難く感謝の念に堪えない。今のところ、完璧ではないらしいが、修正の手解きを教えて頂いたので、何とかHPを更新出来るようになった。

 アドレスを変えて続けるの選択もあったようだが、この機会に休止するのも、一つの判断だと思っていたのも事実である。しかし、S先生の魔法に掛ったように、UP(更新)出来るようになってしまえば、やらんわけにはいくまい。「イヤだ!」 「止めようか!」 を、そのまま呑んでしまえば、人生が縮んでしまうのも確か。