12/31 今年もいろいろとお世話になりました。また、「元さんの山歩き」 に訪れてもらった事に感謝いたします。いつまで続くか分かりませんが、もうちょっと頑張ってみようかと思っています。

 このところ、3年続いていた尖山の元日登山ですが、明日(平成30年元日)は、所を変えて、千石城山に行くつもりでいます。ミゾレも困るのですが、雨予報です。尖山より、ちょっと高い千石城山での雪を期待しています。



12/30 大阪の長男が明日(12/31夕方)やって来るという。そして、2日のお昼頃に帰るというのである。帰省してくれるのは嬉しいのであるが、こちらのライフスタイルが壊れてしまう。

 多分、友人と飲みに出掛け朝帰りに決まっている。そして、日中は寝ているのであろう。元日の夜は一緒してくれると思うが、中途半端なお昼頃に帰阪するのであるから参ってしまう。

 元日登山は、彼が寝ている頃に出掛けているのだから問題ないにしても、夕方からは、51回目の新年会がある。高校卒業時から、ずっと、続いているのだから行かないわけにはいけない。(ずっと、元日新年会である。)

 かといって、特別の話もない。唯、顔を見られるだけで親というものは嬉しいのであるから、何も小言など言わなくてもいいのに・・・。 こんな時、男親は、ちょっぴり寂しくなる。



12/29 私の姉は80歳。姉は、2番目の子で次女。私は、5番目の子で3男。私の両親は、戦中・戦後の動乱の中、4人の子を亡くしている。特別の人ではなかったが、真面目で優しく家族を大事にしてくれたように思う。その両親が逝ってしまった今日、やっぱり姉の事が気掛かりである。体格もよく運動選手だったのに、今は、何だか、しょげてしまったようである。これからという時に、大病をしたからかもしれない。また、環境が変わったからかもしれない。

 そして、何だかこの頃は、私を頼りにしているように思えて仕方がない。スマホの変えた機会に、毎日とはいかないまでも、なるべく電話を掛けるようにしている。「嬉しかった!」 「安心した!」 「すっきりした!」 などの言葉を発する姉であるが、聞いてやったり、励ましてやるしかない。

 「元気でおれば、また会えるよ!」 の言葉を姉は信じている。「これが最後かもしれない。」 と思っていたが、「もう一回」 があれば良いのにと思っている。連れ出して、静かな温泉にでもと思う気持ちは、「山ばかりの人世」 に疑問を感じる時である。そして、幾つになっても。姉と弟なのである。



12/28 少子高齢化・人口減の中で、私の知人やお客様を幾人も亡くした。とても寂しく、「もう少し・・」 などと、悔いるのが多い。それよりも、もしかして、たった一言で、友を無くしたかもしれない。充分、気を付けているのであるが、人間が出来ていないからである。でも、歌の文句じゃないけれど、ため息をついても、振り返らず、前を向いて行くしかない。ダメだった事は、また何処かで、やり直せばよいのだと思うし、悪い事をした分、何処かで、いい事をすればいいのだと思う事にしている。



12/27 今年最後の休日は、孫達とソリ遊びに興じ、山行とはならなかった。しかし、80回の休日で、67回(70日)も出掛けているのだから、不服を言えば罰が当たるというものだ!その中には、大地・初雪山(雪中キャンプ)、太郎山・女峰山(日光)、三嶺・剣山(四国)、北岳・間ノ岳(南アルプス)、薬師岳・北ノ俣岳(好山病山行)、燧ヶ岳・帝釈山・田代山(桧枝岐泊)などの泊まり掛け山行があるのだから、この環境下で良く出掛けたものだと思っている。その他に、姉との小旅行、子供達を集めての民宿泊(結婚40年・古希)のオマケまである。



12/26 大荒れという予報に反して、高岡は割と穏やかである。娘と孫2人が、ムコ殿の住む東京へ出掛けた(帰った?)ので、我家は火が消えたような状態だ。5年前もそうだったのだから不思議な事もない。



12/25 結果的には、予報程悪くなく、何処へでも行けたかもしれないが、年初に心した 「何が何でもは止めよう。」 を受け入れた感じであった。今年最後の山行機会であったが、考えてみれば、その一日がどうっていう事はない。

 午前中は、孫達を連れて、閑乗寺公園でソリ遊びをした。家に戻って、神棚を清掃し、しめ縄を取り換えた。天神様も飾った。2時間以上掛って、風呂掃除をやった。この時期に、これほどやった事などないが、これも良しと思った。



12/24 例年なら、娘と共に孫達は、ムコ殿の住んでいる東京へ行く(行ってる)ハズなのであるが、今年は、どうしたわけか出遅れている。そして、明日も、まだ高岡にいるようである。明日から天候が荒れる予報であるが、明日はまだ雨。山へ行く条件としては悪い。

 山行を無くし、山里の雪の多い所へ孫達を連れて雪遊びとも考えなくもなかったが、このような条件下では、ちょっと辛い。雨やミゾレでなければ、風もなければと思うのであるが、そう上手くはいかない。”我家でお正月の準備” となるかもしれない。



12/23 この一年、普通に終わろうとしている。特別な事もなくという事に感謝をしたい。いつ起こるか分からない事故や、いつ襲って来るか分からない病魔に見舞われなかった事の他、家中でも大きなトラブルがなかった事に胸を撫で下ろしている。

 でも、分からない内に、他人様にイヤな事を言ったかもしれないし、心遣いに欠けていたかもしれない思いもある。完璧に生きれない(過ごせない)かもしれないが、回転の悪さが輪をかけているように思わないでもない。

 来年は、少々わがままが出るかもしれないが、何事にも穏便に過ごせるよう、精進をしなければと思うのであるが、果たして、思う通りにいくものだろうか? 「寝たきりにならない。」 「認知症にならない。」 が、目指すところであるが、そんな事は夢みたいな事であろう。ならば、ちょっとでも遅く、そして、短くになりたいものである。



12/22 例年になく年賀状を早く片付けたら、何もかもに余裕を感じるようになっている。「25日に天神様を飾り付けようか?」 とか、神棚の掃除、蛍光灯を取り外してホコリ取り、また、ブラインドの羽根の拭き取りなどとなる。

 いらなくなった物の処分や日頃散乱しているものの片付けなどと、次から次へと手が伸びようとする。そうだ、HPも新年に向けて修正を施さなくてはならない。手早くやれなくなっていくのは仕方がないとしても、やれる事に幸せを感じている。



12/21 スノーシューのトラブルを記したら、高岡の奥氏から、その修繕法のコメントを頂いた。有り難い事である。以前、同氏からは、時計(Casio G-SHOCK) を洗濯してしまって困っていた時にも、適切なご指導を頂いたのである。

 記録的な事もあるが、憂さ晴らし的な要素が、かなり含んでいる当欄。 このように ”続けていて良かった。” 事もある。自惚れ感が漂うかもしれないが、”応援してもらっている。” と勝手に思っている。



12/20 先の連休に、スノーシューのベルトが2日連続で切れた。もう何度もスノーシューを壊しているので、ベルトの予備がどれだけでもあると思っていたが、必ずしもそうではなかった。いざ使用してみると、途中で切れてしまったのである。何故と考えてみると、ベルト(ゴム)が硬化してしまっていて、伸びがないという事らしい。

 その型によっては、作りが違うので代替といっても、それなりに工夫がいる。結束バンドなども留に使用した。その結束バンドは強いのであるが、ベルト(ゴム)の方が弱いのか切れてしまうのである。仕方なく、モチヅキ(MSR)から、代替ベルト(インステップストラップ)を取り寄せてみた。

 でも、ちょっと様子が違う。どの型にも間に合うとあるが、ちょっとややこしい。金具との接続が上手くいかない。カットすれば、それとなくなるのだろうが、ちょっぴり不安が伴う。取り寄せる部品到着前に、以前使用していた硬化していると思われるベルトで、修理を終えている。またちぎれるかもしれないが、もう一回試しに使ってみて、取り寄せたベルトを予備として持参しようと思う。



12/19 最近、躓いたり、足が攣ったりする事が多くなって来た。こんな筈がないと思いながら、だんだんと多くなって来ている。山中では緊張しているからか、家中での出来事のような気もする。

 認めたくないが、確実に衰えているようである。鍛錬を怠ると、あっという間に、次のステージがやって来るのかもしれない。だから、頑張らなければならないのであるが、時にはイヤになる事もある。唯々、歩けなくなるのがイヤで、雨の日も雪の日も出掛けるのかもしれない。

 

12/18 あれやこれやと時間を費やしてしまい、スタートが午前9時40分になってしまった小佐波御前山。駐車場前の広場から林道歩きを選んだのであったが、ツボ足のトレースは意外と歩きにくく、猿倉山から降りて来た林道との合流まで、小一時間を要してしまった。

 本ルート(メーンルート)に出てしまえば、しっかりしたトレースがついていて、楽ではあるが寂しいくらいであった。でも、雪上を歩けるのであるから、この上ない幸せである。空模様は、降らなかったが、時折、冷たい風が身を縮込ませた。

 今日は、3時間20分くらいで小佐波御前小屋に到着し、1時間ばかり休憩させてもらった。曇りがちの天候であったが、下山時に一時と言えども、陽が差し雪山のきれいさを味わった。午後4時頃には車に戻った。



12/17 もっと降るかと思っていたが、我高岡では、殆ど降らなかった。しかし、車を東に走らせる毎に雪は増え、城ヶ平山の大岩駐車場では、ビックリするほどの雪量。カンジキかスノーシューかと両方準備してきたが、当然の如くスノーシューになった。

 周さんが、気持ちよくラッセルしてくれたので、我々は楽ちんであった。雪はずっと降り続いていたので、城ヶ平山頂をスルーして、ハゲ山に向かった。我々は、ちょっぴり先頭に立つ事があったが、好調の周さんにラッセルは任せる事になった。

 ハゲ山のてっぺんに立った時は、降雪が止むかに見えたが、そんな事が長く続く筈がないので、峠山に戻る途中の樹が混んでいる所でタープを張って食事とした。平地では雪が小康状態になったからかもしれないが、登って来る人がいた。そして、高岡に帰ってみると除雪しなければいけないほど雪が積もっていた。



12/16 明日は天気が大荒れの予報。(警報)  弱った! でも、模索する。そんなところに、周さんが、何処へでも良いからと同行してくれる事になった。(私達と似ている人がいるのだ!) でも、行き先は、明朝になってから・・・



12/15 年賀状作りが佳境に入って来たが、一人一人コメントを書くのに疲れが出て来た。一服しなければと思うのであるが、ついつい先延ばしにすると、悪い癖が出て、ズルズルいくという懸念が生じて来る。

 年賀状には、各自いろいろな考え方があるのだが、自分の信念を通すためにも、ここはチョッピリ頑張らなくてはいけない。「あの人は、どうしているのかな?」 と一年に一度くらい想い出すのも良いし、「今年も宜しく!」 と、ケジメの一つとしての挨拶でもある。



12/14 今春、保育所から、おたまじゃくし20~30匹を、下の孫エリーがもらって来た。しかし、実際世話をしていたのは、上の孫ミーで、水の入れ替えやエサをやっていた。その ”おたまじゃくし” であるが、カエルにならず、今も、”おたまじゃくし” のままなのである。

 と言っても、手足がそれとなく出ているが、栄養不足なのか発達障害なのか、それとも環境が悪いのかは分からない。最近の寒さの関係か、ここ2~3日の間に2匹が死んじゃった。そして、もう一匹も重体である。

 「この時期まで、”おたまじゃくしのまま” は、ニュース性があるのでは・・・」 と、粋がっていたが、残りは重体の1匹を含めて3匹になってしまった。いる者が無くなって(亡くなって)いくのは、やはり寂しいものである。何とか今冬を越えてくれないかは、欲張りかもしれないが、せめて正月を迎えて欲しいと願っている。



12/13 今年の休日は、あと3回となった。(12/17.12/18.12/25) その内、確実に丸一日遊べるのは、12/17である。出来れば、その一日は、ヘトヘトになるまで歩きたいと思っているが、それもお天気次第である。

 今のところ、予報は決して良くない。でも、雨ではなさそうである。どのようなパーティーを組めるか分からないが、きっと猛者が集まるのではないかと、ちょっぴり期待をしている。それこそ、ワクワクである。



12/12 今日は、一日中寒かった。そんな中、スマホ4日目の私は、ラインとライン電話にチャレンジする事が出来た。”凝り性” だと言われた事もあるが、何だか夢中になっている。どうしても、スマホではなかったが、新しい事にチャレンジ出来るとは実に楽しい。「年甲斐もなく・・」 そんな事はどうでもよい。

 そんな行動を起こした事で、いろいろなアドバイスを受けたり、また新たな出会いも生まれて来る。10数年前のPCとの関りを思い出してしまう。元気でいたら、また何か違ったものに興味をもつ事で、がらっと環境が変わってしまう。



12/11 やっぱり出掛けてしまった。夕方から忘年会がある事も考慮したが、お昼から風が強くなるとの予報、そして、雨。山は雪になる事必死であったが、病は治らない。

 そうなると、近間の八乙女山となった。孫達を送って、登山開始は午前10時であった。やはり始めは雨。そして、ミゾレになり、本格的な雪となった。でも、まだ30~50cmくらいの積雪であった。

 やはり雪上を歩くのは楽しい。今日は、カンジキを用意したが、車から持ち出さなかった。ところどころで、「あったら良かったかも・・」 と思ったが、まだどうしてもなければならないという事はない。これからが楽しみである。



12/10 このところの目まぐるしく変わる予報に翻弄されている。でも、結果的に明日は、前々からの雨である。雨でも、ミゾレでも行くつもりであるが、「もういいか!」 という心が動く。それは、どうしても行かなければならないという事がないからに他ならない。

 でも、「ジムに行かないとダメになってしまう。」 という心との格闘になる。辛ければ負けてしまうのだろうが、まだその域には達していない。明晩は、先週に次いで、またまた忘年会がある。酒にも負けるわけにはいかない。



12/9 とうとうスマホを買った。一番安いものを買う予定であったが、何やかんやで、予定より倍以上になってしまった。と言っても、皆々様から見れば半分以下だと思う。それは良いとして、扱い方がさっぱり分からない。購入から3~4時間経過しているのだが、呑み込みが悪いのかてんで分からない。

 最も、その間所用があり、スマホをいじっていたのは、ほんの僅かな時間であるから、こんなものかもしれない。大体、お店でいろいろな事を教えてもらえるものと思っていただけに、あてが外れたのが事の始まりである。

 娘にラインの設定をしてもらい、友人に片言送ったのであるが、返事に困ってしまった。あれもこれも分からない。聞いてもすぐに忘れてしまう。でも、明日からが楽しみである。年賀状がまだ出来ていないのに・・・・



12/8 他人様は、私の事を元気だと言ってくれるけれど、2~3日前から、太腿が連続的に攣っているし、肩から首筋にかけて、ズクズクうずく。おまけに、暴飲暴食のためだろうと思うが、何となく消化が悪いような気がしている。

 衰えか不摂生か分からないけれど、なかなか悪い事を止められない。後は、「山の空気」 を吸って、大汗を掻く程歩くしかない。「その他に好きな事があるのか?」 と問われれば、潔く答えられない。



12/6 どのようにしようかと思いながら、まだ年賀状の原案は定まっていない。こんなにしても、「あいつから来たか・・・」 で終わってしまうのに・・・」 でも、私は出し続ける。そんな折、ネットで下記の文章を見付けた。

「日本の古き良き慣習として、年賀状を送りあう風習はぜひ残していってほしいもののひとつですが、時代とともに環境も変化しており、メールやSNSを活用することも致し方ありません。会社や学校でも個人情報保護法の観点から名簿の作成もなくなり、住所を確認しにくくなっているのも年賀状離れの要因のひとつではないかと思われます。

しかしながら、大切なことは年賀状を出す行為よりも、相手を思い、日ごろの感謝の気持ちや相手の健康、幸せを願う気持ちを形に表すことだと考えます。相手の年齢や関係を見極め、うまく活用してみてはいかがでしょうか」

日本人にとって年賀状は、子どものころから慣れ親しんでいる風習のひとつだから、マナーを意識せず“うっかりミス”をやりがち。正しい知識を身につけて、相手に喜ばれる年賀状を書きましょう。


 目上の方に対する年賀状の書き方が記されていたが、ここでは割愛する。私の年齢くらいになると、経費削減なども考慮せねばならぬ頃となるが、我を通したり、自己主張したいものには、何かを削っても、出さねばと思ってしまう。



12/5 連休2日目。当初から予報が悪かったので、午前中は、スマホを買いにdショップへ行く予定を立てていた。意を決して臨んだのであったが、「携帯名義が私ではない。」 と言われアウト。

 確か、私の携帯は、娘から私名義に変えたと(支払いは娘)、承知していたのに、どうなっているのか、予報に反して、時々陽が差したりしたので、尚更不機嫌になってしまった。おまけに、「山ノ神」が車を持ち出してしまっていたから、家中で沈殿となってしまった。

 

12/4 お昼過ぎから雨の予報であったが、「それまでに山から降りて来られればいい。」 と負釣山へ行く事にしたのだが、明日温泉の先が通行止めのゲートがあり、「あれれ・・」 となった。諦めの悪い私達なもので、南保富士に車を回す事になる。標高500mくらいから、雪が現れたが、雪上を歩くというものではなかった。

 相変わらず、「私は此処でいい。」 という「山ノ神」を置いて、私だけが二王山に向かった。こちらに来ると、30~40cmの積雪となり、雪上を歩く感じとなる。山頂と言っても何の変哲もない所なので、写真を撮って南保富士に戻る。

 歩かない「山ノ神」が、「烏帽子林道から大鷲山に行ってみない?」 と投げ掛けた。登山口の戻ったのが、正午頃になったが、そのまま、初めての烏帽子林道を走った。登山口に近付く頃から雪が現れ、今年初めて4駆を入れた。

 午後4時まで高岡へ戻る計画を立てていただけに、空模様を考えながら悩んだ。悩んでみたところで、ここまで来たら、登るしかない。登り始めは、グチャグチャが続いた。急な所が続くだけに、下りで時間を稼げないと思ったが仕方がない。

 午後1時半になったところで、「どうする?」 となったが、ここまで来たら山頂を踏むしかない。僅か5~10分程しか留まらなかったが、やっぱり、てっぺんに立つのは気持ちがいい。その代り、大幅に遅れて、登山口、そして高岡着となり、その後の予定にしわ寄せがきたが、何とか乗り越えられた。



12/1 年賀状作成シーズン到来。写真中心の賀状なのだが、今年も、これっていうものがない。しかし、その中で、自分らしいものを作らざるを得ない事になる。今日現在、欠礼のハガキが20数枚届いている。他に、「もう賀状を止めます。」 というのが2通届いている。

 いろいろな考え方があろうが、私は、「元気です。」 の他に、「自己アピール」 の機会だと思っているから、数が少なくなっても、一生出し続けるだろう。面倒だけで、お正月らしさをなくすのは寂しいから・・・