5/31 連日、体調の異変を綴るものだから、「どうしたの?」 とか、「大丈夫なの?」 を問われている。もちろん、言っても聞かないだろうからと、沈黙を守っている方もあるやもしれない。しかし、呆れかえっていた「山ノ神」の血圧を計ってみると、私の数値より高いではないか?

 それこそ、全く自覚症状がない「山ノ神」であるが、血管が壊されているやもしれない。高血圧夫婦となってしまいそうな雰囲気であるが、私の数値は、決して正常値とは言えないが、まあ~まあ~のところまで、下がって来ているような気がする。食べ過ぎや飲み過ぎが、そのような状態にしたのであろうが、外見は一向に変わらない。

 薬を飲まないのだから、良いと言われる事は全てやろうと思っている。お酒は控える。間食はしない。適度な運動をする。などなど、巷で囁かれている事がたくさんある。何事も、山へ行きたい一心で・・・



5/30 「これだけ言っても医者に行かないのか?」 と「山ノ神」に言われてしまったが、「もう少し待ってくれ!」 と苦しい言い訳となった。下は、辛うじて100を切っているが、危ないものである。夜中も、首をちょっと動かすだけでも痛かったし、どうなるのだろうかと自分でも心配になってきた。

 それでも、「来週は何処へ行こうか?」 と模索しているのだから、おかしな男である。でも、午後になってから、首が大分良くなってきたような気がする。完全でないが、お酒もこれで4日間、そして、間食もない。薬を飲むのがイヤなもんだから、食生活を変えれば、時間は掛かるかもしれないが、きっと良くなると思い込んでいる。



5/29 朝から憂鬱。首周りが痛い。重荷を担いだせいか、血圧のせいなのかは判断がつかない。でも、一週間前から寝違いかなと思っていたから、重荷のせいではないような気がする。やっぱり数値が下がらない。何だか、そこたらじゅう変な感じになってきた。そう思うのかもしれない。「医者に行け!」と家人に言われっぱなしである。どうにもならなかったら、やっぱり、それに従うしかようだ。



5/28 昨夜、夕飯を食べてから血圧を計ったら、上下10ずつくらい下がった。今朝計ったら、その下がった分がちゃんと上がっていた。そんな事もあり、恐る恐る出掛けたのであるが、ススダケ採りの唐堀山では何ともなかった。それよりも、かえって気分が良くなった感じであった。

 やはり「山の空気」が、そうさせたのであろうか、久しぶりに会った山仲間との交流が血液の循環を良くしたのか分からないが、心配していた事は起こらなかった。でも、「薬はちゃんと飲まなくては・・」 との助言には、ちっちゃな声で反論をしてしまったが、それならばそれで、節制を充分に守らなければいけないという事だろう。

 いつもより、早い時間にスタートした事もあり、充分な時間があったからだろうが、各々これ以上採れないというほど、ススダケを採った。「欲張ったから、荷が重たい。」 などと、言い合い最後まで楽しかった。今回は、好山病メンバー、北ちゃん・ねぎちゃん・「山ノ神」と私の4人、そして、帰りを見計らって、マキちゃんが、道の駅で冷えた果物を持参して出迎えてくれた。

 ちょっと疲れた身体ではあったが、とても気分がいい。それではと思って血圧を計ったら、やっぱり高かった。(下が100を超えている。) となれば、約束通り、喉がカラカラでも、酒・ビールなしの食事とした。後に、再度時間を空けて、それも、二度計ってみると、最適とは言えなくても、少々下がった。(まずまずの自分の血圧ほどに)

 でも、明日はわからない。頭は痛くはないし、目が可笑しい事もない。(昨日の日中、一時間ほど何だか変だった。) でも、薬を飲まないくせに脳卒中が怖い。脳梗塞や脳出血などの病名は、聞けば聞くほど嫌である。「喉元過ぎれば熱さを忘れる。」 であるが、そのような事を踏まえて、食習慣を変えて見ようかと本当に思っている。冷たいお茶も美味しいではないか! また、元々身体を動かす事が好きなのであるから、精進する事にする。



5/27 血圧降下剤を飲まないためか、それとも、このところの大飲酒がダメだったのか、血圧が急上昇。イヤな感じである。明日の山行で、山仲間に迷惑を掛けたら、それこそ大変である。「それでも山に行くのか?」 と問われている。「今日からお酒は飲まない。」 を担保にし、「ヤワヤワ行くし、おかしく感じたら、途中で止める。」 と言い放っている。 「山ノ神」には、「運転があるかもしれないから、明日は飲まないで欲しい。」 と頼んでいる。その先におかしくならないようにしなければならないし、早く床に着こうと思っている。



5/26 その後の住所録が30人ばかり復活した。しかし、まだまだ試行錯誤を繰り返さなければならないようである。そういう中、分からない事を尋ねとみようと思った時メールアドレスが分からない。かなり復活させているが、なかなか思うようになっていない。電話番号は大方残っているので、それを拠り所にするが、メールアドレスのみの方になるとなかなか難しい。

 相手方が分かっている(残っている)筈で、何かの連絡を待つのも一つの方法であるが、それも、ちょっと寂しい。まあ~、疎遠なっている人は、それまでなのかもしれないが、忘れた頃に届くメールも嬉しいものである。



5/25 次行く山を考えるにあたって、いろいろな障壁を突破せねばならない。まずは、娘との交渉である。(孫の送迎が出来ないから、娘の遅刻・早退が付いて回る。)次は、「山ノ神」との調和となる。行き先の選定である。そして、まだ仕事をしているから自由とは言えないが、年に数回の臨時休業も有りと考えている。

 昨年は、それでも、9回の山行とその他の事で2回など、11回も泊まり掛けがあった。と言っても、仕事を休んだのは2日である。元気な内にとか、今の内にとか言うように、少々の難題を突破し、思うようにやらなきゃ損という気持ちが働く。でも、80歳以上になってでも、元気に飛び回っていてこそ、「スーパー爺」 と言われるのであるから、そう慌てる事もないとも言える。(そんなに上手いくらいには、なかなかならないようだが・・)

 さしあたって、6月の第3日曜・月曜日、7月の第日曜・月曜日(海の日)、8月の第1日曜・月曜、盆休などの予定を決めようと思っている。プラス1日か2日があれば、かなり思うようになるのだが、それだけの体力があるかも問題になってくる。しかし、今年やれなければ、来年は尚更無理になる公算が高い。苦しんで楽しまなくては・・・



5/24 私が現在使用しているアイゼンは10本刃。購入してから20~30年は経つような気がする。ちょっと手入れを怠るとサビが酷くなる。私は、てんぷら油を塗って、それを防いでいる。乾かすため(なかなか乾かない。)店頭に置いていたら、お客様達が興味津々であった。

 今は、12本刃の物から、刃の短いチェーンアイゼンなる物まで、いろいろな物が出回っている。「果たして、どれだけ使用するか?」 になるが、現在の私などは、夏山で急激な雪渓、(例えば、長次郎雪渓)、もしくは、早朝の硬い雪渓歩き、そして、春山で、何回と無く準備していく程度である。

 後は、簡易アイゼンで大丈夫な気がする。何せ嵩がなくて良く、夏山シーズンの白馬大雪渓などは、これで大丈夫である。しかし、チェーンアイゼンは、刃が短く、柔らかい?というのか、雪のない箇所を歩くのは、刃が曲がる恐れがある。(特に体重過多の方)

 出刃は急峻な斜面を登るのに便利である。しかし、そうでない所で躓いたりする事がある。また、ピッケルと同じで、時には凶器となる。しかも、自分にである。しかし、行ってみなければ、その状況が分からないのであるから、持参しなければならず、時には、無用の長物になってしまう事になる。

 私が初めて、アイゼンを着けたのは、高2の時の長次郎谷である。クラブから与えられたX型アイゼンであった。当時は、キャラバンシューズで、何だかすぐに外れた気がする。また、収納するカバーもなく、持ち運びに難儀したようにも思う。そして、成人してから自分で買ったものは、8本刃の固定式のものであった。

 街のスポーツ店で買ったのであるが、それしか無く、その店主は、高岡岳友会所属の方で、これで充分と言って私を納得させたのでした。当時は、靴に合ったアイゼンを買わなければならず、サイズが変わると買い直さなくてはならなかった。もちろん、出刃も無ければ、ワンタッチアイゼンなるものもなかった。

 その8本刃アイゼンであるが、ツクツク・ピカピカのままで、私の蔵の中で眠っている状態、未だ処分を出来ないでいる。腕力も脚力も衰えて来ている現在、どのようにその器具と付き合うかであるが、「君子危うきに近寄らず」 が、一番いいのかもしれない。



5/23 実生から育てているニッコウキスゲが今年はたくさん咲いた。たった一鉢であるが、山吹色は賑やかに感じた。その花も、一週間過ぎて終焉というところである。一夜花だから、余計に咲き終わるのは何だか寂しく感じる。「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」

 植物であろうが動物であろうが、いつかは命を終える。自然の道理であるから、仕方がない事である。でも、「もしかして・・」 と心が動く。浅はかな事かもしれないが、真実である。金持ちも賢者も、そして、医者も死ぬ。争う事など無い。相手の気持ちになって、健やかに暮らしたらいい。でも、それが出来ない。



5/22 フィトンチッド(phytocide) という事を知った。樹木から放散されて周囲の微生物などを殺すはたらきをもつ物質。1928年にソ連のトーキンが提唱したもので、樹木の香気成分であるテルペン類がこれに相当すると考えられる。森林浴の効用の源とされる。

 森林セラピー(療法)
森の風景や香り、鳥のさえずり、木の肌ざわりなど、森が持つ力強さを体全体で感じて心身を癒やし、元気を取り戻させようとする療烹その代表が森林浴で、森の中を歩いて樹木が発散するフィトンチッド(生物活性物質)を浴びると、疲労回復に効果があることが知られている。

 時々、早朝登山をしています。4時に家を出てね。ブナ林を歩いて来ました。フィトンチッドとやらを吸って来ました。山菜も少し頂いて・・・  福井の宮ちゃんから、絵手紙を頂いた。 先日の大日岳で、私はヨタヨタだったと伝えると、「私は、もう登れないかも!」 と伝えてきた。今春の初雪山への招聘もやんわり断りをもらっていた。あの元気な宮ちゃんが、ハードな山行を毛嫌いするとは未だに信じ難い。

 何か不都合があるに決まっているが、岩から落ちた時も再起した人だけに、余程の事なのだろう。でも、それなりに山行を続けておられるようで安堵しているが、私自身も、過渡期を迎えている事は間違いない。「山ノ神」に遅いとか、もっと早くとか言っているレベルの山行が似合うようになってきたのかもしれない。



5/21 昨日の休日は、私の思いを通してもらったので、今日は「山ノ神」の希望を取り入れた。それが人形山。当然、あの林道の状況からして、車の乗り入れは無理だろうから、田向集落から歩き、春木山に到達出来ればハッピー。午後5時まで戻らなければいけない事から、それも無理かもしれないから、山菜採りでもいいと午前5時に家を出た。

 ところが、林道入口のゲートが開いていた。「登山口までは行けません。」 との表示はあったが、あの大きなヘアピンカーブまで車を入れる事が出来たら、往復1時間は違うと思った。しかし、昨年から小水力発電の為の工事が行われているのだが、工事はまだまだであって、たくさんの工事用機械があった。そして、道路の真ん中に、資材を運んできたと思われる大型トラックが停まっていた。そして、その先にも、ユンボーが道を塞いでいた。駐車する所もない。

 一変に意気消沈。林道歩きも頓挫してしまった。「山ノ神」は、次に「高峰山」を希望した。上市町から入るとしたら西種まで。立山町から入るとしたら、大辻林道から鳥越峠である。高速利用はナシだから、2時間半は掛かるし、ラッシュも待っている。参った!

 それでも、鳥越峠に午前9時に着いた。高峰山の目的は山菜採り。そして、鳥越峠から山頂越えをして西種側の登山口まで行き、再び鳥越峠に戻って来るというもの。昨日より今日のお天気の方が良いとの予報であったが、高峰山からは、剱岳や毛勝の山々、そして鍬崎山の上部は全く見えなかった。

 それでも、目的はワラビ採り。「山ノ神」の目的通り大収穫となった。それを担がされるのも修行の一つ。山菜採りの後処理は辛いが、採るのは面白い。そして、お裾分けするのも楽しい。帰りのアルペン村に立ち寄ったが、1キロ1,000円の値段にびっくり。



5/20 大日岳へは、30歳ほど若いガリ君が一緒してくれる事になった。8号線からは、北ア北部の山々が雲の上に頭だけを出していた。もしかしたら、「雲上の人」 になれるかもしれないと思いながら車を走らせた。登山口辺りから、ガスの中の歩きになる。「やっぱり、明日の方が良かったかね!」 と言いながら、先行くスキーヤーに必死に付いて行った。(結果的にこの3人だけが山頂へ)

 雪上になってもガスの状態が続きていたが、大日平半ば辺りから、一気にガスが晴れ、紺碧と言えばいいのか、それとも群青色と言えばいいのか、真っ青な空になった。しかも、風がなく、素晴らしいお天気になったのである。後は、大日小屋に向かって歩くのみであった。しかし、標高2,000m辺り(二又になっている所)から、ピッチを上げるガリ君に付いていけなくなってしまった。

 彼は、標高差500mのあの急登箇所を1時間ぐらいで登るペース(推測)に、私はドンドン離されてしまい、終いには太腿が攣り始めてしまったのである。あの場所では、薬を飲む事も出来ず、只管我慢であった。カメラを出すのも、おっかなびっくりであるから。

 剱岳が飛び出したコルに出てもガリ君はいなかった。山頂へ急いのだろうと思った。こちらも、疲れ切った状態だったので、写真を撮りながら、ゆっくり登る事にした。もしかしたら、ガリ君登頂から1時間経過して私の到達となったのかもしれない。

 そんな事は、もう、どうでも良かった。また山頂に立てた事の喜びの方が強かった。(ようやく20回目) これ以上ないのではと思うほどの絶景であった。剱岳は、相変わらず凛とした山容を醸し出し、毛勝の山々は、雲海の上に聳えていた。別山から雄山の稜線は、が~んとした屏風のように感じられた。薬師岳や鍬崎山は、大日平を自分の庭にしているようでもあった。

 ふーっと吹く風は、流石に2,500mである。身が縮んでしまう。それでも、ずっと居たい心境であった。そして、名残惜しかったが午後2時半に山頂を後にした。一気にあの急な斜面を下ったのであるが、大日平のど真ん中辺りまで、40~50分ほど降りてしまう事が出来、コーヒータイムを設ける事が出来た。格別の味であった。

 ガスの中の称名駐車場に戻って来たのが午後5時40分であった。やっぱり疲れてしまった。今日のガリ君と私は、日頃の私と「山ノ神」の立場だったのかもしれない。そして、やっぱり年齢なのかもしれないと思った。感じたというのが正しいかもしれない。でも、そうなれば、この先がダメになってしまうような気がする。やっぱり、出来る範囲で鍛え直さなければいけないのだろう。



5/19 昨日の真夏日から、今日は一転して、15~18℃も気温が下がり肌寒い。午後から陽が差す予報であったが、それも敵わず、どうかしたら雨が降るのではないかと思うお天気である。明日明後日が休日の私であるが、(明後日の予報の方が良いのかもしれないが、)連れの事もあり、大日岳は明日決行にする。

 11年前(H.19.5.21) 冷え込んだ翌日の晴天日に毛勝山を精鋭10名で臨んだ事があった。えらい目に遭った。前日の山行時(大日岳から中山に変更)に見た8号線の気温表示は、8℃とか10℃だった。今回は、そこまで冷え込んでいないから大丈夫だと思うのだが、高所の状況が気掛かりである。

~  下記は、11年前の記述である。 H.19.5.21~5.24 ~


5/21 これ以上ないというほどのお天気に恵まれた毛勝山。最後まで迷っていた私を迎え入れてくれた「好山病・・」5名に、ゲスト5名は、全て健脚の強者揃い。(私は、ちょっと怪しいが・・)

 板菱に入って感じた荒れた雪渓に、ドンドン休まず行くメンバーからして、「山ノ神」を参加させなくて良かったと思った。ボーサマ谷入りでは、それが現実のものとなった。急登を強いられているのに、雪塊が、シャワーのように、いや機関銃のように、それも予想が付かぬ所から、ヒューン、ヒュンと、高速道で車が擦れ違う時に感じる風きり音を立てながら、落ちて来るのであった。

 岩陰に隠れても、容赦なく襲いかかって来るのである。始めは、それなりに身を交わしていたのであったが、その内、各人の身体に、ぶつかるようになってしまった。「それ行け!」 が、仕舞いには、「来た来た」 「ワーッ」 「伏せろ!逃げろ!」 になり、なかなか高度を上げる事が出来なくなるばかりか、2名の犠牲者?まで出てしまった。

 「もうちょっと、なのに!」 に、些か心残りがあったが、何かあってからでは、遅すぎるとの判断から、撤退する事になったのであるが、それでも、容赦なく雪塊が落ちてきて、気は抜けなかった。

 恐らく、家に戻って、風呂に入れば、全員が打撲痕や擦り傷に気付き、今更ながらに、その「恐怖の時」 を思い出しているに違いない。前日の降雪から、表層雪崩を警戒してはいたが、このような雪塊の洗礼を受けるとは、予想もしていなかったし、過去に毛勝谷に入った者にしても、全員が初体験であった。

 午前11時半過ぎ、あまり高度を落として食事をするのも寂しいと言うことで、三ノ又の比較的安全と思われる所で、テーブルが設置された。「あれは、何だったのか・・」 「貴重な経験!」 「これから語り継がれる共通の山の話」 などと、俄に盛り上がっていった。

 ところが、2時間を経過した頃であったろうか、突然ボーサマ谷から、2m超の大きな石が、不規則な転がり方をして落ちてきたのである。もしかしたら、テーブル・ベンチにも襲いかかって来るのではないかと思うくらいの勢いであったから、皆バラバラになって逃げたのであった。結果的には、幸いにもちょっとずれた所で、ストップしたのであるが、いっぺんに意気消沈となり、早々に下山の羽目になってしまった。

 ピッケルもアイゼンもなく登れる事もあれば、予想もしないアクシデントに見舞われる事もある。それを長く語るには、共通の想い出となる仲間が必要になる。これから、宴を催す毎に、今日の「落雪」 が話題として、大いに語られる事であろう。 p.m.11:00



5/22 昨日は雪塊と記した表現は、氷塊が正しいのかもしれない。岩や樹木に張り付いていた氷が、気温上昇と共に、落下してきたものである。高い所から、低いところへ、我々が急斜面を虫のように張り付いている所へ、大小の氷塊が、降って来る。落ちて来る。何と表現したらいいのか分からないが、不規則バウンドしながら、前からだけでなく、時には横からもやって来るから、たまらなかった。

 私は幸い顔や頭には当たらなかったが、数えきれないほどの氷塊が身体に当たった。家に帰って調べてみると、打撲痕が3ヶ所、擦り傷のように赤くなっている所が数ヶ所あった。幸い痛みはなかった。
 しかし、メンバーの中には、顔と首に当たった方があり痛々しかった。3回くらい近くの岩陰に身を隠した時でさえ、隙間から、また真上から襲い掛かって来るのであるから、たまらなかった。

 我々が、たじろいだ時間だけでも、1時間は、たっぷりあったのではなかろうか? 昨日は、我々を含めて、先行者も後続者も、誰一人、その先に行けた者はなかった。したがって、その間の画像はとてもじゃないが、ないのである。



5/23 今朝、下記のようなメールを頂いた。Kさんとは、今春になって、数回の情報交換はあるものの、まだお会いした事もなく、勝手に(無断)載せるのを躊躇したのですが、私のHPを覗いてくださる方々への 「直近の貴重な情報」 になると判断しました。流石に、名だけは、イニシャルに書き換えました。Kさんには、これから謝ります。 a.m.8:00

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こんにちは。以前人形山の情報を教えていただいたKです。元さんの HPを見て月曜毛勝に行かれるとあり、是非私も行きたいと思っていましたが、 残念なことに予定が合わず諦めていました。それが急に相棒の都合で翌日の火曜 (昨日)釜谷に行くことになり、色々情報を収集して、南又から行くのをやめて 無難に阿部木谷からボーサマのコルに出て釜谷ピストンになりました。

 登りだし てしばらくで大きいものはゴルフボールくらいの凍塊がブンブン飛んできて、よ けながら歩かないといけないことになり、幸い一度直撃をうけただけで無事コル までたどり着きました。

 でも雪の状態は週末の雨が新雪になったようでワカンが 必要かと思うくらいごぼり、暑さも加わって体力を消耗しました。
 釜谷への稜線 も雪が深く、雪庇が割れた上に新雪がつもっているので、ラッセルと雪庇踏み抜 きの恐怖でルート選びが大変。以前私が6月に行った時は40分もかからなかった 往路が1時間10分もかかってしまいました。

 この日は他に登山者が山スキーの一 名だけで、この方もスタートが私たちより早いのにかなり手こずったようで、毛 勝北峰に到着したのが私たちが釜谷に到着したのと同時だったようです。復路を コルまで戻ると彼氏のつけた北峰までのトレースがありましたが、深い所ではす ねくらいまでありました。私たち同様結構難儀したようで、力つきて山頂手前ま でしか軌跡がなかったです。

 この時期一年に一回は行かないとムズムズする毛勝周辺ですが、容易に登山者 を受け入れてくれない厳しい山域だとあらためて痛感しました。  以上長々とすいません。元さんのHPをみるのがとても楽しみですので、いつ までもお元気で続けてくださいね。




5/24 ボーサマ谷での氷塊の直撃は、脛・脹ら脛、太腿側面・太腿内側に大きな打撲痕を残した。(4ヶ所) 太腿内側痕が、あと15cmずれておれば、毛勝谷に大きな金属音を、こだまさせたかもしれない。それを思うと、ぞっとする。

 「大量の新雪が積もり雪崩に遭った。」 「急激に冷え込み、アイゼンもピッケルも、刃(歯)が立たなかった。」 「滑落して、九死に一生を得た。」 「落石で、怖い思いをした。」 などの話は、毛勝山にいっぱいある。しかし、反対に 「ピッケルもアイゼンも使わずに登った。」 「ズック(スニーカー)や長靴で登った。」 の話も聞く。

 その都度、状況が違うから何とも言えないし、運不運もあるのだろう。私のような者が、悪条件で行けるハズもないが、どのような事にも、対処出来るようにと思うのであるが、自然はそう甘くはない。あのシャワー状に崩落する氷塊には、機動隊が使う盾が欲しいくらいであった。また、ヘルメットが、これほど欲しいと思った事がなかった。一度や二度くらい登ったからといって、その山を語れるものではないと、今回はしみじみと思ってしまった。 p.m.8:10



5/18 東北の日本海側が大雨だというのに富山は曇りがちで、時折、雀の涙くらいしか降らなかった。夜半から未明に掛けて結構降るらしいが、大降りとはならないらしい。それどころか、期待していなかった今度の日曜・月曜(私の連休)が、曇から晴れマークに変わってきた。そして、降水確率も低率になってきたのである。

 猫又山(猫又谷)や大猫山、そして、大日岳のいずれかに行きたいと思っていたが、ブナクラの鉄板の橋が架かっていないという情報があるし、猫又谷の雪解けも気になり、大日岳に心が動いている。もう一日の休日を付き合うという条件で、何とか「山ノ神」のお許しを乞う事が出来そうである。

 まだ高所は雪山である。慎重に明日の予報を参考に決めたいと思っているが、それを信じていても、思い通りになった事などあまりない。自分の力量を過大評価せず謙虚に行動をするに限る。



5/17 暇な時間を見付けて(暇だから)、1月末にHDの損傷で失ったデーター(住所録)を綴りあげているが、今日までに355人分を復活させた。年賀状くらいにしか使わないが、その年中行事を私は大事にしたい。如何にネットの世界と言えども、それだけで、挨拶や近況を伝える事が出来ないからでもある。

 終活という語句を含め、退職したから、一定の年齢になったからなど、毎年増えていく、「これまで・・」が多くなっていくが、それはそれで認めるものの、何だか寂しい気がしてならない。イヤならそれで良いのだが、わざわざ自分から、先の人生を否定する事もあるまい。

 100歳時代などと、行政に踊らされなくもないが、まだまだ先は長い。私などは、衰えは隠せないが、まだ人生の折返しだと思うようにしている。確かに、弱々しくなっている方もあるが、元気な人達がいっぱいいる。痛いなら痛いなりに、苦しいならちょっとだけでも、という気持ちであれば、まだまだである。



5/16 先日(5/14)の牛岳山行で採った山菜を東京に住む姪と山仲間に送った。帰宅時間が午後6時半頃だったので、慌てて梱包し郵便局へ駆け込んだ。(記録によると引受が17:25とある。)富山県の郵便物は、キー局である富山西郵便局に集められるらしい。(その記録は、何故かわからないけれど、姪宛への物は23:20と山友への物は23:34であった。)

 事前に、山菜を送ったと知らせてあり、翌日(5/15)に届くものと思っていた。山友から、届いたと連絡があったのに、姪からは、一日中待っていたけれど届かなかったとの連絡を5/16の朝にもらった。「何で・・・」 いつもなら、あの時間に送っても、翌日のお昼頃まで届くのにと思いながら、ゆうパックの追跡サービで探ってみた。

 山友への物は、23:34に富山西で受け付けられており、翌日の8:02には東京の郵便局に届いている。そして、時間指定の通り夕方には友人宅に渡っているのに、姪への物は、5/14の23:20から翌日(5/15)の16:52まで富山西郵便局に留まった記録になっている。(迷子になったのだろうか?)そして、新東京郵便局5/16の4:53赤羽郵便局7:27、そして、ようやくお昼前、姪の手元に届いたとの連絡を受けた。

 幸いチルド(宅配便ではクール便)だった事もあり、姪からは、山菜はピンピンしているとの連絡を受け安堵したが、人生と同じで、何処にでも落とし穴があったり、自分の思うようにはならないものだと、今更ながらに思ってしまった。そして、ギリギリの生活パターンを見直し、ゆっくり落ち着いたライフワークにしなければと反省しきりです。



5/15 昨年は、ハゲ山・城ヶ平山と尖山。一昨年は、千石城山。その先の年は、中山・白木峰・白山。これは、孫達と行った山歴である。子達にしてみれば、山の良さなど分かるわけがなく、連れて行ってくれる所に、何か興味を持ってか、あるいは、仕方なく付いて行くくらいの事であろう。

 その中で、昨夏、台風接近の予報の中、尖山に登り、立山家族旅行村に泊まったが、夕暮時の晴れ間に、パークゴルフをした事や、二段ベットで騒いでいた事が印象に残っているようで、おおよそ、山とは関係がないようである。大人のエゴのように思わないでもないが、それでも、白木峰で木道を歩いた事や、中山の急登を凌いだ事、白山では、「頑張っているね!」 などと、たくさんの人達から声を掛けてもらった事も、何となく想い出としてあるみたいである。

 今年は、キャンプに連れて行ってやりたいと思っているが、子達にしてみれば、迷惑な話かもしれない。車を横付けに出来るような所や、それに近いような所でなく、ある程度歩いてのキャンプを目指しているが、そうなると、荷が途轍もない程の量になってしまう。アルコールを外すわけにもいかないし、なかなか難しい。

 

5/14 前日の雨は上がった。でも、ピーカンの筈が曇りがち。というものの牛岳行きは決行である。「山ノ神」は、美術館もと二股を掛けたかったらしいが、それに、山菜採りのメニューまで入れるのであるから、牛岳だけにしてくれと当然の如く拒否をした。今日は、ハードな行程をなくすため二本杉からとしたのであるが、牛岳スキー場に近付いた頃から、全く視界が効かなくなり、運転もノロノロとなってしまった。

 二本杉から歩き始めたのが、午前10時頃、ガス・ガスで見通しが効かなくても、「その内、晴れてくるよ!」 と言うしかなかった。案の定、グチャグチャの登山道に、残雪が現れた。それが結構あるのだから、主催者側?(笑)のこちらとて心配になってくる。しかし、時折、ズルっと来ても、その分大きくなって来ている孫達は、意外としっかりしていた。

 「まだか?まだか?」 と言いながら、小さな子達であるが、ガスで煙るブナ林や、少しずつであるが、陽が差す新緑に思わずキレイと言う言葉が飛び出していた。牛岳権現様のある頂上に辿り着いて、「もう、15~20分程歩くと、牛岳で一番高い所に行けるんだけど・・」 に、イヤイヤか、楽しいと思ったのか分からないが、二人の孫(ミーとエリー)は、走るように登って行った。

 時刻は、午前11時を少し回ったところ、「お昼はどうする?お腹が空いていないのなら、もう一度祠のある所まで行ってからにする?」 と言っても、なかなか返事が聞こえて来ない。しかし、コンロを出し、カップ焼きそばや、カップ麺にお湯が入ると、今日の山行に来た一つの目的であるからに、我も我もとなる。

 そんなところに、一人の女声が上がって来られ、「もしかして、本間さん?」 と声を掛けてもらった。その人こそ、3年半程前(H.26.10.07) 天蓋山で、「元さんですよね!」 と声を掛けて頂きながら、私の勘違いから、ゆっくりお話が出来なかった方である。(山頂へ向かっておられる団体さんの中に、河合さんは単独で下山途中だったのに、私は勘違いし、山頂でゆっくり話せば良いと思い込み先を急いでしまったのであった。)

 話は、その先があったのです。その2年程前(H.24.08.13) 雨の白山からの下山中、横浜の青年と会って登山口まで一緒したのですが、その青年というのが、今回お会いした河合さんの御子息だったのです。実家が砺波だと聞いていた事もあって、話が通じたのでした。当欄同日の記述には、

途中、横浜からやって来たという青年・河合君と一緒になった。親御さんの年齢を聞くと、私より若いのであるから、相手様から見れば、私達は、歴とした中高年登山者である。「お父さん、しっかりした歩きですね。」 などと言われても、喜んで良いのかどうか分からないが、「有難う。」 と言うしかなかった。

 とある。今回お会いしたのも初対面みたいなものであるが、共通の話題があるだけに、話はドンドン盛り上がっていく。我々の食事時にと、気を効かせて下さったのか、河合さんは、牛岳権現様に戻って食事をすると言われて、降りて行かれたが、再びそこでお会い出来、一緒に下山する事になった。河合さんは、新牛岳登山道から来られたようで、二本杉でお別れとなったが、また、何処かでお会い出来ると思っています。

 それから、欲深い私達は、ワラビとフキノトウを採りに出掛けた。ワラビはある程度の収穫はあったが、フキノトウは、まだ雪の下らしく、あまり採れなかった。それでも、こんなジジババに、よく付いて来てくれたと感動ものだったが、最後の最後に「くたびれた!」 となってしまったのである。ご褒美は、国道に出てからのコンビニアイスクリームだけであったが、コシアブラ採りや雪上歩きなど、非日常の事だけに、それなりの喜びであったらしい。朝8時過ぎに家を出て、戻って来たのが午後6時半なんだから疲れた事だろう。



5/13 明日の朝方には雨が上がるという予報であるが、どうなるかわからない。現在も、シトシトと降り続いている。雨なら県立美術館、雨が上がれば、牛岳にでも出掛けようと思っている。しかし、咳き込んでいる子もいるから、何もかも起きてからになる。



5/12 運動会が終わった。そして、月曜日の予報が上方修正されて来た。そうなれば、私は、孫達を箱物の中へ連れて行くより、歩く距離が短かろうが、山自体が低かろうが、山へ誘導したい。でも、私勝手になるワケもないし、前日(日曜日)の雰囲気を見守るしかない。

 それよりも、その翌週の日・月(5/20.5/21) を、フリーにして欲しいと「山ノ神」との交渉が始めている。賞味期間のある内に、猫又谷(猫又山)や大猫山&鬼場倉ノ頭、また大日岳に行きたいとの思いを伝えている。もちろんお天気にもよるが、我が家の車は一台、そして、5/20は、上の孫ミーの誕生日でもある。

 年老いていく私であるが、好きな山に行くには、我が家なりに幾つもの関門がある。強行突破すれば、どれだけでも行けるのであるが、その先の人生を考えれば、自分の思いばかりを通すわけにもいくまい。何事も穏便に、いわゆる丸く収めて出掛けたいのであるが、そういう事を言っている間は、何事も上手くはいくまい。決断だけである。



5/11 明日は、小学校の運動会。親も子も楽しみにしているのだから、それは結構な事である。その行事は土曜日になる事から、月曜日(5/14)が、小学校の振替休日となる。育成クラブ(学童保育)があるらしいが、我が家の孫達は行かないらしい。(もしかしたら、山ノ神が、そそのかしたのかもしれない。)

 山に連れて行くのなら良いのであるが予報は悪い。何処かへ連れて行きたいらしい山ノ神に、私は反発している。だって、暴飲暴食、そして、鈍った身体には、週一だけでも鞭打たなければ、それこそ病気になってしまうような気がするからである。それが好山病なら、まだいいのであるが・・・



5/10 フキノトウ・ゼンマイ・ワラビ・コゴミ・ウド・タラの芽・ワサビ・ススダケ・コシアブラなど、毎日のように食卓を賑わせてくれる。ま~あ、後は、呼び名が違うかもしれないが、カタハ・ヨモギ・フキ・アザミ・ギボウシ・ユキザサなどもある。後者はあまり食べないが、その他にも、ギョウジャニンニクも少しであるが採った事がある。

 先日の大倉山でお会いした大山氏に「ナルコユリ」なるものを教えてもらった。10年物だという2本を頂いたが、私としては、ユリは食べられるという事は、少々知っていたが、おっかなびっくりで食べてみた。それが美味しかった。珍しいものなのかどうかは分からないが、10年物なのだから、きっと価値があるのだろう。「山ノ神」は、その名を知っていたようだが、実際に食べた事がなかったようである。

 私は、山菜が採れる所を、そんなに多く知らない。そして、よく通行止めになる。歩いてでも採る事があっても、そんなに回数はない。でも、山菜は、美味しく頂くのも良いが、採るのが楽しい。また、ヒトサマにもらうのも嬉しい。だから、こちらもお裾分けするのは楽しい。喜んで貰えばもっと嬉しい。



5/9 大した事はないのだけれど、直近の3日間の山行は、山の空気を吸ったからであろうか、イキイキした感じで頗る元気である。そして、歩ける事に感謝しながら、次行く山を模索する。このようなパターンが、一番私に合っているような気がする。いずれリタイヤするのであろうが、毎日山に行くなどは、やっぱり考え難い。

 山歩きは、あくまでも趣味の一環で、時間を見付けて行くのが良いと思っている。拘束されながら、藻掻きながらが、きっと良いのである。いつでも行ける良さに憧れはするが、決められた日にしか行けないというのも、また何かを探求するきっかけになるところが多い。

 雨の日も風の日も出掛けるのは、そこからの考えであるが、その結果、山のいろいろな表情を伺う事が出来る。大自然に立ち向かう気など微塵もないが、ちょっとでも触れ合えたら良いと思うのは厚かましいかもしれない。10回くらい登らなければ、その山の事など分かる筈がない。という私であるが、50回登っても、未だ分からないし、道にも迷っている。

 知り尽くしたと思われる山で、いろいろな条件下で経験するのも面白いし勉強になる。侮れないのは承知であるが、イザという時の逃げ場がある。しかし、それとて、万全・完全とは言えない。それほど謙虚になれという事であろう。



5/8 雨の後だし行く山がなくなった感じであった。昨年、小水力発電工事のため登れなかった人形山をと思ったが、「山ノ神」の今の状況では、とても登れないと踏んで、山菜採りを兼ねて春木山とした。しかし、田向集落ハズレの林道入口に工事中としてゲートがあった。そんな事もあるのではと、腹案であった袴腰山へ向かった。

 細尾トンネルのちょっと先まで行けたが、何かあったら困ると思って車を捨てた。案の定、石や岩がゴロゴロ。そして、大量の残雪。そして、凄いデブリ。これでは、しばらく、平側からは入れないのではと思ってしまった。

 山菜を探してはいたが、斜面から崩落がないかと、ちょっと心配であった。ゆっくり歩いたせいもあるが、峰越登山口まで1時間半程掛かった。登山口では、シャクナゲが咲き始めていました。山頂までのコースタイムは1時間ぐらいであるが、残雪、そして雪解けに伴う流水、短いが急登などと、妨げる障害に、かなりのオーバータイムとなった。

 しかし、霧雨が、火照った身体を冷やし、ちょうど良い感じとなり。それでも、陽が差すのではと思わせる天候に期待を寄せたが、結果的には、一日中、霧雨となってしまった。南展望台だけが雪がなく、一時であったが、五箇山の集落を眺めさせてくれた。櫓のある北展望台辺りのシャクナゲは、まだこれからというところである。



5/7 昨日休んだから、事実上3連休となった。今日は、全国的に荒れるという予報であったが、それでも、休日は、何処かへ出掛けなければ気が済まないというのか、休んだ気がしない。歩ける内は、このようなパターンが続くのであろう。いや、出来るなら続けたい。

 簡単な所として、高峰山に出掛けたのであるが、どちらから入るにしても、林道の状況が気になった。雨になったら、斜面が崩れ通行不能になったら、それこそ笑いものになる。そんな事も想定して、剣スコと角材を準備したのだから可笑しかろう。 でも、西種から入ったが、やっぱり崩れていた。何とかギリギリで通過できたが、帰りが気掛かりで仕方がなかった。

 もしかしたらの山菜は、細いゼンマイと伸び切ったコシアブラだけ。ワラビは、一週間先になるのだろう。それでも、低山であろうが、お山のてっぺんに立てたのだから、その状況からして満足至極である。新緑がキレイ。そして、時々であったが、ガスの中から、近隣の山々が顔を出すのであるから、これまた嬉しい。

 正午前から雨が強くなった。それなのに、コゴミがあると「山ノ神」が言う。帰りの事を一番心配している本人が、採り始めるのだから、こちらの方が参ってしまう。それでも、事なきを得て無事帰れたのだから、万々歳だった事になる。もう一日休日がある。さてさて・・・



5/6 今年は、どの山も雪が少ない。だからこそ、今のうちに大倉山に登っておきたいという気持ちが起きてしまった。(50回登りたい一座でもあるから。) 「山ノ神」は、急登というイメージから、あまり行きたがらない山でもある。しかし、「何回も登った山じゃないか?」 「大きな荷を担いでキャンプもしたではないか?」 などと励まし、終いには、「イヤなら来なくていい・・」 とまで言ってしまえば、渋々であるが着いて来る。

 その大倉山の雪の状態は、稜線に出て雪が現れるが、ベッタリという状態は、1,300m超からになる。私としては、雪の大倉山、もしくは、残雪の大倉山のイメージが強く、ちょっとがっかりであったが、「山ノ神」にしてみれば、「歩きやすかった!」 とのコメントである。まあ、どちらにしても、上に上がってしまえば、雪量としての高さがないにしても、いつも通りの絶景が待っていた。素晴らしいに尽きる。正に剱岳の大展望台である。

 追い越されて、一番乗りとはいかなかったが、午前10時前に着いたのであるから、気分的にも余裕であった。今日は、カップ麺とコーヒーだけで、ちょっと寂しかったが、「山ノ神」はだけは、別メニューである。このところ(いつの間にか)、ビール1本が2本になっている。当然、肴が付いて来るのであるから困ったものである。それを担がされている私も何だか可笑しい。

 今日は、簡単なシェルターとなったが、「本間さんですか?」 と声を掛けて下さった男性があった。魚津の大山氏と語られた。一緒に食事をと誘い食事処を拡張?(してもらった。)で山の話となった。持ち上げられて有頂天になりながら楽しい時間を過ごす事が出来た。もうひとり、富山の男性をコーヒーに誘って話仲間になってもらったが、お名前を尋ねる事を怠ってしまった。

 その大山氏と、山を降りるにあたって、最後まで一緒してもらった。謙虚な方だったが、足が速かった。そして、山菜には詳しかった。お喋りな私と違って、中味のある方のようであった。余談であるが、色違いのデリカでもあったし、不思議な縁を感じてしまった。

 「臨時休業」の張り紙をして家を出たが、いずれは週休二日制の布石と思っているものの少しは罪悪感がある。山に登りたい往路は、その気持が強いからか、さほどでもないが、帰宅時にはそれを感じた。「そういう年齢になって来たから、いいじゃないか!」 と思いつつも、何だかまだ割り切れないところがあるのかもしれない。「休日は、全部山に・・」 なのだから、本当にそんなのでいいのだろうか?



5/5 明後日の月曜日は完全に雨だ。火曜日の予報も怪しい。「思い切って、明日は休もうかな?(臨時休業)」 年に一日や二日のご褒美があっても可笑しくないのではと思う。そして、もう一年か二年以内に、週休二日にしたいと思っているから、その布石として良いかも・・・ どちらにしても、早立ちにしなくては・・・



5/4 今度の連休(5/7.5/8)は、あまり予報が良くない。巡り合わせだから仕方がないが、GW後の私の連休だけにあまり面白くない。何か秘策を考えたい。



5/3 何となく肌寒い。4/30にやって来た長男が帰って行った。今日来るはずの二男が、仕事の都合で帰られないとの連絡があった。ムコ殿が5/5に帰るらしいが、何となく寂しくなった。



5/2 僧ヶ岳・駒ヶ岳の余韻に浸っている。いや、情けなさと、今一度の気持ちが交差している。10数年以上前、滝倉山を目指すのに、僧ヶ岳までは、3時間以内、駒ヶ岳までは、4時間以内で登らなければ、到底滝倉山へは届かないと思っての計画であった。当時の頑張りもあって、5~10分ほどの遅れはあったものの、容認出来る範囲内であったから、その先を進んだのであったが、ヤブの苦手な私には、思うようにならず撤退しなければならない状況に追い込まれた想い出がある。

 それ以来、ウド谷からウドの頭付近まで行った(連れて行ってもらった)事があるが、その山域には、足を進めた事はない。その頃は、僧ヶ岳から駒ヶ岳へは、夏道がなく、行く手に向かって、左は雪庇、右はヤブという状況であった。でも、びっしりと雪が着いている時などは、かえって登りやすかったように覚えている。また、その頃は、砂防工事の関係だったのだろうか、早い時期に車が奥に入れたという好条件があったようにも思う。



5/1 我が家の車は、山優先である。一台しか無いのであるが、山行くために車があると言っても過言ではない。ムコ殿が来ても、息子が来てもである。だから、空いている時に乗る娘からも、車の費用はもらわない。今回の僧ヶ岳・駒ヶ岳の単独行に関しても、私が優先である。大阪の息子と金沢で待ち合わせする「山ノ神」であったが、小矢部で姉を見舞うにも全部電車・バス、または徒歩である。

 そんな親だからであろうか、私が山から戻った頃には、息子は友達との約束とかで既にいなかった。息子が帰って来ると言って、家にいても、男の子だからであろうか、特別の話もなければ、飲み疲れで寝ているだけである。そんなのなら、山に行っていた方が、どんなにか良いかです。飲むのなら、夜でいいわけだし。