12/31 友人・知人が亡くなったり疎遠になったりするが、元気でおれば、また新たな友人が出来る。それには、じっとしているのではなく、やっぱり行動しなければいけない。何も動き回る事だけが良いのではなく、家にいながらでも、気力さえあれば、どれだけでも発信が出来る。

 私には、知的な事が上手でないだけに、体力勝負となるが、最近はそうともいかない。でも、それなりの事は、まだまだいけるのであるから、希望というのか夢を掲げなからやっていきたいと思っている。不平や不満ばかり言っていても始まらないし面白くもない。そして、前にも進まない。

 嫌な事は忘れよう。忘れるが得。大いに笑おう。笑うは大得。やっぱり怒ると損。そんな気持ちで、明日から始まる一年を迎えたい。大好きな大地山に、あと3回登ると50回になる。何とか達成したい。そして、50回以上10座、10回以上100座が目標だけに、その嵩上げをしなければとなる。目標達成には、ずっと、元気でいなければならない。それを糧にして、楽しく山に登りたい。



12/30 今年を振り返ってみると、80日の休日に、67回72日山に出掛けた事になった。「何が何でもは止めよう。」 と思っていたが、それでも、それに近い行動となったような気がする。でも、だんだんと、近間の低山とか、同じ所(同じ山)が、歪めないところである。

 しかし、キャンプは4回(5泊)、山小屋泊1回、山から降りてのリゾート地の宿泊2回など、今の環境化からは、まずまずだったような気がする。今年も大地・初雪山キャンプが出来たし、恒例の白馬岳日帰りも続いている。娘家族と立山登山も出来た。

 好山病の仲間達との山行が随分と減った。休日が違うのと、それぞれ責任のある立場になっているので仕方がない事である。しかし、台風21号を目掛けての雷鳥沢キャンプが出来たのは、これからの会のあり方に関して、相当なインパクトがあったように思う。ハレルヤには、私の方が不義理をしている。

 そんな中、私より30歳くらい若いガリ君が、何回となく付き合ってくれた。体力が無くなって来ているジジババ、そして、あまり面白くないのにである。感謝しなければなるまい。12/24好山病友の会登り納めに、小佐波御前山があった。通常の全く違うルートだった事もあり、緊張の連続であったが、会でしか味わえない素晴らしい山行となった。



12/29 降った! でも、予報よりは、かなり少ない。近年は除雪での消耗度が甚だしい。水気の含んだ雪や、捨てる所がないだけに積み上げるとなると、ダメージが激しい。今日も広範囲の除雪のため、何度も休憩を挟んだ。山行時のベンチ・テーブルの作成や、宿泊時の居酒屋造りは、好きでやるのだから疲れなどない。何事も心の持ちようとなるのかもしれない。



12/28 スノーダンプ初出動。でも、大した雪量ではない。富山・氷見・朝日などは降っていない(積もっていない)とか。氷見のはるちゃんに、雪だるまの画像を送ったら、「いつの画像か?」 と問われた。氷見は、フロントガラスにちょっぴりだけ積もったとか?



12/27 仕事があり、思うようにならないのだろうが、依然今までのまま。(娘家族) このままでいくと、年越してしまう可能性がある。私の方は、HPの移行以外、順調に年末の物事が進んでいる。大阪の長男が、明後日やって来るという。というものの、私の山行に影響はない。



12/26 ムコ殿が東京の会社を辞めて高岡へやって来た。既に就職先が決まってはいたが、何もかもを片付けてからでないと、こちらには来られない。今日が、引越しの荷がやって来たらしいが、我が家には入らないので、アパートを借りたようだ。もっとも、私(達)も、同居は考えものだと思っていたし、その方が良いに決っている。

 本来なら、勤務先が二人共富山だから、富山で住まいを見付ければ良いと思うのであるが、子供達(孫)を預かってもらわなければの算段があったに違いない。我が家から、歩いて、4~5分程度のその住まいは、ムコ殿の ”離れ” の意味合いが強い。二人共帰宅がかなり遅いから、食事や風呂などの世話を、そのまましなければならないのでは、今と殆ど変わらない。朝だけが違うのかもしれないが・・・

 孫達は、親の勤務のため、朝は、今よりも早く追い出されるので、イヤだと言っている。(まあ~、言っているだけ) 机もタンスも、生活用具の殆どを、今のままにするらしいから、二重生活の様相である。そして、我々の車をかなり当てにしているようである。6年間もマイカーを我慢し、ムコ殿もずっと、都会生活であったから、それで良かったが、いつまで我慢出来るからであろう。でも、一台しかない我が家の車、”山優先” は言わなくても分かっている筈。



12/25 小佐波御前山の下山時の降りがけに、右膝に痛みを感じた。一時だったのと、角度を変えたので、後はどうという事がなかった。我が家の2階から降りる時に、その痛みが戻って来た。足を開き気味に降りると痛みが伴わないし、上がる時もそれを感じない。

 でも、「とうとう来たか?」 の感はある。皿の下である。そして、日常生活には影響はない。元々、股関節に違和感があり、いや、違和感というより可笑しいの表現の方が良いのかもしれないが、胡座(あぐら)が全くダメ出し、最近は正座も覚束ない。でも、歩くのは問題ない。長時間の歩きも大丈夫である。

 しかし、大きな段差は、踏み切る時に利き足でないと辛い。重荷を担いでも、まだまだ仲間と比べても遜色はないと思っているが、降るとなると、バランスが悪いような気がする。まだしばらくは、山に浸りたいので、気を付けながら、歩き方を考えたいと思う。



12/24 好山病友の会の登り納めに7名が集った。私は参加出来なかったが、今月上旬の忘年会の席上で、小佐波御前山の知られていないルートの話が出ていたらしい。芦生からのルートであるが、小雪が舞う中、小沢遡行となった。ツルンと来たり、小滝を攀じ登らなければならない所や、ヤブを掻き分けなければならない所もあった。

 強者は、ロープでで引き上げてくれたり、腕を掴んで引っ張り上げてくれたりしてくれた。最後の最後に獅子ヶ鼻に到達するのであるが、その頂きに、仁王立ちしている方があった。一瞬、仙人かと思ったが、よく見ると、何処で嗅ぎ付かれて来たのか分からないが、岩城君の友人の坂東氏であった。グットタイミングでシャッターを切ってもらった。

 通常の登山道に出れば、雪が少々積もっていた。予定通り小佐波御前小屋に3時間程で着いたが、そこには、周さんが待っててくれた。また、その後に、急遽、池田氏が駆け込んで来られた。小屋には、他のパーティーの方々もおられ、湯気が上がり、いっぺんに暖かくなった。

 下山路は、今生津(いもず)に降りて、芦生に戻った。「あのルートは、登れても降れない。」 「もうたくさんだ!」 「素晴らしいルートだ!」 などと、人様々であったが、行けない所へ連れて行ってもらったが正直なところだろう。今回は、松田氏(通称・師匠)の案内であった。芦生からであっても、あのルートは、あまり登られていないと思ったが如何なのだろう。

 

12/23 メーンページに10年前の白木峰を載せてみた。懐かしい顔がある。そして、諸事情で山から遠ざかっている人、最近お付き合いがなくなった人が半数近くになる。この10年は、早かったが、いろいろな事があったのだろう。私も否応なしに男の健康寿命なるものに近付く。それをパスして、平均寿命とやら頃にも、大きなザックを担いでキャンプが出来る事を目指したい。人生は、まだまだ長いのだ!



12/22 今日は、暇に任せて、一日中年賀状に没頭となった。でも、進行状況は、3/10くらいで、まだまだである。12/25までも怪しい。それにしても、雪がない。灯油の消費が少なくて済むが、それとこれは別物。 そして、今日は冬至。かぼちゃを食べるわけでもないし、ゆず湯に入る事もない。季語・風物詩が、いつの間にか遠のいていく。



12/21 今日になって、ようやく年賀状作業開始となる。押し迫られなければ(お尻に火が点かなければ)という事もあるが、テンションが上がらなければになるのは、いろいろ欲張りなのかもしれない。ああやこうやと思うが、頭が付いていけないのも一因。ダメだな~。



12/20 クリスマス寒波や年末寒波が取り出されていたが、予報を見ている限り、そう強いものではないように思う。恒例の元日登山も、前々から、温めている正月中の雪中キャンプも燃え上がらない。またまた計画倒れになりそうだ。そう言ったものの、1月の山行回数が、一年を通じて一番多い。(昨年は9日) 来年の1月の休日は、10日間である。大した山には行かないが、多分、休日は全部出掛けるだろう。



12/19 装備の中に、結束バンドがあるといい。長短種類があるが、繋いだり、二重にしたり、結構使い勝手がある。おまけに安価であるから尚更いい。このところ、スノーシューのバンドが切れた時に重宝している。非常時・予備、いろいろ考えると荷が嵩む。そして、いろいろと知恵があるらしい。「へぇ~」 と思うほど学ぶ事がある。



12/18 先日の金剛堂山で久しぶりにクマを見た。栃谷1キロ地点から、登山口に降りている時である。「キッー・キッー」 という鳴き声が聞こえたと思ったら、黒い物体が駆け降りて行った。子グマである。写真を撮る間もなかったが、クマには会わない事に越したことはない。

 牛岳で2回、水無山水芭蕉群生地・大平山登山口・有峰林道走行中の5回は間近だった。あとは、片貝川の対岸や福井経ヶ岳の登高中・真冬に笹川から南保富士への途中などは、割と遠目であった。カメラに収めたのは2回。おっかなびっくりだったが、その時は、撮ってやろうと気持ちがあったが、今は、そのような事はない。



12/17 100%雨。朝から雨。娘に、「それでも行くの?」 と言われた。「今日は、雨だし、夕方から忘年会があるから、ちょっとだけ歩いて来るよ!」 と言い返して、八乙女山に出掛けたが、あまり降らなかった。それどころか、僅かだけど、雲間から陽が差す事もあった。

 しかし、「山ノ神」の足取りは重かった。やはり昨日の疲労が残っているのかもしれない。「疲れている時に、負荷を掛けてこそ体力が付くんだよ!」 と言ってみたものの、自分も怪しい。でも、楽な事ばかりしていると、そういう身体になってしまうのは間違いない。

 東屋でコーヒータイムとしたが、「山ノ神」は、山頂周遊を辞退。またまた、私だけが行く事になる。車から離れて、車に戻るまでのタイムは3時間半程。身体を慣らす程度で、身体中の物を燃やすには至らない。でも、ずっと入院している「山ノ神」の姉を見舞いに行くという事が出来て良かった!



12/16 2週間前の金剛堂山とかなり雪量が違っていた。でも、まだまだの状態。それでも、登山口の栃谷まで車が入れない程の雪量。(40~50cm)しかも、車デボ地点で気温-9℃だから、素手で何かをしようとしたら、手が痛くなってしまう。

 百瀬川に架かる鉄製の橋の手すりが外されているが、慎重に渡れば問題はない。高度を上げれば雪量が増える。登山道は凹だから、当然雪が深い。そして、小枝が倒れているから、払い除けなければいけない。時間は、どんどん経過して行く。

 栃谷から2キロ地点までに要した時間が、登山口の橋を渡ってから3時間。車から3時間半程掛かってしまっていた。山頂まではダメかとは思っていたが、4キロ地点前の思案山くらいまで行けないかとの思いも途切れ、片折山(一服金剛)でストップとなった。

 予報はピーカン。冷え込むと思っていたが、いざ来てみると曇りがち。そして、上部では、物凄い風が吹きまくり、雰囲気は良くなかった。食事をしようかどうか迷ったが、その雰囲気を写真に撮ろうと、タープを張ろうにも飛ばされ気味、雪質はパウダー状でブロックにもならない。

 しかし、そこは根性を出して、極寒の中で、震えながら食事を試みた。(引き返してしまう選択もあったが・・) なかなか積み上げられない雪であっても、それなりに壁を造った。しかし、軽いものは吹き飛ばされるし、素手で作業をすれば痛いほどの寒さ・冷たさ。何でここまでかもしれないが、雪上を長く歩きたくて、選んだ山だから仕方がない。

 そのような状態でも、下りはそれなりに早い。雪量は少ないと言っても、ショートカット出来る程はある。早く降りれば、天竺の湯に入ろうかと言っていたが、車に戻ったら午後4時を過ぎていた。朝方の道路は、ツルツル状態であったが、気温は上がり問題はなかった。日曜だから、どれだけの人達が登って来るかと思っていたが、結局は、誰も来なかった。冷え込んだ早朝の利賀へは、やっぱり怖いかもしれないネ。



12/15 明日の日中は晴れそうだ。しかし雪量が少ない。何処へ行こうか迷ってしまう。一番雪量の多いのは、道路積雪情報からみても五箇山方面である。人形山林道の情報は、まだ得ていないので金剛堂山が有力。しかし、大辻山方面も捨て難い。



12/14 昨夜は、ちょっとだけ早めに寝た。そのせいなのかどうか分からないが夢を見た。5~6本という表現が合っているのかどうか分からないが、何度も夢を見た。トイレに行きたくて目が覚めたのではなく、ハッとしてである。また眠ると違った夢だった。それが続いた。

 内容は、はっきりと覚えていないが、日頃、思っている事と反対なっていたような気がする。何度も何度も、途中に目が覚めるのであるから、目覚めは疲れを感じた。このところ、大分頭がパーになって来ているから、怪しいのであるが、昨夜寝る時に考えていたのか、夢の中でも、そのような事になっていたのかよくわからないが、HPを止めようと思った。

 ヤフーのgeocitiesが、来年3月で終わりになる。それまでに、何処かのサーバーに移行しなければならない。とりあえずという所に、移行の手続きをとってあるが、何だか煩わしくなって来ている。カタカナや英語が混じって来ると尚更である。ずっと以前、dionからgeocitiesに移行した時は、何の問題もなかったのに、今は戸惑っている。

 スムーズに更新出来なくなって来ているのに加え、何か他の事もやってみたい。という気持ちが芽生えている。そして、山やHPを捨て切れないのに、今年いっぱいで、あるいは、2月上旬で満19年になる時に、また、geocitiesが終わると同時に、我がHPも終わりにしたらと、踏ん切りを付けようとPCの前に座った。

 新たな移行先から、6ヶ月の契約が成立しました。との連絡が来ていた。お試し期間だし、1ヶ月分くらいなら出しても良いと思っていたが、自動更新とかで、そのようになっていた。まあ~、いろんなオプションを付けなければ、現在払っている月会費より安価なのだから、負担とは思っていないが、考えが揺らぐ。

 すんなりと移行出来るかと、モチベーションを持ち続けられるかである。他人様に笑われながら、140歳まで生きるんだと言っている現在の自分であるが、山だけでなく、ちょっとした事で足が攣るようになってきた。オカシイ。ダメだ! 何か方策を考えなくては・・・  そして、頭の中も整理しなくてはいけない。



12/13 この時期やらなければならない事がたくさんある。でも、ついつい先延ばしになっているので、昨夜は飲むのを止めてみた。今までは、少々飲んでもやれた事が、最近は、頑張りがなくなりウトウトとしてしまうようになった。百薬の長と言われるが、私は毒だと思っている。その毒に負けるようになって来たという事であろう。

 やろうと思っていた事が、段取り良く出来たわけでもないが、寝起きも爽やかである。一番違うのは体重である。私は、決して太った身体ではないが、飲んで食べれば、必ず体重が増える。また、運動が少ないと顕著に体重が増えるのである。飲むのを数日続けて止めると、そんなもんかと思ってしまうから、案外楽な体質なのかもしれない。

 この世を離れる時は、体重も減っていくし、血圧も下がっていく。(途切れてしまう。) そんな事を思うと、食べられて身体を動かせるのは、シャバに、まだまだ縁があるという事かもしれない。例えが変かもしれないが、動かさなければ、身体も劣化していくような気がする。擦っても叩いても動かさねばと思う。そして、食べられなくなればオシマイだ!



12/12 私は、先日の大辻山で壊した(ベルトの殆どがちぎれた。)物を含めて、現在3台のスノーシューを保有している。「山ノ神」のスノーシューも3代目。そして、私は、台座の取替が2度もあるから、実質7~8台買っている事になる。もちろん、他に自分で修理や補強などの手を加えている物もある。

 今回の破損したスノーシューは、初代のものであるが、なかなか捨て切れないで、補修に補修を重ねている。幾つもスノーシューを壊しているから、小物(部品)は多く残っている。今回、両方合わせて、5本のベルトが切れてしまったので、それを以前の物と取り替えようとしたが、歳月が経っているからだろうが、次々に切れて(ちぎれて)しまった。

 5本のベルトを取り替えるのに10本も使い、もう予備がなくなってしまった。そして、付け替えたベルトも使ってみなければ分からないように思う。だから、そのスノーシューは、近間の低山でしか使えないであろう。昨冬、メーカー ”MSRのモチヅキ” から、取り寄せたベルトが、自分の思っていた物と違っていた事もあり、何処かに片付けてしまったから、間に合うかどうかどころか、無いのではどうしようもない。



12/11 今シーズン雪上歩きは2度目であるが、今回は、ナンボ何でも、カンジキかスノーシューを準備しなければと思ったが、新品ならいざ知らず、その装備を見ただけでは分からない。一応引っ張ったりしたが、修理に修理を重ねた物だけに、不安が付いてまわる。

 カンジキ・スノーシューを二人分、そして、スノーシューの予備(私の分)も車の中に入れた。長尾峠にやって来て、迷わずスノーシューを選択した。そして、片方であるが、予備のスノーシューとして、リックに括り付けた。ところがである。スノーシュー装着しようとしたら、ベルトが切れた。もう片方の方は、踵の方のベルトが切れてしまったのである。

 これはマズイとなり、カンジキに切り替えた。途中、リックに括り付けられている予備のスノーシューに気付く。余計な物を担いで来てしまったと、笑いながらの登高となったが、またまた予期せぬ事が起こった。カンジキの土台が切れたのである。そうなると、スノーシューの予備が功を奏したのである。

 歩き難さはあるものの、断然、引っ掛かりのあるスノーシューがいい。今まで、何度も、カンジキやスノーシューのトラブルに直面してきたから、ある程度の小間物(備品)は準備している。今回は、その手間を掛ける事無くすんだが、日頃心掛けている事が奏功したように思える。

 家に戻って、スノーシューに付いているベルトを引っ張ってみると、片方のものは、全部ちぎれてしまった。いわゆる劣化である。いよいよ、こっそり買った新品のスノーシューの出番が近い。でも、もう少し雪量が増えてからにしたい。



12/10 「山は、どれくらい降ったのだろう。」 富山県冬期道路積雪情報なるもので、ある程度の雪を想定していたが、「国少の家から歩くとなると、時間制限(午後五時まで帰宅)の中で、山頂に届くのだろうか?」 「長尾峠は無理でも、ライオンズの森、または、城前峠まで車が入れば・・・」 などと、期待と不安が同居した中、急遽、参加してくれたマキちゃんと、3人で大辻山に臨んだ。

 積雪期になると、国少の家付近から入る林道入り口に、通行止めの標識や、雪を盛って、とうせんぼ状態にしてあるのだが、それがなく、この雪量、そして、新雪で柔らかい状態なので、行ける所までとなった。そうして、長尾峠まで車を入れたのであるから、ゆっくり歩いたとしても、山頂は射程に入ったのである。

 登山道に入ると、雪の重みで木々が倒れ、歩き難くなっており、それを掻き分けながらの進軍となる。また、夏道で階段となっているところも、あるようなないような、おかしな状態になっているところもある。また、払い除けた木々からの雪の塊が首筋に入り込んだり格闘が続く。

 奥長尾山でコーヒータイムとした。「こんなところで・・」 と、マキちゃんは思ったかもしれないが、熟年登山の典型のような、ゆっくりを決め込んでいる。この雰囲気を、また、樹氷と青空のコントラストを楽しむのも、山と親しむ一つである。

 尻もちをついたり、前のめりになって転んだりしながら、辿り着いた山頂には絶景が待っててくれた。後に風雲急を告げるのであるが、我々3人は、この上ない大展望に快くして話が弾んだ。ベンチ・テーブルを作るには、ちょっと、雪量が少なく、その上、サラサラのパウダースノーとなれば致し方ない。

 私は、「えぇっ」、と思うほどに、今年初めての大辻山だった。(それでも、58回目) 待ち遠しかった雪上歩きは、雪量はイマイチであっても、それなりの雪と戯れながら、楽しい一日を送る事が出来た。



12/9 雪が降った! 高岡では積もった内に入らないが、山手では20~30cmくらい積もったようである。さて、山そのものはとなると、行ってみなければわからない。この時期、林道歩きは問題ないが、登山道に入ると、木々が雪の重みで登山道を覆い被さり、とてもあるき難い。 常に山に行きたがる者は、それは仕方がない。一時我慢するしか無い。その内、積もれば行きたい所に楽して行けるのだから・・・。

 今朝、東京のまどかさんから、「お母様と金沢に来ている。」 とLINEんが入った。充分楽しんでおられた様子である。帰りの新幹線から、「今度は、スノーシュー持参で来るから・・」 とあった。雪中を歩き回りたいらしい。彼女のスノーシューデビューを心待ちにしている。

 夕刻、30~40年ぶりの知人から電話があった。「山には登らないが、友人と山菜採りに行ったら、あんたの名前が出た。 前々から電話したかったが、なかなか出来ず、今日は、酒の勢いで電話をした。」 のだと言っておられた。そして、私のHPを毎日のように見ているというからタマゲタ。



12/8 気温が予想より高かったからか、高岡では降雪はなかった。富山県冬期道路状況でも、各地点の積雪はなかった。午後10時になって、利賀高沼で2cm・平村梨谷で1cmの積雪が表示された。ようやくである。でも、明朝平野部での積雪があるのかどうかは微妙なところである。

 そんな事から、明後日の行き先を決めかねている。そう言いながら、暖冬と言えども、少しずつ、山には雪が積もっていく。ドロドロ・グチャグチャでも、行く事に間違いない。私のトレーニングジムだから・・・



12/7 車は山優先。(我が家の車は一台。)決められた生活費の中で、アルコール類とガソリン(現在は軽油)は切らさない。人の道に外れない程の義は保つ。そして、休日は山に・・ これが我が家のライフスタイルの根幹である。

 上を見たらキリがないし、こんなもんだと思いこんでいる。まだ山歩きは出来るし、食べたり飲んだりも出来る。これだけで幸せ。これ以上の幸せとは、これを、ずっと続けられる事ではないか! 



12/6 やっぱり何だか忙しい。早朝から不燃焼物を出したり、日中は、歯科の定期検診、そして、夜は木曜会の月例会。今月は、未だある忘年会に、消雪管理組合の監査もある。そして、すっかり忘れていたのが年賀状。もちろん、12/24の休日まで、しっかりと山へは行く。

 「まだ山に行っているの?」 時々しか会わない友人からは、そのように言われる。おまけに、「若い時と違うのだから・・」 が付け加わる。反論しても仕方がないので、「やわやわ・・」 と、とか、「危険な所へは行かないから・・」 と述べるに留めている。

 週末の雪予報が、ちょっと緩くなってきた。降っても、ちょっとだけのよう。山だけ降って欲しいのだが、なかなかそのようにはいかないようだ! その内降るだろう。



12/5 師走。昔ほどではないにしても、何だかせわしい。(忙しい) 一年の終わりだから、この際、何もかもやっておこうなのかもしれない。だんだんと日が短くなっていくから尚更なのかもしれない。冬至(12/22)まで、日にちがあるが、「冬至10日前」 という言葉があるように、実際は、その頃が一番日が短く感じるようである。

 昼間?の時間が一番短いのが冬至であるが、夜明け・日没の関係で、そのように感じるのであろう。お正月が過ぎ、旧成人の日(1/15)辺りでは、かなり日が長く感じるのも、冬至10日前から一ヶ月経つからなのであろう。



12/4 心配していた好山病忘年会は盛会であったようだ。そして、親友の妻君の通夜・葬儀が恙無く終わった。歳のせいなのであろうが、涙腺が甘くなり、ポロポロと涙が流れる。それは、決して恥ずかしい事ではなく、感情を表す手立てでもある。私は、もう泣かない。もっと生きてやろうと思っている。

 家族・友人・知人を泣かせないためにも生き抜くのも一つの手段。死亡率100%では、そうはいかないようだが、そんな寂しいのはイヤだから・・・ 長生きすれば、若い顔の遺影にならないかもしれないが、この世からいなくなってしまえば、どうでもいい話。若い時の写真を使ってくれと、お願いするやりかたもあるやもしれない。

 「やっぱり休日は山に・・・」 これが、私には一番良いライフスタイルに違いない。何と言われようが、そのスタイルを穿けば、病魔も遠のいていくのではなかろうか? 「終活」なんて言葉が飛び交っているが、何で死に急ぐのか分からない。皆元気でおれば、我が国も安泰なのであるが・・・



12/3 どれだけ親友と言っても家族・親戚があり、通夜式まで出番がない。その間に、その悲しさを払拭しようと山歩きである。しかし、起きてみたら雨である。いい加減に戻らなければならない事もあり、赤祖父山から八乙女山・大寺山に行先を変えた。雨は、そんなに降らなかった。

 往路は、ぬかるみを敬遠して林道歩きとしたが、復路は、尾根沿いの道宗道とした。このところ、この山域を訪れる事が多くなって来ているが、何の変哲もないと思っていても、それなりの特徴があり満更でもない。どの山頂にも喜びがある。今度は、このルートから赤祖父山を狙いたい。

 私は、通夜式に参列(受付のお手伝い)、「山ノ神」は、好山病忘年会であるから、孫達は、母親が帰ってくるまで、初めてのお留守番となった。今回は、2~3時間であったからか、何事もなく無事終わったようであった。



12/2 親友の妻君が亡くなった。いろいろしてもらっていたのに、そのお返しも出来ないまま、お別れとなってしまった。明日明後日は、連休で、忘年会の前後を、どのように過ごすか模索していたのに、何もかもがパーになってしまった。

 通夜のお手伝い・葬儀・初七日法要などで、まるっきり費やさなければいけない。それは、人としてのお別れなのだから我慢が出来る。親の別れはある程度覚悟していたが、友人サイドとなると、些か感じが違って来る。「今度はお前か、次は俺かもしれない。」 となりかねない。

 楽しみにしていた好山病忘年会に参加出来なくなった。メンバーには迷惑をかける事になる。大事な忘年会だからと言って、通夜や、その手伝いを外すわけにはいかない。(顰蹙を買うに決っている。) それこそ、同じ釜の飯を食う仲なのだか、それくらいは分かってくれるだろう。



12/1 今度の月曜日は、好山病の忘年会である。今までと違って、一緒に山行する機会が少なくなっているだけに、久しぶりに顔を見て親交を深めたいと思っている。富山まで出掛けなければならないので、孫の迎えや電車の時刻表も気にかかる。欲張りな私(達)だけに、その前は、何処の山へ行こうかも考えてしまう。だから、いつも、カツカツというのか、ギリギリの生活を送っている。