3/31 今日は、一日中荒れた。アラレやミゾレ、そして、風も伴った。その中に、ちょっとだけ青空が覗いたが、これじゃ、せっかく開花した桜も縮んでしまう。明日も決して予報は良くない。しかし、どうなるかは、行ってみなければ分からない。ましてや、好山病山行であるから中止はない。近間の低山であろうが、それなりの楽しみ方があるというもの。



3/30 週初めの予報が悪い。なごり雪なのであろうかあまり面白くない。低山だからまだ良いが、雪山の雨やミゾレは、かなりしんどい。雨具と防寒具をしっかり準備しておかないとえらい目に遭う。「行かなければ良い。」 が、この時ばかりは、その通りと言いたくなる。

 その生憎のお天気でも、私は歩かなくては行けない。日頃の食べ過ぎ飲み過ぎのために、どうしても歩かなくてはいけないのである。1時間2時間では歩き足らない。また、街中を歩くのも、調子を整えるには良いかもしれないが、”消化” するのには足らない。

 私は、予報に必ずしも落胆はしない。雨や雪でも、ずっと降っている事など殆ど無い。弱くなったりもするし、一時的にも止む事がある。そして、その予報が早まったり遅れたりもする。いわゆる 「行ってみなければ分からない。」 のである。今度の休日も、余程の事がない限り何処かを歩く事になる。



3/29 後輩が「氷壁」を貸して欲しいとやって来た。娘さんと、「あのザイルの結末がどうなったのか?」 という話になって、もう一度読んでみたいになったらしい。氷壁の初版は昭和32年である。私も、ご多分に漏れず、山岳部に入ってから読んだ記憶がある。もっとも、映画(テレビ?)でも見た。

 穂高・徳沢・ザイル・魚津などの固有名詞しか思い出せないが、岳人なら氷壁(井上靖作)を知らない者はなかったほど有名だった。私は、そんなに読書が得意でなかった。でも、新田次郎(孤高の人など)を読んだ。しかし、読み漁ったほどではない。でも、読んだ物はしっかりと覚えている。

 自分で買ったものや、プレゼントでもらった物は、大事に持っている。その中に、日本百名山(深田久弥)がある。初版本ではないが、昭和40年剱岳でアルバイトしている時(高校時代)、奈良から従姉妹が立山へやって来た。その時のガイドのお礼として後日贈られて来たものである。

 その頃は、百名山は今ほど有名ではないし、ページを捲っても知らない山・読めない山の羅列に興味が起きなかった。(皇海山・聖岳・光岳・空木岳など) また、遠い所へも行けると思っていなかった。後に購入した「越中の百山」も知らない山ばかりであった。(昭和48年初版) でも、それが山への憧れの原動力になった事は間違いない。



3/28 「カギをかけたか不安で、もう一度戻った。」 「此処に置いたものが見当たらない。」 など、段々と自信が無くなってきた。幾つもの用事を携えて外出しても、予定をこなさないで戻る事がある。脚立を使っての作業も最近は怪しい。屋根上などは尚更である。

 「お歳ですから・・」や、加齢・老人の文言は、自ら使うのは別にしても、他人様から言われるのには抵抗がある。今まで出来た事が出来なくなるのであるから、その衰えは仕方なくではあるが自覚している。だから、そのギャップは大きい。

 まだまだと思っていても、親子ほどの年齢差がある人達と行動を共にすると、その違いが歴然とわかる。気を遣ってもらうから何とかなるなるものの、これでは如何と思ってしまう。それはどうしようもない事。また、違った道を模索するしかない。



3/27 10歳年上の姉から、悲鳴ともとれる電話をもらった。身体も頭も思うようにならず、失敗を繰り返すし、叱られてばかりいるような内容であった。終いには、「私はバカになったのかね!」 だった。近くにいるのなら、愚痴を聞いてやれるのであるが、今は、電話でしかその方法はない。

 同居している家族は、いつもかも要望を聞き入れてやる事など出来ない。愛想にも限りがあるし、同じ目線などいうけれど大変な話である。でも、後から必ず後悔する。「もうちょっと優しくしてやれば良かった。」 「あんな事を言わなければ良かった。」 などとである。

 親を見るにつけ 「やがて行く道である。」 、子を見ておれば、「自分が来た道である。」 そう大きくは違わない。その時は、そう思うのであるが、やらなければならない事があるから、すぐに忘れてしまう。(また、やっておれない。)

 幾つになっても、姉と弟。ずっと、私の事を大事にしてくれていただけに、何かをしてあげなければと思っていても、その手立てはあまりない。一年に一度の温泉(旅行)くらいでは、何にもならない。生きている間に(元気な内に)である。死んでからでは遅すぎる。



3/26 痛かった首(首筋)が、殆ど治った。腰も痛くはない。やっぱり「山の空気」は、私にとって妙薬なのかもしれない。山は、トレーニングジムと思っていたが、もしかしたら、病を和らげる所の要素があるのかもしれない。医学的な根拠などはないにしても、「好きなところへ行く。」 「身体を動かす。」 は、悪い筈がない。そして、それは、心のケアになっているのかもしれない。

 私は、股関節も良くない。時折、変な感じで苦手な方向に曲げる(捻れる)事があり、「ぎゃ~」 と声を上げるが、後々に支障がない。日頃やらない運動を、トレーナーが試みているような気持ちでいる。「動かさない筋肉は衰える。例え、痛くても、それなりの動きをしないとダメになる。」 を肝に命じているから、叫ぶ声ほどでもない。



3/25 「白木峰へ行くなら後から追いかける。」 「小白木峰へ行くのなら会えないかもしれないね。」 との池田氏とマキちゃん。想像していたより雪があり、スノーシューを選択したのが正解と思った。流石に、橋を渡ってすぐに尾根に取り付く事をしなかったが、林道を快適に歩いた。雪は締っていたが、風が冷たく珍しく雨具を纏った。

 入れるかどうか迷いながら車を管理棟まで入れた時点で小白木峰を諦めていた。「この雪量なら小白木も大丈夫だね。」 と言いながら、小休憩場所を探していたが、風を和らげそうな所はなく、1300m駐車場上で穴を掘った。しかし、雪は硬くしゃベルの刃が立たなく、かなり時間を要してしまった。

 そこに、池田氏とマキちゃんがやって来られた。やがて追い付かれるだろうと思っていただけに、コーヒータイムのための休憩場所だった筈なのに、昼食ぽくなってしまった。その休憩場所から、「林道への直登は行けるだろうか?」 となった。下は硬かった。スノーシューの刃は、アイゼンのように雪面に食い込み気持ちがいい。しかし斜度が上がるとズルっとなった。そうなると降りれるか?となる。

 そして、諦める事になった。「時間は早い。下山して何処か違った山へともなった。」 それでも諦めきれない顔をしているのを汲み取ってか、池田氏が、「私とマキちゃんで山頂へ行って来い。」 押して下さった。池田氏と「山ノ神」は、ゆっくり下山するから・・であった。

 一度目のチャレンジよりも、木々が出ている所を経由して林道に出た。そこからが大変であった。通常の登山道は、20~30mくらい林道を歩き、コンクリートで固められたトラバース気味のロープが施された所を行くのであるが、とてもじゃないが行けそうにもない。

 ならばと、法面を駆け上がる事を選択する。私はスノーシュー、マキちゃんは、6本刃のアイゼンであった。取り付くが、ズルズルと下がってくる。ピッケルがあれば、それを回避出来たであろうが、ストックでは刺さらない。チェーンアイゼンを持参していたが、刃も立たない。

 そっと、滑り落ちれば大丈夫であろうが、上から勢いよく落ちれば、林道を飛び越えて、わっと落ちていかなければならない恐怖もあった。それでも山頂を目指したかった。刃を立て、掴まれそうな物は全て掴んだ。マキちゃんのアイゼンは、前刃がないので、キックステップで対応しなければならなかった。硬い雪だから、何度も何度も繰り返さなければならないから、大変である。私がやると、きっと足が攣ってしまったであろう。でも、彼女は若いし闘争心があるから、苦難とは思わなかったかもしれない。

 上がってしまえば、帰りの事など忘れてしまうくらい別天地である。カチカチの雪上に積もっている新雪の量が違い歩きやすい。金剛堂山が光る。仁王山もデンとしている。風衝帯に入ると、北アの山々が目に飛び込んでくるという大パノラマである。

 小白木峰の事や、浮島や前白木峰に行くかもしれないという事も忘れてしまっていた。山頂付近は木道がちょっぴり顔を出すかのような雪量。皆風にもっていかれるのだろう。10分間と時間を切って写真を撮りまくった。セルフタイマーで、二人の写真も一枚撮って山頂を後にした。

 難儀した斜面はスノーシューをはずして、ツボ足とした。踵から蹴り込むと意外と沈んだ。僅かかもしれないが、気温が上がったのかもしれない。風もなくなっていた。後は、二人を追いかけた。二人だけで山頂に行ったのは正しかったのだろうか?無理すれば全員登頂出来たかもしれないのに・・・



3/24 今夕になって、明日の拘束がなくなる事になった。後は、雪の状態だけである。高岡でも、今朝はフロントガラスに雪が積もった。山沿いではかなりの降雪があったようだし、積雪量も気になるところである。

 明日は、大長谷の除雪最終地点まで行ってから、行き先の判断をしたいと思っている。白木峰の他に、小白木峰・前白木峰・仁王山など、どうなるやら決められないでいるが、どちらにしても好天のようであるから、ゆっくり楽しんできたい。



3/23 明後日の山行は決まっていない。(希望は、白木峰・小白木峰) 孫達が春休みであるため、早く出掛けられるか、時間内に戻って来なければいけないのか、まだ調整がつかないからである。また、「山ノ神」の行く気があるのかもある。行くとなると、やっぱり早く家を出なければならないから、寝坊助には辛いのであろう。



3/22 「休日は山に・・」 だから、私はアウトドア派なのだろうか? そういう事をあまり意識していなかったが、「あなたは、アウトドア派だから、町内行事にバーベキューやハイキングなどを取り入れたら・・」 などと、一部の町内役員からけしかけられている。

 まあ~、嫌いではないが、我町内も高齢化の一途を辿っているだけに、そのような企画をするとなると、かなりエネルギーが要る。自分の時間を割いて、そして、リスクも抱えなければいけない。やっぱりヤメようか! いやはや、その他の雑務もあり、町内会長は大変だ!



3/21 私は山の事しか考えていない ”ボンクラ” 山が好きなだけで特別の事をしているわけでないし、人様に自慢出来る事もない。そんじょそこらの低山を根気よく歩いているだけである。雨の日も雪の日も、そして、少々用事があろうが、山優先の生活を送っているのが異様に感じられているだけである。

 初雪山だって、誰でも登れる山である。でも、拘りがある。今は、2月の初雪山が目標である。かって、大地山にも1月に拘った事がある。陽が短いし、深雪であったら結構厳しいのである。猛者達と2月の大地に出掛けた時も、深雪に難儀し6時間を要した事もあった。

 簡単に登れる事もあるが、山頂に達しない時もある。でも、私は、トレースのない時に歩くのが好きである。試練・チャレンジもあるが、自分(達)だけの世界をイメージするからかもしれない。しかし、だんだんとそれが難しく遠くなっていくのも事実である。

 でも、頑張りたい。バカだと言われても、キチガイと言われても、歩けなくなるまで、それなりの山行を続けるつもりである。何度も述べているように、「80才になっても、重荷を担いで、雪山でキャンプ出来るようだったら自慢したい。」



3/20 「腰がちょっと重たい。」 という感じで、疲れなのかもしれない。しかし、後はそれほどの事もなく、次行き山を模索している。高温が続いて雪解けが早くなる事が脳裏を掠めている。私には、この先もう一つの心配がある。それは、孫達が春休みに入る事である。育成クラブ(学童保育)があるが、午前8時からであり、しかも、父兄が送り届けなければならない。娘(親)に頼めば、出勤が遅れる事は周知の事実。私達が送れば、午前8時~午後5時までの範囲しか動けない。遊びと仕事のどちらを優先するかになるが、簡単に物事は割り切れない。そのような事も、孫達が大きくなっていくのだから何年もない。後は、私達が元気(健康)を維持出来るかである。

3/19 昨夜の高岡着は午後9時頃になった。大地・初雪山をキャンセルした「山ノ神」は、大阪・京都に出掛けたという。私には、何処へ行くのか煩くいうくせに、自分の事となると違うらしい。最も、急に大阪の長男のところへ行ったらしく、二日目は、一人で京都観光のようだった。そんなくせに、私からの連絡がないなどと、クレームを付けるのだから、何とか言わんである。

 今日もお天気が続いたので、湿った物・濡れた物を乾かした。駐車場にテントを張ると、珍しいのか通行人達が見入って行く。乾くのは良いが花粉で悩まされる。私の花粉症は、短いから良いようなものだが、今年は今が大変な時期。ちょっとだけ辛い。

 初雪山頂でお会いした成瀬氏(河原氏の同行者)の健脚に私は唖然とした。凄い。あの河原氏に着いて歩かれるのだから凄いと思った。そして、年齢が70代後半と聞き、これまたびっくり。でも、そんな方がおられる事に嬉しく思った。目標になるからである。80歳になっても、雪山でキャンプをするのが今の目標(夢?)である。遠く難しい目標(夢)かもしれないが、まずは、病気しないで生きていなければならない。



3/18 寝られなかった事もあり、暗がりから起きてしまった。大地はもちろん、初雪山は真っ白である。そして、やがて陽が昇り始める。これを見たくて大地山頂でキャンプしに来たのである。トレースのない真っ白な雪面を歩くのが好き。降雪があって、キャンプとなれば、正にその条件が整うのであるから心が躍る。

 例年と比べて雪庇が小さかった。でも、この一週間でかなりの降雪があったようで、大地から初雪山へは、少雪という感じがなかった。早朝の展望は素晴らしい。周りの山々はスッキリ見え、日帰り山行では味わえない雰囲気を楽しむ事が出来る。当然の如く、何度も何度も立ち止まってシャッターを切る。

 今回一番違ったのは、剣岳から毛勝の山々辺りが、最後までくっきりと眺める事が出来た事であろう。初雪山までの長い道程は、幾つかのアップダウンがあるものの、周りの光景に見惚れて苦になることはない。強いて言えば、白金ノ頭との分岐から初雪山頂に至る吹き曝しに参るが、これも山頂への試練と思えばなんという事はない。

 初雪山頂は相変わらず風が強い。写真を撮るのも一苦労である。そんな中、走るようにやって来た方々がいた。河原氏と成瀬氏(立山会)である。シャッターを切ってもらった。そして、すぐに下山した。風のない所まで駆け降りた。勝手なところもあったが、それで一気にストレスを解消出来た感があった。

 典ちゃんの慣れないスノーシューに戸惑いがあったのかスローペースが続いた。テント撤収が終わって、大地山頂発が、午後3時50分頃になった。638mは午後6時である。赤松からはヘッデンを灯した。急な所を降りるのであるから大変だったと思う。夢創塾着は午後7時半近くになった。

 大変だったけれど、雪に見舞われたキャンプ地。そして、重荷。好天に誘われて、制限時間を超えて初雪山登頂。真っ暗な中を踏ん張った。など想い出がいっぱい。兵庫から来てくれた典ちゃんは、それから車の運転をしなければいけなかった。私は、大地・初雪山が好き! また初雪山に会いたくなったら来ればいい。

 

3/17 周さんと兵庫からやって来た周さんの友人の3人パティーとなった。夢創塾から638mの標高点まで殆ど雪がなかった。皆20キロ以上を担いでいる。そして、雪のない所では、スノーシューも担がなければならない。でも、あの急登を凌いで来たのであるから、雪上を歩くとなれば、水を得た魚のように・・・・である。(笑)

 やはり大地。後はべったりと雪がある。鍋倉三角点からは、初雪山が薄ぼんやり。「雨の予報は何処まで・・」 と思いながら歩くが、900mを超した辺りから小雪が舞い始めた。

 スノーシューを履き始めた頃に、一人の女性が、愛想よく私達を抜いていかれた。 その女性が、山頂を踏んで戻って来られたのと、またまた遭遇。「展望はなかった。」 との話から、4年前の正月、北ちゃんと岩城君で城ヶ平山に登った。(実際は、途中で遭遇) その山頂から、彼らの得意な道なき道(ヤブ)を一緒してくださった下司女史であった。

 大地山頂まで6時間を要した。でも、それは想定内であった。、雪量は想定より多かった。それは、「居酒屋おおち」を造るには最適。背丈以上に掘り下げた。しかし、デボ食品を取り出すのに手間取った。疲れ切った身体にテン場の整地は辛かった。

 「居酒屋おおち」は、今までないほど快適だった。雪が吹き荒れても隙間風なく暖かかった。このところの積雪に、また新たな雪が積もった感じである。飲むほどに、「本当に明日は晴れるのだろうか?」 と心配と、日頃聞いたことのない事が話題になる。(ありゃりゃ)

 寝床に入るが寒い。マットを二枚敷いたが、外張りがない。ましてや一人である。テントに着いた雪が落ちて、周り中雪だらけ! 諍いするが、今日は36℃の暖房器がいない。一睡も出来なかったようなもの。でも、日頃から、「一晩や二晩寝られなくとも死にやしない。」 と言っていただけに、それを耐え忍ぶしか無かった。未明に、そっとテントを開くと、星が出ていた。初雪山の暗いながらも、シルエットが浮かび上がっていた。風も収まったかのようだった。



3/16 ここ3~4日、ftpの調子が悪く思うような更新が出来なかった。またS先生のお世話になった。でも、魔法のように直った。明日から、大地・初雪山行である。明後日はピーカン予報であるが、明日の日中が良くないようだ! 雨は嫌だが、ミゾレも辛い。でも、良い方に外れてくれたら良いのだが・・・

 やっぱり、「山ノ神」は不参加である。それでも、周さんの友人が、憧れの初雪山を目的に、遠方から来るというのであるから楽しみである。そのためにも、是非とも良いお天気になって欲しいのである。



3/15 ftpの調子が悪くHPの更新が覚束ない。それでも、いつか上手くいくと信じて綴り続けよう。今度の日・月は、大地・初雪山行である。なのに突然「山ノ神」が行かないと言う。真意はわからないが、自信をなくしたのかもしれない。そうなると、私の荷はどうなるんだとなる。「山ノ神」が行かないから、荷が軽く・小さくなるのかと思ったがそうはいかないようだ。気のせいかもしれないが、ザックに収まり切らないような気がするがどうなんだろう。ずっと、以前使用していた小さめのテントにしようかと思ってみたが、外張りを入れると嵩は変わらない。苦肉の策であるが、今使用しているテントの外張り(冬用)を外して、フライにしようと思っている。一人で3人用、しかも外張りなしでは寒いかもしれないが、死ぬ事もないだろう。



3/14 調べてみたら12年ぶりの町内会長(自治会長)だった。矢継ぎ早に、関係書類(配布物)や各種会合の案内が来た。でも、「出来ない事は出来ない。」 「イヤな事はしない。」 に徹底しようと思う。もちろん、その裏返しであるが、「出来る事はする。」 「やらなければならない事はやる。」

 残された貴重な時間を、メリハリを付けなければと思っている。大体、我家のライフスタイルは、山中心である。町内会も、その事を充分に認識してもらえるよう逆にいろいろ根回しが必要かもしれない。世間様の10連休前に、私には今度の大地・初雪山行を入れて、3回の泊まりを予定している。その間何もなければと願うしかない。



3/13 今日は、高岡でも、ミゾレやアラレが降った。流石に五箇山では積雪を見たようである。しかし、降り止むと、すぐに溶けるような雪。仕方がないにしても、山好きな者にしてみれば、ちょっと心配(もっと降って欲しい)な雪であった。

 やりにくいのだろうが、予報もクルクルと変わる。今度の日・月は、今年2回目の大地山キャンプである。どないしても出掛けるのであるが、行くのなら、やっぱりお天気であって欲しいのが本音。



3/12 今夕の北日本テレビの「旬景とやま」で、大地山が取り上げられた。私の大好きな山だけに食い入るように見入ったが、短時間の放送だけに、特別なものがなかったように思えた。しかし、大地山が放送されたからには、来る人が増えるのは必死である。

 それでも、雪深い1月・2月では、それなりの人しか入れないので、そう不安がる事もないのかもしれない。どの山でも、簡単に登れる事もあるし、なかなか登れない事もある。やっぱり静かな山が良い。自分だけの山が良い。そうなると、テント泊が最良となる。



3/11 「北ちゃん」に、「何時から登るの?」 というメールをもらった。そんな事で、小佐波御前山は、3人で登る事になる。猿倉辺りは雪がないが、御前山近くになると雪が現れ、林道からは、高温も手伝ってか、時々ゴボルのであった。でも、「北ちゃん」とは、久し振りの山行であるし いっぱい話をした。

 あれもこれもである。彼は、独特の山との親しみ方をしていて、少しばかり興味があったし、我々のスタイルにも傾向してもらいたい思惑があったりしたが、もうそんな事はどうでもよく、今までの事、これからの事など、いろいろな話に及んだ。私は、休日の事や、山行スタイルの相違は無理する必要なんかないと思うし、お互いに認め合えば良いだけの事であると思っている。

 ずっと仲良くしていたいというのは同じであったような気がする。近年一緒できない山友にも同じ事が言えるのではなかろうか? まあ~、元気でいる事、ずっと元気でいる事が必須条件であるに違いない。後は、意識なのであろう。一緒したいか会いたいかだけである。人の心はたえず変わる。魅力がなくなったら誰も寄って来なくなるのは間違いない。

 午後7時から、丸の内自治会の総会があった。正式に町内会長になった。なったからには一生懸命やるしかない。2年任期なのであるが、1年にしてもらったのであるから、尚更のようにやるしかない。そして、何か一つ新しく喜ばれるような行事をやってみたい豊富もある。明日から第一歩が始まる。



3/10 明日は、やっぱり雨だ! 行く所がないが、歩きたいから小佐波御前山となる。(強く降らなければいいのですが・・風もです。) 次週の大地・初雪山の予報がちょっぴり良くなって来た。(気分が良い。) 明日は、町内会の総会がある。この先の事を思うと、ちょっとばかし憂鬱。



3/9 好天の中、山に行ける人が羨ましい。ましてや、私の今度の休日が、一日中雨の予報だけに、精神衛生上全く宜しくない。しかし、行かれた山によっては、山頂付近の烈風に悩まされたとか、花粉で山どころではないとの情報もある。山は、一筋縄ではいかないというところか・・・。

 今度は、また雨か? 雨は好きではないが、やっぱり歩かなければならない。「山の空気」をもらいになのであるが、あらゆる自然との対峙もある。「良いところばかりでなく、悪いところも知っておかなければ・・・」 ではないにしても、自分の知り尽くした山で、いろいろ経験をしておかなければ、イザという時に、何も出来ないというのもある。

 大それた事は出来ないにしても、イザという時に、訓練・練習以上の事は出来ないという文言を肝に命じている。自信過剰にならない程度に、コツコツと私なりの山行は続く。続けたい。



3/8 九州・北海道、そして、南アの南部へも機会があったら出掛けてみたい。秋の東北にも魅力を感じている。もう山ばかりではなく、山+名所・旧跡、そして、旨いものを食してみたい。時間も費用も掛かるから、ハードルは結構高い。だから、まだ働いているのだが、タイミングもある。また、健康が絶対条件。



3/7 俄に忙しくなって来た。今日は自治会監査会。もう一つ木曜会がある。3/11は自治会総会。3/16自治会事務引継会。3/17~18大地・初雪山キャンプ。山行を減らさず町内の雑務をこなすしかない。まあ~、何とかなるだろう。

 私は人様のために何かをやって来た事はあまりない。だから、悪い事はしないようにしてきた。でも、やっぱり人様のためになるような事を、ちょっとでもしておかないといけないような気持ちになっている。(天国に行きたいからという事ではない。) そうかといって、ボランティアともいかない。最も、仕事も有償のボランティアという考えもある。

 ある時、「町内のお世話が良い。」 と言われた事があった。でも、そんなのは苦手である。しかし、仕方がない。2年任期を、1年にまけてもらって引き受けた次第である。憂鬱をやり甲斐に変えられるようになればいいのであるが・・・。



3/6 牛岳・千石城山・大辻山・金剛堂山・小佐波御前山・白木峰に次いで、先日の大地山も登高50回を達成出来た。7座目である。どの山も、春夏秋冬登っているが、大地山だけは、積雪・残雪期限定であるから、自分善がりとは言え、それなりに意味深いものだと思っている。

 50回以上の山を10座という目標を、意味なく掲げているが、人形山(39回)・大猫山(38回)・白山(38回)・医王山(34回)・大倉山(33回)・八乙女山(33回)・剱岳(32回)・中山(30回)が、次の候補である。剱岳の50回は、今の年齢からちょっと難しい。出来れば、人形山・大猫山・白山・大倉山辺りから、達成出来ないかと淡い夢を抱いている。

 この先、時間制限が解除され健康であれば、10回以上100座も可能のような気がしている。反面、数だけでなく、好きな山に何度も足を運ぶのも良いかな思ったりもする。そして、唯、山頂を踏むだけでなく、ゆっくりと、その山を味わえたらと思うようになって来ている。そのためにも、朝夕の景色を眺めるためにも、出来ればキャンプをしたいものである。



3/5 「今年は雪が少ない。」 一ヶ月以上前倒しで「臼越山」に出掛けました。もちろん、藤橋ゲートからの歩きです。人津谷入口に、自転車と靴が雪上に無造作に置いてあったが、前大日岳・早乙女岳・大日岳方面のスキーヤーと思われる。

 人津谷林道は荒れているが、この時期、まだまだ雪が豊富だけに、そんなにも酷いとは思わなかった。標高650m辺りから、樹木が白くなっていた。昨日の雨が雪になったらしい。水門の上部で小川(沢)を渡るのに、靴を濡らさない所を模索する。

 林道をショートカットするのに急斜面を登るが、気温が高い為かなり緩んでいる。その分だけ、転げ落ちる可能性は少ないのであるが、「山ノ神」にしてみれば同じらしい。ショートカットした林道を、更に5~10分程進み尾根に取り付く。その後は、七姫山との分岐まで雪はべったりである。少雪と言われていても、3月上旬の1000m超は、昨夜来の降雪も伴ってスノーシューが沈む。

 「山ノ神」の足が進まない。七姫山との分岐に来て、「これで止めようかという。」 「雪量が多いし、あと40~60分頑張ろう。」 と言うが、下りが心配らしい。でも行く事になる。標高差約240mの最初がきつい。でも、今日は全面雪である。依然「山ノ神」の足が思い。

 1,300m付近で、私が先に山頂へ行ってベンチ・テーブルを造り、それでも、まだ来なかったら、私が迎えに来る事にした。何と言っても、午後5時まで高岡に戻らなければならない事が、どうしても、頭から離れないからである。しかし、ベンチ・テーブルを造り終えても、「山ノ神」は来なかった。

 駆け降りて迎えに行くと、先程より少し高度を稼いではいたが、どっしりと座り込んでいた。「ここでも良い。」 と言ったが、私は、「山ノ神」の荷を担いで、「お湯を沸かしておくから・・・」 「あと10分も頑張れば・・」 などと言い残して、再び山頂を目指した。

 山頂からは、素晴らしい展望である。平場(下界)からは、山並みが霞んで見えなかったと後から聞き及んだが、頂の気分は最高であった。新雪(20cm程)も相俟って、汚れ物を全部隠しているのだから、それはきれいとしかない。

 あんなに疲れている「山ノ神」であるが、ビールは飲みたいらしい。でも、ゴクゴクとは飲んでいなかった。私が話しかけると、「疲れているから、話しかけてくれるな!」 という。返事が出来ないからという意味らしい。この最高の展望を眺めているのに、「もう来ない。」 とまで言っていた。今日は楽だったのにな~。

 もう少しだけ、ゆっくりしても良かったが、下山時に何が起きるかわからないので、午後0時30分頃に降り始めた。新雪と高めの気温でかなり沈むから、急な降りでも大丈夫なのであるが、「山ノ神」はそうともいかない。「滑ったら受け止める。」 と前面で待ち構える体制を取り続けて、ようやく七姫山との分岐に辿り着いた。

 ここまで来れば大丈夫である。何度も何度も転んでいたが、痛くはないし、ズルっと行くわけでもないので、割と安心であった。「こうすれば、スムーズにいくよ!」 と教えても、夫婦だからであろうか、聞く耳を持たない。予定よりも早く称名道路に着いたが、だから、山頂にもう少しいても良かったとはならない。「もう、臼越山に来ないのだね!」 と再度尋ねると、「七姫山の分岐までなら・・」 と言い放ったから、それなら来なくて良いよ。」 とまたまた危ない会話になってしまった。(本来なら、臼越山も七姫山も行けるのに・・)



3/4 前々から、この日は雨の予報。小佐波御前山か八乙女山と決めていた。それは明日もあるから・・。始めから雨。スタートする前から雨というのは、あまり面白くない。「雨が好きなんですか?」 などと、皮肉たっぷりに聞かれる事があるが、そんな事は毛頭ない。誰だって、お天気が良いに決まっている。只、ライフワークとして歩いているだけ。それでも、「静かな山」 の装いを感じる事はある。

 ちょっとだけの山だけれど、「山ノ神」は、昨日の事もあり、疲れていたような歩きであった。当然、山頂周遊は私だけ。腐った雪のため足を取られる事もあったが、ツボ足とカンジキ。でも、やっぱり、慣れたスノーシューがいい。

 4~5日前から、右肩甲骨の周り(もしかしたら、上部の背骨)が痛くてしょうがなかった。「山ノ神」に、「いよいよ悪いところが現れてきた。」 などと言われ放しであったが、この二日間の歩きで、随分痛みが和らいだ気がする。もちろん気の所為もあるだろうが、「山の空気」は、やっぱり妙薬なのかもしれない。



3/3 大地50回目のメモリアルは、「山ノ神」と二人だけの山行となってしまったし、初雪山への未練がなかったかとは言い切れなかった。しかし、ゆっくり歩いて、山頂で初雪山をイヤという程眺めておれば良いとも思ったのであった。

 夢創塾まで車が入った。そして、赤松(標高約500m)まで、雪がなかった。その先、降雪がなければ、638mまでの雪も怪しいような気がした。そうした中、雪が締っていたので歩きやすかった。今日は、時間制限がなかったが、「山頂でゆっくりしたいなら、早く着かなければ・・」 と「山ノ神」にハッパを掛けた。

 そのせいもあってか、今日は4時間であった。途中3組4人の初雪山へ行かれる方々を見掛けたが、私はその気が起こらなかった。それでも、「行きたかったのでしょう。行きたいのでしょう。」 と私の心を揺さぶった「山ノ神」がいた。

 山頂の雪も少なかった。2週間前の遺跡?(居酒屋おおち)の形が残っていた。そして、前回背丈ほど掘っても大丈夫だったのに、今回は、腰ほど掘ったら木々が現れた。また、デボした食料を掘ったら、すぐに現れた。何年か前は、1時間掘っても分からなかったのと雲泥の差である。

 今回の山行は、その食料(水類ばかり・・・?)の確認と追加の意味合いもあったが、2週間後のキャンプが、ちょっと心配になってきた。雪壁が造れない。また、雪洞を掘るのも難しいような気もする。でも、悪天でない限りまたやって来たい。大好きだから・・・



3/2 明日は、紆余曲折の結果、初雪山は断念し、「山ノ神」と二人で大地山になった。そうなれば、帰りの制限もないし、ゆっくり大地山を楽しみたい。また、1ヶ月前と2週間前に少しずつであるが、デボした飲み物の確認と、新たな追加を行って来たいと思っている。



3/1 今日の予報では、月曜・火曜日が悪い。そして、日曜日の午後くらいまでは良さそうである。それでも、雨雲が西の方から迫って来る感じで、それが早回るか、遅くなるかによって、日曜日のお天気が随分と変わってしまうようだ。明日の予報を見てから決断する事になる。

 娘が職場から月曜・火曜日の予定を聞いてきた。「雨模様だから泊まるような計画はない。」 と返事をしたが、私達の趣味に対応してやろうとする気持ちが、ちょっとばかし嬉しかった。日曜日の事は、明日でないと分からないとも伝えたが、大地山や初雪山に行く行かないと共に、臨時休業するかしないかも、明日になって決める事になる。