4/30 今日は平成最後の日。こんな事は無いのであるから、その節目に立ち会えるのは喜ばしい事に違いない。30年前は、誰もが若かった。輝いていた! このところ、やや落ち気味で活力がないような感じである。それでもモガイている。必死に抵抗している。

 その姿が異様に感じるか感じないかは、それぞれの事であって感知しなくてもよい。以前の当欄では、盛んに 「翼が欲しい!」 とモガイていたような気がする。モガイても仕方がないのにね! どちらにしても、いや否応なしに 「令和」 がやって来る。



4/29 無理矢理なのかどうか分からないけれど、片貝川散策に出掛けた。二男とその連れ(彼女)は、初めての事だけに、それなりにその良さを感じていたように思うが、娘夫婦はどうだったんだろう。でも、二人の孫は、コゴミ採りが面白かったように感じた。

 4年生の上の孫ミーは、もうひとりで、何でもするが、2年生の下の孫エリーは、「これ採ってもいいの!」 「この大きさは?」 とジジババに聞いてくる?それを親達は、微笑ましいと思っていたのかどうかはわからない?日頃から、野山に連れ出して欲しいと思っているらしいが、自分達はどうもというところなのかもしれない。

 どちらにしても、8人で行動を一緒にした事に、少なからずとも意義を感じているのは、やっぱり歳を重ねたからであろうか? 片貝のキャンプ場には、たくさんのテントが張られ、キャンパー達の楽しげな姿を見た。「今度はこんなのがいいね!」 と言いながら、お昼すぎ食事をし、静岡方面に出掛ける二男と別れた。



4/28 大阪から二男がやって来た。その連れと娘家族の8人で食事となった。賑やかなのは私も好きで大いに盛り上がる。二男は、明日のは静岡方面へ出掛けるようで、それまでに山菜採りに付き合うようである。それに孫達も着いてくるという。それも良かろう。

 今まで、がらくた会・管鮑会・同志会・好山病などと、我家はいつも賑やかだった。両親が健在な頃は、それこそ、狭い家(今よりもっと狭い)重々するくらいに友が集まっていた。そんなもんだと思っていた。やっぱり、人が集まるようでないとダメだというのであろうか楽しくない。



4/27 令和まであと何日! そして、今週は、令和最後の○曜日などと煽り立てる。でも、このような節目に生きておれるのは幸せなのかもしれない。そして、「戦争がなかった平成」 当たり前のように思っていたが、そんなアホな事をしてはいけないという力が働いたのかもしれない。

 令和になっても、10年は元気でいたいと思うし、出来ればその後、もう10年と欲張りが出てしまう。以前からの目標である 「80歳過ぎても雪山でキャンプ出来たら自慢してもいい。」 なのであるが、精進・鍛錬しても先行きが不透明。(怪しい) でも、ハードルを下げて、城ヶ平山や千石城山ならと、諦めるわけにはいかない。



4/26 数秒もあれば恋が出来る。しかし、どれだけ愛おしいと思っても伝わらなく涙した事もある。友人・知人、或いは隣人と話す機会があっても、話題が途切れてしまう事がある。その点、山の話という共通点があれば、次から次と止まる事がない。それでも、馬が合うとか、波長が合うというのか、誰とでもというわけにもいかないようである。

 ちょっと気になっていた女性にLINEをしてみた。久しぶりであった。やっぱり山の話になると繋がってしまう。ずっと、昔の話であっても、つい、この間の事のように思い出す。浮いた話などないが、雪山を歩いた想い出が、何故か宝のように思えるのだから面白い。



4/25 「一緒に山に行きたい。」 と言ってもらえる私はハッピー。しかも、老若男女を問わないのであるから不思議である。それは、自惚れだけではなさそうである。「ちょっとは頼りになる。」 「他の人とは休日が合わない。」 などがあるのかもしれない。

 でも、嬉しい話である。「この歳になって・・」 である。去っていった友があっても、また増えるのであるから、この上ない喜びである。長年続けている当HPの影響もあるのかもしれない。ちょっとは信用を得ているのかもであるが、まだちょっと元気であるからだと思う。それに甘んじず、精進・鍛錬を怠らないようにしなければ・・・・。



4/24 先日の休日(日・月)は、たくさんのコゴミを採った。お浸しや和え物、また炒めたり、昆布締めなど、私は結構コゴミが好きなのである。そして、喜んでもらえる人達に配るのも楽しい。その事で、身近に思えるし、言葉が弾めば気分もいい。オーバー過ぎるくらいに喜んでくれる東京の姪に送るのも楽しみの一つ。今年は、どんなレシピを考えるのかも・・・

 どんな山菜にでも言える事なんですが、コゴミもタイミングが大事。「ちょっと早かった!」 「遅かった!」 での泣き笑いがある。雪解けや天候などを加味しての収穫となるが、やっぱりこまめに出かけるしかないようだ。週一の休日では、タイミングを掴みにくいのであるが、今年はピッタリだった。上に行けば、まだあるだろう。



4/23 一昨日の僧ヶ岳山行の折、伊折山手前で野田氏と出会った。もちろん初対面であった。短い山談義であったが、山の事は詳しく、体力・気力もある人のように思えた。私は、それよりも驚いたのは、その野田氏のお父様が、90歳を超えているのに、山歩きをなさっていると聞いて、びっくりするも、それは凄いと言ってしまった。

 私の周りには、池田氏がおいでる。黒部に能登善徳氏もおられる。また、先月初雪山でお会いした成瀬氏などを尊敬しているが、そのお三方を遥かに超えておられるのですから・・・ (一回り以上だから) 70歳を少々超えたからと言って、年寄りのような事を言っていては恥ずかしい。もっともっと精進して、また鍛錬して、「あそこが痛い」 「ここがダメ!」 などと、現を抜かしている場合じゃないようです。



4/22 友達と東京見物に出掛けた「山ノ神」が、夜遅く帰って来た。それでも、山に行きたいと言ったが、長い(辛い)のはイヤだと言う。幾つか候補を上げたが、山菜採りもやりたいと言う。困った。とりあえず南保富士にした。工事で林道歩きが伴うが、それでも1時間半は掛からない。

 降らなかったし、薄日が差したりしたが、山頂からの展望は全く無かった。正午まで、車に戻る予定にして、僅かな時間をもらって私一人、二王山に向かった。南保富士と、高さがそんなに変わらないのに、かなりの残雪があった。山頂は、雪の無い時より雪があった方がいい。山頂らしい。

 いい加減に歩いていたので、5~10分程ロスをしてしまった。そんな事もあって、約束の時間まで戻らなかったので心配させてしまった。ここでも、コーヒー1杯を飲んで下山となった。午後5時まで高岡に戻らなくてはいけないのであるが、山菜採り(コゴミ)のために、新川広域農道を走った。昨日の車デボした所から、猶予された時間は1時間半であったが、「山ノ神」は、かなりの収穫でご満悦のようであった。



4/21 片貝第4発電所まで車が入った。歩く事も覚悟していただけにラッキーであった。その先(東又谷工事)もブルが入ったようで、僧ヶ岳登山口まで行けそうであるが、まだ許可を出していないようだ。(僧ヶ岳登山口から毛勝山への道は、橋から雪がべったりであった。)

 曇りがちのお天気で、時折ポツリと来たが、視界は良好であった。しかし、何となくぼんやり(スッキリでない)で、カメラ写りが良くなかった。先日来の降雪のせいか、上部は例年と変わらない程の雪量のように思えた。今朝のものか、昨日のものか判断はつかなかったが、途切れながらのトレースがあった。キップステップの切れ込みが小さく、そして、大股でもあったから、かなり熟達者のように伺えた。

 一面雪となった1,200m付近でアイゼンを着けた。ツボ足でも良かったが、荷が軽くなるのと、ちょっとでも引っかかりがあれば、歩き易いのではとの判断でもあった。スマホを含め3台カメラで撮っていた事もあり、ピッチが上がらなかった。最も体力が落ちている事もある。

 雪の状態が違った事もあろうが、成谷山まで4時間10分も掛かってしまった。昨年は3時間も掛からなかったし、以前は(若い頃は)山頂まで3時間くらいで行ったと思うから、何だか情けなくなった気もしたが、諸条件を鑑みれば致し方ないかと思ったりした。

 4月半ばになれば、稜線上でも夏道が出たりしている事があるのだが、少雪と言われた今年なのに、そのような事は微塵も感じられないように思えた。3月・4月にかなりの降雪があったからかもしれない。僧ヶ岳頂上は、遠くに感じられたが、行くしかないと足を進めた。

 駒ヶ岳・滝倉山・毛勝山・大明神山などに何回もカメラを向かわせた。スッキリしない空模様に諦めてはいたのであるが、それでもという気持ちの方が強く動いたからに他ならない。成谷山1,600m→僧ヶ岳1,855mなのであるが、途中何度もGPSを見てしまった。

 それは、ルートファイティングのためでなく、どれだけ高度を稼いだかを求めるものであって、なかなか先に進まない苛立ちだったのかもしれない。それでも、先に行く意欲は衰えなかった。足さえ前に出しておれば、やがて届くからである。

 伊折山手前で、山頂直下で折り返して来たという方(魚津の野田氏)と出会っていた。「雨が降ってきたから・・」 と言っておられた。暫しの間、山談義をしたが、私などと、比べ物にならない程に凄い方のようであった。その方が、引き返した所に差し掛かった。

 私は躊躇した。先程から風が強くなって来ていた上に、ちょっと降って角度が変わったら強風となった。山頂までの標高差は60~80mくらい。距離にして300m前後と思われた。山頂まで尖った小さなピークがある。そこを越えるか、トラバースしなければいけない。

 悩んだ! 帽子が飛ばされそうになった。ピッケルもアイゼンもある。1本のストックを残し、前へ進んだが、風に煽られて怯んでしまった。そんな時は、撤退に限ると自分に言い聞かせた。が、呆然とするしかなかった。今まで僧ヶ岳山頂に届かなかった事がなかったからである。27回目で初めて、その挫折を味わったのであるが、「これも山歩き」 「山人生」 「何かあっては何にもならない。」 「それだけの技量」 などと言い聞かせた。

 コンロもガスも担いでいたが、結局持参したおにぎり一個と菓子パン1個だけしか口にせず、大好きなコーヒーも飲まなかった。シャリバテでもなかったと思うから、下りは、それなりの時間で登山口に戻った。(午後3時半頃) それでも、欲張りな私は、コゴミ採りに精出してしまった。両手にいっぱいのコゴミを持って、車に戻ったのは、6時半になってしまった。お腹空いた!



4/20 明日は僧ヶ岳。しかし、必ずしも晴天とならないらしい。まだ明後日の方が良いらしいが、自由に行けるのは、今のところ日曜日である。ピーカンでなくても、降らないで見通しさえ良ければ良しである。後は、車が何処まで入るかであるが、もうどうだっていい。



4/19 最近、起き際に足が攣る事が多くなった。長引く事はないのだがイヤな感じ。ちょっとした事で、足の指や手の指もその一部としてある。山中でも、昨年、5月の大日岳で攣ってしまった。そうして、ジワジワであるが、目に見えぬ引導を渡さんばかりになっているのかもしれない。でも、私は抵抗を続ける。



4/18 今度の日曜日は、僧ヶ岳を目指したいと思っている。もうちょっと、遅い方が林道の奥まで入れるのだろうが、林道歩きが長い程山は白い。昨年(4/30)は、第4発電所まで車が入ったのに、駒ヶ岳まで行けず北駒ヶ岳で頓挫してしまった。

 この1週間・10日間は、結構大きく、例年の事を思うと長い林道歩き強いられる。でも、残雪期は、片貝からに拘っている。大明神山が大きく感じ、次第に毛勝山が大きくなっていく様が何とも言えないのである。ボーサマ谷がはっきり見え、そして、駒ヶ岳に目が移っていく。

 片貝の林道の状況を掌握していないが、何処から歩くという事はあまり問題にしていない。それは、少しでも白い山を歩きたいからである。まあ~、そのように言えるのも、そう長くはないからでもある。帰りの林道歩きで、例えフキノトウであっても、山菜を採るのも楽しみなのである。

 「山ノ神」は、今回も不参加。友人と東京へ行くのだと言う。先週は、違った友人と能登へ出掛けている。先月の大地・初雪山キャンプでも、それを嫌って大阪に出向いている。なんやかんやと言っても、長い時間歩くのはイヤになって来ているのかもしれない。



4/17 自治会長を受けて一ヶ月が経ちました。(12年ぶり2回目) 町内には、寺院・神社・地蔵がないし公民館もない。かって、大規模にやっていた納涼祭もない。大きな行事と言えば、新年会と総会くらいで、後は、校下の運動会や連合会の諸会合であろうから、その気になればと思っていた。

 ところが、この一ヶ月の間に何もなかったという日が、一日か二日くらいで、何だか調子が狂っている。町内会費の徴収の事や配布物・諸組織への名簿の提出。道路工事に伴う業者の説明や署名・捺印など。そう言えば、神社係も兼務だし、消雪管理組合の会計係もあるのだった。

 公民館がないだけ楽であるが、そのために定例の役員会などもない。従って、何かあったら、会長のところに何もかもが持ち込まれる。要望・苦情が少ないならいいが、この先不安である。「新しい事をやれ。」 と言われたり、次期会長には、「新しい事をやらないでくれ」 と念を押されてもいる。弱った!

 こんな状態だから、休日は山に行かなくては参ってしまう。だから、晴れて欲しい。雨でも行くじゃないと思われるかもしれないが、距離が延びないから、達成感が小さいし、快い疲れ(痛み)を覚えられない。しかし、この一年間、このような雰囲気の中、埋没というのか、縮こまるような生活だけは避けなければなるまい。



4/16 昨日の金剛堂山では、どのようなお天気になるか分からなかったし、タッチして戻るのも良しとして、シャベルもタープも持参しなかった。山頂では、一時、青空が覗いたものの、その前後は視界はないし、嵐の状態であった。ちょっと、降りれば、また青空が顔を出すし、そしてまた、ガスに覆われてしまうという状態であった。

 食事しなくても良いと思っていたが、片折岳(一服金剛)に戻って、ザックを下ろした。そして、コンロに火を点けた。今歩いて来た山頂方面を眺めながら、カップ麺を食べコーヒーを飲んだ。コンビニで買ってきた大きなシュークリームも食べた。そんな事をしていたのだから、慌てる事がないのに、駆けるように下山してしまった。

 帰りの車の中で考えた。何時間で登ったとか、何回登った事など、どうでもいいじゃないか! もっと、ゆっくり歩いたり、長い休憩時間を取って、ステキな風景のもとで、ボーッとするのもよいし、何か考えるのもいいのでは・・・である。

 「若く有りたい。」「元気でおりたい。」 の願望は強いが、間違いなく衰えていくし衰えている。でも、錯覚というのか、青いというのか分からないが、こんな事ぐらいでとか、あるいは、負けられないとかの気持ちになる。痛い目にさえ遭わなければ、少々の闘争心や、チャレンジ精神があっても良いと思っている。それは、淡い恋と、ちっとも変わらない。



4/15 晴れると確信?して出掛けた金剛堂山。はじめから冷たいものが落ちて来た。そして、小雪・小さなアラレ。止んだと思ったら急に青空が出て来る。しかし、また曇で冷たい風が吹く。フードがなくてはいたたまれない。山頂近くになると、降雪が激しくなり、終いには吹雪く有様。でも、季節は春。どちらも長続きしない。

 結局は、片折岳(一服金剛)に戻って食事にした。全容とはいかないが、金剛堂山を眺めながらである。下山時は、スキー場側に降りた。「山ノ神」が一緒でないから、降りるのも早い。往路は栃谷(百瀬川に架かる橋を渡った。)から、でも、残雪があり、車は入れない。



4/14 明日の休日は雨だと思っていたのに、県西部には晴れマークが出ている。現在(午後11時)は、まだ降っている。しかし、雲の流れからして、明朝の午前4時過ぎから雲が無くなっていく予報である。本当だろうか? 行かないと晴れる。行くとそうでもない。やる事はいっぱいある。



4/13 大阪の次男から、「GWの予定は?」 と問い合わせがあった。「まだ予定を決めていないが、4/29は定休日。そして、定休日に1日加えて、5/5~5/7を休日にするつもり。」 だと答えた。以前から、3人の子供達と姉に、「私(達)の休日に来るな!」 と言い続けているので、配慮するつもりだったのだと思っている。

 どうせ、我家をネグラにして、自分の好きなところ行ってしまうからであったが、果たしてそれで良いのかと思うようになった。どっしり、家にいてやるのもいいのかである。親子というのは、ましてや男同士では、特に話などない。していても、これでもかと同じような事ばかり言ってしまっているのだろう。

 そして、長男もくるかもしれない。親らしくしてやれる事など、だんだん出来なるのだから、心を入れ替えなくてはいけないのかもしれないね。でも、元気でいる事が、彼らへの心配や負担がないというのも本当のところだとも思うが・・・。



4/12 桜の開花・満開予想は早かったけれど、結局は例年とそんなに変わらなかったような気がする。それにしても、日本人は本当に桜が好きだ。花はいろいろあるのに、何故桜なのだろうと思うのであるが、パッと咲いて、パッと散る潔さなのだろうか? それとも、やっぱり違った意味での綺麗さなのだろうか?

 この様子だと、ずっと低い所は別にして、山菜もあまり変わらないのかもしれない。私の収穫するフキノトウにしても、コシアブラにしても高いところだから、まだまだこれからですよ!



4/11 最近、友人・知人と別れる時、「ずっと元気でいましょう。」 と言ってしまう。それは、手紙やメールでも同じである。ポツポツ欠けてゆく様を感じてなのだろうか? それとも、何年もない人生に争っても仕方がないと思っての事なのか分からない。若い頃は、嫌いなものは嫌いと言って、付き合う事などなかったが、歳を重ねる事に、好感を持たなくても、言い争う事も無くなって来たように思う。

 誰とでも仲良くなんて出来ないけれど、その機会を与えてもらった事に感謝したいと思う。幸い現在の私は元気である。見掛けだけかもしれないが、有り難い事だと思っている。そして、まだまだ欲深く、もっと元気になれないものかと模索している。でも、自分だけでなく、周りにいる人達が、皆元気であって欲しいと願っている。

 

4/10 今も失った画像を探し続けている。2,010年1月から20,018年1月までの画像がバックアップされていなく、PCのトラブル時に失ってしまった。本当は画像だけでなく、中途半端な寄稿文やメールなども全てであった。それでも諦めきれず、何処かのUSBメモリーとかSDカードとかに、留まっていないかと、事ある毎に探している。

 そんな中、下記のような文章が残っていた。以前(ずっと前) 同じものを載せていたような気もするが、悪い事でもないし、自分自身が、何かを感じたようなものなのです。記憶に残っておられる方にはスミマセン。

 ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔・トップ5」をご紹介します。

 もし今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか。それはどのようなものですか。

人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware さん。彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということですが、特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。

1、「自分自身に忠実に生きれば良かった」 「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。Ware さんによると、これがもっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。

2、「あんなに一生懸命働かなくても良かった」 男性の多くがこの後悔をするとのこと。仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かった、と感じるのだそうです。

3、「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」 世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もない存在で終わってしまった、という無念が最後に訪れるようです。

4、「友人関係を続けていれば良かった」 人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるのだとか。もっと友達との関係を大切にしておくべきだった、という後悔を覚えるようです。

5、「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」 「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、と Ware さんは指摘します。旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。変化を無意識に恐れ「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。

以上、どれも心に重く響きますね。 今の自分の人生を振り返ってみて非常に考えさせられる内容だと思います。 死ぬ前に後悔はしたくないですよね。 これを読んで、あなたは今日からどう過ごしますか?



4/9 「歳とりたくない。」 と言うけれど、「ずっと元気でいたい。」 というのが本当のところ。「使わぬ筋肉は衰える。」 だから、動かさなくてはいかない。でも、悲しいかな素人では何処がどうなっているのか、よく分からない。

 シワやシミだって同じである。頭のてっぺんから、足の指先まで、「動かない。」「動かさない。」 のは理屈に合わない。「触る。」 「摘む。」 など、どんな方法でもいいから、何とかしなければ、「劣化? するに決まっている。」 と思うのは間違いとは言えまい。

 「貯筋」 は、必ずしも敵わないにしても、動かさないよりマシ。私(達)の山歩きも、しないよりマシ。とは控え気味であるが、私は、一回歩けば、一日長生き出来ると勝手に信じ込ませて歩いている。食べれる人は、長生きする。と思っているが、食べ過ぎ飲み過ぎは、二日間寿命を短くすると考えれば、一回でも歩きを多くしなければ、他人様より先に逝ってしまう事になる。



4/8 赤祖父山・大寺山から戻ったところに、ガリ君から、「明日は何処に行くんですか? 参加希望!」 とLINEが入っていた。桑首林道入口からの歩きを想定、しかも、「山ノ神」と一緒で、高岡に午後5時まで戻らなければならない。「自宅を午前4時に出るつもり。林道入口を午前5時半スタートでもいいですか?」 と返した。

 そんなガリ君と上市役場前のコンビニで一緒になり、桑首林道に向かった。通行止めの看板が無かった。しかも、ブルが入った感じがしたので、途中まででもイイやのつもりで、恐る恐るゆっくりと車を進めた。倒木がギリギリの所まで倒れていたり、尖った石も落ちていたりしていたが、何とか林道交差点まで行けたのである。

 此処まで入れば、「山ノ神」の大失速さえなければ、山頂まで行けそうだし、それどころか、山頂でゆっくり出来るのではと思った。それは、登山口駐車場まで無理して入れる事もなかろうにも繋がった。雪は、標高1/2の標柱がある所までなかった。その後から稜線まで、雪を踏み抜いたり、小枝を跨いたりの残雪期特有の歩きとなる。

 登り始めからガスの中の登高となったが、稜線に出て1,054mの標高点に向かう時に、太陽が輪を描いたように現れた。すぐに消えたが、上市の今日の予報では、お昼頃3時間の晴れマークが付いていた事を思い出す。もっと、高度を上げれば、青空が抜けるなどと良い方に期待を込めた。

 今日は、ちょっぴり雪が緩んでいたが、カンジキ・スノーシュー、そして、ツボ足など何でも良かった。冷え込んでいたら、あの狭い所を渡るには、ちょっと嫌かもしれない。一瞬、大日岳方面が雲間から現れて歓声を上げたが、あっという間に隠れてしまった。でも、まだまだ諦めてはいなかった。

 あの広い山頂に出て、最高点に向かうのに一瞬違った所へ向かいそうになるくらいガスの中を歩いた。しかも風が伴っていた。でも、ちょっとは展望を楽しませてくれるだろうと、風除けのために穴を掘った。(ベンチ・テーブル) 「山ノ神」は、これでは、見えないと言ったが・・。  その作業中、いっぺんに展望が広がった。剱岳はもとより、猫又谷から駒ヶ岳や僧ヶ岳、右には立山の一角から、大日連山や鍬崎山まで。それに、雲が纏わりつくのであるから堪らない。そして、見え隠れ毎に、此処でも歓声がこだました。

 心配された「山ノ神」の脚力も、何とか予定の時間で上がれた事もあったが、辛抱強くその後に付いてきてくれたガリ君に感謝である。お天気の崩れを感じて、正午前の下山となったが、それでも、2時間は山頂にいた事になる。「また、来るからね。」 と大倉山に思ったのか、剱岳に述べたのか、各自いろいろであったろうが、気分良く降りる事になった。



4/7 お天気の事と大倉山提案では「山ノ神」がイヤな顔をする事もあり、赤祖父山とした。 (密かに大寺山も・・) そして、大倉山は順延?とした。福寿草群生地を後回しにして、赤祖父山を目指した。上の林道に出る前に、元気な二人の女性がやって来た。「こちらは年寄り、お先にどうぞ!」 としたが、遠慮されたのか我々が先となる。

 扇山に行く前に、河原・宮村・辰口氏の名が何処となく出て来て、「そう言えば・・」 となっていった。そして、赤祖父山まで同行してもらい、食事も一緒してもらった。初めから最後まで「元さん」 と持ち上げてもらったが、嬉しい反面、申し訳なかったような気もした。

 我々が、大寺山へ行く事で別れはしたが、またまた、新しい山友達が出来た。年取って、なかなか友達なんて出来ないものだが、山を通じての友達の輪が広がって行く。やっぱり、元気でないと、何もかもが存在しない。そして、福寿草や雪割草を楽しんだ「山ノ神」も、気分よくして、明日の大倉山に行くという。



4/6 くるくる変わる予報に翻弄されている。しかも、高岡と上市の予報が随分と変わる。「本当なんだろうか?」 と疑いたくなる。そして、明日の大倉山を諦めたら、少しずつであるが、雨降る確率が少なくなって来ている。明後日は、時間制限がある。といって、来週も再来週も行けない事もないのであるが、ちょっとでも、美しい時に行きたいのも人情。



4/5 「行ってみなければ分からない。」 と、いつも言っているけれど、今度の日曜・月曜日とも予報は良くない。第1日曜日を定例的に休日としようとしている最中であるだけに、お天気が悪いから営業しようかというのも締まらない話となる。この2か月、臨時休業として来ただけに、またまた決断の時である。



4/4 埼玉の姉が肺炎で入院しているという。部屋から出してもらえないらしく、寂しくなってか私のところへ電話して来る。その傍ら、日頃の不平不満を、立板に水の如く述べて来る。ゆっくり聞いてやるのがいいのかもしれないが、そうとばかりもいかない。でも、「仕事中なのか?」 とか、「今、大丈夫か?」 などと、一定の気配りをしてくれているから、まだ良いのだが・・・・。

 ” 誰でもがやがて行く道 ” 同じ目線で対応してくれたらと思っても、毎日の事だからそうもいかない。たまになら、優しくしてあげられるのだが、自分も含め人間とは本当に浅はかである。夫婦も同じ。ほんの些細な言葉尻を掴んで諍いになる。大した事がなかったとわかるのは、時間が経ってから・・・。



4/3 「行くかもしれない。」 「行かないかもしれない。」 などと思いながら、雪を想定し林道を歩くとして、GPSでルートを作成していた。しかし、田籾からしか登っておらず、下立からは初めてであった。過去に林道を歩いた事があったが、何処からかは、はっきりと覚えていない。車での自分の記憶は、分岐では右へ右へしかないとの思い込みがあった。

 しかし、実際に歩いていると、何だか可笑しかった。雰囲気は違うし、ルート図が思いと違っていた。最も途中からは、間違っていなかったし、夏道もその通りであった。家に帰って、データーをダウンロードしてみると、「エエ」となった。車で走った所の軌跡はないが、スタート地点が、全然違っていた。(大理石のテーブル)

 もしかしたら、493mの所で違っていたような気がする。(そこは車) イヤハヤ、何もなくて良かったが、もうちょっと、しっかりしないとダメだね! 「結果オーライ」 で我心を慰めるわけにはいかない。



4/2 起きたら真っ白。雪国に戻った。下立からの林道が行けるかどうかも分からない。実際、計画段階でお天気が悪いから、せめて屋根のある所として選んだのであるが、下立(おりた)の読み方さえ知らなかった。下立駅から少し行った所から入るのであるが、土地の人に確かめなくてはならない程なので、降雪の後だけに不安がいっぱいであった。

 「行けなかったら、戻って、違った山にする。」 「入れたら行ける所まで行って判断する。」 は、全員の確認事項であった。幸いにも新しい轍があった。進んで行く内に、鉄塔工事のために車両が入っていた。その方々の先に進み、せめて くろべ牧場への分岐まで入ればという気持ちもあった。3台の車を連ねての進軍である。

 かなりの積雪であったが、新雪だから進めた感があった。黒部の扇状地が見渡せる大理石テーブルで、デボする事になったが、車から降りるにも躊躇せねばならない積雪である。まず「寒い。」 の言葉を発せねばならない程。そして、「スノーシューを持ってこれば良かった。」 になったが、本当にまさかであった。唯、「北ちゃん」だけが、スノーシューを持参していたので、彼に先頭を頼んだ。

 林道は長い。林道と言っても、やはり少しずつであるが、高度を上げていく。ショートカットして、コンクリートの建物(森林組合のものかな?) に出た。そこからは、林道から外れて、夏道とは全く反対の斜面に取り付く。(地形図には点線が描かれている。そのルートは降りに使ったが、それより南側を辿った。)

 急斜面になると、新雪の下に前の硬い雪があって不安定であった。我々は、そうなると元気になる「北ちゃん」の指示に従う事になる。ヤブである。(わざわざヤブである。) 繋がる物があるから安全である。反射板のような物が見えたら、山頂の東屋が近い。

 東屋があるから、鋲岳を選んだのであるが、風雪が強く、何の役にも立たず、コーヒーを飲んで、記念写真を撮って下山する事になる。先のルートで降りたが、「北ちゃん」は、慎重にコースを選んでくれた。林道に出て一安心であるが、新たに5cmくらい積もっていた。

 今度は、車の運転であったが、往路と違って くろべ牧場側に抜けた。その牧場に来ると、雪量がいっぺんに少なくなって胸を撫で下ろした。マキちゃんは、歩くより運転の方が疲れると言っていたが、確かにそうであったろう。それにしても、尖山に園家山、温泉泊に雪の林道運転・40cmの新雪。山中で新元号を聞く。など忘れられぬ山行の一つになる事でしょう。



4/1 少人数であったが、好山病企画として、山行を実行する事になったが、前々から予報が良くない。しかも、「本当かよ!」 と思えるくらいに雪マークが出ているのでした。行く山に苦慮したが、最終的には、「尖山」で、集合時間も遅めに設定。そして、行った事のない「園家山一等三角点」 舟川四重奏も加えた。のち温泉である。

 日中は、少し晴れ間が覗くかもしれない予報を信じて、尖山であるが、少しでも、歩く距離を延ばすために、横江駅前から歩く事にした。そして、夏椿峠経由である。山の事はもちろんであるが、日頃の事など、話し切れない程にたくさん喋った。山頂では、私達よりお年寄りのグループにお会いしたが、これまた楽しい掛け合いがあり、大いに笑った。

 コーヒー一杯のの山頂を後に、期待を込めて?入善の一等三角点を目指した。何せ海を目指さなければならず、しかも標高17mの山である。ちょっと戸惑い遭難しそうになったが、登ってみれば(到達してみれば)、仲間から 「なかなかのもんだね!」 の言葉が・・・。

 急いで、舟川べりに行く。だんだんと雲行きが怪しくなって行くし、当然四重奏にも時期的に早い。それでも、チューリップを見ながら、また、当局の職員と見受けられる方から、アドバイスをもらい納得をして、次のスケジュールと移った。

 スーパーで買物をして目的地の温泉に着いた頃に雨となった。何もかも予定通りであったが、昼食時間を取れなかった事と、鋲岳へ向かう下立からの林道偵察が出来なかった事以外は、全て順調であった。お腹いっぱい、そして、たくさん飲んで喋った。雪が降ってきた。